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2015年の締めくくり

蔦の家
2015 / 12 / OLYMPUS 35DC +F.ZUIKO 40mm f1.7 / Lomography Color Negative 400






赤い路地へ
2015 / 12 / OLYMPUS 35DC +F.ZUIKO 40mm f1.7 / Lomography Color Negative 400


今年の締めくくり。
今年一年、写真を見に来てくれた皆様へ、本当に有難うございました。
こんな写真もまた、いいかもって思ってくれた方、あるいは思ってくれなかった方も、来年もまたよろしくお願いします。

最近思うことは、壁の穴に溜まった落ち葉だとか、ガード下の鉄梯子だとか妙なものを好んで撮ってはいるけど、結局のところ撮ろうと思ってる感覚は、それが美しいものだということであって、これは絶対に外してはならないっていうことかな。みんなが認める絶景だとか、名画的な美しさとはまるで違うし、どちらかというと惹かれるものの多くは、視線から逸れようとするもの、挙句の果てに薄汚れてさえしまったものに類するようなオブジェ、空間なんだけど、でもそこから受ける感覚はこれは美しいものだという感覚以外の何者でもないと、そういうのを写真に撮ってみたい、そんなことを思ったりしてます。シュルレアリスムなんかもコラージュだとかフロッタージュだとか、自動書記だとか、新奇な手法を持ってある種際もの的に新しいイメージの展開に賭けたけど、狙っていたのは見たこともない美的なものの創出だったし、何だかそういう精神を見習いたい。
世界は美しい細部で満ち溢れてると、そういうことを写真で証明してやろうじゃないかと、極めて大きな風呂敷を広げて来年の写真につなげてみたいと思う年末ではあります。

☆ ☆ ☆

今回の写真はオリンパスの昔のレンジファインダー、35DCで撮った写真。確か500円くらいで買ったカメラで、持ち出したのは半年振りくらい。
広角寄りで撮っていて自分の持つ距離感との乖離に身悶えしてた後で使ってみると、このカメラの40mmって云う画角は物凄く使いやすかったです。何だか心底安心して使えたような気分というか、これでも50mmに比べると広角寄りなんだけど、35mmほど見たままって云う感じでもなくてわずかに注視感が感じられるのがいいのかも。
一見中途半端な数字に見えて、本当は結構オールマイティな画角。レンズ交換できない形のカメラにつけるには標準的に使えた上にちょっとだけ広角寄りもカバーしてるなんて、最適の画角なんじゃないかな。
ちなみにこの1本撮り終えた後で、気分よく使えたから即座に次のフィルムを入れ、今のところこれと、さらにお気に入りのペンFにもフィルムを入れて、ペンタックスの昔のデジイチK100D Superも加えた三台体制で、このどれかを持っていつもお出かけ中。
お正月もこのうちのどれかをメインに、何かサブにもう一台、トイカメラでも持ちだして撮ってると思います。そろそろアレック・ソスを気取ってレンズ付きフィルムの出番かな。

☆ ☆ ☆


木立の道を行けば
初夏のある日、白い花に導かれて木立の道を歩いていく。
2015 / 06 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Gold 200


一年の締めくくりに廃墟っぽい写真だけというのも何なんで、初夏の頃に宇治で撮った、ちょっと見通しのよさそうなのを一枚添えて、
それでは、皆様、良いお年をお迎えください。


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橋の情景

東山陸橋01
2015 / 11 / Nikon F3 +Ai-S Nikkor 35mm f2 / Fuji NEOPAN 400 PRESTOを自家現像





九条陸橋03
2015 / 11 / Nikon F3 +Ai-S Nikkor 35mm f2 / Fuji NEOPAN 400 PRESTOを自家現像





九条陸橋周辺
2015 / 11 / Nikon F3 +Ai-S Nikkor 35mm f2 / Fuji NEOPAN 400 PRESTOを自家現像


今回のはあまり奇をてらわずに撮ったもの。横位置で撮るというだけで客観っぽい要素も顔を出してくるようだ。
見たこともないような視点で撮ってみたいという欲求はいつもあるにしても、奇抜で目を引くっていうのは考えてみれば結構当たり前。もちろんそういうのも面白くて撮る時はいつも頭の中で策略を練ってたりするんだけど、ごく普通に撮って、なおかつそれが際立った印象になってるとすれば、それもまたかっこいいんじゃないかと思う。服装でいうなら流行で尖がったファッションとありきたりのアイテムを上手く着こなしたファッションっていう感じになるかな。ここに載せてるような微妙で微細な何かへと潜行していくような感覚は続けているとやっぱり疲弊してくるし、広い視野に身を置きたいと思うこともある。
でも、特異なイメージになるようにテクニックを駆使して撮るのよりも、普通に撮ってどこか印象に残るような写真を撮るってある意味本当に難しい。写真の持つクリシェに捉われることなく行うのはさらに難しい。
わたしの好きな写真家はでもこういうところは軽々とクリアしてる。アレック・ソスのようにレンズ付きフィルムで撮っても、際立つ写真が撮れてる。その秘密はどこにあるんだろうか。
敬愛する写真家清野賀子さんの白鳥の歌となった写真集の、パウル・ツェランの詩文から取られたタイトル「至るところで 心を集めよ 立っていよ」という言葉が、静かにわたしの心の中へと降りていく。
鍵はこの辺りにあるのかもしれないと思う。
でもあらゆる場所と時間において、心のすべてを集めて、立ち尽くしていることは、思うに孤独であり、云うほどには簡単じゃない。

☆ ☆ ☆

久しぶりにどこで撮ったかも書いておこう。観光案内にはならないと思うけど。
この橋、鴨川にかかってる橋の中では結構好きな橋になる。九条陸橋というあまり風情もない名前の橋で東福寺の近くにかかってる。もとは市電が通っていた橋で、市電が廃止された後、今は車が行きかうだけの橋となってる。名前が陸橋となってるのは鴨川の上だけじゃなく、たとえば東の端は日赤の手前辺りから始まるように、陸の上にもかかっているからなんだと思う。
古風な印象の橋でもなく、市電が通るための目的で作られた無骨な橋にすぎない癖に、どこかちょっとモダンな印象がある橋だ。鴨川にかかる橋としては結構巨大な部類に入り、巨大な分視覚的なダイナミズムもそれなりにある。
JRの鴨川橋梁の上を走る電車から、この橋が見える。JRが鴨川の上を通る時、視界が急に開けるのが視覚的な変化として楽しいんだけど、そのいきなり開けた川の空間の向こう側に見えるこの橋は、結構存在感を主張して視界に入ってくると思う。

☆ ☆ ☆

最近、使ってた安物の時計の電池が切れて、ヨドバシカメラの時計売り場の修理コーナーで電池を入れ替えてもらった。シチズンだったか、Q&Qという名前の雑貨屋時計で、1600円ほどで買ったものに電池の入れ替えで1000円払って、これ、あと600円程度で新しい時計が買えるなら、600円上乗せして買い換えたほうが傷だらけになった安物時計を使い続けるよりも良かったかなと思った。
で、何だか新しい時計も欲しくなって物色してたら、カシオからも似たような安物時計が出ていて、どうやらチープカシオなんて呼ばれてるものらしいけど、そのなかに、金時計を発見。
実は夏頃に若い女の子が、でかくて豪華な金時計にこれまたでかいピンクの玉の、おそらくローズクオーツだと思うブレスレットを組み合わせていて、ラフな服装に合わせた、成金趣味に陥らないその金時計のあしらい方が妙にかっこよく見えて、金時計が欲しいなぁと思っていた。
どうせ高いに決まってると思ってたから、欲しいと思いながら探しもしなかったら、あまりでかくも豪華でもないけど、チープカシオの中に2000円程度で買えるものがあって、思わず買ってしまった。

金時計
ベルトの調節に持ち出しただけで、一度も使ってないから、盤面の保護シールもまだそのままだ。こういうのを剥がす時に結構決断力がいるタイプというか、ある種気合が必要となる。これはまぁ目立つから使う前に剥がすけど、目立たないものだったら出来ればつけたままでいたいと思うほうかも。
最初はアマゾンで見つけて、その後ヨドバシでも発見、値段はヨドバシが200円ほど高価でも、ポイントが200円分ついてその分は帳消し、おまけにヨドバシで買った時計はバンドの調節が無料となると、これはもうアマゾンで買う選択肢は無くなってしまった。



この何年もファッション的なものに手を出してなかったけど、今年の年末はちょっとこういうところに刺激を受けてしまって、身の回りの、飽き飽きしながらも別にそれでもいいわと使い続けてるものを新調したくなってきてる。
金時計の次はチチカカでみたエスニックのリュックが欲しいなぁ。工夫すればカメラも入れられそうな感じだった。バッグに関してはカメラが入るって云うのがまず一番の選択条件になってしまってるから、ろくな選択肢がない。
カメラバッグとして売られてるものはものの見事にダサいし、カメラが入ればそれでいいんだろうと言わんばかりの作り方で、さて財布をどこに入れようかなんていう段階で、既に大いに考え込んでしまうくらい、本当に使い勝手が悪い。だからといってダサくないように工夫したカメラバッグはその魂胆が逆に眼についてしまって、そのままダサいカメラバッグと同じくらいダサかったりする。
わたしの場合は雨が降ってきたときなんかにしまいこむだけの意味合いしかなくて、持ち運びはバッグに入れて移動なんかせずに、襷がけにしたり手に持って歩き回ってる。つまり雨が降らない限りはバッグの中のカメラが入る予定のスペースはいつも何も入ってない状態で持ち歩いてるという、極めて効率の悪い使い方しか出来ない。
だから本格的なカメラバッグじゃなくても、保護用のインナーケースを入れた程度の普通のバッグなりリュックで十分なのかも知れないといつも思ってる。リュックは入れたものが全部底面に集まっていくからインナーケースが一番下に来る形は使いにくいだろうなぁと思うんだけど、どちらにしろカメラバッグは使いにくいものだし、エスニックのデザインが気に入ってしまって、やっぱりあのチチカカのリュックが欲しいなぁ。これ、絶対にそのうちに買ってしまってると思う。





もっと豪華なのがいいんだけど。これちょっと大人しすぎるかも。
一度金色の時計をつけてみたかったので、つけた感じがどんなものか確かめるには最適の時計だった。



秋の日に拾い集めた時間たち

蔦

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400





エスカレーター

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400



前回の写真が向こう側への憧憬によって成り立っていたとするなら、今回はもうちょっと地表に留まってるところがある。
特異なものに視線が絡み取られて凝視したというよりも、通り過ぎなかったから結果視線を止めてしまったっていう感じ。感覚は極めてプライベートで、主観的なものだけど、その正体は自分でもよく分からない。
通り過ぎずに、そこで視線を流さなかったということの意味が、まるでカメラを通せば理解可能なものになるかもしれないとでも思ってるようなシャッターの切り方?
唯プライベートといってもこういう風に写真を撮って自分の視線を追体験してみると、プライベートだとか主観的だとか、自分のものといいながらも随分と視線はコード化されてると思う。生まれてから見聞きしたいろんなものがブレンドされて、自分のものだと、自分では思ってる感覚を作り上げていて、それは結局のところ他者の集合体に過ぎないもののようにも思えてくる。




滑り台

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400





片隅の花

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400




蔦のような壁を這い回るものは、廃墟の記号だから面白い。でもこれよく見ると壁に這わせるように網が仕掛けてある。装飾的に這わせてあるわけで自生してるわけでもなく、廃墟的に見ようとしたならこれはちょっと興ざめなところがあるんだけど、撮った時には気づかなかった。
公園なんかにある遊具は被写体としては難易度が高いと思う。何だか結構良い被写体になりそうに見えるのに、実際に撮ってみるとまるで様にならないというか、どうでもいいようなイメージにしかならなくて途方にくれてしまうことがほとんどだったりする。


☆ ☆ ☆


ちょっとお気に入りの造形作家、というかクラフト作家とでも云うのかな、そういう作家さんがいて、なぜその作家さんが気に入ってるかというと、その造形作家さんが撮っていて、自分の作品の素材にもしてる写真がわりと面白いからだったりする。影響を受けた写真集に宮本隆司の「建築の黙示録」をあげてたような作家さんだから、「建築の黙示録」は正確に云うと廃墟そのものじゃなくて解体中の建築を撮った写真集なんだけど、分類するならこれはどう見ても廃墟好き。こういう廃墟好きなんていうところでも感覚的に親和性があるんだと思う。
で、何でこんな話を始めたかと云うと、最近この人が愛用していたカメラのことを知って、これがあの興味を引いた写真を撮ったカメラなんだと思うと、わたしも欲しくなって手に入れたから。こういうところは基本的にミーハーな性格の持ち主だ。
フィルムカメラはペンFが好きでこれを使い、それ以外のデジタル一眼で使ってるのがペンタックスのK100D Superというカメラだそうだ。
フィルムのペン好きで廃墟好き。わたしも似たような志向があるから同調する写真があるのも当然のことか。
情報の出所が2009年とちょっと古く、今もこのカメラを使ってる可能性はかなり低そうだけど、少なくとも自分が面白いと思った写真はこのカメラで撮られたのが分かっていたから、今は当然遥かに性能がいいデジイチが出てるのを承知で手を出してみることにした。今時フルサイズでもないこんな古いデジタルカメラを買うのは馬鹿げてるかとも思ったけどね。
2007年くらいに出てきたカメラで、なんと画素数は610万画素。いまのアイフォンよりも貧弱な様子だ。ちなみにまるで傷も汚れもない綺麗なボディで、一度もページを繰ったことがないだろうというほど折れ目一つついてないマニュアルも含め付属品が全部ついて値段は1万円しなかった。形は今のデジタル一眼特有のおにぎりのような丸っこい形で、わたしはカメラの形としてはあまり好きじゃない。
ニコンのフィルムカメラにF100っていうのがあって、このカメラ使い勝手は凄く好きなんだけど、形が今のおにぎりタイプに変化していく途上にあるという雰囲気で、このせいであまり手に取らないカメラになってしまってる。このK100D Superのおにぎりカメラを使うことで、F100も使う気分が盛り上がるかな。

k100d super

今主流のカメラと違うところは、センサーがCCDだということと、単三の電池駆動だということかな。専用のバッテリーだと生産されなくなった時点でカメラも先が見えない状態になるけど、市販の電池を使ってるとそういうこともなく、これは結構なポイントかも。あと、この作家さんはこれに70年代の古いペンタックスのレンズをつけて使ってるということだった。このカメラは古いペンタックスのレンズでも、本体の機能をかなり制限なく使える設計になっていて、それはコンセプトとしてはいいと思う。しかも古いペンタックスのレンズって安いんだ。
ただ70年頃というならタクマー銘のスクリューマウントのレンズになるのかなぁ。プラクチカマウントのレンズはわたしも何本か持ってるんだけど、さすがにこれはカメラに取り付ける形そのものが違うから、使えるといってもアダプターが必要になる。
もうちょっとで10年前となるようなカメラを持って、そのうち出かけようと思う。センサーが今のものとは異なってるのが好影響となって、さてフィルムカメラのように時代を違えたような雰囲気の写真が撮れるだろうか。









古いフィルムカメラ使ってると、本やCDのことでも書かない限り、アマゾンのリンクが貼れなくて面白くないので、ゴールデンハーフは何度目のリンクになるか分からないけど、貼れそうなものを書いた時は積極的に取り上げてみる。
K100D Superのほうはアマゾンだと結構高い。




From Beyond

彼方からの花
彼方の花
2015 / 11 / Lomography La Sardina + 21mm Lens / Kodak Gold 200





彼方で見たもの
廃材置場の脇を通り過ぎて、角を曲がったところにあった寂れた家の前には、数本のサボテンが置かれて奇妙な肢体をみせていた。
2015 / 11 / Lomography La Sardina + 21mm Lens / Kodak Gold 200






接触
接触経路
2015 / 11 / Lomography La Sardina + 21mm Lens / Kodak Gold 200


つい先頃現像した撮りたてほやほやの写真。
でも撮りたてだけど、今回のはフィルム1本ほぼ失敗っていう結果だった。全体に異様に露出アンダーで、フィルムは24枚撮りだったんだけど、その中でかろうじてスキャンできたのは10枚ちょっと。他は大半が暗闇に覆われて、多少何かの像が写っていても色が濁って話にならなかった。
今回のはそんな大失敗の中で、なんとかスキャンできたものから選んでる。結果からはそんなに破綻してるようには見えないかもしれないけど、かなり明るさを底上げしたりコントラストを調節したり色合いを修正したりと、それなりのイメージになるように苦戦してる。
何が原因だったのかなぁ。カメラ?それともフィルム?あるいは天気??ひょっとしたら壊れかけてるスキャナーのせい???
このフィルムで撮っていた日々は全部どんよりした曇り空だったんだけど、使っていたトイカメラの絞りf8、シャッタースピード1/100固定という設定でも、感度200のフィルムで破綻するほど露出アンダーにはならないと思うんだけどなぁ。
フィルムは一応使用期限を過ぎてなかった。売り場ではどういう扱いだったかはしらないけど、家では冷蔵庫に保管していた。
カメラはたまにシャッターチャージのところで巻き止まらずに、勝手にシャッターが切れて次のコマも連続で巻き取ってしまうトラブルが内在してるもので、そのせいで勝手にシャッターを切られた得体の知れないコマが何枚かあるものの、シャッターそのものは特に問題なく、そんなに極端に早く閉じてしまうような感じでもない。
まぁ曇り空がこちらの予想を超えて光の乏しい状態だったというのが一番の原因だったんだろうけど、でも電脳的じゃないしっかりと質量のある物理的な空間で化学反応を主体にし、ちょっとした状態の違いがどう転ぶか予測できないところがある、アナログのこういうじゃじゃ馬的な側面は、失敗には頭を抱えるような所はあるにしても、そんなに言うほど嫌いじゃない。

それにしても今回の場合、トイカメラは晴天の順光をはずすと、とたんに気難しくなるという実例の典型的なフィルムになった感じだ。フレームの中で一部にでも明るい場所があると他は黒潰れしても何となくイメージとしては成立するところはあるけど、全体に暗いところはフィルムそのものの感度を上げておかないとまるで歯が立たない。

☆ ☆ ☆

東福寺から京都駅にかけての一帯を歩き回って撮影した写真から。どことなく境界域を踏み越えた向こう側の世界の気配があるようなのをピックアップしてみる。一応撮る時にそういう気配がありそうなもの、場所を選んで撮ってるんだけど、結果としてそういうのが気配として写真に残ってるかどうかは、出来上がった写真を見てみるまでは分からない。想定していたのとはまた違う気配が見え隠れしてる場合もあって、そういうのも楽しいんだけど、自分のそういうものを感知するアンテナのチューニングがずれてるということなのかと思うこともある。
あと、絵画的な側面があるのも今回の写真では気に入ってる。リアルに見えるようなディテールが飛んでしまってるだけともいえそうだけど。
このフィルムをほとんど曇りの日にばかり撮っていた。最近は晴れの日よりも曇りの日に撮るほうが馴染んできてるところがある。くっきりした立体的な影とかちょっと食傷気味で、それに代わって平坦でぼんやりしたグラデーションの光とかが好みになってきてるのかも知れない。

☆ ☆ ☆

使ったのはロモグラフィーのLa Sardinaというカメラだ。
全部書くのが面倒になるとロモとしか書かなかったりするけど、ロモとロモグラフィーはまったく別の組織。ロモはある種トイカメラの代表扱いになってるLC-Aという不思議なカメラを送り出したロシアの光学機器のメーカーで、そのLC-Aの生み出す写真に惚れ込んでしまった人たちがヨーロッパで広めようという活動を始めた組織がロモグラフィーとなる。確かロシアのほうのロモはもうカメラは作ってないんじゃなかったかな。

サーディンカメラ

LC-Aの普及活動で始まったロモグラフィーはのちに自社でカメラを作ったり廉価なフィルムを販売するような方向へ発展、トイカメラ的な分野を広げて、トイカメラといった時に頭に思い浮かぶようなものの代表的なイメージを生み出す会社となってる。
このLa Sardinaって云うカメラはオイルサーディンの缶詰がデザインのイメージソースになってるらしい。何でカメラがサーディンの缶なんだ?と、ぶっ飛んでるのかさえもよく分からないような方向外れの発想に首を傾げるんだけど、これ、ロモグラフィーのデザイナーが血迷ったわけでもなくて、実はオリジナルがある。

サーディンカメラオリジナル

カメラについてた写真集に写真が載ってたからちょっとスキャンしてみた。ロモグラフィーのカメラって、凝ったパッケージの中にカメラよりも豪華じゃないかと思うような写真集がもれなく入ってる。
これがオリジナルで、昔にこういうオイルサーディンの缶詰をモチーフにしたカメラがあったそうだ。要するにロモグラフィーのこのカメラはこの昔のを復刻させたものだったわけだ。復刻といっても基本はロモグラフィー独自の柄を着せて展開させてるんだけど、そのラインナップの中にはオリジナルとほぼ同じデザインのものもあって、他の絵柄のに比べて結構高値で売られてる。
缶詰から発想なんてゲテモノデザインだと思ってたけど、でもオリジナルのは意外とかっこいいなぁ。そっくり復刻させたロモのバージョンよりも、ここはオリジナルのが欲しくなる。

ロモグラフィーのカメラはかなりちゃちな出来のものがほとんどで、おもちゃだからこんなものでいいだろうって云う魂胆が見えてるというか、物を作るという点でちょっとなめてるんじゃないかと思うところがある。
上に書いたようにこのカメラもシャッターチャージでストップしないでそのまま勝手にシャッターが落ちてしまうなんていう、とんでもないトラブルがあるままで売られてるし、そういう機械の不備も楽しめとでも云いたいのかもしれないけど、一コマフィルムを無駄にして、これは楽しめるほど面白い出来事でもないと思う。
わたしはいつものヴィレッジ・ヴァンガードの7割引大放出のなかに出てきたのを見て、フラッシュがついてなかなか楽しそうとお試し的に買ってみたんだけど、定価で1万くらいしてる値段ではこんなの絶対に買わないと思う。
似たような広角のトイカメラだとUltra Wide & Slimがある。機能もはるかにシンプルなカメラで売値もこれに比べたら格段に安価で売られてるけど、サーディンカメラに比べるとフラッシュはついてないし、ピントも合わせられない原始的なカメラなのに、写真を撮るということに関してはUltra Wide & Slimのほうが出来のいい道具になってると思う。







締めくくりで貶しておいて紹介のリンクを貼るのも何だか妙な感じだけど、それはともかく、今回使ったのはこういうカメラ。