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【写真】伏見稲荷大社にて 4 熊鷹社 1 【音楽】The Rutles - Between Us

熊鷹社 内部

奥社奉拝所からのお山めぐりの鳥居の参道が、谷間をゆるゆると蛇行しながら延びているのに沿って歩いていると、やがてこれからの山登りを予感させるような石段が現れ、その石段を登っていくと目の前に、稲荷山の参道では初めてとなる御神蹟、熊鷹社と新池が現れることとなります。
それまでの道はまだ平地と変らないわずかに登り傾斜した程度の道だったけど、それでも徐々に山を登ってることには変わりなく、また鳥居のトンネルで周囲を囲まれていたり、谷間沿いでそれなりに稲荷山の樹木の陰の中を歩いてきたりしてるから、この池の畔にやってきていきなり視界が開けて明らかに山中の、下界とは雰囲気の違う光景が眼前に広がるのはちょっとスペクタクルな視覚体験となっています。
石段を上り詰めて池を目にした外国の人で、あまりに吃驚したのかオーマイガッ!なんて思わず口にしてる人がいるくらい、視覚の変化は感覚的な刺激となって目の前に現れるようです。この外国の人の口から漏れた感嘆の言葉は、この新池に沿うようにして犇めき合ってるお塚群と、あとで説明するように妙に似合った表現だったりするんだけど、口走った当の外国の人はそんなこと想像もついてないだろうなぁ。


新池


熊鷹社3

新池の対岸は完全に森の中となって池の畔には近づけなさそう。熊鷹社と池を一緒に収めようとすると、少し回りこめるこの位置周辺しかなくて、おそらく熊鷹社と池を撮った写真は大半がここからとることになり、似たような写真が大量にこの世界に存在することになってると思われます。
それを考慮して池よりも隣接するお塚群をフレームに入れてみたけど、似たような写真のちょっとしたバリエーション程度の違いにしかならなかったかな。


熊鷹社4
熊鷹社と細い参道をはさんで、お供えや灯明を売る店の窓。差し込む光がなかなか風情があったので。


稲荷山山中にも昔は社なんかが建っていたけど、応仁の乱で消失し、以後社は再建されずにその地を御神蹟として残すのみだったそうです。明治に入ってから七ヶ所の御神蹟の位置が定められて親塚が建造され、今の形になったんだとか。場所としては稲荷山は古くからの神域なんだけど、そのパワーを眼に見える形で眼前に立ち上げている事物は、古代からの時間の層に比べると意外と新しいものが多いような感じです。
親塚に祭られてる神様の名前は昔から伝わる名前を継承してるけど、ふもとの稲荷大社で祭られてる五柱の神様とは名前が異なっていて、なぜ違う名前で現在まで伝えられてきたのかは今でも謎なんだそうです。
一応明治になってから正式に位置を決められた七神蹟のなかに、この熊鷹社は入っていません。でもお山巡りの参道の傍らに立ててある御神蹟参拝地図には掲載されてるので、御神蹟の一つなんだと思います。話によると、伏見稲荷大社が直接管轄してるのが明治に位置を定められたこの七神蹟で、参道傍らの御神蹟地図に載ってる熊鷹社を初めとする他の御神蹟は信者が私的に建立したものだということらしいです。そういえば熊鷹社にいたる鳥居の中に、大正時代に建てられた古い石の鳥居でなにか、熊鷹會とかいうような熊鷹社を建造した信者の組織の名前というか、そんなことをイメージさせるような文言が刻まれています。

熊鷹社の眼前に広がる新池は別名谺ケ池といい、池に向かって手を打つと、木霊が帰ってきた方向で行方知れずの人の手がかりが得られるという言い伝えがあります。もっともわたしがここに来てる間で手を打った人は皆無。誰かを探してる人そのものがいなかったのか。
熊鷹社の祭神は熊鷹大神。一発勝負の神様だそうで、そういう勝負をかけようとする人が参拝するところらしいです。ギャンブル好きが引き寄せられそうな気がします。

☆ ☆ ☆

熊鷹社に隣接して新池の畔に沿うようにしてお塚の集積地域があります。お塚とは大きな石碑のようなものに神様の名前を刻み込んで祭り、両側に狐、前面に鳥居を配したような形になっている場所。
最初は、稲荷山のなかでも局所的に強いパワースポットにあった巨石とかが信仰の対象になって、今見るようなお塚信仰の形になったものだと思ってたけど、熊鷹社のような御神蹟はそういう感じで成立してるようではあるものの、お塚に関してはどうやらそういうものではなかったようです。
最初に外国の人が「オーマイガッ!」って口走ったのが、妙にこの場にフィットしてるというようなことを書いたけど、このお塚群はそれぞれが個人で奉納したもので、祭っているのはその個人がお祭りしてる神様。この場所の場合は熊鷹社という局所的なパワースポットの近くでそのパワーを借りるように、ある種の依り代のような意味合いだと思うけど、自分の神様の降り立つ場所を塚という形で設置し、自分の祭ってる神様の稲荷山での居場所を作るというような存在だったようです。云うならばごくプライベートな参拝施設といった感じ、まさしくマイ・ゴッドの場所でした。


熊鷹社お塚1


熊鷹社お塚2


熊鷹社お塚3


熊鷹社お塚5



ただ個人が祭ってる神様というのは説明されると理解できるんだけど、その個人の神様で作ってるこのお塚の異次元はまさにカオスという以外にないところがあって、たとえば個別に祭られてる神様の名前を取り上げただけでも、中には異様な名前の神様のお塚が見つかったりします。この熊鷹社だとその脇に寄り添うようにしてある塚には確かヤエコ姫大神と書かれていたし、もっと上に上ってみたお塚には豆ちゃん大神っていうのもありました。これはお塚を奉納した信者が自分でつけた神様の名前だとか。
もうこの辺はちょっと調べたくらいでは歯が立たないくらい妙な世界で、これらお塚に記されてる神々の名前はすべて稲荷神の別名であるとか、別名はまぁ納得できるにしてもその別の名前を明らかにその人の趣味でつけてるとしか思えないような名前があるのはいったいどういうことなんだろうと。自分が信仰してる神様だから元はお稲荷さんだけどそれはそれとして、自分の好きな名前をつけて拝んでる?
お塚に刻み込む名前は奉納した人が自由に決めるにしても、一般的な神様の名前とか、稲荷山に関連する神様の名前とかを刻むんじゃなく、周りの人も止めなかったんだろうかと思うくらい結構歯止めのない自由奔放な決め方をしてるような、そのあたりの事情が新参者にはさっぱり見当がつきません。ひょっとしたら自分もお塚を奉納したらその辺の事情も分かるのかもしれないけど、ブログの記事を書くのに自分のお塚を稲荷山に建てるというのも倒錯しすぎではあります。

調べてみても、信仰者の中には神璽を様々な名前で呼ぶものがいる、というところで収まってしまって、どうしていろんな名前で呼ぶ必要があるのかだとか、ふざけた名前でもかまわないのかとか、その先へ進むことが出来ずに、当分はこの奇妙な神様たちの名前の由来は謎として頭の中に残っていそうな気がします。
カオスといえば、お塚で何度か般若心経を唱えてる人を見かけたことがあって、帰ってから父に話したら神社なのに変な感じだと云われ、調べてみたら神仏習合の思想が稲荷山では今でも民間の宗教、風習として残っているということのようでした。
要するにここでは神と仏が未だに未分化で混ざり合ってる世界が存在していると、そういうなんだか今では文献でしか見ないんじゃないかと思うような世界を体現してる人が目の前で一心不乱に般若心経を唱えてるさまを眼にするのは結構生々しい感触を覚える体験でもありました。

ともあれ実情については今のところよく分からないことだらけのお塚なんですけど、最初に出会う熊鷹社のお塚でも十分に異次元の世界なのに、この先山を登って眼にするお塚群にはここよりももっと大規模なところもあって、熊鷹社を過ぎた後は、そのカオスに向けてさらに参道を登っていくこととなります。

熊鷹社お塚4

☆ ☆ ☆


裏参道の猫たち3
裏参道の猫たち。

伏見稲荷大社のお話はさらに続きます。



FUJI NATURA CLASSICA
OLYMPUS OM-1 +G.ZUIKO AUTO-W F3.5/28mm +ZUIKO MC AUTO-S F1.8/50mm
NIKON F3HP +Ais Nikkor F2/35mm
PRAKTICA MTL5B +SMC TAKUMAR F1.8/55mm

モノクロは自家現像です。


☆ ☆ ☆


The Rutles - Between Us


以前一度取り上げたことがあるラトルズから一曲。
モンティ・パイソンでビートルズの誕生から解散までの歴史を、ラトルズという架空のバンドを作ってそのまま冗談交じりで再現したのも面白いんだけど、ラトルズの曲を、それも何枚かレコードが出来るくらい本当に作ってしまったのが驚異的でした。
曲はいかにもビートルズだったら作りそうな曲で、知らなかったらビートルズの未発表曲だといわれても信じてしまうくらいの仕上がりになっていたのも凄かったです。
この曲なんかビートルズの擬態なんか関係なしに、ビートルズの曲が好きという感覚の延長上で本当に好きになってしまった曲だったりします。

このラトルズのイメージ設定、エリック・アイドルの間の抜けたポール・マッカートニーとか実際にこの驚異的な音楽も作ったレノン役のニール・イネスなんかはオリジナルのイメージにどこか共通する部分を残してる、要するにある程度は似せようとしてるんだけど、他の二人はジョージもリンゴも似ても似つかないんですよね。似てないところが笑わせどころだったのかなぁ。




ザ・ラトルズザ・ラトルズ
(1993/10/25)
ラトルズ

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【写真】私的京都駅

ベル

このところ良く撮ってる京都駅での写真。

京都駅正面から入ると左右に上に上がるエスカレーターがあります。右のエスカレーターは伊勢丹や大階段、近鉄の乗り場などに通じてるから、そちらへ移動する人がほとんどだと思うけど、左側のエスカレーターを上ってホテルのエリアに入ると、この大きな鐘が目に入ってきます。
まぁ駅構内からでも見えるんですけど、長い間何のためにあるのかよく分からない鐘でした。何しろ鳴らそうと思って近づいても柵が作ってあって入れないようにしてあります。
ある時、駅構内にいるときこの鐘が鳴り響いたことがあって、その瞬間に疑問氷解。
どうやら京都駅の東側にあるホテルで結婚式を挙げたカップルが鳴らすために備え付けられてる鐘のようでした。

夜にも手持ちで撮れると思った一枚です。昔の未来派の映画のポスターにでも使えそうなイメージになってると思うんだけどどうかな。




OLYMPUS OM-1 +ZUIKO MC AUTO-S F1.8/50mm
KODAK TRI-XをD-76現像液で自家現像。


【写真】木馬と紙の兵隊 +【音楽】Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World

木馬1


伏見稲荷大社のお話の真っ最中ではありますが、話し始めると鳥居と狐と裏参道の猫の写真が暫く続きそうで、選ぶほうも似たようなのを眺めてるとどれを載せようか判断しにくくなったりするから、鳥居と狐と裏参道の猫写真の合間に毛色の違う写真も時折挟み込んでいきます。

ということで、狐と猫の写真の合間に馬の写真。
これ、五条河原町を少し上がったところにある、多国籍風でどうも外人相手の宿泊施設のような感じではあるものの、中は薄暗くてよく分からない建物、雰囲気は喫茶店か雑貨屋のようなところもあるんだけど、たとえそういう店であっても薄暗すぎてお客さんは入らないだろうなぁと思わせる、そんな他人を拒絶してるような妙な店構えの得体の知れない建物のショー・ウィンドウに飾られていたものです。
実はこれを撮る形になっていったのには経緯があって、普段ほとんど通ったことのない五条河原町のあたりを、去年の夏の終わり頃に大徳寺の周辺で写真を撮った帰り、市バスに乗って通り過ぎようとした時、河原町通りに面して等身大くらいの明らかにダンボールかなんかに描いた稚拙なイギリスの儀仗兵の立て看板が視界に入ったのがきっかけでした。
かなり目立つ看板で得体の知れなさでも周囲から浮き上がりまくっていて、あれは何だと思ってバスの窓から首を巡らせながら確かめようとしたんだけど、バスはわたしの意向なんか無視してひたすら通り過ぎようとするだけ。その時は謎の儀仗兵の安っぽい立て看板がある奇妙な一角という印象を与えたまま、わたしの視界から流れ去っていきました。

この紙人形は妙に印象に残っていて、すぐにではなかったけど、五条あたりは東山のほうへ向けて夏頃から写真を撮って歩いていたから、ある時これを思い出し、東山とは反対の方向へと足を伸ばしてみることにしました。五条河原町辺りって四条河原町で繁華街が途切れて以降の地域だから特に行く目的もないところでした。
場所は記憶に残ってるというほど複雑なところでもないから、あっという間に見つかりバスの車窓から眺めたダンボール儀仗兵と間近で対面することに。
その時に撮ったのがこの写真。


ダンボールの兵士


写真は撮ってみたものの、市バスから眺めた時のやけに目立つ存在感もほとんど感じられないような写真にしかならなかったので、特に気に入ることもなく、結局ブログにも載せなかったんだけど、眺めてるうちに、ダンボール兵士の後ろになにやら馬のようなものが写っているのに気がつきました。
これ撮った時、ダンボール兵士にしか注意がいってなかったし、薄暗がりの窓の向こうからなんだかこちらの挙動を見張られてるような気もしたので、その場ではこの背後のウィンドウに気がつきませんでした。
この写真を眺めて紙人形よりもうしろの馬らしきものがどうにも気になって、さらに暫くしてからまたここに写真を撮りに来ることになります。

まずは一度昼間に再訪して、この馬らしくみえたもの、実際は木馬だったんだけど、その木馬を撮ってみたものの、河原町通りを行きかう車が反射で写り込んで、窓ガラスの反射とか好きなほうなのに、この時撮った写真は木馬の様子が上手く撮れなかったのが気に入らない写真となりました。

最初に載せたのはその後3回目にこの場所に行った時に撮った写真です。何回か前の記事でフィルムカメラでも条件を整えたら意外と夜でも手持ちで凌げると書いた、あの延長上で夕方から夜にかけて五条界隈を写真撮って歩いていた時に、そういえばあのウィンドウ、中を照らす照明や電球も飾ってあったようなことを思い出して、照明がついてるなら手持ちで夜がどうのこうのというまでもなく楽勝だと思って、またここまで写真撮りに行ってみたわけです。

やってきてみると、その日だけの事情だったのかなんだかよく分からないけれど、照明装置はついてるもののすべて消灯状態の真っ暗闇。照明のランプも木馬を引き立てるためのただの飾りだったのか、さすがにここまで明かりがないと普通に撮影するには限度を越えてました。
でもせっかくきたんだから、一眼レフのほうはストロボなんて持ってなかったけど、サブで持ってきていたコンパクトカメラにはストロボが内蔵されていたので、とにかく何か撮って帰ろうと、ストロボを使って撮ってみた写真がこんな仕上がり具合になりました。
思った以上にかっこいい。

☆ ☆ ☆

ストロボを使うと自然の光とか柔らかいニュアンスといった写真とはまるで傾向の違う仕上がりになるから、使うこと自体が敬遠されそうなところがあります。わたしもほとんど積極的には使わないほうだし(大体一眼レフ用のストロボそのものを持ってない)、スイッチを入れるたびにストロボがオートになってしまうコンパクトカメラの設定を、撮影しようとするたびに発光禁止にしたりするんですけど、ストロボ写真はたまにフラットで人工的でクールでロケン・ローな写真になることがあるので、ぴかぴか鬱陶しいしほとんど使わないけど実は徹底的に嫌ってるというわけでもなかったりします。上手く使いこなせたら面白いだろうなぁと思うほうかな。ストロボ・フォトって云う語感も未来的でかっこいい。

プロの写真家って意外とストロボ使って、自然に見せるための工夫もそれほど必要ないといわんばかりの状態で、普通に撮ってる人も多いし、暗すぎて撮れないという場合は、撮るのをやめるというよりもストロボを使ってとにかく撮っておくというのが良いような気がします。


木馬2

こっちは木馬の足元のほうを写した写真なんだけど、要素はこっちのほうがバラエティに富んでるものの、ストロボの光芒が入ってるほうがやっぱりかっこいいかな。


☆ ☆ ☆


使ったカメラはフジのティアラ。

ティアラ初代

梅田の駅前第二ビルにある委託品の店で、安価で入手したもの。
写真家植田正治が晩年、印籠カメラとニックネームをつけて愛用していたカメラです。
広角28mmレンズのカメラで普段50mm辺りの標準レンズを使ってるとちょっともてあますところがあるんだけど、さすがに植田正治、氏がこのカメラで撮った写真は「印籠カメラ寫眞帖」という写真集に纏められていて、この写真集を見ると、広角のカメラを苦もなく自在に使いこなしてる様子がよく分かります。28mmレンズはこう使うって云うののいいお手本になりそうな感じ。
氏の鳥取砂丘を舞台にした演出写真は実のところそれほど好きでもないけど、このコンパクトカメラ片手の、実際には隅まで計算されてはいるんだけど、一見そうは見させないタッチで撮られた写真は思いのほか面白く見られました。
鳥取にある記念館にはこのティアラが電池を抜いた状態で展示されてるそうです。わたしの手元にある全く同じカメラは委託品の棚に並べてあった時から自由に触り放題なのに、記念館のティアラはガラスの向こうで触れない状態で展示してあるというのも、全く同じカメラなのになんだか妙な感じというか。
以前京都文化博物館でロボットの歴史のようなテーマで展覧会があった時、現代のロボットとしてソニーのアイボが展示されてました。展示物につき触れないようにという但し書きがついていたと思うけど、家電ショップに行けば簡単に触れるものが恭しく展示されて、妙な感じと思ったのと似てます。


☆ ☆ ☆

Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World


きわめて個人的な理由というか、最近までメロディの一節だけが頭にあって、どういう曲なのかタイトルも何もかも分からないという、そういう曲だったのが最近ある映画をみていてエンドクレジットで連想が働き、ひょっとしてこのグループの曲なのかと調べてみたら、見事に的中。長い間頭の片隅を占めていた謎の一節の正体が分かって、一気に霧が晴れたような気分になった曲です。
音楽は言葉と違って、メロディだけが頭にあるという状態では調べようがなく、再びその曲と何らかの形で出会うまではまず正体を知ることは出来ないと思われるので、もうこの曲が何なのか知らないままでいるほかにないのかと思ってました。
で、もっと古い曲、バッドフィンガーとか、その辺りのグループの曲だと思ってたのが、意外と新しい、といっても古いかもしれないけど、バッドフィンガー辺りの時代から見ると相当新しい時代の曲だったのがかなり意外でした。
探すとするとこの昔の時代だったので、見つからなかったはずです。
わたしは音楽を聴く時にある分野の曲を気に入ってしまうと暫くその分野の曲ばかり聴いてるという聴き方をすることが多く、その間は他の分野の曲をほとんど身を入れて聴いてないという状態になりがち。おそらくこの曲を耳にしたときも他の分野の音楽に夢中になってるときで、特徴のあるフレーズのみが記憶に残ったということだったんじゃないかと思います。

聴いてみると頭に残っていた特長的なフレーズ以外、特徴のない曲だったのが、ちょっと残念。頭に残っていた部分だけで十分だったということなのか。
PVはガソリンスタンドの前でダンスするシーンがのんびりした雰囲気で好き。

頭にフレーズというのではもっと極端なのがもう一曲あって、これは口ずさめるほどのメロディラインさえも頭に残ってなく、一度だけ聴いた時にいい旋律だったという印象が残っただけの曲。細野晴臣が出ていた音楽番組で紹介され、当時のアイドルに提供した曲というのは分かってるんだけど、この曲結構好きと思った時点で曲目の紹介とアイドルの紹介はすでにすんでしまっていて、結局そのアイドルもその後見ることもなく印象に残らなかったから誰かも分からずに、好きな旋律だったという印象だけが今でも残ってる曲。
もう一度聴いてみたいんだけど、細野晴臣全仕事なんていうのに手を出すほどでもなくて、だとするならこれの正体はよほどの幸運にめぐり合えないと分からないだろうなぁと思ってます。



☆ ☆ ☆







【写真】伏見稲荷大社にて 3 裏参道~稲荷山へ +【音楽】AKIRA 金田のテーマ

裏参道商店街1


裏参道6


裏参道5
夏にPEN Fの縦構図で撮っていた余波が続いてる。


楼門から舞殿へ
楼門から舞殿へ。ちょうど大晦日頃に撮ったので舞殿にはお供え物を載せる大きな台が設置されていてその向こう側の拝殿が見えなくなってるのがちょっと残念なところ。


伏見稲荷大社へ電車で行こうとすると、JRか京阪ということになって、それぞれの駅が伏見稲荷大社へ向かう2本の道に対応しているような形になってます。
JRの伏見稲荷の駅は表参道の真正面、京阪の伏見稲荷の駅は裏参道の土産物屋が並ぶ通りへと繋がる位置に配置され、両者特に離れてもいないし、裏参道のほうから表参道のほうへも簡単に行けたりするから、どちらの駅で降りても伏見稲荷大社へのアクセスに大した違いはないんですけど、おみやげ物店、屋台が並ぶのは裏参道のほう、表参道は鳥居を結び広い参道が楼門まで一直線に進むシンプルな空間となるので、到着する場所は一緒ながら雰囲気は結構違うものとなってます。

わたしは裏参道のほうから行くことが多いです。狐のお面を買ったのもこの通りのお土産物屋さんだったし。
でも賑わってるかというと、それほどでもないというか、休日は格段に人通りも多くなるんだけど、人通りが多いわりには活気が伴ってないところがある感じかな。屋台は日によって出店の数が変動してやたらと少ない時があるし、お土産物、神社関連の神具、鶉の焼き鳥等、店のバラエティに乏しいのと、意外と通りそのものが短いというのも関係してるかも。お土産物屋とかの店も早いところだと4時過ぎ頃にもう店じまいを始めるところもあったりして、屋台を冷やかして歩くようなのを期待していくと、若干拍子抜けする可能性があります。

お土産物と云えば、多くの店で、店の一角にちょっと高価そうなショー・ウィンドウが設けられて、他のお土産物と一線を画すように、中に伏見人形が並べてあったりします。
日本の土人形の祖形とも云うべき素朴な人形のことなんですけど、ショー・ウィンドウに飾ってあるのは見たことがないものの、狐が神馬に乗ってる形の人形があると知ってちょっと欲しくなってます。
調べてみると今伏見人形の窯元は一軒しか残ってなくて、そこは偶然真夏にPEN-Fを持って伏見の周辺を歩き回っていた時に出くわしていた店だったんだけど、その窯元が作っているらしいということ。
でもホームページを見てみるとその狐と神馬の伏見人形は売り切れというつれない表示しか見当たりませんでした。
ホームページの記述からみると伏見人形は売切れたら随時補給するように作るというような生産方法じゃなくて、一年の半分で人形を焼き、残りの半分で彩色などの仕上げをするというような作り方をしてるらしい。だから一年かけて作った伏見人形が売り切れたら、次の年に作った人形が出てくるまでは品切れのままということのようでした。
今年の4月以降になると品切れになってる狐と神馬の伏見人形も店に並ぶと思われ、その時に手に入れようかと思ってます。


☆ ☆ ☆


辻占い
これは今年のお正月に撮ったもの。本殿左奥の稲荷山に直接続いていく道への分岐点でいつも店を出してる手相占い、人生相談の店。手相や人相占いの絵はたぶんに呪術的なので、そういう雰囲気が撮れるかなと思ったんだけど、あまりそういう感じも出なかったかな。
真横からもうちょっと引いて手相の絵は全部写したほうが雰囲気は出ていたかも。こういうことはいつも後から思いついてまた撮り直しに行ったりするんだけど、この店、手相の絵を出していたのはお正月の間だけだったみたいです。ちなみに占う方は女性です。さらに結構お客さんが来てるところをみます。

鳥居 奥社から稲荷山へ

ふもとの稲荷大社は楼門をくぐって参拝したあと、傍らのお守りを売ってるところでおみくじを引いたり、周囲に点在してる末社を見たりしながら、千本鳥居を通って奥社奉拝所まで足を伸ばし、本殿とそんなに距離も離れていないのに、奥社奉拝所でしか扱っていないお守りですなんていうのが置かれてるのをみて、さすが商売繁盛の神様と感心したり、おもかる石で度胸試しすればふもとの散策はおそらく大半を終えてることになると思います。ちなみにおもかる石というのは大きな石のことで、持ってみて予想したよりも軽かったら願いがかなうというもの、願いをかけての予想一発勝負でやってみるとなると結構度胸がいります。わたしは願いがかなわないなんていう結果が出たら嫌なので未だに持ち上げたことがなく、実際にこの大きな石が見た目よりも重いのか軽いのか知りません。
伏見稲荷大社の強烈なイメージは延々と連なる鳥居のトンネルで、これを体験しようとするなら、実質本殿裏手から奥社奉拝所までしかない千本鳥居では足らず、縦横に張り巡らされた他の鳥居の参道も巡ることになって、鳥居の参道の大半は稲荷大社の背後に控える稲荷山に張り巡らされてるから、伏見稲荷大社の一番の特徴を体験しようとするなら必然的に稲荷山に向かうほかなくなります。
本殿があるのにどうしてそのすぐといってもいい裏側に奥社奉拝所というものが別のものとしてあるんだろうと思ってたら、一説には稲荷山巡りが無事に終えられるように祈願するための場所だということらしく、わたしは一々奥社奉拝所のほうに回らずに直接山に通じてるほうから登るんだけど、この前の記事の一番最初の写真の、奥社奉拝所に開いた入り口から山に向かうのがどうやら正式の出発点のようです。
奥社奉拝所のこの入り口の傍らには稲荷山巡りの所要時間や総距離なんかが記された全体図が掲げてあって、これをみて行くのをやめる人も多いけど、これはせっかく伏見稲荷大社までやって来て、やっぱりかなりもったいない行動なんじゃないかと思ったりします。

稲荷山への導入

稲荷山へ分け入っていく道は山道などを除くと、裏参道の神社密集地帯から稲荷山の三ツ辻で合流する道を入れて2本あり、裏参道のほうは鳥居に囲まれているわけでもなく主に下山する人が歩いてる道だから、登る人のほとんどはこの奥社奉拝所から始まる鳥居の参道を進んでいくはず。
稲荷山に導くこの鳥居の参道は、まるでキューブリックの「2001年宇宙の旅」の冒頭で、暫く続く暗闇のシーンが観客の身に纏っていた外界を切り離し、映画的な空間に引き入れようとしたように、多少のうねりを伴いながら山に入ってるとは思えないほど緩やかでなだらかなその最初の行程によって、参拝者から生活的な空間を払い落とし、それとは異なる場所へとゆるやかに誘っているようにも見えます。
しばらく、一歩進むたびに世俗的な空間が洗い落とされていくような鳥居のトンネルを潜り抜けていくと、やがて目の前に急激に登る石段が現れ、熊鷹社とその脇に広がるお塚群と神秘的な池という、稲荷山の異界の一旦が始めて目の前に広がることとなります。

熊鷹社周辺1
熊鷹社手前。


☆ ☆ ☆


裏参道の猫2
裏参道の猫たち。


ということで、伏見稲荷大社のお話はさらに続きます。




OLYMPUS OM-1 +G.ZUIKO AUTO-S F1.4/50mm +ZUIKO MC AUTO-S F1.8/50mm

占いの写真
PENTAX SP +SMC TAKUMAR F1.8/55mm
熊鷹社手前、鳥居の参道の写真
FUJI NATURA CLASSICA
舞殿の写真
FUJI TIARA


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Akira Soundtrack - Kaneda's Theme


大友克洋が自作のコミックを監督した映画「AKIRA」の挿入曲。
音楽もそうだけど、映像も、今見ても動きの表現、構図、すべてがかっこいい。写真撮るのに無茶苦茶参考になりそう。家にDVD持ってるから、写真的な視点で見てみようかなぁ。
演奏は芸能山城組で、アジア的で近未来的なんていう、ちょっとブレードランナーっぽい世界観を、ガムランを駆使しながら、アジアン・テイストを主軸にしてこんないかした音楽が作れたのは、今聴いても感心するばかり。
今度の東京五輪のテーマにこれほど相応しいものもないわけで、本当に使わないかなぁ。





AKIRA Original Motion Picture SoundtrackAKIRA Original Motion Picture Soundtrack
(2001/10/24)
サントラ、芸能山城組 他

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【写真】伏見稲荷大社にて 2 千本鳥居 他 +【展覧会】アンドレアス・グルスキー展が始まった。 +【音楽】浅い夢

奥社から稲荷山参道登山路へ


千本鳥居

伏見のお稲荷さんといえば千本鳥居。というわけでもないけど、なにしろ鳥居の道が目立つところだからどうしても写真を撮っておかないといけないんだろうかという気分になって、なんだか知らない間に赤い写真が増えていってしまいます。
でも、まさしく異次元の空間だし、中に入ってしまうと撮らざるを得ないところがあるのは確かなんだけど、それではと実際に写真を撮ろうとした場合は、撮ることを誘うわりにはかなり撮りにくい場所のようでもあります。
なぜかと云うと、通り抜ける人が多いというというのの他に、カメラがこの世界に登場してから一体ここで何回シャッターが切られたんだろうと思うと、ここで撮られるはずの写真は既にすべて撮られてしまってるんじゃないかと途方にくれたりしそうだから。
一度このふもとの稲荷大社じゃなくて稲荷山の上のほうだったけど、石段で延々と上っていく鳥居の道を、石段ぎりぎりまでカメラを下げて、地面に這い蹲るようにして写真撮ってる外国の人がいました。そういうのも、すでに他の誰かが試みてるんだろうけど、それでもそういうことを試してみないといけないかなと思わせるところがある場所だったりします。
でも後で思ったんだけど、石段を下から見上げても段差があるように見えなくなるんじゃないかなぁ。あの外人さんのデジカメのモニターにはどんな風に写っていたんだろう?今度自分でも試してみようかな。

千本鳥居と名前がついてる場所は、伏見稲荷大社の境内に建ててある案内地図なんか見ると、背後の稲荷山も含めで縦横無尽に延びている鳥居の参道すべてをさしてるんじゃなくて、どうやら本殿の裏側からその背後にある奥社奉拝所に向けて延びてるなだらかな二本の参道のことを言ってるようです。
映画やドラマで使われるのもほぼ100パーセントこの参道の部分。
始めてきた時までは千本近い鳥居が数珠繋ぎになってるんだから長い道が続いてるんだろうと思ってたんだけど、千本鳥居の中を実際に歩いてみると、入り口から奥社奉拝所までは実はそれほど距離もなく、たしかに鳥居はぎっしりと隙間なく並んではいるけど、意外とこじんまりとした空間でした。
千本鳥居は途中で二手に分かれます。ここでどちらを通るか悩んでしまう可能性が大きいです。でも通ってみれば悩みは解消するというか、どちらを通っても行き着く先は同じ場所で、ルートも極端に変ってるわけでもなく並行に進むだけの二本の参道だったりします。

上の写真は奥社奉拝所から出て、稲荷山へ向かう参道へと合流する鳥居の道の入り口で、千本鳥居が特定の場所を示してるなら、正確に云うとここからさきは鳥居が繋がってはいるものの千本鳥居ではないということになるんですけど、来てる人はほとんどそんなことは考えてないみたいです。
下の赤い写真が正真正銘の千本鳥居。

☆ ☆ ☆

楼門をくぐらなくてもいくらでも奥のほうにいけるんだけど、一応門があるんだから通っておくことにして、楼門をくぐると目の前に、この前記事を書いた時には名前を知らなかったけど、どうやら外拝殿、舞殿という名前らしい建築物があってその奥に拝殿、本殿と続いてます。
舞殿の屋根の周辺に吊られてる釣灯篭はなぜか黄道十二星座という意外なものがモチーフになってたりするんですけど、お稲荷さんでなぜそんなものがモチーフになってるのか理由は分からず。これ、あまり見上げてる人もいないようだったから気づいてない人も多いんじゃないかな。

釣灯篭 おうし座
舞殿周辺の釣灯篭。これはわたしの星座、おうし座のもの。


千本鳥居へはその本殿の左奥にある鳥居をくぐって石段を登りながら本殿の裏側辺りに回りこむように進んでいくことになります。
「千本鳥居はこちら」と案内板のある分岐点があって、ここで反対側の方向に進むと裏参道と、直接稲荷山へと導いていく鳥居の参道に出られるようになっています。ちなみに千本鳥居の導く奥社奉拝所から、千本鳥居とは違う方向へと延びてる写真の参道は、この分岐点から直接山のほうへ続く道の先で合流することになっていて、一度分岐点まで戻らなくても奥社奉拝所経由で稲荷山へ向かうことも出来るようになってます。

木漏れ日


本殿脇
露出アンダーでちょっと色が濁り気味。


千本鳥居へ
千本鳥居への道と裏参道への道の分岐点。この奥の石段を上がるとすぐそこに千本鳥居への入り口があります。
狐のお面をかぶってる人がいます。


神馬の社


☆ ☆ ☆


一番上の写真の鳥居をくぐって進んでいくと、鳥居の通路の途中で隙間が開いて普通の山道とクロスするところがあります。ここで鳥居の道から外れて山道のほうへと足を踏み入れると、目の前に現れたのが神道御徳社と書かれた神社なんですけど、ここ、近づいてみると隣に建ってる社をお守りしてる家は完全に廃墟となって誰も住んでない様子。

神道御徳社

供えてあった花は枯れてもいなかったので誰かが定期的に世話してるような感じだったけど、人の気配が全くないところに立ってると、こんなところに長居してはいけないんじゃないかという不安感が体中に満ち溢れてきます。
さらにこの社の前の道をそのまま進むと、この神社のちょっと先に、これまた崩壊寸前の神社があって、ここは提燈は破れ果てたままのがぶら下がっていたり、隣の家は誰も住んでないどころか斜めに傾いでもうちょっとで地面に崩れ落ちるというようなすさまじい様子でした。さらにもうほんのちょっといくと正規のルートに出られる山道なのに、そんな人の気配に満ちてるところの近くにいるとは思えないほどの異様な雰囲気の場所を体験できたりします。
鳥居が続く道は山の社やお塚巡りができるように、道に迷わない形で敷かれてる一方、稲荷山の中はそういう分かりやすく敷かれた道以外にも山道に近いような道があって、その先で大抵は稲荷大社の管轄外のような印象の神社が点在してる様子。鳥居の道から外れてこういうルートを歩いてみるのは、あまりお勧めではないけど稲荷山の異界のさらにディープな部分に触れられるんじゃないかと思ったりします。
でもなんかかなりの予備知識でも持ってないと、変なものに憑依されて帰ってくるのが落ちだったりしそう。

なんだかものすごく嫌な感じがしたので、この廃墟と化したような神社の近くによってからは写真も撮らなかったです。

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稲荷山へ向かう道

千本鳥居への分岐点を千本鳥居に向かわないで進んでいくと、稲荷山への参道ルートへと出てきます。
右に延びてる鳥居の連なりが奥社奉拝所へと繋がる参道となっています。要するに右に延びてる鳥居の参道を進んでいくと一番最初の写真の場所に出てくるという位置関係。そして右方向じゃなく、大きな鳥居の奥に進んでいくと稲荷山に登る参道へと繋がって行くことになります。
ちなみにこの鳥居、全部信者さんに寄進されたもので、稲荷神社がこういう道を作るために勝手に建ててる物でもないようです。鳥居の片面には寄進した人の名前や建てた年などが記載されていて、最近気がついたんだけど、この写真の左側、奥に向かう鳥居のなかで一番大きなものは、記載を見ると個人の女性が建てたものでした。こんなに大きなものとなると建てるのにかなりの金額が必要で、会社組織とかが建てるのがほとんどだと思ってたから、これはものすごく意外でした。

なんか鳥居の写真ばかりのようなので、熊鷹社のお塚群の辺りで出会った猫の写真も一枚。

熊鷹社の猫

ということで、伏見稲荷大社のお話、さらに続きます。




OLYMPUS OM-1 +G.ZUIKO AUTO-S F1.4/50mm


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グルスキー展フライヤー1


グルスキー展フライヤー2

アンドレアス・グルスキー展が2月に入ってから開催されてるようで、京阪の駅にフライヤーが置いてあったので取ってきました。
細かいものがごちゃごちゃとヒエラルキーも重みづけもなく、世界はまるで関係性も希薄に遍在してるというようなイメージが面白くて、わたしもそう云う世界観を持ってるから、記憶に残っていた写真家でした。ただこのイメージでしか知らない作家でもあったから、まとまった形である程度の全貌を知ることが出来るような展覧会だったら、これは本当に観にいきたいと思ってます。

カミオカンデをテーマにして撮ってる作家でもあって、カミオカンデの内部を見られるというだけでも、それも作家の視点から切り取った内部を見られるというだけでも、異次元的な視覚体験が出来そうで値打ちがあるんじゃないかと思います。



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来生たかお 『浅い夢』


この曲が好きでレコード持ってました。でもこの曲以外に特にいいと思ったものもないレコードだった記憶が。
のちにメロディメイカーとして引っ張りだこの作曲家になるのを期待して聴くと、ちょっとはぐらかされるかも。
でもこの曲はメロディメイカーとしての本領発揮といえるんじゃないかなと思います。

この人のヒットメイカーになってからの曲は好みのものが多かったんだけど、最近はあまり見なくなったというか、今はどうしてるんだろう。










浅い夢浅い夢
(1995/07/21)
来生たかお

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