fc2ブログ

古い煉瓦の校舎にて

ハリス理化学館2F
ハリス理化学館 2014/04

今年の春ごろに同志社の中に潜り込んで撮った写真。同志社といえば煉瓦作りの校舎が美しい学校として知られてます。ロケーションも今出川通りをはさんで御所に隣接してるし、北側は相国寺、東に少し歩けば鴨川で、周囲の環境も京都的な風情があります。
でも、こんなに風情があるのに学校側はそういうことがどれだけ同志社を嗜好する気分に関与してるのか知らなかったのか、確かに勉強するだけなら校舎が煉瓦であろうがなかろうがまるで関係はないんだけど、いつの頃だったかかなり昔に、学校の一部を京都の南のほうの郊外である田辺に移転させるなんていうことをしてしまいました。
このニュースを知った時、「え~、何で??同志社はあの場所であの煉瓦作りの校舎があってこそいいのに」なんて思ったことがあります。最近になって田辺のキャンパスにあった一部の学部を再び今出川のほうに統合してるようで、田辺のほうはどうも縮小気味らしく、今出川のほうが手狭になった結果の田辺移転だったと思うけど、今出川キャンパスでの再統合のほうがわたしはいいように思います。
京都の大学も色々と郊外のほうに一部移転だとか拡張だとかしてるところが多くて、でもどこもやっぱり創設の地に有るほうが一番雰囲気はいいです。



明徳館
明徳館 2014/04



数年前に一度やってきて写真撮ったことがあり、その時の写真は確か一枚だけだったと思うけど以前の記事に載せたことがあります。だから写真撮りに来たのは初めてではないんだけど、この前の時は結局キャンパス内、深くには入らなかったから、今回は内部に潜入してみることに。
昔ここに来ていたとはいえ、どう見ても学生じゃない外見で、カメラ持って門をくぐるのは、何しろ門の傍らに門番、と云っては語弊があるかもしれないけど、そういうタイプの人がいて、そこから必ず品定めするような視線を浴びせられたあげく、「ちょっとそこの人」と止められるかも知れないと思うと、ドキドキものの瞬間でした。まぁ実際は大手を振って通り抜けてもこちらは見向きもされないって言うほうが正解だったんだけど。

今出川キャンパスの中は時を経て、まるで同じようなところもありながら全然違った様子になってるところもあり、微妙に記憶と食い違っています。というか細かい枝道の曲がり角がどんな風に連なっていたとか細部の印象なんかほとんど忘れてるので、ここはこんなに変ったんだと明確に確認できるわけでもなく、なんとなく記憶にある世界にいるようでどうも違う世界に来てしまったような不思議な感覚で歩き回ることとなりました。
図書館はまるで変らずにそこにある印象。創設時からあるんだろうと思わせる重要文化財に違いない礼拝堂なんかも変らないまま。反面この写真撮った明徳館はここにこういう校舎があったのは覚えてるものの、中はこんなだったかとまるで記憶にないところに来たような感じでした。

まぁそんなちぐはぐな感覚を抱いたままキャンパス内を歩いてみて、煉瓦作りの古い建築の、いろんな絵になる細部を撮れないかなと思って来てみたのに、そのうちあまり撮りたくなるようなものもないなぁって言う印象のほうが強くなってきました。
新しく建った校舎もイメージを統一するために煉瓦の壁面だけど、一見した印象ではそう見えるだけの外壁材で出来上がってるようで、あるいはそうじゃなくて本物の煉瓦だったとしても、真新しさのせいであまり風情があるようにも見えない。校舎内部は、旧府庁で撮っていた雰囲気と大して変らなかったり、授業をやってたりするからあまり近づかなかったんだけど、教室なんかは単純に学校の一室って言う雰囲気に見え出すとどうも撮る気にはなれなくなってました。
というわけで、学内では歩き回ったわりに、あまり写真が撮れずに終了。でも何だか気分を変えればまた何か写したくなるものが現れてくるかもしれないという気もするので、再び写真撮りに出かけてみようと思ってます。

春先のこの撮影は2~3日くらい通っていて、その間煉瓦校舎の周囲を右往左往するだけじゃなく、同志社の構内を離れて、周囲の街中も散策してました。
同志社の東側に、正確な名前は忘れたんだけどアメリカン・センターっていうような施設、アメリカの文化を紹介してたり小さな図書室やギャラリーなんかが併設されてる施設が昔あって、これがちょっと懐かしかったから確かこの辺りと思っていってみたけど、影も形もなくなってました。ひょっとしたら探す通りを間違えてた可能性もあるので、今度行ったらまた探してみるつもり。戦後のアメリカ美術が好きだったから、ここの図書室でジャスパー・ジョーンズの画集なんか眺めてたのを思い出します。



理化学館 塔状のエリア
ハリス理化学館 2014/04





螺旋
ハリス理化学館 2014/04






有終館
有終館 2014/04


明徳館以外はニコンF3.、フィルムはフジのプレスト400を自家現像してます。次に自家現像する予定のモノクロフィルムは今トイカメラのワイドレンズカメラに入れてあります。まだ一枚も撮ってはいないけど、涼しくなってからの自家現像再開の1本目になりそう。

有終館の写真はニコンのマニュアルフォーカスのレンズ、Ais35mmで撮ってる筈で、わたしが持ってるそのAis35mmは鉛レンズを搭載してるものでした。鉛の使用が環境問題で出来なくなる寸前の、鉛含有としては最終版のようなレンズで、店の人に鉛が入ってると他のレンズとどう違うのか聞いてみると、気にする人は多少はいるけど、そんなに画質は変わらないっていうことらしく、あまり変るところもないということでも、他のと大して値段が変らなかったし、新品同様っていうことだったので、ものは試しと購入してみたレンズでした。
何だか緻密に写ってるようなのはこの鉛含有レンズのせいなんじゃないかと思います。カラーフィルムで撮ってみると、異様にギトギトした色合いになることが多くて今ひとつだったけど、モノクロは本領発揮というところなのかな。
鉛筆の細密画だとか銅版画みたいな、硬質のリリシズムのようなものが出てこないかなと思ってます。
版画といえば、フィルムって考えようによっては版画なんですよね。これがデジタル写真と決定的に違う要素なのかも。
だからどういう絵作りをするという方向には今のところ発展してはいないけど、そのうちいつかこういう考え方がなにか写真に刻印をつけることがあるかもしれません。







スポンサーサイト



ラフスケッチ 鋭角的な理髪店、Bと風車 + Don't Bother Me / Till There Was You - The Beatles

バーバー
2014/09



いつもタイトルをつけるのに頭悩ますのに、これは「バーバー」あるいは「理髪店」以外にないだろうと、こんなにすっきりとタイトルつけられたのはひょっとして初めてだったかも。ただ、「バーバー」あるいは「理髪店」とつけても、さらに不可解さを増すために「鋭角的」なんていう形容を付け加えても、タイトルの意味合いはだからどうなんだと問い詰められれば一言も返す言葉を用意してないほどにほとんど無意味ではあるんだけど。ようするに散髪屋さんに思い入れがあって撮った写真じゃないって事。
自分の撮る写真は本当は大半を「無題」にしておきたい。でも記事のタイトルを全部無題にすると後で何の写真を載せた記事だったかさっぱり分からなくなるので、そういうこともできないままに続けてます。

実はこれを撮った日、ここで3回ほど写真撮ってます。いつもガラスがあればもっと反射を!と願うほうなんだけど、この場所はガラスに反射像が入って欲しくなかったから、シャッター切った瞬間、誰か通った人が写りこんだかなと思って撮り直し、二枚撮って一旦この場を立ち去ったのに、歩いてるうちにさらにもうちょっと椅子を画面に入れたほうが良かったかと思い始めて、もう一度戻って撮り直し。結局一番最後に撮ったのがお気に入りの写り方(この写真です)だったので、撮りに戻ったのは正解でした。こういう撮りなおしって、結局最初のひらめきが一番良く、どこをどうしたほうがよさそうなんていう、手直し的思考が介入すると、破格であった部分まで切り離して勢いを失うというような結果になることが多いので、最後に撮ったのがよかったと思えるのもあまりない経験でした。

幾何学的な、ロシアンアヴァンギャルドだとか、バウハウスなんかにありそうな感じで目に止まった場所でした。何か明文化できるようなテーマだとかで撮るよりも、色とか形で反応してるようです。冷たい感じのメタリックな椅子と、ガラスに書かれたロゴが白い壁に投影されてるのがかっこよかったです。





風車とビニール傘
2014/09




タイトルをつけるとしたら「Bと風車」っていうところ。基本無題にしておきたいのにタイトルをつけるとなると、わたしの場合は内容を的確に示すというよりも、意味不明の方向に何とか持っていこうとする傾向でもあるようです。
こっちもエッジが立ったオブジェばかりが集まってる感じなので、個別に眺めていた時はそうも思わなかったんだけど、理髪店のと並べてみると、似たようなロシアンアヴァンギャルド的な雰囲気がないこともないって云う感じかな。撮ったのは文化博物館の近くにある雑貨屋の前でした。

いつ行っても大抵同じ場所に同じものがあるという、こういう決定的瞬間でもなく、演出としてセットアップされたものでもない対象を撮っていて思うのは、このカメラ持って立っていた私の足の位置に立って、同じ高さで同じ角度で同じ天気の同じ時間帯に、同じ画角のカメラでシャッターを切れば、同じ写真が撮れるんだろうなぁということ。こういう行為を自己表現のような文脈で考えると、何しろ極端に言えばただシャッターを切っただけの行為でありそれは他人にも置換可能な行為でもあるから、あまり馴染まないところがあるように思えます。
これは写真が、こういう媒体としては唯一といってもいいんじゃないかと思うけど、基本的に修練なしに誰もが人差し指さえ動かせれば簡単に撮れるものだということも大きいような気がします。絵を書くとか楽器を演奏するとか、まず練習して基礎的な技術を習得しないと、まるで話が始まらないのとは正反対。そんななかであえてオリジナリティを主張するなら、この鋭角的な理髪店を撮った時にわたしが立っていた位置を、わたししか写真が撮れない位置という扱いにするしかなく、考えるまでもなくそんなナンセンスなことはありえない。
だから、基本部分で、カメラは誰にでも使える、シャッターさえ切れるならその場にいた撮影者でさえ置換可能だという特徴を、今までの良く理解していた表現物の文脈に押さえ込もうとして、あえて細工していく独自の表現とかテーマ主義のようなもので補強してるところもあるような気がします。絵画なんかに比べたらこんなに新しいメディアなのに、写真やってる人はやたらと師匠、弟子のような古色蒼然とした徒弟制度に寄りかかろうとするのも、ひょっとしたら表現行為としての写真の持つ根なし草的な寄る辺なさの性なのかもしれません。
でもわたしはこういう自己表現だとかテーマだとか、そういうものとまるで関係なしにシャッターを切るだけでも成立してしまう写真という領域は、それゆえに面白いと思うほうだったりします。バウハウスが写真を積極的に取り入れたのも、カメラさえ持っていれば、この誰もが修練なしに簡単に関われるということが理由の一つだったと聞いてるし、わたしは自我とか自己とか、檻のようなものだと思うところもあるので、手を加えて表現物的な方向を目指したりテーマの従属物的な扱いにしたりするその裏面で、自我の檻の境界をあいまいにしてくれそうなところがいつも寄り添うようにしてあるのも、カメラで写真を撮るという行為を気に入ってる理由の一つなんだろうなぁと思ってます。


使用したのはキヤノン7。ズミタールとインダスターをとっかえひっかえ使ってます。
少し前の記事でわたしのキヤノン7は露出アンダー気味と書いたけど、他のカメラで撮ったのも似たような傾向なので、ひょっとしたらスキャナーの調子が悪いのかも。ネットで買った一万円しなかった型落ちのキヤノンのフラットベッドスキャナー、Canoscan 8600Fっていうのを使ってフィルムを取り込んでるんだけど、もう限界なのかなぁ。ガラスは内側から曇ってるようで取り外せないからふき取ることも出来ないし、フィルムのような透過原稿以外のものをスキャンする時に上蓋の裏側につけておく板は爪が折れて止まらなくなってるのでビニールテープで止めてるような状態になってます。
これ、プレビュー画面と取り込んだ画像の色がはっきりと違うなんていうくらい性能は大したことないんだけど、安いのにブローニーフィルムもスキャンできて便利でした。しかしいくら便利でも上手く動かなくなりつつあるのならこれはどうしようもないわけで、何だか出費を迫られそうで頭が痛い。

ちなみにわたしはこの類のスキャナーをずっとフラットヘッドだと思ってました。気づいたのは数年前だったけど、正確にはフラットベッドです。


☆ ☆ ☆


Don't Bother Me - The Beatles


もう一曲、ビートルズ時代のジョージの曲。収録されたアルバムの中では捨て曲扱いしてる人もいるけど、わたしはこの曲も結構好きでした。
どこがどうだからといえないんだけど、云われてみるとなるほどジョージの作った曲っぽいと思わせる部分が多々あるというか。
闇の中から斜光で半身が浮かび上がる超有名なジャケットの、ビートルズとしては2作目になるアルバム「With The Beatles」に収録。ジョージのものとしては始めて世に出た曲でもあります。このアルバムはイギリスで63年にリリースされた、今は公式アルバムの扱いだけど、アメリカや日本では違う形でリリースされていて、レコードは収録曲違い、ジャケット違いで数種類存在します。以前にそういうヴァージョン違いのもセットになった形でCD販売されたんじゃなかったかと思うけど、今はおそらく公式のこの形のみになってるんじゃないかな。
初期ビートルズのアルバムは本当に輝きに満ちてる。このアルバムでは全曲オリジナルじゃなくて、14曲中6曲が当時のR&Bなんかのカバーなんだけど、わたしは一度もとの曲はどんな感じだったんだろうと思って探せたものをいくつか聴いてみた事があって、どれもこれもビートルズのカヴァーしたもののほうがかっこいい、元の曲はそれなりの時間の刻印を押されて、その時代のかっこよさに留まってるのに、ビートルズのものはオールディーズ的な雰囲気にはほとんどならないのに吃驚。
ブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンなど、当時のビートルズのサウンドやイメージコンセプトのようなものを作り上げていったスタッフの先を見通す力(眼力です)が突出していたのは明らかで、総ての曲でオリジナルを越えてしまってるのを初めとして、リーゼントをやめさせてマッシュルームカットにしたことや、革ジャンからスーツに着替えさせたこと、上に書いた斬新なアルバムジャケットデザインとか、やろうとしたことのほとんどが通例の発想のようなものを飛び越えていたんじゃないかと思います。

あと、このアルバムには「Till There Was You」が入っているのも、わたしには大きなポイントになってます。曲はミュージック・マンというミュージカルに出てくるもので、ビートルズのオリジナルじゃないんだけど、デッカのオーディション・テープにも入っていて、メジャーデビューする前から演奏していた曲の一つでした。
ポールのロックンロール以外の音楽的なルーツが垣間見える感じ。ポールはペギー・リーが歌ったのを良く耳にしていたらしいです。

Till There Was You - The Beatles

63年のイギリス王室主催のロイヤル・ミュージック・パフォーマンスでのライブ映像。
デッカのテープのほうはまだちょっとこなれてない感じが残ってるんだけど、これを見るとライブでもほとんどレコードの印象通りの演奏してます。メジャーデビューしてから腕も上がってる感じです。
エリック・アイドルが真似してたけど、首振りすぎ。








With the Beatles (Dig)With the Beatles (Dig)
(2009/09/09)
Beatles

商品詳細を見る









伏見稲荷大社にて 8 四つ辻から頂上に向かうもう一つの登攀路 + Savoy Truffle - The Beatles

眼力社へ向かう道
稲荷山 2013/10

何だかいかにもっていう風な逆光の写真。逆光は勝利というけれど、確かにドラマチックだったり柔らかい雰囲気演出ができたりと、見栄えはよくなるんだけど、どうもいささか類型的になりがち。というか、逆光時のこういう雰囲気って云うのを頭において狙ったりするから類型的になるのを前提で撮ってるようなところが、どこかにあります。
写真にはそういう上手い写真に見える撮り方とか記号めいたものが色々とあって、その様々な撮り方や記号めいたものは意外とその振幅の幅が狭いという印象です。電気楽器の調節つまみの目盛りの数は決まっていて、その目盛りを逸脱したところまでつまみを回せない、その目盛りを越えた音は絶対に出せないっていう感じに似てるというか。この目盛りを越えてるように見せるのが腕の見せ所なのかもとも思わないでもないけど、その辺はどうなんだろう?
逆光を使って今までに見たこともない写真とか、まぁ大した数の写真を見たわけでもないけど、わたしの場合はあまり目の前に現れてこない。タルコフスキーがポラロイドで撮った写真を集めた写真集を持ってるんだけど、これがまた8割がた逆光で撮った写真で、雰囲気があって綺麗と思う反面、それがこの作家の映像感覚の基盤にあるんだろうとはいえ、何もここまで均一的に逆光でべったりと塗りつぶさなくてもと思ったことがありました。
とそんなことを考えていても、逆光の写真がドラマチックな類型になるにしても、実際にそういう光の現場に居合わすとやっぱりシャッターを切ってみたくなるもので、手元にはどこかで見たような逆光写真が数多く溜まっていくこととなってます。

これは稲荷山の中間中継地点である四つ辻から前回書いた方向とは逆に、時計回りで登り始めたところで撮った写真。

伏見稲荷大社の稲荷山登攀の話はまだ最後まで書いてなかったので、久しぶりに書いてみます。お稲荷さん自体は前の稲荷山の記事に書いたように、春に眩暈を起こしてから秋の初めの今に至るまで結局足が遠のいたままとなってます。最後に稲荷山に登ったのはいつのことだったかな。
眩暈が治まるころには梅雨に入ろうかという季節になっていて、本当に治まったのかどうか、一応今は眩暈はしてないけど、数分後に横になった時にまた世界がジェットコースターのように荒れ狂って回転しだすんじゃないかという不安を前にして過ごす日々の中で雨の日々に突入、そのまま天候不順の夏に移行して、天気が良くても真夏にあの山を登る気にもなれなかっただろうから、雨がちの夏はさらにわたしを稲荷山から遠ざけることとなりました。
こんな感じで今のところ足が遠のいて、さらに写真撮るにはちょっと見慣れたところが多くなりすぎてはいるんだけど、過ごしやすい気候になってきたら、山上の眼力社にはまた灯明をあげに行きたいと思ってます。

ということで今回は登攀路の中間地点である四つ辻から、前回の記事とは反対回りになるルート、眼力社を経由するルートで頂上を目指して歩いた時に撮った写真。

四つ辻から時計回りの方向に参道を選んで歩いていくと、それまでの登り階段が嘘だったように平坦な道が続きます。歩いた感じというか周りの雰囲気だと若干湿地帯的な空気感があるような場所。それで、そのうちまた上り坂になるんだろうと思って歩いてるとそれほど距離を歩かないうちに御神蹟が見えてきます。

頂上までに目の前に現れる御神蹟は時計回りのルートではまず大杉社に始まって、眼力社、御膳谷奉拝所、薬力社、長者社(御劔社)と続きます。
それほど四つ辻から離れてるでもない大杉社が見えてきたら、次の眼力社は感覚的にはほんの数件先というような位置にあり、さらに御膳谷奉拝所は眼力社の前を通り過ぎたら到着してるといったくらいに、ほとんど隣接した位置にあります。
ここまでは稲荷山は上のほうに来ると意外と楽だと一息つきながら平坦な道を歩く感じで、その後少し上り坂を挟んで薬力社、さらに、また登りの参道が始まったのかと思わせる鳥居の石段を少し登って長者社へ到着。でもリズム良く様々な社が目の前に現れるのはここまでで、ここから先、頂上までは薄暗い森の中に敷かれた、一応鳥居も建ってるんだけど、まばらで、おそらく倒壊してしまった鳥居の土台跡が放置されたままのような参道の石段を延々と登ることとなります。
結果的に云うとじつはこの森の中の参道はそれほど距離があるものでもないんだけど、延々と上り坂が続くし、区切りとなるような御神蹟の社も現れてこないので、全貌が分からないで歩いてるとまず間違いなくいつまで登り続けるんだって言う気分になると思います。



眼力社
眼力社 2014/01





眼力社2
眼力社 2014/01




ちょっとこの時期に撮った写真を見直してたら、この一連の社のなかで、まるで写真撮ってないところとやたらと写真撮ってるところが混在してるのに気づきました。全然均一じゃない。四つ辻から歩いて初めて出会う大杉社なんて、眼力社に行くのに必ず前を通ってるにもかかわらず、一枚も写真撮ってないし、同様に薬力社もまるで写真撮ってません。後で見渡してみるとなんだか自分と関係ありそうな場所っていうのを無意識に選んで写真撮ってたような感じがしてます。

眼力社が稲荷山で一番お気に入りの場所。
物事の先を見通す眼力と眼病平癒に関わる御神蹟で、生きることの目的の大半を視覚を巡るものに求める以上、目の病気から遠ざかれることは大歓迎だし、物事の先を見通す力もあったほうがいいなんていうものじゃなく、とても大切なもの。
稲荷山では特に人気がある場所で、株や相場をやってる人が良くお参りに来るらしいけど、眼力は写真撮るのにもあって困ることはなさそうなので、ちょっとおすそ分けして欲しいなぁと、稲荷山を登った時は眼力社で灯明をあげることにしています。
手水場の狐がユニーク。こんな姿で現れる狐は稲荷山ではこの眼力社だけです。

眼力社の前には御神蹟の世話をしてる家系の人が居を構えていて、そこが眼力さんへの供物やお土産の販売所にもなってるんだけど、その販売所の前に設置してある床机で一服していた時、やってきた参拝の人と世話してる家の人が話をしてるのが聞こえてきたことがありました。
聞いてみると、やってきた人は、願いがかなったので、これからもよろしくしてもらおうと思ってお参りにきましたっていうようなことを話してました。こういう場所で実際に願い事がかなったといって、御礼に来てるような人を見たのは初めてだったので、床机に座りながら耳をダンボにして聞いてたんだけど、何だか灯明をあげる勢いがそれから幾分増したような気がします。



異界 御膳谷奉拝所
御膳谷奉拝所 2014/02




眼力社を過ぎると感覚的にはほぼ隣の家という感じで隣接してる御膳谷奉拝所にやってきます。おそらくここが稲荷山で一番異界っぽい雰囲気のところじゃないかなぁ。広いエリアに、合間に狭い通路を設けつつ広がるおびただしい数のお塚の集積。パワースポットの真っ只中にいると皮膚で感じることが出来るような場所です。

御膳谷奉拝所には昔、御饗殿、御竈殿という建物があって、ここで三ヶ峰の神様へ供物を捧げていたんだとか。
他の御神蹟がお守りする民家と組み合わさっていたのとちょっと違って、ここは麓の稲荷大社にあった奉拝所的な規模の建物があって、神主さんの装束を着た人が出入りしていたり、明らかに伏見稲荷大社の管轄の下にあるというのが分かるような雰囲気の場所でもあります。
夥しい数のお塚を背景に供物を並べて収めた建物もあるし、「膳」って云う言葉からも、本当のところはどういう場所なのかいまひとつ理解できないものの、わたしは勝手に稲荷山の神様が集うレストランのようなところと想像してます。



かいり道の道標
薬力社前 2013/10

薬力社そのものはまるで写真撮らなかったのに、妙な道標があったので思わず撮ってみたもの。
粟津潔や寺山修司の昔から、手相人相、判子の捺印にこういう方向指示の手形とか、呪物的な印象を持って眺める癖がついてしまって、ある種異界へ導くサインのようなものなんだけど、この写真はあまりそういう異界っぽい感じには撮れませんでした。
かいり道というのが思ってるところには連れて行ってくれなさそうな印象があるかも。




御劔社
御劔社 2014/03

ここもよく分からない、元は秦氏を祭る長者社という社があったところに御劔社が建てられてこの形になったということで、御神蹟は劔石と説明されていたり、雷石とされていたり、社の背後にあった巨石のことだと思うけど、一体どちらなんだろう。
祭られてるのは加茂玉依姫で下鴨神社の祭神でもあるらしいです。
一通り説明してるものに目を通した程度だと、長い時間の中で言い伝えられてきたことが幾重にも折り重なって複雑な場所を作ってるような印象が強いです。
謡曲に三条小鍛冶宗近が小狐丸という刀を鍛えたところとしてこの御神蹟が出てくるらしくて、その言い伝えがあるから刃物業者の信仰を集めてるそうです。
長者なんていう名前がついてるからその関連で何かあるのかなと思って調べてみても、特にそれらしいことも見出すことが出来ませんでした。刀を鍛えた話があるから御劔さんと呼ばれてるけど、特に何かに関する御利益があるというわけでもなく、総合的なパワースポットということなんだろうなぁと思います。
こうなると、薬力社とか眼力社は本当に分かりやすいです。

長者社の狛狐
長者社の狛狐 2013/10

御劔社から一の峰の方向に出ようとするところで出会う狐さん。鋭い目つきでこちらを睨んでいてひときわ印象深いです。
この眼光に見送られて、この後頂上までの山登りになるんですが、この森の中の参道はあまりめぼしい写真が撮れなかったので、写真はパス!
今回は一の峰の手前、登りの参道が終わる直前くらいに撮った写真、逆光がどうのこうのって云う始まり方だったので、あまり逆光ぽくないけど逆光の写真で締めくくりです。


山中の鳥居参道
稲荷山一の峰付近 2013/10


☆ ☆ ☆



わたしは狛猫
裏参道の猫 2014/03

裏参道にいた猫。狛狐のかたわらでじっとすまして座っていた猫で、こちらがかなり接近してもまるで無視して前を向いたまま微動だにしない猫でした。
きっと頭の中で「わたしは狛猫、わたしは狛猫」と繰っていたんだろうと思うけど、あまりにもこちらを気にしなさすぎなので、となりで「ねぇ、ちょっとこっち向いて」とか色々ごちゃごちゃと小声で囁いてたら、そのうち気になってきたのか視線を少しこちらに向けた時があったので、その時すかさずにシャッターを切りました。



稲荷山、かいり道、長者社の狛狐がナチュラ・クラシカ。
眼力社の2枚がペンタックスSP
稲荷山一の峰付近でティアラを使い、
残りをニコンのF3で撮ってます。


☆ ☆ ☆



Savoy Truffle - The Beatles


他のモスバーガーでもそうなのかは知らないけど、四条河原町のモスバーガーではいつもビートルズをエンドレスでかけまくっていて、最近立ち寄った時にそういえばこの曲、かっこよかったなとハンバーガーを食べながら漫然と思い出していました。
68年のホワイトアルバムに入っていた曲。わたしは後期ビートルズだとサージェントペッパーズもいいんだけど、この辺りの音が一番好き。時期的にはまるで離れていないのに、終期のアビーロードとか香水の残り香みたいで、実はそんなに言うほど琴線に触れることもなかった感じ。
これ、今聴いても全然古びた感じがしないどころか、聴きなれてるようなロック、ポップミュージックに混ぜ込んだ尖がった部分が40年以上もたってるのにまだエッジ鋭くきらめいてる感じがします。
お菓子をテーマにこんないかしたフレーズを編み出したジョージ・ハリソン、当時はビートルズの曲と単純にひとまとめ、大抵ポールが作ったんだろうと思って納得してたんだけど、好きな曲の中にはジョージが作った曲も結構含まれてました。
結構腕の良いソングメーカーだったのに、解散後の活動でマイ・スウィート・ロードの盗作騒ぎなんかがあったのは本当に惜しい。
それとポールのベースがやっぱりかっこいい。うねり、ドライブするベースラインは本当に独自のもので、わたしがビートルズの曲が好きな理由のかなりの部分はこのベースのかっこよさにあるんじゃないかと思ってます。







ザ・ビートルズザ・ビートルズ
(2014/06/25)
ザ・ビートルズ

商品詳細を見る




せっかくジャケット写真を持ってきてるのに、真っ白だ。







ラフスケッチ 祇園、八坂神社 + Deve Ser Amor - Herbie Mann

影と街灯
祇園 2014/09


夏に撮っていた写真の続き。夏に撮っていたとはいえ、ゴールデンハーフで撮るのを一休みした後に撮ったものだから、9月にはいってから中ごろ辺りまでの最近の撮影です。撮る態度は若干傾向はあるんだけど、相も変らず被写体には意味を持たせずに、統一感がないです。
結局天気も優れず遠出する気にもなれなかったので、夏の前半は梅田辺りにも出かけていたけど、それも面倒くさくなって近場で写真撮ってることが多かったです。結果大半が祇園だとか河原町から烏丸にかけての市街地とか新風館や六角堂の辺りに行動範囲は限定されていた感じ。祇園から八坂神社を経由して知恩院に行こうとしたけど、知恩院の手前で気力減退となって撤収したこともありました。このところ神社を撮ろうと思うことが多く有名すぎて撮りにくい平安神宮に挑戦とばかりに行ってみた時なんか、地下鉄の東山の駅で降りて地上に出たとたん雨が降り出して、そのままユーターンしてきたこともあります。気分も気候もこの夏はわたしにとってはあまり撮影には適してない期間となったようです。




光と窓と植物
祇園 2014/09


今回の最初の三枚は祇園を歩き回って撮っていたもののうちの三枚だけど、舞妓さんとか出会ってもほとんど撮る気にならなかったので無視、巽橋の辺りは観光客で人手が途絶えることがなくて撮りにくかったりして、結局祇園の街中の路地なんかで光がニュアンスを与える空間の様子や、白川の辺りに人懐っこい猫と、まるで人なんか眼中にない無愛想な猫の、逃げない猫が二匹ほどいるので、その猫を撮ったりしてました。無愛想な猫のほうはたまに歩いてる様子を見る限りかなり年寄りなのか、結構自動車の下の暗がりで伸びてることが多く、写真に撮ってみたらまるで車に轢かれた現場写真みたいになってました。



自動車の下で昼寝
祇園白川 2014/07
一枚だけ夏の初めに撮った猫の写真。




美人の幟
八坂神社 美御前社 2014/09

八坂神社にある末社の一つ、美御前社の幟が作る壁。
手水場の写真を撮ろうと思って近づいたものの、フラットに光が当たるだけであまり面白くもなく、傍らにあったこの幟の列を撮ってみたもの。グラディウスのリップルレーザーを思わせる、まるで美人の波動攻撃のようです。



☆ ☆ ☆


使っていたカメラは猫のがフジのナチュラ・クラシカで、他のはキヤノンのモデル7型。キヤノンのほうはかなり前に買ったまま使ってなかったものです。

キヤノン7
キヤノン7+インダスター61 L/D

キヤノン7はライカLマウントのレンズを使うレンジファインダー機で、レオタックスで使っていたライカのズミタール50mmと、これまた随分前に買ったまま使ってなかったロシアのインダスター61 L/D 55mmf2.8の二本を使って撮ってます。インダスターは買って帰ってピントリングを回すと外れて床に落ちてしまうというとんでもない状態だったんだけど、ドライバーで締めなおして使いました。
今回のはインダスターで撮ったもの。ピントリングが外れるような代物にしてはよく写ってるというか、若干露出アンダーの影響もあるんだろうけど、重くしかもハイコントラスト気味で、モノクロで使うと面白そう。
ただちょっと光が漏れてるのかなぁ。ハレーションなのか、よけいな光が画面の隅に入ってます。フィルムの2本目はフードをつけて撮ってみて(1本目はわざとハレーションを呼び込むためにフードはつけてなかった)、それで大丈夫のようだったから、カメラの不具合でもなさそうな感じではあるんだけど。

キヤノン7型はマイナーチェンジしたのが後継機として存在するけど、結局はレンズ交換できるレンジファインダー機ではライカに勝てないと判断して一眼レフに開発をシフトさせていった他の日本のカメラメーカー同様に、キャノンで最後の、さらに当時においては日本で作られたレンズ交換できるレンジファインダー機としても最後の機種となったものです。
重くて全体に角が立った無骨なカメラなんだけど、無骨といっても巻き上げレバーの曲線なんか妙に色気があって、デザイン的に洗練されたところもあります。ただやっぱり角は立ってないほうが優雅だろうなぁとは思うけど。
ファインダーが大きく見やすくて、レオタックスは50mm固定の小さなファインダーしかついてないから、他の画角のレンズの時には外付けのファインダーを用意しないといけない一方で、こちらはファインダー内部で複数の画角のフレームに切り替えることができ、様々なLマウントのレンズを使うのに使いやすいかと思って買ったもの。相も変らず委託品の店で確か7~8000円くらいだったはず。インダスター61も2~3000円だったから、思うにカメラ関連で何万も出したことって数えるほどしかない。

でもわたしのキヤノン7はちょっと調子がよくないようです。露出が全体的にアンダー気味だからシャッタースピードが適切な速度になってない感じ。
それとセレンを使った電池いらずの露出計内蔵で、わたしのはわりと正確に動いてるようだけど、正面に測光窓があり結果がカメラ上部に表示される形は、その小さな文字表示を覗き込むのにつられて、往々にして測光窓をわずかに空に向け気味になることがあり、そうなると手元でほんの数度上に向いただけでも空の明るさをよけいに読み込んだり、元々わずかに角度が変っただけでも反応が良すぎるのか露出計の針は大きく動き回って、なかなか上手く読み取れないことが多いです。結局単体の露出計も持って出て、そっちで計るほうが簡単だったりするから、露出計なしの廉価版、ポピュレールのほうが軽快でよかったかなと思います。
まぁ使うなら本家のライカを使うのが一番使い勝手がいいっていうものなんだろうけど、やっぱり高価すぎ。ライカは一度くらいは使ってみたいんですけどね。
父は丹平の会員だったから、写真の仲間で老眼でピントが合わせられないから使っていたライカをあげるなんていう人はいないのかと聞いてみたら、そんな人いるわけないと一蹴されました。





☆ ☆ ☆


Deve Ser Amor - Herbie Mann


以前、妖精の木陰のダンスなんていう言い方で載せようと思って見つからず、代わりに作曲者本人のバーデン・パウエル版を載せたことがある曲。でも本当に載せたかったのはこっちのハービー・マンが演奏したものでした。







DO THE BOSSA NOVA WITH HERBIE MANN - COMPLETE BRAZILIAN SESSIONSDO THE BOSSA NOVA WITH HERBIE MANN - COMPLETE BRAZILIAN SESSIONS
(2013/02/26)
HERBIE MANN、Pedro Paulo 他

商品詳細を見る









夏のラフスケッチ 構造化する世界 + Danny Boy - Mahalia Jackson

扉と窓の構成
柳小路近く 2014/09

四角い枠が画面を区切る。区切られたフレームにはそれぞれに様々なテクスチャ。意味ありげな文字。無彩色に近い色面と赤いパートの色彩的コントラスト。
ファインダーを覗いてる時に頭の中を巡っていたのはこういったことだったかも。
今回の写真もこの夏使っていたトイカメラ、ゴールデンハーフで撮ったものだけど、今回のはノーファインダーじゃなく、きっちりとファインダーを覗いてます。ただ覗いたからといってファインダーで切り取ったそのままで写真になってるわけでもないんだけど、ノーファインダーよりもシャッターを切った時の意図は反映されてると思います。
それにしても、単純なプラスチックレンズがついただけのおもちゃのカメラなのに、写る時は嘘みたいに質感も伴って写る時があるのはちょっと吃驚。

続いて夏の、とタイトルにいれてはみたけど、10月に入ったとなるとさすがにちょっと季節外れの感じがしてきて、この冠詞は取り外してしまおうかと、夏の、といっても別に夏らしいものを撮っていたわけでもないし、ただ撮っていた季節が夏だったというだけの話だから、それほど重大な意味が含まれてるわけでもない。
でも、ラフスケッチだけだと、何もこんなに特別なもののようにわざわざタイトルにしなくても、わたしが撮ってる写真は結局のところ全部ラフスケッチみたいなものだから、あえてつけるタイトルでもないような気もします。

いつも記事のタイトルはどうしようかと思案のしどころになってます。
場所が限定されていたり、何かテーマを持って撮ってるとそうでもないんだろうけど、今夏のような、町の中を歩き回って目に付いたものを片っ端から撮ってた写真はどこへ行って集中的に撮ったというのでもないから、伏見稲荷大社!のようなつけ方も出来ません。

で、メインタイトルが心許ないものだから、副題めいたものを追加してみるんだけど、今回のは大層なことを言ってるように見えながら、写真とか絵画とか、結局のところ混沌とした世界に理解可能な秩序を与える作業のようなものだから、構造化する世界なんて大層に書いても、大半の写真や絵画がそういうことと似たことをやってる以上実は何も言っていないのと大して変らない副題だったりします。
さらにこういう副題をつけておいて云うのもなんだけど、写真を撮ったりするのはそういう作業なんだろうと思う反面、目の前の混沌を混沌として形にするのも魅力的に思えてきたりして、被写体と背景のヒエラルキーだとか見栄えのいいバランスだとか、そんなもの一切関係なく、あらゆるものが等価であるような、云うならばノーニューヨークのような態度で写真撮れないかなと思うこともあります。構造化する世界の写真を撮りながら、解体する世界を夢想したりして、写真を撮る時の態度はいささか両方向に引き裂かれ気味。


重機
河原町三条角、ビル解体工事現場 2014/09

硬質で無骨なイメージかっこいい、機械の一部がかっこいい、錆もかっこいい、様々な角度で走る縦のラインが何だかモダン。色面構成的。
これはこんな感じかな。でも本当はファインダーを覗いてる時はあまり考えないほうがいいです。頭であれこれ考えてるうちに、どこか理屈に落とし込んでしまうと、写真が感じるじゃなくて納得するっていう形になってしまいがちで、納得する写真って、納得した時点で完結して、終わりになってしまいます。後々まで何か引っかかるものが残るような写真は納得する写真からは生まれないように思います。
だからこんな風に書き出してはみたものの、言葉に置き換えるのもプラスになる面、マイナスになる面、両方ありそう。

まぁ感覚が高揚するのも、萎えてしまうのも、感じるままにやればいいってことなんだろうけど、でも、たとえば見てなにかを思ったものや事は一度言葉にしてみるのは、言葉にすることで取りこぼしてしまうものがあるのは承知の上で、自分が感じたことに形を与えることが出来るから、たまにやってみるのはいいかも知れないとも思ってます。

今回は何だか取りとめのないことを書いてる。


自宅付近
自宅付近 2014/08


今回の写真は上にも書いたように総てゴールデンハーフで撮ったもの。さらにノーファインダーではなくきっちりとファインダーを覗いて撮ったコマから。
フィルムは上の二枚がフジの感度800のもの、最後のがコダックのスーパーゴールド400でした。
この類のカメラは低感度のフィルムを使っても絞りを開いて遊ぶようなことも出来ないし、ゴールデンハーフに関してはハーフサイズなので元から粒状性がどうしたとかいう撮影にもならないから、晴天の昼間だけじゃなく撮影できる時間帯、状況を増やすために出来るだけ高感度のものを使ったほうがいいです。

フィルムといえば気温もそろそろ下がり始めて、現像液の温度管理もやりやすくなってきたので、暫くやめていたモノクロフィルムをまた使い出そうかと思っています。カメラの調子を見るために今入れてるカラーフィルムを撮り終わった後で、夏前にハッセルに装填した期限切れフィルム、これ結局一度も使わずに夏を越してしまったんだけど、これを撮ってみてまだ使えるようだったら、残りの期限切れ二本を早急に使うのと平行してモノクロをいれてみるつもり。
そういえば最近カメラ雑誌を立ち読みしていて、フィルムは意外と増益にシフトしてるとか書いてありました。特にイルフォードのモノクロフィルムが、これはコダックのTri-Xの結構な値上げと入手しがたさや、フジが感度100以外のモノクロを全廃してしまったことの影響だと思うけど、今までの収益も順調だったうえにさらに売り上げを伸ばしてるそうで、わたしもコダックの仕打ちに今ストックしてるコダックのモノクロを使い切ったらイルフォードに変えようと思っていたから、同じように考えた人が大勢いるんだろうなぁと思いました。
イルフォードは海外では老舗のモノクロ専用の乾板、感剤メーカーなんだけど、コダックとフジの二強の影で日本では普及度はいまひとつ。各フィルムの違いが名前から予測できないところがあるので区別しがたく、この辺りをもうちょっと上手く宣伝したらもっと買いやすくなるんじゃないかと思います。
あと、チェコのフォマっていうモノクロフィルムも使ってみたい。





☆ ☆ ☆




Danny Boy - Mahalia Jackson


子供のt期にはじめて買ってもらったステレオセットに、お試しでついてきた音源に、この曲が入ってました。
なんて綺麗な曲なんだろうと虜になってから、今に至るも世界で一番美しい曲の座を、わたしの中で守り続けてます。
もちろんそこから今まで山のようにいろんな音楽を聴いてきて、「マイロマンス」だとか「マイフーリッシュハート」だとか「ティルゼアウォズユー」だとか、美しいと思うお気に入りの曲は増えたけど、ダニーボーイは未だに別格の特別席に陣取っているようです。

なまじ好きなものだから、好きな音の積み重ね具合とかも歴然とあったりして、いろんな編曲のものを聴いても、ここの和声はこういう音の組み合わせじゃないと思うところが必ずあって、これが完璧っていうのが未だに見つけられずにいます。

マヘリア・ジャクソンが歌うこの曲は、最初ゴスペルでダニーボーイ?なんていう場違い感ありありの第一印象で聞き始めたんだけど、程なく圧倒される結果となりました。思うような音の重ね方じゃないところもあるんだけど、そんな感想も吹っ飛ばしてしまうくらいの堂々とした歌いっぷり。
ゴスペル調アイルランドフォークソングなんていうなんだか居心地の悪そうな形にもせずに意外と原曲に忠実に歌ってたりして、それでこのマヘリア・ジャクソンの存在感なんだから、これはやっぱり凄いとしか言いようがないんじゃないかと思います。
ソウルフルなダニーボーイというのがこれほど聴かせるものになるとは思いもしなかったです。


1964年のアルバム「Great Songs Of Love And Faith」に収録されてます。
これはゴスペルというジャンルから離れて、単純に歌手としてのマヘリア・ジャクソンの存在を世間に認めさせたアルバムだったそうで、それはこのダニーボーイ一曲を聴いても容易に納得できるんじゃないかと思います。




☆ ☆ ☆





GoldenHalf ゴールデンハーフ RED TREES レッドGoldenHalf ゴールデンハーフ RED TREES レッド
()
GoldenHalf(ゴールデンハーフ)

商品詳細を見る


ゴールデンハーフ、キティちゃんヴァージョン以外もオーソドックスなのがいくつか入手できるようになってるけど、これは再生産ということじゃなくて、おそらく在庫整理?
キティちゃんのがほぼ半額で買えるのに、この値段で売れるのか??