2017/01/28
化水幻戯
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2016 / 12 / 墨染 (1)
2016 / 05 / 墨染 (2)
2016 / 12 / 墨染 (3)(4)
2016 / 03 / 墨染 (5)
Nikon Coolpix S9700 / 写ルンです シンプルエース400 / Olympus Pen S3.5
Kodak SuperGold 400
忍法の技の名前みたいなタイトルだ。とは云っても山田風太郎じゃなくて、元は江戸川乱歩から拝借してきた。山田風太郎は甲賀忍法帖のような有名なものもいいけど、わたし的には風来忍法帖が面白い。
京阪の線路と併走している疎水の、墨染を通り過ぎて伏見へとカーブしていくところ、関西電力墨染発電所のある辺りなんだけど、耳鼻科の通院後にたまに墨染から疎水沿いを歩くことがあって、これはそんな時に撮った写真となる。水門だとかの構築物はこの墨染発電所のものだ。実のところもっと水門や機械類を絡めて撮りたいんだけど、当然のことながら発電所には柵があって中に入れないようになっている。最後のは水は写っていないけど、この疎水と変電所の脇にある小さな公園のベンチに置き忘れられていたオブジェだ。
こういうのを見ると各オブジェを配置しなおしたくなる場合がある。以前紅葉のシーズンに地面に落ちたもみじの葉っぱを拾ってきては思うように並べて写真を撮っていた人を見たことがあった。そういうことにあまり抵抗がない人もいるようでも、わたしはちょっと抵抗がある。あまり自分色に染めてしまわない、目の前の空間をそのまま把握するって云う関わり方だから、目の前にこういう配置で存在したものはその配置にも何らかの蓋然性があると考えるほうで、この写真の場合もサングラスや、これはシャボン玉製造機なのか、奇妙なおもちゃの位置が多少バランスを崩していてもそのままにして撮っている。
水は被写体としては面白いね。水そのものは指の隙間から零れ落ちていくほど存在としての確固としたものがないにもかかわらず、反射、透過、屈折、波紋、揺らぎなどの層を通して様々の表情を見せてくれる。日常の当たり前に見るものから神秘的な印象まで、あるいはわたしにとってはさらに恐怖の対象としてまで、刻一刻と変化するその様相は見ていて飽きない。
たった100度程度の範囲で固体から液体さらに気体にまでその存在形態を変える物質は実はかなり特異な存在らしく、これ無しには生命は誕生し得なかったことも考え合わせると、水はある意味奇跡的な物質だ。水道の蛇口から毎日奇跡が迸り出てるんだと思うとなかなか楽しくなる。