街の肖像画#9 フーゴ・バル風 …と思ったけどそうでもなかった。京都駅近辺。

紙の衣装を着た男
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X



20世紀初頭、チューリッヒでキャバレー・ヴォルテールを開き、ダダイストやシュルレアリストたちのたまり場を提供した、詩人、作家のフーゴ・バル。そのフーゴ・バルがキャバレー・ヴォルテールで音響詩を上演した写真でボール紙の衣装を着たユニークな出で立ちのものがあるんだけど、この関西電力のビルのコーナーに立っていたおじさんが遠目には何だかそんなイメージに重なって、これはまた妙なパフォーマンスをしてる人がいると思い、嬉々として撮った写真でした。
撮ってからあらためておじさんを観察してみると、第一印象だった奇抜な紙の衣装に身を包んでるわけでもなくて、単純に政治的なプラカードを体につけてる人にすぎなかったんだけど、それはそれとして、出来上がった写真は建物のコーナーの幾何学的な直線振りと人のサイズの組み合い方が何だかちょっと面白いイメージになってるようで気に入ってます。人はプラカードをつけて立ってるおじさん一人のほうがよかったけど、何しろ駅前の大通りの交差点だし、人も車も通らない状況なんてまず出会えそうになかったから、これはまあ仕方ないということかな。

病院通いの合間に、京都駅の周辺で撮った写真です。入院してた病院は駅前の武田病院だったので、ちょっと気分転換に外に出た時なんかに周囲を歩き回って写真撮ってました。武田病院は古い病院のせいか、なかは病室も通路も何もかも妙に狭いし、病院だからある程度仕方ないのかもしれないけど、病室棟からは色々と不快な臭いがかすかに漂ってる場所もあって、病気でもないのに長時間いるとちょっと息が詰まりそうになってました。

下のは駅前の郵便局本局の角に立ってる、これは木蓮なのかな、ちょうど桜が咲き始める直前に花が開きだしたのを撮ったものです。
上方への空間の抜け具合がいい感じ。



本局の木蓮
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X





本局裏手
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X

これはその本局の隣に建ってる、配達の車両なんかが出入りしてる建物の裏手。建築物は装飾的なものが好きで近代的なコンクリートのただの立方体のようなのは大嫌いなんだけど、この本局の隣の建物の裏手のイメージは別に装飾的でもないのに意外と好きだったりします。
ただこの写し方はありきたりかなあ。人の配置も、街灯の支柱にもたれるようにして、たまたまここで立ってる人がいたから撮った写真ではあるものの、撮ってみると何だか使い古したような既視感一杯の構図だし、手垢がついたようなイメージであまりよくない。人を入れたから逆に収まりきったありきたりなイメージになってしまってるようで、人を入れなかったほうがなぜこんな場所を撮ったんだろうと謎めいてくるようなところも出てきていたかもしれないです。
ここはもっと別の形で撮ってみたいな。


桜を撮っていたポジフィルムで撮った写真。使ったカメラはそのフィルムが入ったままの、桜を撮っていた時のF3。レンズも桜の時と同じ50mmを装着してます。ポジフィルムが意外と面白かったので、このフィルムが終わった後今度はFM3AにPROVIAの感度100のフィルムを入れて撮ってました。これは既に撮り切って、明日にでも現像に出してこようかなと思ってます。フィルムはデジタルとは違って、実は確実に何かが写ってるというレベルは保障してないから、この現像が仕上がって本当に写ってたかどうかを知るまでのドキドキ感がまた楽しかったりします。さて二本目のポジの首尾はどうだったのかな。
撮ってすぐに見られないというのは今の世では弱点にしか思えないかもしれない。でもたとえば金村修さんは冗談半分で何を写したかすっかり忘れてしまうまで現像しないなんて過激なことを言ってるし、使ってみるとこういう即時的でない部分はちっとも弱点でもない、ポジティブに関わると結構面白い側面を露にしてくれるところもある気がします。
ダイアン・アーバスはカメラは不自由なほうがいいと云ったと何かで読んだ記憶があります。これは何もフィルムがすぐに見られないことだけを指してるものでもないんだけど、不自由なカメラのほうがあらゆる面で良いという考え方はわたしも理屈抜きで納得してしまうところがあります。

デジカメは液晶を封印してしまうと面白いかも。写してる人を見てるとほぼ100パーセント、撮った直後にカメラ背面の液晶を覗き込んでるから、これを封印するだけでかなり異様な写真撮影体験になる可能性がありそうです。
カメラは即時性を持ってもいいところなんてあまりないと思ってるわたしも、デジカメではシャッター押した直後に液晶を覗き込むし、この魔力に抗うのはなかなか大変だと思うけど。







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街の肖像画#8 美しい日々の欠片 + Piero Piccioni - Samba Della Ruota

花の垣根
2015 / 01 / NATURA1600





雨上がりの滑り台
2015 / 01 / NATURA1600





車窓
2015 / 01 / NATURA1600



雨の日の滑り台だけ近所で撮ったもので、それ以外は今年初めの頃に京都駅の南側辺りで撮った写真です。
京都駅を境に南側はもはや観光地のイメージはなく、観光地どころか場所によってはちょっとガラの悪いところに変貌したりもするんだけど、そういう場所も歩いてみると色々と目に付くものがあって面白いです。

こういう写真は狙ってるものも微妙な感覚でどうにも説明しにくいです。
以前ホンマタカシさんが対談だったか何かで云ってた言葉で、かっこよくないものをかっこよく撮るのがかっこいいというような意味合いのものがあったんだけど、めざす感覚としてはそういう感じのものに近いかも。
退屈で何の変哲もない現実を写真を撮ることで美しい日々の欠片といったものに変容させていくような行為とでも云うのかな。それが写真を撮るという行為のすべてではないにしても、わたしはこういうことは写真撮ってる時いつも頭のどこかにあるような気がします。

もっともそういうことを意図して撮ったからといって、その意図が完全に写真の形を取ってくれるかというと、必ずしもそうとは限らず、むしろ色々と画策しないで衝動に任せて撮ったほうが、無意識的なものが滲み出して面白い写真になることもあるのが、難しいところだったりします。


☆ ☆ ☆


Piero Piccioni - Samba Della Ruota


イタリアン・ラウンジの代表的作曲家ピッチオーニの手によるサンバ。63年のイタリア映画「イル・ブーム」に使われた曲です。ピッチオーニのサントラ経由のサンバだと、以前に載せたことがあるSamba Fortunaというのが好きなんだけど、ピッチオーニのサンバにはこういうのもあるということで。
ビッグバンドあり、オルガンあり、スキャットありのサンバ的要素満載の豪華な曲っていうところかな。



ちなみにわたしが大好きなSamba Fortunaはこういう曲。Samba Fortunaは以前にアップしたので、これは別編曲のBlue Suturaのほうなんだけど、編曲が違うだけで旋律は同じもの。どちらも捨てがたいです。
Samba Della Ruotaほどエネルギッシュではないけど、メロディアスで軽やかな高揚感があって良いです。












華やかさ一杯のピッチオーニのベスト盤なんだけど、既に廃盤みたいです。






街の肖像画#7 市井の桜 藤森、琵琶湖疏水の桜並木。

桜 藤森 琵琶湖疏水1
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X


病院に行く合間に撮っていた今年の桜です。
今回のはクリックするとちょっとだけ大きな写真が出てきます。

去年の桜の時、いわゆる名所のようなところで撮るのがなんだかあまり気乗りしなくて、街中で咲いてる桜を撮り歩いていた延長で、今年も街中でささやかに咲いてる桜を撮ってました。

桜 藤森琵琶湖疏水2
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X


京阪に乗っていて藤森駅の辺りで疎水沿いに桜並木が見えたので、そこで降りて並木のあったところまで行ってみることにしました。この辺りから隣の深草くらいまで桜の季節になると随分と華やかになってるのは知っていたけど、桜が咲く時期に歩いたことはなかったです。
疎水沿いに少し飲食店がある程度で他は民家。屋台の類も出ていません。まさしく生活の場の中にある桜なんだけど、この辺りの桜並木はそれなりにライトアップされてるようで、名所のように観光客を呼び込むほどのことはしてないけど、地域の人の桜見物の場所となってるようでした。

街中のささやかな桜といいつつ、やっぱりそれなりに豪華なところに吸い寄せられてます。
水辺と桜は本当に相性がいいけど、写真撮るとなると水のある場所には入れないわけだから、撮る角度とかはかなり限定されてしまう感じ。水の中に入って水面近くから撮ればまた面白い絵になるかもしれないものの、そんなことする人はまずいないと思います。


桜 藤森琵琶湖疏水3
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X

すべてニッコールのAis50mm、明るさがf1.4のレンズを使用。
去年のはモノクロで撮って、モノクロの桜は意外と良かったので今年もそうしようかと思うところもあったけど、思うのはまた別にして今年の桜はモノクロじゃなくリバーサルで撮ってます。少し前にカメラにこのフィルムをセットしていたという単純な理由で、リバーサルで桜を撮ったらどういう感じになるかと興味もあって、このままカメラにセットしてあった撮りかけのフィルムを使うことにしたわけです。
ポジフィルムを使うのは実は初めてです。露出がシビアだとか、ライトボックスにルーペを使って写真を見るなんていう、なんというか個の内側に篭るような見方が気に食わなくて、あまり使う気になれなかったフィルムでした。
撮り終えてみると、ネガのように反転したものじゃなく、普通の写真がフィルム上に小さく並んでる様子は綺麗だし、コマの一つ一つはまるで写真のミニチュアのよう。ルーペで眺めるという鑑賞方法はやっぱり嫌だけど、透過光で見るイメージはプリントした写真とはまた違う透明感のある質感で、暫くリバーサルを続けてみようかと思ったくらいには結構気に入りました。
ポジフィルムはコダックが全面撤退して、今は残ってるものも限られてるから、売り場にあるうちに使っておかないと後でちょっと後悔しそうです。実際このポジフィルムの仕上がりを見て、面倒そうなフィルムと思わずにコダックのポジも使っておけば良かったと思ってるもの。


桜 藤森琵琶湖疏水4
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X





桜 藤森琵琶湖疏水5
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X






桜 宇治川沿い小学校
2015 / 04 / FUJI PROVIA 400X


最後のだけ宇治川沿いを歩いて撮った桜です。小学校の桜。
この時はまだ新学期が始まってなかったので閑散としてました。
数日後に入学式があったようだけど、今年の桜は残念ながらとうに盛りを過ぎた状態になっていました。
やっぱり今年の天候は桜にはちょっと過酷だったようです。







街の肖像画#6 頂 + 退院のこと

円塔
2015 / 03 / Kodak Super Gold 400



麩屋町通六角を下がったところにある革島医院の円塔の頂。京都に残る古い洋館の一つで、蔦に覆われた煉瓦の側壁とかが目を引くんだけど、ここはちょっとへそ曲がり的に特徴的な蔦と煉瓦は完全無視で、余白の絵作りを目論んでみました。
単純に余白の構図というのも狙いすぎなので、ちょっと待ってとでも云ってるような電線が余白の片隅を横切ってます。全体の意図をちょっとずらし、曖昧にしたうえでそれなりに画面のアクセントにもなってるように思えるんだけど、どうかな。
余白って考えてみると結構面白い存在です。なにしろ何もないということが意味を持つんだから。

うちのスキャナーはこういう絵は苦手のようで、一面の色面といったものをスキャンすると、色も上手く出ない上にわずかにライン状のノイズが混じってしまいます。もとの写真はもっと綺麗なんだけどなぁ。


☆ ☆ ☆

父が無事に退院しました。大事にならなくて本当によかったです。
退院直前にこれからの生活の注意だとか病院で一大講義でも待ってるかと身構えてたものの、そういうこともなくあっけないほど簡単に解放された感じです。
病院の中では歩き回ってたけど、実際の街中で上手く立ち回れるか心配してたのも、わりと問題なく自宅まで帰ってこれたから、駅の階段とか注意しながら使うようなところがあるにしても、まぁ大丈夫なんじゃないかと思います。

退院した後で久しぶりに病院食以外のものを食べようと一緒に昼ごはん食べに行ったら、お茶からして美味しいって云ってました。
病院の食事が不味いのは分かってたけど、病院のはお茶も不味かったそうです。








街の肖像画#5  - 溢れ出す光と収斂する光と + PLANET LAIKA + 入院のこと

鉄橋と溢れ出す光
2014 / 01 / Lomo Color Negative 400




ゲート
2014 / 01 / Lomo Color Negative 400





水面下でざわめく
2014 / 01 / Lomo Color Negative 400




京阪七条駅から東福寺駅辺りを歩き回って撮った写真から。2014年の1月と、一年以上前に撮った写真を今頃になって載せてみます。
上の写真は鴨川縁。七条辺りの鴨川とかもう観光地っぽいイメージなんてほとんどなくなってます。わたしとしてはここにかかる橋、唐橋の造形が結構好きなので、わりとお気に入りの場所だったりします。遠景に見える鉄橋はJR奈良線の鉄橋。南からやってきた電車はこの鉄橋を渡るとほとんど間をおかずに京都駅に到着します。
最近はハレーションだとかフレアだとか、写真に入ったほうが面白いので、フードつけないで撮ったりしてるんだけど、このカメラは特にそんな意図もなく保護フィルターをつけただけでそのまま撮ってました。おそらくサイズの合うフードを見つけてつけても、ファインダーの視野のかなりの部分がけられてしまうんじゃないかと思います。
でもこれ、あまりかっこいいフレアの入り方でもなかったなぁ。レンズの汚れとかも参加してるような出方だし。虹色の放射が入ってるところを見るとひょっとしてこのカメラのレンズはプラスチックレンズが混じってる?

二枚目の、窓から入った光が部屋の中で漂っているのを窓越しに見るって云う光の質感は結構好き。以前にここに載せた写真だと、バーバーとか祇園の窓越しの観葉植物の写真とかがそんな感覚で撮ってます。

最後のは水底に降り積もり、淀む光。放置された水槽の底のほうに溜まってる水の層とか、なんだかこの奥のほうに何かが潜んでそうで結構ホラー趣味的なところが、個人的には視線を引きつけられるんだけど、普通にはただ汚いだけのものなんでしょうね。

使ったカメラはフジカのフラッシュ・フジカ・デートでした。今のフジフィルムが昔出していた38mm画角のファミリーカメラです。ジャンクで確か500円くらいだったかな。この辺りのプラスチック製の大衆的なカメラはクラシックカメラのオーラもほとんど無いせいで今はおそらく需要もなく、売る気満々の値段をつけても仕方ないので、検査もせずにジャンク扱いになってるのが多いです。この機種もジャンクコーナーの常連。正規のガラスケースの中に置いてあるところなんか見たことないです。
見かけてもこのカメラの場合はなぜか大抵電池ボックスが液漏れで悲惨な状態になってるから、ここが綺麗なものを見つけたら、使える可能性はかなり高いカメラです。フジノンレンズ搭載で、実は結構よく写るカメラとして知ってる人には知れ渡ってるカメラでもあります。

フラッシュフジカ

見た目はコニカのC35EFと凄くよく似てる。コニカのほうはピッカリコニカの愛称で知られた、世界初のストロボ内蔵のカメラだったから、おそらくフジカのほうがよく言えば対抗馬、身も蓋もない云い方だと、後出しのコピーカメラだったんだろうと思います。

ピント合わせ以外はシャッターを切るだけの簡単カメラで、ピントに関してはピッカリコニカもこれも距離計はついてなくて、目測式のカメラとなってます。要するに、対象とどのくらい離れてるか見た感じで判断して、人のバストアップだとか山とかが描いてあるアイコンに合わせる形。
昔の廉価のファミリーカメラにはわりと平気で目測式のピント合わせしかついてないものが多いです。機構がシンプルなほうがファミリー的にはいいだろうという判断だったのか、でもそうは云っても目測式がカメラ知識を特別に持たない可能性もあるファミリー向けの親切設計とは到底思えず、まぁやってみると適当でそれなりに写りはするんだけど、当時のファミリーはこの目測式のピント合わせとか戸惑わなかったのかな。





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一応この時使ったフィルムがあったので。
でもこれ、おそらく中身はコダックだと思います。


☆ ☆ ☆


PLANET LAIKA (OP)


PSのゲーム、プラネットライカのオープニングの音楽です。
クーロンズゲートのスタッフが関わっていたということで誰も夢想しなかったような世界の構築といった点でクーロンズゲートに負けてないし、ユニークさはこのオープニングを見ただけでも窺うことができるんじゃないかと思います。
オルガンの音もかっこいいイタリアン・ラウンジの雰囲気が横溢してます。色使いとか色の配置だとか動きだとか洒落たイタリア映画にでも出てきそうな雰囲気で、レトロモダンなガジェットとともに、ゲームで展開される世界とは思えないほどクールでお洒落な感じがします。
クーロンズゲートとともにこのゲームに関わったチーム「是空」はとっくの昔に解散してるけど、今のゲーム機でこういうどの方向にも媚びてないような印象鮮やかなゲームをもう一度結集して作ってくれないものかと夢想します。




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(1999/10/21)
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☆ ☆ ☆


父の入院で、お見舞いのメッセージを送っていただいた方へ、本当に有難うございました。
返事にもちょっと書きましたけど、幸運なことに症状の程度はかなり軽くて、大事にならずにやり過ごせそうな形になりました。MRIの写真を見せてもらうとトラブル箇所が極微だったのと、回りの血管が必要な栄養などをトラブルが起きた血管を迂回して患部に運んでくれて、軽微な症状で済んだということのようで、脳の血管の冗長性に助けられた形になっていたんじゃないかと思います。
見舞いに行って聞いてみると、今週末くらいには退院の可能性も出てきてるとのことで、主な症状だったろれつが回らなくなっていたのもほとんど普通に会話できるくらい回復してます。梗塞を起こしていた脳が支配している側の体の動きが若干鈍いところはまだあって、そういうのも含めて、退院後も自宅でリハビリは続ける必要はあるらしいけど、自力で軽がると歩いてるし、ともあれ最初の山場は無事に乗り越えることができたような感じになってきました。
それにしても細い血管一本が詰まるだけでこんな事態を引き起こしてしまう、冗長性はある程度確保はしてるものの基本的には脆弱な脳という組織に全人格が乗っかってる状態は、考えてみれば結構怖いことなんじゃないかと、今回の出来事で思ったりしてました。

病院へ見舞いに行く途中の電車の窓なんかから、桜が咲き始めてるのが見えます。今年は桜の写真撮れるかなぁ。一応病院へ行くときもF3を襷がけにして持っているので、途上で見た桜なんか撮っておければいいんだけど、見た桜を追って電車を降りたり、回り道する気分の余裕はまだちょっと足りないって云う感じです。