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暑中お見舞い申し上げます +【音楽】Eureka - Jim O'Rourke

2014 暑中見舞い



SUMMERに「?」がついて、一体夏の何を疑うのかと思わせるけど、これ、フレームから外れてる文章も入れると、元の文章は「ARE YOU READY FOR SUMMER ?」というものでした。要するにこの写真、夏になる前に、正確に云うと梅雨に入る前に撮った写真だったというわけ。

ということで準備は大丈夫?なんて促されながらも、近畿もようやく梅雨があけたようで、いよいよ夏本番に突入です。
蒸し暑さによる不快感がつきまとう生活が暫く続きはするものの、この季節特有の解放感はやっぱり捨てがたいところがあるので、楽しめる部分は楽しんでいこうと思ってます。
熱中症に気をつけて、いろんな特別の思い出を作りながら、この季節を乗り切っていきましょう。

☆ ☆ ☆

使用機材はNikonのF3HP。フィルムはLOMOの感度100のカラーネガフィルムです。安くてちょっと怪しいLOMOのフィルムなんだけど、微妙な中間色で、わたしには好みの色が出るフィルムだったりします。
最近はかなりモノクロにシフトしてるような感じになってるものの、こう暑くなるとモノクロの自家現像は液温の温度管理が大変で、しばらくは他人任せ現像のカラーフィルムかイルフォードのXP2を多用してることになりそうです。

ちなみに今使ってるのはミノルタのSR505にコダックのフィルムスーパーゴールド400、コンパクトカメラはコンタックスT3にフジのスペリアプレミアム400という組み合わせ。あとはハッセルに既に製造が終わってしかも使用期限切れ間際のフジのリアラエースを詰め込んで、これで今年の夏の写真を始めます。



☆ ☆ ☆


Eureka - Jim O'Rourke


わずかにずらされ揺らぎながら連なる音は、そこにその形で並んでいる必然性は感覚として理解できるものの繋がりは強固ではなく、不意に少しの力でも加わると解けて周囲の空間へと霧散していくような危うさを内に秘めてるといった感じ。その漂うような淡く儚い音の連鎖の中から、牧歌的というか郷愁感に満ちた旋律が浮かび上がってきて、聴いていると自分の中の意外なほど深い部分へと染み込んでいくようです。友沢ミミヨさんが描く驚異のイラストによるジャケットからは予想も出来ない内省的な音楽。まぁ予想も出来ないといっても、このジャケット絵とのギャップや絵柄は凄く好きなので、内容との距離の取り具合は関係なく、このジャケットで、これはよかったとは思うけど。
特に内側に織り込まれてる母親と抱き合うイラストは外見のサブカルぶりに隠れてはいるけど、孤独感だとかその孤独感を包み込むような安堵感に満ちたやさしさだとか、わたしにはかなり内省的な印象がありました。

ジム・オルークはもともとはアヴァンギャルドな音楽をジャンル横断的な形で展開していた人。音楽の形は刻々と姿を変え、事実この思索的なアルバムの次に出たのは結構ロック色が強いものだったし、このアルバムを気に入って他のに手を出したなら結構裏切られる可能性が高いです。
大の親日家だそうで日本のミュージシャンとやったプロジェクトも多く、この衝撃的なジャケットイラストで友沢ミミヨさんを選んだのもそういう関係だったんでしょう。






EurekaEureka
(1999/03/08)
Jim O'Rourke

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【写真】伏見散策ー宇治川派流の紫陽花、静かな商店街。 【音楽】Whatever I Want - Kip Hanrahan

静かな商店街





宇治川派流のあじさい


そういえば紫陽花の写真も撮っていたと、撮ったのは去年だったけど、被写体が紫陽花なら季節はまさしく梅雨時の今と同じ頃。去年の今頃は汗を拭きながらスメ8だとかコンタックスT3だとかコニカビッグミニFだとか、コンパクトカメラを持って伏見の辺りを写真撮り歩いてました。今から思うと夏の終わり以降に伏見稲荷大社に入り浸ることになる予兆というか、同じ伏見とはいっても距離的には結構離れてはいるものの、この頃から伏見がキーワードになっていたような感じです。
そこで、時期もぴったりだし、この時撮った紫陽花を載せてみようと思いついたわけなんだけど、そろそろ梅雨も終わりに差し掛かってきてるかもしれないので、それならばと急いでアップしてみることに決定した次第です。

結局今までのところ、この時期に撮った写真はほとんどブログに載せてません。工場の金属の切粉の写真とかほんの一部を載せたっきり。
あまり間が開くと撮影した時の感覚と現在写真を撮ろうとする感覚が微妙に違ってきてる場合もあるから、今ならこういう風には撮らないかもなんて思い出したら載せにくいところもあります。

両方ともロシアのスメナ8Mで撮影してます。フィルムはコダックのGOLD200。カメラのキタムラで一本300円前後くらいで売ってる安いフィルムです。
前にも書いたけどわが手元にはスメ8は2台あって、一台はケースが欲しくて買ったらジャンク扱いの本体がついていたというもの。ようするに付属品のケースが欲しかっただけなのに、セットになってるものだから本体まで手に入れてしまったというわけ。
この二枚はそのジャンクのほうのスメ8で撮ったものだったはず。確か試し撮りも兼ねていたんじゃなかったかと記憶してます。

ジャンク扱いだったほうは裏蓋を開くとフィルム室が存在してないという状態だったから、てっきりこのフィルム室の部分がもぎ取られてるからジャンクなんだと思ったんだけど、調べてみると初期のスメ8はもともとフィルム室がついてないって言う仕様だったらしいです。あのホルガでさえこの構造はちゃんと持っていたのに、初期のスメナ8Mはトイカメラ以下なのかとちょっと吃驚。中を見て一部がもぎ取られてると思ってしまうカメラなんてそうそう無いです。

下の写真のもやもやとしたハレーションはこれが原因だと思います。要するに光をフィルム面まで適切に導く構造になってないために、カメラ内部で光が余計な反射をしてるということなんだろうけど、でもこういうタイプのカメラは破綻するところも受け入れて使うので、生じるいろんな現象はわりと面白がって眺めたりするほうです。
逆に言うと破綻してるような構造のカメラでも意外とまともに写真が撮れたりするのが驚きのポイントなのかもしれません。
なにしろデジカメなんかは複雑でデリケートな電子回路を経由しないと写真など成立しないって云う感じだから、そういうのに比べると、フィルムカメラは根本的な部分で極めてプリミティブな存在なんだと思います。
ちなみに後期のスメナ8M、わたしが初めから持っていたほうは、フィルム室がきちんと作ってあります。ただこのフィルム室もあまり反射防止の処置がされてない代物なので、結局は反射を防ぐシートを貼り付けるような細工をしてから使ってます。


☆ ☆ ☆

Whatever I Want - Kip Hanrahan



アストル・ピアソラのプロデュースをした面のほうが有名かもしれないキップ・ハンラハンのミュージシャンとしてのデビューアルバムから。ミュージシャンとしては結構アンダーグラウンドな音楽を展開していた人です。

アフリカっぽいニュアンスの入ったパーカッションで始まるものの、それほど祝祭的にもならず、なんだかダウナーでだるそうなボーカルを挟んで他の楽器が参入し始めると、異物が混じりこんだような音的イメージが耳に流れ込んでくることとなります。異物感は次第に肥大化して、聞き流すのが難しくなってくるかも。
70年代後半から80年代初頭にかけてこんな音を作っていたのは、先進的とか言うよりもまるで古いとか新しいとかいった時代性を超越してるようで、参加メンバーがカーラ・ブレイだとかアート・リンゼイだとか曲者ぞろいなのを知ると、その予想的な文脈からの離脱振りにも妙に納得したりします。アート・リンゼイが参加してるところから、これは別の切り口によるノー・ニューヨークというような感じなのかも。

Youtubeの再生画面に出てるモノクロ映像のコメントにマヤ・デレンと書いてあったけど、実験映画「午後の網目」のマヤ・デレンが写真撮ってたのなら、どんな写真だったのかかなり見てみたいです。








Coup De TeteCoup De Tete
(2008/02/29)
Kip Hanrahan

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【写真】岡崎公園周辺 +【音楽】Gogol - Chilly Gonzales

清蓮院前


祇園で写真撮るのに飽きてきたら、八坂神社から知恩院の前を抜けて岡崎公園に向かうような道へと足を伸ばしたりしてました。
でもわたしの印象では岡崎公園周辺というのは、京都市美術館、国立近代美術館と、その間にそびえる大鳥居や、その鳥居の奥にある平安神宮とか、さらにちょっと東に歩くと動物園、そのまたさらに東には南禅寺があったりする広大な地域なんだけど、写真撮るとなると周知の被写体が広い空間内に間を開けて点在してるというような、ディテール感に乏しい、結構難しい場所でもあります。
空間が広すぎて、でも広いということをアピールするほど広大でもなく、個別には存在感がある建築物などがあるものの、わたしには密度の薄い大味な空間という風に思わせる時が多い場所。でも空間そのものを丸ごと切り取ってしまうような撮り方を思い起こす刺激になりそうなところもあって、考えようによっては面白くもなる場所でもありそうです。

この時はたまに訪れたら新鮮な気分で物を見られるかもといった期待と、春に蹴上の浄水場へ行ったのがきっかけになって、暫くやってきてなかったこの辺りへ足を伸ばしてみたという感じでした。
それと、ここに久しぶりにやってきた理由の一つに、美術館の中で写真撮れないかというものもありました。春に桜を撮りに行った旧府庁を思い出したせいで、近代美術館のほうは中でちょっと写真撮ったことがあるんだけど、向かい側の京都市美術館のほうはあまり興味を引く展覧会も無いので近代美術館ほどには行ったことがなく、なかの雰囲気に興味がありました。

最初の写真は知恩院の門の前から神宮道を北に歩いたところにある青蓮院門跡の前辺り。神宮道はそのまま北に歩いていくとやがて大鳥居のところに出てきて、さらに進むと平安神宮の前にたどり着きます。
青蓮院門跡境内の西側にあたるこの場所は楠の巨木があってちょっと見ごたえがあります。




京都市美術館01


これはその美術館の中で撮った写真。結局展示室となってる各部屋は当然撮影できないし、撮れるのは正面玄関から入ったところの玄関ホールと二階に上がった一部の空間だけという感じでした。玄関ホールの構造は中央に上に上がる大階段があって、その階段が二階との中間辺りにある踊り場で左右に分かれて二階のフロアへと繋がってるという、洋館の玄関ホールといえばこういう感じといった王道を行くものでした。
もっと複雑に歩き回れるかと思ってたのに、展示室関係なしに歩けるのはこの玄関ホールの辺りだけのようで、なんだか撮れる空間が限定されてるなぁと思いつつ撮ってみたのがこの二枚。
上のはクール・ストラッティンをやってみようとその場で思いついて撮ってみたんだけど、もう一つ思い通りにはいかなかったです。



京都市美術館02

こっちは結構気に入ってます。美術館の細部を写そうとしなかった、あるいは暗すぎて写せなかった、どちらでもいいけどディテールが飛んでしまってるのが逆に含みを持たせていい感じ。カラーで極端にアンダー気味に撮ると、フィルムの場合は色が濁ってきたりするんだけど、モノクロはディテールが失われるだけって云う感じだからかなりアンダー気味でも結構破綻しないで撮れたりします。



京都市美術館03

京都市美術館の裏手にある池で撮った写真。

☆ ☆ ☆

京都市美術館といえば今月の5日からバルテュスの展覧会を開催中で、これは既に東京では開催されていた展覧会であったようだけど、京都にもやってきてくれたので観にいくつもりでいます。
グルスキー展以来の、期待感のある展覧会。グルスキー展の時のように、大阪まで行かなくてもいいのが助かります。
エドワード・ホッパーの展覧会とか開催して欲しいなぁと思うんだけど、考えてみれば絵画の展覧会は主催者側の学芸員の思惑に完全に縛られてるというか、見る側は与えられるのを待つだけというのがなんとももどかしい感じがします。あまりメジャーでもなく、熱烈なファンが一部についていることはあってもメインストリームからそれほど持て囃されてるわけでもない作家のものなんか、待てど暮らせどやってこないわけで、こうなるともどかしいどころか諦めの境地に達したりしがちです。


使ったカメラはミノルタのNew X-700。レンズはMD ROKKORの50mm 1:1.7。フィルムはイルフォードのXP2で現像は店に頼みました。
フィルム一眼レフは基本ニコン使いなんだけど、写り具合を妙に気に入ってしまって最近はミノルタのものばかり持ち出してます。コンパクトカメラのほうはこの前に書いたナチュラクラシカに入れていたフィルムを全部撮り終え、今度はコンタックスT3にフィルム入れました。暫くはこの組み合わせと中判の期限切れ間近のフィルムを使うのにハッセルを持ち出すような形で写真撮ってると思います。マミヤのRZ67なんていう重たく持ちにくいカメラを使い出すと、あれだけ重いと思っていたハッセルの軽いこと。片手で簡単に振り回せます。


☆ ☆ ☆

Gogol - Chilly Gonzales


雨の日に相応しそうな響きのソロピアノ。どこと無くサティっぽい。
ラテン系の人のような名前だけど、本名はJason Charles Beckといって、カナダ出身の人らしいです。
ピアニストとしてこういうアルバムを出してたりする一方、音楽や映画のプロデュースもするといった、多彩な活動をしてる人。わたしはずっとピアニスト一本の人だと思ってました。というかやっぱり基本はピアニストでピアニストの活動に役立つかもしれないほかの活動も積極的にこなしていたといった感じなのかもしれません。

繊細でどことはなくユーモラスで脱力的でロマンチック。ピアノ一台のシンプルで長くも無い演奏ながら、受ける印象は多面的です。





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(2012/09/02)
Gonzales、ゴンザレス 他

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【写真】祇園 白川 +【音楽】Singin' In The Rain - Doris Day

白川巽橋付近1



七月にはいり、もう少し我慢すればそろそろ鬱陶しい季節の終わりが近づいてきてるような頃合になって、気分としての夏は大好きなので、早くこの雨の季節が終わらないかと待ち遠しい思いに駆られています。光を通すカラーグラスの色だとか、ソーダ水のはじける泡だとか、赤い文字も凛々しいかき氷の幟だとか、木漏れ日の木陰だとか、麻の半袖シャツの手触りだとか、気分としての夏は気持ちの良い涼やかなイメージに満ちてるのに、実際の体感する夏は気分としての夏とは大違いで暑さと湿度に音を上げる日々となるんだけど、それでもこのじとじとした感触しかない雨の季節よりははるかにいいです。去っていくのを惜しまれる季節って春以外だと夏くらいだし、不快指数はうなぎのぼりだけど、生命感に満ちてそれだけ祝祭的で特別な季節なんだと思います。

祇園の白川、巽橋辺りで今年の5月の下旬頃に撮っていた写真。
ここは以前に桜の記事を書いた時にピックアップした場所で、自分にとってはわりと日常的に出歩いてる場所でもあります。

白川というとわたしが知ってる範囲では北のほうから哲学の道や銀閣寺の近くに流れ込んでる白川疎水道があって、これはそのまま岡崎の動物園の辺り(ちょっと前の記事、蹴上の浄水場の近くです)で疎水の流れに合流、その疎水の、今度は国立近代美術館の南側で支流として分岐し柳の並木を傍らに並べてそのまま祇園の辰巳神社の辺りへ流れ込んでいるという認識になってます。
岡崎公園で完全に疎水に分断されてるから同じ名前の別の水流なのかとも思っていたけど、明治期に疎水が作られた時にこういう分断する形になったようで、もとは一つの流れだったそうです。
四条の鴨川縁からこの辰巳神社辺りまでの、白川に沿って京町家と料亭と桜並木を従えた石畳の街路はとにかく京都っぽいイメージの場所というか、おそらく京都の特集をしてるような雑誌なんかではここで舞妓さんを配置して情緒を演出してるようなのが多いはず。
観光客もこの巽橋と辰巳神社のスポットで集まって記念写真撮ってるし、結婚式を行ったカップルの記念の撮影なんていうのにも頻繁に出会ったりする場所でもあります。
舞妓さんも見かけます。でもこの辺りの舞妓さんは観光客のコスプレの場合のほうが多いかも。

最近伏見稲荷から足が遠のいてから、さてどこで写真撮ろうかと決めかねてる時が多く、眩暈が治まり始めた頃合からまた色々と歩き回って写真を撮りたくなってはきてるんだけど、時期を合わせるように梅雨に入ってしまって、そういう決めかねてる気分に拍車をかけているような、なんだかもどかしい状態となりがちです。メリハリのない曇り空の日々の中で、写真撮りに行きたいと思うような場所も思いつかないまま、それでも写真は撮ってみたいという思いに駆られて、見慣れた街角で我ながらまたここかと思いつつシャッターを切ったりしています。
今回の写真はそんな気分や、そういう気分に近い状態で撮ったのが多いということになるんですけど、見慣れた場所で見ようともしなかった視点を探し出して写真を撮るという、ちょっとしたワークショップ的な課題で撮ってみてるようなところもあり、何かの訓練的な効果でもあるかなと思わないこともないです。

☆ ☆ ☆

最初の写真は辰巳神社の前で。この辺りは人力車も頻繁にやってきます。
これ、車輪の影が落ちるのを期待してたんだけど、そういう思惑はまるで反映されなかった写真です。人力車本体があるから影が綺麗にできる日であったとしても車輪だけが目を引く影にはならないかな。
辰巳神社はこのフレームの左ぎりぎりのところで入れてません。この神社と巽橋はとにかく京都的情緒のシンボルのような存在なので、イメージの喚起力が特定方向に強すぎ、フレームに入れるのがかなり難しいです。




白川巽橋周辺2

ちょっとありきたりかな。というか収まりかえって、静的すぎる?



白川巽橋周辺3

白川の鴨川への出口辺りに最近出来た店。ここはチョコレート屋?
上の窓と時計で、実は組み上げたいイメージがあるんだけど、条件が整わなくて未だに成功せず。
時計の写真も割りと好きなイメージかもしれないです。ただ時計は、あまり含みのないイメージとして明確に分かれることがある被写体でもある印象なので、時計だったら何でもいいというわけでもないです。
ここの時計はちょっと含みがあるイメージのほうにわたしのなかでは組み込まれてます。


祇園白川周辺4





暖簾

これだけは最近じゃなく一年以上前に撮ったもの。スメ8で撮った写真で程よくリアリティを喪失してるような感じがいいです。細い路地の向こうに料亭がある、その料亭の暖簾。暖簾のうえに花をかたどった飾りが散りばめられてました。

☆ ☆ ☆

今回の使用カメラはモノクロのほうがミノルタのNew X-700。レンズは時計のが望遠使ったかな。あまりよく覚えてない。他は50mmで望遠は使わなかったんじゃないかという記憶です。使用フィルムは記録してるけど、使用レンズまで記録しても煩雑になるだけのような気がして、こっちは記録してないです。

時計の写真以外はフジのプレスト400の自家現像。そしてその時計の写真はイルフォードのXP2で、これはカラー現像の方法で現像するモノクロフィルムだから自分では処理出来ずに、フォトハウスKのほうで現像してもらってます。
なんだか本物のモノクロフィルムの代用品って云うイメージが最初はあったフィルムだったんだけど、写りそのものは代用品的でもなくて、これはこれで独自の画質を持った、しかも手軽なモノクロフィルムとして使っていいんじゃないかと最近は認識してます。
カラーは上に書いたようにロシアの大衆カメラ、スメナ8Mで撮ったもの。フィルムは今は無きソラリスの100を使ってます。低彩度で雰囲気があって、店で売ってる最後の時期に、それもコダックのOEMになる前のイタリア製のがあるうちに間に合ったのは幸運だったけど、もう使えないのが惜しまれます。
ちなみに感度200のものだけどソラリスのイタリア製のものを一本、使わずに記念にとってあります。使用期限がとっくに過ぎてしまってるのは、使うつもりは無いからまぁいいか。

フィルムで撮る写真はフレームの向こうの世界とこちらにいるわたしとの間に文字通り薄い膜が介在してるような雰囲気があるというか、その薄幕がある分フレームの中に見えるものがカメラの介在さえも希薄化するほどのリアルではなくて、リアルと良く似た形でそこにあるということを意識化し、どれほど精緻なイメージで撮ったとしても、身も蓋もないリアリティからちょっとイメージをずらせて、含みを持たせてくれてるようなところがある気がします。そしてそういうところが使っていて面白いところじゃないかと思ってます。


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Singin' In The Rain - Doris Day



ジーン・ケリーのじゃなくて、ドリス・デイのバージョン。
ドリス・デイの歌声も、癖が無く端正で、結構好き。聴いている時の心地よさは、イーディ・ゴーメ並みかも。
持続する、動きを抑えたオーケストラの上で跳ねるピアノの音というある意味風変わりな編曲も、なんだか雨っぽいというか、愛らしくていいです。