2015/11/26
秋の空を滑空するか、眼差。

枯葉のステップ
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400

壁が奏でる。
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400

秋の空を滑空するか、眼差。
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400
とは云っても、見上げてはいるものの視界は壁に遮られて、空に通じてるのは一枚だけだけど。
写真は全部、この秋にサブカメラの一つとして持ち歩いてるトイカメラのゴールデンハーフで撮ったもの。ハーフサイズのアスペクト比はライカ判のものより、縦位置にした時に横幅が若干広いのが、わたし的には結構使いやすかったりする。ライカ判も悪くはないけど、たまに細長いなぁって思うことがあるから。重いというよりも持ち運ぶ時の馴染まなさが半端じゃなくて、あまり持って出かけないMamiya RZ67 Pro IIのフレームに、まだちょっと細長いけど近いかな。ゴールデンハーフは一番安価で手軽に使える6×7に近いフレームっていうところか。
元々フィルムの面白さに気づくことになったきっかけがトイカメラだった。だから、トイカメラは今でも大好きだし、普通のカメラに少し倦んだ時なんかには使いたくて心がざわめくこともある。夏頃からトイカメラの叩き売りで重宝してる、京都ヨドバシのヴィレッジヴァンガードのアウトレット。その店で豪快に放出されてる様子からしても、既にトイカメラなんて流行でもなんでもなくなってるけど、トイカメラ好きとしてはそのほうが気分的には使いやすい。
でも、好んで使ってるからといって、こういうのが個性的だとはほとんど思わない。かなり以前に、これはフィルムじゃなくてトイデジのビスケットカメラについて書いたことは今でも考え方としては変っていなくて、むしろ類型的なものの典型なんじゃないかと思う。
☆ ☆ ☆
今回の写真はいつにも増して主観的というか情緒的な写し方になってるかなぁ。
純粋に客観的かどうかという観点なら、そちらの方向を向いて、ある特定の範囲をわたしという個人的な視線で切り取ってる段階から既に客観的ではなくなって、主観的なイメージになってる。カメラ任せに撮っていて情緒的というのも考えてみれば妙な話なんだけど、ピントリングさえついてないような曖昧なフォーカスや、現実の色からはどこか傾斜してるような色合い、安定しない光の入りかたといったものが、そういう風に見えるサインを含んでいるんだろう。本来的にはもうちょっとドライな撮り方が性にあってるような気がするんだけど、こういう類型的な逸脱、情緒的に見えることもあるちょっと胡散臭い揺らぎのようなものもなかなか楽しい。それに、すぐに凝り固まってしまう感覚に、本格的逸脱への未踏の道に気づかせてくれるかもしれない可能性だってある。
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最初のは東福寺辺りの鴨川の、堤防の壁面に降り積もっていた枯葉。撮っていた時は東福寺では紅葉の真っ盛りで、駅周辺でさえも、しまった来るんじゃなかったと思うほど人が多かったんだけど、撮りに行こうとしていた場所は東福寺とは正反対の方角だったので、一気に人の気配は途絶えて、それほど辟易することもなかった。
一番下のも同じく東九条辺りで撮ったもので、遠くに京都タワーがぼんやりと見えてたりする。ちなみに東九条は映画「パッチギ」の舞台になったところで、映画は無知を下敷きにして平気な政治的プロパガンダに辟易するものの、そういうのを無視できるなら、不良学生がひたすら喧嘩に明け暮れる娯楽映画としては楽しめる。少し前の、でも今となってはもう見ることも出来ない京都の町も懐かしい。俳優は主役じゃなかったけど桐谷健太が面白いんだなぁ。沢尻エリカも可愛らしかった。
真ん中のは藤ノ森の高架下。右下の縦に細いグレーの出っ張りと下の白っぽいラインと暗号めいた文字がポイントだ。
調節は出来ないけど、フラッシュがつけられるホットシューを装備してるのが、この類のトイカメラとしてはかなりの利点となってる。
写りは実は意外なほどまともで、しっかりと撮れるカメラ。普通によく撮れるのでトイカメラっぽさを期待するとちょっとがっかりするかも。