【写真】さらに燃える世界 Velviaによるクロスプロセス +【音楽】痙攣ボーカル再来 Pere Ubu  Navvy

ベルビアのクロス1


暫く美術館にも行ってないけど、涼しくなってきたということもあってこういう場所に行くにはいい季節になってきました。
ということで来月は実はちょっと前から楽しみにしていた展覧会があります。
誰の展覧会かというと、国立国際美術館で開かれる工藤哲巳の回顧展。アヴァンギャルド全盛の60年代、反芸術の旗手だった人で、美術の本では見たことがあったんだけど作品の実物はほとんど見たことがなく、特にグロテスクで異様なオブジェ作品は写真じゃなくて物質的な質感、量感を伴った形で見てみたいと思っていたものでした。これは来月の2日から。またこの回顧展は東京と青森へ来年巡回する予定らしいです。
もう一つは来年になるんだけど、2月に同じく国立国際美術館で開催予定のアンドレアス・グルスキー展。ドイツの現代写真の作家で、ヴォルフガング・ティルマンスを初めとしてドイツ現代写真の世界ってかなり興味があるから、これは絶対に逃さないでおこうと思ってます。ちなみに東京では先行で開催されて、今はすでに終了してる模様。開催地は大阪の中ノ島ですけど、もし興味を引かれたら、行ってみてはいかがでしょうか。

工藤哲巳回顧展
アンドレアス・グルスキー展



☆ ☆ ☆

この前記事にしたクロスプロセスの赤かぶりしたフィルムの別のコマをいくつか載せてみます。ちなみにクロスプロセスについてもう一度ごく簡単に書いておくとポジフィルムをネガフィルムの方法で現像するというイレギュラーな現像方法のこと。
さらに今回は音楽のほうが先にあって写真を選んだ感じになってます。

音楽はこれもまた前回の記事で話題にしたペル・ウブの別の曲。前回のペル・ウブよりは、実験的というか、ペル・ウブの本領発揮という感じの曲です。前回の記事で取り上げた後でついでに他にどんなのが上がってるんだろうと探して見つけたこの曲を聴いていて、視覚的にはメンバーの写真が数枚と、「DUB HOUSING」のジャケット写真しか出てこないけど、こっちにしたほうが良かったかなぁと、そんなことを思ってました。そうこうしてるうちにこういう曲はクロスプロセスの写真と合いそうな気がしてきて、クロスプロセスのほうもまだブログに出してないのがあったし、それではこの曲とクロスプロセスの写真の組み合わせで記事にしてみようと思い至ったわけです。記事の体裁はいつも通りだけど、今回はいつになく音楽との親和性は強くなってるはず。

冒頭の写真が一番音楽的なんじゃないかなと思います。花壇の写真だったんだけど具体的な花の属性ってほとんど飛んでしまって、なにやら妖しくも抽象的な絵柄に近くなってるのが、後になって妙に気に入った写真。
最初見た時は全然花の写真じゃなくなってる!と、失敗写真の内に入れてました。でも花を撮ってそう見えなかったにしても、それならば結果として花の写真じゃないと思えば、なにやら火山の噴火口から飛び散る火花のようにも見えるし、あるいは何に見えるとか無理にそんな具象の何かを持ってこなくても、これはこれで何か成立してるものがありそうな気がします。


ベルビアのクロス2


ベルビアのクロス3

工場っぽい素材を被写体にしても、インダストリアル・ミュージックのような感じっていうのにはなかなかならないというか、殺伐とした雰囲気で神経をささくれ立たせるような写真というようなのはどうすれば実現できるのか。ノイジーな写真でも、聴覚ほどは直接入り込んできて神経に直に絡みつくような感じにはならずに、さらにまた殺伐としてるといえば、たとえば血みどろの不快な映像のようなものであっても同様に、衝撃的ではあったとしても、対象と自分との間に何がしかの距離があるスタティックな客観性はどこかで保持されてるような気がします。何よりも映像は瞼を閉じればシャットダウンできるし。
結局のところ音楽が一番近いところまで感覚に肉薄するメディア?

それはともかく、これ、手前のドラム缶に写りこんでる光景が、意外と絵になるかも。3連積み重ねで若干差異を含んで並んでる、ここだけ切り取って写真にしても面白かったんじゃないかと思います。
反射するものとか映りこんでるものとか撮るのは好き。でもすぐに自分も映り込んだりするから、セルフ・ポートレート風に積極的に映り込みを活用する写真家もいるようだけど、ちょっと悩みどころだったりします。自分の映り込みを避けようとして、こういう写真の全部といっていいほどちょっと斜めから狙ったものになるんですよね。


ベルビアのクロス4

これは工場の煙突の別バージョン。この世界の光景とは思えない。
ロシアのカメラLC-Aのロシア的に不安定な露出計大活躍っていう所だけど、これクロスしなかったらどんな写りになってたんだろう。
フィルムは何をするにしろ不可逆な物質なので、たえず確かめられないもう一つの何かっていうものが付き纏って、想像をたくましくさせるところがあります。

全部真っ赤の結果で帰ってきたのを見た時はなんだかなぁっていう気分もあったけど、個別に見てみると意外と面白い効果になってるものもあって、やっぱり昔の、インディーズっぽい作りでサイケデリックな実験映画の一齣なんていう雰囲気は、他のフィルムでクロスプロセスをやった時よりは濃厚に出てきてるように思います。赤という色が強烈なのかなぁ。血の色で恐怖や不安を煽り立て、無意識に危険なサインとして刷り込まれてる色。世界が染まる色としては一番非常識な色かもしれないです。
この前は出来は面白かったけど、もうこのフィルムでクロスプロセスはしないだろうって書いたものの、もう一度くらいはやってみてもいいかなとちょっと宗旨替えしてしまいそうな気分になってます。

ちなみに撮っていたのは伏見の三須閘門から宇治川にかけての河川敷でした。この宇治川は八幡で淀川と合流した後大川の分岐点である毛馬閘門地区まで続いていきます。



LOMO LC-A +MINITAR1 F2.8 / 32mm



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Pere Ubu - Navvy


デビッド・トーマスの引きつりボーカル全開!この前のデビューアルバムとこの曲が入った「DUB HOUSING」というアルバムはレコードを持っていて、昔聴いてた時は平気で裏声にひっくり返る変なボーカルだなぁと思うほうが強かったけど、本当に久しぶりに聴いてみると、なかなかスリリングな不安定さで突っ走っていて昔聴いていた時よりもかっこよく聴こえました。
曲全体も荒削りの生々しい音でポスト・パンク的、ガレージ・バンド的な雰囲気が横溢していて、ドラムがドコドコ叩き出しながら煽ってるけど、これは絶対に高揚感じゃない、どちらかと言うと気が滅入ってくるようなダウナー感覚のほうが強いと思わせるところが、このバンドの特質なんでしょう。



Dub HousingDub Housing
(2008/10/28)
Pere Ubu

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今日濡れた歩道で滑って転倒してしまい、左手で受けたのが影響して、左腕の骨にひびが入ってしまいました。
去年に続いて骨のトラブルに見舞われてしまって、片手でタイプ出来ないこともないけど苦痛なのでブログを暫くお休みします。
3週間くらいで治るという話だったので、それまでに復帰できると思いますけど、その時はまたよろしくお願いします。コメント返せそうにないので、また暫くコメント欄を閉じておきます。
ある程度治るまでカメラが構えられない!これがちょっときつい。          



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【写真】大川から淀川河川敷公園へ +【音楽】Pere Ubu Breath

毛馬地区河川敷01

大川の写真の続きです。ここへ写真撮りに行ってたのは冬の終わりから桜の季節まで、ちょうど桜の写真を撮った頃にここで写真撮るのも終了したという感じだったんですけど、10月になった今もまだこんな風に書いてるとは予想もしなかったです。そういえば大阪ガーデンシティで撮っていた写真も放置したまま、忘れてしまったというわけでもないんだけど、こっちもそろそろ記録しておかないと、一体いつの話?なんていう事態になってしまいそう。

ということでとりあえず大川の話をそろそろ完結させようかなと。
大川での撮影行は得体の知れない掘っ立て小屋地域を抜けた先へと進んでいきます。

大川ダークサイド


右岸で言えば掘っ立て小屋のやばそうな空間の先にあったただやたらと広いだけの空虚な公園、左岸のほうだと大阪拘置所の脇を通り過ぎて程なく大川が淀川と結びついている水門のある場所に出てきます。遠くに巨大な水門を構えた大きな船だまりのようになって、実際に何艘か船も停泊してるような場所。わたしは下流から上ってきたのでここが終着地点という印象だったけど、実際はこの分岐点である毛馬水門が大川の始点となる場所でした。
大川の両岸はこの水門を前にして両側に大きく開いていき、本流である淀川の高い土手に沿って走る道路へと変貌していきます。
大川は淀川から分岐している川なんだけど、調べてみると旧淀川と、こちらが本当の淀川なんだよとでも言いたげなことが書いてあるし、それならばこの分岐の土手の向こう側に広がっていた巨大な川は、ひょっとして人工的に作られた川なのか?と、門外漢にはちょっと分からないことだらけの領域になってきます。
基本的には淀川は元をたどっていけば琵琶湖から大阪湾に流れ込む巨大な水流で、はるか昔から氾濫などに対応する工事が積み重ねられて今の形になったようなことが書いてあるから、大川の分岐以降の淀川が完全に人口で作られたものだということはないにしても、大川が単に淀川と呼ばれていた時、この今本流となった淀川がどう呼ばれていたのかとか、やっぱりよく分からないところが残るようです。
まぁよく分からないことだらけなんだけど、淀川を今の形にするために様々な人が関わった歴史は川の氾濫などを織り込んでちょっとしたスペクタクル絵巻のようなものになりそうだから、だれか波乱万丈の歴史映画にでもしてみないのかなと、そんなことを思いました。

淀川の歴史はともかく、この終着地点にやってきてから、実は目の前にある土手を越えるのに何回か訪問の回数を重ねてます。ここまではくるんだけど、桜ノ宮駅からここへたどり着くまでの行程で空虚な公園やきな臭い掘っ立て小屋、禍々しい拘置所なんかにエネルギーを吸い取られてしまったような感じになるというか、距離的にはとんでもなく遠いというほどでもないけど、天満橋から毛馬の水門までの行程のほぼ半分を占める退屈な行程を歩き続けたせいというのか、ようやく終着地点にたどり着いたということだけで気分が完結してしまうようなところがありました。

これからが大川を離れて新しい世界への出発の地点なんだけど、桜ノ宮からはるばる歩いてここにやってきた時点で今更新しい世界の探索を始めるような気分はかなり失われてしまって、とにかく最初の何回かは終末世界のような空虚な空間の写真を撮りながらここまではたどり着くんだけど、毛馬の水門を前にして今日はもう帰ろうって言う気分になってばかりいました。進む気がうせてそこから桜ノ宮の駅まで再び帰る、その戻る行程に費やすエネルギーもなんかあまり残っていないような状態になっていた感じでした。


毛馬水門旧遺跡


毛馬水門旧遺跡2



その淀川の土手を越えるきっかけになったのが右岸側の道路が大川の川縁を離れて少し行ったところにあった、旧第一閘門の遺跡でした。現在は使われなくなった機構をそのまま保存してる場所で、写真で見ると煉瓦作りで機械仕掛けの廃墟でもありそうな雰囲気だったので、これはちょっと見てみたいと思ってました。
水門の前までやってくるたびに電池切れになってしまったような気分になるのが続いてたんだけど、何回目かにやってきた時、多少残った電池を使って、ここまで足を伸ばしてみました。
昔の遺跡を管理保存してるというからもっと博物館風の雰囲気でもあるのかと思えば、トラックなんかが情緒もなしに走ってる右岸からの道路の真横に、そのまま放置されてるような状態で残されてました。
これはちょっと吃驚。勝手に入っても良いのかなと思うくらい、柵らしいものもないし周囲にも誰もいない。大切なものが保存されてるという雰囲気もまるでなし。
そういう水門の遺跡に踏み込んで、おそらく船が進入してくる水路だったと思われる、今はもちろん水もない煉瓦作りの水路の底部を歩いてると、まるで誰もいないことも相まって、時間が止まってしまった世界に足を踏み入れたような不思議な感じがしてました。
たとえるならゲームの「ミスト」の世界に紛れ込んだような感触。はるか昔に作られたけどもう作った者たちはどこにもいなくて残された機械が意味さえも推測できないような動きを誰もいない世界で続けてるような場所。
そういえば「ミスト」PC版のを何作か買ったけど、前のPCがDVDを読み込めなかったので、DVDが読めるような状態にしてからと思ったまま放置してます。今年買って今目の前で動いてるPCはDVDはもちろん読めるからあの昔買った「ミスト」の遊んでないのを遊べるんだけど、今のOSで動くのかなぁ。こんなこと書いてたらなんだかまたあのミストの世界に迷い込みたくなってきた。

話を戻すともちろんそういう静謐な時間が止まったような世界の中にたって写真撮ろうとしました。でも構造的には複雑に入り組んでるわけでもなく、凹字型で直進する水路があるだけの場所といっても良いようなところ、水門を開閉する機械もあったけどもう一つ上手くフレームに収めきれなくて、フレームで切り取るのにかなり迷ってしまいほとんど撮れなかったです。全体を写してしまうと遺構の説明写真にしかなりそうになかったし、この場所の時間の外にあるような雰囲気も上手く取り込めなさそうでした。
今思うと、ミスト的な世界であったなら、ミストに出てきそうな絵柄として撮ってみたらよかったんじゃないかなと、こういうことはいつも後になってから頭に浮かんでくるんだけど、そんな風に思いました。


毛馬地区河川敷04


右岸から淀川の土手沿いへと延びるほとんど車道となったところから脇にそれ、入り込んだ水門の遺跡の元水路を通って、水門の機構の辺りにある上へ上る階段を上がっていくと、そこは土手の頂上近くへとたどり着くようになっていました。
ここで、水門の前まで来ては気力が尽きて引き返していた状態を脱して、目の前の壁のようになって土手がさえぎっていた向こうの様子を始めてみることとなります。

土手の上に上って淀川河川敷を見渡した時に最初に思ったのは、とにかく広い!っていうことでした。見渡す限り遮るものがない空間の元で巨大な川がゆったりと流れていってる。目に付く構築物は毛馬の閘門の機構以外だと、はるか対岸で小さくなってるビル群と淀川を横断するJRや阪急などの各種の長い架け橋くらいしかないような開けた世界。
それまで大川沿いを歩いていて、特に狭苦しいとも思わなかったのに、その上にさらに解き放たれたような気分が上乗せされるくらい、広さで迫ってくる場所に立つこととなりました。

目の前の広大な世界に圧倒されたのはそれはそれでいいんだけど、とにかく目の前にあるものを写真に撮りたいと思ってカメラ持って出かけてるわけだから、この広々とした何もない世界を前にして写してみたいと思ったのはいわば当然のこと。でも何もない世界を写すってどうすればいいんだろうと、悩んでしまうのもまた当然のことでもありました。

もう一回くらい続いて、雨の日の霞む世界を撮りたいと思って始まった大川撮影行のお話は終了の予定!


毛馬地区河川敷03




毛馬地区河川敷05



Leotax F +Summitar F2 / 50mm
OLYMPUS μ ZOOM 105 DX



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Pere Ubu Breath


70年代後半に登場したポストパンクのロックバンド。グループ名はアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」から持ってきてるものだけど、おそらくボーカルのデヴィッド・トーマスの見た目のイメージから来てるんだと思います。
わたしが最初に聴いたきっかけは、このシュルレアリストの作品を引用している得体の知れなさに興味を持ったからでした。
当時は動く状態を見たことがなくて、レコードのみの体験だったけど、こうやって動いてるところを見ると、デヴィッド・トーマスの存在感とパフォーマンスのバンドだったんだなぁと改めて認識した感じです。引きつったようなボーカルは、まぁレコードで聴けるにしても、この執拗で病的で異質感にあふれた動きはレコードでは分からない感触でした。
奇矯なパフォーマンスだけど、曲終了後の去り方は意外なほどかっこつけてスタイリッシュ。

音のほうはシンプルなガレージロックをもとにいろんな異種的な音楽を混ぜ込んで形を作っていく類のものだと思います。この曲はデヴィッド・トーマスが動いてるPVが欲しくて選んだもので、あまりアヴァンギャルドでもないんだけど、実際にレコードを聴いてみると、ペル・ウブの音楽はもっと破格で実験的なものが印象に残ります。そういう本領発揮のペル・ウブは次回の記事で写真に絡めて取り上げるつもりでいます。

Youtubeで探していて、最近のライブのものを見たら、デヴィッド・トーマス、爺さんになってるのは仕方ないにしても、あろうことか今ではやせてしまってるんですね。まぁ太り続けろっていうのも過酷な注文かもしれないけど、見た目はあまり「Pere Ubu」じゃなくなってました。




Modern DanceModern Dance
(1998/06/02)
Pere Ubu

商品詳細を見る


この曲が入ってるアルバムじゃないけど、一応持っていて気に入ってたので。
これがPere Ubuのデビューアルバムです。
LPの時のこの線画だけのジャケットは、いかにもラフで、あまりLPジャケットで使わなそうな絵柄でもあり、ひょっとしたら商業デザイナーの手を通してないんじゃないか、ガレージの一角で手工業的に作ったんじゃないかと思わせるところがあって、インディーズっぽさ満開で洒落てました。