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陽炎 / A Man in a Room, Gambling - Gavin Bryars and Juan Muñoz

膨張する視線





ふくろう





陽炎の花






バス停
110フィルムを使って、ベビー・ホルガなどトイカメラで撮ったものをスクエアフレームにトリミング。撮影は2013年頃。

この、とにもかくにも圧倒的な低画質。まるでニエプスの始原の写真にカラーがついたような、そんな仕上がりだ。よく写るという方向へ向かう道筋とよく写らないという方向へ向かう道筋の、二方向に伸びる展望というか可能性があるのなら、よく写るほうの行き着く果てにあるもの、たとえばトーンの再現性だとか精密さだとか光の再現度だとか、そういうもののシンプルさに較べて、よく写らないほうの道筋にある分岐点は意図的無意識的イレギュラー、逸脱を初めとしてあらゆる偶然性を巻き込んでそれこそ無数にあるような気がする。この二方向に分かれる道筋のどちらが面白そうかというと、こんなの考えるまでも無く無数に分岐して混沌へとなだれ込んでいく、よく写らない方向だろう。ということで時折壊れかけの怪しいカメラを持って出かけることがやめられないこととなっている。とはいうものの安易に付加しがちな情緒とは遠く離れてオブジェそのものといった身も蓋もないような剥き出し感の横溢する解剖学的な写真も同じように好きなわけで、でもこれは一見まるで異なった志向のように見えて、写真的な中道志向から両極に振り切れているけれど方向が真逆なだけで本質はほとんど一緒なんじゃないかと思っている。解剖学的な写真もまたある一線を越えて詩的な幻想となる。フィルムという物質に定着させてはいるけれど最近写真の物質感のなさのようなものに物足りなさを覚え、プリントという物質に一度落とし込んで、その紙という物理的な存在になったものを加工して何か出来ないかなんて思ったりしている。手に触れる形となったもの、手によって変化させられるような物質的なもの、何だかそういうものに触れてみたいという気分。画家が物足りなくなって彫刻に手を染めるようなのと感覚的には近いかもしれないかな。我が嗜好はデータそのものといったデジタル写真とはますます逆方向を向きつつあるようだ。




A Man in a Room, Gambling | Gavin Bryars and Juan Muñoz

雑踏の中で拾い集めた意味にも届かないようなざわめきの交差のようなもので出来上がったノイズミュージック、頭の中でいつも低く騒いでいるような音とも云えない音、写真に合う音としてそんなのを選びたかったんだけど結局適当なのを思いつかず。で、ギャヴィン・ブライアーズのこんな曲を選んでみた。でも自分がこの写真を撮った時に頭の中に流れていたような音楽とはやっぱりちょっと違うかな。









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