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銀の街路で跳ねる宝石のしずく。彪鶫はあくびをするばかりで啼こうとさえしない。

格子

最近またあの部屋の夢を見た。ただある部屋に居るだけの夢なんだけど、見ている本人にとっては結構薄気味悪い。
寝室だか居間だかよく分からない場所を背にして立っている状態で始まる。背後の空間が今そこから出てきたということと寛げる空間だということは分かるんだが、背後を振り返ってみようとしないから後ろに何があるのかは本当のところよく分からない。
そういう場所に突っ立って、あぁまたこの部屋にやってきたと思いつつ前を見ている。部屋は現実世界では踏み入れたこともなく、夢の中でしか見たことがない。
立っていいるわたしの前に幅の広い廊下くらいの空間を挟んで、間を通路で区切られた壁が2枚並んでいる。壁にはそれぞれドアが一枚ずつ設置されていて、ドアを開ける前からその向こうは浴室とトイレだということが分かっている。おそらく今までに夢の中で訪れたどこかの地点でなかを覗いたことでもあったのかもしれない。ちなみに浴室は結構広いのが分かっている。
右手のほうが少し細くなってその先にもドアがある。これはこの部屋に出入りするドアだ。このドアの向こうも以前夢の中でのぞいたことでもあるのか様子は大体わかって、ドアを開くと左右に廊下が伸びている。建物の中ではあるがあくまでも室外に属する類の廊下だ。人の気配はなく廊下の両端は暗がりの中に消えていて、その先がどうなっているのか見当がつかない。
先日の訪問の時一つ変化が出ていることに気づく。目の前の二つの壁に挟まれた細い通路の先、いつも行き止まりだったはずの壁に扉が一つできていたことだ。裏庭にでも出られそうな部屋にそぐわない質素な戸で、この行き止まりの向こうを見られそうなんだけど、壁に挟まれた細い通路の先にある戸はどうも開いてはいけないような気がしてやまない。夢の中で自分は通路方向に注意を引きつけられつつ、その先で誘っているような戸を開けたい自分と葛藤している。でも開けてしまうとろくでもないことが起きそうだ。
とくに部屋をうろつきまわるわけでもなく、何か別のものが登場するわけでもない、ただこの誰もいない部屋にまたやってきたと思うだけの夢なんだけど、最近のは目覚めた後もあの戸は開かないほうがいいよなと現実世界にも妙に後を引くようなところがあった。
と、文字起こししてみると、だから何?っていう内容だなぁ。おどろおどろしくもなくただ突っ立てるだけで劇的にも程遠い。
他人の見た夢の話を読んだりするのは結構好きで、今思い出せるのは赤瀬川源平の「夢泥棒」とかつげ義春「夢日記」辺りだ。こういうのもシュルレアリスムの衛星のひとつなんだろう。




夢じゃなくリアル世界で奇妙な体験をしたのは2度ほどあって、一つはまさしく怪談っぽいものと、もう一つは今においても何が起こったのかさっぱり理解できない意味不明の出来事。両方とも倉敷の大原美術館へ学芸員の実習に行っていた時、泊まっていた倉紡の工場跡を利用したホテルでの出来事だった。そのうちのひとつはかなり前にここに書いたような記憶があるけどあまり確かじゃない。
本はなかなか読み進めない。いったいいつから読んでるんだと思うくらい同じ本が目の前にある。ジャック・カーリイ「デス・コレクターズ」だ。つまらないわけじゃなくそれどころかサイコものにしては予断をはるかに超えて面白い。
前作に比べて謎は複層的に複雑になり、着地点を容易に予測させないし、シリアル・キラーとその信者たちが過去に作っていた特異なコミュニティや犯罪者の作ったものや遺物をコレクションするマニアが作る裏世界のネットワークといった特異で魅力的な世界へいざなってくれる。
でも、面白いんだけど気分がなえてるからか、数ページくらいしか集中力が続かない。併読していたカフカの短編集も中編くらいのボリュームのが出てきて中断してる。
今併読しているのはもっと短く読める根岸 鎮衛「耳嚢」とウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」だ。「耳嚢」は江戸中期に江戸の町で流布した噂話、奇妙な話を集めたもので、まだ町のいたるところに闇が存在していた世界へ入っていける。候文で多少の読みにくさはあるんだけど、一編が短いし、読めないこともない程度のとっつきにくさに収まってる。ほとんど箇条書きの「論理哲学論考」は理解可能かどうかは別にして今の精神状況にはうってつけ。思考との回路が繋がれば妖しい光芒に目がくらみそうになる。
ウィトゲンシュタインはこれを書いたのち、哲学で自分がやることはすべてやったと思い、後年その考えを思いなおすまで小学校の先生をやっていた。教えてもらった小学生はあらゆる意味で凄かっただろうな。
併読










The Beatles - Falling In Love Again, Recording at the Star Club Hamburg December 1962
マレーネ・ディートリッヒが嘆きの天使で歌った曲。ビートルズは革ジャンにリーゼントでこういうスタンダードもよくカバーしていた。









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