2014/05/26
【写真】糺の森 +【音楽】 Pat Martino - Once I Loved

「ただすのもり」と読みます。京都の市街地に忽然と現れる巨大な原生林。以前この森の周囲を歩いた時の写真を載せたことがあると思うけど、住宅が並んでバスや車が走る道路の脇から、壁一つ隔てただけで小高い木々が密集する森が広がる、状況的コントラストの非常に強い場所です。
場所は京阪の出町の駅を降りてすぐ、賀茂川と高野川が合流して鴨川という一つの流れになるところ。糺の森はその「Y」字型の流れになる北側に、賀茂川と高野川にはさまれるようにして広がっています。
最奥には下鴨神社が控えていて、要するに下鴨神社の鎮守の森といった存在になるのかな。
森の規模は以前にも書いたかもしれないけど、東京ドームの約三倍。これでも応仁の乱での消失や明治政府の土地没収などで本来あった姿よりもかなり小さくなってるということです。両側を大きな川によって囲まれてるせいか木々の間を四本の川が流れる森の中は下鴨神社へと続く二列の参道が貫き、その周囲の森の中には木々の間を分け入るように散策路が設けてあるといった構造になってます。
4月の初め頃に何度か行って、最初に行った時は、森の中を走る遊覧馬車が目的でした。何年か前に写真撮りに来た時にこの馬車の写真も撮ったんだけど、その時はもう一つ上手く撮れなくて、今度はどこに行ってみようかなと考えていた時に、上手く撮れなかったこの馬車のことを思い出した次第。
でもこの時行ってみた結果は馬車の姿なんかどこにも見えず、お客さんが乗り降りしていた場所も、何の幻だったかと思うほどにただの通り道になっていました。
ちょっと調べてみたらこの馬車、下鴨神社が運営してるんじゃなく、京都府馬術連盟がボランティアで行っていて、数年前から週末のみの営業、でもそれもどうやらあやふやで、不定期というのが一番近いような運営になってるようでした。
ということで今年最初に糺の森にやってきた時は目的を達することが出来ずに、写真撮る気もうせて物足りない思いで帰宅することに。
もう一度、今度は森の様子でも撮ってみようかと思ってやってきた時は、森の手づくり市だったか、名前ははっきりと覚えてないけど、手作りの品物を並べるテント店が列を成して参道を埋め尽くしてる場に出くわすこととなりました。調べてこれを目的にやってきたわけでもなく、開催日と重なったのは全くの偶然。これはこれで面白かったものの、森を撮ろうとやってきた目的は果たせずに、おまけにこの日は春とは思えないほどの冷たい風が吹き荒れる日で、ほとんど初夏といった出で立ちでやってきていたから、これはもう絶対に風邪をひくと、店を楽しむ間もなく、市の端から端までとりあえず一往復しただけで帰ってきました。
その後も日を変えていってみるも、五月十五日の葵祭(わたしの誕生日!)の幕開けを告げる前儀となる流鏑馬の、流鏑馬そのものだったらまた被写体にもなろうというものだけど、その準備のために参道に無粋な赤い三角コーンが列を成して並べてあったりして、これまた写真撮れないじゃないかと、はぐらかされて帰ってくるというような顛末となってました。
森を撮るという些細な思惑なのに、どうしてこれほど疎外されなければならないのか、真剣に悩みそう。
最初の写真はその森の手作り市の時に撮った写真。
この店だけ、雰囲気がなんだか外国の蚤の市って云うような、まぁ行ったことはないんだけど、そんなちょっと洒落た感じがしてました。自作の絵を売ってるのかな。


糺の森の南西の縁に位置する、下鴨神社の摂社である河合神社で撮った写真。ここの祭神は玉依姫命で、女性の守護神、日本第一美麗神として安産、育児、縁結びから、美人になりたいという願いまでかなえてくれる神様とされています。ちなみに玉依姫命は神武天皇の御母神であり、日本創世に深く関わった神様でもあるので、国家安泰を祈願する神社でもあるようです。
ここの絵馬は美貌を司る神様に相応しく、手鏡の形をしていて、伏見稲荷大社の狐絵馬と同様に、そこに自分の理想となる絵を書き添えて奉納するようになってます。絵心に自信がない人は、これが理想と思われてはたまらないと、絵馬を描く手が震えるかも。いつごろからこういう形になったのかは知らないけど結構ユニークです。
神社の名前も美容祈願の神様として、ちょっと出来すぎてるんじゃないかというようなぴったりの名前で、どういういきさつでこんなぴったりの名前になったのか、これも結構興味深いことかもしれないです。


色々とはぐらかされながら、それでも撮っていた糺の森の写真。
森そのものは、実際には意外と均一な印象で、広さはあるんだけど、平地に展開してるものだから、起伏による変化というのがまったくないような様子。光の加減で表情が変わることはあっても、森そのものの様子はどこに立ってもあまり変化のあるようなものでもなかったです。鬱蒼と茂ってるというほどの密度には若干足りなくて、森の向こう側、木々の合間に住宅地との境の壁でも見えると興ざめでした。森林浴でもするつもりだったとしてもちょっと期待はずれの結果になるかも。
写真はこのところ自家現像してるうちの一本です。現像の結果はちょっと現像しすぎてる感じで、やたらと黒っぽいネガになってました。フジやコダックが出してるデータにそってやってるんだけど、これはかなり安全策が取られてるようで、必要時間とされてる値の8割くらいで適正になりそうな気がします。
フォトショップで調整してみるものの、明るさを落とすと暗い部分が潰れ気味になる感じ。こういうコントラストの強いイメージも嫌いじゃないんだけど、今回に関しては若干思惑外れの結果となってます。

下鴨神社で、風に揺らめく垂れ幕。最近こういう風でなびいてる幕を見かけると撮ってることが多いです。なぜか気を引くんだけど、気をひかれる理由は自分でも分からず。
ただ風の強い日というのは、わたしはなんだか不安になってくるので、なびく幕を撮ってる割には、幕がはためくほどの強い風の日はあまり好きじゃないです。
結局、この春の一時期に糺の森には何回か行ったけど、最奥に控える下鴨神社にはあまり立ち寄らずに、ほとんど写真撮らない結果となりました。
今度行く時があったら、下鴨神社をもっと撮ってみよう。もちろん馬車も心残り。
最後に、これは糺の森じゃなくて鴨川の出町付近で見た猫の写真を一枚。

使用したカメラはNikonのFM3A。50mmと135mmのレンズを使って撮ってます。
フィルムはフジのプレスト400で自分で現像してます。
☆ ☆ ☆
Once I Loved - Pat Martino
曲はアントニオ・カルロス・ジョビン作曲のボッサ・ナンバー。パット・マルティーノはマシンガン・ピッキングなんていう形容をされる技巧派ギタリストだけど、ここはちょっとリラックスして演奏してる感じかな。のちにアシッド・ジャズ的な扱いをされるトゥルーディ・ピッツのオルガンが競演していて、でもわたしはどちらかというとトゥルーディ・ピッツはラウンジ的なオルガンプレーヤーって言う捉えかたのほうが強くて、この演奏でもそういうリラックスした雰囲気が良くあってるような気がします。とはいうものの、ラテン・テイストの曲だから、ダンサブルな側面もきっちりと確保して、甘い音で雰囲気作りながら技巧派の顔も見せるパット・マルティーノの演奏はやっぱり面白いです。