【トイカメラ】お散歩写真のことと使用したカメラについて。+秋に似合う曲をいくつか

九月の下旬から十月の初め頃にかけて撮った写真をちょっとだけアップしてみます。
写真を撮ったといっても事情が事情だったので写真を撮るためだけにどこかへ遠出する気にもなれなくて、あまり動き回ることもなく日常行動してる場所で撮るのに終始してました。だから以前に見慣れた光景の中ではなかなか被写体が見つからなくなってると書いた状態そのままにあまりシャッターを押せなかったというような感じでした。いつも数多く撮ってもその中で気に入ったものは僅かにしか見当たらないような撮り方をしてるので、撮る枚数が少なくなれば必然的に気に入った写真の数もそれほど多くにはならなかったです。

わたしはこのところ出歩く時はいつもカメラを持ち歩いてます。デジタルのキーホルダータイプというか、外見的にはこれがカメラだと知らないとほとんどカメラには見えないどちらかというとスパイカメラのようなものをポケットに一つ、バッグの中にはデジタルのトイカメラ一つとフィルムカメラ一つの合計3つ、これをいつも持って出かける形が最近のスタイルです。

母を失ってしまうという経験をして、気がつけばいつもそちらに向かおうとしてる気持ちを紛らわしたかったということもあるし、母親が永遠にいなくなってしまった理不尽な世界の中で、ある種現実感を見失わないように無意識的にでも日頃の行動を繰り返していたところもあったのか、遠出こそしなかったもののカメラ三つはいつもと同じように必ず携えて、そのまま日頃行ってた写真を撮るという行為は続けてました。まぁ写真だけがわたしを現実に繋ぎとめていたというわけでもないんですけど、最近の日常生活の中で関心を持っていたものの大きなものの一つだったので、悲観してこういうことまで止めてしまうと元の日常生活に戻れなくなるんじゃないかというところもあったのかもしれません。

日常といえばこちらがその日常に戻れないかもしれないような精神状態に陥ってる最中でも時間が経てばおなかが空くし、空腹になればご飯を食べたくなるといったことが、ものすごく理不尽でした。
わたしにとっては体の一部をもぎ取られたかのような出来事だったのに、おなかが減ったり、どんなに哀しくても起きていれば眠くなったりと、何事もなかった時と同じように生活が続いていく。いつかそこに戻るべき世界ではあると思ってはいるものの、母を亡くすといった体験の直後では何か異物感をはらんだ空間に感じられるところがありました。

生活空間が激変してしまったわたしの事情なんかまるで感知しないかのように過ぎていくこういう日常を前にして、一体感が持てなくなりそうなところもあって、写真を撮るという行動は、乖離してしまいそうなそういうものと繋がっているためのささやかな接続ラインの一つでもあったような感じです。

☆ ☆ ☆

気を紛らわせながらこんな写真を撮ってました。

花 1
SQ30m

近所に老人園芸広場のような一角があって、そこでは一年契約で小さな区域を借りて年寄りが野菜を植えたりしてるんですけど、その広場の一角に咲いてた花です。園芸広場自体はまるで畑みたいなもので写真にとっても面白そうでもなく、周囲の光景が入らないように仰ぎ見るような形でシャッターを押しました。
あまり立体感がなくて、まるで何かの図案のような絵になってます。この空の色にはこの花の黄色、この花の黄色にはこの花の緑、この緑にはこの空の青と、それぞれの色味のニュアンスの中でも最適のものが選ばれ並んでるようで気に入ってます。
また、空の青の余白部分に雲の一片でも入っていればこの写真の印象は完全に違うものになってるようで、そういう意味ではカメラを向けたのは割りと適切な一瞬じゃなかったかなと思います。

花 2
SQ30m

もう一枚花の写真。どこで撮ったか忘れました。花も結構見かけたらカメラ向けてるので、その中の一枚っていうところです。画面内の配置は悪くないと思います。真四角のフレームってわたしは好きなんですけど、バランスを考えるのは結構難しそうな印象を持ってます。
ところでこれは何の花なのかなぁ。わたしは花の名前はからっきし駄目で、今まで嫌って云うほど見てた木がサルスベリだったと最近になって知ったくらいです。

記憶への道
SQ30m

これは墨染のほうで撮った写真。所用で毎週行くところがあって、そのときにいつも通る通りです。別に有名な通りでもなんでもなくて、ただの住宅街の中に走ってるありきたりな通りの一本。ここは右手の塀の中から木の枝が道路の方に突き出してる場所で、通る時には結構邪魔なんですけど、木陰からのぞき見てる感じがなんか面白そうなので撮ってみました。目の前に垂れ下がってる木の葉が中心になるようにマクロ・モードで撮ったので、それより向こうの方にある道路の方はボケてます。もっとも手前の木の葉のほうもそれほどピントが合ってるわけでもないですけど。
ピンボケの写真は記憶の中の光景って云う感じが強いと思うんですけど、そんな感じ方をするのはわたしだけなんでしょうか。木陰から眺めてるという形なので、ピンボケの道路の光景からもちょっと身を引いてる感じがあって、記憶の中をのぞきこんでるという感じが出てるように思えます。

駅
SQ30m

それで、ピンボケ写真のテイストが結構面白かったので、あえてマクロ・モードで遠景を撮ってみたのがこれ。場所は阪急の西院の駅です。たまにピントの範囲の切り替えスイッチを戻し忘れてこういう写真を撮ってしまうことがあるんですけど、これは最初から意図して撮ってみました。
出来上がるイメージはそれなりに面白いものの、駅で撮ろうがどこで撮ろうが、この方法で出来上がるイメージの印象はそんなに多彩じゃないだろうなぁって云うのが本当のところかな。見せようとしてるのがボケてるということであって、写されてる対象じゃないと、形式を見せてるだけで内容的にはやせ細ってるような感じがします。
でも茫洋としたイメージそのものはそれに頼ると展開形としては拡がりはないかもしれないけど、わたしとしてはそんなに嫌いな方じゃないです。

禍々しいレストラン
SQ30m

これは出来上がった写真を最初に観たときの印象は、何だか禍々しいなぁっていうものでした。コントラストの強いイメージや空の雲の感じが不穏な雰囲気をかもし出してる感じというか。左奥の建物も全体の怪しい雰囲気作りにかなり貢献してます。
実際は鴨川の四条大橋の北東にあるレストランのビルで、看板の文字を見るとそうだと分かるんですけど、ここでのイメージはあまりレストランって云う感じじゃなくなってます。わたし自身もこんな見え方をするビルだとは写真にとって見るまで気づかなかったです。
茫洋とした絵も好きだけど、こういうコントラストが効いてる絵も結構好きです。何だか矛盾してるような気がしないでもないですけど、要するに何かが極端に特化してるようなものが好きということなのかもしれません。

☆ ☆ ☆

夏の間に撮った写真でまだアップしてなかったものもちょっとだけ置いておきます。

魔人
VQ5090
侵食
VQ5090

極端なものが好きというわたしの性癖が見え隠れするような感じ。
魔人は頭の上のほうの背景に余計なものが写りこんでいて、トリミングしてるんですけど、そういう処理についてどうしようかなと結構迷っていた写真でした。それでブログに載せなかったんですね。下のは色味がちょっと気に食わなかったので細工した写真です。

☆ ☆ ☆

使ったカメラはこういうもの。
SQ30mという名前で細長いスティック状の形をしたカメラです。ピアノブラックの本体の正面にレンズ穴が一つついてるだけのシンプルな形。

カメラにみえない
PowerShot A720IS

これも8月くらいに買っていたカメラなんですけど、実は最初は買う気なんかなかったんですね。それなのに買ったのは、完全に魔がさしてしまったって云う感じでした。
一見カメラに見えないこういうカメラは既にVQ1015Entryっていうのを一つ持ってたということもあるし、この類のカメラがファインダーを持ってないと云うのがもう買わなくてもいいやって思ってた要因の一つでした。
VQ1015と同じくこれもまともなファインダーを装備してません。それでもVQ1015のほうは役立たずのファインダーが、撮影時にはポップアップしてきて一応は飾り的な感じでついてはいるんですけど、こちらはそういうのは全くつけようとする発想そのものがない作り方になってます。
だからこの手のカメラは必然的にノーファインダーで撮ることになります。何を撮ろうとするかくらいまでは制御できますけど、どういう風に撮れるかまでは関与できないって云う感じの撮り方。さらに云うならば何を撮ろうかという段階も省いてシャッターを切ることも可能な方法でもあります。

手順の中に偶然性を取り入れるこういうやり方は絵画でも音楽でも昔からある方法で、方法としてはそれほど目新しものでもないです。
だからノーファインダーで撮るのは邪道なんて全く思わないし、結構思惑からはなれた写真が出来上がったりするのでそれなりに面白いとも思います。そう思わなかったら二台目も買うなんていう行動には出てなかったです。

でもわたしとしてはファインダーを覗きこむって云うのに結構特別な意味合いも感じてるので、これが最初から出来ない類のカメラはやっぱりわたしがカメラに関して感じてる面白さのかなりの部分をスポイルしてるところがあるように思えます。
覗き窓を通して世界を切り取るという感覚。四角い窓を通すことで世界が違った見え方をする瞬間。こういうのが楽しくてカメラで遊んでる部分がわたしにはかなり大きいです。ファインダーを通して目の前に立ち上がってくる光景の美しさ、ファインダーで世界を切り取ってひそやかに覗き込むことでしか立ち現れてこないような美しい世界。写真はその切り取られた世界が見せた美しさの欠片をフィルムに定着させる行為であるとも思ってる類の人間なので、チャンス・オペレーションのようなものに頼ってるカメラは、一つ持ってれば十分だと思ってました。
カメラを所有するなら、ファインダーがしっかりとついていて、ファインダーを覗きこんだときに世界が美しく見えてくるようなそんなカメラが欲しいとさえ思ってます。

そんな風に思ってたのに、魔が差してこのカメラを手にしてしまったのは、このカメラが世界を真四角に切り取れるという形になってたから。それと黄色というか黄緑色というか色の出方がちょっと独特なところがあったのが気に入ったからでした。でもこのカメラ独特の特徴を気に入りはしても、この類のトイデジはやっぱりもう買わないだろうと思います。フィルムカメラの方で真四角の写真が撮れるものを手に入れたら使わなくなるんじゃないかって云う予感が早くも出てきてる感じです。

早々に使わなくなりそうな予感の要因には、ファインダーがないということの他にも、シャッターのタイムラグが5~6秒くらいあるというのも入ってるかもしれないです。このカメラ、とにかく反応が遅い。シャッターを押してから撮影完了の合図があるまでカメラを動かすわけには行かなくて、街中でこれを使うとカメラを持ったまま5~6秒固まってなくてはならない羽目に陥いります。その姿は傍から見るとおそらくとても異様。
冷や汗が出るほど、ものすごくかっこ悪いです。

☆ ☆ ☆

秋の夜長に合いそうな曲をいくつか。月とピアノのバラードが一応のキーになってます。

Keith Jarrett - Don't Worry 'Bout Me


1938年にRube Bloomによって作られたスタンダード・ナンバー。シナトラだとかビリー・ホリディが歌ったのが有名かも。わたしはJohn Buzon Trioっていうラウンジ系のなんだか怪しげなミュージシャンの「Cha Cha On The Rocks」っていうアルバムで聴いたのが最初でした。もともときわめて美しいメロディの曲なんですけど、キース・ジャレットのこのピアノはまた突出して美しいというか、結構聴き惚れてしまう演奏になってると思います。
でもキース・ジャレットの演奏ってピアノ弾きながら百面相はするし、演奏途中で腰を浮かせて身をくねらせるわで、かなり風変わりな演奏スタイルです。このライブ映像でもその片鱗を窺うことが出来ます。
没頭するあまり奇矯な演奏スタイルになるって結構ピアニストに多いような気がします。

Wynton Kelly Trio - Moonlight In Vermont


ウィントン・ケリーは随分と昔に代表作「ケリー・ブルー」を聴いた時には全然ぴんと来なかったピアニストでした。これを結構最近になって聴くまでは対象外のピアニスト的な扱いに終始してた感じ。今聴いてみると割りときっちりとしたタイム感を基盤にスイング感を保持しながら、音数が多い場合てもビル・エヴァンス的な抑制の効いたピアノで、なんだか結構好みじゃないかって思ったりしてます。
この曲はリラックスしてラウンジっぽくというか、カクテル・ピアノ的な感じで聴けるのがいいし、ピアノの音も何だかきらきらと粒だってるようで結構好きです。

Ella Fitzgerald - Blue Moon


これぞジャズ・ヴォーカルっていう歌を聞かせてくれる人ですね。
エラ・フィッツジェラルドってわたしの場合、最初に観た写真が何だか凄く迫力のあるおばさんと云うイメージにみえたものだったので、力任せの豪快なボーカルを聴かせてくれそうな印象があったんですけど、実際に聴いてみると優雅で、かわいらしいとでもいえるような声質に聴こえてたことがあり、わたしにとっては聴く以前と実際に聴いた後で印象がかなり変わってしまった歌手です。
この曲はRichard Rodgersが1934年に作曲したスタンダード・ナンバー。Richard Rodgersはマイ・ファニー・ヴァレンタインなんかも作ってます。
「ブルー・ムーン」はプレスリーがカバーして歌ってるのも有名かもしれません。
わたしとしてはこの曲はジョン・ランディスの映画「狼男アメリカン」で、リック・ベイカーの手による狼男の変身シーンのバックに使われたのが印象に残ってます。

Keith Jarrett-Spirits (No.15)

Keith Jarrett - Spirits 15 from mudshark on Vimeo.



これもキース・ジャレットの音楽なんですけど、そう云われないとキース・ジャレットだと思わないかも。
アルバム全体が民族楽器のアンサンブルの曲になっていて、しかも民族楽器を演奏してるのが全部キース・ジャレット。キース・ジャレット一人による多重録音になってます。
民族楽器を使ってるということで、聞きなれない音楽文法にのっとった外国語でも聞いてるようなとっつきの悪い感じの音楽になるかといえば、意外とそういうこともなくて、全体はキース・ジャレット生来のリリシズムにあふれていてとても聴きやすいです。この曲はなかでも特にリリカルな感じかな。
それにしてもこのアルバムで鳴ってる楽器を全部キース・ジャレット一人で演奏してるって云うのは、かなり驚異的ではあります。ピアニストのアルバムなのにピアノがほとんどでてこないというのもこれまた驚異的。

Joao Donato - Sambou Sambou


ブラジルものも入れておこうということで、ジョアン・ドナートのを一曲。軽快でキュートでなかなかお洒落な曲。ジョアン・ドナートはピアノだけじゃなく、作曲家、アレンジャーとしても有名な人で、美しい曲をいくつも書いてます。ピアノも重厚じゃないけど、どこか力が抜けてリラックスしながらもきっちりグルーヴ感のある美しい響きを持っていて私は好き。一見軽く聞き流せるような印象を持つんですけど、ここから受ける感覚がどういうものか改めて把握してみようとすると、その感覚は結構複雑で言い表しにくい音楽であることに気づいたりします。

☆ ☆ ☆

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コメント

No title

こんばんはv-85

薄荷ちゃん、すっかりカメラ・コレクターになってしまいましたね!
しかも、トイカメラの性質を掴んだのか、上手くなってる・・・(笑)

「SQ30m」って、いかにもトイカメラというような抽象的な写真から、むしろコレは1眼レフで撮ったんじゃないか?というくらいクッキリとした写真まで、幅広く表現出来るカメラなんですね。
わたくしも、普段からバッグの中には必ずデジカメが入っていますが、デジカメってファインダー覗くわけじゃないからね。
どちらかっていうと、平面的な写真を撮ってる感じ?
撮れた写真も、ピントが合ってるかどうかの問題くらいで、構図以外あまり考える事がないというか・・・写真の味という点においては、確実にトイカメラの方が面白い写真になりますね。

この写真の中で気に止まったのは、やはり最初の園芸広場の花の写真と地下鉄の写真かなぁ~?
心とはうらはらな青空が目に沁みる・・・というか。
クッキリと写った花にも、何となく世の中の理不尽さを感じる・・・というか。
ソレとはまったく対照的な、セピア色に滲んだ地下鉄の写真。
わたくしには、この「青」と「セピア色」が何とも感傷的に映りました。
どちらも、写真の向こう側が見えるような良い写真だと思いますよ。

・・・で、嬉しい事に「ブルー・ムーン」なんですね!^^
もちろん薄荷ちゃんはご存じだと思うけど、この曲は、わたくしの携帯の着うたであり、ブログのURLでもある曲。思い入れは、人一倍です!
まぁ、もっとも、わたくしの携帯の着うたは、ロッド・スチュアートが歌っているバージョンなんですけどね!^^(エリック・クラプトンのギターが良いので・・・笑
今回は、この曲のアップがすごく嬉しかったなぁ~・・・
エラ・フィッツジェラルドの歌声もすごくいいよね。何だか、お母さんのお腹の中で聴いてるみたいで・・・

いつの間にか秋~

薄荷グリーンさん。
こんばんは~。
すっかり秋になりましたね。
久しぶりに薄荷グリーンさんの記事が読めて嬉しいかぎりです。
日常生活をとりもどしつつあるのですね。
どうぞ、ゆっくりと日常に戻ってください。
それにしてもお出かけに3つのカメラを持ち歩くのは興味深いですね。
私は特にピンボケに撮った駅の写真が好きです。
それから、夏の日の緑豊かな家の写真もすごくいい。

音楽はキース・ジャレットの民族風のがとても良かったです。
秋の夜長を堪能させてもらいました~。
どうもありがとう。
(^^)

No title

おかあさまのこと、ご愁傷様でございます。

あえてカメラを手にしていたというお気持ちよくわかります。
私も母が亡くなったあと、いつもと同じようにプールへでかけました。

わざと泳いでいるんだからね、という気持ちでした。

泳いでいると、泣いてもごまかせるから良かったということもあります。

黄色い花の写真、どこか違う世界の花みたいですね。

また、更新お待ちしてます。

No title

こんにちは!
お久しぶりです。

道路の写真が素敵でした!
なんだか昔の写真を見ているような懐かしさがありますね。
色のせいでしょうか?
なんとなく「子どもの頃の夏休み」を切り取ったような感じを受けましたよ。

人が亡くなって悲しいのに、しっかりご飯を食べてしまう自分。
そんな自分をちょっと恨めしく思ってしまいますね。
お清めのときにガハハ笑いをする親戚とか・・・
体調を崩さないようにお気をつけくださいね!

こんにちは

薄荷グリーンさん、お久しぶりです。
お母さま、ご愁傷様でした。

すぐに日常生活に戻るのは、大変なことですよね。
こうしてカメラで色んな風景を撮って、ゆっくりと普段の生活にもどってくださいね。
でも薄荷グリーンさんがまた楽しい写真を紹介してくださるのは嬉しい事です^^

歩いている時に目の前をながれる風景をカメラにおさめてみて、意外な発見をすることってありますよね~。
禍々しいレストランは、普段はさほど目にとまらなそうですよね。
写真にした事で、独特な雰囲気が出ているのでしょうね。
住宅街の一本道や地下鉄も面白いです^^

これからは、寒くなりますが、あたたかくして出かけて、たくさん楽しい写真を撮ってくださいね。
いつも3個のカメラを持ち歩くのはすごいですね。
でも軽いのでしょうね^^

No title

今晩は   薄荷グリーンさん    お帰りなさいませ

仏教の世界では、死後49日の間は霊が浮遊していると言います。
まだお母様も、あちこちゆらゆらしている、と思います。

私も13年前に父を、12年前に母を亡くしているので、少しは分かるかなぁ~。
分けもなく込み上げてくる、理不尽な気持ち。「どうしてウチの父が、母が」

だけど、その人の持っている命は、誰にも分かりませんですね。悪たれずいた
このKeithですが、実際は100才を狙って、世間を毒ずくんです。

ともさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

映画のDVDにしろ本にしろ、自分で持ってないと気がすまないところがあって、興味を抱いたものはたいてい数多く手許に確保しておきたくなる性格なんですよね。
トイカメラはカメラによって写り方が顕著に異なってくるから、試したくて色々手を出してる感じ。
トイカメラは1万円しないものがほとんどで、そんなに高くないからコレクションの対象になりえますけど、本格的なカメラとなると幾らコレクター魂がうずいても、集めるのはちょっと無理だと思います。

わたしは写真撮るの上手くなってますか(笑)
でもこのあとに撮ったものの結果は記念撮影風の写真を大量に生産してしまってるんですね。記念撮影風スナップと作品的な印象になるものと一体どこが違うのかなぁ。これが分かると作品的な写真が量産できるのに。

デジカメはトイカメラを触る前は液晶画面の操作で写真撮ってましたけど、フィルムのトイカメラに馴染んでくると、液晶付きのデジカメでも無意識的にファインダーを覗こうとしてるときがあります。私のキャノンのデジカメはファインダーもついていて、ファインダーでのぞかないと気がすまないような人って一定数いるんじゃないかと思います。
液晶の画面は分かりやすいけど写真的な面白さとしては何かが足りない感じがします。
それとトイカメラは制御できない部分がかなりあるので、出来はものすごくむらがありますよ。青空の花の写真も花の位置がどこに来てるのかは撮ってた時は全く分かりませんでした。大体この位置に来るようにとってはいましたけど、PCで見るまではどういう位置に収まったか本当のところは分からずじまい。自分で制御してこういう絵が作れたらもっと面白いと思うんですけどね。

青空に一輪の花は良いでしょ。この青空の色はわたしもちょっと哀しい感じがします。ひょっとして私の心情が図らずも絵になって現れてるのかなぁなんて思ったりして。賑やかな写真は撮れなかった程度には私の気持ちは反映されてるんでしょうね。

ブルームーン、ともさんのところで話題になった時わたしは「狼男アメリカン」のことをコメントに書いたのも覚えてますよ。自分のところでも一応書いておきたかったということで。
エラ・フィッツジェラルドは聞く前は本当に強面のイメージがあって、実際の歌との印象にかなりのギャップがあったのが面白かったです。この人の歌は結構好き。気に入ってもらえてよかったです。

No title

素敵な写真
心が透き通ってるのが伝わります
なくして解る母親の偉大さ
私も母を亡くして1年半
まだ心にポッカリ穴です
遺影の写真の母は若く美しい
母への心の花
寒くなったけど風邪を引かないでね。

長峯えりこさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

何だか急に寒くなりました。先週の週末くらいまで秋物着てても汗かくくらいだったのに、一気に冬服出す羽目になってます。
こっちの思惑なんか関係無しに季節は巡っていくって云う感じですね。日々去来する感情もその時々に刻印され、巡る季節とともに流れ去っていく感じです。いつまでも立ち止まってないでって云われてるみたい。

大きいカメラだったらそういうわけにも行かないですけど、全部コンパクトカメラみたいなものだからあまり荷物にはならない感じです。撮ろうと思った光景をどのカメラで撮ってみようかって選ぶのも楽しいです。最初はフィルムカメラってなかなかシャッター押せませんでした。割とどうでも良さそうなものを撮ろうとしたりする場合が多かったりするので、そんなものにフィルム一枚使うのは勿体無いって思うんですよね。デジカメとフィルムカメラって対応する気分は結構違ってたりしますよ。

植物に侵食されてる家、面白かったですか。壁一面が緑に覆われてる景色ってなぜか目を引いてしまってついシャッターを切ってしまいます。出来上がる写真は緑一色になって、ちょっと単調なんですけど割りと好きな光景です。

キース・ジャレットのあの民俗音楽は毛色が変わりすぎてファンの間でも聴かなかったことにする人が多いらしいんですけど、私は結構好きです。あの曲は「コンドルが飛んでいく」と同類みたいな感じがするんですけど、そんな感じはしなかったでしょうか。
またこういう曲を探してきますね。

とのさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

お悔やみの言葉を有難うございます。
何だかこの一月間の特別にしつらえた仏壇の光景も見慣れてきた感じですけど、四十九日で日常に戻るということでこの日がすめば仏壇の様子も以前の形に戻すらしいですね。

現実の一部を切り裂かれたような感じになって、何事もない普通の生活と繋がりが持てなくなりそうでできるだけ普段の生活を変えないようにって、無意識的にもそういう風に行動してた感じです。写真をとるっていうようなことをやってたのが結構助けになってくれてると思いました。

花の写真は撮った本人が見ても不思議な写り方してるんですよね。一輪だけ咲いてるって思って、回りの畑が写りこまないように考えて撮っただけの写真なんですけど、何か心情とシンクロするものが出てきたみたいで自分でも面白いなぁって思った写真でした。

また何か面白い写真でも撮ったらアップしますね。

No title

こんばんは

ブログ再開されたのですね、良かったです^^
誰にでも起こり得る出来事と頭では分かっていても、想像以上の悲しい感情に支配されてしまうということなんでしょうね。
私の両親は健在なので、本当のところは、お気持ちを察することができないのですが・・・

でも、気晴らしに写真は撮り続けられていたようですね。
私は、今回は、コントラストのはっきりした、最初の花の写真とレストランの写真が良かったです。
特にレストランの明治というか、昭和初期を思わせるビルの形が趣があっていい感じです。
そして、怪獣でも出てきそうな不穏な感じっていうんですか^^、面白く撮れてると思います。

民族音楽を多重録音で演奏するキース・ジャレットって、知らなかったのですが、聴きやすくて、良い曲ですよね。
何だか、シルク・ロード、喜多郎みたいなのを思い出しましたが^^
ソフト・ジャズっていう感じがこの人には、ピッタリくるように私は思うんですけど、さらに、ポップにしたようでもあり、しかも、一人でやってるという、その多才さには、私も驚きました。

こちくんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

記憶の中の光景みたいで、馴染みのあるような雰囲気があって良いでしょ。昔の時間がそこに流れてるみたいな感じ。
本当はカリカリにピントが合ってる写真の方が上手いんでしょうけど、ピンボケもこうやって眺めてみると、これから全部ちょっとづつピントずらしたような写真とっていこうかなぁって思うほど、魅惑的なイメージでもあるように思えます。

わたしの場合は哀しさのあまり食事が取れなくなるといったような感じにはならなかったです。非常事態におなかが減ってしまうのも理不尽ですけど、今思うと、こんな時なのに食べる気力を失わなかった私の精神状態も何だか理不尽な感じがしないこともないです。
でも斎場の雰囲気とか、帰ってきてからの会食とか見てると、悲しみの感情は唐突にやってくることはあっても、持続するようなものでもないんだなぁと思ったりしました。哀しさって云うのが休みなくずっと持続する感情だったらおそらく耐え切れないと思うし、そういうところは人は防御できるようにうまくなってるんだなぁって。ガハハ笑いまでは行かなかったですけど、会食は和やかでしたよ。

暫くはマイペースで無理しないようにしますね。

こんばんわ^^

お久しぶりです。
私も両親ともに亡くなっているので、
お気持ちはとても分かります。

>体の一部をもぎ取られたかのような出来事だったのに・・・

この辺りの部分が、昔の私と同じなんですよね。
喪失感はむしろ、後でやってくるので、平常心を持つ事は
とても良い事だと思います。

それに、写真を撮るというのは、とても良いアイデアだと思いました。
子供だったから私は思いつかなかったけれど・・・
サルスベリの可愛いピンク色がどこか心に優しく、
癒されるんじゃないかな?なんて思いながら見ていました。

どうぞ、お疲れが出ませんように、素敵な音楽も
きっと、心をいやしてくれますよね^^b

りい子☆さんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

映画のブログだったはずなのに、最近は写真の記事が多いです。でもこういうことに興味を持っていて今回のことでは救われた部分があったように思えます。この一月映画は何となく観にいく気にはなれませんでした。暗闇の中で現実を忘れるのにうってつけと思わせながら、結構現実的なものを突きつけてきたりする映画よりも、写真の方が精神的に波風が立たなかったのかもしれないなぁって思ったりしてます。

あのレストラン、やっぱり同じようにまがまがしい感じで見えましたか(笑)
ちょっとしたフレームの切り方、コントラストや色の出方で印象が変わってきます。面白い一瞬を捉えることが出来たら見慣れてると思ってる風景も全然違う顔をさらけ出すことがあって、そんな一瞬を捉えたかなと思った時なんかは結構面白いです。もっとも山のように写真を撮ってそんな一瞬を捉えられるのってごく稀だと思いますけど、しょっちゅう捉えてたら有難味がなくなるからこんな割合でいいのかもしれませんね。かっこよく撮ってやろうなんて邪心を起こして撮ったもののほうが何だかつまらなかったりして、一筋縄ではいかないです。

3台持っていても、全部コンパクトカメラだからそんなにいうほど重くないです。でもバッグの中でかさばるということはあるかも。
手軽に使えてるのはやっぱりデジカメの方になるかな。関心の持ちようとしてはフィルムが面白いんですけど、失敗したらフィルムを無駄に消費してしまうので取り出せないっていう気分はなかなか抜けないですね。

りい子☆さんも寒さで風邪なんかひかないように気をつけてくださいね。

No title

こんばんは。

いい感じにピンボケしてますね。
私も写真を撮りますが1/3くらいは、ピンボケです。。

久々の更新、楽しませてもらいましたv-218

No title

こんにちは

お久しぶりです。

今のお気持ちお察し申し上げます。
私も約3年前に母を亡くし悲しみに浸るだけでなく、そこには通常の生活をおくる事に何か違和感を感じておりました。
正月休みに娘と実家に帰省し、いつもどおり和やかに食事を共にした翌日、以前から病を患っていたとはいえ急に亡くなった事に現実として受け止められず、葬儀の終わり頃に突然悲嘆にかられた記憶があります。
そんな不安定な気持ちの中、私の場合音楽を聴くという事が私を穏やかにしてくれました。
でも、不思議なことにその時何を聴いていたか全く記憶が無いんですよ。
通常ならこの時期はあれをよく聴いていたと覚えているのですが・・・

その点、写真は形として残りその一枚に対して思い入れや状況が良くも悪くもいつまでも残っていいですね。

それぞれの色がハッキリと主張しているような最初の花の写真て何か良いですね。
それとレストラン菊水の写真も気に入りました。
以前いつも何気なく見ていたビルがこんなおどろおどろしく見えるなんて!
写真って面白いですね。

キース・ジャレットといえばインプロビゼイションってイメージがあるのですが、後の方は言われなければキース・ジャレットと気付かないです^^
それも一人で演奏しているとは!
別の魅力を知りました!

Keithさんへ

こんにちは!
コメント有難うございました☆

間に報告の記事が入ってますけど、いつも書いてたような記事としては一月振りくらいに書いてみました。四十九日が喪に服していた者が現実世界に返っていく区切りの日だったんですけど、ちょっと早かったです。
四十九日まではおっしゃるとおりまだこの辺りをゆらゆらしてるんだそうですね、今回こういうことを初めて直接的な意味合いで体験して、いろいろなことをあらためて知ることが出来ました。

理不尽といえば本当に理不尽。どうしてこんなことがこんな形で私たちの家族に降りかかってきたんだろうって思います。
でも何だかあまり悲観にくれのも母は喜んでくれなさそうだし、私も気持ちを切り替えていかなければって思ってます。

100歳を狙ってるんですか。いいですね。毒ずく所なんかは私も見習ってみようかな。

みゆきママちゃんへ

こんにちは!
コメント有難うございました☆

みゆきママちゃんも既に経験されてたんですか。欠落感は当たり前の感覚としてそのうちに日常的な感覚として馴染んでいくんだろうと思いますけど、埋まることは二度とないんでしょうね。何だかやって上げられなかったことが色々心に浮かんでそれがちょっと切なく思えます。

撮った写真は撮ったわたしの何かに反応してくれたのか、ああいう絵面になってカメラから生まれてきました。パソコンに取り入れて始めて見たときに、自分で撮った写真ながら自分の心象に寄り添うようなものになってたので、なにしろトイカメラ自体が偶然に頼るようなカメラだったから、ある意味ちょっと吃驚したようなところもあります。

みゆきママちゃんも寒さには気をつけてくださいね。本当に急に寒くなってきて、先月はまだ暑い暑いといってたのが嘘のようです。

No title

良かった(笑)お帰りなさい。
私もちょっとバタバタしていて
薄荷グリーンさんが更新してたの見逃してました。
ずっと復帰を待ち焦がれていたのにゴメンネ。

お母様を亡くされたお気持ち、
私にも よ~く解りますよ。
私の場合は、そのもぎ取られた日常や心を
何ていうか、がむしゃらに家族(残された父)に尽くす事で
今も紛らわせているのだと思います。

それと薔薇栽培とか猫とかもそうかな・・・

悲しみや喪失感って決して癒えないとは思いますけど
無理やり癒す必要は無いと思うんです。
私の中でも喪失感は喪失感のままですが
形はどんどん変わっていますよ(笑)

ジオヤーさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

一月ほど放置してたので、ちょっと何か書いておいたほうがいいかなと思って。でも四十九日がすむまではこういうことは控えておいた方がいいらしいですね。知りませんでした。というか今回のことで色々と体験して初めて知ったことが一杯ありました。
何だかもう完全にそれまでと世界が違ってしまった感じがします。絶対に戻れない世界のことを考えても仕方ないのは分かってるんですけど、やっぱり考えたりしてますね。

ビルの写真面白かったですか。普段あのビル観てる時は全然あんな感じに見えなかったのに、まさしく怪獣映画にでも出てくるのが相応しいような感じですね。うしろの怪しげなビルも結構お気に入りです。どうも漬物屋のビルのような記憶があるんですけど、違ったかな。

キース・ジャレットのはファンの間では何だか微妙な扱いのアルバムらしいですよ。この曲、といっても全曲タイトルはスピリッツなんですけど、このナンバーのスピリッツはまだピアノが聴こえてくるものの、他の曲は本当に民族楽器のアンサンブルで、間違って手にしたんじゃないかと思うくらい。クラシック奏者として活動してた後の音楽で、クラシックに失望して音楽を見失いかけてた頃に再生のきっかけになったものらしいです。キース・ジャレットにとっては必然性のあるものだったんでしょうけど、やっぱり面食らうアルバムっていう印象は変わらないですね。

たえさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

もう危ないかもしれないっていうのは3,4日前に知らされていて、覚悟はしてるつもりだったんですけど、戻れない一瞬を踏み出してしまった後では、どんなに覚悟していても、やっぱり喪失感に襲われますね。落ち着き、その状態に馴染んでいくことは出来てもその喪失感は絶対に拭い去れないでいつもわたしの寄り添ってるんだろうなぁって思ってます。

写真を撮ってなかったら音楽がそういう役目をしてくれてたかも。映画は意外と現実を思い起こさせるところがありそうで、観にいこうっていう気にならなかったし、今もまだ映画館には行く気がしません。たまたまトイカメラへの興味で写真撮る面白さにはまってたんですけど、写真は意外と最適な方法だったかもしれませんね。

この前四十九日を済ませて何だか精神的に疲れてしまったんですけど、あまり無理しないで過ごすことに気をつけていきますね。

westさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

意図的にぼかしたといっても、ピントを合わさなかっただけっていう極めて大雑把なやり方でしたけど、それなりに暈した写真が持つニュアンスも付加されていてちょっと面白かったです。
ピントがボケてる写真って何だか粗を隠すというか、綺麗に見せる手段としては重宝な感じですよね。
トイカメラのピント合わせって、ソーン選択で適当に決めてるようなのが多くて、細かく追い込むっていうようなのがないんですけど、そういうアバウトなやり方で生み出されてくるイメージがやっぱり面白いんだと思います。
なんか癖になって撮る写真撮る写真全部ボケボケにしてしまいそうな予感がしてます。

桃太郎さんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

何事もなく過ぎていってた以前の時間と同じ時間の中で生活を続けていく他ないんですけど、やっぱり以前とは決定的に異なってしまったものを感じないわけにはいかないんですよね。もう戻れないところに来てしまったっていう思いは断続的にわたしの中で浮かび上がってきては、戸惑うほどにわたしを翻弄させる時があります。もう一度母が生きていた世界に戻りたいっていう思いはおそらくなくなることはないと思います。その感情に慣れ親しんでいくしか仕方ないのかなって思ってます。

上手く気を紛らわせるような遊びを見つけておいたと思うんですけど、もうちょっとカメラ遊びを早く始めてれば、母の写真ももっと撮れてたかもしれないと思うと、少し残念なところがあります。

桃太郎さんは菊水のビルはおなじみですよね。京都の人なら誰でも知ってるっていってもいいほど目に付く場所にあるから。でも最近も前を通ったんですけどあの写真を撮った時のような妙な雰囲気はなかったです。ちょっとした光の加減とかで見え方が違ってくるんだと思いますけど、もっと予期しない姿を見せる時も今は気づいてないけど、まだあるかもしれませんね。カメラ持って歩いてると確かに観察眼は養われていきそうに思えます。

キース・ジャレット、意外で面白かったでしょ。ピアノを期待して聴いてしまうとまるで違うアルバムになってしまうんですけど、キース・ジャレットの音楽遍歴の一シーンとして捉えると結構興味深いです。それにしても他の楽器もお金が取れるくらいに上手いって、どれだけ才能があるんだか。キーボード一つ満足に弾けないわたしとしては、これはもう本当に羨ましい限りです。

ROUGEさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆
ご心配をかけましたけど、記事を書いてみたら簡単なものだったらとりあえず最後まで書くモチベーションは保てる様な精神状態にあるようでした。

四十九日も終えて、仏壇の飾りも簡素な元の状態に戻って、唯一つのことだけは違ってるけど元の世界に戻るように促されてる毎日です。
空虚は決して埋まりはしないけど、その空虚に寄り添いながらわたしの日常の一部として受け入れて生活していく以外にないんだと思います。
間歇的に湧き上がってくる激情もそのうちに間遠になっていくのかなと思ったりするんですけど、こういう感情がどういう風に落ち着いていくかはまだわたしの中ではわからない状態です。でも何とかなると思ってます。わたしもこういうことは決して癒えたり消え去ることはないと思いますけど、馴染みのいい形に変化して行ってくれるような気はします。

わたしも父との関係はちょっとだけ変化したみたいですよ。残された者としてお互いちょっと親密になったりして。

No title

以前、ブログの方にコメントをいただきましてありがとうございました。

昔一緒に暮らしていた祖母を亡くした時、同じようなことを若かったなりにワタシも思いました。
祖母が亡くなったという状況の中にありながら、ほぼまる1日何も食べれないような精神的状況だったとしてもその翌日には普通にお腹がすいてる自分がいて、いつもよりは食べる気がしないながらも普通に食事してる自分がいる。。。
これが人間なのかな、こういう日々をこれから重ねて行く中で祖母をなくした悲しみも薄らいで、祖母のいない日常に慣れて行ってしまうんだろうか、とか、そういうことを一瞬ですが感じたような記憶があります。
でも、25年後の今、蘇って来るのはそのときに感じた悲しみや理不尽さよりも、祖母が元気だった頃の笑顔や言葉、しぐさ。。。一緒に過ごした懐かしい楽しい時間ですe-446

薄荷グリーンさん、お母様のこと、今でも本当におつらいでしょうが、ぜひ少しずつでも元気を取り戻されますようにお祈りしておりますね。




マナサビイさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

自分は非常事態の真っ最中という感じだったから、絶対に寝られないだろうと思ってたら、目を閉じてからあれこれ思い悩むことも少なく直ぐに眠りにつけたり、仰るようにおなかが空けばまるで何事もなかったかのようにご飯が食べられる自分にちょっとした違和感を感じてました。ある意味こういう状況に晒されて、じぶんを追い詰めないような強さも備わっていたと云えないこともないんですけどね。
斎場に行った帰りだとか、四十九日のあとの会食なんかで、参列してもらった人と結構和やかに話する場所になったりするのを見てると、悲しみに浸る時とそうではない時の切り替えスイッチが備わってるような感じでした。
母が亡くなった事はそれとして否定することなく、また再びこの世界で生きていくために様々なスイッチが用意されていてそれが適時的確に入ったりして、母のいない現実に馴染んでいけるようになってるのかもしれないって思います。悲しみは瞬時の感情で、隙を見つけては顔を出すことがあるけど、それほど持続する感情でもないっていうのは今回の出来事で理解できたことの一つでした。

お気遣い有難うございます。喪失感は相変わらずなんですけど、少しずつ受け入れていけると思ってます。元気に振舞ってれば自然と元気になれるかもしれませんね。

No title

ご無沙汰しています。
お母さんを亡くされて大きなショックを受けられたようでしたが、お元気になられたようですね。
私も母を医療ミスで亡くしました。
元気で健康診断に行ったその日に、病院で急逝しました。
死に目に会うことができなかったのが残念でしたが、それも天命だと受け止めました。
お母さんは、いつも天国から見守られていると思います。

パックさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

わたしの状態に関わらず時間だけは経過して日々が過ぎていきます。こんな世界は受け入れないと思ってる自分もまだわたしの中に存在するんですけど、同じようにもう諦めろと促す自分もいて、両方が馴染みの仲間のような形で意外と波風も立てずに共存してるような精神状態というか、やっぱりいつもとはどこか違う感じで日常生活を送ってます。葛藤する精神状態が続いてなんだか凄く時間が経ったようにも思えるんですけど、まだ一月半くらいのことなんですね。
わたしの母の場合は2,3日前にもう宣告されたも同然の状態でしたから、その時が来ても不条理という感じはあまりしなかったんですけど、健康診断でそんな目にあうと、立ち直るのは相当苦労しそうな気がします。

わたしも母はどこかから見守っていてくれると信じてるんですけど、でもやっぱりもうちょっと話がしたかったというような思いは消えないですね。

こんばんわ

写真とっても綺麗ですね

私も写真 撮るの大好きです

sakuraさんへ

こんばんは!
コメント有難うございました☆

綺麗に見えましたか(^-^)
撮る時もどう撮ったら見栄えよくなるかなぁなんて考えながら撮ってるので、そう云ってもらえるととてもうれしいです。
たまにどう撮っていいのか分からなくて、結局シャッター押せなかったって云うこともありますけど、撮らなくて失敗したって思うよりも撮って失敗したっていうほうが良いのかななんて思ったりします。
これからも一杯写真撮って楽しみましょう♪
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