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人の形を成したもの

茶碗坂のほていさん
茶碗坂 2014/07

清水寺に向かう茶碗坂の、寺にはいるちょっと手前くらいの民家の玄関横に堂々と鎮座してるほていさん。このほていさん、わたしは妙に気に入ってしまって何度か写真撮ってるんだけど、なぜかどうも上手く撮れない。うまく撮れないというよりも納得した撮れ方にならないという若干困った被写体でもあります。大体光の当たり具合で強烈な影が出来る位置に立ってるほていさんで、結構光は移ろっていき、その加減が思うようにならないといったところなんだろうけど、この写真は胴体に妙な光が当たる時間帯だったようで、胸とお腹が奇妙な形を浮き上がらせてました。

人を撮るのは大の苦手。街中で写真撮ってると、人というのは結構大きな意味合いの被写体になると思うんだけど、だからといって撮るとなるとかなり敷居が高い。
知人ならともかく、知らない人を写した写真は後で見返してもわたし自身の感覚から云えば結局これは誰なんだと思うばかりであまり面白くないし、根本的に人見知りの内弁慶な人間なので、全くの通りすがりの人に、道を訊くような、知らない人に話しかける誰も文句のつけようがない理由でもあるようなのとはまったく逆の、他人に話しかけるにしてはまるで必要性もないような、撮影の許可を求めることからしてストレスが大きすぎて、気分が萎えます。
アクセント的に欲しいと思うような時には添景として人の姿を入れるようなこともあるんだけど、こういう風に画面の隅っこに人らしいものを入れるのも何だか未練がましいっていう気も最近ではしてきて、こうなると、人らしいものがフレームに入ってたら、珍しく人が写ってるなんて云われるような武田花さんの写真のように、積極的に人を入れない写真にしようかなとも最近は思ったりしてます。

第一わたしはポートレート写真って云うのがさっぱり分からない。とても美人で見惚れるとかいうのだったら分かるけど、しわだらけの老人の写真を出して、人生がどうのこうのなんて云いたそうなものは、わたしは写真は徹底的に表層的なものしか写さないと思ってるから、何だか薄っぺらいヒューマニズムもどきのものを纏って、表層的であることを恥ずかしがってでもいるように、いかにも意味ありげに仕立ててるもののようにしか見えないところがあります。



満身創痍の飛び出し注意
藤森 2014/07

藤森小学校の門の前にいつも立ってる飛び出し注意の子供。満身創痍とでもいえそうな見かけで、飛び出すとこうなるよと、身をもってメッセージにリアリティを盛り込んでるのだろうか。

写真として人を撮ることの意味合いとか未だにいまひとつ理解し得ないところがあり、それは基本的にはわたしの人間への関心の薄さのようなものとリンクしてるんだろうと思います。
でも人の生き様のようなものを描こうとしたりすることにそれほど注意が向かない、というか自分の任じゃないと思ってるにしても、人に関わることにまるで無関係でい続けてるというわけでもなく、人の形については結構興味を持ってるんじゃないかと思ってます。
人の形は呪物の根源にあるものだし、マジカルでとても特殊なもの。
本来の人そのものには臆してしまうことがあるけど、人形好きだったり、マネキンや人の形をした看板なんかを見ると結構嬉々としてシャッター切ってるのは、人の形を取ることで呪物化するそういう妖しげなところに惹かれてるからかもしれないです。

浮輪とマネキン
梅田 2014/07

こういうのを写真に撮ると、いつも思うんだけど、この写真がたとえばかっこいい仕上がりになっていたとしても、そのかっこよさはディスプレイした人のセンスによるものであって、写真を撮った自分にあるものじゃないだろうっていうこと。
そこから、ならば自分の表現にしてしまおうといろんなテクニックを積み重ねてイメージを表現的に組み立てていくか、写真の本義は記録にあるとして記録者に徹するか。まぁこんな極端な分かれ方は実際にはしないと思うけど、シャッターを切るだけで誰でも目の前にあるイメージを簡単に切り取れるカメラという媒体を使う限り、そういうことはいつも頭の片隅に残ってるんじゃないかと思います。

この写真は乱舞する浮輪の様子も面白かったんだけど、マネキンの光の当たり方がかっこよくてシャッターを切りました。





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夏のラフスケッチ 向日葵、さらに六角堂。 + It Must Be True - The John Buzon Trio

枯れた向日葵
墨染 2014/09

枯れた向日葵。夏のイメージそのものの向日葵とはちょっと違うけど、朽ち果てていくものは結構共鳴するところがあるし、こういう状態の花も好きだったりします。
これも前回に書いたようにゴールデンハーフを使ってノーファインダーで撮ってます。全部が全部ノーファインダーで撮ってたわけでもなく、半分半分くらいの割合で、ノーファインダーの時も大体どんな感じになるかは想定してカメラを置いていたから、そんなに予想外のイメージになることもなかった感じです。そして、ひと夏こういう撮り方をしていて、ノーファインダーは面白いけど、気分としてはちょっと飽きてきました。

ゴールデンハーフのファインダーはスメ8に負けないくらいアバウトなファインダーで、レンズの真上についてるから左右はあまりずれないけど写る範囲は、印象としてはファインダーでフレーミングしたのの1.5倍くらい外側まで余分に写ります。このオブジェの上端はこの位置ぎりぎりのところに置く、なんていうことを目論んでフレームに配置しても出来上がった写真はぎりぎりの位置なんてどこ吹く風といわんばかりの状態になっていて、撮った本人も何これと思うものが多いです。
アバウトなファインダーで覗いてしっかりフレーミングしてもあまり意味は無いし、そんなだからノーファインダーで撮っていたところもあるんだけど、基本的にファインダーの覗き窓から外の世界を眺めるという、ちょっと隠微なイマジネーションといったものに捉われてるところがあるから、ノーファインダーで撮ってるとそのうち、やっぱり覗きたいと物足りなさが累積されていくような気分になることが多かったです。


六角堂の龍
六角堂 2014/07

こっちは夏の始まり頃に撮った六角堂の手水場の龍。ミノルタのSR505で、これはきっちりとフレーミングしてスナップ。

花模様
六角堂 2014/09

前の記事に写真を載せた鳥の列、日をあらためて行ってみると、誰かが遊んだのか端っこが花模様に並び替えられてました。ゴールデンハーフで撮ってるからこういう写りのものになってるけど、でもこれは鳥の置物にピントがあってたほうがいいです。これだと何が並んで花の模様になってるのか分からない。この場合、鳥の置物が、っていうのはちょっとした外せない要素のように思えます。
ところでこの鳥の置物、水子地蔵の前にずらっと並べてあるんだけど、最初見たときは、まさか参拝客が自宅から私物をもってきて並べてるとも思えず、お寺の人も片付ける気配も無いのはどうしたんだろうと疑問だったのが、売店に入ってみると謎は一気に解けてしまいました。
これ、鳩おみくじっていうような名前で売店で売ってます。足元に穴が開いていてそこにおみくじが通して入れてある小さな置物でした。以前はこんなものが並べてあったことなんてなかったから、売り出したのもそんなに昔のことじゃないかもしれないです。
おみくじは境内のしだれ柳に結び付けてあって、六角堂の独自のイメージになってるように、それの鳩版っていうことで、こっちもそのうち六角道の風物になるかもしれません。



☆ ☆ ☆



It Must Be True - The John Buzon Trio


The John Buzon Trioは「Cha Cha on the Rocks」というアルバムに入ってた「Don't Worry 'bout Me」が好きで聴いていた程度で、どういうミュージシャンなのかは実はあまりよく知りません。ハモンドオルガンの音が好きだったから、オルガンバンドだったというのが気を引いた理由の一つだったのかも。

ジャンル的にはイージ-リスニング、ラウンジ周辺のダンスミュージックっていうところなんだろうけど、わたしが始めて聴いたきっかけはモンド系列の音楽からだったので、どちらかと言うといささか胡散臭い感じがするというか、昔の日活映画のダンスホールのシーンなんかに出て来そうなイメージがある音楽です。
4~50年前のキャバレーやダンスホールにタイムスリップするような感じとでもいうのかなぁ。
洗練されてる音楽でもないんだけど、その野暮ったさが逆に新鮮に聴こえる時があります。






Vol. 9-Cha-Cha De AmorVol. 9-Cha-Cha De Amor
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Ultra Lounge

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こういう類の音楽を集めたコンピレーションアルバム、ウルトララウンジの一枚です。





夏のラフスケッチ 六角堂 + あの丘を越えて - ファイナルファンタジー9 フィールドテーマ

並ぶ鳥
六角堂 2014 / 07





灯明
六角堂 2014 / 07

六角堂の写真というよりも、六角堂で撮った写真といったほうが正確かも。
何しろ六角形をしたお堂本体をほとんど撮ってないから、まるで全貌が分からない写真ばかりです。
昨日(9月6日)また立ち寄ってちょっと写真撮ったんだけど、やっぱり全体を収めるようなのはどうも決まった絵にならなくて撮れませんでした。

どんなお堂かさっぱり分からない状態にしたままに一応記しておくと、烏丸御池を少し下がったところ、京都文化博物館がある三条通りの一筋南の六角通りに面して建ってる小さなお寺です。
正式な名前は紫雲山頂法寺。北と西を高いビルに囲まれた、本当にこじんまりとした空間の中央に六角形をしたお堂が建ってます。創建は聖徳太子でお堂の北側に太子が沐浴されたとする池があってその傍らに太子堂が建ってます。ちなみにその池を挟んで建ってる北に位置するビルは池坊のビルで、頂法寺は池坊の発祥の地です。今までずっと、池坊のビルがたまたま六角堂の隣に建ってるものだとばかり思ってたら、調べてみると池坊の坊というのはお寺の僧坊のことで、小野妹子を始祖とする僧坊が頂法寺にあって、池のそばにあったので池坊と呼ばれるようになったんだそうです。
でも池坊が始まりは六角堂の一部だったとしても、池坊のビルから池を挟んで六角堂が見えるのは景観的にはいいんだろうけど、六角堂から見える池坊のビルはあまり風雅とは云えない感じがします。もっともこのビルがある光景はあまりにも見すぎてるので、違和感なんかほとんど感じなくはなってます。
それとちょっと不思議なことに鐘楼が境内には無くて六角通りをはさんだ南側に孤立したように建ってること。ひょっとしたら昔の境内はこの範囲まであったのかと思うところもあるけど、山門が六角通りに面して開いてるから、鐘楼は山門の外にあるという形になっていて、やっぱり妙な感じです。それともこういう建て方はわたしが知らないだけで一般的なものなのかな。
コンパクトな境内の中央に六角形のお堂が建ってるだけのささやかなお寺だけど、観光客もたまにはやってきてる様子。人の数は清水なんかに比べると圧倒的に少ないので、雰囲気を楽しむなら意外といいところかもしれません。
境内にはかなりの鳩が居ついて、売店で売ってる鳩豆を持ってる人を見つけたら、境内中にいた鳩が一気に襲撃してきます。ちょっと怖い。

六角堂の白鳥
六角堂 2014 / 07


池坊のビルと頂法寺の間にある池にはでかい錦鯉と数羽の白鳥がいます。
白鳥は池の畔まで平気でやってくるので、かなり近くから見ることが出来るんだけど、見かけによらず結構獰猛な鳥のようで、生垣で区切った畔には噛み付くから手を出すなといったような注意書きが建てられてたりします。
この白鳥、いつもこういう足の角度でいるから何か足の病気なのかと思ってたけど、こういう足の休め方をすることもあるようで、特に不自由になってるのでもなさそうです。


風になびく
六角堂 2014 / 08


☆ ☆ ☆

最初の三枚がミノルタのカメラSR505で撮ったもの。レンズは標準と望遠を取り替えながら使ってるのでどの写真がどっちのレンズって云うのはあまり記憶がないんだけど、おそらく望遠だと思います。ちょっと広角の練習もしてみたい。
最後の一枚がこの前の記事に書いたゴールデンハーフで撮ったもの。ノーファインダーでカメラを上に向けて風ではためく様子をスナップ、のつもりだったけど、あまりはためいてません。



☆ ☆ ☆



あの丘を越えて - ファイナルファンタジー9 フィールドテーマ


暫く前からニコ動でゲームの実況動画を見ていて、最初はバイオハザードなんかのホラーゲームをキャーキャー言いながら実況してるのを見てたんだけど、そのうちFFなんかの実況も見ることになりました。FF7、8,9辺りの実況をいろいろと見てるうちに、何だか懐かしくなってFF9をまた中古で買ってきたりといったこともしてます。
わたしのところでTVに繋いでるのはPS2とPS3なんだけど、FF9のような初代PSのソフトって、PS3でも問題なく動かすことが出来るんですね。またソフトを中古で買ってみようと思った時、遊ぶのに初代PSもまた買わなければならないのかと思って調べてみたんだけど、その時までこんな古いソフトがいまのPSで遊べるなんてまったく知りませんでした。メモリーカードもPS3では仮想メモリとしてハードディスクの中に設定されるし、至れり尽くせりのような環境だと知ってしまったからには、他の初代PSのソフトもまた遊びたくなってきそうです。
FFは11でオンラインゲームになった時点で遊ぶのをやめてしまい、その後12、13とソフトは買ったものの、ゲームから気分がちょっと離れてしまったので、いまだプレイしないまま放置状態となってます。
今回の音楽はその中でFF9の音楽から。植松伸夫さんが作り続けていたFFの音楽はどれも凄く好きなんだけど、FF9で主題歌になっていたメロディーオブライフが今も耳に残ってます。歌は白鳥英美子さんが歌っていて、歌バージョンは以前にここに載せたことがあるので、同じメロディが姿を変えて使われていたフィールドを移動する時のBGMを載せてみます。

FF10-2までで面白かったのは6~10辺り。正直なところ5以前のものはあまり記憶に残ってません。
そのなかでシナリオ、演出で秀逸だったのはFF7かな。主人公が心の底に閉じ込め、秘めていたものを直視した時に開示される、ミステリ顔負けの、まさしくとびっきり意外な真相だとか、ヒロインがやろうとしていたことが次第に分かってくるところとかわたしにはちょっと鳥肌ものの箇所がいくつかあったシナリオでした。ディスク1の終了の時に対面することになる出来事も凄かったです。実況してる人の反応を見てると、この場面では絶句、茫然自失、そして泣くっていうのがほとんど。FF7の実況はこの部分のそれぞれの実況者の反応を見るのが面白いです。




夏のラフスケッチ + Minha Namorada - Neco and the Ipanema Strings

模造の鳥かご
寺町 2014/08

今年の夏が始まる時に、こういうカメラにフィルム入れて準備万端!なんて云うようなことを書いたけど、まさかこんな夏になるなんて予想もしてなかったから、思惑は大外れとなりました。
その場で足踏みして様子を伺ってるような性格の悪い台風が現れた頃から、台風が去れば天気も持ち直すだろうと思っていたのが、その後も一向に晴れ間も見せてくれない、曇りと雨が交互にやってくるような日々が延々と続く羽目になって、夏に持ち出すつもりでフィルムを詰めたハッセルなんか今のところ結局一度も触りもせずに夏が終わってしまいそうな気配になってます。ハッセルに詰めたブローニー、使用期限は七月末だったのに。しかも同じ期限のフィルムがまだ二本も残ってるし。
夏らしさといえば、一番遠慮したい酷暑だけが例年を上回るような勢いだったから、この点でも大層なカメラを持ち出す気にならず、一度コンタックスT3を持ち出した日があったんだけど、炎天下を少し歩いただけで黒いチタンのT3は熱したフライパンのように熱くなって吃驚。こんなに火で炙られたようになったらカメラも絶対に痛むだろうと、なおのこと今年の夏は本格的なカメラを持って出ることもなく過ぎていくこととなりました。

かといって外出時にカメラを持ってないととんでもないものを忘れてきたような気分になるから、今年の夏は久しぶりに気楽なトイカメラを中心に持って歩き回ってました。
最近もずっと持って出歩いてるのはゴールデンハーフというトイカメラ。名前から予測できるようにトイカメラでは珍しいハーフサイズのカメラです。ハーフカメラは今現在オリンパスのEE-2にもフィルムを詰めて持ち歩いてる最中だから、今夏はハーフサイズ三昧の日々となってます。
今時フィルムが倍撮れるなんていうことで喜ぶ人も極めて限られてるだろうけど、これだけのことでも気軽にシャッターが切れるという気分になったりします。
思えば去年の夏もオリンパスペンFで撮って、あとで「この夏見ようとしていたもの」なんていうタイトルで記事にしてたように、ハーフカメラ三昧の日々でした。今回のはペンFのようにレンズ交換できるカメラじゃないので、目的の望遠一本だけ選んで撮って、距離の圧縮効果で平面的な絵画的印象にしようとした去年のものとは、同じハーフカメラで撮ったものだとしても印象はそれなりに違ってると思うけど、変化があるほうが面白いんじゃないかと思います。


鉢植え
新風館 2014/08




氷
六角通 2014/08

今のところ今夏このゴールデンハーフで撮ったのはフィルム2本と今現在入れて撮ってる最中のが1本という進捗具合。
EE-2のほうも夏のフィルムは1本撮り終えて2本目にかかってる最中となってます。
ちなみに今回の写真の使用フィルムはコダックのスーパーゴールド400の24枚撮りでした。
カメラそのものがラフなカメラだからというわけでもないんだけど、意図的にノー・ファインダーで、またピントが合う最短距離もほとんど気にしないで撮ってることが多いです。最短の撮影距離が1.5mらしいというのは一旦脇に置いておいて、撮ろうとしてるものの10cmくらい近くまでカメラを持っていって、そのままファインダーでどう写ってるか確認せずにシャッターを切るようなやり方。それとストロボも積極的に使ってます。

ファインダーという枠を通して世界を見ることへの偏愛のようなことを以前に書いて、このやり方は以前に書いたのとは矛盾するんだけど、ファインダーを覗くとどうしても構図的なものが頭の中で動き始めることも多く、こういう、云うならみんながいいとする枠組みのようなものに合わせてしまう自分の感覚の凡庸さに倦んで来るような時、そういうのとはちょっと違うところへ着地させられないかと思うこともあったから、こういうラフな撮り方は自分の中ではそういうのを試してみてる意味合いもあるんじゃないかと思います。
立派なファインダーだと無視するのもなかなかやりにくいです。

☆ ☆ ☆

ちなみにゴールデンハーフってこんなカメラ。

ゴールデンハーフ

形はコダックのボックスカメラ、ホリディにそっくり。大きさがうんと小さくなった以外は権利関係大丈夫なのかというくらい似てます。
今はもうカメラ自体は製造してないようだけど、京都の話でいくと何店舗かあるヴィレッジヴァンガードにまだ売れ残ってるのが棚の上のほうに埃をかぶって置いてあったりします。でも売れ残りでも5000円前後の正価の値札のままで、とても高い。面白いカメラだけど、この値段出すならわたしならオリンパスペンのEE-2のほうを買ってます。
わたしの持ってるのはキティちゃんヴァージョンのもの。実は向かって左下にキティちゃんのプリントがあったんだけど、ここ、ちょうど指が当たるところで、キティちゃんはあっというまに剥げ落ちてしまいました。総体にプリントはヤワヤワで、カメラの表面にインクを乗せてるだけという印象。わたしのこれ、そのうち真っ白なカメラになりそうです。
写りは見た目のトイっぽさにもかかわらず、実はかなりまともに写ります。自分で思うには、最短距離を無視して撮ったりするのはそのままだとまともに写り過ぎるからというような意識もあるのかもしれないです。
絞りは晴れと曇りとフラッシュ時の3種類の切り替え。晴れの時の絞りの値は説明書によるとf11でシャッターは1/100の単速らしいから、感度400のフィルムを入れると晴天の日向で2段くらい露出オーバーになるのかな。オーバーの度合いはフィルムの許容範囲だから、感度400のフィルムで日向から薄明るい日陰くらいまでを撮影範囲にした設定といえると思います。日向からの光が回り込んでこないような影の部分は感度400のフィルムだと、絞りをf8設定の曇りにあわせて一段開いてもぎりぎりくらいで、撮影するのはちょっときついかも。
だから完全にお天気カメラという性質のカメラで、撮影状況を広げようとするなら、フラッシュは必携となります。このカメラは、何の調節も出来ない、ただ光らせるだけという仕様でも、ホットシューが装備されてフラッシュがつけられる仕様になってます。これってゴールデンハーフのちょっとしたチャームポイントになってると思います。

使っていて思ったんだけど、ほとんど何もすることがないカメラだから総てが分かりやすい存在かと言うと、むしろある程度露出の体感が無いと、真っ黒なコマを量産してしまう可能性があるので、晴天順光以外の条件で撮ろうとするなら、意外とハードなカメラになってしまう側面もあります。
大体どんな明るさでもシャッターが切れるから、ストロボが必要な状況かどうかも分かりにくいし、その点ではここは暗すぎて写せないとカメラが教えてくれるペンEE-2のほうがよっぽど簡単だったりします。



☆ ☆ ☆

Minha Namorada - Neco and the Ipanema Strings


このジャケットのイメージとネコなんていう名前で勝手に女性ギタリストだと思ってしまうけど、実は男のギタリストです。
60年代のブラジル音楽で代表的なギタリスト。
全体的には今で言うところのラウンジっぽい感じで、この前のと同じく夏の午睡にぴったり。粒が揃ったギターの音は引っ掛かりもなく、聴きやすくなってます。でもイージーリスニング的ではあるけど、グルーブのあるタイム感で結構表情蓋かなフレージングや、粒のそろった音を併せ持って、わたしは意外とテクニカルな人っていう印象を持ちました。
曲は作曲がカルロス・リラ、作詞がヴィニシウス・モライスという美しい曲。邦題は僕の恋人なんていうベタなものがついてます。






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