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始まりの場所、たどり着く場所 / 今年最後の更新です。

蛇行通路
2016 / 12 / FUJI CARDIA Travel mini DUAL-P / Kodak Super Gold 400





影格子
2016 / 12 / FUJI CARDIA Travel mini DUAL-P / Kodak Super Gold 400





光射す通路
2016 / 12 / 写ルンです シンプルエース400





三本の柱
2016 / 12 / Nikon Coolpix S9700





gate
2016 / 12 / 写ルンです シンプルエース400





夏の午後の駅
2016 / 08 / Howay Anny35 / Kodak Super Gold 400





というわけで、相も変わらず京都駅で撮っている写真から。もうなんて云うか、見慣れすぎた空間を無理やり目新しい印象に仕立てあげようと画策しているというか。それでもそこからちょっとでも気を引くものが出来上がってくれたらそれでいいんだけど、どうかなぁ。やっぱり無理やり絵にしようとしているのが薄々分かってしまうと興ざめかな。
並べてみて思いついたサブタイトルは「冬の光/夏の光」といったものだ。あれだけ暑くてカメラ持って出かける気も失せていた夏だったけど、こんなに寒くなってくると、あの輝く夏の光が懐かしい。最後の写真はそんな意味合いで入れてみた。今年の締めくくりの記事の最後の写真が明るい光に満ちているというのもいいんじゃないかと思う。たどり着きそして再び物事の始まる場所で今年の締めくくりというのも来年に繋がるようで収まりがいい。

☆ ☆ ☆

ということで今年もつたない写真に付き合ってもらって有難うございました。どこか気分が馴染むようなところでもあれば、来年もよろしくお願いします。
それでは皆様良いお年をお迎えください!





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壁際のサンタたちとChristmas Bells

横並びのサンタ
2016 / 11 / Nikon Coolpix S9700




ランプ整列
2016 / 12 / 写ルンです シンプルエース400




季節的なイベントものはもう撮る気になれないと云いつつ、サンタさんの写真を撮ってしまったりして、他のかたちでは載せようもなさそうだから、小さな記事にしてこっそりと挟み込んでみる。本来的な記事は土曜日にアップ予定。

曲のほうも合わせてクリスマスソングだ。でも大好きな曲はほとんどここに載せてしまっているし、だからといって大して好きでもない曲を選ぶのも面白くない。ということで今回は今までにピックアップした好きなクリスマスソングの中から再掲載してみる。この曲、かなり前のクリスマスの時期にピックアップしたんだけど、その時はYoutubeからあっという間に削除されてしまった。
わたしの音楽体験の中ではパティ・ペイジの歌でしかほとんど耳にしたことがない曲だ。シンプルでチャーミングな曲だと思うんだけど、ホワイトクリスマス並みにとは云わないにしても、どうしてクリスマスのスタンダードとして広まらなかったのかなぁ。もっと広く知れ渡っていてもおかしくない曲だよ。

Christmas Bells - Patti Page



☆ ☆ ☆



どうもね、エスカレーターのステップの縁に叩きつけてから、手振れ補正が上手く働いていないような気がする。やたらとブレブレの写真を量産している。外見は堅牢で一見まともに動いてはいるけどそこはやっぱり精密機器、衝撃には弱いってことか。
アウトドアで使うのが主な機材なのに、雨には弱いぶつけることにも弱いって、道具としての設計の根本に大きな錯誤でもあるんじゃないかとも思えたりする。


その点これは凄い。ボディにひび割れでもできない限り、何が起ころうとまるで平然と写真を撮り続けるんだから。シンプル・イズ・ベストを絵に描いたような道具だ。






陰に住むもの / 夕陽は赤く-加山雄三

陰に住む魚
2016 / 09 / VREDEBORCH FELICETTE / Fuji ACROS 100を自家現像






振るギア
2016 / 11 / Nikon AF600 / Fuji Acros 100を自家現像





sal
2016 / 04 / Minolta SR505 / Fuji Presto400を自家現像



久々のモノクロ。自分で現像をやり始めると、代金を払って現像してもらうのももったいなくなって、とは云うものの夏の間は作業が若干面倒になるところがあるから、結局夏が過ぎるまではモノクロの撮影そのものから離れていた。暗室なんか持ってないからフィルムを現像リールに巻き取る作業はダークバックという、腕を入れることが出来る黒いビニールの袋状のものの中でやることになる。これが手から出る汗、湿気でフィルムがスムーズにリールの中へと滑り込んでいかなくなる場合があって、フィルムはむき出しの状態で、作業中は腕を抜けないダークパックの中にあるから、そうなるとちょっと厄介なことになる。薬液の温度管理も、これはわたしだけの感覚なのかもしれないけれど、温めておくよりも冷やしておくほうがどうもやりにくい。

で、久々のモノクロで張り切っていたのに、使ったカメラVREDEBORCH FELICETTEははっきり云って壊れてるし、AF600も玉水で盛大に放り投げてから、結局は半壊しているような状態で、夏が過ぎてからモノクロフィルムを詰めたカメラはどうにもこうにもならないというか、久しぶりのモノクロだったのに結果は思わしくなかった。

VREDEBORCH FELICETTEは西ドイツの大衆カメラらしい。でもドイツなのに作りはひょっとしたら2000円程度のトイカメラよりも酷いかもしれない。トイカメラでさえもコマ送りくらいは普通に出来るのに、このカメラはそれさえもまともに出来ないんだから凄い。職人気質のドイツ製品というイメージを面白いほど足蹴にしてくれる。
ニコンのAF600のほうは現像したフィルムに5、6コマ何も写っていない箇所があったりして、何で?と思って後で験しに動きを見てみると、レンズは繰り出すが時々シャッターが開いてないという状態になることが分かった。完全に壊れて何も動かないとなると諦めもつくが、まともに動く中でこういうことがたびたび起こるというのは気分的には一番始末が悪い。こういう不安定さがあると結局は使えない道具にならざるを得ないのに、使いたい気持ちはいつまでも残り続けることになる。まぁ28mmレンズのコンパクトカメラは、おそらくOEMでこのAF600と同じレンズだと噂のティアラだとか、他でも持っているから不自由はしないんだけど、でもこれ結構気に入ってたんだよなぁ。


暴れん坊カメラ
暴れん坊カメラ揃い踏み!


☆ ☆ ☆

最初のと二枚目のがこの夏が終わってから撮ったものだ。最初のは三条御池で、二枚目が烏丸から河原町の間の仏光寺通や綾小路通辺りを歩いていて撮ったものの一枚。仏光寺通、綾小路通辺りはメインの通りからはちょっと離れてはいるけれど路地というほどでもなくて交通量も多く、車を避けながら写真を撮っていても集中できずあまり良くない。
最初の写真はシーフードレストランの看板だ。でもこんな撮り方をしたら客足が遠のきそう。食事に誘うキャラクターというより、魔界から出てきたモンスターのように見えるもの。二枚とも若干コントラストを落としてるんだけど、一枚薄幕を通してみているような非現実感が出てきて面白かった。基本的にはハイコントラストのモノクロのほうが好き。でもやってみて全体に闇が浸潤しているように薄暗く茫洋としているこういうのも嫌いじゃないと思った。
試してみて初めて分かる好みとかもあるんだな。自分のことなのに自分でちっとも分かっていない。
三枚目は裏寺の、以前は京極東宝だったファッションビルで、これを撮った時はセール期間中だった。この突飛な服装のイラストはセール中の飾りかと思ったけど、どうやら普段でも店のショーウィンドウを飾っているようだ。ウィンドウに写り込んでいる対面のビルの様子が淡くざらついた影絵のようで、こういういイメージは結構好きだ。
と云ってファッションビルの飾り物は良く写真に撮っているけれど、自分のファッションはどうかというと、何だかもうファッションにお金をかけるような気にならなくなって、本気でどうでもいいような感じになってる。アクセサリーの類はエスニックやキラキラもの好きだから、結構つけたりはするんだけどね。
ファッションといえば個性だとか自由だとかそういう観念と結びつきやすい。でも考えてみれば、ファッションにおいて自由な人なんかほとんど見たことがない。服装は結局どこかのあるいは何かの集団に属することを表明するサインのようなもので、それそれ自分が属したい範疇を示すものしか着ることができない。最近はあまり聞かないけど、たとえば学校なんかで服装の自由化なんていうことが話題になることがあった。で、自由化を勝ち取っても、その後の服装はどうなるかというと、その時流行の実に画一的で、結局また皆が着ている別の制服としか思えないような私服に落ち着いたりするのがほとんどだろう。ファッションと云うとなんだか自由を絵に描いたようなもののようにも思えるけれど、実際は自由とはもっともかけ離れたものなんじゃないかなと思うことがある。この写真の服装は描画のタッチも加わり、奇矯でサイケデリックでかっこいいんだけど、でもこの服装をしたからといって、やっぱりそんなに自由であるようには思えない。

写真も、誰に頼まれてやっているわけでもなく、たった一つ自分の意志を拠り所にして撮りつづけているものだから、これも自由でありたいと思う。でも自由意志で始めているにもかかわらず、撮っていると何時も幾ばくかの制度的な視線が紛れ込んでくる。隙があれば皆が良いと判断するであろうものに寄り添おうとする。そんなこと無視してシャッター切れよと思うものの、達観も出来ずになかなか難しい。



☆ ☆ ☆



夕陽は赤く-加山雄三

以前から理由もなく気に入っていた曲だった。今にして思うとコードの展開具合とか、どことなくビートルズっぽい。きっとそういうところが気に入っていたんだと思う。
レノンがこれを聴いてDon't Let Me Downを発想したという説があるらしいけど、似ているところがほとんどないしそれは違うだろう。連想で思い浮かぶとするならAnd I Love Her辺りじゃないかな。






加山雄三のベストヒット盤的なものならこの曲はどれにでも入ってると思う。その数あるCDの中でこれはアビーロード・スタジオ・マスタリングなんていうのが値打ちなんだろう。そこはかとなくビートルズと繋がっている。





平城山 水の輪環

平城山 池
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





川の段差
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





藻
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400



平城山と書いて「ならやま」と読む。わたしも実際にやってくるまでこういう風に読むとは知らなかった、というか当たり前の如く「へいじょうやま」と読んで疑問も抱かなかったので、このことに関してはえらそうなことは云えない。PCに打ち込んでみると「ならやま」で一発変換できるから、この読み方で知れ渡っているのだろう。でも読ませ方としては結構無理があるなぁ。
JR奈良線の木津駅の一つ向こう側の駅で、京都から乗っているのを前提に書いているから、いちいちどちら側から向かってといった方向は示さないけれど、終点の奈良の一つ手前の駅となる。
笠置に通いだしてから、黄檗辺りまでは乗ったことがあったJR奈良線のさらに先のほうまで乗るようになって、でも笠置へは木津で別の路線に乗り換えていたから、奈良線の木津以降の方向へは初めて乗ることとなった。木津で乗り換えもなしにそのまま乗って発車するのを待っている間、必ずここで乗り換えていたものだから、今日は乗り換えなくてもいいのか?乗り換えるなら今だぞと、意味もなくせかされてるような気分が湧き上がってきて落ち着かなかった。木津から終点の奈良までは二駅なんだけど、いつもは木津で降りているその先の光景が始めて車窓の外を流れていくと、それはそれなりにまた笠置に行き始めた頃のように新鮮に眼の中に入ってきた。
近鉄の奈良駅周辺はどんなところか知っているから、この日、本当は終点の奈良まで乗ってJRのほうの奈良は一体どういう風になっているのか、その様子を見に行ってこようと思っていた。ところが木津を出てから程なく車窓に大きな池と縦横に走る川、駅に入る頃に巨大な金属柱風の構築物と、時計が設置してある何かの塔状のものが見えてきて、興味を引かれて奈良まで乗らずにここで降りてしまった。
一応奈良まで行ってみようという大枠はあったものの、基本的にはどこへ行くと決めての行動でもなかった。でもそんなゆるい思惑であっても、降りる明確な予定もなかった駅にいざ降りる段になると、行動し始めるのに思いのほかエネルギーを必要とする。実際にやってみると分かるけど、意味も必然性もなくここで降りてみようと思っても、電車のドアを跨いでホームに足を下ろすのはそれなりの勢いと決断を要する。

この日は車窓から見えた場所へとにかく行ってみようと思って歩き始めた。時計塔のある場所はなぜか奈良バイパスに阻まれて近づくことが出来ない。あとで道路の向こう側に渡る道を見つけたけれど、この時は近場で渡る場所が分からなかったのでそちら方面に向かうのは諦めて、線路沿いに見えた池のほうへ行ってみることにした。
そして撮ったのが今回の写真だ。

☆ ☆ ☆

池は二つ並んでいて、この写真を撮った池の名前は分からず、隣にあったもう一つの池のほうは五領池と云うらしい。
曲がりくねった川、といってもほとんど人工的に作ったような川だったけど、その川と池の狭間に延びている道を行くと、三脚を立てた人が点々と佇んでいる。三脚の上には巨大なバズーカのような望遠レンズをつけたカメラが乗っかっていた。
何だか妙に胡散臭そうな視線を投げかけられ絡められて、わずかに目礼めいたものを返して歩いていった。池のほうを見ると水鳥が飛来していて、どうやらこれを撮ろうという人が、この日に限ってのことではなく、常時数人はやってきているようだった。
わたしはそういうのを撮る気がまるでないし、そういう人が集まりそうな場所にも絶対に行かないから、あんな巨大なレンズを掲げて木陰から遠くのものを狙っている人が本当にいるんだと、ちょっと珍しいものを見たような気分になった。

最初のはバズーカレンズが設置されているような場所からは幾分はなれて撮った。逆光の写真だ。逆光も光の内なんだけど、いかにもドラマチックで見栄えの良い雰囲気の写真が撮れる反面、イメージとしてはありきたり。綺麗でドラマチックでなおかつどこかで見たような退屈な写真といったものになりがちだ。本当のところはそういったギミックめいたものを使わないで印象に残る写真を撮りたいところだ。

ちなみにわたしは「風景」という言葉がどうもね、好きじゃない。この言葉で連想するのは、上に書いた言い方をもう一度使うなら、収まりかえった泰西名画風で、綺麗なんだろうけど退屈といったもの。だから気がついてる人がいるかもしれないけど、このブログで今まで一度も「風景」という単語は使っていないはずだ。わたしは空間を撮ろうとはするけれど、「風景」なんか撮りたくもない。根はいい加減でも、こういうところは結構頑ななんだなぁ。







笠置へ その3 街のかたち / 猫の街

路地裏 市場墓地
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





市場墓地への路地
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





浮遊巨石
2016 / 11 / Nikon F100 / Fuji Superia Premium 400





蔦と螺旋の歩道橋の上
2016 / 11 / Nikon F100 / Fuji Superia Premium 400





笠置猫1
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400


再び笠置で撮っていた写真から。最近は若干足が遠のいている。
まぁ多少は飽きてきたというか、入り浸っていると結構日常の範囲に入ってきている感じで、旅行気分も薄らいできているということもある。さらに今の時期は笠置は紅葉で舞い上がっているようで、これは誘いのように見えても必ずしも今のわたしにとってはそうはならない。もみじまつりの幟も立ち始めて丁度いいから紅葉を撮りに行こうかなとか書いていたけれど、こんな時期に行ってしまうともみじ公園のある笠置山の頂上まで登らない訳にはいかなくなりそうで、そういう気分がかなり大きなブレーキとなってわたしの足を止めてもいる。あの山、正直云うとあまり登りたくない。

とはいうものの、いくつかあるハイキングコースはあまり踏破していないし、そのうちの一本鹿ヶ淵のコースは落石注意で通行止めになっていて、全部のコースを征服するのは無理としても、途中で引き返してきた銀の帯コース、JR関西線の真横を、もう本当に山裾を走る電車に触れるくらい真横を歩くハイキングコースなんかは最後まで歩いてみたい。この時なぜ引き返してきたかというと、コース半ばから危険を感じるくらいあまりにもJRの線路に近いところを併走していて、道も草が半ば覆っているような放置された道のようにも見えたために、ここ、本当にハイキングのコース?間違って立ち入り禁止のところに入り込んでいるんじゃない?なんて思ってしまったからだった。
ところで笠置にやってきた当初から、この名前の銀の帯って何のことかと思っていたけど、今これを書いていて急に線路のことなのか!とひらめいたな。天駆ける銀河を歩くような随分と詩的な命名だと思っていたけど、それほどでもなかったのか。

で、そういう部分ではまだ多少は行く気はあるものの、最近はこれが切っ掛けで乗り始めてしまったJR奈良線のほかの駅で適当に降りて冒険している。今のところ、溝に足を取られてひっくり返った玉水とか、他には駅に際立つ地下通路のある棚倉、煙を吐く時計塔の見える平城山辺り。平城山は降りてみて初めて奈良ドリームランドの近くだと知った。今はどうなっているのか知らないけれど、遊園地は廃業後に巨大な廃墟になって放置されていた。子供の時に連れて行ってもらった記憶はあるといっても、こんなところにあったなんて今の今まで知らなかった。

☆ ☆ ☆

最近はニコンのF100ばかり集中的に持ち出しているので、今回の写真は全部同じカメラで撮ったものになってる。操作を忘れていたからとりあえずお手軽プログラムオートで撮っていて、そのうち他の操作も思い出して行こうと思っていたものの、これで綺麗に撮れるならもうプログラムオートで良いかと思い始めている。
最初の二枚は笠置の町中、坂になった路地裏を登っていったところ。市場墓地と記されている場所で、確かに登り詰めた果てには小さな墓地があった。市場墓地という命名が、由来を知ってみればなんてことはないのかもしれないけれど、結構謎めいている。
ちなみに両方とも同じフィルムなんだけど、上のはCDにしてもらったもので下のは家のスキャナーで読み込んだもの。シーンが違っているから単純に比較は出来ないかもしれないけど、基本的な色調といったものがイメージ化する方法によって微妙に違ってくる。
アグファは確か倒産したんだったか、どこか別の会社がブランドを引き継いでるはずだけどよく分からない。いずれにしろアグファはとっくの昔に自社でフィルムを作るのは止めてしまっていて、これは中身はメイドインジャパンだ。日本でフィルムを作っているのはフジだけだから、当然フジのOEMとなる。フジブランドで出ているのよりは安いと思うんだけど、ブランドを外したフジの業務用フィルムの仕上がり具合によってはおそらくアグファを使うのはこれっきりになるだろうなぁ。アグファは自社製造の時はトイカメラ御用達のフィルムだったんだけどね。
あとはまぁ見ての通りだ。巨石は実際にも空中に浮いているように見えて面白かった。



☆ ☆ ☆


Cruise to Japan in 1932 日本へのクルーズ

最近ネットで話題になっていた動画。1932年の日本の様子を記録した動画なんだけど、2分49秒あたりに登場する、町中を歩く女子高生の姿が、まるで今の女子高生と同じという、かなり意表をついてくるところがあって面白い。現代の女子高生としか思えないその様子はまるでタイムトラベラーじゃないかと思うくらいだ。
だってこれ、ミニスカートだよ。60年代にツィッギーによって世界に広まったミニスカートが1932年の日本の路上で闊歩してるんだから、これはやっぱりちょっと吃驚する。
戦後の教育で戦前と戦後の間には超えがたい断絶があって戦前は抑圧された自由のない暗い時代だと刷り込まれていれば、こういうフィルムを見ると戦前にも自由はあり戦後とは実は地続きで繋がっていると、認識を新たにすることになるかもしれない。
それとこういう記録映像を見る時はよく思うんだけど、この現代の女子高生としか思えない溌剌とした2人も今も生きているとしたら100歳近い年になっているはずで、そんなことに思い至るとその諸行無常さに目のくらむ思いがする。
この世界にもういないというなら、このフィルムに登場しているほとんどの人は鹿も含めてもうこの世界に存在していないし、云うならこれは死者の饗宴とでも云った映像なんだろうと思う。これも目がくらむ思いがするなぁ。