2017/07/29
空蝉の木の影 / Anne Sophie Merryman - Mrs. Merryman's Collection



2016 / 08
2017 / 07/ 05
Canon Demi EE17 / Olympus Pen EES-2 / Konica EYE
Kodak SG400 / Fuji 業務用400 / Fuji 100
季節が終わるまで毎回書いてそうな気がするけど、とにかく暑い。体の中から溶け出して、汗と一緒に気力も何もかも流れ出ていってしまう。このところ見つめるのは体の中に空虚に空いたからっぽの空間ばかりだ。
周りを埋め尽くす蝉の声を聞きながら、己が空虚を覗き込んでいると、空蝉なんていう言葉が立ち上がってくる。
空蝉っていうのは夏の季語で、もちろん蝉の抜け殻をさす言葉だけど、人の住む世、いうならば現実を表す言葉でもあるらしい。
昔の人はこの現世がからっぽの空虚な世界だと看破していたということなんだろうけど、なかなか侮れない認識だと感心する。
この言葉から木の幹に留まる抜け殻とおそらく世界樹のようなイメージが合わさって、無限の蝉の抜け殻をびっしりと纏わりつかせた巨大な木が頭に浮かんだ。
どこかへと溶け出したからっぽの空間を体の中に抱えて、その空蝉の世界樹の元に佇んでる。夏の暑さにへばりかけてイメージするのはそんな世界。写真に撮れるものなら撮ってみたいところだけどね。
まぁそんなことを云っていても始まらない。からっぽならわたしの中の空っぽの写真を撮り続けるほかないだろう。
先日撮り終えた写ルンですの現像をフォトハウスKに頼みに行った時、ハーフサイズで撮ったフィルムもCDに出来るようになりましたと教えてもらった。今まではハーフサイズのネガは同時プリントをしないなら、インデックスも作れずに家でスキャンするほかなく、36枚撮りで撮っていたら倍の72枚をスキャンしなければなかった。あまり上手くスキャンできないわたしのスキャナーではその作業はストレスかかりまくりだった。だからCDを読み込むだけで全部取り込めるとなると、これは本当に助かる。
で、どんなに便利になるのか体験したくなり、ものは試しにと久しぶりにフィルムを装填するのはハーフカメラにすることに決めた。
フィルムを詰めたのはキヤノンのデミEE17。今回の最初の写真を撮った、そこはかとなく調子の悪いハーフカメラだ。
27枚撮りのフィルムだったので撮れる総数は最低でも54枚。この気分だと全部撮り終えるのにひょっとしたらこの夏中かかるかもしれないと、装填した直後にやっぱり普通のカメラのほうが良かったかなと思ったけど、まぁそれもいいか。暑さにへばりかけて集中できないような時に、あまり考えずに流すように大量に撮るのも空虚さを埋めるリハビリになるかも。
2枚目の写真はちょっと奇妙な触感を狙ったものだった。そして奇妙な、まるで異界からの通信を傍受してしまったような不思議な感触を残す写真が並んでるのが、今回の「Mrs. Merryman's Collection」という写真集だ。
☆ ☆ ☆
Anne Sophie Merrymanが亡くなった祖母であるAnne-Marie Merrymanから受け継いだポストカード・コレクション。一度も会ったことのなかった祖母とそのカードを仲介して邂逅したAnne Sophie Merrymanは、そのポストカードのイメージを編集して一冊の本に仕上げた。1937年から1980年の間にAnne-Marie Merrymanによって集められたポストカード・コレクションにはどことも分からない異国の奇妙なイメージが数多く封印されていた。



といった背景がある写真集なんだけど、この本は策略に満ちてる印象で、こういう成立過程も文字通りに受け取る必要もなさそうな気がする。
それはともかく、ポストカードを集めることで世界を旅してる気分を味わっていた古い時代の女性と、今や何時どこで写したかも分からなくなってるような古びたポストカードという、そういう有様が写真に想像力を広げる余地を生み出してるのが手に取るように伝わってきて、これはとても面白い。
そういう魅力的な背景に乗って展開されるポストカードの写真は、通常思い浮かべる観光地写真の範疇を大いに逸脱して、夢のように風変わりでサイケデリックなイメージで溢れそうになってる。この世界とは明らかにずれを生じているようなその写真群は、時間の彼方から届いてくる、意味の形も取れなくなってるようなかすかな囁きも伴って、まさに異界の扉が開きかけている状況を活写してるようで、目を惹きつけ、心が騒ぐ。
これは本の形で展開してるものだけど、実際に一品ものとしてAnne-Marie Merrymanが所持していたポストカードとそれを詰め込んだ古いトランクも存在していて、まるである種のオブジェ作品のような佇まいで写されてる写真も見たことがある。その圧倒的な事物感はおそらくこの心が騒ぐ感じを増幅して、異界からのささやきもまた本よりも生々しい感覚として迫ってくるんだろうと思うと、この実物も一度見てみたいものだと思う。

それでこの本、ばらすのも無作法なので何とは云わないまでも全体に策略に満ちているのに加えて、もう一つ物理的な仕掛けがあり、最後の二枚のページが赤い糸で縫い合わされてる。これを解くとちょっと驚くような何かが出てくるらしいんだけど、実はもったいなくてこの赤い糸、未だに解いてない。こんな仕掛けは実際のところ有難迷惑そのもので、わたしの気性としてはこういうのはそのままにしておきたい気分のほうが先に来る。
だからこの糸でとじてある秘密についてはわたしは未だに何なのか分からず謎のままになってる。ここまで放置しておいて期待値をあげた後では、実際に開けてみたら何だこんなものかと思うに決まってるから、今ではなおのこと謎を白日のものに晒せなくなってしまった。