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街の肖像 + 100円のジャンクカメラの結果 + 時計を止めて - Wink / ジャックス

チョコレート少女
2015 / 02 FUJI SUPERIA PREMIUM 400





入り口
2015 / 02 FUJI SUPERIA PREMIUM 400






大きな人と小さな人たち
2015 / 02 FUJISUPERIA PREMIUM 400

四条烏丸の大丸。バレンタインのディスプレイ。
入り口は大阪、梅田で、大きな人と小さな人たちの写真は心斎橋でした。

これは以前にも書いたことだけど、ショーウィンドウの飾りつけとか好きで撮ってみるものの、ディスプレイしたのはわたしじゃないし、かっこよく見えるのはどちらの要因なのか、他人が構成したものからわたしは何か特別なものを抽出できたのだろうか、あるいは他人の構成したものから何かを導き出すことは、そもそも意味のある行為なのかといつも確信が持てずに、よく分からないままに撮ってます。
写真は外在するものを必要とするから、表現主体に完全に還元できずにこういう疑問は必ず寄り添ってるものだと思います。だからといって、より表現主体の側に近づけるために、写真に加工を施したりするのは、否定はしないけど、写真の本義からは外れていくところがある、というか写真が根底にあっても全くの別物に変貌していくような気がします。まぁわたし自身としてはそういう部分には結論を出さずに宙吊りのままにしておくほうだけど、それを写真の拡張と見るか逸脱と見るかは人それぞれなんだろうなぁと思います。



☆ ☆ ☆



この前の記事に書いた、もうカメラを増やさないようにしようと思っていたのに、気がつけば増えていた二台のカメラ。実際はもう一台、ブローニーを使う見慣れた形の一眼レフといえば、知ってるならばすぐに頭に浮かんでくる重戦車並みのあのカメラが手元にやってきていて、ブローニーなんて本当にいつまで供給されるか全く分からないのに、そのうえさらに6×6くらいの大昔の蛇腹のカメラ、ツアイス・イコンのイコンタ・シックス辺りが欲しいと、カメラを増やさないという理性と知らない間に増えてるカメラの形をした欲望に引き裂かれそうになってる最近のわたしの状況ではありますが、それはともかく、この前の記事の二台、600円の現状渡しのオリンパス35DCとジャンク扱いのオリンパスμ2、それぞれフィルムを1本撮ってみて、どういう状態のカメラだったのかは既に判明しています。今回はそのうちのμ2の結果について。

100円で買ったμ2


結果から云うと、ジャンク品だったけど、まるで問題なく動き、写真が撮れました。今回の記事に「街の肖像」と題して載せた三枚の写真はこの100円のジャンク扱いのμ2で撮った写真です。

ジャンクって要するに壊れてるということで、他の商品なら壊れてるものを売るとか正気の沙汰じゃないかもしれないけど、古いフィルムカメラに関しては壊れてるカメラも一定の需要があって売り物になっています。修理するための部品取りが一般的な用途かな。あるいは壊れてるカメラそのものを自分で修理して使えるようにするとか。
今の電子制御のカメラは修理となると素人の手には負えないだろうけど、昔のフィルムカメラには、自分で修理するという人が一定の割合で存在していて、修理と称して本当は壊してる人が多いとは思うけど、そういう人に対しては十分に商品として価値のあるものとなってます。他には直すことなんか度外視で分解して遊ぶという人もいるかもしれないし、また修理なんて大層なことじゃなくて、ちょっと手を加えれば普通に動き出すのを知らないで故障品扱いになってるものも中には混じってるから、そういうのが目当てで買う人もいるんだろうと思います。
本当に故障していてどうしようもないカメラばかりだというのが確信できれば、ジャンクの棚になんかに近づきはしないんだけど、故障してると間違って判断されたものだとか、今となっては値段がつかない類のカメラなので動くかどうかの検査もなしにジャンク棚に直行してるカメラだとかがたまに混じってたりするものだから、完全に無視するのもちょっと出来ないような感じになってます。あるいはまともに動くものを少量だけジャンクに混ぜておくのは、ひょっとしたらこういうわたしみたいな客をおびき寄せるための、店側が仕掛けた餌なのかもしれません。

オリンパスのミューは単焦点の初代が森山大道の使っていたカメラとして有名です。もっとも森山大道はカメラには全く頓着しない写真家で、写せればいいと云わんばかりに、大抵もらい物とかメーカーから借りたもので撮っているという話なので、森山大道が使ってたから凄いカメラというわけでもなく、画質でぬきんでてるのは同じく単焦点の、このミュー2のほうというのが一般的な評価だと思います。
ズームレンズのついたミューだったら、ジャンクコーナーの常連だし、表示どおりほぼ間違いなく故障してるので手に取りもしなかったと思うけど、これはジャンクにはほとんど出てこないものだということもあって、見つけたのも運だと思い、ちょっとおみくじでも引くような気分で、手に取ってみたものでした。何しろ100円だもの、動かなくてもまぁいいかと。100円で、動けばもうけ物だし、買って帰るまで動くかなと楽しみにするだけでも引き合うかなという感じでした。

最初電池入れた時、レンズカバーを開くとわずかにレンズが飛び出してすぐにもとの位置に引っ込むし、フィルムが入ってない表示が出るのは当然だったけど、空シャッターも切れないような一切の操作を受け付けない状態だったから、やっぱり壊れてたと、即座に我が家のジャンク箱入りになりそうだったんだけど、どうしてレンズがすぐに引っ込んでしまうのか、動きが確かめられないかと、裏蓋を開いた状態で試しにシャッターボタンを押してみると、これが見事に反応して、フラッシュが一閃した後、ピント位置までレンズが繰り出してシャッターが切れました。
あれ?!やっぱり動くのかと、今度はダミーのフィルムを入れてみると、まるで操作できなかったのが嘘のようにすべての操作が可能になっていました。
ひょっとしてフィルムを入れてない状態で操作が出来なかったのが故障部分ということなのか?これはむしろフィルムが入ってない時には無駄に電池を使わないということでいい状態だとも考えられます。

ミュー2のレンズは35mmで、コンパクトカメラでは割とよくある画角なんだけど、35mmという画角は未だに使い勝手がいいのか悪いのか分からないところがあって、50mm辺りのレンズになれてるとやっぱりちょっとメインの被写体が小さく見えるというところがあります。
そこで35mmレンズって、普通に辺りを見渡してる時の一体どのくらいの範囲が写ってるのか確かめようと思って、カメラを覗かずに見える範囲と比べてみることにしました。
わたしは小ぶりのオーバルの眼鏡をかけてるから、その眼鏡で区切られてる範囲と35mmレンズの範囲を比べてみようと。
漫然と目の前を見た時の視野と比べると、わたしの眼鏡のフレームでは、35mmの範囲は大体オーバルの眼鏡枠全域よりも周囲一回りくらい小さいといった感じのものでした。
この見え方だと、注視してなくても視界に入ってるような領域も含めて、漫然と視野全域をカバーしてるのが35mmで、対象に若干注視の度合いが加わってくるのが50mmといったところだから、見たままに見える標準レンズとして35mmを上げる人がいるのも納得の結果だと思います。
ニュートラルに視野の全体を画面に納めるから、そのまま撮るとわりと無作為っぽい印象の写真が撮れることが多いのも何だか納得してしまいそう。
眼鏡のフレームを基準にして35mmで切り取った時の感覚をファインダーを覗かずに確認していくと、ひょっとしたら35mmの画角でかっこいい視点を見出すトレーニングになるかもしれないって思いました。


欲しいカメラの一つだったけど、ミュー・シリーズの流線型っぽいデザインはあまり好きじゃないです。人間工学によるものほど無様じゃないのはいいにしても、本来的なカメラの形のほうが好きだし、流れるような曲面だといってもエキザクタのように装飾的というのともまた違い、レトロフューチャー的な付加価値もつきそうになくて、ただ変ったデザインのものとして時代遅れになっていったようなタイプの形だと思います。大体流線型そのものをかっこいいと思ったことはあまりないかも。
カプセルカメラとしては、これが生まれる元になったXAのほうが好き。XAのデザインは今でもちょっと洒落たコンパクトカメラとして通用するんじゃないかと思います。



☆ ☆ ☆



時計をとめて/Wink/ジャックス



この前の記事の続きでWinkの動画を漁っていたら、こんなとんでもないものを見つけてしまいました。Winkが日本のカルト・サイケデリックバンドの曲をカバーしてる。
ジャックスのメンバーには解散後に音楽プロデューサーだかディレクターだかになった人もいるようだから、その人がWinkに歌わせてみたら面白いかもなんて考えて実行した可能性が高そうです。
まるで売れなくて解散してしまったバンドの曲としては、この曲は結構いろんな人がカバーをだしてるけど、まさかWinkがカバーしてるとは思いもよらなかったです。

ちなみに本家のジャックスのはこれ。



粘着質のボーカルに冥界を彷徨うような不安な浮遊感を漂わせた演奏。早川義夫はもう少しジャックスが売れていれば、展開は変ったかもしれないといったことを云ってるのを読んだことがあるけど、これは今聴いてみてもやっぱりコアなファンしかつかない音楽だと思います。
売れ線を狙って大当たりしたジャックスなんていうのもどんなものだったのか聴いてみたい気がします。





ジャックスの世界(紙ジャケット仕様)ジャックスの世界(紙ジャケット仕様)
(2011/10/26)
ジャックス

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境界域 + いつまでも好きでいたくて - Wink

境界
2014 / 11 FUJI SUPERIA PREMIUM 400






入り口を塞ぐ羊歯
2014 / 11 FUJI SUPERIA PREMIUM 400






布袋様の石舟
2014 / 11 Kodak Super Gold 400
コダックの廉価フィルムだけど、グレイッシュで落ち着いた、結構いい色が出てる。



英照皇太后後月輪東北陵と泉涌寺来迎院の広幅殿荒神堂裏手にて。

荒神堂裏手でみた布袋様を乗せて朽ち果てていた石の舟は、去年の紅葉の記事で「不思議で不気味なもの」と書いたオブジェ。
後月輪東北陵は人の気配もない山道風のところを歩いて行ったんだけど、途中で一度だけ、何だかコスプレといってもいいような奇妙な服装をした若者とすれ違い、でも道の行きつく果ての御陵の門のところにはまるで誰もいない空虚な空間が広がってるばかりで、あの若者はここへ何しに来ていたんだろうといぶかしく思ったことがありました。まぁ、何をしにこんなところまで来たんだろうというのは他人がわたしを見たときに同じことを思うだろうから、人のことを言えた義理でもないんだけど。
東山に連なるこの辺りの山中には御陵がいくつかあって、他の御陵も行ってみたんだけど、どこもまるで人がいないある種異様な空気感のある場所でした。生活してる場所とは質感の違う空間だというのがはっきりと分かり、音といえば鳥のさえずりと風の音が聞こえてくるくらい。見渡す限り誰もいないそんな空間にいて風の音を聴いてると、何だか現実の手触りを見失っていきそうになります。



☆ ☆ ☆



いつまでも好きでいたくて - Wink



この前の記事で加藤和彦の曲をピックアップしたので、その続き。
Winkの1994年の曲で、加藤和彦が作曲してます。フォークソングから派生してきたような曲調で、フォークルでの曲作りが好きだったものとしては、いかにも加藤和彦という感じがしてこういう歌、結構好きです。
聴いてると、なんだかせつなくなってくる。

それにしてもこの曲、もう20年も前のことになるんですね。可愛らしかったWinkの上にも20年の時が流れ、何だかすべてのことが時間の奔流に押し流されていくというか、世界は無慈悲です。




不思議な冬の日

サークル
2015 / 01 /KODAK GOLD200



タイトルは加藤和彦の昔の曲の一節から。
写真は特に不思議さを狙ったものじゃないんですけどね。

タイトルに何がいいか単語を色々と拾い出してみると「郊外」というのがわたし的にはなんとなくしっくりきそう。ブログの記事にしやすいようにどこで撮って来ました!っていう形にしてるのが多いけど、本当は写真にあまり意味を乗せたくないので、個別にピントが合った言葉よりも茫洋とした言葉のほうがいい。でもこういう単語で纏めると、自分が撮ってる写真の大半が郊外なので、ブログの記事のタイトルが全部「郊外」になってしまいそうです。
どこまでいっても「郊外」というタイトルが延々と並んでるブログなんて、それこそ郊外に見る集合団地のようで、それはそれで壮観な見た目になりそうだから、ちょっとはやってみたい気もあります。
まぁ、無題でいけるならそうしたいところというのが本音ではあるんだけど、ブログにそういう形で並べるにはちょっと無理という感じがします。




スノーマン
2015 / 01 /FUJI NATURA1600


あぁ、フォトショップで電線を消したくなってくる。
そう思って一度消してみたら、妙に隙間が空いたような感じに見えたので、これはこれでいいのかな。
あるがままに、大体余計なものをちょっと混ぜ込んでみるというのは、自分のやり方ではなかったのかと再認してみたりして。

今年の冬は雪なんか見るのも嫌だっていう人も大勢いるだろうなぁ。
仲良くしてもらってる北国のブロガーさんも、毎日毎日雪かきで、いくらやっても次の日にはまた元通りと愚痴ってます。
まるで賽の河原の石積みの現世バージョンのような様相になってるのかも。
わたしはとことん太陽が出てくれないのにいらつく毎日。今年の冬は本当に晴れた日が少ない印象です。
晴れていても、なんだか猫の目のようにせわしなく変化する日が多い。マニュアル操作の昔のカメラを使ってると、露出を計り、シャッタースピードと絞りの値を決めて、ファインダーを覗き、ピントリングを回しながら、この角度かなとかあれやこれや考えてからシャッターを切るという形になって、これだけめまぐるしく陽が射したり翳ったりしてると、露出を計った時には太陽が出てたのに、ファインダーを覗いて、さてシャッターを切ろうかという時にはもう日が翳ってしまってるということが頻繁にあります。
まるで部屋の明かりをつけたり消したりしてるような感じ。で、露出を計った時が撮りたい状態だったわけだから、カメラを顔の前に構えたまま、また陽が射して影が現れるのを待ってたりするんだけど、そんな時はなかなか状態復帰してくれなくて、カメラ掲げて硬直してる姿はちょっと妖しげに見えるかもしれません。




水面の木陰
2015 / 01 /FUJI NATURA1600





そのうち現像のことを書こうかと思ってるけど、これ、フィルムカメラを使ってない人にはまるで接点の無い話になるし、フィルム使ってる人でも現像はやらない人も多いから、そんなことを考えるとそういう話題に言葉を費やすのもちょっと躊躇われてきたりしてます。
基本的に好きなことを好きなように書けばいいとは云うものの、読んでくれる人があまりいないかもしれないかと思うとモチベーションがあまりあがらないです。
読む人がいなさそうでも、自分のやってることの覚書的な意味合いで書いておくかな。

もう一つ。最近はもうカメラ増やすのはやめよう、大体そんなに持っていても使い切れないと思ってたのに、委託品の店でオリンパス35DCが現状渡しという条件ながら600円の値段で出てたら、これはもう買う以外にはなくて、その数日後、今度はカメラのナニワのジャンク棚でオリンパスμ2が100円で出てるのを見て、これも素通りするわけにもいかなくて、増やさないと考えていたのにこの数日で2台も増えることとなりました。増やすつもりが無いならカメラ屋に行かなければいいのに、これがなぜか行ってしまうんですね。
片方は壊れてますという但し書きつきで、現状渡しのほうもこんな値段だからもちろん訳ありだったんだけど、さて本当に使うことが出来る代物だったのか、事の顛末についてはまた別の機会に書いてみることにします。




☆ ☆ ☆



不思議な日 - 加藤和彦

一節借用した曲は、これ。
フォーク・クルセダーズ解散後、サディスティック・ミカ・バンドを結成するまでの間、ソロ活動をしていた時に出したレコードの2枚目に当たる「スーパー・ガス」に収録されてました。
こんな曲を書いて歌う人はもう出てこないんじゃないかな。儚げで繊細な歌声が曲に良く合って、聴いてると物思いにふけってしまいそう。
のちのミカ・バンドのほうが遥かに有名になるけど、何だか海外至上主義というか外国かぶれみたいにみえて、わたしはフォークルやこの頃のソロの音楽のほうが好みに合ってました。
レコード音源のものは見つからず、これはライブのわりに、演奏はレコードのとほとんど変ってないんだけど、けっこう音が悪いです。でも音源としてはレコードで残ってるものよりは遥かに貴重なものだと思います。






FUJFILM 35mm超高感度カメラ NATURA CLASSICA NFUJFILM 35mm超高感度カメラ NATURA CLASSICA N
(2009/02/27)
Not Machine Specific

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最近再販されたのは聞いていたけど、アマゾンでも再び買えるようになってました。
プラスチックの質感は手で触ることが快楽に結びつくようなものでもないし、覗く角度でよく見えなくなるファインダーも今ひとつなんだけど、手軽にフィルムの楽しさを体感できるカメラではあると思います。フィルムの状況が思わしくないのは変わりないものの、それでもこういうのが再販されてると言うことは多少はフィルムの楽しさに気づいた人が増えてると云うことなのかなぁ。そうだと面白くなるんだけど。
中古カメラのショップでも、このところフィルムのクラシックカメラの相場が若干上がり気味だと云ってたし。



スーパー・ガススーパー・ガス
(2005/04/20)
加藤和彦

商品詳細を見る








羅睺羅尊者と韋駄天様~黄檗山萬福寺

十二羅漢ラゴラ尊者
2014 / 12 FUJI Venus800






障子と十二羅漢
2014 / 12 FUJI Venus800







韋駄天
2015 / 01 FUJI PRESTO 400 二段増感の自家現像




両方とも宇治の黄檗山萬福寺に安置されてる像です。
普通は羅漢といえば十六羅漢が一般的なんだけど、萬福寺の羅漢さんはさらに二人追加して全部で十八体の十八羅漢。羅睺羅尊者はその中の一体です。
これで「ラゴラ」と読みます。まるで怪獣のような名前。名前も異様なら像も異様で、胸元の肉を両側に開いて体内にある仏様を露にしてる姿となってます。
お釈迦様の十大弟子の一人で、この羅睺羅尊者という人物はお釈迦様の実子だったりします。
胴の肉を開いているのは、実父のお釈迦様とは似てなくて、変な顔だったから、本当の子供かどうか疑われることも多く、そういう疑いの目に対して、見た目は良くないけど自分の中には仏様がいると、体を開いて示したという逸話を元にしてるということ。
間接的にお釈迦様は美男だったと証言してるような感じです。でもこの逸話、感心するというよりも何だか身も蓋もないというか、美形でなければ胸の肉を切り開くようなことでもしないと本性は示せないといってるようにも思え、美男美女以外には切ない思いしかわきあがってこないんじゃないかと思います。

この写真、絶対に写ってないだろうと思ってました。何しろ暗いお堂の中、明かりは背後の窓から入ってくる外光のみという場所で、その窓からの光を頼りにして撮った写真です。
こうやって見るとある種の逆光だから、輪郭のみが際立って正面像は真っ暗というほうが立体感があってよかったかもと思うものの、それだと胸を開いて仏様を見せてる様子は分からなくなるし、両方立てることが出来ないちょっともどかしい状況だったのかもしれません。

韋駄天様はなんだかロケン・ローな様子の写り方になったというか、開いた戸の向こうから半身を乗り出して、いよぅ!とでも声をかけてきそうな様子で写真に納まってました。こんな動的な像という感じは対面してる時はなかったんだけど。
曲線てんこ盛りの造形が凄いかっこいい。特にこの剣の造形が飛びぬけて良いです。足の速い韋駄天様というのが頭にあるから、足元は今で云うスニーカーに見えてきたりして。
萬福寺は中国形式のお寺で、本尊は釈迦如来なんだけど、それとは別に弥勒菩薩の化身として布袋様をお祭りしてます。韋駄天像はその布袋様の背後に配置され、左右を四天王が固めるという形になっていて、それが布袋様を祭った時の正式な配置なんだそうです。



堂内
2015 / 01 FUJI PRESTO 400 二段増感の自家現像