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知覚の地図XVI ジェノバのゴムホースのぶつ切り

白い影の花





林立椅子





上り階段と自転車





枯れ花壺





枯れ水

これもまた偶然ふと気づいたことなんだけど、いつのころからかほとんどの映画が素直に、最初にタイトルを出さなくなってる。何の話が始まるのかも一切知らせずに、どこにいるのかもわからないような場所へ一人で放り出すように、いきなり思わせぶりなプロローグで始まってしばらくたってから思いついたようにぽつんとタイトル表示、そしてその後、さてそろそろ始めるかといった感じで本編に突入する。酷いのになるとタイトルが出てくるのが一番最後、スタッフロールの後なんていうのもある。壮大な倒置法を用いる語法の実験でもやってるようだ。
思わせぶりなエピソードをまず一つ披露し、一呼吸おいてそこへ至る発端から話始める。その段落のような役割をタイトルに与えてる場合が多い。手あかがついたような語り口だ。思わせぶりな始まり方をするのが物語に深みを与えるとでも思ってるのか、こういうのはわたしには脚本の貧困化にしか見えないけどその辺の事情はよく分からない。

今までの歴史の中で人類を最も多く殺した生物は何か?という問いがあった。

今日サイゼリヤでの夕刻、持って出ていた島田荘司の「透明人間の納屋」を読了。終盤に入りかけたところまで進んでもうすぐ読み終わりそうだったので、読む本が途切れないように吉村昭の「星への旅」も持って出ていたんだけど、こっちを読み終わった時点ですぐに別の本に移るような気分にはなれなかった。だってベタな展開だしストレートすぎる浅い扱いだと思いつつも予想外に泣かせるんだもんなぁ。泣かせる小説が優れた小説だとはつゆほども思わないといいつつ、これはいささか狼狽えそうになる。「異邦の騎士」のようなものもあるとはいえ、まさか島田荘司のそれもよりによって「透明人間の納屋」なんて言うタイトルのミステリで泣かされるとは思わなかった。
子供の目を通して透明人間という存在を持ち出しての人間消失のミステリ的な趣向はおまけ程度のものだったから、ミステリ的には物足りない、というか特にどうってことはなかったんだけど、子供のころに大切だったにもかかわらず永遠に失ってしまった場所、時間、人への思い、誰が悪いわけでもなかったのに成長していくことで失わざるを得なかった、そういうものへ万感の思いが肝心のミステリを押しのけて迫ってくる。わたしはこういうのに弱い。あの輝ける場所へもう一度戻ってみたいっていう切実な願望はわたしの中に歴然として存在する。別に今が後悔に満ちてるということを告白してるつもりもないんだけど、不可逆な時間の中で生きるほかない存在である以上、こういう感慨を持つ人も一杯いるんじゃないか、だからこそこういうテーマのものが成立してるんじゃないかと思う。
輝く時代は子供の目を通して描かれ、そしてすべてが遠い過去へと過ぎ去った後でその時代を共有できた人の消息が風の便りで知らされて当時謎めいていた出来事すべての真相が明かされるという間接的な描写で進むのも、余情を含んで効果的だったと思う。透明人間なんて言う事象も大人の目で描かれると何を馬鹿げたことをといった印象になったかもしれないけど、子供の目を通して描かれると幻想的な印象のほうが強くなる。
ただ結構救いのない物語なので、あまり高揚した気分にはならないだろうとは思う。誰がそれを壊そうとしたわけでもない、みんなそれぞれがそのかけがえのないものを大事にし誠意をもって生きたいと思ってるだけなのに、全員が何かを失う結果へと突き進むのが切ない。

これを読む前も「残穢」以降国産ミステリを続けて読んでいた。その内最近読んだのは相沢沙呼の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」今村昌弘の「屍人荘の殺人」など。「残穢」に続き、帯に書かれるような宣伝推薦文につられること夥しいような本の読書が続いた。どうもこういう宣伝文句に手もなく引っかかるタイプのようで、われながら懲りないといえば懲りない性分だと思う。前代未聞の結末とか、よくもこんな話を思いついたものだみたいな煽り文を目にすると、いったいどんな内容なんだろうと、誇大広告に決まってると思いながらもとにかくわけもなく血が騒ぐ。そしてまた読み終わった後は、こんな程度のものなのかという結果へと落ち着いたりするわけだ。
両方ともミステリとしては小ぶりの印象だった。推薦文につられて、予想外の展開の後にもう一度くらい吃驚するようなひっくり返しがあるのかと思っていたらそのまま終了で、破格なものを離れ業でねじ伏せるようなものを期待してるといかにもあっけない。メディウムのほうはいくつかの短編が最後にまとまって別の様相を浮かび上がらせるという、今ではわりとよくある構造のミステリだったが、仕掛けのもとになる個々の短編からしてあまり際立った印象を残さない。だからいきおい最後の驚きを期待してとにかく淡々と読み進めるといった感じになる。そして最後に待つ予想外の展開。感情移入して読んできた人はおそらくここでこの本を壁に投げつける。なんというかそれは驚き以上に、今まで読んできたわたしの時間をどうしてくれるんだよと文句の一つも云いたくなるというか、とにかくそれまで積み上げてきた内容を全部思い切り捨ててしまうような結末であり、ミステリ的な論理に納得はしても話の展開としてはさすがにどうかと思うというようなものだった。登場人物の豹変ぶりが極端すぎて受け付けない人も結構いるだろう。
ヒロインの真意はこういうところにあったとエピローグでとってつけたようにほのめかしたりするのも、そういうのは物語の只中に織り込んで描写していくのが腕の見せどころじゃないのかと思わせる。

「屍人荘の殺人」のほうはジャンル違いのものを持ち込んでの特殊な設定で成り立つミステリではあるものの、結局別ジャンルと組み合わせたミステリは、即座にJ.P.ホーガンの「星を継ぐもの」なんかが思い浮かぶが、それほど珍しくもない。この場合はホラーだったんだけど、それをクローズドサークルを作るために使うのは初めての試みだったにしても、そのジャンルの代表的な映画のほうもスーパーマーケットに閉じこもったりして、結果としては似たような状況が先行して描かれてる。そういう意味ではミステリとして使ったのは初めてではあっても新鮮味はあまりないということになりそうだ。
その設定にのって展開する肝心の内容も、命がけの場所に放り込まれてるのにお茶を飲んだり推理合戦を繰り広げたり、場違いなラノベっぽい軽い心理描写が紛れ込んだり、何よりもそんな場所でそんなに余裕持ってよく寝ていられるなと、そういうところが目につき始めると物語に引き込まれるよりも次第に醒めてくる。そしてこちらのエピローグは文字通り意味不明。あんた一行前には誘いを断ってたのに、どうして次の行では一緒に行動してるんだと、この展開はどうにもこうにもわたしには理解不能だった。これどういうことなのかわかる人がいるなら説明してほしい。

どんなに驚くような結末を迎えても結局のところあぁそういうことか、なるほどね、といった感想にしか着地させてくれないようなミステリを続けて読んで、ミステリはジャンルという枠組みによって強固に周りを囲まれていて、最終的には理のもとにその身をひれ伏すという原理で縛られてるということもあって、その驚きもまたミステリという領域の中に囲い込まれ、どれだけ前代未聞と云ったところで、その領域を超えて逸脱していくようなものではありえないと思い至る。ちょうど今読んでるから引き合いに出すけど死んだ少女が死体のまま死体の意識(!)を通して自らが解剖されていく様や死が進行していく過程を観察する、死と死体の実存論とでもいうようなとびっきりの奇想と、隠微なエロチシズムが濃密に詰め込まれた吉村昭の「少女架刑」なんかの逸脱ぶり、驚愕が引き起こすこういう地平の得体の知れない広さはミステリの枠組みの中でいる限りはまず達成できないだろう。純文学は結局のところ文字通り何でもありであって、そういう特質を十分に発揮できる場所での未聞の驚きといったものにミステリは太刀打ちできないし、最近はそういうもののほうに気を引かれる。
とはいってもジャンルとしてもミステリはページターナーの物語を作るための強力な手法でもあって、純文学でもその物語の骨格に組み込むのは極めてよくある手法だ。その提供する驚きが結局は納得の範疇に綺麗に収まってしまうものだとはいえ、謎が存在するということ自体に幻惑される以上、わたしはいつだってミステリを読んでるとは思うけどね。




父が亡くなってちょうど一年。
時間が経つのは相も変わらず早すぎると思いつつ、なんだかその早い時間はリニアには流れていかずに去年の12月19日のうえへと折り重なっていってるだけのような気もする。といっても去年の父の死は喪失であると同時にわたしには解放でもあったから、何もその場で留まり続けなければならないような要素も普通に考えるほど強いものでもないと思うんだけど、その辺は自分でもよく分からない。割り切れたようで割り切れない部分がまだいくつも残ってるということなのかな。
父の認知症が病院のテストなどで確定したころ、わたしはちょうどコニー・ウィリスの「航路」を読んでいた。これにも父親の認知症で行動を制限され身動きが取れずに立ち腐れしていくような登場人物が出てきて、自分もこういう立場に置かれるのかもしれないと思ったことがある。
とにかく認知症が進んでくると家の中で何をされるのかまるで見当がつかないということになる。一応父は幸か不幸か自力で歩き回れた。だから寝たきり状態で介護なんて云うのを背負わされることはほとんどなかったんだけど、でも自由に動き回れるとなると、その結果下手にガス栓なんか触られると最悪火事になる可能性なんかも多大にあって、とにかく父の日常行動から目が離せなくなる。わたしが自分一人で行動できるという状況はほとんど失われて、そのうちデイサービスを利用できるようになってから、かろうじて半日ほど自由に使える時間ができる程度にはなったんだけど、そのデイサービスも結構経済的に負担がかかって一週間に二日しか利用できなかった。わたしが潰瘍性大腸炎を発病したトリガーは絶対にこの状況にあったと思ってる。
去年の12月19日の深夜に一応の結末がついて、わたしは解放された、でもすべては終わったといっても、これで自由に動けると思うのと同時に、父にとっても困難だったこの期間にわたしはなすべきだったことを十全にやってこれたんだろうか、なんだかもっとできることがあったんじゃないかという考えも頭の中に執拗に立ち現れて、どうもすっきりしない。父の行動を制限したのは、わたしなりに正当な理由があったにせよ、本当に正しい行いだったんだろうか、制限されて時には反抗もしてきた父はそのことについてどう思ってたんだろうとか、父は自分の頭が壊れていくのを自覚していたんだろうか、それは傍で見ていても進行を止めようがなかったことが忸怩たる思いとして残っていたりする一方、父にとっては自分の思考が失われていくことはどんな気分へと導くものだったんだろうかとか、そのおそらく絶望的な気分に対してわたしは上手くサポートできていたんだろうかとか、後になっても頭の中を占拠しては浮かび上がってこようとするものが多々ある。

一つ、歳食ってる人限定、でもなく、明日のことなんて誰にも分からない、まさしくわたしと同様の人へアドバイス。
父の場合はそういうことは何一つ残していなかったので、結局未だにあれこれ後処理に苦労してるのが実情なんだけど、大切なもののありかとかは後に残る人間のために分かるように書き残しておくこと。そして、延命治療などに関して自分の意思を明確にして、これも分かるように書き残しておくこと。これは残された者への負担を大いに軽くする。
わが父の場合、預金のありか程度のことさえも生前に教えてくれなかったものだから、当然最後の段階での延命治療をどうしてほしいかなんて言うことも何も意思表示してくれていなかった。その決断が近づいてきた時にはすでに認知症が進行してそんな意思など確認する術も失われていた。
医者に散々迫られて結局わたしが意思決定することになり、経済的な負担のこともあったし、心臓が動いてるだけでもう意識回復の見込みもないような状態になったら、延命治療の類は意味を見出せなかったから、一切行わないで欲しいと伝えた。これは完全にわたしの意志であって、このことに父の意向は一切反映されてない。この決定は父が亡くなるまでわたしにまるで死刑執行の書類にサインでもしたような気分にさせ続けたし、今でもそういう考えが拭い去れないでいる。
こういう負担を残されるものに強いてはいけないと思う。最後に自分をどうしてほしいかくらいはまだ意思決定ができるうちに書き残しておくほうがいい。





ヨーロピアン・サイケデリック?フレンチ・ファンク?まぁ色々と言い表す言葉はあるかもしれないけど、とにかくシズル感たっぷりのオルガンと波打つオーケストラがかっこいい。お洒落。ハモンドオルガンは最初はパイプオルガンが買えない黒人の教会なんかが使いだして、黒人音楽の中に組み込まれていったんだけど、意外なほどファンキーなイメージがよく似合う音をまき散らす。ところが当の開発者ハモンドさんはポピュラー音楽が大嫌いだったそうで、このファンキーぶりを知ったらどう思うだろう。

土着的で素朴で、乾いた草原を渡っていく風のように、心をどこか彼方へと運んでいく。風をはらむ服を着て口ずさんでみれば、我が身はアジアの広大な平原に降り立つ。まぁドン・チェリーはアジアじゃないんだけど、細かいことは気にしない。

パーカッシブで似ているようでいて、こっちは風をはらむ服っていうイメージじゃないなぁ。曲調はかっこよくて決して嫌いじゃないんだけど。






ちょっと息継ぎしたらとでも云ってあげたくなるくらい疾走する指使いがスリリング。しかも早いだけでなく歌ってる。エフェクター頼みで歪ませて盛り上げてるような音とはまた違った、切れ味がいいうえに艶やかな音が気持ちのいい。
でもほかの動画で前を通る警官を、多少冗談めかしてはいたけど国家権力様なんていう言い方をしてたのを見て一気に興ざめではあった。結局反体制かっこいい!の類の人だったと。
それとスラップベースは苦手だ。腕自慢が十中八九この弾き方なのは腕の見せ所が分かりやすいからなのか。音は特徴が強すぎて全部同じ傾向の演奏にしかならないように思えてある意味単調だろう。しかも同じ枠の中で腕の競い合いをしてるような部分が目につきすぎるというかなぁ。




人類を最も多く殺した生き物の答えは「蚊」だそうだ。




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