2014/11/24
今熊野観音寺で紅葉見物

今熊野観音寺 2014 / 11
紅葉の写真。
場所は今熊野観音寺で、月輪山の麓にある泉涌寺の近くにあるお寺。泉涌寺の山内寺院の一つです。秋になってから、山の麓にあるせいで石段の坂道が多いこの辺りが珍しくてよく写真を撮りにきてました。周囲を歩き回ってる時に今熊野観音寺もよく立ち寄って、森っぽい雰囲気の木立の中で写真撮ったりしてるうちに、そういえばこの手のひらのような葉っぱの形は今は緑だけど紅葉じゃないかと気づき、実のところ紅葉は桜ほどには追いかけたくなる気分もあまり盛り上がらなくて、今年はどこで撮ろうかといった計画もなかったところ、これが紅葉なら渓谷に広がる赤い色を、ちょうど観音寺に至る鳥居橋もあるし、その橋の上から見たら豪華だろうなと想像して、紅葉はここで撮ろうとなんとなく決めてしまいました。
位置的には東福寺の近く、泉涌寺の北西隣に隣接するように建ってるお寺で、東大路通りの今熊野商店街から今熊野山に向けて延びる緩やかな上り坂の参道というのか、木々のトンネルの中で木漏れ日が落ちる道を進んでいった先にあります。参道そのものは泉涌寺への道なので、今熊野観音寺へ行くには手前で脇道に入る形になります。この辺りは御陵がいくつかあったりして神社仏閣エリアとしては意外と規模は巨大というか、脇道も辿っていくと思っていた以上に分岐してるので、散策してみるのも面白いかもしれません。
泉涌寺は拝観料がいるので、わたしはその隣の無料で入れるこの今熊野観音寺に入りびたりです。東福寺の近くにあるということで、両方とも共通の紅葉のエリアとなってるから、東福寺が紅葉真っ盛りの頃になると泉涌寺の辺りも同様の状態へと変化していきます。
ちょうど今くらいのシーズンには京阪とJRの東福寺駅の辺りは人でごった返してます。この時期に出る駅の道案内には東福寺と並置して泉涌寺の名前も挙がってるんだけど、やっぱり有名ということで駅からの人の群は圧倒的に東福寺へと流れていきます。3年前くらいになるのか一度東福寺で紅葉の写真を撮ってブログの記事にしたことがあって、あの時のまるで満員電車並みの混雑に辟易したので、それ以降紅葉シーズンの東福寺には行く気にもならないんだけど、それに比べると泉涌寺へ行く人の流れは遥かに少なく、紅葉見物だとこっちのほうが確実に穴場になってるんじゃないかと思います。

今熊野観音寺 大師堂 2014 / 11
創建は弘法大師。西国三十三所霊場の十五番札所となるお寺です。
唐から帰った弘法大師が東山の山中に射した光明に導かれてこの地に至り、そこで対面した老人、実は熊野権現の化身のお告げにしたがってお堂を建立され、その時に熊野権現から授かった一寸八分の十一面観世音菩薩像を体内に納めた一尺八寸の十一面観世音菩薩像を製作されてご本尊として安置されたのが始まりということらしいです。
この弘法大師の手による十一面観世音菩薩像は頭の観音様として知られ、今熊野観音寺はボケ封じ、頭痛を収める、知恵を授かると、頭に関するご利益があるお寺とされてるそうです。
わたしはこういうところでは一応写真撮ってお騒がせしてすみませんでしたと挨拶しておくんですけど、もちろんこれらの御利益も出来うるなら与りたいとお願いしておきます。「ボケ」とか写真やってるといたるところで目にしたりするけど、本来はなんか凄くいやな言葉だということを再認したりして。頭痛もわりと頭痛持ちでバファリンだとかロキソニンだとか手元にないと不安なほうだから、これも無縁になれたらすっきりするだろうなぁと。それと管轄外かもしれないけど一応かっこいい写真が撮れますようにとちょっとだけお願いしておいたりします。でも今回はお願いのわりに、手振れ失敗写真が多かったようです。
まるで関係ないけど写真関係で嫌な言葉といえば、デジカメでよく使ってる「カメラが吐き出すデータ」だとか云う言い方、この言い方は本当に汚い。綺麗な写真を撮ろうと志す人がよくこんな言い方を平気で使えるものだと思います。

今熊野観音寺 2014 / 11

来迎院 2014 / 11
屋根しか写ってないけど今熊野観音寺の南隣にある小さなお寺。こちらも弘法大師縁のお寺で、大師が唐で感得した三宝荒神を安置することで始まったとされてるそうです。
背後の小高くなったところへ石段を登っていくと一番上には荒神堂があり、三宝荒神坐像が祭られてるとのこと。近くまで寄ってみたけど扉が閉じられていて中を窺うことはできませんでした。
この荒神堂の建っている小さく開けた場所の奥のほうに、不思議で不気味なものがあって、これはわたしは結構気に入ったんだけど、その写真はまた別の機会ということで。

来迎院 荒神堂 2014 / 11

今熊野観音寺 医聖塔 2014 / 11
今熊野観音寺の背後の山を少し登ったところにある多宝塔で、日本で医学に貢献した人が祭られてる場所だそうです。
建立は吃驚するほど新しく1984年とのこと。真新しい多宝塔なんてその建立時期に居合わせなかったら見られないわけで、後の人が古びた多宝塔としてしか見られないものの真新しい様子を見られるというのも、考えてみればなかなか面白いものだと思います。
小栗虫太郎が探偵小説の舞台にでもしそうな雰囲気。この感覚を共有してくれる人はほとんどいないと思うけど。
ちなみに見てのとおりこれは紅葉の写真じゃないです。
写真は桜ほど舞い上がってない気分がやっぱりどこかに出てるような感じがする。ここでシャッター切らないでどうするって云う浮き足立つような感覚もあまりないままに、ここはどうだろう、よさそうな気はするけど、でもどうすれば様になりそうかなぁなんて考えながらシャッター切っていたのが写真の結果として出てきてるようです。
紅葉って油断すればすぐに画一的なイメージになって、特にお寺の中の紅葉なんていうのは本当に撮るのは結構難しいと思います。
撮っていたのは先週のことで、今年はなかなか色づかないと思いながらの撮影でした。最初にここで撮ろうと思った鳥居橋の眼下の紅葉は結局まるで色づかないままで今まで来てるし。でもこの橋の光景を赤くなってから撮りに来るかといえば、今はもう別のものを撮りたくなってるから、おそらく撮らないだろうなぁって云うのが本音に近かったりします。
でも紅葉のシーズンが終わってからの今熊野観音寺はまた撮りにきてみたいとは思ってます。
大師堂と来迎院がミノルタのSRT101、他はニコンのF3で撮ってます。レンズはミノルタのほうがMC.TELE ROKKOR-PF f=100mm 1:2.5とMD W.ROKKOR 35mm 1:2.8、ニコンのほうはNIKKOR 135mm 1:2.8 と35mm 1:2。フィルムはニコンのがフジのスペリア400、ミノルタのほうがコダックのゴールド200でした。
広角よりで35mm、望遠で100mmと135mmを使ってる形。100mmはミノルタのものしか持ってなくて、ニコンの135mmがちょっと狭いと思った撮影の後日、100mmを使うためにミノルタを持ち出してます。
コダックの感度200を入れてたミノルタカメラで撮ったほうは木陰なんかの暗いところだと手振れして失敗したコマが結構あって、あまり首尾よく行かなかったです。もうちょっと高感度のフィルムのほうが良かった。
それとミノルタのレンズは詳細な写りと柔らかさを共存させてる面白いレンズなんだけど、カラーで撮ると若干色乗りが浅いような感じがするコマが多かったです。