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知覚の地図Ⅺ 抜殻を拾う夢、饒舌な線路。

缶





壊れ傘





饒舌な線路

使ったのは富士フィルムのコンパクトカメラ、ティアラ。XA2同様のカプセルカメラなんだけど、こっちは同コンセプトに対する富士フィルムのデザイン的な回答といった感じで、向こうが石鹸箱ならこっちはアルミのお弁当箱と、様相を全く違えた結果を出してきているのがなんだか楽しい。そしてどちらも今見ても確実に新鮮、全然古びていない。
カプセルカメラ
とにかく気を許してしまうとストロボがやたらと自動的に光ってしまうのが少々鬱陶しいんだけど、今回はもう光ろうがどうしようがまったく気にしないでいちいちオフにしないまま一本撮っていた。
なんでも撮れる、躊躇いを追い越す速度を持ったカメラだというのは、前回もちょっと書いたことだ。被写体に意味など求めず、世界の色と形のすべてを収める勢いをもってシャッターを切りたいと思う情動を、こういうカメラは加速させていく。でもそうはいっても視界に入るものすべてを切り取っているわけじゃ当然なくて、視界に入ったにもかかわらずシャッターを切らなかったものも当たり前のように存在している。それは高々フィルム一本37枚なんて云う微々たる量では事の最初からまるで相手にされないほど、比較するのもばからしいくらい圧倒的に多かったりする。こうなると何を撮ったのかということよりも、何を撮らなかったのかというほうが関心を呼び起こす。フレームで切り取り、そこはそのフレームの外にある世界とは異なった特別の空間だと特権化することで図らずも意味は付加され、そのことで世界はわたしの目の前から流れ落ち、撮られなかった写真のうちに顕現していく。なぜ撮ったのかは判るんだ。ではなぜシャッターを切らなかったのか。すべてが対象と思いつつ、無意識的に、何を、なぜ撮らなかったのかというのは疑問自体が宙吊りにされて霧散していく。

有栖川 蚕ノ社 帷子ノ辻 鳴滝 と、これは何かというと嵐電、京福嵐山線に連なる駅の名前だったりして、この地霊蠢き満ち溢れるような名前の見事なこと、厨二病路線とでも云われそうな、もうそれぞれの駅がそれぞれの異界へと直行してるに違いない名前であって、嵐山まで電車に乗るだけで異界巡りでもできそうな勢いでもある。JRや京阪や地下鉄の駅にある「六地蔵」、わたしはこの六地蔵の近くにあるMOMOテラスという、ユニクロとGUと3CoinsとJinsが入ってるショッピングモールに行くので馴染みの駅なんだけど、この「六地蔵」という異界への穴が開いてるに違いない名前も、嵐電の華麗な地霊ラインナップには完全に負けてしまう。どうせ嵐山へ行くなら、四条大宮始発の駅から路面電車の風情を残して民家の合間を走り抜ける嵐電に乗って異界巡りしてみるのも一興かと思う。
と、柄にもなく思いついて京都の観光案内。他にも「天使突抜」だとか「悪王子」だとか「血洗町」だとか、単に事物との間の記号関係を逸脱しているような地名が結構あって、京都の地名マップはなかなか面白い。

レジ袋の無料配布の廃止、有料化の義務づけなんて云う愚劣な政策が始まってしばらくたったけど、売る側、利用する側、袋の製造にかかわってる側の困惑、不便、負担に見合うほどの効果といったものが本当にあるんだろうか。わたしの場合はこの袋、ゴミの小分けに使ってるから手元にないと単純に不便。レジで買うこともできるんだけど、今まで無料だったものを、無料で渡してくれていたレジでお金を払って買うのも癪に障るので、わざわざレジ以外の100均で売っているのを買ったり、廃止になる前にレジでもらったのをストックしておいたのを使ってる。こういうのは自分だけかと思ってたら、ほとんどの人がレジ袋を有効に使う術を知っていて、それを活用しにくくなってるようだった。みんな困ってるということだ。わたしみたいにお金を払って別のところから手に入れるようなことをしてるなら、消費されるレジ袋の総数は廃止になる前とはあまり変わらないんじゃないか。有料で売るという選択肢が堂々と提示されてるところからも、義務化自体にそもそもレジ袋を真剣に減らそうという意思はあまりなさそうにもみえる。
たとえ減らす気があったにしても、なによりもこの制度、有料にすれば使う人が減るんじゃないかとみなしているのが、所詮わたしたち生活者はけち臭い貧乏人と見下してるのが透けて見えるようで腹立たしい。代替案のエコバッグは邪魔になるし、使いようによっては不衛生。ちっとも便利じゃないのでできる限り使いたくない。そうなるとむしろ買ったものを持って帰ることの面倒さを考えて買い物を控える場合が増えていきそうな気もする。となるとレジ袋が減る勢いを超えて消費量が減るぞ。
食品はまだイメージ的に見慣れていきそうな感じはする。でも衣料品なんか、さすがにブランド物はそんなことはしてないとは思うけど、商品そのままで手渡されるのはかなり異様な感じがする。本当に誰が得してるんだ、こんな制度。
エコというイデオロギーに盲従して、そこから受ける生活者への影響なんかまるで歯牙にもかけていない、こういう態度は左翼独特のものだと思っていた。これを始めた自民党も極左に偏ったようなほかの政党に比べるとなんだか保守のように見えているというだけで、本質部分は生温い左翼政党なのかもしれないなんて思ったりもする。


ムーミン展フライヤー1
七月に入ってから大阪のあべのハルカスでムーミンの原画展が始まった。アニメのムーミンは熱心な視聴者でもなかった、というかほとんど関心がなかったんだけど、絵柄とか原画の雰囲気はすごい好きで、最近だと去年ユニクロで出たリトルミイの絵柄のTシャツなんかも買ったことがある。わたしは病気のせいで電車のような閉鎖空間に長時間閉じ込められるのが恐怖になってるから、とてもじゃないけど大阪まで行ける自信がない。でも展覧会の内容は知りたかったので、図録をネットで注文して手に入れることにした。
ムーミン展図録
ムーミンは本のほうは講談社文庫で出てるんだけど、これの限定版カバーバージョンっていうのがあって、このカバーのデザインが本当に洒落ていて良い。以前このカバー装丁のものを見かけた時、そのあまりのお洒落さに一目惚れして一冊買ったことがあった。そのうち全九冊揃えてやろうと思ったもののそのままになっていた。今回展覧会のことを知ってこの新装版カバーのことを思い出し調べてみたら、このカバーで出ているのは新装だっただけじゃなく期間限定でもあったらしくて、そう知るともうこれはいつまでも放置しておくわけにはいかずに、手に入るうちに全巻揃えてしまおうと、結局ボックス入りのセットがあるのを見つけて、これも買ってしまった。おまけにボックス入りのを読むのも傷みそうな気がして、実際に多少痛むのも気にしないで読む目的で、ボックスとは別にまた買いそろえたりしてる。我ながら無駄使いだと思ってる。
ムーミン限定カバー
ムーミン限定ボックス



Dancing On The Ceiling · Erroll Garner

エロール・ガーナーのこの演奏で初めて知って好きになった曲。同名の曲が他にもあって、検索するとやたらとライオネル・リッチーが出てきて邪魔をする曲でもあるんだけど、こっちは古いスタンダード曲だ。陽気な中にもどこか愁いをおびた部分があって、その愛らしいメランコリーの質感が自分の感覚にフィットする。でもガーナーのこの演奏以外でもこの曲を聴いたことはあるんだけど、これ以上にいいと思った演奏はない。この曲からこの陽気で愛らしいメランコリーっていうのを引き出しているのはエロール・ガーナーの才覚なんだろうなぁって思う。

Indivisibili · Alessandro Pinnelli,Fabrizio Cesare

どこかで聴いたことがあるでしょ。
一連の曲の中ではこれが一番好きで、一巡するのに大体2時間くらいかかるらしいから、毎回大体一回程度しか聴けない。それでも好きなものだから、周囲の喧騒をかき分けるように聴いているうちにいつしかメロディも覚えてしまって、でもメロディを覚えてしまうくらい聴いていても、これだけでは曲の正体にはたどり着けず、いったい誰のなんて云う曲なんだろうとずっと疑問だった。最近偶然のきっかけで正体はこれと分かったので、本気で霧が晴れたような気分。すっとした。場所がらイタリアもの、モダンなカンツォーネだろうというくらいは予想出来て、それはそれなりに当たっていたというところだけど、真相に迫れるのはそのくらいまでだった。
とまぁちょっとぼかした書き方をしてみたけど、もう一度、これどこかで聴いたことがあるでしょ。

ちなみにYoutubeのもとのページに行くと、コメント欄で答えを書いてる人がいる。




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知覚の地図Ⅹ 世界が終る時、聞こえてくる金切り声

壁上のラインダンス





途上





塔





レール01






ランプとヘレンケラー

ムシムシして本当にこれからの数か月の季節は苦手。夏服の解放感は好きだし、どちらかというと裸族に属するようなタイプの性癖の持ち主なんだけど、とにかく汗っかきで、それが体力を消耗して気力がそがれ続ける。その体力消耗戦がすでに始まってる。
一日出歩くと色の濃いシャツなんかを着ているとたすき掛けしたバッグのストラップの下になった辺りが汗で色が変わってる。乾いてくると塩気が白い跡として残っていたりする。特に今年はマスクなんかしてるから余計にきつい。コロナのせいで、いつもの夏なら冷房がきいてる駅の待合室も、窓を開けて換気してる。

撮り終えて放置していたモノクロフィルム二本を先日現像に出してくる。久しぶりに訪れたフォトハウスKはコロナ自粛の後でも何食わぬ顔で店を開いていて一安心。小さい店内に大して売るほどのものも置いてなく、表のコンパクトなショーウィンドウには古いフィルムカメラがいくつか並べてあるにしても、客だからあまり言いたくもないけど相場よりも高い値付けで回転率がどうのこうのというほどに売れてるようにも見えない。客がいるとすれば店内でデジカメからプリントしてるらしい客がちらほら見えるだけ、昔の「ムツミ」という店名から名前を変えつつ今も続けている古い写真屋さんだから現像を頼みに来る馴染みの人は昔からいるにしても、いったい何で売り上げを確保してるんだろうと他人事ながら謎の店だったりする。自粛の後もそんなことなどなかったかのようにまるで平気な顔で店を開いている様子を見ると、ここは何が起きようとも絶対に潰れないんじゃないかとさえ思えてくる。
現像を頼んだうちの一本は不覚にも途中でカメラを落として裏蓋が開いてしまった云うなら事故フィルム、もう一本はその後カメラが壊れていないか確かめるために落としたカメラにさらにフィルムを詰め込んで写してみたものだった。カメラは電池の残量を示すビープ音が鳴らなくなってしまったのが目に見えておかしくなった部分だったけど、それ以外は落とした後もまるで変りなく操作できていた。現像の結果は意外と被害は軽微で、蓋が開いてしまったほうも37枚撮りのうち30枚は救出でき、その後のカメラの調子を見るために撮ったほうはまるで問題なく37枚全部破綻もなく撮れていた。事故フィルムのほうはふたを閉めてから再度残りを撮る前に念のために数コマを空送りしてるから、その分を差し引くと光が入った影響は思ったどにはなかったといえるのかもしれない。現像する前は10枚も無事ならいいほうだと思ってた。
使ったカメラはオリンパスの昔のフィルムコンパクトカメラ、XA2だ。石鹸箱のように小さく、しかも頑丈で、ゾーンフォーカスだからピントのことなどほとんど考えることなく撮れるお手軽カメラ。しかも見た目は昔のカメラとは思えないほどモダンで今でも十分に通じるデザインだと思う。昔のモダンというと今見るとどこか懐かしい未来、レトロフューチャーっぽい印象になりがちなところなんだけど、そういうところもほとんどない結構すごいデザインのカメラだったと思う。掌に包み込んで歩いているとなんだか凄腕の道具を隠し持ってるようで、感覚は新鮮な何かへと変貌するように高揚してくる。
軽快なカメラを持って出歩いていると、風で木の葉が揺らいだとか、窓に反射する光がまぶしいとか、あるいは食べかけのパスタに刺したフォークだとか、炎天下で屹立する所在無げな街路灯とか、なんでもいいけどそういう日常で普通に目にした、まるで際立たないものを片っ端から撮っていくような撮り方も容易になる。構図がどうしたとかあれこれ思考か割り込んでくる前に直感の管轄内でシャッターを切れる可能性を秘めている。こういうカメラは一見決定的瞬間に強そうだけど、実は決定的でない瞬間にも気兼ねなくシャッターを切れるというほうが愛でるべき特徴なんじゃないかと思う。決定的瞬間なんて云うものに比べるまでもなく、世界は決定的でない瞬間に満ち溢れている。世界の真実は実はそういう決定的でない瞬間のうちに潜んでいるはずだ。
思考は過激に先鋭的に直感へと縒り合されて、出来上がる写真はただのどうってことのない写真、こういうのがひねくれていて面白いし、いつもそういうのを狙っていたい。病気でうろつきまわれなかったので停止していたこういう部分への働きかけが頭の中でまた始動し始めてるならいいんだけど、と自分では思っている。



ギタリスト、ジョン・スコフィールドのバンドのライブ。最初の曲の出だしのこの不思議な雰囲気。これは何だろう。どういえばいいのかミステリアスというのか、どこか見知らぬ聞いたこともない異国の音楽がかすめすぎていくような気配。この音楽のミステリアスな気配と、二曲目のドラムとの掛け合い、そしてそこからドラムソロへと雪崩れ込んでいく白熱振りがお気に入りだ。
二曲目のドラムとギターの絡み合いはどちらかが一瞬でも気を抜けば一気に崩壊しそうなテンションを維持していて耳を掴み離さないし、ドラムソロは他の楽器がとにかくドラムをドライブさせることに全精力を傾けているようなところがいい。ほかの楽器が奏でる曲をドラムが煽っていくんじゃなくてその逆っていう感じかな。もう手に汗握るハイテンションな音空間になっていて感覚のどこかが覚醒していく思いだ。
それにしてもジョン・スコフィールドは一応ジャズのギタリストなんだけど、テレキャスターを使うとか、もう独自路線を走ってる感じが使う楽器からも漂ってくる。こういうギタリストでテレキャスターを使ってるのは最近ではそれなりにいるようだけど、わたしは他にはビル・フリゼールくらいしか知らない。そしてまたフリゼールもカントリーに傾斜するとか不思議なジャズギタリストでもある。なんだかみんな持ってるストラトじゃなくテレキャスターっていうのが絶妙の外し具合だ。
ハゲのおじさんでここまでかっこいいのも見事。はっきり言って髪の毛があるほうが似合わないんじゃないかとも思わせる。ハゲっていうんじゃなくて剃っていたんだけど、「麒麟がくる」の本木雅弘もかっこよかったなぁ。髪の毛がないのがあんなに似合ってかっこいいなんて云う俳優はそうはいないし、モックンは将来万が一ハゲたにしても、もうまるでそのことで気にかける必要はないということが、今から確約されてると思う。




アタック25の司会も回答者も俺がアフレコしたら全問正解余裕でした。