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【写真】グランフロント大阪 小雨降る夕暮れ +【音楽】In Heaven

グランフロント大阪周辺1


グランフロント大阪周辺2


グランフロント大阪5




今年に入ってから梅田のJRの駅の周囲を歩き回って撮った写真から。この日は小雨降るちょっと鬱陶しい日でした。夕方になってようやく止んできたので、夜の伏見稲荷大社でも何か写ってるような写真が撮れたから、ここでも暗がりで撮れるかと思って試しに撮ってみたもの。
夜の伏見稲荷大社以上に光量は多かったから、それなりに写った写真が多かったです。
三脚使う必要もないし昼間に撮ることが多いんだけど、夕方も雰囲気があってまた昼間とは違う表情の写真が撮れるから、手振れ上等っていうような感じで撮ってみるのも面白いかなと思ってます。

それとこういう高層ビルとか広範囲に再開発したような場所とか京都ではあまり見ない光景だから、写真の撮り甲斐があるといえばあるかもしれないです。

京都は景観最優先で建物に高さ規制があるんだけど、街中にあふれる看板だとか、ある種の猥雑さは写真に撮る対象としては面白くても、景観という点では無計画な色彩だとか高いビル以上に景観を損ねてるようにみえるから、わたしには本当に街そのものを優雅なものにしていこうというような意志があるんだかどうか疑問です。
なんていうか中途半端なんですよね。古都の風情も観光スポット限定でしか考えられてない上に、現代の都市としての有り様も模索されてない、ただの観光でしか成り立っていない地方都市に過ぎないというか。
大阪のように場所によっては開発が無条件の前提になってる都市もそれなりに問題はあるんだろうけど。


使ったのはCanon Autoboy FXL
キヤノンのコンパクトカメラ。
この手のフィルムコンパクトカメラはストロボの設定を記憶しないので、そのままだとやたらとピカピカ光ることになり、撮影のたびにオフにするのが面倒なんだけど、これはモードスイッチをストロボオフのほうに入れておくと、電源を切った後もいつだって完全オフの状態にしておけます。こういう機能を装備してるって実はこのタイプのカメラでは結構貴重な設計になってます。
ちなみにこういうファミリーカメラは当時メーカーで調査した際に、一般的なユーザーは結構撮影に失敗してるというのが分かって、とにかく失敗しないように、シャッターを押せば写真の出来は度外視しても、何かが確実に写っているレベルは維持できるようにとストロボの発光を優先するような設計になっていたんだそうです。
レンズは32mm。広角と準標準の中間辺りで意外と使いやすいところがあります。確かLOMOのLC-Aも32mmだったんじゃないかな。




☆ ☆ ☆



In Heaven Eraserhead


ディヴィッド・リンチ監督の映画「イレイザー・ヘッド」の挿入歌。
作曲はリンチ監督とPeter Iversの共作。ピーター・アイヴァースは70年代から80年代にかけて活躍したカルト的なアメリカのミュージシャン。83年に自宅のアパートで撲殺されるという最期を遂げてます。「イレイザー・ヘッド」の主役を勤めたジャック・ナンスは酒場での喧嘩が原因で命を落としてるし、こんなことを列挙するとなんかのろわれた映画っぽい雰囲気も出てくるかも。
映画のなかではラジエーターの中に劇場があって、そこで頬が瘤のように膨らんだ女性によって歌われる曲。奇形的な女性の風貌だとかで奇怪なイメージとして把握されるシーンなんだろうけど、ラジエーターの中で静かに音がしている様子から連想されて、そこからラジエーターの中に劇場があるというような形へと収まっていく、幻想の取り出し方は、私には初見のときからどうも谷内六郎的というか、あまり奇怪な類の幻想というようなイメージ展開にはならないシーンでした。
こういう音楽が鳴ってる間も背景で不安感をあおるノイズ・ミュージックがかっこいい。というかこの映画のインダストリアル・ノイズ的な音響は映画への音楽的な効果としては突出してると今でも思ってます。



☆ ☆ ☆


一週間ほど前からちょっと眩暈が出てしまって、暫くブログに関することは若干セーブした形になるかもしれません。
季節の変わり目に出やすいんですが、まさにそのまま約束でもしていたかのようにこの季節の変わり目に出てきてしまい、横になると数十秒部屋が高速で回転するような状態になってしまってます。自宅にいながらにして乗り物酔いのような状態になることもあって、気持ち悪いし、気分は最悪です。
一応耳鼻科で薬貰ってるんだけど、自然に落ち着くまで我慢する以外にないという類の病なので、ひたすら回転する嵐がわたしの上から去っていくのを待っているような状態。はやくふらふらしないでも歩ける状態に戻りたい。




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【写真】私的京都駅 ドームの回廊で +【音楽】Billy Wooten-Monkey Hips And Rice

禁断の惑星風反射


ドームのある通路



京都駅で撮った写真の続き。
電車利用だとなかなか眼にしないような切り取り方で写真にしてるけど、そろそろネタ切れになりそうな予感もはらんで続けていきます。

これは、位置的には京都駅の正面玄関の南端、大階段から東のほうへと延びる、ちょうどホテルへ続く通路の上階あたりになるはずの通路。電車に乗るつもりで京都駅に来ていたら、おそらくまず誰も足を踏み入れない場所かも。
その通路に半球状の小さなドームが並んでいて、そのドームの乳白色のガラスの表面に写り込んでいたイメージを切り取ったものです。
撮ってる時はこの湾曲した間接的な反射イメージがかっこいいと思ってあれやこれや角度を考えたり、写り込んでる雲の見え方の幻想的なポイントを探しながら撮ってました。
仕上がりは結構面白いと思ったんだけど、父に見せたらこれは魚眼で撮った?と云われ、魚眼レンズなんて持ってないし、湾曲はレンズの特性じゃなくて被写体の曲面によるものだったから、ちょっと特異な被写体による写り方になったと思っていたものの、云われてみれば魚眼レンズなら特に工夫しなくてもこんなイメージは撮れるんだと、そう思うと撮った時に熱中していた気分は幾分か削がれてしまいました。
もっとも反射してるイメージ特有というか細部のはっきりしない写り方はこういう場合独特だと思うので、イメージの質感は魚眼レンズで直接撮ったものとは随分と違うものになってるだろうとは思います。薄ぼんやりしてるイメージって想像力を刺激するところがあるようで結構好き。

二枚目のはこの場所のイメージ。わたしはここを見るたびに、実際にはこんなシーンなんてなかったと思うけど、なぜか昔のSF映画「禁断の惑星」を思い浮かべたりします。イドの怪物なんていう素敵なモンスターが登場する映画、何かの知的生命体が異星で築き上げ、文明そのものは何千年も何万年も前に滅んでしまったものの、滅亡の後も地下深くにある動力で主がいないままに動き続けてる文明の廃墟といった想像力を刺激して止まない世界が舞台になる映画。
確かにドームが並んでる様子はレトロ・フューチャー的な古いSF映画っぽいところがあるんだけど、ただの一般的な古臭い映画というだけじゃなくて「禁断の惑星」名指しになってしまうのは、わたしにもよく分からないところです。

それにしてもこのドーム何の意味があってここに並んでるのか。下の階はホテルへの通路になってると思うんだけど、採光目的にしては回廊のうちに引き込みすぎてるし、やっぱりただの飾りなのか、探索してみるほど興味を引いてるものでもないんだけど、とにかく謎めいたオブジェです。






その日眺めた空

その日ドームの通路から望んだ空。

雲の形や立体感を強調する陰影が、どこかこの世界の外へと通じてるような異様な眺めの空でした。
どちらかというと被写体の特異な側面に頼ったり委ねたりせずに、日常見慣れたもののそのものの色、形でこういう幻覚的なイメージに持っていけたら面白いだろうとは思うものの、そういうのはやっぱり難しいところが一杯でなかなか思うようにはならないです。


☆ ☆ ☆


プラクチカ


真ん中の写真はティアラ、他の二枚はPRAKTICA MTL5Bという東独のカメラを使ってます。
別に安売りでもなく2500円で買って、これはまともなカメラの値段じゃないです。

M42という昔のスクリューマウントのレンズを使うためのボディ。M42マウントは別名プラクチカ・マウントといってるから、このカメラの源流がオリジナルになるマウントなのかも。世界中で流通した規格だったから、各国で作られたいろんなレンズが今も残っていて、しかも結構安価で手に入るものも多い、なんだか楽しいレンズ・マウントだったりします。日本でこの規格を使った代表的なメーカーは昔のペンタックス。一連のタクマー銘のレンズがこの規格です。
ただタクマーのレンズはトリウム・ガラスを使ったアトムレンズが多いから、量的には微々たるもので人体に影響を及ぼす量じゃないらしいんだけど、気になると手が出せなくなるかも。

プラクチカは東独製というのも興味深いです。なにしろ東ドイツの製品なんて使う機会はほとんどないと思うから、貴重な体験になるかもしれません。
妙なところに手の込んだことしてる割に、その効果が手を加えない従来式よりも劣ってるだとか。
イージー・ローディングシステムなんか、独自路線に手が込みすぎて見ただけではどうするのか絶対に分からないし、やってみると普通にフィルムの先を軸のスリットに差し込むほうが遥かに簡単で、ちっともイージーじゃなかったりします。
こういうもの作りの思考回路を見てると国が消滅してしまったのが納得できるようなところがあるかも。



☆ ☆ ☆



Billy Wooten-Monkey Hips And Rice


ジャズ・ファンクの分野では黒っぽい演奏で有名なアルバム。
わたしはビリー・ウッテンはグラント・グリーンの「ヴィジョンズ」っていう奇怪なレコードで知ったミュージシャンでした。メロウなヴァイブを使ってこういうハードで、黒い汗が飛び散るようなファンクをやってしまうというのがこの人の音楽の特徴だし、聴き所なんじゃないかと思います。
この曲、レコードの一曲目に入ってるんだけど、聴くものを引き入れるパワー全開です。ファンクに相性抜群のオルガンなんかが熱気を呼び込んでただひたすらにヒートアップする感じ。ギター・ソロもなんだか息継ぎなしで泳ぎ続けてるようなテンションを維持して面白いです。
ウドゥン・グラスというのはこのバンドの名前なんだけど、他のレコードではまるで聞いたことがないです。あまり長続きしなかったのかな。











【写真】雨の日の窓 +【音楽】David Lynch Lykke Li - I m Waiting Here

雨の日の窓2


結構前に撮った写真。放り込んであったフォルダの表記を見ると2012年の夏頃となってました。フィルムの前後のコマに写ってるものから云うと大阪港、コスモスクエア(そういえばあの近未来的な球型ドームはその後どうなったんだろう)に写真撮りに行ってた頃に撮ったもののよう。
これは大阪港を撮ったフィルムに入っていたけど、撮ったのは奈良です。
奈良公園の辺りを歩いていて、ちょうど雨に降られて逃げ込んだ商店街のアーケード。商店街の立ち並ぶ店の一つ、小さなビルの中に入ったら、隣の街路に向けて入り口が開いてる店舗との間に通路が開いていて、その通路の途中に開いていた窓からみえた光景でした。だから私が雨宿りに逃げ込んだアーケードとその隣接する街路との間に開いてる空間ということになります。
窓の向こうで朧に霞んでる光景なんて好きなイメージなので、これは撮っておかないとと思ってシャッターを切った写真でした。
窓の外の光景を撮るためには必ず室内にいる必要があるし、写真を撮るというポイントにおいては屋外にいるよりも室内に居合わせるほうが難易度は高く、さらに屋内にいてなおかつかっこいいヴィジョンになってる窓を見出すって云うのは機会としてはなかなか巡り合い難いかもしれません。

向こうにある建物が古びた廃墟だったりすれば、手前の窓に植物が這い回りかけていてどことなく朽ちているようなところがあるのとも相まって、もっといい雰囲気になってたと思うけど、残念なことに向こうのビルは新築のそれもさらっぴんのガラスがはめ込まれたばかりのような建築途中のものだったようで、これがせっかくの朽ち果てる窓のイメージを台無しにしてるという感じ。
さらに朽ち果てつつある窓といったイメージも、それにしては窓の汚れ方も中途半端で、もっと汚れていたり雨の筋がくっきりとついていたりするほうがはるかにかっこ良さげでした。

駅前の商店街の只中にそんな退廃的なものを要求するのも無茶だとは思うけど。




使用したカメラはNikon AF600。通称はNikon MIni。
28mm広角のとてもチープなプラスチックのフィルム・コンパクトカメラです。
クリック感がなくてまるで押し甲斐のないゴム製のシャッターを押すくらいしかやることないのに操作感は最悪、でもそんな操作感のわりには写りは吃驚するほどいいというような評価のカメラです。
どうやらレンズはフジのOEMって云う話で、ティアラと同じものだとか。
ティアラも持ってるけど、分からない。同じレンズだとすると同じ味付けの画像が出来上がるはずだけど、そんなに似た絵になるかな。



☆ ☆ ☆


David Lynch Lykke Li - I m Waiting Here
)

デヴィッド・リンチがCDも出してるって知らなかったです。最近廃工場を被写体にした、リンチ撮影のイレイザーヘッド的な写真集が出たというのを知って、この人は有名になった映画の監督以外にも、絵画作品手がけたりしてるから、視覚にまつわる幻視者として写真集はそれほど驚きでもなかったんだけど、こういうのまでリリースしてるのはちょっとした発見をしたような気分になりました。
もっとも意外とはいってもイレイザーヘッドのインダストリアルなノイズ・ミュージックはリンチが作ったものだし、基本的には音楽的想像力も兼ね備えてる人という認識はありました。
この曲はノイズ方面へは向かわないタイプの、それでもリンチ印ははっきりと刻印されてるような曲。
メロディアスな側面を持ちつつ、まるで煙が薄く満ちてるような薄暗い雰囲気はやっぱり退廃的で、知らない間に聴き入ってるような感じになってるんじゃないかと思います。

ボーナストラックで一曲だけコラボしてるのがLykke Liというのも結構意外な組み合わせ。
ブログを始めた頃にこの人の曲を取り上げたことがあって、確かに妙なセンスはあったんだけど、この時はリンチ的なものに親和性があるように思えませんでした。
ちなみにLykke Liで取り上げたって云うのはこの曲でした。
こうやって聴いてみると、以前の歌い方と大して変ってないのに、リンチの曲に入り込んでもほとんど違和感はないのが面白いです。

Lykke Li - Little Bit
)




Big DreamBig Dream
(2013/07/16)
David Lynch

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【写真】黄色い扉の幼稚園 丸い角。 京都駅近辺で撮った写真 +【音楽】Miles Davis - Moja (Part 1)

黄色い扉の幼稚園


関西電力ビル


京都駅の周辺を歩き回って撮っていた写真です。北は五条を越えて四条近くまで、南は八条口から東寺辺り、東も京阪の七条の駅くらいまでは歩いていくので、わりと歩き回る範囲は広いんだけど、この二枚は京都駅の北側西本願寺と東本願寺にはさまれてる辺りの区域で撮ったもの。京都駅周辺は駅そのものと昔は丸物、近鉄百貨店プラッツを経て今ヨドバシカメラになってる場所に立ち寄るくらいで、ほとんど歩いたことがなかったから、知らない土地に来たのと感覚的には変らなかったです。ただこの辺りはまさに碁盤の目の道路になっていて、曲がり角は直角のコーナーばかりで視覚的には無茶苦茶単調だからそれほど面白いわけでもなく、それに自動車が通るような通りがほとんどだから路地といった風情のあるところはないに等しいです。大都市でもないのに自動車が通るような通りって写真撮っていてもなんだかつまらないです。
それと碁盤の目の道路は昔のダンジョンRPGよろしく、知らないところだと方向感覚を失ってしまう可能性があります。一度だけだったけど90度方向を間違えて歩いていたことがあって、見慣れた大通りに出るまで気がつかず、予想外の大通りに出てきて吃驚したことがありました。

ちょっと余談だけど、近鉄百貨店プラッツが閉店した時の写真を撮っていたり、他には八条口のアヴァンティにあった十字屋の写真とか、京都駅周辺じゃないけど、京都の老舗のレコードショップだったビーバーレコードだとか、閉店して今はない場所の写真が何枚かあります。こういうのとっておくと後で自分が通いなれていた場所の記憶として私的にはかなり面白いものになる可能性があります。
この京都駅の正面に出来たヨドバシカメラに客をとられて、いまや見る影もなく寂れてしまった寺町の電気屋街も昔軒を並べていたヒエン堂とか中川無線だとか、写真に撮っておけばよかったと、これは何しろこんなに寂れてしまうとは思わなかったので、今ではかなり残念な思いとして残ってます。潰れそうな店は積極的に写真に撮っておくべきかも。
こういう写真を、すべて虚空に消えたというようなタイトルで記事にしてみようかと思うこともあるけど、知らない人にとっては何の意味もない店内の写真だったりするから、未だに手付かずという感じになってます。


上のは黄色い扉よりも隣の建物に落ちる木の派手な影が目に付いて撮ったもの、下の写真は京都駅前の関西電力だったかな。このビル、コーナーの丸くなってるところが好きなので、そこを撮ってみました。建物自体こうやって陰影が強調されてるとなんだかかっこいいですけど、でも実物はそれほどでもなかったりします。
クロスプロセス現像したものの中からのセレクトとなっていて、燃える世界の真っ赤な結果じゃなくて、緑と黄色へのシフトという、クロスプロセスの色転びとしては割と一般的な結果になった感じです。
下の関西電力のビルの写真は空の色が独特でわたしとしては気に入ったところかなぁ。
見たそのままからちょっとずらすには有効な方法の一つだけど、予測不可能なシフトではあるもののシフトする方向がある程度決まってるから、ワンパターンといえばワンパターン。だからせっかくイレギュラーな結果になったとしても、ずらしたイメージが似通ってくることはあって、そういうポイントでは若干飽きが来るところもありそうな方法です。



使った機材はLOMO LC-A。
本来は大衆的な普通のカメラとして製造されていたものの、性能の不安定さなんかで、今ではトイカメラ扱いされてるロシアのカメラ。トイカメラは一時期ほどの勢いは無くなったのかな。
使ってみると意外ときちんと写ったりして逆に予想を裏切ったりするところもあるんだけど、普通のカメラとしては駄目なところがチャーミングになるような稀有なカメラでもあります。

LOMOのスライドフィルム200でクロスプロセス処理してます。
クロスプロセス現像はポパイカメラさん仕様です。


☆ ☆ ☆


Miles Davis - Moja (Part 1)


電気仕掛けの頃のマイルス・デイビスの曲です。ダーク・メイガスという、日本語で言えば黒魔術師となるらしいけど、まぁ名前からしてそんな禍々しいアルバムのトップに収められて、聴くものの襟首つかんで引きずり込むような役割を果たしてる曲。
この時期のレコードとしては「アガルタ」だとか「パンゲア」のほうが評価が高いようだけど、わたしは電気仕掛けのものはこれを一番最初に聴いたこともあって結構好きなレコードになってました。
一言で云えばジャズ畑から発想されたファンク、あるいはロックといった類になるかもしれないけど、ジャズがそのままファンクだとかロックへと素直に拡張していったというようなある種道筋を辿れるようなものでもなく、かといってジャズ以外の音楽分野でこの音楽に到達するような道筋があったかといえば、ジャズ以外にはなかったようなところもあると云ったような音楽。

ファンクやロックとしてみてもかなり異形だから、結局のところジャズでもファンクでもロックでもない、なにか混沌としたものというのが一番相応しいような感じがします。
とにかく出だしの、無類にかっこいいハイハット・オープンの連打からポリリズムの洪水へ、一気にこの禍々しいようなエネルギーの渦巻く場所に放り込まれること間違いなし。





ダーク・メイガスダーク・メイガス
(2005/11/23)
マイルス・デイビス

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【写真】伏見稲荷大社にて 5 熊鷹社 2 雪 猫 狐 +【音楽】The Beatles - I'm Happy Just To Dance With You

雪の熊鷹社1

二月の中ごろに雪が降った時の写真です。今年の寒波は京都も例外じゃなくことのほか強烈で、もう何年も見たことがなかった雪が降りました。
前日の天気予報を見てる時は、明日は雪か…と、出かけるつもりじゃなかったんだけど、実際に窓の外が一面白くなってるのを見たらこれはやっぱり撮りに行く以外にないのかと思い直して、今やお馴染みとなった稲荷山まで出かけてきました。
ただ、雪は思いのほか速く降り止んで、稲荷山についた頃にはとっくにやんでしまったような状態。積もってるというほどでもないけど、積もってないというほど少なくないというような降雪量で、一面雪景色にはなっていたものの足元はすでに半分ぬかるんだ腐った雪の様相を帯び始め、すでに雪景色の盛りを過ぎている、なんだか色々と中途半端な雪模様となってました。
なによりも足元は石段で、それも全部きっちりと階段状に作ってあるわけでもなく、敷いてある石によっては斜めに傾いでたりするものだから、それが雪でぬかるんでるとなると歩くのが非常に怖かったです。なにしろ去年雨の日に滑って転倒、腕の間接部分で結局骨折していたような状態になった記憶も生々しかったから、ここで滑ってまた同じようなところを骨折したりするのは絶対に嫌だと、一歩足を踏み出すにも体中の筋肉が緊張してしまうような状態でした。
結局ぬかるみの石段を歩くのが嫌になって、せっかく雪が降って出かけてきたというのに、稲荷山登山の入り口にしか過ぎない熊鷹社の辺りで適当に写真撮って帰ってきました。
こんな日でも観光客は数人来ていて皆さらに上のほうに登ってたからちょっと未練はあったけど、怖さのほうが先にたってしまいました。


雪の熊鷹社  2

やんでしまってるんだものなぁ。

雪の熊鷹社4

ここ、階段が滑りそうで下りられなかったんだけど、雪で折れた枝が落下してお塚の鳥居を倒壊させてます。
この前の記事で載せた三ツ玉大神という額がかけてあったお塚。

雪の稲荷大社

ここは山のほうじゃなくて、ふもとの裏参道から本殿のほうに向かうところにある八嶋ケ池の雪景色。
造園工事なのか、発掘でもしてたのか、随分と長い間工事してるところで、無骨な機械が作業してるイメージが強い場所なんだけど、この日はちょっとイメージが違ってました。

☆ ☆ ☆

熊鷹社のほうに登っていく石段の下から見上げると、お塚の群は混沌とした様相に見えるんだけど、石段を登り新池の畔に出てみると、池の淵に沿う細い石畳の通路の両脇に行儀良く並んでいるという印象に変ります。
最初の混沌としたイメージで捉えてるから、そういう形になるように写真を撮ろうとすると、石段を登りきってからの池の畔のお塚群は、意外なほど整然とした写真になって、混沌としてるといった形には思うように撮れません。
この雪の日も混沌としたイメージにならないものかとあれやこれや位置を変えて撮ろうとして、何しろ細い通路で撮ってるものだから、知らないうちに背を向けてるほうのお塚に、挨拶もせずにお尻から入り込むようなことがあり、そんな時に頭上の木の枝から雪の塊が落ちてきて、差していた傘に大きな音を立ててぶつかり砕け散ったりすると、わぁ!ちょっと怒られてる!?なんて思うこともあって、すでに止んでしまっていて思った形ではなかったことや足元の不安に加えて、お塚もあまり機嫌がよくなさそうだなぁと思い始めると、やっぱり気分的にも早めに退散しようって云う感じになってました。

ちなみに稲荷山で写真撮ってる時、一応ふもとの拝殿にお参りして写真撮らせてもらいますと断りをいれ、撮ったお塚や狐にはお騒がせしましたとこれまた挨拶してから離れるというようなことをやってます。京都有数の霊的なスポットなので、好き勝手やったままというのはやっぱりちょっと怖い。


☆ ☆ ☆

例によってお使いの狐の写真。


熊鷹社 狐1


熊鷹社の森の狐


☆ ☆ ☆

裏参道じゃなくて、熊鷹社で出会った野良猫。

熊鷹社の野良猫1


熊鷹社で出会った野良猫2

やってくるカメラマンの人気の的です。猫を見るとカメラを構えずにはいられない人、多数。

武田花さんの写真が好きで何冊か写真集を持ってます。この人はたとえ猫であっても、きれい可愛いって云う撮り方はしてません。しかもレンジファインダーなのであまり接写できないライカを使ってるのもあるのか、近寄って撮ってる写真もほとんどない。環境の中にいる猫って云う撮り方が最近好みになってるのはこの人の影響かもしれないなぁ。


猫雪達磨
これも一応猫?





CANON AUTOBOY FXL
OLYMPUS OM1 +G.ZUIKO AUTO-W F3.5/28mm
モノクロはTRI-Xの自家現像。


☆ ☆ ☆





季節のしっぽ季節のしっぽ
(1998/04)
武田 花

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時間が流れるのをすっかり忘れてしまってるような古い町の一角とそんな町の片隅で生きてる、あまり綺麗でもない無愛想な野良猫たちの写真。
本は写真とエッセイが半々くらいの内容になっていて、写真はもちろんなんだけど、このエッセイも読んでみると結構面白いです。
こういう体裁の本によくある、妙にベタな心情を盛りこんだ詩集っぽいものとは一線を画してる、どちらかというと内田百閒の怪談を思わせるような、エッジの効いた奇妙な味わいの掌編小説のよう。
あとがきには日々の出来事を綴っているように書かれていたけど、こんな幻想的な日々を送ってるのならかなり羨ましいです。


☆ ☆ ☆


The Beatles - I'm Happy Just To Dance With You


映画「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ! A Hard Day's Night」に使われた曲。同名アルバム「A Hard Day's Night」のなかでも結構好きな曲の一つです。もっともこのアルバム、他の初期ビートルズのもの同様に、わたしにとっては捨て曲無しのアルバムだったから、好きというなら収録曲全部好きなんだけど。
レノン=マッカートニーのクレジットで発表されてるものの実質はジョンの曲だったとか。イギリスではシングルではリリースされず、アメリカで発売されたシングルもB面扱いになって、ビートルズを代表する曲扱いにもあまりなってないような感じ。今でもそれほど演奏されないのがもったいない。



A Hard Day's Night - ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!A Hard Day's Night - ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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【写真】車窓 1 +【展覧会】アンドレアス・グルスキー展へ行ってきた。 +【音楽】Michael Buble - Quando Quando Quando

車窓から1

先日、大阪渡辺橋にある国立国際美術館で開催されているアンドレアス・グルスキー展に行った時、乗っていた京阪の窓から外を流れ去る光景を何枚か写真に撮ってみました。高梨豊さんの写真集「IN'」の真似?
あいにくの雨や曇りの空模様のうえに国立国際美術館は館内撮影全面禁止なので、ほとんど写真撮れないだろうと思って、たいそうなカメラを持って出る気にもなれず、かといって何も持っていかなかったら何かの拍子に写真撮りたくなった時に困るから、ほとんど持ち歩かないデジタルのコンパクトカメラ、GRD3を持って出かけました。デジタル使ったのは本当に久しぶり。
京阪に乗ってる時、窓の外を眺めてはここは写真に撮ったら面白いだろうなぁというポイントがいくつかあって、ちょっと写真撮りたくなるポイントではあっても、電車を降りてそこまで写真撮りにいくまでは行動していない、そういうところをこの日は撮ってみようかなと思いついたわけです。

京阪電車の座席は進行方向に向かって二人掛けの座席が並んでるという形になっていて、この日は運よく窓側の席を確保。そんなに混むこともなく結局乗り換えの京橋駅まで隣には座る人も来なくて、この二人掛けの座席をわたし一人で占有でき、カメラもあまり気兼ねせずに出せました。
窓際にカメラを置いてレンズ鏡筒を窓ガラスに密着させてスタンバイ。こうしないと窓の映り込みも写真に写ってしまいます。
撮ろうと思ったポイントは、何しろ乗りなれた路線ということであらかじめどの辺りでやってくるかは分かっていたから、その少しくらい手前で大体同距離にありそうなものがきた時にピントを決めてスタンバイ。ポイント通過にあわせてシャッターを押し切るって云うようなやり方で撮っていきました。
もっともシャッターのタイミングが合わなくて、思った位置でシャッターが切れなかった写真が大半で結果はあまり思うようには行かなかったんだけど、何枚かは大体思ったタイミングで撮れていて、線路脇の鉄塔なんかもフレームにはいって邪魔しなかったものから一枚アップしてみます。

今回のは東福寺と鳥羽街道の間くらいのポイント。東福寺の三ノ瀬川から伸びる川筋が線路の下を通って京阪に沿って流れる疎水へと流れ込むところ。

デジタルカメラのそのままの画像はなんというかあいまいさを排除しすぎてるというのか、いつももうちょっと加工したくなる気分が沸きあがってくるんだけど、今回もそういう気分が濃厚だったので、結果的にはPC上でコントラスト、色合い、彩度等に手を加えてます。
GRD3がそのままで提示する写真じゃないです。
撮影時から写真が出来上がってくるまでの面白さ、一回性の存在感は圧倒的にフィルムカメラではあるけど、でも手を加えるのが前提なら、アウラは消え去るもののデジタル写真も意外と面白い結果が得られるかなと、あれこれ画像を弄くりまわしながら思ってました。




RICOH GR DIGITAL III


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さて、アンドレアス・グルスキー展です。

グルスキー展チラシ

以前この展覧会が開催されると書いた時に、グルスキーに関してはカミオカンデやピョンヤンのマスゲームなど限られた作品しか知らなかったから、作家活動の全貌が知れるような展覧会だったらいいというようなことを書きました。
実際に展覧会はどうだったかというと、この点では期待はずれ。
まず何よりも展示作品数が少なかったし、展示された作品も、これは作者の監修によるものだったらしいいけど、テーマ別にまとめるとかせずにばらばらに解体したような形で展示されてたという感じで、全体像を俯瞰するような展示方式にはなっていませんでした。
ある意味テーマに沿って先にテーマありきのような見方をして欲しくなくて、作品そのものをそこに付随してくる様々な意味づけのようなものから切り離してみてもらいたかったのか、テーマ的なものや時系列を無視した配置で作品間に新たな関係性を構築しようとしたのか、意図はそれほどよくは分からなかったけど、確かにいえるのはちょっと見にくい展示だったということで、こういうのはなんだか現代美術で流行ってる、ヴォルフガング・ティルマンスもこういう展示の仕方をしてるインスタレーション的なものだろうとは思うけど、ちょっとはぐらかされたような印象はありました。同一の対象を撮ったシリーズの作品が会場のあちこちにばらばらに置かれてるから、この被写体のは確かあっちにもあったと、グルスキーの監修意図とは関係なしに会場をあちこち動き回ることになって、こういう展示をするなら、むしろ観客の動きも完全に制御しないと意味ないんじゃないかなんて思ったりしました。

で、こんなことを書いてるから展覧会はつまらなかったのかと云うと、それが全くの正反対でこんなに面白かった展覧会は久しぶりだったというのが正直な感想でした。会場ではとにかく圧倒されまくりで、視覚から入ってくる刺激で頭の中は「!」マークで埋め尽くされるような鑑賞の時間となりました。
何に圧倒されるかというとまず単純に目の前に見える、具体的な作品のとんでもない大きさ。美術館の壁の高さに届くかと思うくらい巨大な写真が並んでいて、まずこれで「わ、凄い!」って思います。展示作品の数が少なかったのは、こんな大きな作品を広さが決まってる会場の壁に並べるには限度があったためじゃないかと思えるくらい。
なぜこんな大きな作品にしてるかということについてはグルスキー曰く、実に単純にこれは大きいほうが良かったと思ったからというようなことらしく、最初の頃はお金がなくて大きく出来なかったんだそうです。

大きさの印象がまず眼に飛び込んできて、うわぁ!って思うんですけど、驚かせるために大きくしてるんではなくて、まぁ多少は吃驚させるつもりもあったのかもしれないけど、写されているものを見れば作品が出来る限り大きくなくてはならなかった理由がよく分かります。
とにかく細かい細部がぎっしりと詰まってるようなイメージ、ディテールの暴走とでもいえそうな圧倒的な量感がこの人の作品の代表的なイメージだと思うけど、このディテールの極端な集積を表すためには小さな画面では絶対に駄目だと判断していたんでしょう。

また、眼もくらむような細部の密集、たとえば北朝鮮のマスゲームの一体何人いるんだろうと思うくらいの巨大な人の集合体を構成する一人ひとりの人物の、それが誰であるのか知人が見たら容易に区別が出来るくらいの精密さで捉えられたディテールの奔流ともいうべきものを表現するために、この巨大なスケールの写真全体が隅から隅までピントがあったパンフォーカスにしてあって、これが視覚的な効果としても、自然に見えることを志向しつつ、あるレベルではありえないほど不自然で、ある種サイケデリックで眩暈がするような視覚体験へと導くようで面白かったです。
この極端なパンフォーカス、普通のカメラではピントがあってるように見えるという程度のパンフォーカスにしかならないから、実はこの形に仕上げるために、大判のカメラで複数撮ったイメージをデジタルで合成してこのイメージを作ってるというような、結構手の込んだことをやってるらしいです。

画面を埋め尽くす小さなものが、たとえば証券会社の証券マンだったり、巨大スーパーマーケットの棚に並ぶ小さな商品だったりするから、ここから消費時代の現実だとか資本主義がどうしたとか、旧態依然としたテーマ性を見つけ出そうとする場合があるかもしれないけど、おそらくグルスキーは徹底的に美術系の人、視覚の構造に興味の大半があるような作家の印象があって、そんなテーマ性は二の次で、グルスキーが目にしてる世界がただひたすら驚異的な視覚イメージとして目の前にたち現れてくるのを体験すると、別に社会的なテーマのようなものを見つけようとしなくても、それだけで十分なように思えます。

美術的な文脈の人という印象はこの細部の氾濫という特徴のほかに、もう一つ見出すことが出来る特徴、こっちはディテールの過剰さとは正反対というか、全体にストイックなほどの構成を保持しようとしてるところにも現れてるかもしれないです。いうならば細部という微視的な視線とは対極にあるような巨視的な視線。
バンコクの汚い川面の油膜が作る模様だとか、プラダの靴が整然と並べてある棚だとか、異様な幾何学模様を作るレース場のコースだとか、グルスキーの写真には形と全体構成に関して常に最大限の関心が向かってるような印象があります。
この抑制された構成力という点で凄いのはカミオカンデのような暴走する細部が特徴の作品でも、同じ場所にこういうストイックな構成も同時に組み込んでるということで、しかも構成的でありつつ、そのことにおいて細部を統制するでもなく、どちらかというと混沌と秩序が同じ場所に共存してるようなイメージを成立させてるところが、ヒエラルキーを排除した遍在的な世界が特徴のグルスキーの写真に良くフィットしてるんじゃないかと思います。

あと凄く気に入ったのは縦構図の写真が多かったことと、俯瞰の写真が多かったことかな。縦構図は去年の夏にそればかり撮ってたくらい、構築的なフレームで好きだし、俯瞰は、遠くまでぎっちりと埋め尽くしてるイメージにするには外せない要素だったんだろうけど、俯瞰好きには、しかもその好きな俯瞰を仰ぎ見るほど大きな画面で見られたのは楽しい体験でした。

展示数は少なかったけど、写真に興味がある人は必見。
こんなに巨大な写真が見られるという機会もあまりないだろうから、それだけでも必見。


グルスキー展カタログ1

グルスキー展カタログ2


会場ではハードカバーでかなり立派な図録が売られてます。グルスキーの写真集を一つ欲しかったから買ったけど、巨大さが必須の作品なら、美術館の壁の高さくらいある写真集でないと駄目なわけで、そういう意味では欲しかったから手に入れたものの、豪華だけど根本の部分では無意味である本だったのかもしれないです。



☆ ☆ ☆


Michael Buble - Quando Quando Quando


マイケル・ブーブレって最初に名前知った時、変な名前って思ってそれっきりだったのが、何かの拍子に実際に歌を聴いてみると、なんだか予想外に色気があって、しっとりと滑らかで、ムンムンした押し付けがましいものじゃない、こんなに優雅な色気を出せる男の歌い手ってあまりいないんじゃないかと思ったら、積極的に聴こうとは思わないまでも結構お気に入りの歌手になってました。
曲は元はトニー・ロニスが歌ったカンツォーネの古い曲。その後エンゲルベルト・フンパーディンクの歌でヒットした曲でもあります。
元歌はちょっとラテンっぽい曲調が好みかなぁ。



It's TimeIt's Time
(2005/02/08)
Michael Buble

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