2017/05/27
笠置拾遺 / 荒木経惟 + 陽子 「東京は、秋」
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2016 / 11
笠置
Nikon F100
Kodak SuperGold400 / Agfa Vista Plus 400
去年の秋の終わり頃に笠置に行って撮っていた写真からまだ載せていなかったものを何枚か。
それにしてもこの頃執拗に通って撮っていたのに紅葉が始まるくらいの頃から一気に足が遠のいた感じだ。理由は簡単でつぎに行ったらあの笠置山を登らないと気がすまないだろうなぁと、天辺に紅葉の公園があるらしいからこんな時期に行ってしまうとなおのことあの山登りをせざるを得ない気分に追い込まれるだろうなぁと、そんなことを考えたからだった。あの山道、利用しやすいハイキングコースのように案内されてるくせに結構きつい。ここのいくつかあるハイキングコースって、自然任せの何だか危険な臭いがぷんぷんするところがあって、そのうちの一つは落石の危険があるということでわたしが通っていた間中完全に閉鎖、また今回の二枚目の写真はそのコースの他の一つ、山の中腹でJRの線路脇を併走する銀の帯と命名された場所なんだけど、この森の中から忽然として現れた古代遺跡風のアーチのすぐ向こうをJRが走ってる。ここは金網がはってあるけど、途中は真横の線路との間にこんなに頑丈そうな柵がないところもあって、また反対側も足を滑らせればそのまま木津川渓谷にまっさかさまと、こんなところ本当に歩いていいのかと思うこと必至のコースだったりする。しかもわたしがここを歩いたのは雨が降った数日後だったから、山から流れてくる水がまだ途切れておらず、足元はぬかるんで滑りそう。誰とも出会わない奇妙な静けさのなかにいたことも相まって妙に怖かった。
この後笠置に至るJR沿線の駅や同じく南に延びる近鉄沿線の、普通だったら降りる用事もない一生縁のなかったに違いない駅に降りて撮影行の行動範囲を広げていった。紅葉を過ぎれば笠置山に登らなければという強迫観念も薄れるかも知れないので、再び冬の笠置に写真を撮りに立ち寄っても良かったはずだったんだけど、結局はそうはならずに京都の南、奈良の北側で歩き回ることに専念していた。
でもただの郊外の農地に立って、辺境の惑星にでも降り立ったような気分にふけるのも、なにしろ正直に云ってしまうとこちらがかなり能動的なフィルターでもかけて眺めないと、客観的には何もない退屈極まりない場所がほとんどだったりするから、さすがに飽きてきて、最近は嵯峨嵐山辺りに行く場所を変更してる。観光客の外国人がぞろぞろと歩いてるというのが、誰もいない農地の真ん中に立っていた者にとっては妙に新鮮だ。嵯峨野あたりで観光地的な雰囲気を排除して写真を撮る遊びのようなことをやってる。
☆ ☆ ☆



荒木経惟が東京を撮っていた写真を集めた写真集。荒木経惟の写真集って東京と名前がついてるのが山のようにある印象で、しかもタイトルに東京とついてなくても、どの本も大抵東京の写真でもあるから、どうにも区別がつきにくいところがある。で、この本はそんな区別のつきにくい写真集の中ではちょっと風変わりで、本の中に並んだ写真を今は亡き陽子夫人と一緒に眺め、その写真についてちょっとした会話を交わしているのを写真に並べて載せるという構成になってる。
その会話が写真を肴にして、思い出の場所であったりするものを仲の良さそうな雰囲気で喋ってるのが伝わってきてなかなか楽しい。そしてその会話は写真の素人とプロが会話しているといった教え教えられる堅苦しい関係のものとはかなり違う。
荒木経惟も、自分の撮った写真を前に、ここの、この電柱の並び方が良かったんだよとか、その場で目の前にあったものに対してどういう関心事でシャッターを切っていたのか、そういうことを日常会話として楽しそうに喋ってる。
荒木経惟の写真や言葉は私小説風を装ったりと、時に策略に満ちていてそのまま鵜呑みに出来ないところも多々あるようにわたしには思えるんだけど、この本ではそういうところはあまり感じられない。
また、写真に関する態度についてところどころで明かしているのも面白い。たとえば歩道橋を行く人の写真について、ぶれると物(ブツ)じゃなくなるから、自分はぶれるのが嫌いで、隅々までピントが合うように絞り込んで撮るとか、水溜りに落ちて吹き溜まったものの写真では、写真屋さんは町が表現しているものをそのままフレーミングしてくりゃいいんだよと云い、また、背中に太陽を背負って撮るのが一番面白い、なぜならのっぺりしたなにもない写真となって、そういう写真は見る人がそこに自由にドラマを組み立てやすくなるからという風に語る。
写真はちっとも真似をしようとは思わないんだけど、考え方は自分と近いものが一杯ある感じで共感するところが多かったりする。
荒木経惟って自分にとってはなんか妙な存在の写真家なんだな。真似したくなる写真でもないのに、機会があれば荒木経惟の写真を好んで眺めてる。言動を見れば共感する部分は多いのに気づくんだけど、それでも影響を受けてるのか受けてないのかよく分からない写真家だ。
最近再版されたみたい。本屋で中身を見てみると、こっちのほうがサイズも大きく、写真も大きく載ってるけど、その大きな写真を本の綴じ目を跨いで載せていた。1ページにつき写真一枚という形で載せてるわけでもないのは、いくら写真が大きくなったとはいえ賛否両論ありそうだ。
アグファもよく分からないなぁ。この会社、結構前に倒産したんじゃなかったか。フィルムは別の会社が名前を引き継いでどうのこうのっていうのはどこかで読んだことはあるけど、おそらく大手のOEMなんじゃないかな。
昔この名前で出ていたフィルムとはおそらく中身はまったくの別物だろう。