【展覧会】ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 +オリンパスペンS3,5と一緒に散策(続) +夏の日の木陰で

3日の日、河原町BAL地下のMuji mealで昼食をとった後、上の階に入ってるジュンク堂へ本を漁りに行き、写真関連の雑誌でも見てこようかと美術書のコーナーに立ち寄った時にヤン・シュヴァンクマイエルの展覧会のポスターが貼ってあるのを見かけました。ポスター近くに設置してある平台を見れば、そこではシュヴァンクマイエル関連の書籍と雑誌が積まれていて特集を組んでました。
シュヴァンクマイエルってわたしにとっては最近は随分とご無沙汰してる作家だったんですけど、特集としていろんなものが目の前に積まれてると、基本的には関心もあり嫌いじゃないから興味を呼び起こされて、本当は写真の雑誌でも見てこようと想って美術書のコーナーに足を運んだのに、そっちへ行く前に平台に乗ってた本を何冊か眺めてみることになりました。置いてあったのはアリスなんかの本にシュヴァンクマイエルが挿絵を製作したようなのが中心になっているようでした。

展覧会1

展覧会2
展覧会チラシ 表と裏

シュヴァンクマイエルは、チェコが生んだシュルレアリストでありアート・アニメーションの作家。チェコのアニメーション作家といえばわたしは「悪魔の発明」を撮った、カレル・ぜマン(昔はゼーマンと表示してたんですけど最近はぜマンに変わったみたい)なんかを思い浮かべたりするわけで、シュヴァンクマイエルは共産主義下で弾圧されながらも製作を続けたらしいですけど、チェコというのはなんだかアート系のアニメーションが生まれてくる土地柄でもありそうな気がします。実際にパリでシュルレアリスムが展開されていた時にチェコでも同じくシュルレアアリスム運動が生まれ、パリと交流していたらしいので、東欧における芸術の都でもあったんだと思います。

ジュンク堂の特設コーナーではシュヴァンクマイエルが挿絵を製作した本が中心になっていて、映画関連は雑誌「夜想」が特集したものとか置いてあったものの数が少ない様子でした。
わたしにとってシュヴァンクマイエルは静止した絵画を制作する人というよりも映画「アリス」のような、物語の骨格だけを援用してそこからインスパイアされた奇矯なイメージとオブジェで溢れかえったようなユーモラスでグロテスクなアニメーション映画を撮ったのに代表される、映像の作家でした。
だから挿絵製作のシュヴァンクマイエルはわたしの興味から行くと若干中心軸を外してる感じがあって、平台の特集は写真の雑誌のほうに向くわたしの足をそちらのほうに向かわせるだけの吸引力はあったものの、それなりの関心を呼んだに過ぎませんでした。でもその特集のコーナーを作るきっかけとなった展覧会のほうはちょっと興味を引くことになりました。
というのもポスターを見ると副題に「映画とその周辺」とあったから。ポスターによるとどうやら展覧会は映画関連の物を扱ってるらしいんですね。興味があるとはいえしばらくシュヴァンクマイエルの映画からは遠ざかっていたわたしとしては、この副題で以前持っていた関心を若干呼び起こされる形になりました。

展覧会場はポスターによると京都文化博物館らしい。しばらく改装工事をやっていて休館状態が続いていた施設です。再開したのは知っていたけどこういう展覧会をやってることは気がつきませんでした。京都文化博物館は河原町のBALからだと歩いていっても10分もかからない場所にあります。それで遠くの美術館とかだったらまた日を改めてということにでもなってたんでしょうが、こんな近いところでやっているならと、この日は展覧会に行く予定でもなんでもなかったけど立ち寄ってみることにしました。わたしは展覧会に行くとか、結構前準備的に気分を盛り上げて、さぁ全神経を集中して鑑賞してこようというような決めの状態になってないと行く気にならないところがあるので、こういう出かけたときはまったく予定もなかったのに思いつきで美術館的なところに行くっていうのはわたしとしては結構珍しい行動パターンでした。

☆ ☆ ☆

京都文化博物館
Nikon Coolpix P5100
三条通りからみた京都文化博物館

文化博物館別館
Nikon Coolpix P5100
文化博物館別館出入り口
Nikon Coolpix P5100
こちらは別館の入り口。展覧会を見終わって外にでてから撮ってます。

三条通をまっすぐに歩いていくと程なく京都文化博物館に到着。何の気なく本館の入り口から入ったら、「日本画 きのう 京 あす」というべたなしゃれを織り込んだタイトルの展覧会が目に付くものの、シュヴァンクマイエル展の案内が見つかりません。すぐに分かったんですがシュヴァンクマイエル展は本館じゃなくて別館のほうで開催されてるということでした。このべたなタイトルの展覧会は新装オープンのニュースで知ってたので、シュヴァンクマイエルのほうは主要な展覧会扱いでもなかったということでしょう。
それでせっかく本館から入ったのにその足で別館のほうの通路に足を運ぶことになりました。

案内表示
Nikon Coolpix P5100
別館への案内です。

案内にしたがって本館から別館へ続く通路の途中、真夏の太陽が真上から焼き尽くそうとしてる中庭のテラスの誰も座ってないカフェのテーブルを横目に進み、別館のほうに入って建物内部を少し進むとシュヴァンクマイエル展の会場がありました。

どうみてもとんべり
Nikon Coolpix P5100
炎天下のテラス。今年の10月29日から始まる国民文化祭・京都2011のマスコット「まゆまろ」が孤独に突っ立ってました。これ最初に見たとき「とんべり」だと思ったのはわたしだけじゃないはず。ほうちょうを持ってゆっくりと近づいてきそう。

☆ ☆ ☆

別館は旧日本銀行京都支店の建物をそのまま使っていて、古い建築物の積み重なった時間と歴史が重厚な空間を作ってる場所です。広さは中程度の講堂くらいでそんなに広いとも思えないんですけど、広い天井にしつけられたシャンデリア状の証明器具からの柔らかい光が満ちていて、凄く落ち着いた優雅な空間を形作ってました。
シュヴァンクマイエル展はそのあまり広くもない空間を曲がりくねった通路状に仕切って作品を展示する形で開催されてました。

ここでわたしの早とちりが発覚します。この展覧会実は前期と後期の二部構成になっていて、今回の開催は前期のものとなります。そして副題の「映画とその周辺」というのは実は後期の展覧会のほうだったんですね。それで今回の前期の副題はなんだったかというと「the works for Japan」というものでした。わたしが期待した映画関連のオブジェや小道具は今回は一切展示されておらず、一番期待したものは見事に肩透かしを食らう形となりました。
まぁそれでもせっかく来たのだし、同じシュヴァンクマイエルの展覧会だからとりあえず見て帰ろうと思って入場券を買って中に入ってみます。入り口では切符切りの女性が来場者全員にカメラと筆記具の使用は禁止ですと云って回ってます。わたしはこのときは目立つカメラは持ってなかったんですけど、会場の中で作品を見てるときに首から大きなカメラをぶら下げた女性も入ってきていたので、禁止だからといって入り口でカメラを取られるような事もなかったようでした。

☆ ☆ ☆

会場は上に書いたようにそれほど広い場所でもなくて、実際に展示されてる作品も数はそれなりに多かったんですけど、種類としてはあまり多くないという印象でした。
展示されていたのは主にシュヴァンクマイエルのドローイング、コラージュなどの平面作品と最新作の映画関連で絵コンテだとかシノプシスなどの紙媒体による資料、京都の彫り師や摺り師とのコラボで作成した木版画、細江英公によるシュヴァンクマイエルのポートレイト写真などでした。
平面作品として展示されていたのは新装版「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のための挿絵の原画、江戸川乱歩の「人間椅子」のために製作された挿絵としての平面作品、ラフカディオ・ハーンの「怪談」のための挿絵作品など、わたしの期待したオブジェに関しては映画関連のものではなくて、「人間椅子」の挿絵として作成されたものが展示されている程度にとどまってました。
新作の映画以外は何らかの形で日本が絡んでるものを集めた形になっていて、それが副題の意味合いだったようです。

会場に入ってすぐに眼にすることになるのは「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のための挿絵の群れ。まさしくシュルレアリストの真骨頂とも云うような、他の紙媒体から切り取って持ってきた様々なイメージを素材として貼り合わせて作ったコラージュ作品が並んでます。コラージュはシュルレアリストたちが好んで使った方法で、そこから生み出されるものは異質のものをぶつけ合わせた時に生じる痙攣的な美といった具合に表現されたりします。でもコラージュそのものは今ではありふれた手法であり、シュヴァンクマイエルのこの挿絵も手法においては驚異的な印象を与えるものでもなかったです。
映画同様にルイス・キャロルの元のお話に囚われることなく、そこからシュヴァンクマイエルが拾い出し、自らの感覚に添うような形で展開させた独自のイメージが紙の上に定着させてあります。コラージュというと、もともとシュルレアリスムは意識で縛られない無意識的な何かを導き出す試み、方法論といった側面があるので、その手法が異質のイメージを他の紙媒体から切り抜いてきて一つの場所に再配置した時に現れる「痙攣する美」というものを目的とするなら、出来上がった痙攣的なイメージは作者の意識、感性や個性といったある種閉じてしまってるものをはるかに凌駕するもの、匿名的なものとして立ち現れてくるはず。でもこの一連の挿絵の群れを眺めてると、そういう作者の輪郭を超えて広がるはずのコラージュのイメージもきっちりとシュヴァンクマイエルの刻印が刻まれてるような印象として入ってきます。これは意図としては未見のイメージに向かうためのコラージュというよりも、シュヴァンクマイエルの感性にそう形で、その感性が導く先にある完成形に相応しい素材ばかりを慎重に選んで作成していったコラージュなんだろうなという印象を受けました。たとえば無意識的に他の媒体から切り取ってきた素材とみえて、実は切り取る時にしっかりと作者が自分の好みに沿うものを切り取ってるという感じ。ただコラージュという形を取る限りいくら好みの素材を切り貼りしてきても、直接的に絵筆を取ってコントロールしていくような絵画よりもより多く、シュヴァンクマイエルという閉ざされた自我の形があいまいになるような領域を持ち込むことになるんですけど、シュヴァンクマイエルはそういうあいまいな領域に何か可能性を見出そうとしてるような感じの作り方をしているようにみえました。
ちょっと思ったんですけど、写真撮る時にファインダーの中で隅から隅まで完全に意図的なガチガチの構図を作るのに飽きてきたりパターン化しそうになってきたりする時に、撮る方向だけ意図に任せてあとはノーファインダーでシャッターを切るというような精神のありかたに似てるんじゃないかなと。
シュヴァンクマイエルはコラージュに関して「いつ終わるか分からないことは僕を安堵させる」といってるのも、この自我の外側に少し拡張されたあいまいな領域を持つことで、自我に閉じ込められる閉塞感から絶えず解放されるというような意味合いではないだろうかと推測します。

アリスの挿絵を見ていて、多様なイメージ素材の張り合わせによる、シュヴァンクマイエル風味のキメラ的な怪物世界といったものの面白さのほかに、コラージュ部分以外の画面を部分的に覆ってる模様、細かいものが中に充満してる繊毛の生えたアメーバー状模様といったもの、これがイメージ的には面白かったです。かなり執拗に描きこまれていて、実際にはデザイン的に考えられて要所要所に配置されてるものの、そんな統制力を離れて無限に増殖していくような印象もあり、わたしはこのアメーバーがアリスの挿絵の画面の余白全部を覆い尽くしたら、たとえばヘンリー・ダーガーに代表されるようなアウトサイダー・アートの中に入っていくんじゃないだろうかなんて思ったんですね。コラージュのほうは割りと意図に沿ったある種理性的なタッチが垣間見える感じでしたけど、こっちはかなり病的で妄想的なものが内部で膨らんでるような、ちょっと不安感を覚えさせるようなところがあって興味を引きました。

それにしてもシュヴァンクマイエルとアリスは相性が良いです。この新装版の出版に際してシュヴァンクマイエルに挿絵を依頼した人もそんな印象を持ってたんじゃないかな。

☆ ☆ ☆

二つのアリスのための挿画のコーナーの次に現れるのが江戸川乱歩の小説「人間椅子」のために製作された、同じくコラージュを使った平面作品の一群。映画でも絵画でもオブジェ志向を前面に出してる作家としてはテーマ的には凄くフィットしてる感じです。この展覧会では人間椅子の挿絵、紙媒体のコラージュが中心の作品から、ほとんど立体造形に近い印象の様々なオブジェを貼り付けた作品まで、触覚の芸術というカテゴリーでまとめられてました。
挿絵のほうはシンプルで抽象的な椅子のフォルムに眼と手が大きくコラージュされて、拡大された手と眼は特化された感覚を示し、わたしはあまり上手くないたとえではあるけど土着の感覚を抜いた寺山修二のようだと思うところがありました。それは貼り付けられたオブジェの実在感だとか、眼や手のリアルな写真のコラージュが呪術的なイメージを誇張してるように見えたからで、挿絵はシンプルな抽象画のようなある種クールな外見なのに、コラージュのそういう部分ではマジカルなグロテスクさを付け加えて、全体には歪んだような感覚が生まれているのはなかなか面白かったです。でもこの本、市販されてるんですけど買うかというと、あまり買うほうまでは興味は惹かれなかったかな。
触覚というテーマからこの挿絵には平面イメージを切り貼りした延長で毛の束だとかボタンだとかの立体物も直接貼り付けられています。ただこういうテーマだと本来的には絵に貼られた毛の束やボタンは実際に触られるべきなんですけど、さすがにそういうことはできないようでガラスの向こうにみえるだけ、触覚の芸術の癖に観客はただひたすら触角の感触を想像しながら「観る」という行為を強要されるコーナーでもありました。
あと、アリスの挿絵のほうでも思ったんですけど、実際に別の何かから切りとってきて、作品の中に糊で貼ってるといった痕跡が目の前に、ある種オブジェ的に見えてるという感覚は、絶対に印刷物からは感じ取れない感覚だったので、こういう切り貼りした絵のオブジェ的な質感が視覚的に体感できたのは、実物を展示してくれる展覧会に来た値打ちがあった部分だと思いました。絵の内容は新装版「アリス」や「人間椅子」を購入すれば簡単に眼にすることができるんですけど、ボタンが貼り付けてある絵は見られても、実際にボタンが貼り付けてある質感までは本では絶対に体験できないものだと思います。

それと錆びたおろし金?みたいなオブジェを貼り並べた作品がガラスケースに収まってたのは、映画「欲望」のジェフ・ベックのギターの破片の逆バージョンだなって思ったりしました。あちらはライブ会場を出るとただの木屑に変化しましたけど、こちらはただの錆びたおろし金が作品に貼り付けられガラスケースの中に納まることで作品的な計り知れない価値を付加されてるんですね。

☆ ☆ ☆

そのあと新作の映画の絵コンテとか、細江英公が撮影したシュヴァンクマイエルの作品にマッチさせたようなポートレート写真が展示されてましたが、これは余計だった感じでした。特に細江英公の写真はシュヴァンクマイエルのドローイングのスライドを本人の上に照射するといった形でのポートレイトで、写真の出来がどうのこうのという以前に、シュヴァンクマイエルの作品ですらなく、こんなのを展示するくらいだったらオブジェの一つでも置いてもらったほうが絶対によかったです。
日本の版画とのコラボもわたしは浮世絵とかも結構好きなので版画の手法は興味深かったですけど、あえてシュヴァンクマイエルと組み合わせる意味合いが良く分からないという感想で終わってしまいました。カタログを見ると日本の妖怪をモチーフにした版画原画が掲載されていて、これは一つ目の化け物とか幻覚を見てるような造形のものがあって面白いところもあったんですけど、実は展覧会にこれ展示してたかちょっと記憶がないんですね。会場で見たように思えないんだけど見落としたのかな。この妖怪たちの原画が展示されてたら版画のコーナーはもうちょっと興味を引いてたかもしれません。

ポートレートなどで少しはぐらかされたあと、展示としては今回の展覧会の最後となる「怪談」の挿絵を集めたコーナーに向かいます。実は今回の展覧会でわたしが一番面白く思ったのはこれでした。国書刊行会が出版したラフカディオ・ハーンの「怪談」のために製作されたコラージュ作品。
日本の妖怪のイメージをチェコの古い木版画にコラージュすると言う手法で作られてるんですけど、単純に木版画に描かれてる人物の頭を妖怪の頭と挿げ替えるようなコラージュじゃないんですね。これが凄く面白かった。
たとえば元の木版画に描かれていた人物のシルエット全体が、日本の妖怪の顔の一部分を切り出したものになってるようなイメージの衝突のさせ方をしてます。妖怪全体が画面に登場してるものは少なくて、多くは木版画の一部分が両方の対応を無視して妖怪の一部分に挿げ替えられてるような作品に仕上げられてます。
これが効果を成して、何か怪しいものが物陰に垣間見えるという感じ、視線の片隅に不気味なものが通り過ぎるといった感覚をコラージュの中へ盛り込むことに成功してるという印象でした。妖怪とか怪物とか正面きって出てきた時点で恐怖のほとんどは消え去ってるもので、そういう点から見るとこの一連の「怪談」の挿絵はシュヴァンクマイエルがこの挿画をさして「鳥肌」という単語を使って表現した恐怖感覚をとても上手い形で表出してるもののように思えます。それとこのコラージュのベースになってる古色蒼然とした古いチェコの木版画の世界も薄明の中に浮かび上がる、どこかこの世の果てにでも存在する異界という雰囲気を濃厚に含んで、というかそういう異質のベースに日本の妖怪を紛れ込ませることで日本ともヨーロッパとも違う非在の怪しい世界、彼方にある世界に向けて一気に異界化したようでそういう点で日本の古い世界にこのヨーロッパの木版画を持ち込んだのは大正解だったと思いました。
「人間椅子」は本として持ちたい欲望はそれほど起きなかったけど、これは本として手元においておきたいと思いました。
それとこの「怪談」の挿絵の展示されてる一角の床に枯れた蓮の花托を飾ったスタッフのセンスもよかったです。蓮の花托って抽象的な形のうえに乾いたグロテスクさが濃厚に漂って、こうやって飾られてみるといかにもシュヴァンクマイエル的というイメージで全然違和感がなかったです。

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こんな感じで会場を見回って、最後に設けられてた売店で目録とポストカードを2枚買ってこの日の鑑賞はお終い。ポストカードとか、どの展覧会でも売ってるようだし買ってる人は結構いたんですけど、これって買っても本当に誰かに出す人いるのかなぁ。わたしは完全に自分で持ってる用に買ってます。
結局今回立ち寄ってみた展覧会は「映画とその周辺」という副題の展覧会ではなかったし、シュヴァンクマイエルの最大の特徴であるオブジェの諸要素にもほとんど触れてないような展覧会だったので、期待はずれといえば期待はずれ、主流作品じゃないなぁと思いながら、時には流し見のようになりながら会場を通り過ぎていったら知らない間に出口にたどり着いてたという感じに近いものでした。
だから、オブジェと映画が中心になってるらしい後期のまさしく「映画とその周辺」というテーマでまとめられる展覧会に期待を繋ぐことにします。

わたしはシュヴァンクマイエルの映画DVDの馬鹿高い箱入りセットを持ってるんですけど、実はまだ全部観てません。後期の展覧会までまだ期間があるからその間に全巻踏破しておこうと思ってます。


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ちなみに展覧会の開催期日は前期が今月の14日まで、後期が2011年10月7日から23日までだそうです。
場所は京都文化博物館別館。
料金は当日券おとなは800円でした。前期後期共通の前売り券もあるようです。


ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 映画とその周辺 公式ページ


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怪談怪談
(2011/07/21)
ラフカディオ・ハーン

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ヤン・シュヴァンクマイエル コンプリート・ボックス [DVD]ヤン・シュヴァンクマイエル コンプリート・ボックス [DVD]
(2008/08/10)
ベドジフ・ガラセル、ブラザーズ・クエイ 他

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今回の記事とは直接的に関係はしないけど、わたしが持ってるシュヴァンクマイエルのDVDボックスというのはこれ。アマゾンでは廃盤になった上に若干値段が上がってる。なんか楽しい♪
発売当時でリリースされていたDVDをその時廃盤になっていたものもこれ用に再販して全部まとめたボックスでした。




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この前の祇園祭に持っていったオリンパスペン S3.5は祇園祭の写真を撮ることでフィルムの残りを消費し、一本最後まで撮り終えたんですけど、それまでに撮っていたものもあるのでその中から何枚かアップしてみます。72枚撮って現像に出したもので、結構メモ的に数撮った形になり、自分で見てもこれというのはあまりないロールになってました。日にちをかけて撮る形になってフィルムとしてのまとまりはないものになってましたけど、なかにはそういえばこういうのも撮ったなぁとすっかり忘れてたのもあって、そういう意味では72枚見通すのはそれなりに面白かったです。

高瀬川の木漏れ日
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100 Canoscan 8600F

祇園祭の記事に載せた木漏れ日写真の別の一枚。同じ時に撮ってます。これも割りと上手くいったほうじゃないかなと思います。高瀬川を横断する飛び石があったようなのに、なぜか今のところ取り去られたままになってました。

カエル
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

高瀬川近辺で見かけたカエルです。街中でこういう人形を見たりするとなぜか撮りたくなって来ます。電気のメーターと風鈴も画面内に入れたかったのでこんな配置になりました。色とか影の具合が気に入った感じで出てます。

ジャズ喫茶
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

エッタ・ジェームスの崩壊具合が眼を引いた看板だったんですけど、全体の崩壊具合に対して大人しく撮りすぎて面白さ半減といったところかなぁ。面白いものがあったからただ撮っただけという感じ。色味は綺麗に出てるし影の感じも好きなんですけど、もう一工夫必要だったかも。この店に入ったらどんな音が聞こえてくるのか想像できるようなところまで持っていかないと。
ちなみに場所は大阪、難波の裏通りです。京都よりもカオスが広がってるような場所。
こうやって並べてみて気づいたんですけど、主要モチーフが全部左寄りになってますね。

おそらく御堂筋線の心斎橋だったと思う。
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

照明がかっこいい大阪の地下鉄御堂筋線。フィルムで前後に収まってた写真からおそらく心斎橋の構内だったと思います。駅によってこの照明の形が違ってるんですよね。
構内の雰囲気も黒っぽくてなかなかかっこいいかな。実際にはもっと明るい場所なんですけどね。写真に撮ってみるとこういう感じになりました。


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Joao Donato - Muito a Vontade


楽器としてはかなり大きな部類に入るピアノなのに、弾く人によって優しげな音色になったりと、随分振幅が大きい楽器だと、そういうことを改めて思い起こさせるような、夢見るように淡いピアノの響きが心地よい曲。わたしにとっては夏の木陰でハンモックに揺られながらいつ果てるともなく聴いていたいという優雅な欲望を喚起するような曲でもあります。ジョアン・ドナートは純正のボサノヴァのピアニストでもなくて、どちらかというとラテン・ジャズ、ジャズ・サンバのピアニストといった感じかな。ボサノヴァがブラジルで勃興した時にアメリカにわたり、そのボサノヴァがアメリカを始め世界中に広がる頃に、今度はブラジルに帰ってしまうといったいささかへそ曲がりな行動をしてた人で、結構アメリカのジャズ的な雰囲気を身につけてるピアニストでもあります。このアメリカっぽいセンスというか、そういうのがスパイスになってこういうしゃれた響きの音楽に形を与えてるのかもしれません。


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Muito a VontadeMuito a Vontade
(2003/03/04)
Joao Donato

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近代ブラジル音楽を代表するアルバムの一つなのに、どうも廃盤みたいです。こんなのばっかり。





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コメント

No title

おはようございます。
朝から、素敵なピアノの世界にうっとりデス。
柔らかな音ですね。(●^o^●)

アリス。。。金子國義が浮かびますが。。。
かっぱも印象的でした。
いつも、訪問ありがとうございます。

No title

薄荷グリーンさん、こんにちは。

ヤン・シュヴァンクマイエルの映画「サヴァイヴィングライフ」
公開前の展覧会なのですね。
関東でも8/20から9/19までラフィーレミュージアム原宿で
ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展~映画とその周辺~を
やりますが、京都とはちょっと違うのでしょうか。

「人間椅子」の作品とか見てみたいです。
江戸川乱歩作品って映画になると超ガッカリなものが多いので、ちょっと奇妙なシュヴァンクマイエルさんならどんなものをつくるのでしょう。
楽しみです。

しかし、夏の京都はちょっと……

No title

シュヴァンクマイエル,
お恥ずかしながら初めて知りました(^^;
こういう感じの作品、好きなんですけどね~
多分、私の周りで好きな人が居なくて
紹介される事も無く見過ごしていたのだと思います。
結構、芸術関係って周りからの影響も大きくて
私自身が積極的に見出すって事が無かったんですね。
今なら、こうしてブログなんかで知る事が出来ますけど(笑)
でも今、知る事が出来たって事はラッキーですね。
これから見る機会がありますから(笑)


オリンパスペン S3.5で撮った写真、
私は一枚目と3枚目が好きかしら?
一枚目は川面の感じがなんとも言えないノスタルジーを感じるし
3枚目は違う時代にタイムスリップしたような感覚になります。
薄荷グリーンさんは「いまいち」との事ですが
私的にはブレードランナーとか彷彿させますよ(笑)
寂びれた看板に壊れたブロックに古びた建物・・・
なのに背後に毒々しい色の子供用自転車がチラッと写っていたりして(^^;
良い具合に混沌とした感じがします(笑)

おはようございます(^^)

ヤン・シュヴァンクマイエルの展覧会、すごく面白そうですね^^
ポスターにも、奇抜で、魅力的な作品がたくさん載っていますね。
この展覧会の存在を知ったら、すぐに行きたくなる気持ち、わかります^^

アリスの挿絵や、江戸川乱歩の小説のための作品と、色々と
想像しながら、読ませていただきました。
すごく充実した内容なのに、これで、800円は、安いかも、
と思ってしまいました^^
後期の展覧会には、これから行かれるのですね^^
凄く、期待できそうですよね。
そうそう、京都文化博物館の建物自体も、レンガ造りで、洒落て
いるな~、と感動してしまいました^^
ちなみに、展覧会等で、買った絵ハガキは、私も人に出さずに、持っていますね~。

オリンパスペン S3.5で撮った、何げない写真、すごく雰囲気が出ていていいですね。
自分でも、その街を歩いているような、気分になりました。
でも72枚というと、日にちをかけて撮るので、現像後は、懐かしい写真も出てくるのでしょうね^^

シュヴァンクマイエルのDVDボックス、クリックしましたが、結構なお値段ですよね。
当初よりも値上がりしているのは、なんとなく嬉しいですよね♪

No title

勉強不足でお恥ずかしいのですが、
シュヴァンクマイエルさんという作家さんは初めて知りました。
幻想的でシュールな作風の作家さんですね
とっても心惹かれました。

これからロキ様地方にもこの展覧会が開催されるようなので
是非、時間を作って足を運びたいと思っています。
素敵な展覧会をご紹介いただきましてありがとうございます。

そして、優しく時間を止めた感じのノスタルジー感あふれる
写真に見とれてします。
いつかはこんな写真を撮ってみたいものです。

ももぴっぴっさんへ

こんにちは!

このピアノ本当に柔らかな響きで良いでしょ。全体に洒落た綺麗なメロディの曲が多いんですけど、べたな感じにもなってなくて凄い好きなんですよね。
この人が弾くピアノはピアノ自体の重さが軽くなってるとしか思えないようなタッチで、リラックスしたい時なんかにはうってつけかも。

金子国義のアリスも良いですね。新潮文庫のアリスが金子国義の挿画に変わったとき、既に新潮文庫版アリスは持ってたけど、買いなおしました。いろんな画家の想像力を刺激するところがアリスにはあるんだと思います。シュヴァンクマイエルのは自作の映画ともまた違ったイメージ展開をしてるところもあるようで、シュヴァンクマイエルの発想の柔軟さのようなものも見えてくるかもしれないですね。
不思議なものが屋根に乗っかってたので撮ってみました。カメラを持ってると上を向いて歩くことが多くて、ちょっと危ないです。

こちらこそいつも来ていただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

とのさんへ

こんにちは!

これはやっぱり新作映画のキャンペーンの一環だったんでしょうか。わたしは映画のコーナーは余計だったって記事に書いてしまいました^^
でも実際のところ映画に関連したコーナーだけ妙に浮いてたから、これもついでに宣伝させてっていう印象が強かったです。
ラフォーレミュージアム原宿でやるものもおそらく同じものだと思います。そちらが先行で京都のほうはあとで巡回という形になってますね。今回のは映画に関することは新作関連以外のものはでてなくて期待はずれだったんですけど、後期のものは映画で使ったオブジェとかも出てきそうなので面白そうですよ。
人間椅子は本の挿絵としての展開でした。この本は実際に発売されてるはずなのでぜひ本屋で確かめてみてください。日本人がイメージする乱歩の世界とは随分と違うイメージで展開されてますけど、その感覚はどうかといえば間違いなく乱歩のもの通呈すると確信できるようなもので、なかなかユニークな仕上がりになってました。

今、一番暑いです。もう暑いのは飽きたと思い出してからさらに暑くなったような感じです。早く涼しくなって欲しいけど、まだ当分こんな気候が続くんでしょうね。

ROUGEさんへ

こんにちは!

この人はアート・アニメーションの人でそういうところをうろついてるとそのうちに行き当たる作家だと思います。
幻想的でグロテスクででもどこか乾いたユーモアがあって、面白いですよ。今は割りと簡単にDVDで鑑賞できるようになってるから興味が向けば一度ご覧になってください。
何がきっかけで自分の興味が広がっていくか分からないし、わたしもその時その時のちょっとしたきっかけがそちらの方向に大きく足を踏み出す結果になってるものもたくさんあると思います。そういうきっかけは本当に様々な形で目の前に現れるから、常日頃見落とさないように注意深くしてるほうが良いですよね。

高瀬川のは割と上手く出来たほうだと思います。影が入ってくる写真というのが最近の好みになっていて、日陰とか見たら近寄っていってますよ。
エッタ・ジェームスのほうはブレードランナーですか。わたしもブレードランナー大好き。雑然としてる、混沌としてるというのが好きなのかもしれないです。でもこの写真撮ってる時は看板しか眼に入ってなかったので、子供の自転車が写ってるのは現像が出来てからのことでした。
このほか廃墟とかも目に付いたら撮ってたりして、パソコンの写真フォルダーを開くと、このところ黒々として雑然とした小汚い写真のサムネールが並び始めてます。
こんなのを見るとたまにはハイキーでドリーミーな写真も撮らないと、なんて思ったりするんですけどね。気がつけば黒々とした写真を撮っていてなかなか上手くいかないです。

りい子☆さんへ

こんにちは!

もともと大枚はたいてDVD買ってしまうくらい関心があったので、後日改めてという形じゃなくポスター見たその足で見にいってくることにしました。
肝心の映画関連では見事にはぐらかされたけど、展覧会そのものはそれなりに面白かったですよ。
買った目録は前期後期両方に共通のものらしくて、今回の展覧会には出品されてなかったオブジェの類の写真が数多く載ってました。ちょっと種明かしされたようなところがあるのは残念ですけど、続きの展覧会ではこういう立体作品の実物を見られるんだろうと思うと、今回もそういうのを見たくてやってきたわけだから、否が応でも期待は高まりますよね。それと時期的にちょっと涼しくなってるのも助かるかも。

銀行の建物を再利用してる雰囲気も意外なほど落ち着いて、博物館自体も時を過ごす値打ちがある場所だと思いました。
観光できた人はこういうところにもやってくるのかなぁ。清水寺も良いけどこういうところを見に来るのも絶対に面白いと思います。

絵葉書やっぱり自分用に持ってますよね。どの展覧会でも意外と絵葉書買ってる人がいて、やっぱり展示作品のミニチュアでも手に入れるような感覚なんでしょうね。無茶苦茶安いし買うのを躊躇う要素も何一つなさそう。

取り立ててどうということもないものを撮って、それなりに見るに耐える写真になればいいんですけど、やっぱり結構難しいです。頭で考えるよりとにかく撮ってみるというのが唯一の方法だと思うので出かける時はとにかくカメラを持って出かけてます。その場の雰囲気みたいなものも一緒に写し込んだような写真も撮ってみたいですね。

あのボックスわたしが買ったときは3万円くらいじゃなかったかな。廃盤になって誰も買えないもの、しかもプレミアがつきかけてるものを持ってるってちょっと楽しいですよ。でもまだ生きてる人の全集ってあとにまだ作品が続くわけだから、不完全なものになるほかないのはちょっと残念かな。それとブルーレイに変わったら値打ち下がりまくるのも予想できるので、持っていて楽しいのは今のうちかもしれないです。ともあれ全部観てないので次の展覧会までには見ておきます。

ロキ様へ

こんにちは!

アート・アニメーションの作家の中では割と見やすい作家かもしれないです。「アリス」という有名作品を題材にしたから、そういう面でも親しみやすい作家かもしれません。幻想的ではあるけど人形アニメーション的な親しみもある世界に意外なほどグロテスクな毒気も仕込んであって、そういうところが面白いと思い始めると結構はまるかもしれませんよ。
現実的なものよりも空想的幻想的なもののほうが好きなわたしとしては結構気になった作家でもあります。
わたしの好みを押し通すと、今回のもまぎれもなくシュヴァンクマイエルの作品なんですけど、オブジェ群が登場する後期の展覧会のほうが見所満載なものになるんじゃないかと思います。興味を惹かれるようなところがあればぜひご覧になってください。

写真のほうは気に入ってもらえたようでよかったです。でも写真はこのところなんだか迷いながら撮ってるような感じです。見たままのものしか撮れなかったりすると、どうしたらいいのかなと考えたりして。あまり考え込んだことがそのまま写真に出てしまうとこれまた興ざめかもしれないし、写真撮るのって面白いけど難しいですね。

No title

こんばんは

シュヴァンクマイエルは、知らなかったでんすけど、組み合わせによって全く新しい感覚を生み出すコラージュと、最初からある程度意図的に結果が想定されているコラージュがあるという下りは興味深かったです。
人間関係でも、全く異質な人間の組み合わせと、ある程度目的遂行に沿った人間の組み合わせみたいなのがありますよね。
例えば、バンドとか、コラボとか、その辺の妙でいろんな音楽が作りだされていると思うし、ジョンとポールとか(私は元々全く想定されてなかった異質の人間の組み合わせのように思いますが)、考えてみると色々と深くて面白いように思います。
記事の内容とは全く異質な、「まゆまろ」の登場もコラージュ的に笑える京この頃って感じになりますかね(笑)

木漏れ日の写真、やはりこの時期には、癒される感じです。
あと、エッタ・ジェイムスがこのボロボロのポスターを見たら「I'd Rather Go Blind-私はむしろ盲目になりたい」と言うことでしょう(笑)

ボサノヴァのリズムに乗った軽やかなピアノ演奏もホント、心地良かったです。
シングル・トーンのソロの部分、優しいタッチの音色が印象的です。
それから、このジャケットの感じが良いです、あったら思わずジャケ買いしてしまいそう^^

ジオヤーさんへ

こんばんは!

展示されてる絵を見ていて、全部シュヴァンクマイエルにしか作れない絵という感じが強烈にあるから、一見奔放なイメージに見えるんですけど、かなりコントロールされてると思ったんですよね。大体コントロールを離れた何かを用意することで表現の幅を広げていくというやり方の一つなんですけど、まったくコントロールを離れてしまったものの前では作者も途方にくれるしかなくて、そういうものよりもある程度制御した上での余白といったもののほうが、実は表現の幅は広げやすいんじゃないかと思います。

でも人の関係にまではわたしは想像が及ばなかったです。人の関係だと何かを生み出しやすいのはまったく異質な組み合わせか目的を一つにする組み合わせかどちらなんでしょうね。
音楽に関してならある程度目的を一つにするバンドのほうがいろいろと可能性が増えて気そうに思えますけど。初対面同士のジャムセッションというのもテクニックの保持者同士ならなんか凄いものが生まれそうな気もしますね。
ジョンとポールはよくもまぁ同じ時代の似たような地域に住んでいて、知り合いになったものだと思います。この二人が出会わなかったら20世紀の音楽は確実に違ったものになってたし、違うものにならなくて本当によかったと思うから。

まゆまろは京都の街中のいろんなところで見るんですけど、人気あるのかなぁ。奈良のセントくんでしたっけ、あれは最初はものすごい非難を浴びてましたけど結局はマスコットの座に収まってしまったし。まゆまろも京都のマスコットになれるかな。まったくの余談ですけど、京都タワーのマスコットってあるんですよ。たわわちゃんっていうんですけど、京都タワーに行けば売ってます。これいつか一つ買ってやろうと思ってます。

最近影の写真を撮りたいと思ってるので、暗めの写真が多くなってます。上手く決まると影を主体にした写真って結構かっこよくなってくるでしょ。
あの看板一応道路に出てたから客を呼ぶ意味合いで出してるんだと思いますけど、ちょっと怖くて初めてで一人では中に入れないですね。エッタ・ジェームスなんて普通だったら街中でなんか見ないから、こんな形でも道路にあったらかなり目を引きました。エッタ・ジェームスってまだ亡くなってないから、この看板を見る可能性も0じゃないわけですよね。本当にどんな反応を示すか知りたいですね。はるか極東の電気街の裏通りにある店で自分の写真が使われてるなんてまったく想像の埒外だろうし、こういう扱いになってるのはさらに予想外でしょうから。

ジョアン・ドナートのジャケット、わたしも大好き。もう一枚同じタッチのデザインのアルバムがあるんですけど、そっちもこういうタイプの音楽できわめて心地良いです。シングルトーンのソロのところ、フレーズが歌ってるのがいいです。音の羅列になりがちなこういうところでしっかりと歌わせられるミュージシャンって結構限られてると思います。

No title

今日猛暑だぜわんこ      薄荷グリーンさん

今回の記事とは、全く関係ない話ですみません。

あの有名な京都の大文字焼き。岩手の陸前高田市から持ってきたマツの木を燃やす
のは、「放射能が飛散するから止めろ」という意見で中止になりました。

私は、同じ日本人として情けなくなった。当然放射能の測定をクリアーしているのに。

昔、京都の人から「よそもんを受け入れない性格があるんです。」との言葉を思い出し
ました。

一転今日は(8月10日)受け入れる表明を出しました。然し最初の一件は、岩手の人々
の心に、大きな傷を付けたことでしょう。

キース(+Keith)さんへ

こんにちは!
本気で暑いですよね。屋外を歩いていたら陽射しで打ちのめされてるような気分になってきます。もう暑いのも飽きたから早く涼しくなって欲しいです。

さて、困ったというか、これ本当にわたしの記事とまったく関係ないですよね。あまりこういうことに関しては自分のブログでは書きたくないです。それにわたしが京都人を代表して同じ日本人として情けなくなったといわれる筋合いもまったくないし。
こういう話題になってしまうと拒否した京都がわが悪いという一方的な圧力になると思うので、なかなか違うことが云いにくくなってしまうんですけど、拒否した反応はいささか大人気ないとしても、これ考え出したのってNPOの人でしょ。わたしは反対しにくいような要件を立てられて、伝統的なお祭りをイベントに利用されてると思う人も多かったんじゃないかと思います。確か五山の送り火はその送り火の山に生えてる木で薪を作って燃やしてたと思うので(違ったかな?)、どんなにいい目的であっても、関係ないところから木を持ってくるようなことをするのに違和感がある人もあったんじゃないかって。これ国家事業でも市が主催してる事業でもなくて、地元の人が有志で伝統としてずっと守り続けてきた行事で、その誰に強制されたわけでもない、行事を維持しようとした個人的な努力の連鎖といったものに対して、今年あんなに甚大な被害を出した震災があったとはいえ、今度のイベントはそういうことにあまり配慮してくれてるとも思えない印象がありました。
放射性物質は検出されなかったけど、検査結果なんて信用できないという気分で反対した人も多かったんだと思います。これは長い間共産党の支配下にあった京都で、未だにリベラルな風潮が残ってるからかもしれないなんて思ったりしました。基本的に嫌だと思っても昔からの京都の人って表立ってこういう形での反対はしないです。

よそ者を受け入れないというのは、嫌いだとか嫌だとか言うのを表明して角が立つのを嫌うという風潮があるんですね。だからぶぶ漬けの例が有名ですけど、早く帰ってほしいなぁと思ってる客に対しても、そのまま帰れとは云わずに歓迎してる体裁を装ったりするんですよね。これはでもよそ者を受け入れないというよりも、心を開くまでに相手を見極める段階で一癖も二癖もあるといったほうが正確じゃないかと思います。京都の人だってよそ者は受け入れるし、京都人がよそ者を受け入れないと断言されるのはわたしとしては心外だったりします。

あと、大文字焼きじゃなくて、五山の送り火です。「送り火」とか「大文字」とか云われることはあっても、「大文字焼き」という言葉は江戸時代に使われていた形跡はあるものの、今の京都ではほとんど使ってないです。

No title

立派な建物だな~
と思ったら、由緒正しい建物でしたね!
盛岡に行ったときにみたレンガ造りの建物も元銀行でしたよ

展覧会にもう一度行けて良かったですね!
こんな立派な建物なら後期も行きたくなってしまいますね~

軒先に座っているカエルくんがかわいいっす!
うちにも欲しいかも!?

こちくんへ

こんにちは!

京都は結構古い建築を再利用してるところがありますよ。町屋の構造をそのまま生かした店舗とかかなり目に付くようになって来てます。こういう近代建築も古臭いものしかないなんていうイメージに相反して、京都には意外と多く存在してます。京都人は疎水なんか見ても分かるように結構新し物好きだったりするんですよね。

この銀行の建物本来的にはどういう構成になってたのかも分かるので、たとえば元金庫室が今は中庭のテラスに面したカフェになってるとか変遷を辿るのも面白いです。空間的には白熱灯の明りが高い天井の優雅な空間をほの明るく彩っていて、中にいるのが心地よかったです。

行ってから勘違いしたのに気づいたんですが、これを見てなかったら後期の展覧会に行った時に前期のはどんな感じだったんだろうって気になるかもしれないから、とにかく見ておいたのは正解だったと思います。

そういえばカエルはこちくんのトレードマークですものね。欲しくなりましたか^^
実はわたしもちょっと欲しかったりして。軒先に飾ると注目度抜群だし、このカエル、細工物としても全体のデザインとかよく出来てましたよ。
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