2015/02/20
街の肖像 + 100円のジャンクカメラの結果 + 時計を止めて - Wink / ジャックス

2015 / 02 FUJI SUPERIA PREMIUM 400

2015 / 02 FUJI SUPERIA PREMIUM 400

2015 / 02 FUJISUPERIA PREMIUM 400
四条烏丸の大丸。バレンタインのディスプレイ。
入り口は大阪、梅田で、大きな人と小さな人たちの写真は心斎橋でした。
これは以前にも書いたことだけど、ショーウィンドウの飾りつけとか好きで撮ってみるものの、ディスプレイしたのはわたしじゃないし、かっこよく見えるのはどちらの要因なのか、他人が構成したものからわたしは何か特別なものを抽出できたのだろうか、あるいは他人の構成したものから何かを導き出すことは、そもそも意味のある行為なのかといつも確信が持てずに、よく分からないままに撮ってます。
写真は外在するものを必要とするから、表現主体に完全に還元できずにこういう疑問は必ず寄り添ってるものだと思います。だからといって、より表現主体の側に近づけるために、写真に加工を施したりするのは、否定はしないけど、写真の本義からは外れていくところがある、というか写真が根底にあっても全くの別物に変貌していくような気がします。まぁわたし自身としてはそういう部分には結論を出さずに宙吊りのままにしておくほうだけど、それを写真の拡張と見るか逸脱と見るかは人それぞれなんだろうなぁと思います。
☆ ☆ ☆
この前の記事に書いた、もうカメラを増やさないようにしようと思っていたのに、気がつけば増えていた二台のカメラ。実際はもう一台、ブローニーを使う見慣れた形の一眼レフといえば、知ってるならばすぐに頭に浮かんでくる重戦車並みのあのカメラが手元にやってきていて、ブローニーなんて本当にいつまで供給されるか全く分からないのに、そのうえさらに6×6くらいの大昔の蛇腹のカメラ、ツアイス・イコンのイコンタ・シックス辺りが欲しいと、カメラを増やさないという理性と知らない間に増えてるカメラの形をした欲望に引き裂かれそうになってる最近のわたしの状況ではありますが、それはともかく、この前の記事の二台、600円の現状渡しのオリンパス35DCとジャンク扱いのオリンパスμ2、それぞれフィルムを1本撮ってみて、どういう状態のカメラだったのかは既に判明しています。今回はそのうちのμ2の結果について。

結果から云うと、ジャンク品だったけど、まるで問題なく動き、写真が撮れました。今回の記事に「街の肖像」と題して載せた三枚の写真はこの100円のジャンク扱いのμ2で撮った写真です。
ジャンクって要するに壊れてるということで、他の商品なら壊れてるものを売るとか正気の沙汰じゃないかもしれないけど、古いフィルムカメラに関しては壊れてるカメラも一定の需要があって売り物になっています。修理するための部品取りが一般的な用途かな。あるいは壊れてるカメラそのものを自分で修理して使えるようにするとか。
今の電子制御のカメラは修理となると素人の手には負えないだろうけど、昔のフィルムカメラには、自分で修理するという人が一定の割合で存在していて、修理と称して本当は壊してる人が多いとは思うけど、そういう人に対しては十分に商品として価値のあるものとなってます。他には直すことなんか度外視で分解して遊ぶという人もいるかもしれないし、また修理なんて大層なことじゃなくて、ちょっと手を加えれば普通に動き出すのを知らないで故障品扱いになってるものも中には混じってるから、そういうのが目当てで買う人もいるんだろうと思います。
本当に故障していてどうしようもないカメラばかりだというのが確信できれば、ジャンクの棚になんかに近づきはしないんだけど、故障してると間違って判断されたものだとか、今となっては値段がつかない類のカメラなので動くかどうかの検査もなしにジャンク棚に直行してるカメラだとかがたまに混じってたりするものだから、完全に無視するのもちょっと出来ないような感じになってます。あるいはまともに動くものを少量だけジャンクに混ぜておくのは、ひょっとしたらこういうわたしみたいな客をおびき寄せるための、店側が仕掛けた餌なのかもしれません。
オリンパスのミューは単焦点の初代が森山大道の使っていたカメラとして有名です。もっとも森山大道はカメラには全く頓着しない写真家で、写せればいいと云わんばかりに、大抵もらい物とかメーカーから借りたもので撮っているという話なので、森山大道が使ってたから凄いカメラというわけでもなく、画質でぬきんでてるのは同じく単焦点の、このミュー2のほうというのが一般的な評価だと思います。
ズームレンズのついたミューだったら、ジャンクコーナーの常連だし、表示どおりほぼ間違いなく故障してるので手に取りもしなかったと思うけど、これはジャンクにはほとんど出てこないものだということもあって、見つけたのも運だと思い、ちょっとおみくじでも引くような気分で、手に取ってみたものでした。何しろ100円だもの、動かなくてもまぁいいかと。100円で、動けばもうけ物だし、買って帰るまで動くかなと楽しみにするだけでも引き合うかなという感じでした。
最初電池入れた時、レンズカバーを開くとわずかにレンズが飛び出してすぐにもとの位置に引っ込むし、フィルムが入ってない表示が出るのは当然だったけど、空シャッターも切れないような一切の操作を受け付けない状態だったから、やっぱり壊れてたと、即座に我が家のジャンク箱入りになりそうだったんだけど、どうしてレンズがすぐに引っ込んでしまうのか、動きが確かめられないかと、裏蓋を開いた状態で試しにシャッターボタンを押してみると、これが見事に反応して、フラッシュが一閃した後、ピント位置までレンズが繰り出してシャッターが切れました。
あれ?!やっぱり動くのかと、今度はダミーのフィルムを入れてみると、まるで操作できなかったのが嘘のようにすべての操作が可能になっていました。
ひょっとしてフィルムを入れてない状態で操作が出来なかったのが故障部分ということなのか?これはむしろフィルムが入ってない時には無駄に電池を使わないということでいい状態だとも考えられます。
ミュー2のレンズは35mmで、コンパクトカメラでは割とよくある画角なんだけど、35mmという画角は未だに使い勝手がいいのか悪いのか分からないところがあって、50mm辺りのレンズになれてるとやっぱりちょっとメインの被写体が小さく見えるというところがあります。
そこで35mmレンズって、普通に辺りを見渡してる時の一体どのくらいの範囲が写ってるのか確かめようと思って、カメラを覗かずに見える範囲と比べてみることにしました。
わたしは小ぶりのオーバルの眼鏡をかけてるから、その眼鏡で区切られてる範囲と35mmレンズの範囲を比べてみようと。
漫然と目の前を見た時の視野と比べると、わたしの眼鏡のフレームでは、35mmの範囲は大体オーバルの眼鏡枠全域よりも周囲一回りくらい小さいといった感じのものでした。
この見え方だと、注視してなくても視界に入ってるような領域も含めて、漫然と視野全域をカバーしてるのが35mmで、対象に若干注視の度合いが加わってくるのが50mmといったところだから、見たままに見える標準レンズとして35mmを上げる人がいるのも納得の結果だと思います。
ニュートラルに視野の全体を画面に納めるから、そのまま撮るとわりと無作為っぽい印象の写真が撮れることが多いのも何だか納得してしまいそう。
眼鏡のフレームを基準にして35mmで切り取った時の感覚をファインダーを覗かずに確認していくと、ひょっとしたら35mmの画角でかっこいい視点を見出すトレーニングになるかもしれないって思いました。
欲しいカメラの一つだったけど、ミュー・シリーズの流線型っぽいデザインはあまり好きじゃないです。人間工学によるものほど無様じゃないのはいいにしても、本来的なカメラの形のほうが好きだし、流れるような曲面だといってもエキザクタのように装飾的というのともまた違い、レトロフューチャー的な付加価値もつきそうになくて、ただ変ったデザインのものとして時代遅れになっていったようなタイプの形だと思います。大体流線型そのものをかっこいいと思ったことはあまりないかも。
カプセルカメラとしては、これが生まれる元になったXAのほうが好き。XAのデザインは今でもちょっと洒落たコンパクトカメラとして通用するんじゃないかと思います。
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時計をとめて/Wink/ジャックス
この前の記事の続きでWinkの動画を漁っていたら、こんなとんでもないものを見つけてしまいました。Winkが日本のカルト・サイケデリックバンドの曲をカバーしてる。
ジャックスのメンバーには解散後に音楽プロデューサーだかディレクターだかになった人もいるようだから、その人がWinkに歌わせてみたら面白いかもなんて考えて実行した可能性が高そうです。
まるで売れなくて解散してしまったバンドの曲としては、この曲は結構いろんな人がカバーをだしてるけど、まさかWinkがカバーしてるとは思いもよらなかったです。
ちなみに本家のジャックスのはこれ。
粘着質のボーカルに冥界を彷徨うような不安な浮遊感を漂わせた演奏。早川義夫はもう少しジャックスが売れていれば、展開は変ったかもしれないといったことを云ってるのを読んだことがあるけど、これは今聴いてみてもやっぱりコアなファンしかつかない音楽だと思います。
売れ線を狙って大当たりしたジャックスなんていうのもどんなものだったのか聴いてみたい気がします。
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