【写真】伏見稲荷大社にて 7 四つ辻から頂上へ +【音楽】Cloudy - Simon & Garfunkel

灯明立て




気がつけば3月頃を最後として伏見稲荷大社には写真撮りに行ってません。一つにはなにしろ狐と鳥居しか目に入らなくなってきて、それしかないところだから面白い場所なんだけどやっぱり写真を撮るとなると撮りあぐねていたことと、さらにそれに加えるようにして4月に入って早々に眩暈を起こしてしまったこと、大体行かなくなってしまった原因はこの辺りにありました。
眩暈は結局6月にはいって少し経つくらいまで続いてようやく治まった感じで、今回の眩暈は本当に長かったです。特に姿勢を横にした時や起き上がった時にくる回転性の眩暈がなかなか取れませんでした。でも始まりは予兆もなくやってくるので治まったからといってあまり安心も出来ず、明日目が覚めたときに目が回ってたらいやだなぁという気分はなかなか抜けてくれないです。
で、もともとなんだか似たような写真ばかり撮ってると思い始めたところに、こういう非常事態を迎えてしまったものだから、足が遠のいたまま稲荷山への写真的な興味は眩暈の中に巻き込まれてしまったという感じになってます。
ブログに載せようと写真をちょっと整理してみたけれど、途中から違う場所へとフィルムが跨がないように気を配っていたから大体この辺りという区別はつくものの、似たような塚が乱立する場所ということもあって、眩暈のなかで時間が経つうちに、気分の根底ではこの狐、本当にそこにあったものか?といった曖昧さが付きまとうようになってきました。
さらに撮りあぐねてるという気分満載というか、あたらためてここで撮っていた写真を眺め回してみると、思った以上に山頂付近の写真を撮ってないということにも気付き、何のことはない眩暈で中断する少し前はただ稲荷山に登って、林立する塚と鳥居と狐を眺めるだけで気分一杯になって、撮った気になって降りてくるというような行動を繰り返していた様子でした。
ということで今回の写真はなんだかとても選びにくいです。

☆ ☆ ☆

四つ辻から派生してる参道は三本、本当は四本なんだけどそのうちの一本は荒神峰に向かう参道と程なく合流するので、結果的には三本ということになり、そのうちの二本が頂上を巡る参道の入り口と出口になってます。眼力社の方向へ向かう参道と、三ノ峰へ向かう参道の二本。この二本の参道は稲荷山頂上の一ノ峰を巡る周回路となってるので、この入り口と出口はどちらが入り口でどちらが出口というわけでもなくて、どちらか入ったほう以外の参道が自動的にこの四つ辻に戻ってくる出口となります。
眼力社のある方向から登っていく時計回りの登攀が一応正式なルートになってるらしいんですけど、それはそれとして特に正式な方向でないといけないということでもなく、どちらから登ってもかまわないことになってます。
わたしは最初は眼力社にお参りするのが目的で正式な方向でこの参道を歩いてたんですけど、ある時眼力社で目的を達してUターンしてくるんじゃなく山頂を目指すつもりで歩いてみて、その時からは三ノ峰の反時計回りの方向で登ることがほとんどとなりました。
正式なルートは実は登攀するのが結構きついです。




三の峰の狐01



三ノ峰のほうから間ノ峰荷田社、二ノ峰大社、青木大神を経て、一ノ峰大社、末広大神へと頂上を目指すルートは数字が逆順になってあまり居心地がよくないかもしれないけど、峰と峰の間が意外なほど平坦な参道になってるところが多いから歩くのは正規のルートよりかなり楽になってます。峰と名前がつくとなんだか上り下りの激しい変化の道を想像するかもしれないけど、峰の頂上にある御神蹟の手前で登る石段が現れはするものの、峰と峰の合間は予想外に歩くのが楽といった感じです。体感的には山の頂上が連なってるというよりも高台が積み重なって徐々に高くなっていってるような雰囲気でした。

それぞれの峰には御神蹟があってその周囲に塚が密集するように建てられています。そして社へは十数段の石段で参道から登るようになっていて、さらに参道をはさんで社と対面するように神様のお世話をしてる家が建ってるという具合に、この3つの峰の御神蹟の様子はどれも凄く似通ってます。


白菊大神の社
似たような構造の社なので、一応その代表として三ノ峰の御神蹟である白菊大神。
ここは確かお稽古事などに関する御利益があるとされてる神様じゃなかったかな。まんざら無関係でもないだろうと、かっこいい写真が撮れるようにとお参りしてくることは忘れませんでした。白菊という名前も可憐でいいです。


落ちた花



三の峰 手水場


反時計回りのルートで一番最初に出会う社だからか、ここで撮った写真が一番多い三ノ峰の下ノ社。その三ノ峰に建つ御神蹟の祭神は上に書いたように白菊大神となってます。なぜかこの稲荷山での神様の名前は麓の稲荷大社で記載されてる神様の名前とは違ってるらしくて、その理由は良く分からないそうです。この白菊大神というのは麓の稲荷大社の扱いでは宇迦之御魂大神。宇迦之御魂大神といえば、春先にやっていたアニメ「いなり、こんこん、恋いろは。」(最終回まで見てました)でも主役級の役で登場していたけど、それもそのはず稲荷大社の主神となる女神様です。その全国稲荷神社の一番上にいそうな神様がどうして一ノ峰の社で祭られずに三ノ峰で祭られてるのか、過去へ向けて時間のかなたまで分け入ることが出来たらなんだかあっというような真相が隠されてでもいそうな印象ではあるものの、今のところはきっとこれもよく分からないって云うことになってるんじゃないかなぁ。
ちなみにここは半ば破壊された状態ではあるものの古墳でもあるそうで、御神蹟となっていった要因の一つでもあったのかもと妄想してみたりします。

わたしは実のところ稲荷山の御神蹟で興味があったのは眼力社だけで、この三箇所の御神蹟はせっかくここまで登ってきたのだからお参りしておこうという程度の関心でした。だからなのか、塚を含めた構造が酷似してることも相まって、三箇所がそれぞれ際立った印象として残ってるわけでもないです。一応全ルート制覇のために歩き回ってはいたけど、わたしの場合は印象に残るのはこの三つの峰よりも、眼力社や薬力社があるエリアのほうでした。稲荷山の主要三社の御神蹟よりも他のちょっと個別目的に傾倒している御神蹟のほうが外見も含めて個性的。個性的だからいいというわけでもないんだけど、印象としてはそんな感じでした。
ただ、一ノ峰の末広大神の社は社の脇にも記してあるようにここが山頂ということもあって、周囲の木立と塚の配置によって、四つ辻のように下界への展望は開けてないものの、頂上にたどり着いたという達成感はありました。

☆ ☆ ☆

頂上に立ってちょっと面白かったのがここまで連綿と続いていた鳥居の列がこの末広大神の御神蹟を境に上り下りで向きが逆転するということ。理にかなってるから別に驚くほどのことでもないんだけど、気付いてみるとなるほどとちょっと感心します。




蜀台
蝋燭の一本でも立ってるとか、滴った蝋燭が残ってるだとか、そういう要素がもう一味欲しかったところ。
ならば自分で立てればいいという話なんだけど、ある程度の思い入れや動機でもないとなかなかそこまですることもなく、お参りするたびに蝋燭を立ててくるのは眼力社だけということになってます。


三の峰の狐 02
カオス!

☆ ☆ ☆


使ったカメラは、フィルム終わるたびに別のカメラに次のフィルムを入れたりして、何度も稲荷山登りしてたから、今回はいろいろです。
最初のがフジのナチュラクラシカで、モノクロと最後の二枚がニコンのF3、あとはオリンパスのOM2で撮ってるという風に、格納してるフォルダには整理してました。
使ったフィルムはナチュラクラシカがナチュラ1600、F3がフジのスペリア400でOM2がロモの感度100のもの。ロモのこのフィルムは安いのに意外と良い色が出るのでちょっとお気に入り。ロモそのものではフィルムは作ってなくて、どうやらコダックのOEMらしいので、ロモは胡散臭くても、中身は意外としっかりしたものかも。

ナチュラクラシカはこんなカメラ。

ナチュラクラシカ

ごく最近まで新品で売られていたフジのコンパクトカメラ。わたしが買ったカメラのなかではトイカメラ以外だとひょっとしたら唯一新品で買ったカメラかもしれないです。ほとんどこのナチュラシリーズのカメラ用に作られたようなナチュラ1600というフィルムを使うと、かなりの暗がりでも自然な写真が撮れるというのが売りになってるカメラ。ちなみに今現在わたしのナチュラクラシカにはこの1600のフィルムが入っていて、梅雨のさなかこれで写真撮ってます。
感度1600で夏に近い時期の真昼間なんて無茶なように思うけど、意外なほど破綻なく撮れます。

28mmの広角から56mmの弱望遠に多少踏み込んだ形の標準域までのズームはスナップカメラとしては使いやすいし、フジノンレンズの発色はティアラ同様に結構好きな部類に入るからカメラとしてはいいんだけど、残念なのはファインダーが今ひとつだということ。ちょっと斜めに覗くだけで上手く見えなくなるようなファインダーなので、ファインダーを覗いてもそれがいい絵になってるのか良く判断できないことが多く、覗く快感がほとんどないというのが、このカメラの結構致命的な弱点になってるんじゃないかなぁ。これだけでもファインダーが良く見えるほうのカメラを選んだりするから。



☆ ☆ ☆


Cloudy - Simon & Garfunkel


Got some pictures in my pocket and a lot of time to kill






パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイムパセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム
(2013/03/06)
サイモン&ガーファンクル

商品詳細を見る







スポンサーサイト

【写真】窓尽くし +【写真集】KEIICHI TAHARA

窓 01







窓 02





窓 03






窓 04






窓 05




旧京都府庁舎の桜の写真のところで、窓ばかり撮ってたと書いた、その窓の写真を纏めてみました。
最初のだけ別のところで撮ったのが混じってるけど、他はこの桜の季節に旧京都府庁舎で撮っていたものばかりです。

しかしそれにしてもこうやって集めてみると、窓枠の縦横の直線ラインが目立つ良く似たイメージのものになりがちという感じかなぁ。もうちょっといろんなイメージとして撮れると良いんだけど、なかなか難しい。
窓そのものはもっと汚れていたほうがよかったです。多少は汚れた線が入っていたりするんだけど、旧とはいえ廃墟でもなく、さすがに府庁の建物なので、汚れてはいてもこちらが期待するレベルまで汚れてるほどではなかったのが残念なところでした。

どうして窓や窓辺の佇まいに惹かれるのかと考えてみれば、四角いフレームで区切られてるのがまず良いといったところかな。区切られてそこで完結してる世界というイメージと、それと同時に、窓枠の外側に見ることが出来ない世界が広がってるという不可視の領域がイメージの幅を広げてるようなところがあるとか。向こう側に広がる世界っていう、こちらにいる限り窓のガラスに遮られて手が届かない、無限に遠くにあるような世界を目にしてるようで、そういう感覚も私には魅力的に感じられるようです。
上手く捉えるのは難しいものの、光の表情が出やすいって云うところもいいです。濃い影とまぶしい光のコントラストが強い世界も好きなんだけど、窓辺の淡い光も結構好き。反対に今の季節のように鈍い光でなんだかすべてを均等に覆いつくしてくるようなのは苦手です。

でもこういう風に書いてみて、自分がその対象に惹かれてるところを客観的に見ようとするのは自分の感覚の資質を見極める役に立ちそうにも思うけど、反面纏めてしまうことで零れ落ちてしまう、纏め切れない、言葉にも置換されないような微妙なものを、自分から見えなくしてしまうようなことにもなりそうで、あまりよくないようにも思います。
自分が見たもの、見ようとしたものをイメージとして形にすることには腐心しても、見ようとしたものが何だったのかなんてことは写真を撮った本人にも別に分かる必要もないのかもしれないです。

アップした写真についていくつかメモしておくと、二枚目のはカーテンの曲線じゃなくて直線部分だけを切り出してみたもの。四枚目は、これは府知事室だったかなぁ、立派な椅子と机が置いてあった部屋だったんだけど、椅子が明るい色過ぎて、もうちょっと薄暗がりの中に沈んでいて欲しかった。
五枚目のは窓の外の緑が光に乗って窓の内側の空間にも流れ込んできてる場所。ただ小さな観葉植物でも何でもいいから被写体がもう一つくらいは欲しかったかも。ちょっとシンプルすぎる?

使ったカメラは最初のがオリンパスの35RC。府庁舎のモノクロがニコンのF3HPで、最後のカラーが最近使ってるミノルタのNew X-700でした。F3の場合、最近は50mmとニコンのレンズの望遠で持ってるのが135mmなので、この二本を使うことが多いんだけど、この時はF3を50mm一本で撮ってたんじゃなかったかな。

F3

F3はイタリアの工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたニコンの昔のフラグシップ機で随分と長い間作り続けられたロングセラーのカメラ。
かつての最高機種だからどうしても欲しかったのかと云うと、ニコンのカメラでこの頃からデザイン的に使われてる赤いラインがあまり好きでもなくて、視野率100パーセントである程度明るいファインダーのものが欲しいなぁと思い始めるまではそれほど物欲の対象にもならなかったカメラでした。

わたしが買ったのは眼鏡をかけていてファインダーから目が少し離れた位置にあってもフレームの全体が見渡せるハイアイポイントのファインダーがついてるものでした。もっともこれは普通のファインダーが覗きにくいというわけでもないので、ハイアイポイントになったぶんフレームが僅かにではあるけど小さくなったことを考えると、普通のでも良かったかと思います。ファインダーだけ交換できるからそのうち普通のアイレベルのものに代えてしまうかも。
全体の使い勝手は過不足なく、F2ほど重くないし、総てのボタンは適材適所にあるという感じでかなりいいです。これ、古いカメラにしては珍しく、来年までまだニコンでの修理期間があるので、期間内にオーバーホールに出しておこうと思ってます。



☆ ☆ ☆



窓といえば田原桂一さんの写真に、ぞのものずばり「窓」と題されたシリーズがあって、これが結構なわたしのお気に入りだったりします。

tahara 1


tahara 2


TAHARA03


田原桂一さんは京都出身の作家。小劇団レッド・ブッダ・シアターのヨーロッパ公演に照明担当として同行、渡仏した後、帰国する劇団とは離れて一人フランスに留まり写真を撮り始めた人だそうです。
ただ写真に関しては時間が経つにつれ活動の中心が変化したのかあまり展開していくような感じでもなく、その後は光の彫刻といったものを作る造形作家に変貌していきます。
途中で写真家であることから軸足をずらしたせいなのか写真集の類もあまり見つからず、わたしが持ってる京都の何必館(かひつかん)で出版されたおそらく個展でも開催していた時の図録と、光の彫刻と題された東京都庭園美術館で開催された展覧会の、これもおそらく図録の2冊くらいしか見たことがないです。過去には初期のモノクロを収めた写真集が出版されていたようだけど、今では古書でも見つけるのが難しい様子。
ちなみに「光の彫刻」はアマゾンでも入手できるものの、造形作品が主の図録で点数も少なく、写真は図録の中というよりも、なんだかこちらが主役なのかとも思える付属のCD-ROMにデータとして入ってる点数のほうが多かったです。データなんていう形じゃなくて紙媒体として見たかった。

結局のところわたしとしてはこの人の作品として興味を引くのはごく初期のこの「窓」のシリーズのようなものだけで、光の彫刻とかはほとんどわたしの琴線には触れずじまいと云う感じでした。写真でしか見てないけど彫刻のほうはあまり洗練されてるようにも見えず、どちらかというとちょっと泥臭いところがあるように思います。
あくまでも初期の写真3シリーズがわたしにとってのこの人に関する関心事となってます。

屋外を舞台にした最初の「都市」から始まって境界ともいうべき「窓」から室内「エクラ」へと至る写真群。どの写真もモノクロで、ハイコントラスト、ざらついた粒子感、腐食し朽ち果てていくようなテクスチャという表現を駆使して、記憶の中でざわめいていた光を、光そのものが物質化してそこに立ち上がってるようなイメージとして形にしていくようなものとなっています。物質化する光と、形を照らす光じゃなく時間の中にこそ見出すべき光があるというような光に対する態度、そしてこのわたしたちが住む世界の光景のようには到底見えない超現実感がとにかくかっこいい。

現像を自分でやり始めてから、こういう仕上げにしてみたいと思うこともしょっちゅうで、印画紙に焼く段階のことだったらお手上げだけど、フィルムの段階での話だとするなら、こういうのを見るたびに色々と試行錯誤してみるのも面白いかもなんて思ったりしてます。
ただこういうモノクロ表現はモノクロフィルムのある種の極点でもあって、田原桂一さん本人も、まぁこれはわたしが勝手に想像してるだけだけど、この傾向の写真の先にさらに展開できる道が見つからないから普通の写真へ、さらに彫刻へと変化していったのかもしれないと思うと、こういう仕上がりのモノクロは極め付きにかっこいい反面、先には袋小路が待っていそうで、進むには結構な覚悟が必要な予感がします。






【写真】祇園散歩 +【音楽】Jive Samba - The Remo Four

祇園01


祇園4



祇園02



祇園5



どうやら関西も梅雨に入ったようです。鬱陶しい季節の始まり。カメラ持って出るのを躊躇するような日が続くと思うので、それがまた鬱陶しさを倍化させます。基本フィルム使いなので昔のカメラを使うことになり、使ってるうちになぜだか昔のカメラは雨に関して結構無頓着といった印象になって、考えてみれば屋外で使う機会が圧倒的に多い道具なのに水に対する防御に関してほとんど気にも留めてなかったというのは不思議といえば不思議ではあります。
一応防水のコンパクトカメラは持ってるんだけど、レンズが暗くて光量が少ない雨の日に使うにはちょっと使いづらいし。
まぁとにかく梅雨が嫌いだといってみても晴れるわけでもないので、雨の日には雨の日の写真を撮るとポジティブな気分になるのが一番なのかもしれないけど、やっぱりなかなか難しい。

7月一杯が使用期限のブローニーフィルムが3本手元にあって、梅雨に入る前に使い切りたかったんだけど、眩暈起こしたり歯が痛くなったりで、それもかなわず、期限内にちょっと撮りきれない感じになってきました。なにしろブローニーを使うカメラといえば、わたしが使ってるのはホルガやダイアナなんていうのもあるけど、これは完全にお天気カメラで雨の日はまず無理。トイカメラ以外だとハッセルブラッドとマミヤのRZ67になるんだけど、両方とも重装備の大仰なカメラで、とてもじゃないけど傘差して出歩くような日に持ち出せる代物じゃないです。


☆ ☆ ☆


写真はわりと最近祇園を歩いて撮っていた写真。
祇園だとか東山の辺りは特に写真を撮りに行くなんて意図的にならなくても普段良く歩いてる場所で、そういう折々に気が向けばシャッター切ってる感じです。この辺りはやっぱりかなり固定的なイメージがある場所なので、紋切り型の観光写真になるか、それを避けようとして奇をてらったあざとい写真になるか、どちらかに傾くのが常だったりして、写真に撮るのは難しいところがあります。
もっとも観光写真を撮れといわれても売り物になるような写真が撮れるかというと、これはこれで難しそうではあるんだけど。

最初のはビルの合間に開いていた上に上がる階段。光の具合で異様なイメージになってました。一見して階段に見えない?
二枚目のはシャッター幕の不安定な動きで右端が露光しなかった写真なんだけど、偶然こうなったのも湾曲した電線の影なんていう写真とまたそれなりに雰囲気があっていいんじゃないかと。美麗さを写そうとしてこうなったらめげてたかもしれません。

三枚目のはまだ開店してない時間帯に通りかかったドレスを売る店。場所柄ドレスを売る店は多いです。ガラス窓の向こうのものとガラスに反射するものがごちゃごちゃと入り乱れてるなんて云うイメージは自分でも好きだなぁと思います。
写した時は実はマネキンそのものって顔が手前の柵に邪魔されないかくらいしか見てなくて、仕上がった写真見て思ったんだけど、このマネキン、なんか顎のラインが変じゃないかな。
四枚目のは新装開店かなんかの装飾だったんだと思います。ちょうど取り付けてるところに出くわしたので、連なる爆風のような風船の形が面白かったので撮ってみた一枚。数日後に前を通ってみたらこの風船、全部綺麗に取り払ってあったので、やっぱり常時飾っておく装飾でもなかったようでした。

使ったカメラはミノルタのNew X-700。以前府庁の桜を撮った時の記事で、シャッター幕のスピードが不正のために露光されてない部分が出てると書いたカメラだったんですが、その後きちんと動きそうなのが5000円くらいで出ていたので、モノクロのほうはそれを買って撮ってみたものです。

x-700

ミノルタのレンズの、精緻さとフィルム独特のアンビバレントな雰囲気のバランスと云うか、意外とよく写るのが気に入ってしまって、レンズマウントを増やしても使い切れないと思いつつ、安いものだからさらに最近はミノルタの機械式のカメラ、SRT101っていうのを手に入れて使ってます。これは入れたフィルムの途中で梅雨に入ってしまったために、いつ撮りきれるか分からない状態になってます。早く撮りきりたいんだけどなぁ。

レンズはMDロッコールの50mm / f1.7と135mm / f2.8のものを使用。フィルムはカラーのほうがコダックのゴールド200.モノクロがフジのプレスト400で、モノクロのほうは自家現像したものです。



☆ ☆ ☆

Jive Samba - The Remo Four


作曲はナット・アダレイということで、サンバとついてはいるものの純正のラテンミュージックにはあまり感じられないようなファンキーさがあるのに納得。
ジャイブというのはジャズのジャンル的な呼び方で、小粋でおふざけの楽しい音楽って言う程度の意味合いなんだそうです。だからあまり小難しいテーマが出てくるわけでもなく曲としてはとてもシンプル。この曲もテーマ的な旋律は一回聴いただけで覚えられそうなほど単純なものになってます。
レモ・フォーは、かなり意外なんだけど、マージー・ビートの頃のバンドでビートルズと同じリバプール出身なんだそうです。この時代を代表するような甘いポップ・ミュージックに流れることもなく、オルガンを駆使したジャージーでグルービーな音楽をやっていたユニークなバンド。モッズ的なイメージも重なってかっこいいです。ビートルズ関連で言うとジョージ・ハリソンとかなり親密な交流があったそうで、「Wonderwall Music」のセッションにも参加しています。
ドラム尽くめの編曲が面白い。最後の最後、曲をしめる瞬間にお前ばかりかっこつけるなとばかりにギターがちょっと乱入してくるんだけど、とにかくドラムと少しだけオルガンっていう構成は考えてみれば結構大胆です。




SmileSmile
()
Remo 4

商品詳細を見る








【写真】JAZZ 木屋町界隈のギャラリー +【写真集】ハンス・ベルメール

voxビル01


河原町三条下がったところ、木屋町と河原町の間にある、VOXビルの前で。いつも停めてある、前を通るたびに写真撮ったらかっこいいかもと思う黄色い車と、この時始めて目に付いたジャズのポスターの写真。
VOXビルは飲食店なんかも入ってるビルなんだけど、わたしがもっぱら利用してるのは一階にあるアート系の書籍、画集だとか写真集だとか、大手の流通経路に乗ってないような、ひょっとして自主制作?なんて思えるようなのも混じった見たこともないCDやDVDだとかを扱ってる店とその隣にあるギャラリー。もっとも利用するといっても馬鹿高い本や映像、音響メディアばかりで、しかも専門のショップだからきわめて珍しいものがそろってるかというと海外からの輸入の画集なんかは珍しいけど、他はそうでもなかったりして、さらに店が小さいから扱うアイテム数そのものが少なくて、じつのところ買い物はほとんどしたことがなかったりします。多少傾向は違うけどアート系の本なんかは一乗寺の恵文社辺りのほうが利用しやすい品揃えかも。
ここではちょっと前に写真の季刊誌「IMA」の以前に出版された創刊準備号が出てたから買った程度。これだってバックナンバーだから普通の書店では見つからなくても、おそらくアマゾン辺りで簡単に手に入るような本だと思います。わたしが行く時間帯ではお客さんがいるところをほとんど見たことがない本屋さんで、営業できてるのがちょっと不思議な店でもあります。雰囲気はいいんだけど。

ギャラリーのほうは8年ほど前、恋月姫の球体関節人形の展覧会があった時に行ったのが記憶に残ってます。このことはこのブログに以前書いたような記憶があるけど、恋月姫の人形は写真集を何冊か持っていてそれで見ていただけで実物を見たのはこのときが始めて。想像以上に小さく、華奢で繊細な細工を施した人形で、一体持って帰りたくなるような所有欲を刺激された展覧会でした。
欲しければ買えばいいんだけど、一体いくらくらいするのかなぁ。

この写真はジャズのポスターが気を引いて撮ってみたものでした。車のほうもいつも結構目立っていて被写体にはいいんだけど、この時はモノクロということで黄色い色が写せないから撮った時の感覚としては車のほうは脇役といった感じ。
でも仕上がったのを見てみると、一番目をひくのはアンドレ・ケルテスのディストーションのように、車の窓に映る曲がった周囲のビルの反射像で、これが一番かっこいい要素になってるんじゃないかと思います。ジャズのポスターはもっといかしてるかと思ってたら、撮ってみると随分とありきたりのイメージでした。

ちなみにいつもビルの前に目立つ黄色で停めてあるから、ひょっとしたら店前の空間演出のディスプレイの一部なのかと思ってたら、いなくなってる時もあるので、ビルに関係する人が乗ってる車なんだと思います。



vox吹き抜け



vox入り口



VOXビルは中に入ると一番上までの吹き抜けになっていて、周囲はなんだか無骨な感じに仕上げてある、結構かっこいい空間になっています。窓好きのわたしにとっては天から降り注ぐ柔らかい光にきわめて居心地がいい場所です


木屋町界隈の画廊

ギャラリーついでに、VOXビルの近くで、以前は立体ギャラリー射手座という画廊だった場所。今はGABORという喫茶店になってるらしいけど、降りていったことがないから分かりません。優雅な曲線を引いて視界の端へと消えていく螺旋の階段に血が騒いで写真撮ってみた場所でした。壁には色々と展覧会や映画のポスターが貼ってあるから、まだアート関連のことをやってるところもあるのかなぁ。



最初の写真はNikonのFM3A、Ai-s50mmレンズとフジのモノクロフィルムプレスト400で、下の三枚はOLYMPUS PEN EE-2にコダックのモノクロTriXを詰めて撮ってます。両方ともフィルムは自家現像でした。

ちなみにPEN EE-2はこんなカメラ。暫く使ってなかったんだけど最近モノクロフィルムをお供に目に付いたものを、あまり考えずに撮る用のカメラとして使ってます。

オリンパスペン EE-2
ずっと前の記事に貼ったビスケットカメラで撮った写真を流用。これ、BALの最上階にあった喫茶店で撮ったものだ。
BALビルは今建替え中で、古いビルは完全に取り壊され、この写真の空間はもうこの世界のどこにも存在してません。

電池も要らず、ピントを合わす必要もない、フィルムを送ってファインダーを覗いてただシャッター押すだけの簡単カメラ。ファインダーにぶつけた凹みがあったり結構汚れていたりで売り物にならないと判断されたのかジャンク扱いだったんだけど、店でちょっと試してみたらこちらの操作にきちんと反応して普通に写せそうなカメラでした。無水エタノールで拭けば綺麗になったし、ちゃんと使えて今でも使える状態だから、この時のカメラの代金500円の元はもう十分に取ってます。


☆ ☆ ☆



さて、この話題に繋げたくて、恋月姫の人形展の話を振るためにVOXビルから書き始めたと、そういうあまり成功してそうにも見えない経路が見え隠れするのが、今回のこの一文の難点だけど、最近、ハンス・ベルメールの、人形集じゃなくて写真集を買ったんだよと、こういう話題を出したかったということでした。こんな本が以前に出版されていたなんて全く知らなかった。
わたしは結構人形、それも球体関節人形が好きです。興味の大元は今から思うとこのベルメールの人形だったんだけど、上に話題に出した恋月姫の人形なんかも好き。恋月姫のほうはちょうどVOXビルで展覧会があった頃、恋月姫の人形のミニチュアつきという限定版写真集なんか買ったりして、これは絶対にプレミアがつくと思い未だに封を切ってないんだけど、思惑は多少外れて、吃驚するほどの高値にもなってないようです。

フィギュアつき限定版



ハンス・ベルメールは特異なイマジネーションで球体関節人形を作っていたシュルレアリスト。人体の断片化と、その細分化された人体を、球体という神秘の形態やフェティシズムに満ち溢れた隠微な曲面を駆使して再構築した、異形の人形を作り続けた作家です。


ベルメール写真集1



ベルメール2


本はそのベルメールの人形の特集というよりも、というか結果的にはベルメールの人形の集大成にもなってるんだけど、むしろ視点は写真家ベルメールというものにスポットを当てるような取り方をしていて、自作の人形を撮ったもの以外のベルメールの写真も纏められ、写真家ベルメールの全貌を知れるような構成になっています。
序文で澁澤龍彦さんが書いているように、ベルメールの人形の写真、わたしたちはこれらの写真を見てベルメールの人形を知ったわけなんだけど、このベルメールの人形が写った写真を前にして、そこからベルメールの人形の情報を得ることが主目的となり、それが写真であることはそれほど重要視されずにやり過ごしてきているところがあったんじゃないかと。
思うに、ベルメールの人形があってそれを別の写真家が写真に写すという形じゃなくて、わたしたちが目にしてきたベルメールの人形の写真はことごとく人形作家本人が写真にとって形にしたものであるなら、パーツの配置だとか背景となるものだとか、一般にベルメールの人形としてイメージされてるものはベルメール本人が自作の人形をモチーフにして入念に演出し、写真という形で定着させたものと考えるのが妥当なんだと思います。人形が内在させてる異形でフェティッシュでエロチックなイメージを作家自身がもっとも十全な形でイメージ化しようとしたものがベルメールの写真であったと。そしてわたしたちはそういう人形作家による演出を含めた形でベルメールの人形のイメージを把握してるなら、写真家としてのベルメールは人形作家であるベルメールと同じくらいに重要な要素なんじゃないかと思い至ることになるわけです。

だから、この今までの纏め方とはちょっと視線をずらせたところのある、ベルメールの人形の集大成でありながら、ローライフレックスで撮っていたベルメールの写真の全貌を収めようとした写真集は、視線のずらせ方は少しではあるのかもしれないけど、結果としてはかなり新鮮な角度でベルメールの全貌を再照射しようとしたものだといえるんじゃないかと思います。
特に人形以外の被写体を捉えた写真が纏められていたのは興味深かったです。人形の写真はそれこそいろんな形で何度目にしたか分からないものも多数あったけど、これは始めてみたものばかりだったから。ほとんどポルノグラフィーといってもいいくらいの写真で、異形の人形を作るほかなかった背後において、作家がどんなイマジネーションに捉われていたか推察できて興味深いです。

巻末の写真に関する解題も、謎めいた写真の素性や背景を探り、モチーフとなってる人形のその後の動向なども解説されていて写真を見る上ではかなり参考になります。人形の中には写真に撮られて知れ渡ってはいるけど現存してないものがあるというのが意外といえば意外。こういうのって、これだけ有名な作家のものだったら確実に保存されてるものだと思ってました。
それともう一つ興味深かったのは本の最後に謝辞として載っていた文章。
わたしの買ったものは最初に出た版のもので、復刊されたものにはどう書いてあるのか知らないけど、本の最後のほうに纏められたポルノグラフィー的な、局部が見えたというよりも局部を見せた写真にぼかしをかけたことに関して、はっきりと作品を毀損したと書いて、その写真の権利保持者への謝罪文を載せていたこと。修正なんていう言葉じゃなくてはっきり毀損という言葉を使ってる時点で、これが刊行された当時でも時代はそれなりに動いていたんだなと思いました。
復刊のほうはどうなってるんだろう。ぼかしそのものをやめてしまってたらいいんだけど、まだそこまではいってないかな。
ティルマンスの海外で出版されてる写真集なんか、あっけらかんと見せてるのが何の躊躇いもなく日本に入ってきてるし、ぼかしを入れなかったからどうなるって云うものでもないと思うけど。

最初に発刊されたものの他に後に復刊されたバージョンも存在して、でも現在のところは復刊されたものも絶版になってる模様です。
古書の価格は意外なことに復刊されたもののほうが高く取引されてるよう。こういうのって最初の版のものが高値になりそうなのに。わたしが買ったのは安かった最初の版のほうでした。






ハンス・ベルメール写真集 (fukkan.com)ハンス・ベルメール写真集 (fukkan.com)
(2004/08/31)
ハンス・ベルメール、アラン・サヤグ 他

商品詳細を見る


わたしが入手したほうじゃなく、復刊されたほう(高値のほう)のリンクです。こっちのにしか画像が用意されてなかったので。
ちなみに本のカバーは写真集としてははっきり云ってダサいというか、この表紙だけだと買う気はほとんどおきません。


人形月 特装版 (Ikki amuseum)人形月 特装版 (Ikki amuseum)
(2006/06/29)
恋月姫

商品詳細を見る


古書で内容を見るとフィギュア欠品というのがほとんどだけど、これをフィギュアなしの特装版状態で買う人なんかいるのか?