2022/09/25
知覚の地図 XXXVII 極楽鳥の困惑

Kodak / No.2 Folding Autographic Brownie (蛇腹劣化穴だらけ) across100
そういえばキース・ジャレットのあのシンプルな曲はカリンバやウクレレにちょうどいい曲じゃないかと思いつき、でもタイトルは何だったかどうしても頭に浮かんでこない。過去に記事にしてアップしてるし、その記事を見ればタイトルが分かるかもと思ってそれならばと探してみた。10年くらい前の記事でその曲について書いていたのを見つけタイトルはspirits 15 とわかってその件は一件落着。記事に載せていた曲自体はメンバーオンリーみたいな扱いになっていて視聴できなくなっていた。そんなことしている一方で、探している間ついでに10年前に撮っていた写真もいやおうなしに目に入ってきて、これは思わない形で記憶をよみがえらせることとなった。
自分ながら懐かしい。今は何というか見たままオブジェがごろっと転がるようなそっけない写真を好んで撮ることが多く、でも10年前はこういう世界の見方をしていたんだと、まぁ大して変わらないところも多々あるにはあるけど、それでもちょっと新鮮だった。
10年近く前に撮って記事にしていた写真の一つ。

チェキなんていうカメラを使ってるガジェット好きおもちゃ好きの感覚は今回書いたウクレレやカリンバなんかでも見られるように今もわたしの中でずっと続いてる。目についたものを皮膚感覚みたいなもので撮っていたのは今でも大して変わらないけど、なんか洒落た写真にしようという下心が見え隠れしてるような。無意味なものを無意味に撮るといった思い切りのよさみたいなのがあまりないなぁ。意味のない世界の断片が連なって何か構造を見せ始めるようなのは今のわたしにも興味深い。

前回に続き、さらに所持してるウクレレの二本を披露。左がアリアのマホガニー合板、ロングネック・ソプラノで右がフライングタイガーで買ったプラ製のおもちゃのウクレレ。アリアは製造は中国だけど国内ブランドで、楽器としては優等生的というかそつなく仕上げてある。低価格のウクレレのなかでは外れがないと好まれてるブランドだ。でもこうやって写真に撮ってみるとアリアのほうはオーソドックスすぎてあまり面白くない。写真映えするのは圧倒的におもちゃウクレレのほうだろう。このフライングタイガーのウクレレ、見た目に反して実はちゃんと弾ける。強度を出すためだろうけど裏側へせり出すように異様にネックが太いといったアンバランスさを無視するなら、チューニングはきちんと合うし、フレットの位置も適当じゃなくちゃんと演奏できる音が出るように配置されてる。おもちゃだよと全身で主張してるくせにオクターブチューニングまで合ってるのは大笑いだ。最初の一本にこれを手にするのは無謀そのものだけど、複数持ってるうちの一本なら予想外に楽しめる出来になってると思う。違う柄でも出ているからコレクションしてみるのも面白い。でもその違う柄を毎年更新して新作が出るんだと思い込んで期待していたら、実際はそうでもなかったのは残念だった。
アリアのほうはストラップのピンが胴体の後部にはついてるんだけど、ネック側にはついてない。腕で抱えろとばかりに何もついてないのも当たり前にあるから一本だけついてるのもラッキーといえばラッキーかもしれないけど、一本だとストラップのつけ方が限定されて、それはまるでフォークシンガーのフォークギターのようで、わたしがつけたい形じゃなかったりする。結局エレキギターっぽくストラップをつけようとするとネックの根元辺りにもう一本自分でピンをつけなければならないことになって、やることはシンプルなんだけど、それはネジ穴を開けなければならないという工程を必ず含む作業となる。これがまた悩ましい。何しろ一度開けてしまうとそれっきりで、ここじゃなかったと思ってももう遅い。一応ピンは一本買ってあるんだけどこのせいでいまだにつけられずにいる。

安くておもちゃっぽい楽器熱は相も変わらず続いていて、最近はカリンバを買った。エレキギターを買った際にしばらく足を向けなかった楽器屋にまた立ち寄り始めたりして、その楽器屋の棚に注目の楽器みたいな形で置いてあったのを見て、カリンバの存在を再認したのもきっかけだった。
一応どのメーカーのがコストパフォーマンスがよくてお勧めされてるか調べたうえで、ammoonというブランドのがいいと判断。でもammoonカリンバは何かの事情で市場からすでに消え去っていた。さらに調べてみると以前ammoonカリンバとして売られていたものが無刻印の形で今も売られているという情報も見て、行き当たったのがこれだった。さてこれは刻印のないammoonカリンバなんだろうか?まぁ目的のブランドのものでなかったとしても音がいいならそれはそれで構わないわけで、これはammoonの特徴として人気だった高音のサスティーンの伸びの良さとかも実装されているものだった。
17音の一番ベーシックなカリンバだ。残念だけど半音は出せない。微妙な和声の曲は弾くとするなら単純化される。半音キーも用意された二段構えのカリンバもあるけど、高価だしいきなり扱うには手にあまること間違いなしだろうと思う。ロンドンデリー・エアとか弾いてみたいんだけど、曲が内在させている魅力的なコード進行で奏でるのは無理だろうなぁ。
全体にオルゴールのような音色がとても心地よい。でもこのオルゴールっぽさはちょっと意外だった。何しろもとはアフリカの楽器。もっと素朴で土臭い音が草原のイメージを引き連れて届いてくるような印象があった。そういう意味では普通に市販されているカリンバはある種楽器的に洗練されて本場のものとは別次元のものへとなっているようなところもある。あるいは選曲や演奏方法にポイントがあるのか。たとえばポリリズムで弾けばアフリカの息吹みたいなのが感じられるようになるのだろうか。どうせなら風をはらむ服好きとしては、アフリカン・テイストでも弾けるようになってみたいものだ。
久しぶりに聴いたラストエンペラーのオープニング曲。西洋音楽ではなかなか耳にすることができないパーカッションのエスニックな響きがいい。作曲家は坂本龍一をメインに三人名前が連なってるが、このパーカッションはだれの発案だったんだろう。
映像もセンスある。タイトルバックに玉璽が斜めにスクロールしながらせり出してくるイメージなんか今見ても凄いかっこいいな。
読書はあまり進まず、先月と同じ本をまだ読んでる。同じ本ばかり読んでると他に目移りしてしまってそっちをつまみ食いしたりするからますます読み終わらない。
「日本怪談集 奇妙な場所」は収録作の最初から七作目、稲垣足穂のあの化け物小説「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」の途中まで。今までに何度も読んでる作品なのに、これは何度読んでも読むたびに面白い。化け物オンパレードのポップでシュールでモダンな味わいの時代物なんてほかじゃあまり見ない。もととなった古文書「稲生物怪録」はよほど作家の想像力を刺激するのか他にもこれをモチーフに作品を書いている人がいる。泉鏡花の「草迷宮」なんかが有名だ。吉田健一の「化けもの屋敷」は全く怖くない。何しろ化けもの屋敷に住むことになった主人公自身がまるで怖がってないし、怪談なんだけど作者の思惑が怖さ以外のところに集中して、結果怖くないことを主眼に幽霊の存在論のような妙な場所で組み立てられた怪談というユニークさで読ませる。筒井康隆の「母子像」の強烈なイメージやけたたましくシンバルを打ち鳴らすサルのおもちゃの使い方など、まさしく手練れの作家発想のものと納得。あとをひく最悪の結末も怪談の出来として頭一つ抜きんでていた。
後藤明生 「壁の中」 中央公論社 2400円
ポストモダン小説の怪作と云われればとりあえずどんなものか読みたくなってくるものの、とっくに絶版、古書価格高騰でなかなか読めなかったもの。のちに新装版も出て手に入れやすくなって、これは旧版だけど入手してみた。新装版で追加されてる多和田葉子の解説等が載ってないものの、本の体裁は旧版のほうががっしりしていて好みだ。
木田元 「わたしの哲学入門」 講談社学術文庫 350円
ハイデガー入門的にわかりやすく読める、かもしれない本。メルカリで入手。
ジャック・フィニィ 「盗まれた街」 早川文庫 110円
何度も映画化され作品として新鮮なものでもなく、特に読みたかったわけでもないんだけど、アマゾンで中古が1200円ほどしてたので、こんな値付けを見てしまうと読みたいどうのこうの関係なくこれはもう買う以外ないと。