fc2ブログ

吉田山が逃げていく。 + Grant Green - That lucky old sun

向こう側の花
向こう側の花
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200


百万遍辺りで撮っていた写真の続き。
撮っていた事情は前回書いたので、まぁこういう写真を撮りながら梅雨明け直後の炎天下を歩き回っていたわけです。
この酷暑の間も暑さに辟易しつつ、それでもカメラ持って出歩くことをやめたりはしなかったけど、吉田山に辿りつけない、行けども行けども吉田山が逃げていく、なんて云ってるわりに、結局この時以降百万遍の辺りは2,3回訪れただけで、それ以来こっち方面へは足が遠のいてしまってます。ひょっとしたら百万言界隈の光景に意外と早く飽きてしまって、飽きた地域を通り抜けないと辿り付けない吉田山、なんていう扱いになってしまったのかも。
最近は桃山の御陵のある辺り、この辺も森林地帯なので木が一杯あって、こういうところを歩き回ってます。この辺りは御陵になったせいで原生林がそのまま残っていて、木を見るには不自由しないところなんだけど、でも木は一杯生えてるものの、いまいち自分が想像してる木とは雰囲気が違う。まだ訪れて間もないからどう写真撮れるか判断できないけど、思うようには撮れなさそうな気配がします。

それとこの夏はほとんどホルガとウルトラ・ワイド・スリムで写真撮ってました。ホルガとか面白いカメラなんだけど、やれることと言えば目測の距離決定とシャッター切ることくらい、絞りの変更レバーがついてるけど構造上の欠陥でどの位置にあわせても変らないなんていうカメラなので、さすがにちょっと飽きてきた。夏の初めにフィルム入れて5,6枚撮った状態で休ませてるペンFなんかが控えてるので、そろそろホルガにこのハーフカメラも混ぜて使っていこうかなと思ってます。



黒タイル
黒タイルの家
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200


ということで、今回の写真については周辺事情は前回に書いたので、実は書くことがほとんど思いつきません。これは困った。
目の前の具体的な写真そのものについてどうこう書くのは、本当はあまりやりたくないところもあり、理想は言葉なんか添えずに写真だけの提示、こんな写真を撮ったけど、どうでしょう?って云うだけのシンプルなあり方のほうが理想的だろうなぁと思ってます。
撮ってる時も自分が何に促されてそういう風な写真を撮ったのか、こういう視線で対象を把握しようとしたのはどうしてなんだろうとか、実は撮った本人もよく分からないままだったりすることも多く、言葉にして、言葉にすることは形を与えることだから、自分の撮った写真を前にして一度そういうことを言語化し、もやもやとした不定形のものじゃなく確かな形を与えてみるのは意味があるとは思います。でも自分との関係ではそう思うものの、自分以外の人に見せるような場合にはどうなのかな。意味があるんだろうか。

まぁそんなことを考えつつ、今回の写真ついて、自分ながら似たようなもののバリエーションで撮ってるなぁと。これは意図しない形だけど、いわゆるテーマ的なものに近似する何かなのか。自分としてはテーマを載せて写真撮るなんて絶対に嫌と言うところもあるんだけど、そのバリエーションのうちで撮り続けてるとそのうちテーマ的に見えるものが現れてくるかもしれず、テーマに従属するような写真じゃなくて、写真からそういうものが立ち現れてくるなら、それはわたしが嫌いな、写真を単なる手段として従属させるようなものとはまた違うものかも知れないなと思ったりもします。
でも自分が持ってるバリエーションのうちでしか撮れなくなったら、これはやっぱり本人としてもあまり面白くはならないだろうなぁとは思います。自分の中の形を持たないものに言語化することで形を与えると、先に書いたのとちょっと矛盾したことを言うけど、写真には自分が盛り込もうとしたもの以外にも、意図しないで混ざり合ういろんなものがあるはずで、そういうものが写真の豊かさの一翼を担ってると信じてるところがあります。自分の馴染みのもののバリエーション以外では撮れなくなってくると、そういうのもやせ細ってきそうな気がするし、自分語りのような写真は全く撮る気がない者としては、自分が見てもこれは一体誰が撮ったんだっていうくらいのものを撮ってしまうことのほうが刺激的で面白そうです。


見放された場所
見放された場所
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200

☆ ☆ ☆


今日写真撮りながら歩いてる最中に、首から提げていたホルガを落としてしまった。
一応安っぽい合皮のケースに入れてたんだけど、カメラを止めてるのがカメラの片側の上を渡る一本のベルトだけというケースだったので、ケースが何の拍子かさかさまになった時に思い切りすっぽ抜けて、地面向かって一直線のコースを辿っていきました。一本の細いベルトだけだけど、もうちょっと止めてくれてると思ってたのに。
裏蓋がはじけ飛んでフィルムが全部地面に飛び出し、本来フィルターの類はつけられるようにはなってないけど46mm径のものだったら無理やりねじ込めるから、そうやってつけていたフォギーBフィルターがものの見事に割れてしまってました。
フィルムはもちろん全部日に当たったので完全にアウト。ホルガのほうは裏蓋がはじけ飛んでレンズの鏡胴が斜めにゆがんでたけど、ホルガのレンズはおそらく瓶の蓋がねじ込まれてるようなのと大差ない構造なので、強く回したらネジ山が元に戻ったのか、真っ直ぐにスムーズに回転するようになって、どうやらカメラへのダメージはほとんどなかったようでした。ひび割れ一つついてなかったし、ホルガのプラスチックは意外と硬い?
唯一若干華奢な感じのするフラッシュもテストしてみれば問題なく発光して一安心、ホルガはあまりにも単純な構造が、逆に故障のしようがない境地へと導いてるようなカメラだから、そういう妙なタフさが発揮されたのかもしれないです。
それにしてもフィルムが一瞬にしてアウトになったのはやっぱり気落ちします。今日始めて撮り始めたフィルムで落とすまでに8枚ほど撮った状態でした。少ないようだけどブローニーを645のフレームで撮って、撮れる枚数は全部で16枚だから約半分はもう写真になっていたフィルムでした。どこで撮ったかはほとんど覚えてるからもう一度撮りなおせばいいんだけど、これ同じ写真が撮れるかというと、もう一度撮りなおしに行った写真とかなぜか最初のよりも精彩を欠いてる場合がほとんどだったりするから、あまり気乗りがしないです。
ナチュラ・クラシカも持って出ていたから、その後も写真を撮ろうと思えば撮れたんだけど、気落ちして結局その日の残りの予定は全部中止となった一日でした。


☆ ☆ ☆


Grant Green - That lucky old sun


以前グラント・グリーンのこの演奏を探して見つからず、代わりにレイ・チャールズの歌ものを載せたことがある曲。
歌ものだとサラ・ヴォーンが歌ったのもスピリチュアルで聴き応えがあります。
グラント・グリーンはジャズ、ファンクのギタリスト。わりとジャンルを横断して、結構色物的な領域の境界線上に足を突っ込んでるような、弾くとなればなんでもこいの演奏をする人なんだけど、基本的にはファンキーなノリで本領発揮するギタリストかな。ここではボッサのリズムに乗ってリラックス、気持ちよさそうに弾いてます。コード弾けないんじゃないかといわれるくらい(実際はコード弾いてるアルバムもあります)、ホーンライクなシングルトーンの、正直に云ってあまり流麗でもない演奏スタイルだけど、気に入ってしまうとその豊かな歌心に夢中になってしまうかも。





これ、ジャケットからだと分からないけど、ドナルド・バードのレコードとカップリングになってるアルバムです。両者のファンなら文句なしのCDなんだけど、片方どうでもいいとなると、はた迷惑なカップリングとなります。
フラント・グリーンのほうはオルガン弾いてるのはラリー・ヤング。オルガンとギターって云う組み合わせは本当に相性がいい。その相性のいい楽器の組み合わせの上に、このミュージシャンのセッションはなかなか癖があって面白いです。





スポンサーサイト



吉田山に行きたかっただけなのに。出町柳から百万遍辺りの裏路地で。

柵と植木
柵と植木
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200


街中のブティックは既に秋物に様変わりして、今年の夏もそろそろ終盤を迎えようとしてます。ファッション先取りの人は暑い中早くも秋物を着こんで汗だくになってるのかな。春先は逆に寒い中を薄手の春物を着て鳥肌立ててるんだと思うけど、ファッション先取りも何だか大変そう。そういえば先日河原町BALの新装オープンになった日、たまたま電車の中でオープン当日1000名様にBALオリジナルのトートバッグをプレゼントなんていう広告が吊ってあるのを見て、近くに行く予定だったから、ひょっとしたらと思って行ってみたんだけど、とっくの昔に1000名様のトートバックは捌けてしまってました。開店から時間にして2時間ちょっとくらいだったかな。来たついでにBALの中を見物していこうかと思ったけど人一杯で辟易してそのまま退散。ファッションブランドにはもうほとんど関心がないから、BALで利用できるところは無印と丸善くらいかなぁ。丸善は一度京都から撤退してるから、再挑戦って言う形になってるようです。人出が少なくなってからレストランとかどういうところが店出してるのかくらいは確認に行ってみよう。

それはともかく、今年の夏。
今年の夏は、早々と振り返ってみれば本当に写真撮りに行こうとしてる気分を阻害することしかしなかった夏だったと。こんなのため息しか出てこない。
前半の1時間と歩いてられないような猛烈な気温の期間が一段落すると、間をおかずにまるで梅雨のような陰鬱な雨降りの日の連鎖状態。気温は前半の37度前後という強烈なものから比べたら幾分下がったんだけど、その下がった分を補うかのように湿度が跳ね上がったようで、息苦しくなるほど蒸し暑い。カラッと晴れて風が心地いいような日なんか今年の夏は一日たりともないというのが本当に酷い。基本太陽が出てきてくれないから、やっぱりカメラ持って出かけてもほとんど撮る気がしなくて、蒸し暑さで水を被ったような状態になっただけでそのまま帰ってくるって言うのを繰り返して、もう今年の夏は早くどこかに行ってしまえとしか思えなくなってきました。惜別の情も今年の夏に関しては覚えないと思う。
京都は地蔵盆の季節なんだけど、こんな天気が延々と続いてまともに出来るのかなぁ。


階段
階段
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200




初夏の頃からちょっと木を撮ってみたいと思ってました。それで木のあるところだとどこが良いかなと思い巡らしてなぜか頭に浮かんだのが吉田山。
そんなに予測を立てるほど知ってるわけでもないのに、なぜか吉田山と言う単語が頭に浮かんで、自分のことながらなぜ吉田山だったのかいまいち理由が分からない。吉田神社もあるしひょっとしたら何かに導かれてる?
きっかけは意味不明であっても行って悪いことはないし、ということで梅雨のせいでカメラに装填はしていたけどほとんど撮れなかったフィルムを使い切るために、梅雨が明けた直後くらいに出かけてみることにしました。
今回の写真はそのとき撮ったもの。
バスで銀閣寺とか哲学の道辺りまで乗っていくのが正解なんだろうけど、わたしは京都のバスが大嫌い。それで京阪の出町柳の駅から東に向けて歩いていくことにしました。この時のことは確か以前にちょっと書いたけど、せっかくだから街中も歩き回って写真撮ろうと寄り道していたら、百万遍の交差点から京大の前を少し行った辺りで、あまりの暑さに音を上げてしまって、どうにもさらに先に進む気力を生み出せず、暑さに打ちのめされたまま出町の駅に戻ってしまうことになりました。
実はその後何回か同じルートで吉田山を目指してるんだけど、未だに京大の前辺りで力尽き果てて、吉田山には辿り付けてません。
涼しくなったら今度こそ辿りついてやろうと思ってるんだけど、夏の間に未踏に終わってる吉田山行がそれでは成果がなかったかと言えば、実はこの百万遍に至る過程の寄り道で撮ってた写真、他の人はどう見るかわからないけど自分的には結構気に入った撮れ方をしてるのが多かったんですよね。木の写真も撮れず吉田山にも辿りつけないで、目的は一つも達してないのに、意外と成果だけは豊かだったと。
この時久しぶりに50mmの標準レンズをつけていったのも、しっくりきて撮りやすかったから、そういうのも影響してたかも。ちなみにレンズの画角に関してはフィルムカメラを基にして書いてるので、アダプターを介してミラーレスのデジカメなんかにつけた場合とは見え方は異なります。ミラーレスで使うとちょっと画角が狭くなってしまうんだったかな。
FM3Aはこの時のフィルムを撮り終えた後、この酷暑の間はお休みということで次に持ち出すのは涼しくなってからの予定だけど、結構頼りになる相棒のようになってきてるならなかなか頼もしいと言ったところです。


☆ ☆ ☆


三枚のうち最初のと最後のは若干コントラストを上げてます。色味は三枚ともちょっと調整。
最初のは壁のテクスチャとか全体に絵画風のタッチになったのがお気に入りです。


配管と蔦
配管と蔦
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200






宇治 抹茶ソフトを食べながら寂れた街の大冒険。 + 海洋堂のガシャポン珍獣動物園を集めてみた。

横断歩道と廃屋
廃屋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像





街中のさりげない廃屋
廃屋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像





廃車
廃車
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像



JRの宇治駅から宇治橋辺りまでの市街地を探検して撮っていた写真から。
寂れたものとか放置されて誰も見向きもしなくなったものとか好んで撮ってるのもあるけど、それにしても寂れた街角というか、あとちょっと押せばゴーストタウンへとまっしぐらに転げ落ちていきそうな風情の街の印象。実際にほとんど人も通ってなかったし。
JRの駅から北東の方向へ宇治橋の辺りまで進んでいく間にみる街の様子は商店街があってもあまり活気がない様子で、裏通りに入ったら大抵こんな感じの場所になってます。
とまぁ初見であったかのような書き方だけど、実はわたしが通っていた整形外科は宇治橋の近くにあったので、電車乗って一定期間定期的にに訪れたりして、この雰囲気は結構周知のものでもありました。

宇治というと何だか観光地っぽいイメージがあるものの、確かに宇治橋の傍らには平等院があったり、橋を渡って山手のほうに行くと宇治上神社とかあったりはするけど、ピンポイントで観光スポットになってる場所が離れ小島のように点在するだけで、そのピンポイントを離れると、古びて風情があるわけでもない茫洋とした住宅地が広がるばかり、宇治と言う街そのものはまるで自らを観光地として活性化させようなんて思いもしてないような様子です。あるいは平等院とお茶だけでいろんなことが成り立ってしまったからそれ以上のことをやる気が失せてしまったとか。その平等院もそこへ至る参道には観光地的な店舗が並んでるけど、長くもない参道の両側はほぼ全部の店がお茶を扱う店で、こんなの一軒あったら全部事足りると、バリエーションの欠乏感は底なしの気配だったりします。決して東山のようになってとは言わないけど、もうちょっと散策する人のことも考えて欲しい。
一方、宇治橋をはさんで平等院とは反対側のエリアは宇治川に沿ってユニチカの工場地帯が広がっていて、わたしにとっては工場地帯のほうが写真撮るところが多そうなのでちょっと歓迎したいところもあるんだけど、もはや平等院見物の延長で足を踏み入れるところではなくなってます。

宇治橋の辺りに来たらタイトルに書いた如く抹茶ソフトを買ったりするんだけど、抹茶ソフトは夏になると本当にいたるところで売ってます。ある種宇治の名物扱い。


☆ ☆ ☆

今年の春頃から35mmや28mmのレンズを使って、どうも納得がいくように使えない、どう使っていいのかよく分からないと試行錯誤を始めた期間に撮ったもの。試行錯誤の途中経過報告のようなもので今回のは28mmを使って撮った写真です。場所的にはユニチカの東隣辺りの住宅地区域。ユニチカって名前は知ってるんだけど、何してる会社?寂れたほとんど廃墟のような浄水場を見つけたんだけど、水関係の会社でもなさそうだし。

ちょっと引き目で撮ろうと思っていたのもこういう広角よりのレンズを使ってみようと思った動機の一つでした。まぁ、望遠でもうんと離れれば広く写るし、広角でも近づけば近接の撮影ができるんだけど、かたいことは云わない。
広い範囲を写せるとなるといろんなものが画面に入り込んできて、実は混沌としたものは嫌いじゃないんだけど、何を拠り所にしようかと決めかねる場合が多いって云う感じです。混沌が好きなはずなのに、混沌そのものを前面に押し出すほどの思い切りの良さもなく、雑然といろんなものが入り込んだ、何が写したいのかもう一つよく分からないって云うように見える写真の割合が、試行錯誤を始めてから結構多くなってきました。
広角こそ近接で撮影するべきレンズと言う考え方もあるようなんだけど、直線が歪んだりするのがどうも馴染めなくて、あまり撮りたい絵の種類でもなかったりします。

複数の被写体がフレームの中に入ってくるから、被写体単体の写真と言うよりも、よりその場の空間を掬い取るような視点にシフトした撮り方になると思うし、最初に書いたちょっと引いて撮ってみようと思ったのもそういう空間をフレームに収めてみたかったからと云うのもありました。
わたしが思ってる空間はオブジェが入っていて配置されてる容器のような静的なものじゃなくて、オブジェの関係性においてそこで生成されてくるような空間。よく言う空気感といったものもあるだろうし、解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いが作りだす空間もそういうものの範疇に入ってくると思うと、結構カバーする範囲は広そうな観念ではあると思います。
云うのは簡単なそういう空間をフレーム内に生成したいと、思いついては一人ワークショップのように広く写るレンズのカメラを持ち出してるんだけど、結果はなかなかついてきてはくれない今日この頃ではあります。




陸橋
陸橋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像



☆ ☆ ☆


最近久しぶりにガシャポンをやっていて、目当ては海洋堂カプセルQミュージアムの珍獣動物園全5種の中に入っていたハシビロコウでした。
一回300円とちょっと高い。3回くらいダブったらその時点で止めるという感じでハンドルを回して、数日で結局カピバラが一体ダブっただけで全5種出揃う結果となって、あらゆるくじは外れしか引いたことがない者としてはかなり運がよかったんじゃないかと思います。でも目当てのハシビロコウは結局一番最後に出ることになったから、本気で運がよかったら最初に出てくると思うので、そこまでは運がよかったわけでもなかったと言う感じかな。
これ海洋堂なんですよね。で、かなり期待したんだけどハシビロコウの造形はいま一つって所かなぁ。チャームポイントの後頭部の羽毛とか、あまり入魂の造形にも見えないし。

ガシャポン

ハシビロコウがこのセットの中では一番の売りだと思って、でも全部集まってみるとひょっとしたらハダカデバネズミのほうが一番の売りだったような気配もあるかな。稼動部分のギミックがあったのもハシビロコウとこのハダカデバネズミだけだったし、造形はこっちのほうが気合はいってそうです。と言ってもこれが一番の売りで数も少ししか入ってなかったとしても、あまり欲しくはならないと思うけど。






空が落ちてきそうだった日

影絵
影の領土
2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像





群れ
群れ成すものたち
2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像



幾分暑さは和らいできたのかな。30度を越してるのは変わりないけど、えらいもので37度なんていうのを暫く体験してたら、30度越えてるくらいではあまり動じなくなって来てます。暑くてもいいけど、こういう辟易する一歩手前くらいの暑さで収まっていて欲しい。でもまた嫌がらせのように、あと何度かは酷暑になるんだろうなぁ。
暑かった期間、体感では軽く37度を越えてそうな日に木津川にカメラ持って出かけた時なんか、駅から木津川の堤防についた時点でもう駄目だと思ったし、この日は堤防についただけでまた陽射しをよける影のほとんどない道を駅まで戻ったんだけど、汗が止まらなくてどうしようかと思いました。軽く熱中症の前段階くらいまでいってたのかもしれなかったです。堤防から先に進まなかったのはもう一つ訳があって、川縁に降りていく石段の途中から草木の茂みが覆いかぶさってその中に踏み入れないといけない感じになってたから、なにしろ太ももから下は無防備に露出させてたから、これであの茂みに踏み入れたら、真夏で勢いづいてるどんな変なものが噛み付いたりしに来るか分からないと思うと、とてもじゃないけど降りていく気にはなりませんでした。

夏の間カメラ持って歩いていて困ることの一つは、些細なことだけどストラップが汗まみれになること。普段持ち歩いてるのがフィルムカメラなので、革のストラップでかっこつけてるんだけど、汗でめちゃくちゃになってきそうです。とくに安い値段で気軽に使ってるものは下手すると色落ちして着てるものを汚したりもするし。
ということで今年は初動から物凄い気温の夏となってることもあって、革のストラップの使用を一旦停止しました。代わりに濡れても問題なさそうな、普通の今流通してるストラップから選んで使ってます。
ストラップに5000円だとか一万円だとか払う人の気が知れず、そんな資金があるなら写りに関連するような機材の類に費やしたいと思うほうなので、値段は1000円台でも高く、1000円以下、襷がけできる長さがあって、目立たない細みのものという条件で探してみたら、この条件では無理だろうと思ってたのに、探せばあるもので一種類だけだけど見つけました。
長さ150センチ、本体の幅2.5センチの紺色に白の水玉模様のもので、800円くらい。今のナイロンテープを使った定番の形のストラップなので、別のカメラに付け替えるとか長さ調節さえも革のストラップのように簡単にはできないから、汗をかく時期に持ち出すつもりのカメラの数だけ購入してつけっぱなしにしてます。
これは夏以外に使って特に不都合があるわけでもないから、秋になってからでもそのまま使い続けてもいいかなぁ。
なんか重たいカメラには幅の広いストラップとか当たり前のように区別して売ってるけど、ハッセルとかペンタックス67とか、軽く2kgを越えてるようなカメラでも純正のストラップはかなり細身、この水玉のストラップよりもはるかに細いものが用意されていて、使ってみても首の骨がずれそうなんていう感じは一切ないから、幅の広いストラップなんて使う必要ないです。

水玉ストラップ

ちなみに、こういうの。
つけてるカメラはプラレンズのホルガに35mmフィルムが使えるようになるホルダーを装着したもので、ホルダーは最近話題にしてるヴィレッジ・ヴァンガードのアウトレットで7割引で購入(ちなみにプラレンズ・ホルガ本体とセットのものが、今はどうか知らないけど、まだ一つ売り場に残ってました)。これはこのところ暑いさなかに持って出かけてるカメラの一つです。
ストラップはホルガについてたストラップの金具を使って繋いでます。ホルガ付属のストラップはかっこいいかっこ悪い以前にぼんやりした印象しか与えない代物で、逆にかっこ悪いものよりも使う気にならないから、金具だけ取りました。
ホルガのストラップをつける部分は裏蓋の止め具兼用で、そのままだと持ち運んでる最中に金具ごとすっぽ抜ける可能性があるということなので、本体へビニールテープを巻いて固定してます。でもそんなに外れやすい金具のようには見えないんだけどなぁ。

☆ ☆ ☆

今回の写真は三枚とも京都の街中で撮影。
上の二枚はこの前の夜行列車の写真と同じコンタックスT3に入れていたフィルムに収めていた写真です。
最初のはなんだか切り絵みたいになってるけど、これ、フォトショップで加工したわけじゃなく、フィルムの段階でこういう写り方になってました。大体撮ってる時も日の当たる場所と影のコントラストがきつい場所で、そういうのを撮ろうと思ってシャッター切ったんだけど、もう少し柔らかい感じを想定してました。
おそらく撮影時の露出を日向に合わせすぎたのかなと思ってるんだけど、どうなのかなぁ。ディテールが簡略化されずぎてるようで、そんなにこういうふうに写したいとも思わないんだけど、もう一度こんな画面を撮ろうと思っても無理かもしれない。

加工といえばこれは少しトリミングして、わずかにセピア色を乗せるのに加工したくらいかな。それもラップするように単純に色を乗せてるだけなので、色のニュアンスは均一であまり面白くもない。
モノクロに色を乗せるというのはやっぱり独特の色気みたいなのが出てくることがあるからやってみることは多いです。ただセピア系はノスタルジックな方向へと傾きすぎるからあまり極端にセピア色って言うのは乗せたくないけど。他は意外とブルーとかグリーンが乗ってるモノクロもかっこいいんですよね。アナログ的に印画紙に焼き付ける段階でああいう色を載せるのはできるのかどうか、フィルムは使うけど暗室が必要な焼付けまではやったことがないのでわたしは知らないし、ああいうちょっと特殊な色はフィルムの化学反応的な過程しゃなくてひょっとしたら写真の行程とは別系列の、印刷の段階での加工の結果なのかなとも思うけど、ともあれ色つきのモノクロとしてはブルーとかグリーンは一見不自然に見えそうだけど、イメージとしては嫌いじゃないです。

あとトリミングは絶対に嫌って言う派の人と必要ならやるって云う派の人と二分しそうです。フィルムで撮ってる人は、たとえばハッセルのフレーム枠にはちょっとだけ切り欠いた部分があって、写真の周囲のその部分もみせることでトリミングしてないと暗に意思表示したりすることがあるんだけど、トリミングに抵抗感がある人が多そうな感じがします。
わたしもどちらかというとやりたくない派で、できるだけ撮った時の状態、判断を重視したいほうなんだけど、まぁそれは結果次第で、トリミングしたほうが面白くなりそうっていう場合はあまり躊躇いなくやるほうかも知れないです。
でも形は整うんだけど、トリミングをやりすぎると写真全体の勢いが失われると言うことは結構あるような気がします。あまり整ってないけど最初に撮った状態のほうが写真としては生き生きしてるとか。
こういう判断は難しいです。


空が落ちる
空が落ちてきそうだった日
2014 / 12 / Fuji Natura Classica + 28mm-56mm f2.8-5.4 / Ilford XP2 SUPER


何もわざわざナチュラ使ってこんな暗い写真撮らなくても。

夏の気分なんかどこ吹く風と云わんばかりの陰鬱な写真で今回は締めくくり。
次回はもうちょっと溌剌とした写真でいってみようかな。



☆ ☆ ☆





ストラップはこれ。150センチなんていう長さのものは意外とないので、色々と余裕をもって使える感じでした。でもこの一般的なストラップの形の、固定するやり方はやっぱり調節がしにくいし、他のカメラに付け替えようとした時はかなり面倒です。デジカメ使ってる人はあまり付け替えないのかな。
革のストラップはワンタッチで付け替えられたりして使い勝手がいいんだけど、上に書いたように汗に弱いし、おまけに高価。もともとブランドのロゴなんてどうでもいいほうなので、ストラップはこういうので十分かな。







夜を行く + Harold Budd - Bismillahi 'Rrahman 'Rrahim + ヴォルフガング・ティルマンス展開催中。

夜行

2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像






中庭
中庭
2014 / 01 / Olympus OM-1 + G.ZUIKO 50mm f1.4 / Kodak Tri-X



連日予報は37度、実際には39度くらいまで上がった日もあるようで、とてもじゃないけど昼日中、太陽が思い切り顔出してる時に歩き回るのは無理。一時間ほどが限度じゃないかなぁ。そのくらい炎天下で歩き回ってると頭のなかは「暑い暑い暑い暑い暑い」とたった一つの言葉で埋め尽くされてしまって「写したい何か」とか「かっこいい配置」とか、そういった言葉の入る余地が無くなってきます。
梅雨が明けてから暑い中歩き回るのに負担を減らそうと、ホルガだとかダイアナだとかもう軽い軽いプラスチックカメラを提げて歩いてるんだけど、この夏の暑さと云ったら、プラスチックで出来たカメラが、このまま提げてると熱で溶けてしまうとか、変形してしまうんじゃないかとか心配になってくるくらい酷い体感で迫ってきます。いくらトイカメラ、今のところヴィレッジヴァンガードのアウトレットで7割引の2000円程度で買えるとはいえ、溶けて変形してしまうのはやっぱり悲しい。7割引といえば同じヨドバシカメラのカメラ売り場ではホルガ、ダイアナ、両方とも定価で売ってるんだけど、同じものが2階下に行くだけでこんな値段で売ってるって気づいてる人多いのかなぁ。
まぁそれはともかく、37度なんていう、熱のある汗ばんだ病人に、合わさる肌は全部ぴったりと密着するかのように抱きつかれ絡みつかれて、熱っぽい息を首筋に延々と吹きかけられてるような暑さはとにかく耐えがたく、写真撮りに出かけても上に書いたように1時間も歩いてればもう写真とかどうでも良くなってきて退散って云うようなことを繰り返してます。これ以上遠くに行ったら帰りの行程で絶対に熱中症になって倒れると危機感を覚えさせるターニングポイントまでの距離もとても短くなってる。
でもいくら暑いといっても、こんな気分に持っていかれるのは今年の夏が始めてで、若干自分でも戸惑い気味だったりします。数年前夏の大阪港で暑い暑いといいながら暗くなるまで写真撮ったりしてたのに、一体どうしてしまったのかなぁ。
こういう気分の動きは自分でもちょっと気に食わない。
どうしてしまったのかと思い煩うより、まぁそんなこともあるわなぁと軽く受け流して、そのうちこの暑さも静まってくるだろうから、そうなればきちんと夏の写真も撮っていけるように持っていきたいな。


☆ ☆ ☆


本当は漢字二文字で「やぎょう」としたかったんだけど、漢字にしてみると、写真も電車の写真だし夜行列車の連想のほうが近い感じもあり、「夜行」ってあのハードボイルドの人がいかにかっこよく駅弁を食べるかで四苦八苦する漫画を思い浮かべたりするから、そういう連想から離れるために、漢字二文字をちょっと砕いてみました。でもこれもかっこいいかな。

フィルムカメラは大体どのカメラも夜の撮影は苦手なところがあります。ストリートスナップのように手持ちで行こうとすれば夕方薄暗くなってくる頃が限界なんじゃないかと思います。
だからあまり夜には撮らないんだけど、それでも験しに撮ってみることもあって、今回のもそんな気分で撮ってみたものです。思う形で撮れるのなら夜になってもシャッターを切ってみたい。
撮ってみると手持ちでも意外と撮れるというか、ぶれたりすることをあまり厭わなければ、結構大丈夫って云う認識に変わりつつあります。カラーのネガフィルムは光量が不足すると色が濁ったりまともに出なくなったりするけど、モノクロフィルムはそんな風に意図しない形で画像が破綻することも少なく、増感もしやすいし、夜を行くような時には結構使いやすいんじゃないかと思います。
と云っても街中で夜となれば、夜の光景を演出してるところとか繁華街以外では明かりも極端に少なくなって、撮りたいと思うところもそんなに云うほど多くはないんだけど。

最初のは近鉄の東寺駅。ゴダールの映画「アルファヴィル」の冒頭で夜の中の高架を走る電車が出てくるシーンが結構好きで、この近鉄の高架も自分の中ではゴダールの映画とちょっと重ねてみてるところがありました。

☆ ☆ ☆


Harold Budd - Bismillahi 'Rrahman 'Rrahim

ブライアン・イーノがプロデュースしたオブスキュア・レーベル全10枚の掉尾を飾ったレコード、ハロルド・バッドの「パビリオン・オブ・ドリームス」の一曲目。ハロルド・バッドが一般的に名前を知られることになる最初のレコードだったと思います。
環境音楽と言うか、ブライアン・イーノはこれに続いてアンビエント・シリーズに発展させて、アンビエントはそのままジャンルを形作ることになったから、その祖形としての位置づけになるレーベルでした。物凄く重要な、でもたった10枚で完結したシリーズで、ここからは他にもペンギン・カフェ・オーケストラとか、マイケル・ナイマンとか、面白いミュージシャンが多数出てきました。

静かで瞑想的で、イーノは環境の中に流れていても耳を引かない音楽って云うような言い方を後にしてたと思うけど、これはメロディアスで十分に耳をひきつけるんじゃないかと思います。そういう意味では聴きやすいし、オブスキュアのミュージシャンの中でも、のちにまたイーノと組んで、わたしはこれも大好きなんだけど「プラトウ オブ ミラー」なんていうレコードを出したりと、1レベル上くらいの知名度になったのも納得する感じ。

それとここでは何度も書いてるんだけど、オブスキュア・レーベルに使われていたジャケット写真が凄く印象的で、今でも大好きです。
なぜかCDになってから違うイメージの外装になってしまってるので、これは元のジャケットの写真に戻して10枚組のボックスセットにでもして欲しいです。レコードの時に10枚全部を聴いたわけじゃないので。






これ日本盤は出てないのかなぁ。探したけど見つからなかった。わたしが持ってるのもCDはこれで、このオリジナルじゃないジャケットのもの。このジャケットはつまらない。



☆ ☆ ☆


もう一つ、これは情報だけなんだけど、現在、大阪の国立国際美術館でヴォルフガング・ティルマンス展を開催中です。どうも今回のティルマンスのこの展覧会、巡回するんじゃなく、ここで一回きりで終了の展覧会のようです。ここの展覧会は京阪の駅に告知されるのが常なんだけど、なぜか今回の展覧会は始まるまで気がつかなかった。
90年頃のRaveシーンの若者たちのポートレートで注目された写真家だけど、わたしの場合は相変わらずポートレートはよく分からず、普通のスナップ的な感覚で撮ってる写真のセンスが凄い好きな写真家といった位置づけです。
期間は9月の23日までと言うことで、何だか目録が8月中旬の入荷ということらしく、ならば暑い時に動く気にはならないから、目録も入荷してるだろう9月にはいってから見に行こうと思ってます。
それにしてもこういう展覧会は京都ではあまりやらないというか、ルーブルがどうしたとか、それもまたいいんだけど、今の時代の活きの良い展覧会ももっともっと京都でやってくれないかな。





初期の3冊の写真集をコンパクトにしてセット化したボックス。
本の大きさは若干小さくなったとはいえ、しっかりした箱に3冊が収まってる様子はなかなか存在感があります。
のちにオリジナルのでかい写真集も見ることがあって、やっぱ大きいほうが良いなぁと思ったものの、このセットは印刷も紙質もいいし、おまけに安い。コンパクト版もそんなに捨てたものじゃないです。


暑中お見舞い申し上げます + Dorothy Ashby - Heaven and Hell

祇園祭 長刀鉾
祇園祭 長刀鉾
2015 / 07 / Kodak No. 2 Autographic Brownie / Fuji Acros 100を自家現像

暑中お見舞い申し上げます。

暑い日が続いてますけど、皆様はいかがお過ごしでしょうか。陽射しに街中のあらゆるものが打ちひしがれてるようで、歩き回るのにも命がけの覚悟がいりそうな感じになってきて、でも、だからといってこんなことに命がけにはなりたくはないので、こまめに水分補給、木陰を渡り歩いて、やばくなってきそうだったら冷房の効いてるところに逃げ込むと、こういうのでわたしは今年の夏を何とかやり過ごしていこうかと思ってます。
皆様も体調管理には十分に気をつけて、この生命感に満ち溢れた季節を辟易しながらも楽しみつつ乗り切っていきましょう。
真っ只中にいるとこんなにへたってしまうのに、季節が終わる頃になって、過ぎてゆく季節への惜別の情を呼び起こすのは夏だけなんですよね。これが本当に不思議。

梅雨の間の気分の迷走状態はこの前ちょっと書いたけど、それに巻き込まれたか、暑中見舞いに使えるような写真を撮るのをすっかり忘れていて、結局たまたま今年一枚だけ撮った祇園祭の長刀鉾の写真があったので、それで間に合わせることにしました。
今年は祇園祭で撮った写真はこの一枚だけ。鉾の写真とか、毎年同じものが建てられるわけだから、今年の写真だといってもあまり意味がなさそうだけど。
これ撮った時、粽を買いに行こうと思ってやってきたのに、時期が早すぎて縁起物を売る屋台がまだ出来ておらず、結局粽を買えずに頭にきて撮った写真でした。他の鉾ではどうだったのか、もうこの日に売ってるところがあったのかどうかは知らないけど、何しろわたしの家は巡行の先頭を行く長刀鉾が大好きで、昔からここの粽を買ってるから、他の鉾で買う気がしません。

☆ ☆ ☆

使ったカメラはコダックのNo. 2 Autographic Brownieというもので、この前から話題に出していたほぼ100年前に世に出たカメラです。今のところほとんど何が写ってるのか分からない写真ばかりを排出する中で、この一枚だけが一体何の加減だったのか、異様にまともに写った写真となってました。それでも光線漏れの跡は見られるんだけど、他のは光線漏れの跡だけしか写ってないのが大半だったから、そんなのに比べるとこれだけ何か奇跡的なことでもあったのかと思ってしまうほどです。鉾はちゃんと写せという、スサノオノミコトの御加護だったりして。
最初の試し撮り二本はほぼ全滅、試し撮り三本目を撮り終えた後でまた蛇腹の穴を見つけて、現在は三本目を現像する気をなくしてるようなところです。蛇腹を伸縮させると、空気穴でもない限り動きはとても重くなって、これで弱ってる部分にまた穴が開いてしまう感じ。どこかに伸縮させた時の空気を出入りさせる、空気穴があいてると思うんだけど、その辺の構造がもう一つよく分からないです。
かっちり写るカメラなんか他にいくらでもあるから、適度に光線漏れするカメラとか、そういう状態に持っていければこのカメラの場合は最高なんだけど、もうちょっと試行錯誤してみるかなぁ。
今のところ光が乱暴狼藉した痕跡をを眺めるだけなので、ここはやっぱり光が戯れるのを見たい。このカメラに限らないけど、戯れる光を写した写真じゃなくて、光が戯れる写真を撮ってみたい。

☆ ☆ ☆

今年の夏はあまり大げさなカメラを持って出る気にもならず、考えてみれば今年に限らず、去年はゴールデンハーフで、もっと前にはペンFを使ったこともあると云う具合に、夏の間はあまり重装備のカメラは持って出かけてないので、今年もその延長上で、久しぶりにホルガとかダイアナとか、トイカメラを使ってみようかなと思ってます。今年の冬にワイドレンズカメラを使うとか、トイカメラはたまに持ち出しはしてるんだけど、流行りも過ぎて使うにはいい頃かなと。

きっかけというか、ヨドバシカメラの地下2階にあるヴィレッジヴァンガードのアウトレット店でトイカメラが7割引で投売りされていて、持ってるトイカメラの予備を一通り買ったというのが大きかったかも。ヴィレッジヴァンガードはトイカメラの扱いをやめるとか言う話だし、ありったけの在庫を放出してるのか。
在庫処分だとは云え、流行じゃなくなったこういうアイテムは値引きしただけで売れてるのかなと行くたびに確認してるけど、意外と商品は回転してるようで、普通のホルガにオリーブ色のスプレー塗装をしただけの恐るべき数量限定版アーミーホルガとか早々と売れてなくなってたし、ダイアナも色々と色違いが積んであったのに、今日行ってみれば2種類の色違いを残すのみとなってました。
わたしはといえば、以前からガラスレンズのホルガとかそれなりに欲しかったけど、捨て値くらいにならないと買う気にならなかったから、そういうのをここで投売りされてる中に見つけては、即買いとかしてました。
デジカメのアートフィルターなんかにトイカメラ風とかあるから、みんなそっちに流れていったんだと思うけど、結局シミュレーションしてるだけで、全部紛いもの、物まねにすぎない感じが漂ってるの、みんな気にならないのかなぁ。
トイカメラなんて安価で買おうと思えばいくらでもあるんだから、物まねフィルターなんかで満足してるよりも、本物のトイカメラ使ったほうが計り知れないくらい面白いと思うよ。


☆ ☆ ☆


Dorothy Ashby - Heaven and Hell


何回も取り上げてるお気に入りミュージシャン、ドロシー・アシュビーの曲。この曲凄い好きなのに、ブログ内を検索してみたら載せてなさそうだったので。
ジャズ、ファンクハープの唯一無比のミュージシャン。ハープをジャズで使う人は他にも多少はいるんだけど、こんな使い方をしたのはこの人だけで、とにかくユニークです。でもユニークで、この曲が入ってるアルバムも精神世界に足を踏み入れた観念的なものになってるのに、音楽自体は頭を抱えてしまうようなものじゃちっともなくて、もうラウンジ的というか、ボッサのリズムがとても聴きやすくてダンサブル。後にDJが素材として好んで取り上げるようになったのもよく分かります。
ドロシー・アシュビーは近年になってDJが再発見してるようなところがあるんだけど、素材扱いじゃなくてもうちょっと音楽として聴けよと思う反面、こういうのを再評価できる感覚は素直に大したもんじゃないかと思ったりもします。

ちなみにこのアルバムではドロシー・アシュビーは歌も披露して、これも本人が歌ってます。上手いとは云い難いかもしれないけど、味はあるって云う感じかな。曲に合っていて、わたしは結構好きです。
最後の1フレーズだけ声のトーンが変る感覚が結構かっこいい。





もともと日本盤は出てないCDなんだけど、輸入盤ももう新品では手に入らないみたい。中古も若干プレミアっぽくて高いなぁ。
他のアルバムだと4作品ほどを一つのパッケージに纏めた廉価版も出てるから、これも出せばいいのに。いろんな音楽の中でもかなりユニークな存在だし、ドロシー・アシュビーの代表作なんだから。