2015/03/01

2015 / 02 / FUJI Yenus 800

2015 / 02 / FUJI Yenus 800

2015 / 02 / FUJI Yenus 800

2015 / 02 / FUJI Yenus 800
河原町三条、木屋町、裏寺辺り。
このフィルムの中では撮った本人としては一番最初の通気ダクトのがお気に入りでした。
こういう方向で写真撮ってると、その時は本当のところ自分でも分からない何かの衝動めいたものでシャッターを切ったりするんだけど、現像が出来上がって眺めてみると、どうしてこんなのを撮ったんだろうというのも結構あったりします。撮った時の衝動が画面の中にちっとも現れてない。逆に撮った時は適当感全開だったのに、出来上がったイメージを見るとこれは結構かっこいいじゃないかって云うのもあったりして、まぁ結果としてはかっこいい出来のものが増えるのが一番いいんだけど、こういう撮った本人にも予測不可能といったものは写真撮ってる面白さの一つでもあるような気がします。
☆ ☆ ☆
ということでこの前の記事に続き、最近手元に増えたカメラのもう一つのほう、オリンパス35DCの結果です。このDCっていうのはデラックスコンパクトの意味らしいです。
今回の写真も前回同様にこの新しく手元にやってきたカメラで試し撮りしていたフィルムから選んでます。

こっちも結果から云うと、ごく普通に写真が撮れました。手を加えたのは遮光材のモルトが綺麗さっぱり剥がされていたので、それを自分で貼り直したくらい。機械そのものに具合の悪いところはどこにもなかったです。
カメラは一応ジャンクの表示こそなかったものの現状渡しという条件で店頭に出ていたものでした。
中古カメラショップではこの現状渡しという言葉をよく目にします。でも意味がいまいちよく分からない。調べてみると言葉そのものは中古車とか住居販売の分野でよく使われてる言葉のようでした。
文字通りに取ると、目の前の状態のカメラをそのまま売りますということで、故障してるところがあっても店のほうは責任持たないから、自分で手にとってよく調べて納得してから買ってくださいということなんでしょう。明らかに壊れてるようなのは、店にもよるけど、他に「ジャンク」というランク付け表示があるから、現状渡しは壊れてるまではいかないようなトラブルが隠れてる可能性があるけど、そこまで検査してないということなのかなと解釈してみるんだけど、これはやっぱりよく分からないです。
分かるのは店側は一切保障しないということくらい。でもこの委託品の店はすべてに保障がつかないし、結局カメラ全部ショーウィンドウに置いてある状態のままで売ってるから、わざわざ現状渡しなんていう言葉を被せなくても、言うなら全部現状渡しのようなものなんですよね。
露出計が動かないだとか低速シャッターが粘ってるだとか、明らかにトラブルがある箇所がリストアップされてるものとは違って、現状渡しの一言しか説明がついてないから、まぁその分安いんだけど、とりあえず自分で手にとってどんな現状なのか調べてみることとなります。
外見は特に使い込んだという印象のところもなく、見たところ結構綺麗でした。でも外見が綺麗だからといって機械そのものも状態がいいかというとこういうものの場合は必ずしもそうでもなくて、もう使い込んでぼろぼろになってる外見でもメンテナンスを繰り返して使い込んでいたものだと調子は凄くいいというのもあるし、外見は新品そのものでも使わずにしまいこまれていたものはいざ使ってみるとあまり調子がよくないといったものもあります。外見は綺麗に越したことはないけど、判断の基準にはあまりしないほうがいい場合もあるってことです。
このカメラにはf値1.7の、コンパクトカメラらしくない大口径の明るいレンズがついていて、その結構豪華なレンズもざっと見たところでは綺麗でした。実際は前玉にわずかにカビが生えかけてるところがあったんだけど、オキシドールで拭き取って、無水エタノールで清掃すると綺麗になりました。レンズのカビは、意外なことにオキシドールが有効です。カビと一緒にレンズのコーティングが剥がれる可能性もないことはないんだけど、カビが生えてるよりはいいかと思います。
一応電池室にはあらかじめ適当なボタン電池が入れてあったので、店で動作確認してみます。オリンパス35DCは完全に電気で制御してるシャッターなので、マニュアルで使うという逃げ道がなく、この時点で動かないとアウトだったんだけど、これは動きました。採光窓を塞ぎ気味にしてみたりするとシャッターの開き具合も変化してるし、正確かどうかはわからないけど、一応露出計も連動して動いてるのを確認できます。
さらに今度は裏蓋を開いてみると、モルトが綺麗に剥がされていたのは前述の通り。裏蓋を開いた時に確かめるところは他では巻き上げの様子なんだけど、それはきちんと動いているようでした。
これもコマが正常に送られるかどうか、重なったり不ぞろいの間隔になったりしないかどうかは実際にフィルムを入れて使ってみないと分からないので、確認できるのはこの時点ではここまでということになります。
モルトの貼り換えを自分でやる時の、まぁこれは自分で考え出したわけでもなくネットで公開されていたやり方だけど、秘訣を一つ披露します。
このカメラの場合は裏蓋の周囲に幅3~4mmくらいのものを貼るだけだったのでそんなにてこずったわけでもなかったんだけど、カメラによっては裏蓋がかみ合う本体側の1~2mm幅の溝にモルトを埋め込まなければならない場合があり、これは、何しろモルトというのは柔らかいスポンジ状の素材だから、糊つきのものだと、溝の側壁にくっついてしまってまともに溝の底まで埋め込めないって云うことになります。溝の奥まで入らないこともあるじゃなくて、何をどうしても入らない。こういう極細の溝に埋め込む場合は糊つきのモルトじゃなく、糊無しのモルトと両面テープを使ったほうがはるかにやりやすいです。
まずカッティングボードの上にガムテープを貼って、その上にモルトを埋め込む予定の溝の長さの分だけ両面テープを貼り、それを溝の幅で切り出します。ガムテープの上に貼ってるから、両面テープはカッティングボードにはくっつかずに必要な幅で切り出せるはず。そしてその両面テープをまず溝の中に埋め込んでいきます。片方にそれなりに腰のある固さの接着面保護のテープがついてる分、ふにゃふにゃのモルトを貼る時のように溝の側面にくっついて立ち往生するということもほとんどなく、スムーズに貼れるはずです。
両面テープを貼り終えたらその上に必要な長さと幅で切り出した糊のついてないモルトを埋め込んでいきます。先を尖らせた竹串なんかを使いながら進めていくんだけど、溝の側面に引っ付かないから、やり直しも簡単。溝全体に上手く埋め込めたと判断できたら、それを溝の底に貼っておいた両面テープに押し込んで密着させていけば完成です。
裏蓋と本体の間の遮光だけの目的だから、絶対に剥がれないように固めてしまう必要もなく、両面テープくらいの接着力で十分だし、また張り替えたくなったら簡単に剥がせるのも利点だと思います。面倒だったら溝全域に両面テープを貼らずに要所要所にピンポイントで両面テープを貼って止めていくだけでも、おそらく大丈夫だと思います。
この方法で一つ難点があるとするなら、モルトと両面テープの素材を切り出すのに二重手間になることくらい。
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オリンパス35DCはタイプとしてはレンジファインダーという種類のカメラです。レンズの経路とは別の経路にファインダーが設けられ、その中に仕込まれた三角測量の距離計を使ってピントを合わせるようなカメラで、代表格といえば云わずと知れたライカになります。
レンズから入ってきた光とイメージをそのまま見られる一眼レフの登場で、時代遅れなものとして取って代わられたカメラで、考えてみれば今のデジカメは何しろどんな安物でも写る世界はぞのまま液晶で確認できるようになってるから、ファインダーから覗く世界と実際にレンズが眺めてる世界が別系列になってるというようなカメラは、今となってはもはや存在しないタイプのカメラになってると云えます。古いカメラばかり使ってると、ファインダーの中心に小さく設けられた二重像合致のエリアでピントを調節するようなのはまるで当たり前のものとして使ってるけど、デジカメからこういうのを始めて使ったら、ものすごく妙なシステムのカメラに見えるかもしれないです。
でも街中でのスナップには一眼レフよりもこういうタイプのカメラは思いのほか有効なんじゃないかと思います。なにしろファインダーで二重像エリア以外ではピントの確認が出来ないから、一眼レフほどピントが合ってるかどうかって気にならなくなってくるし、高感度フィルムを入れてピントリングに刻印してあるこれだけ色違いの3m指標にピントを合わせておくと中間距離付近をカバーするパンフォーカスになるから、感覚もラフに、空間そのものを切り取ってくる感じの撮影には結構向いてるカメラです。
一眼レフのようなミラーを使わないからシャッター音は一眼よりも遥かに静かで、これも街中のスナップにはいい感じだと思います。
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この道 - 大貫妙子
前回の記事のジャックス、早くも削除されてます。代わりのものをと探してみたけど本家のものは見つからず、連鎖的にフォークソングを繋げていこうかと思ったのも中断してしまいました。
フォークソングと同じくらい唱歌も好きで、今回は唱歌の中から。
声楽の歌手が歌うのとはまた違う形で、大貫妙子の歌声がこの曲のために誂えたかのように決まってます。
この曲唱歌の中でも大好きな曲で、聴くといつも夏の日差しの落ちる、ちょっと小高くなった草原の中に延びていく道、どこまでも突き抜けていくような青空に溶け込むように延びていく道というイメージが頭に浮かびます。
お母様と馬車に乗って通ったことなんてないんだけど、何だか子供の時にどこかで確かに目にしたような懐かしい光景として、そのちょっと哀しくなるような澄み切った夏の空が目のまえに広がっていくようです。