2015/08/28
吉田山が逃げていく。 + Grant Green - That lucky old sun

向こう側の花
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200
百万遍辺りで撮っていた写真の続き。
撮っていた事情は前回書いたので、まぁこういう写真を撮りながら梅雨明け直後の炎天下を歩き回っていたわけです。
この酷暑の間も暑さに辟易しつつ、それでもカメラ持って出歩くことをやめたりはしなかったけど、吉田山に辿りつけない、行けども行けども吉田山が逃げていく、なんて云ってるわりに、結局この時以降百万遍の辺りは2,3回訪れただけで、それ以来こっち方面へは足が遠のいてしまってます。ひょっとしたら百万言界隈の光景に意外と早く飽きてしまって、飽きた地域を通り抜けないと辿り付けない吉田山、なんていう扱いになってしまったのかも。
最近は桃山の御陵のある辺り、この辺も森林地帯なので木が一杯あって、こういうところを歩き回ってます。この辺りは御陵になったせいで原生林がそのまま残っていて、木を見るには不自由しないところなんだけど、でも木は一杯生えてるものの、いまいち自分が想像してる木とは雰囲気が違う。まだ訪れて間もないからどう写真撮れるか判断できないけど、思うようには撮れなさそうな気配がします。
それとこの夏はほとんどホルガとウルトラ・ワイド・スリムで写真撮ってました。ホルガとか面白いカメラなんだけど、やれることと言えば目測の距離決定とシャッター切ることくらい、絞りの変更レバーがついてるけど構造上の欠陥でどの位置にあわせても変らないなんていうカメラなので、さすがにちょっと飽きてきた。夏の初めにフィルム入れて5,6枚撮った状態で休ませてるペンFなんかが控えてるので、そろそろホルガにこのハーフカメラも混ぜて使っていこうかなと思ってます。

黒タイルの家
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200
ということで、今回の写真については周辺事情は前回に書いたので、実は書くことがほとんど思いつきません。これは困った。
目の前の具体的な写真そのものについてどうこう書くのは、本当はあまりやりたくないところもあり、理想は言葉なんか添えずに写真だけの提示、こんな写真を撮ったけど、どうでしょう?って云うだけのシンプルなあり方のほうが理想的だろうなぁと思ってます。
撮ってる時も自分が何に促されてそういう風な写真を撮ったのか、こういう視線で対象を把握しようとしたのはどうしてなんだろうとか、実は撮った本人もよく分からないままだったりすることも多く、言葉にして、言葉にすることは形を与えることだから、自分の撮った写真を前にして一度そういうことを言語化し、もやもやとした不定形のものじゃなく確かな形を与えてみるのは意味があるとは思います。でも自分との関係ではそう思うものの、自分以外の人に見せるような場合にはどうなのかな。意味があるんだろうか。
まぁそんなことを考えつつ、今回の写真ついて、自分ながら似たようなもののバリエーションで撮ってるなぁと。これは意図しない形だけど、いわゆるテーマ的なものに近似する何かなのか。自分としてはテーマを載せて写真撮るなんて絶対に嫌と言うところもあるんだけど、そのバリエーションのうちで撮り続けてるとそのうちテーマ的に見えるものが現れてくるかもしれず、テーマに従属するような写真じゃなくて、写真からそういうものが立ち現れてくるなら、それはわたしが嫌いな、写真を単なる手段として従属させるようなものとはまた違うものかも知れないなと思ったりもします。
でも自分が持ってるバリエーションのうちでしか撮れなくなったら、これはやっぱり本人としてもあまり面白くはならないだろうなぁとは思います。自分の中の形を持たないものに言語化することで形を与えると、先に書いたのとちょっと矛盾したことを言うけど、写真には自分が盛り込もうとしたもの以外にも、意図しないで混ざり合ういろんなものがあるはずで、そういうものが写真の豊かさの一翼を担ってると信じてるところがあります。自分の馴染みのもののバリエーション以外では撮れなくなってくると、そういうのもやせ細ってきそうな気がするし、自分語りのような写真は全く撮る気がない者としては、自分が見てもこれは一体誰が撮ったんだっていうくらいのものを撮ってしまうことのほうが刺激的で面白そうです。

見放された場所
2015 / 07 / Nikon FM3A + Ai-S Nikkor 50mm f1.4 / Kodak GOLD200
☆ ☆ ☆
今日写真撮りながら歩いてる最中に、首から提げていたホルガを落としてしまった。
一応安っぽい合皮のケースに入れてたんだけど、カメラを止めてるのがカメラの片側の上を渡る一本のベルトだけというケースだったので、ケースが何の拍子かさかさまになった時に思い切りすっぽ抜けて、地面向かって一直線のコースを辿っていきました。一本の細いベルトだけだけど、もうちょっと止めてくれてると思ってたのに。
裏蓋がはじけ飛んでフィルムが全部地面に飛び出し、本来フィルターの類はつけられるようにはなってないけど46mm径のものだったら無理やりねじ込めるから、そうやってつけていたフォギーBフィルターがものの見事に割れてしまってました。
フィルムはもちろん全部日に当たったので完全にアウト。ホルガのほうは裏蓋がはじけ飛んでレンズの鏡胴が斜めにゆがんでたけど、ホルガのレンズはおそらく瓶の蓋がねじ込まれてるようなのと大差ない構造なので、強く回したらネジ山が元に戻ったのか、真っ直ぐにスムーズに回転するようになって、どうやらカメラへのダメージはほとんどなかったようでした。ひび割れ一つついてなかったし、ホルガのプラスチックは意外と硬い?
唯一若干華奢な感じのするフラッシュもテストしてみれば問題なく発光して一安心、ホルガはあまりにも単純な構造が、逆に故障のしようがない境地へと導いてるようなカメラだから、そういう妙なタフさが発揮されたのかもしれないです。
それにしてもフィルムが一瞬にしてアウトになったのはやっぱり気落ちします。今日始めて撮り始めたフィルムで落とすまでに8枚ほど撮った状態でした。少ないようだけどブローニーを645のフレームで撮って、撮れる枚数は全部で16枚だから約半分はもう写真になっていたフィルムでした。どこで撮ったかはほとんど覚えてるからもう一度撮りなおせばいいんだけど、これ同じ写真が撮れるかというと、もう一度撮りなおしに行った写真とかなぜか最初のよりも精彩を欠いてる場合がほとんどだったりするから、あまり気乗りがしないです。
ナチュラ・クラシカも持って出ていたから、その後も写真を撮ろうと思えば撮れたんだけど、気落ちして結局その日の残りの予定は全部中止となった一日でした。
☆ ☆ ☆
Grant Green - That lucky old sun
以前グラント・グリーンのこの演奏を探して見つからず、代わりにレイ・チャールズの歌ものを載せたことがある曲。
歌ものだとサラ・ヴォーンが歌ったのもスピリチュアルで聴き応えがあります。
グラント・グリーンはジャズ、ファンクのギタリスト。わりとジャンルを横断して、結構色物的な領域の境界線上に足を突っ込んでるような、弾くとなればなんでもこいの演奏をする人なんだけど、基本的にはファンキーなノリで本領発揮するギタリストかな。ここではボッサのリズムに乗ってリラックス、気持ちよさそうに弾いてます。コード弾けないんじゃないかといわれるくらい(実際はコード弾いてるアルバムもあります)、ホーンライクなシングルトーンの、正直に云ってあまり流麗でもない演奏スタイルだけど、気に入ってしまうとその豊かな歌心に夢中になってしまうかも。
これ、ジャケットからだと分からないけど、ドナルド・バードのレコードとカップリングになってるアルバムです。両者のファンなら文句なしのCDなんだけど、片方どうでもいいとなると、はた迷惑なカップリングとなります。
フラント・グリーンのほうはオルガン弾いてるのはラリー・ヤング。オルガンとギターって云う組み合わせは本当に相性がいい。その相性のいい楽器の組み合わせの上に、このミュージシャンのセッションはなかなか癖があって面白いです。