砕け散る世界を拾い集めてみれば + Luiz Henrique - if you want to be a lover

リングとボール
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





風船
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





すっぽん
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





狭間
2014 / 06 / Fuji Natura Classica / Fuji Venus 800



結局のところ、この前欲しくなってると書いた、森山大道の現在愛用してるカメラ、ニコンのクールピクスS9500を、アマゾンで購入してしまった。中古で13000円くらいのを、まぁどんなものかと好奇心を満たされるだけでもいいかなと思って注文。
当たり前のことなんだけど届いたカメラはごく普通のコンパクトデジカメだった。フィルターっぽいものをかけて画質を変える以外は絞りもシャッタースピードも意図的に変えられない、基本シャッターを切るだけのカメラ。いささか拍子抜けするこういうカメラで森山大道は写真を撮ってる。森山大道がこういうコンデジを使ってるのは小さくて目立たない、起動が早い、ズームが使えるといったことが理由らしいので、そういう条件は満たしてるんだろうけど、ある意味カメラの特性に頼らない写真で勝負してるところはかなり度胸があるともいえそう。
ちなみにアマゾンではどんなに検索しても黒は出てこなかった。森山大道は極力カメラを目立たなくするために、黒のクールピクスに刻印されてる銀色のニコンのロゴも、黒のテープを貼って隠してるらしいけど、黒が見当たらなかったということはひょっとしてブルータスの特集が出てから、こういう理由で売れてしまったということなんだろうか。
何だかあまり使いもしない、それもそれほど高価でもないデジカメがじわじわと増えてきてる。そんなこといってないで使えばいいんだけど、よほど疎外する理由でもない限り持って出るのはフィルムカメラだし、フィルムカメラのほうが面白いものだから、デジはなかなか手にする方向へは動かないようだ。このクールピクスのようなコンデジはサブとしては持って出やすいようなので、今サブで持ち歩いてるのはオリンパスのXA2なんだけど、これの合間にそういう形で暫く使ってみるかな。

この前の記事でブルータスの特集が入門編のような体裁だと書いたけど、入門編としての情報は予想外に密度が高くて、こちらも森山大道入門レベルの知識をすべて持ち合わせてるわけでもないから、丁寧に読んでみると意外と読み応えがある特集だった。コヨーテのは10年近く前の特集だし、なによりも今月に出た特集のほうが活きがいいというか、生々しい感じがする。

☆ ☆ ☆

今回の写真は以前に撮ってブログに載せてなかった写真から。
色彩にしろ事物間にしろコントラストが効いてるイメージが好きだというのが、黒と白のコントラストだけで出来てるモノクロを撮った時には如実に表れてくるようだ。
細部を切り分けていくような写真は向かうところは二方向あって、一つはその切り出した細部に周囲のものとはここだけは違うという意味づけをしようとするもので、もう一つは意味の連鎖の中にあった細部を切り出すことで、その連鎖の中で細部が持っていた意味を剥奪しようとするもの、同じようにディテールに迫るような方法論だけどまるで正反対の結果へと着地していく。
わたしが撮ってるのはどちらかというと後者のほうだと思う。適当に云ってしまうとマクロレンズなんかを使って部分を拡大してみるような撮り方は前者のほうの撮り方なんじゃないかな。その証拠にわたしはマクロレンズを一本だけ持ってるけど、数えるほどしか使ったことが無い。まるで意図しない雰囲気のイメージしかファインダーの中に現れないものだから、そのうち使わなくなってしまった。
コンテクストの中で意味の連鎖のひとつとなっていた事物を、そのコンテクストから切り離した時に、その事物の背後から一体どんなものが顔を出してくるか。仮に異界だとか彼方だとかの単語で代用してるけど、そうい得体の知れない鵺のようなものが顔を覗かせるのか、今のところわたしにはよく分からない。
何かそういう鵺のような巨大なジグソーパズル的なものがあって、細分化し意味から遊離した写真はそのパズルの微細なパズルピースのような気もするけど、どれだけそのピースを集めてみても、おそらくその巨大な鵺的な何かのパズルは完成しないようにも思える。

☆ ☆ ☆

写真は全部祇園で撮ったものだけど、まるで祇園なんていう感じがしない。
2枚目のがもう何だかホラー映画のような感じで、このツブツブ感は嫌がる人がいるかもしれないなぁと思ってなかなか出せなかったもの。
3枚目のすっぽんの写真が祇園の料亭の感じで一応それっぽいかな。「あ!すっぽんだ!」と水槽の前で眺めていたら、すっぽんのほうは目をつけられたのを感じたのか水の中に潜り込んだものの、そのままずっと眺めていると、明らかにもう息が続かないといった様子になって、思わず水面に鼻を出そうとしたところを撮った写真。2014年に撮ったものだからこの写真に写ってるすっぽんはとっくに鍋の中に消えてしまってるだろうなぁ。
最後のはタイトルをつけるとしたら「束ねられた建築」なんていう感じか。フレームの中にもう一つフレームを作る形の変形といったところかな。上のほうを斜め横に走る電線もあまり邪魔という感じにも見えず絶好のアクセントになってるように思う。
グラフィカルな強さみたいなのはやっぱり歴然とあって、どんな写真を撮るにしても、そういう強さは何とか盛り込んでみたい。
祇園の辺りは意外と風変わりな装飾のビルが立ち並んでいて、巽橋だとか舞妓さんだとかだけじゃなく、こういう建築物もある意味祇園の顔のような側面を持ってる。



☆ ☆ ☆



if you want to be a lover - Luiz Henrique ('68)


これ、以前にビザールなマシュ・ケ・ナダなんていう言い方でここに載せた歌を歌ってた人。マシュ・ケ・ナダのほうはモード・モザイクというちょっとモンド系っぽいお洒落なラウンジのコンピレーション・アルバムに入ってたんだけど、その名前の表記がこれとは違っていて、追跡できなかった歌手だった。どうもこっちの名前のほうが通りがいいみたい。
いかにもボッサノヴァという感じのルーズな囁き声とゆるいグルーブ感が心地良い。素朴なブラスやストリングスも交えて意外とメロディアスな盛り上がりがあるのもポイントかも。

ちなみに以前に紹介したビザールなマシュ・ケ・ナダというのはこれ。
Luis Enriquez - Mas Que Nada

奇怪なスキャットと、土俗的というか、ドラムとかパーカッションというよりも太鼓といったほうが相応しい、地の底から響いてくるようなリズムが、目一杯怪しげな雰囲気を撒き散らしてる。
そういえばビザールな音楽特集なんてやるつもりだったけど、中断したままだ。

☆ ☆ ☆



空を行く鯨の写真がかっこいい。こんなのその場に居合わせないと撮れないわけで、よく云われるように、そこに居合わせるというのも写真を撮る才能のうちなんだろうと思う。








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真冬3

冬のプール
2016 / 01 / Nikon F3 / Lomo Color Negative 100





冬のプールサイド
2016 / 01 / Nikon F3 / Lomo Color Negative 100





幼稚園
2016 / 02 / Fuji Natura Classica / Natura1600




真冬というタイトルもそろそろ季節外れになりそうな気配。春になってもまだやってるタイトルじゃないなぁ。
今回の写真はこの前管理棟の写真を載せたプールを撮ったもの。135mmの望遠で撮ってるから平面的、ちょっと絵画的な雰囲気になってる。この誰もいないプールの真横に実は室内プールの建物があって、室内プールと屋外プールは大きなガラス窓で区切られてる程度。室内プールは賑わっていて、この写真を撮ってるすぐ横のことなので、写真撮ってる間、その賑わいは手に取るようにわかった。
フレームで真横にあった賑わいを切り離してるからまるで誰もいないプール、赤い三角コーンが所在無げに転がってる空虚な空間に見えるけど、実際はかなり違って、ようするにちょっと嘘が混じってるというわけだ。

二枚目のはもうちょっと反射光がキラキラして欲しかったけど、あまりキラキラすると夏の光景のようになってしまうかな。とにかくこの冬はなぜか写真を撮ってる間だけ曇ってるという非情な日が多かったので、こんな写り方になってるんだと思うけど、何だかしょぼいなぁ。横の柵が水に沈んでいく感じは若干非日常的で、全体のイメージはそっち方向に引っ張っていけてるとは思うんだけど。

三枚目だけ違うカメラで撮ったもの。これ、幼稚園だったんだけど、何となく絵になりそうだなぁと思って撮ってみたものだった。

さて、このところの撮影気分だけど、やっぱり似たような状態が続いてる。ここぞというところでピンとこない、視線が上滑りしていくような精神状況が続いていて切れ間が無い。今度はあそこに行ってみようかと思いついても、大した写真も撮れなさそうかなと何だか予測めいたものが目の前に立ち上がってしまってなかなか動く気分にまで持っていけないような日々が続いてる。
ちなみに今回のフィルムは使用開始時も記録しておいて、それによるとセットしたのが今年の1月12日で撮り終えて現像に出したのが3月の15日となってる。間にRZ67でブローニーを使っていた期間もあるんだけど、今の気分ではフィルム一本36枚撮るのにこれだけの期間が必要だったということだ。
考えすぎてるんだろうと思う。凄い写真を撮ってやろうというような浅ましい野心が勝ちすぎていて、その心情に絡め取られてしまってる。野心なんかに従わず、直感に従え。連鎖する今の気分に空隙を開くのはこれだと思う。

最近ブルータスで森山大道の特集をやっていた。こういう写真家をとりあげることだけでも面白いんだけどこれはちょっと入門編のような所があって、雑誌の特集だと10年ほど前に出たコヨーテの創刊号でやっていた森山大道の特集のほうが読み応えがありそうな気がする。
そのコヨーテのほうの特集でホンマタカシとの対談の中、一本のフィルムで実際にどのくらい焼くのかという質問に、直感で大体10カットくらいセレクト、その中で気に入ったものは大体1~2カットくらいだけど、500本、600本と撮ってるとかなりの数になってくると答えていた。
わたしなんかこのブログに載せるのに、まぁ全部お気に入りというわけでもなくてこれでもいいかなというのまで載せてるから、フィルムに納まった写真の三分の一くらいは披露してるんだけど、これだ!って云う出来の写真は、プロでもフィルム一本につきこんな数が少ないんだと思うと、つまりフィルムの大半がどうにもならないと判断したもので埋まってるんだと思うと少しは気が楽になる。
傑作を物にしよう、他人に見せて恥ずかしくないようなものを撮ろうと思う遥か手前で、意味へ収斂していく前に直感を拠り所に考えずに撮る。撮っている時にいいとか悪いとか考えず、そうやって膨大に撮っていく中で立ち上がってくる写真を選んでみるって云うような方法だと思うけど、硬直しがちなわたしの頭や感覚にはこういう方法は結構有効的なんじゃないかと思う。


☆ ☆ ☆





同じロモのカラーネガ400よりも色の感じはこっちの100のほうが好き。カメラのシャッタースピードの上限にも関係するけど、大体感度400だと最速のシャッタースピードにしても晴天の屋外では絞り8くらいまで絞る必要があり、絞りをいろいろ変えるような遊びはなかなかやりにくい。一方感度100だと多少絞りを開いたりして色々試せたりする。ただちょっと影のところとかになるとあっという間にシャッタースピードまで落とさざるを得なくなって、望遠レンズをつけてたりすると結構手振れしてしまうことがある。今回のフィルムも135mmのレンズを使って昼間の影の領域で撮ったものに手振れしたものが何枚かあって、昼間なのにありえないと思った。三脚をつければ問題解決なんだけど、街中のスナップで三脚みたいな機動性の悪いものをつけるわけにもいかないし、望遠で撮るならハイスピードのフィルムを使うか、石のように動かなくなる練習でもしたほうがいいかもしれない。 






今さら森山大道って云う気がする人もいるかもしれない。でも、エピゴーネンたちが未だにアレ、ブレ、ボケの周囲をうろつくしか術を持たないような状況で、本人はこだわりもなくさっさと先のほうに進んでいってしまってる、その衰えない疾走感はやっぱり面白い。何しろ絶対にモノクロフィルムに拘りが有るだろうと思ってたのが、いつの間にやらトライXなんか簡単に捨ててしまって、いまやコンデジで撮ってるんだもの。最近使ってるのがニコンのクールピクスS9500っていうコンデジだそうで、森山大道といえばフィルムはオリンパスμ、そしてフィルムとデジで、リコーのGRというイメージが強かったのに、そのGRも簡単に捨ててしまってるこだわりの無さが凄いと思う。写ればカメラなんてなんだって良いというスタンスが、どこのレンズのボケ味がどうのこうのと薀蓄垂れ流してるようなやからを蹴散らかして驀進してるようで小気味がいい。これでしょうもない写真しか撮れなかったら笑いものになるところだったんだけど、結果をきちんと残してるものだからこれはもう平伏するしかないだろう。で、余談だけどこのニコンのコンデジ、森山大道が使ってると知って欲しくなってるわたしがここにいる。拘りが全く無い人が選んだ道具に拘ってしまうというのも妙な話だと、自分でも思ったりするけど。

コヨーテのほうの内容は刊行された当時に行われたパリでの大展覧会や宇和島でのドキュメンタリー、彷徨する写真家の軌跡を辿るような関係者のエッセイとそれに添えられた写真群といったものなんだけど、写真が多くみられたのは写真家の特集としてこれは当然で、それとは別に意外と面白かったのが読書家でもある森山大道の愛読書を紹介してるページだった。おぉやっぱりケルアックなんかも読んでるのねと納得したり、内田百閒も混じってわたしには親近感が増す読書遍歴のようだった。



木霊2

木霊
2015 / 12 / Nikon F3 / Fuji PRESTO400を自家現像





人形たちの夜
2012 / 09 / LOMO SMENA 8M / Kodak GOLD 100




不穏な眼差
2014 / 09 / Goidenhalf / Fuji Venus800



今回のは最近じゃなくてちょっと前に撮ったものとかなり前に撮ったものの混ぜ合わせ。
今月に入ってからはPC周りのトラブルで気が滅入っていたり、あまり天気も良くなかったりでいつもほど撮影しに出かけてない。えらいものでわたしがやってる程度の撮影でも暫く間が開くと、気持ちをそちらのほうに向けたりするのに思いのほか手間がかかる。どういう判断でこの空間が特別だと感じてフレームで切り取っていたのかといった半ば無意識的なスイッチの入り方や、ここで撮らないでどうするといった手応えが今ひとつ掴みきれないような状態になっていたりする。
結果としてファインダーを覗いても特別に何かが見えてくる気配もなくてシャッターを切るまでには行かないなんていうことが多くなってくる。
こういう時に良くやってしまうのが、今まで撮った時の感覚をもう一度再生産するような感じで使ってしまうこと。こういう風に撮った時に結構かっこいい絵になったという経験を引っ張り出してきてもう一度適用させようとする。でも自分の模倣みたいなのは何の役にも立たないし、やるべきでもない。
それは分かってるんだけど。

☆ ☆ ☆

一枚目はマネキンのポーズが何だか絶妙な感じがする。半ば放置気味、あるいは夜の活動時間の遥か前で今だ眠りの真っ最中のマネキンのようだったけど、マネキンでも人前に出てポーズを作ってないと、人前には出さない、気を許した表情を纏ってるようで、何だかプライベートな空間を覗き見してるような気分になった。もう一つ、これ、顔が見えないのがいい。
基本的に人形は好き。人の形を模倣するって云うのは特に妖しげに作られた人形でなくても、ジェニーやペコちゃんでも呪術的だし、やっぱり形としては独特なものだと思う。人の形を抽出したものじゃなく、人を撮ったとしてもわたしはおそらくそんな感覚で見てることになるだろうから、人の生き様とかまるで関係を持てずに、やっぱりポートレート写真は撮れない感覚の持ち主なのかもしれない。
ハーフサイズのトイカメラを使った三枚目は街中で見かけた「眼」を撮ってみようと言う趣向でカメラを向けていたものの一枚。でも街中で「眼」なんてほとんど見ない。ポスターの中の人物の眼とか、そんなのばかりで思ってるほど面白そうな展開は今のところしてくれそうな手ごたえもない。
壁に描かれた眼をひとつ京阪の宇治線に乗ってる時に車窓から見つけたんだけど、工場の専用駐車場に面した民家の裏側の壁といった近づけない場所だったから撮れないでいる。富岡多恵子が「写真の時代」の中で言ってるような、すべてのものが写真を撮られるために存在してるわけではないというのを見事に実践してるようだ。

真ん中に挟んだ、これも人形の写真は今はもう無いある店の窓に飾られていたもの。風変わりな人形が気を引いてシンプルに撮ってみた。ここに何かあるとすれば写真にではなく窓の中のものに属する。
何ヶ月か前に撮ったものと比べてみると、他の写真は時間が経過した分、それなりに工夫を盛り込もうと、あるいは幾分ひねくれて撮ってるのが分かったりする。

☆ ☆ ☆

PCの修理は無事終了。大体1時間くらいだった。修理依頼の電話をかけてから、我がPCはまるで故障などどこの話だと云わんばかりに、それなりに気前良くスイッチが入るへそ曲がり振りを発揮していたのが、ここにきて空気を読んだのか、修理の人の前ではものの見事にうんともすんとも云わない状態になっていて、これは本当に有り難かった。大体PCの現状を把握するために修理の前にテストされるのは分かってたから、ここでまともに動いてると、顧客なのに何だか言い訳じみた説明をしなければならないかもと、妙なストレスがかかってた。
Dellから送られてきていた部品の箱は結構大きくて、どうも基盤、電源ボックスなど、電源が入らない場合に必要とされる可能性があるもの一式入ってたようだけど、一旦スイッチが入ったらその後は普通に使えるので、トラブルは基盤にまでは及んでないと判断され、電源スイッチの交換だけで完了となった。
後でメールで送られてきた修理の内容を詳しくレポートしたものによると、修理中にスイッチを交換してテストした後もう一度もとのスイッチを繋いでみて動かないことの再確認とかやって問題が電源スイッチにあると切り分けをしていたようだった。へそ曲がりのスイッチだったけど最後はよくぞこのテストの間までまるで応答なしの状態でいてくれたものだと思った。
このPC、2chの専用スレとか見てみるとわたしの場合と似たような電源スイッチの不具合が結構あるようで、繊細さを指先にこめて押し込む必要があるかもしれない。

やっぱり目の前で修理してもらえるサービスはいい。来た修理の人も人当たりのいい人だったし、修理はスイッチの交換だけだったんだけど、PC内部とモニタを含む机周りの掃除までしてくれた。
あとは送られてきたものの修理で使われなかった部品を送り返す手順が残ってるけど、修理の人が梱包してくれた箱をこれまた修理の人が手配した運送業者が我が家にやってきた時に手渡すだけ。特にこちらが何かをするという必要もない。

PC関連で期限間近なのでやっておかなければならないことは、セキュリティソフトのライセンスの更新とデルのサポートの延長契約が残ってる。
セキュリティのほうはデルに最初からついていたライセンス期限のあるマカフィーのものを止めて、NTT西日本が回線使用者に提供してる、回線使用料に込みになったもの、どうやらトレンドマイクロの提供するもののようだけど、更新にお金がかかる今のマカフィーからそれへ変更するつもり。トレンドマイクロのはネットで調べてみると評判は最悪だった。でも回線料金に含まれてるので使わないのはあまりにももったいない。
セキュリティソフトの入れ替えはシステム深くに組み込まれてるからあまり気楽な感じがせず、あと一ヵ月半くらいで期限が切れるのに手を出す気になかなかならない。ウィンドウズ98くらいの頃は、使ってたのはノートンだったけど、削除し切れなかったファイルがあるとかメッセージが出て、PCの中にゴミが残ったりした。今のはこんな中途半端なこともなく綺麗さっぱり削除できるのかなぁ。

と、これを書いた数日後にセキュリティソフトの入れ替えを決行。
結果は何も問題も無く簡単に入れ替えることができて一安心というところ。これで少なくともNTT西日本の回線を使ってる限りは、あるいはトレンドマイクロのがとんでもない代物でもない限り、セキュリティソフトのライセンスについてはもう考える必要が無くなった。マカフィーは削除する手順の最初で、使ってもらえない理由をどうか聞かせてくださいと、ちょっと泣き落としのようなメッセージが出てきて、悪いかなと躊躇いを誘うようなところもあった。
でも使わない理由は教えてあげない。


木霊

川面
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





フレーム
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





不気味なキャベツ
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





蠢く
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400


5日の土曜日にPCの修理の約束。さてこれをアップする頃には全部片がついてるとは思うけど、これを書いてる今は修理に来てもらう前に部屋の整理をしておかないといけない事態に直面してる。でもこれがまた大変。なにしろ床の上に足の踏み場もないほど本だとか何だとかが積み上げてある。最低でも修理作業が出来るくらいの何もない空間を確保しておかなければならないと思いつつ、部屋を埋め尽くすいろんなものを移動させてるけど、15パズルでさえも必ず用意してある一マスの空間を確保するだけでも頭を捻るような様相で途方にくれる。
小奇麗に整理するまではとてもじゃないが無理な感じで、作業空間を空けるだけの整理となりそうだけど、一度しか来ない修理の人にいいところを見せても仕方ないので、もうこの見栄え関係なしの一時的な整理の仕方でいいかと開き直ってる。
コレクション癖があるのは認めるけど、そんなにマニアックでもないし、悩みなく収納できるような広い家に住んでるわけでもないから自然とブレーキがかかるようなところもある。でもその程度の嗜好でもいつのまにやらこれだけのものが集まってしまうんだと、我ながらちょっと感心してる。必要最小限の家具しか置かないで無印の広告にでも出てきそうな部屋に住んでる人とか、まるでものを集めたりはしないんだろうか。それは物質に捉われない確かにシンプルな生き方で身軽ではあるかもしれないけど、多少は個的空間を傾向付けるような雑多なものでもないと、生活をしていてつまらなくはないんだろうか。と、なかなか身軽になれない者としての自己正当化をしてみたりもする。

☆ ☆ ☆

幽霊ときたら、中学生の頃に北杜夫の小説が好きだったわたしとしては木霊と展開していく以外に選択肢はない。このところブックオフでの100円文庫漁りのリストに北杜夫も入っていて、何冊か買いなおしたけど、「牧神の午後」とか文庫で出てなかったのかな、全然見当たらない。わたしには中学の頃に結構好きで読んでた作家だった。この年代に北杜夫の本を読んだと言う人は特に理由はないけど多そうな感じがする。でも反対に大人になってから読む人はそんなにいないかもしれない。
ちなみに最近見つけたら買ってるのが谷崎潤一郎の文庫。意外と読んだ気になっているだけで実際には読んでない作家の扱いになってる人は多そうな気がする。わたしも「途上」だとか「柳湯の事件」だとか谷崎潤一郎が書いたミステリ的なものはよく読んでいたんだけど、それ以外はあまり読んでないのに今更の如く気づいたりしてる。「陰影礼賛」なんて写真的興味で読んでみたら、何か発想の役に立つものでもあるかもしれない。
「柳湯の事件」の不気味さは感覚としては今回の写真の4枚目に近いところがある。同じ範疇にあるような感覚を写真に取り込んでみたいというほどに、個人的にこういう感じはやっぱり無条件で好きなんだと思うし、こういう感覚的なものを拾い上げられる作家の感性は、他のも読んでみると結構夢中になるかもしれない。


今回の写真は木霊なんていうタイトルをつけてみたけど、それっぽいのは最初のだけかな。真冬のほうが良かったかもしれない。
最初のははるか上空から大陸の海岸線でも望んでるような感じにも見える。
2枚目のは手前の曲線と背後の直線の対比みたいな感じで撮ろうとしたものだけど、あまり際立った感じにはならなかった。パターンを見つけたりといったような、ラインの整理はまるでする気がなくて、それでも混沌としたパワフルなイメージにもなってないなぁ。
3枚目のキャベツ畑はなんだか薄気味悪い。ずらっと並んで画面を埋め尽くしてる様子や若干転び気味の色の感じでそんな風に見えるんだと思う。青白く生気のない血管のような葉脈に包まれて、キャベツってこんなに気味悪いものだったんだと認識を新たにするかもしれない。まるでエイリアンの卵の集積所。
最後のは普通に言うと失敗写真なんだけど、荒れ具合、破綻具合がそれなりに意図に沿ったイメージになっていたもの。単純にいうと露出不足で色の出方がめちゃくちゃになってるのと粒子が極端に荒れてしまってるのと、さらに不出来なネガをスキャンしたためのノイズが混じってこんな感じになってる。
でも、これがまた意外なほどにシュルレアリスティック!

フィルムを使った時の予想もしないイメージの荒れとかは単純に失敗とすることもない。サラ・ムーンなんかは積極的にフィルムに物理的、化学的ダメージを与えたりしていたようだし、考えようによっては千切れでもしない限り、失敗したフィルム写真なんて本当はどこにも存在しないのかもしれない。






この前カメラの中で千切れてしまったフィルムがこれだったんだけど、結局それ以降も使ってる。何しろ安いしフィルムの画質としても、多少は色のりが悪いときはあるけど、コダックなんかに比べて安い分だけ落ちてると言う感じもしない。というかロモが自社でフィルムを生産してるとも思えないし、ロモのモノクロはフォマのものらしいから、このカラーネガもコダック辺りの低価格フィルムのOEMなんじゃないかなと思ってる。千切れたトラブルはあの時一度だけだったから、あの時のフィルム個別のトラブルだったんだろうと、希望的な観測で捉えてる。
ちなみにロモのカラーネガで感度100のものは色調や画質も積極的に好きな部類に入ってる。


真冬2

錆びた時計
2016 / 02 / Mamiya RZ67 ProⅡ + SEKOR 110mm f2.8 / FUJI PRO400H





水面
2016 / 02 / Mamiya RZ67 ProⅡ + SEKOR 110mm f2.8 / FUJI PRO400H





川縁の森
2016 / 02 / Mamiya RZ67 ProⅡ + SEKOR 110mm f2.8 / FUJI PRO400H





プール管理棟
2016 / 02 / Mamiya RZ67 ProⅡ + SEKOR 110mm f2.8 / FUJI PRO400H




PCの修理の件とあれから予想外の電話回線のトラブルも重なって、まるでネットに入れない状態になってました。今のところ回線のトラブルは解消したけど、PCのほうはまだ未解決。修理用の部品は送っては来たけど、実際の修理にはまだ入ってません。っていうか、PCの電源が上手く入らないという件で修理頼んだんだけど、頼んだ後で結構上手く電源はいるようになって来てます。これがまた困る。修理に来てくれるとなったからにはまったく動かなくなってるほうが都合がいいのに、中途半端に動くと修理に来てくれた人への説明に困るんですよね。わたしの常日頃の感じだと修理の人の前ではわたしのPCはどこが故障?とでも云わんばかりに元気溌剌状態になってそう。
ということで、トラブルは段階的に解消しつつはあるけど、気が休まるのはもうちょっと先になるかなぁ。
留守中も訪問してくれた方へ、有難うございました。

回線が繋がらなかった時は、何だか気が滅入って集中できそうにもなかったので、あまりカメラ持って出かける気にもならず、富岡多恵子の「写真の時代」といった本を読んだりする以外は、ルトガー・ハウアー主演の「ホーボー・ウィズ・ショットガン」とか高倉健主演の「新幹線大爆破」なんかのB級サスペンス、バイオレンス映画や、東宝の昔の特撮映画、怪獣映画をやたらと観てました。
「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「怪獣大戦争」「三大怪獣 地球最大の決戦」「宇宙大戦争」「地球防衛軍」「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」「フランケンシュタインの怪物サンダ対ガイラ」などなど。伊福部昭の音楽が頭の中で鳴り響いてます。完全復帰するまでまだ色々と観ることになるだろうなぁ。
配役のクレジットでどの怪獣映画の脇役枠でも出てる「沢村いき雄」っていう妙な名前が目について、この人は出演者の中の一体どの人なんだ?と疑問が出てきても、繋がらないネットでは調べようもなく、フラストレーションが溜まったりしてました。ちなみに今は「沢村いき雄」と役者の顔は一致してるけど、この人がこんな名前だとはネットに繋がらなくなってなかったら、連続で大量の怪獣映画を見ることもなく、おそらく気にする機会もなかったんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

今回の写真は中判カメラのマミヤRZ67で最近撮ったものから。元々スタジオに設置して使うためのカメラなので、携帯性なんか何一つ考えられてなくて、約2.5kgと重いししかも持ちにくいから、いつ使っても持て余し気味なのは変わらず、これに負けてしまってもうひとつ思うように使いこなせてない感じが写真にも出てる。6×7のわずかに縦横比があるフレームは縦構図にしたときのバランスが凄くいいし、縦構図好きとしては血が騒ぐ一方、オーソドックスな横構図で撮ると従来的な横フレームに比べて縦に高い分何だか間の抜けた絵になることが自分としては多いような気がする。
ちなみにこのカメラ抱えて歩いてると声をかけられる。今回も資料館のようなところに入ったら、受付の人に珍しいカメラを持ってると話しかけられた。その人もフィルムを使ってると云ってた。

rz67


撮ったのは三栖閘門の近く。もうちょっと歩くとクレーン車などの建設用車両の廃材置場があってそっちでも撮ろうかと思ったものの、持ちにくいカメラの持て余し感が圧し掛かってきて、それはまた今度ということになった。
最初の錆びた時計は枝がかかりすぎて錆びてるのが一目で分からなくなってるのが思惑違いだ。縦に長いものの写真ってこうやってブログに載せてみるとスクロールに合わせて下から画面に出てくるのが単調でちっとも予想外じゃないからあまり面白くないなぁ。
二枚目は水面下の水草群。もうちょっと水面下で淀んだ感じで写したかったんだけど、なかなか上手く行かない。
最後のはこれのどこが真冬という感じだけど、閉鎖されてるプールの管理棟だったりする。人のいないプールはまた別の機会に別のカメラで撮ったりしてるので、それはまた今度ということなんだけど、RZ67はよほど持ち出して使い続けないと、フットワークを使うことさえ忘れてしまいそうになる。これもその場で根が生えたように動かなくなって撮った写真だった。
ありきたりを装って謎めいた薄幕を隅々まで被りきれなかった写真だったりして。

それにしてもブローニーフィルムの種類も減ったし高くもなった。今回の写真は以前にストックしておいたフィルムをそろそろ使ってしまおうと思って撮ったものだったんだけど、フィルムの補充をするつもりでヨドバシに行ってみたら5本パックで5000円近くしていて、怖気づいてしまって買えなかった。ブローニーのカラーネガはフジの感度160のがちょっと安かったから、感度400のは選択肢もほとんどないし、今度はこれを使ってみようかな。ブローニーの手持ちのストックはリバーサルのベルビア100が数本とモノクロのトライXが数本ある。今のところ久しぶりにピジョンフレックスを使おうと思ってベルビアをセットしてあるので、ブローニーは次はこれを使ってみるつもり。
マミヤのこの重いカメラは、操るには使い倒すのが一番というのは分かってはいるけど、次に持ち出す気合が入るのはいつ頃になるんだろう。

あとね、マミヤのカメラとは関係ないけど、このところまたピンホール写真が撮りたくなってる。ため息が出るほど綺麗なピンホール写真撮ってる人もいて、あれ、どうやってるんだろう。どう考えてもぼんやりした写真しか撮れないと思うんだけどなぁ。