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【展覧会】小牧源太郎展 +【写真】モノクローム・スケッチ +【音楽】恋歌

先月15日の水曜日、定期検査で医者のところに行った帰り、ついでに小牧源太郎という画家の展覧会を観にいってきました。展覧会があると知ったのは先月所用で山科のほうに行った時に見た、地下鉄東西線の車内に貼ってあったポスターからでした。
ポスターの名前を見た瞬間、横溝正史の「鬼火」だとか江戸川乱歩の「陰獣」などの耽美的で隠微な幻想に溢れた挿絵を書いた人?と頭に思い浮かび、挿絵が載ってたから角川で持っていたのに創元の推理文庫で正史のものを買い足したことがあるわたしとしてはかなり気を惹かれたものの、耽美な挿絵の人は竹中英太郎であったとその後の一瞬で勘違いだったことに気づきました。
学生の時に学生会館の喫茶室でコーヒー一杯を前にして何日も読みふけってた「黒死館殺人事件」の小栗虫太郎の印象が強烈で、思惑違いであったとしてもわたしにはどうも漢字5文字で「○太郎」という名前の人物には変った作品を残した人というイメージが刷り込まれていて、他の名前と比べると無条件で注意が向かってしまうようです。
ポスターになってる作品のイメージも随分とタッチが違うし、なんだ、「蔵の中」の挿絵の人じゃなかったのかと一旦意気消沈したものの、でも名前は何処かで聞いたことがある画家だし、ポスターの文句を読んでみると、どうやら日本のシュルレアリスムの草分けの人らしくて、シュルレアリスムなら好きだから面白そうだなぁと、その後も気になる展覧会として記憶の一辺を占めることとなりました。

展覧会が始まったのは14日だったんですけど、思い違いで予期しない関心を持った画家だったせいか、それだけのために出かけるほどの勢いはわたしの中を探ってもどこにも無くて、翌日の15日に上に書いたような経緯で観にいくことにしました。

パンフレット表紙

パンフレット2
(会場に入った時に受付で貰ったパンフレット。クリックで拡大します。大きくすればひょっとしたら書いてある文字も読めるかも)

場所は中信美術館というところ。実はこういう美術館があるのは今まで知らなくて、京都中央信用金庫なんていうところが美術館活動をやってるということも今回始めて知りました。調べてみると開設は平成21年だということでかなり新しい美術館だったようです。設立の趣意は京都中央信用金庫や公益財団法人中信美術奨励基金に関係する芸術家の作品展を企画展示し、京都の芸術文化の振興と継承を目的に運営するとありました。

地図を見ると位置的には京都府庁の西側に隣接してるようで、お医者さんで用事を済ませた後京阪の三条まで来てここから地下鉄の東西線、烏丸線を乗り継いで丸太町の駅で降り立ちました。ちょうど御所の南西端辺りで地上に出てくることになり、目的の場所に行くために御所の西側に沿って伸びてる烏丸通りをそのまま北に向かいます。地下鉄の駅の北西の出入り口から出てくるとすぐ脇には煉瓦塀に囲まれた大丸ヴィラが目を引くことになります。大丸社主の下村正太郎邸としてW.M.ヴォーリズによって設計されたチューダー・スタイルの洋館。京都市登録有形文化財である建物なんだそうです。ただし現在は一般には非公開となっていて煉瓦塀から一部を覗き見られる程度となってます。

この日はただひたすら雲が空を覆ってるような重苦しい曇り空で小雪がちらついてもおかしくないような気候でした。家を出るときから天気が悪いのはもう分かりきっていたし、立ち寄る場所が美術館ということもあって、ハッセルやFM3Aのような大層なカメラを持って出る気にはならず、ロケンロールなトイカメラ、Wide Lens Cameraと年末の散財の勢いで買った中古で安く出ていたデジカメ、リコーのGRD3の2台を持って出ていました。

Wide Lens Cameraのほうはもう3~4ヶ月なかなか撮り終わらない感度800のフィルムを入れたままになっていた残り6枚ほどを、この日に残り全部撮りきってしまおうと持ってきていて、地下から出てきて真っ先に目にはいるこの大丸ヴィラをさっそく撮ってみることにしました。

大丸ヴィラ 指写り失敗写真
Wide Lens Camera : SUPERIA Venus 800
大丸ヴィラ

たまには失敗写真も載せてみます。
これは指が写ってしまったもの。Wide Lens Cameraは広角22mmのレンズでレンズがカメラの表面から飛び出してないデザインだから、持ち方で気を許してしまうとかなりの高確率で指が写りこみます。何本かフィルムを通してそれなりに慣れて来たカメラなのに、未だに1ロールで数枚指が写った写真を撮ってしまってます。
写真そのものは内部が煉瓦塀越しにしか見られない上に木陰で曇りの天気という暗さだったのでこのカメラでは感度800のフィルムでもかなり条件がきつかった様子でした。

大丸ヴィラ 門
RICOH GR DIGITAL 3
大丸ヴィラ 正面脇の門

内部非公開のために門扉に阻まれ、指入り写真で失敗したとも知らないままにその場を後にして、大丸ヴィラの側を通り過ぎて北に向かって歩いていくと府庁前に行く下立売通りと交差してるところに出てきます。その交差点の南西に建ってるのが平安女学院の日本聖公会京都教区聖アグネス教会。煉瓦作りの風情が同志社同様に際立っており、ここでもちょっとシャッターをきってみました。

日本聖公会京都教区聖アグネス教会
Wide Lens Camera : SUPERIA Venus 800
聖アグネス教会

とにかく厚い雲に覆われた陰鬱な日だったのも相まって、なんだかホラー映画にでも出てきそうな写り方になってました。こういう建物って見上げるしか視点の取りようがないところがあって、よほどあれこれ試してみないと変化に富んだ写真にするのは意外と難しそうです。中央の丸窓だけ拡大して撮りたかったけど、望遠を使って離れたところから撮るとか、塔の内部に入って内側から窓を撮るとかする以外では、単焦点の広角レンズでははなっから無理な相談でした。

ついでだから載せてみますけど、後日、旧京都府庁に行った時、また別の角度で撮ってみたのがこの写真。
聖アグネス教会
OLYMPUS OM-1 G.ZUIKO 50mm f1.4 : KODAK SUPER GOLD 400
聖アグネス教会

この交差点を府庁の方向に曲がり、教会に続く平安女学院の前を通り過ぎて歩いていきます。
やがて程なく府庁前に到着。京都府庁旧本館も古い建物でちょっと写真にとってみたいところもあるんですが、この日は来たついでに周囲をめぐってこんな写真を撮っただけで、目的の美術館に向かってます。

街灯
RICOH GR DIGITAL 3
京都府庁 周囲
これはちょっとかっこいい写り方かなぁ。ニュアンスの異なる縦向けのラインが集まって単純な構造だけどそれなりに変化もあるし。
縦に長いポール状のものって構図取りが難しいです。少なくともわたしはかなり迷います。どう撮っても芸のない写り方になりそうで。

中信美術館は府庁に隣接してると思い、きっと信用金庫の目立つ建物でもあるんだろうと思って歩いていたら堀川に出てしまい、明らかに行き過ぎてるのが分かったので、一体どこにあったのだろうともう一度府庁のほうに戻りかけて見つけました。周囲には信用金庫のビルなんかは全くなくて、完全に独立した建物が小さなビルや民家の列に馴染むようにしてこじんまりと建ってました。

中信美術館 入り口
RICOH GR DIGITAL 3

草木をモチーフにした天井や鉄扉を側に見て美術館の中に入ると、美術館然とした受付のテーブルと受付の女性、それと目の前の壁に掲げられた大きな絵が視界に入ってきます。ちなみに入場、鑑賞は無料でした。

入ってすぐにある足元の案内にはスリッパに履き替えてくださいといった要望が書かれていてちょっと意表をつかれます。中信美術館は土足では中に入れない美術館なんですね。側にあった棚からスリッパを取り出して履き替え終わるとテーブルの向こうにいた係りの女性が館内にどういう配置で展示してあるか説明してくれて、その指示と廊下にある道順の案内プレートにしたがって館内を巡り歩くような形になってました。
今回の展示の部屋は合計で3つ。それぞれの展示室の大きさはかなりこじんまりとしていて、最近明倫小学校に写真を撮りに行くことが多いので、その関連のイメージで行くと大体一般的な小学校の教室だと、およそその3分の2くらいの広さでした。裕福な家だったら応接間でもこのくらいの広さがあるかもというくらいの規模で、美術館としてはかなり小さな印象でした。
美術館の体裁にはなってるけど、入場料が無料だったことや展示物の展開内容から見ると実質的には規模の大きな画廊といった感じの場所。入り口でスリッパに履き替えたせいなのか、プライベートな空間に紛れ込んだような感じもしました。

☆ ☆ ☆

先に書いたように小牧源太郎という画家に関してはわたしは名前は何処かで聞いたことがある気がするけど、どういう画家だったのかはほとんど知らない状態でした。
もらったパンフレットには略歴も書かれていて、それによると1906年に京都に生まれ1989年に亡くなるまでずっと京都で活動を続けた画家とあります。略歴を読んで思い浮かんだのは、生まれ故郷から出ることなく鳥取の砂漠を舞台にシュールでスタイリッシュな写真を撮っていた写真家植田正治のような画家だなぁということでした。

作品の傾向は活動初期がシュルレアリスム的なイメージ、その後京都で活動してたからなのか仏教的なものやそこからの派生形で民俗学的なものをモチーフにしたり、絵画に精神分析学的な役割を見出そうとするようなことを試みたりしていたそうです。
シュルレアリスム的な時期だとか仏教的な時期だとか民俗学的絵画の時期だとか一人の作家の感性の遍歴を見せるような構成にはなってた展覧会でしたけど、作品は全部で30点しか展示されてないし、わたしが観たかったシュルレアリスム期の作品はたったの2点のみ。個別のテーマに関しても作家の感性の変遷を見るにしても、無料で観ていて云うのもなんだけど、規模的にはかなり物足りない展示だったように思われます。ただ全体を通してこの少ない出展を見ただけでも、小牧源太郎は基本的には記号、図案的なイメージを好む作家で各時期熱中したテーマは変化したけど、全体にわたって記号、図案思考は変らなかった画家だったんだということは分かるような展覧会でした。
そういう意味では展覧会の副題にある造型思考という言葉はこの画家の本質を言い当てていて的確であったと思いました。

さて肝心のわたしの関心ごとであった、小牧源太郎のシュルレアリスム期の2点の作品のうち、わたしの好きな描き方の絵はパンフレットにも載ってる民族病理学(祈り)という油彩の作品でした。活動暦の初期に描かれた作品だったので、展覧会の展示順序では最初から2枚目に目にすることになる絵画。わたしはたとえば食事は好みのものを一番最後まで残しておくタイプで、往々にしてお腹が一杯になってしまって後まで楽しみに取っておいたものをあまり美味しく食べられなくなるということになりがちなんですけど、今回の展覧会はその全く逆で目当てのものを一番最初に見てしまった形になりました。これはわたしがいろんなものに接した時の馴染みのリズムではないわけで、おかげで展覧会の全貌は知らずに観ていたはずなのに、大半の展示作品が目当てのものの後の付け足しのような印象を伴ってしまって、鑑賞体験としては余りいい状態でもなかったかもしれません。

シュルレアリスムでもこういうタイプの絵画は凄く興味を惹かれます。好んで描かれるのは大概が夢魔のような異世界なんですけど、その異世界を異世界として存在を信じ込ませるくらい緻密に描いて、そのリアルな非現実世界にこれまた非現実的で奇妙なオブジェが転がってるような絵画。シュルレアリスムも名前からいくとリアリズムの一種だから、異世界がどんなに異様で奇妙であってもリアルに描かれてるのは必然で、その世界に存在してるオブジェも何なのか皆目分からない謎のものであっても質感等はリアルな手触りを感じるような描かれかたをしてるといった感じの絵画です。さらに異世界に点在するオブジェは有機的なフォルムだったりするのもわたしにとっては必要不可欠な要素だったりします。
シュルレアリスムでこのタイプの絵画でいうと、一番代表的画家だとダリが典型的です。わたしが好きなのはイヴ・タンギーとかマックス・エルンスト辺りの絵画。球体関節人形の作者としてのほうが有名だけどハンス・ヴェルメールが描いた絵画なんかも好きな部類に入ります。特にタンギーの海底を思わせるような静謐な世界に点在する有機的なオブジェ群っていうヴィジョンは異様で、その世界に実際に入り込んで眺め回したりオブジェを手にとってその手触りを体験してみたいと思うくらいです。


Yves Tanguy

Youtubeにイヴ・タンギーの絵画をスライドショーにしたものがありました。こんな絵画です。


小牧源太郎の民族病理学という絵画は様式はまさしくわたしが好きなタイプのシュルレアリスム絵画でした。描かれてるオブジェで一番目立つものはなにやら気味の悪い節足動物かむき出しの肋骨を思わせるような有機的なもので、この辺も異世界的な雰囲気が出ていて面白いです。
でもモチーフは面白いのに、全体的なタッチは実際に大きな実物で見るとそれほど精緻でもなくて、細部が随分と簡略化されてるような印象を受けました。この辺りは展覧会の全体を見通して、小牧源太郎はリアル志向じゃなくて記号、図案の作家なんだと思った要素がこの初期シュルレアリスム絵画にも早くも出てきてる感じで、それがダリ的な世界を扱っても小牧源太郎の個性として出てるんでしょうけど、ディテールの乏しさは異世界構築の絵画としては結構な物足りなさを感じさせるのも確かなところでした。あとこの絵画は戦争中に描かれたもので、戦争批判的な意味合いで戦闘機らしきものが描かれていたりするのも、わたしの趣味に合わないところでした。わたしは社会派とかいった類のものってあまり好きじゃないです。絵画でも音楽でも文学でも、こういうものは何かのための手段と化してるアートよりも、アートそのものとして成立してるアートのほうが好みだったりします。

もう一つのシュルレアリスム絵画は完全に記号的な描き方をした抽象的なもので、わたしが見たかったシュルレアリスム的な絵画はこの展覧会ではこれでお終い。実にあっけなかったです。

同じ展示室にあったほかの油絵ではジャクソン・ポロックのようなドリッピングを使ったアンフォルメルの絵画が印象に残りました。でも、絵具を滴らせた道具を振り回して偶然が描く絵具の軌跡で絵画を描くという手法なんですけど、ここでも飛び散る絵具の勢いやその場限りの偶然性なんかにはあまり興味がないような作り方で、たとえば飛び散った絵具の軌跡の端っこにそれそれ丸い目のようなものを書き入れて、ある種意味合いを与えて形として独立させようとするような、出来上がった偶然そのものの視覚化を静的な形としてカンバスに定着させようとしてる意図が感じられるような描き方だったので、図案思考の小牧源太郎の刻印が押されてる絵画であるのは、アンフォルメルというシュルレアリスムとはまた違ったモチーフの絵画でも同じなんだと思ったりして眺めてました。

☆ ☆ ☆

最初の展示室の最初の絵画数点だけで、ひょっとしてもうシュルレアリスムってお終い?と思いながらその後館内を見歩いてたせいもあって、残り二室の展示は晩年の最重要モチーフの針金状「ひとがた」人間がいろんな形で登場するものを展示室ひとつ分くらい用意して、本来はこの部分こそがこの展覧会の要、小牧源太郎の本質が現れてくる展開だったんでしょうけど、わたしとしては先に書いたように付け足し感のほうが強くなってしまってました。

記号的、図案的な絵画というのも、以前モホイ=ナジの展覧会について書いた時に、ロシアン・フォルマリズムも取り上げたように、実はわたしはこういう絵画も結構好きな部類に入ってます。ただロシア構成主義だとかバウハウスなんかで見られたモダニズム的なもの、エッジの効いたダイナミズムみたいなものによってこういう絵画や運動が好きだった目から見ると、小牧源太郎の構成的な絵画はいささか泥臭いというか、モダニズムとは完全に違う地平で成立してるように見えました。これはおそらく仏教とか民俗学に傾倒した結果が絵に出てきた結果と見て間違いないんじゃないかと思います。
わたしは記号的なものならモダンな抽象形態といったものが好きなので、今回の展覧会ではシュルレアリスム期以降の作品を見ながら展示室を歩いてる時は正直なところあまりピンと来るものがないままに観終わってしまいました。でも帰ってから貰ったパンフレットを見返してみたり、これを書くのに何度も眺めなおしたりするうちに、こういう泥臭さもちょっと面白いかもって思ったりしてます。
この小牧源太郎の洗練されなさを残す図案趣味といった感じのものって、何年か前にアウトサイダー・アートなんていうカテゴリーで紹介されていた、ヘンリー・ダーガーなんかを代表とするカテゴリーの作品群と、図案なのにすっきりと割り切れてないような情念的で混沌としたものを含んでしまってる点で多少は通底してる部分もあるんじゃないかなと。精神分析学的なアプローチを小牧源太郎が試みたということも略歴に書いてあったし、そういう目で見ると、わたしがモダニズム的な感覚を通して関係を持ちようがなかった小牧源太郎の主要作品群も、もうちょっと馴染みがよくなるかもしれないなんて思いました。

☆ ☆ ☆

とまぁこんな感じで展覧会を見終わって、小さな展示室でもそれぞれの部屋に監視の人が一人ついていて、実はわたしが観にいった時は帰り際に一人若い男性が入ってきただけで、鑑賞はずっと一人でする形になっていたから、小さな部屋に監視の人と二人っきりでいると、なんだか退出する時もその人に何か言わなければいけないかなといった感じで、ありがとうございましたと挨拶しながら展示室を出たりしてました。中信美術館ってスリッパに履き替えるのから始まって、監視の人との思いもかけない親密でちょっと居心地の悪い空間といったものも含めて、美術館としては雰囲気は思いのほかユニークといった印象の施設でした。
ひょっとしたら偶然電車の広告を目にして行くことになった今回の展覧会では、結果として小牧源太郎の存在を知ったことよりも、このユニークでこじんまりした美術館が京都府庁の近くにあるということを知ったのが収穫だったのかもしれません。


☆ 展覧会の会期は3月の11日までです。



☆ ☆ ☆ 【写真】モノクローム・スケッチ ☆ ☆ ☆


一月の半ばからの寒波と天気の悪さでこのところ一段とフィルムの消費が落ちた日々が続いてます。それでも嵐山に行ったり西陣の街中を歩き回ったり、最近は近くの中信美術館に行ったのが切っ掛けで、旧府庁なんかに行って写真撮ってはいるものの、気分のほうはずっと若干欲求不満気味。この二月ほど、なにしろ撮る写真のほとんどがぼんやりとした影さえも出ずに、空はいつも白っぽい曇り空で、精彩をかくこと著しい感じです。曇りでも雨の日でもその日の有様だから、その日の世界として写真に撮る値打ちもあるんでしょうけど、青空とコントラストの強い影は毎日撮っていても飽きないのに、曇り空はそればかり撮ってるとなぜか知らないけど飽きてくるんですね。たまに晴れる日も一日も保たずにすぐに下り坂に向かうから、晴れた日はカメラ持って出かけないと勿体無いような気分になってます。
一日だけでお終いというようなこんな晴天じゃなくて、晴れた日が続きだすとこの陰鬱な季節も終わりということになるんでしょう。寒波も曇り空も飽き飽きしてるのでそういう日がやってくるのが待ち遠しいです。

写真はこういう陰鬱な状況のもと、最近撮ったものが数少なくて出すものがないというわけでもないんですけど、この前の続きで、同じフィルム・ロールから別の写真を何点か載せてみます。いつもだったらフィルム一本に5枚も気に入ったのがあれば上等っていうところなんですけど、このロールは結構気に入った写真が撮れたロールでした。撮ってた時期は去年の年末辺り。イルミネーションのイベントをやっていた頃の中之島の写真が多いです。

ディアモール
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 PRO 400
梅田ディアモールの一角

ガラスの向こうに広がる光景と壁に落ちる光、おまけに温室的なドーム状の天井という、わたしが好きな要素が重なったようなイメージです。場所は大阪梅田の地下街ディアモール大阪の、御堂筋線の改札から駅前第二ビルまで行く途中の、地上からの光を取り入れてる通路。なぜか窓枠のように区切られた枠から覗く光景って好きなところがあって、去年の夏に森山大道の展覧会に行ったときにも似たような写真を撮ったことがあります。

まだブログには載せてなかったけど、その時キヤノンのハーフカメラで撮ったのはこんな写真でした。
美術館にて
Canon demi EE17 : FUJI COLOR 100
国立国際美術館

これもほとんど同じ要素で成り立ってます。目測式のカメラだったのでピントは大まか。ガラスのドームの向こうに見えるビルがぼんやりとしてるのも記憶の中の光景みたいでこういうのってわりと好きだったりします。一度わざとピンボケで撮ってみようかと思うものの、ピントを追いこめるカメラだったらどうもきっちりと合わさないといけないような気分になるので、なかなか意図してピンボケ写真って撮れないというか、ちょっと勇気がいりますね。それとドーム状の建物ということだと、植物園ももう一度行ってみてもいいかなと思ってます。以前に学研の付録の二眼カメラを持って植物園に行ったときは温室はどうも有料のようだったから入りませんでした。

コントラスト・タワー
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 PRO 400
中之島界隈

縦に長いものは凄く撮りにくいと書いたのと同じ感じ。縦長のものを撮るために縦長の画面にするとまるで何も考えてないような絵になるし、横画面で撮ると一部しか撮れなくて高さがなかなか上手く感じられなくなりがち。
このビル、何のビルか知らないけど、コントラストが効いた外観で気を引きました。建物としてはこういう現代的なビルって嫌いなほうなんですけど、高さ規制のある京都だと観ない建物でもあるのでちょっと物珍しさがあります。相変わらずの曇り空でモノクロにしなくてもほとんど白一色の背景は、この場合はビルのコントラストを強調して上手くあってたような気がします。

規制といえば京都は町並みに関して色も規制してます。マクドナルドのような店でも京都に出店する時は派手な色を控えてるとか。公認で派手な色って鳥居の赤くらいかな。
別にマクドナルドが地味でも一向に構わないんですけど、カラフルな写真を撮りたくなった時は、京都ではなかなか難儀することになります。

中之島中央公会堂
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 PRO 400
中之島公会堂

建物としたらこういう建物のほうが好き。確か影が落ちてる中で窓周辺に光があたって浮かび上がってるのに気を惹かれて撮ったと記憶してます。

マネキンが目を閉じる
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 PRO 400
四条河原町周辺

四条通りの烏丸から河原町辺りのブティックに飾ってあったマネキン。妙なマネキンと思ってシャッターを切りました。どうもこのブランドの店ではどこでもこの時期はこのマネキンを使っていたようで、大阪を歩いてる時にも見かけたような気がします。最近目を閉じたマネキン自体よく見るように思うんですけど、ひょっとして流行ってるのかなぁ。目を閉じた人形といえば恋月姫の球体関節人形を思い浮かべるけど、同じ目を閉じるにしてもあれとは全くニュアンスが異なる印象になってるようです。

こういうディスプレイ系統を撮る時って出来上がった写真がもしかっこ良かったりしても、そのかっこ良さは写真を撮ったわたしのほうにあるんじゃなくて、ディスプレイをデザインした人の側にあると考えると、わたしが写真を撮る意味というのがいまいち分からなくなってくるところがあるんですね。

だからまぁこれは面白いマネキンだったから撮ってみたんですけど、店先のディスプレイとか洒落て見えても、出来上がるものが最後までわたしの手腕によるものじゃないと思うと、あまり撮る気にはならない場合が多かったりします。
写真はすべて一からそろえて演出するものもあるけど、大抵の場合、対象物そのものを自分で作らないから、シャッターを切ろうとする時にこういうこと、つまり写真に写し取れるものはわたしのものなのか、それとも対象物のものかといったことを考える機会は、わたしの場合はわりとあるような気がします。

重層
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 PRO 400
中之島公園

これはウィンドウに並んだ瓶を撮ったんですけど、仕上がってみたら目一杯対面の光景が映りこんでいたもの。
最初見たときは大失敗と思ったものの、しばらく放置してから再見してみると、意外と良いかもと思いなおした一枚でした。まるで多重露光したように見えて、そう見えてくるとなかなか面白くなってきました。
一度見ていまひとつでもしばらく寝かせておくと違う見方が出来るようなものがあります。フィルムは撮ってしまうと消去できないから、あとから失敗作を眺めるのも苦もなく出来ますけど、デジカメだと失敗はすぐに消してしまう可能性もありますよね。
これ、デジカメ使ってる人はあまり早めに結論を出さないほうがいいです。失敗だと思ってもしばらく残しておいて時間が経ってから見直したりするほうが良いですよ。思わない感覚で見直せることがあるから。

これは画面端っこでぎりぎり見えてる窓枠もいらないからトリミングしたほうが良いかなと思ったけど、額縁みたいにも見えてきて、これがあるほうがイメージが複層化すると思い、トリミングは不要と判断しました。どちらかというと、もともとわたしはほとんどトリミングしないほうです。その時のフレームを覗き込んだ直感を尊重したほうが良い結果になると思ってます。




☆ ☆ ☆ 恋歌 ☆ ☆ ☆


フォーク・クルセダーズのフォークソング。


ユエの流れ - 加藤和彦


フォーク・クルセダーズが歌った曲の中ではかなり好きな部類の曲に入ります。世界のフォークソングを巡るといったコンセプトに沿って、云うならば「イムジン川」路線の曲なんですけど、「イムジン川」が政治的配慮なんていうもののせいで発売中止になったためにかえって有名になってしまったのとは反対に、ほとんど注目されないままに埋もれてしまった曲といえるかもしれません。それにしてもフォーク・クルセダーズはこういう曲を見つけてくるかなり良いセンスを持っていたという印象です。
「ユエの流れ」も「イムジン川」同様に川にまつわる歌で、ユエはベトナム戦争のテト攻勢のときに戦場となった古都フエ(ベトナムは第二次世界大戦前はフランスの植民地だったので、フランス語読みでユエ)のことだとすると、この歌で歌われる川は市の中央を流れる香江(フオンジャン)のことだと思われます。
オリジナルはマリオ清藤という人が歌っていたそうで、このフォーク・クルセダーズのものはそのカバーになるんですけど、わたしはオリジナルのほうは聴いたことがないです。どうもこの曲の情報って調べてもあまり出てこなくて、以前に一度調べた時に作曲者として須摩洋朔という日本人の、第二次世界大戦のときに軍楽隊のメンバーで、のちにNHK交響楽団のトロンボーン奏者となった音楽家の名前が出てきたのが唯一の情報くらいでした。この情報で出てきた曲と加藤和彦が歌うこの曲が同名の異曲でないなら、ベトナムの民謡という装いではあるものの日本人が作った歌という可能性が高いことになります。

収録されてるレコードはフォーク・クルセダーズの解散時のコンサートの実況録音盤である1968年の「フォークルさよならコンサート」。「ユエの流れ」に関してはこのアルバムに入ってるだけでスタジオ録音のものはリリースされていません。
フォークルのライブのものとしてはもう一枚別にある「ハレンチリサイタル」のほうが「大統領様(ボリス・ヴィアンの曲「脱走兵」)」「雨の糸」「こきりこの唄」などお気に入りが一杯入っていて私は好きなんですけど、こちらにはこの曲のほかにもジャックスの「遠い海へ旅に出た私の恋人」など、全体的にはヒットした曲や解散後に端田宣彦が結成することになる「シューベルツ」の曲のお披露目とか、何処かで聴いたことがあるような曲が中心になってるなかで、独特の光芒を放ってるような曲もいくつか収録されています。
このコンサートを聴いていて面白いのは、北山修が合間のおしゃべりでもうすぐ大阪の万博が始まってどうのこうのというようなことを喋ってるところがあるんですね。大阪万博って今ではもうすべての記録が黄ばんで色あせてしまってるようなノスタルジーに満ちた出来事なのに、このコンサートをやってる世界はまだ大阪万博が存在さえしてなかった世界なんだって、なんだかちょっと異世界に連れ込まれたような感覚になったりします。

端田宣彦は数年前まではたまに四条烏丸辺りを歩いてるのを見ることがありました。


フォーク・クルセダーズ - 雨の糸~戦争は知らない(ハレンチリサイタル)

Youtubeじゃないけど、わたしの好きな「雨の糸」とレコードではそれに続いてる「戦争は知らない」もあったので載せておきます。上のリンクをクリックすると別窓が開きます。音量はちょっと小さめかも。

ちなみに「雨の糸」は森昌子に同名の曲がありますけど、全く違う曲です。


☆ ☆ ☆



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コメント

No title

おはようございます。
なんとか太郎というのは確かにそそられますね。
特に小栗虫太郎は「虫」が効いてます。
あの挿絵も好きです。

あ、小牧源太郎でした。図案的なシュールレアリズムというと、
目の無い自画像を描いた画家を思い出します。
彼は着物の図案屋さんで修業したということでしたから。

昔は絵が好きでも芸大に行く余裕がない家庭の子供は着物の
図案や染め物屋さんに勤めたのでしょうね。
小牧源太郎の経歴は知りませんが。

加藤和彦、懐かしかったです。ありがとうございました。

とのさんへ

おはようございます!

漢字5文字というのも収まりが良い感じがしますね。
小栗虫太郎の「虫」は確かに強烈な印象で、人物自体もそれだけで特異な人というイメージになるから、この名前は意図してたものが的確に表現できてる名前なんじゃないかと思います。小栗虫太郎とセットで語られる夢野久作だとか久生十蘭なんかも名前は凝っていてそれぞれ普通のものは書いてないだろうと思わせるところがあるから、印象に残る名前をつけるということも重要なんだと思います。

小牧源太郎の詳しい経歴は記事書いておいて云うのもなんですけど、わたしもパンフレットに書いてあったこと以上のことは分からないです。シュルレアリスム系の画家としてはわたしの好む作風とはちょっと違ったタイプの画家だったのがちょっと残念でした。目のない自画像って誰なんだろう?画家でそういう絵を描こうと云う人は逆にそういうことに対して恐怖心を持っていた人だったのかもしれないですね。

絵で商売が成り立つ人はもう本当にごく一部で運も多分に絡んでくるから、京都から出ないで活動して有名にはならなかったけど画家としての名前を残せた小牧源太郎はわたしはあまり惹かれるものはなかったですけど、かなりの成功者ということだったんでしょう。経歴を読んでいて60歳を越えた頃に始めて就職するって云う項目があったのは、ちょっと面白かったです。履歴にこんな項目があること自体、この人が就職したことは大事件だったんじゃないかなって。

加藤和彦はあんな最後になるとは到底思えなかったので、ニュースが流れた時は本当に吃驚しました。フォーク・クルセダーズの頃のこの人の音楽は結構好きでした。一般的には後の世界進出することにもなるロックバンドを組んだ時代のことのほうが有名で、フォークソングの頃の加藤和彦ってあまり語られることがないように思うのがちょっと残念です。

No title

小牧源太郎って名前は私は知りませんでした。
で、検索して作品を見て「あ、知ってた」(^^;
多分「日本のシュールレアリズム展」みたいなので観たのかも。
一般的なダリとかマグリットになっちゃうんですけど
一時期狂ったようにシュールレアリズムを追ってました(笑)

小牧源太郎は目で見たものじゃなく
小さい頃からの妄想を描いた事が多いとかが印象に残ったのですが
シュールレアリズムのほとんどがそういう妄想的な感じなので
今の今まで思い出せなかったんですよね(^^;

大丸ヴィラの写真、指が写りこんでしまったけど
すごく良い雰囲気です。
トリミングしちゃえば指なんて気にならないし
逆に味が出たりして(笑)

個人的にレンガの建物が物凄く好きなので
聖アグネス教会のもいいなぁ~~
ホラー映画っぽくないですよ。
トイカメラで撮ったのが更に良い味出してる気がします。
レトロな雰囲気で(笑)

マネキンにはビックリ!
これって、こっちでは見たことないです。
ちょっと「食い倒れ」の人形・・・っぽい???
関西特有のマネキンなのでしょうか?(^^;

ROUGEさんへ

こんにちは!

わたしも何処かで聞いたことがある名前って云う程度の認識だったんですけど。そういうタイトルの展覧会に出てたとすると、日本のシュルレアリスムの作家ではそれなりに名前が通ってる人だったのかなぁ。何点そういう作品を残したのか知らないけど、もうちょっと数多く展示して欲しかったと思います。
シュルレアリスムは前世紀最大の芸術運動だったし、運動としては終焉しても扱ってるテーマが普遍的なものだったから今でも通用するものがほとんどで、しかも結構馴染みやすいところもあるからわたしも大好きです。これ書いてからタンギーの画集が欲しくなって調べてみたら、もう古本でしか手に入らないうえに7万だとか高値がついていて手が出ませんでした。わたしが行くブックオフの画集コーナーでも見当たらず、タンギーが絵を描く切っ掛けになったキリコの画集が安値で出てたから、それを買ってきました。

小牧源太郎が妄想の画家であったというのは、わたしは的を射てると思います。一見しただけだと幾何学的、図形的な理知で制御してる部分が目立つんですけど、制御しようとした基盤は明らかに妄想に属する世界だったのが、絵を観ていても良く分かりました。というかその場ではそれが何かは分からなくてデザイン的な絵画にしては妙に泥臭い印象といった形で入って来たものだったんですけどね。この日はシュルレアリスムは2作品だけかと思って会場を回り終えたけど、視点を変えてもう一度見てみるとひょっとしたら結局は全部が造形的シュルレアリスムといったものとして受け取れるようになるかもしれないなんて思ったりします。

一応指入り写真はトリミングしてみました。でも指が入ってるのをだしたほうが話としては面白いかなと思って、あえて指入りのほうを載せてみました。
煉瓦の塀や建物の雰囲気もいいんですけど、塀に閉ざされて入れないというのも中を覗いてみたいという衝動を刺激して面白い要素になってると思いますよ。教会のほうも中に入ってみたいです。あの丸窓から差し込んでくる光を内側から撮ると面白そう。
まともなカメラばかり使ってるとたまにトイカメラの制御出来なさが面白くなるところがあります。失敗も多いんですけどね。

このマネキン、閉じた目と眉はシールが貼ってあるだけだったようでした。目以外にもヘアスタイルもなんだか妙な感じです。
視線を捉えた上にファッション的な印象も崩さないところはなかなかユニークなマネキンだったと思います。
これはこのブティックだけのマネキンだと思うけど、目を閉じたマネキンはデザインが違う形で他のところでも見ることがありますよ。関東のほうでは目を閉じたマネキンってほとんどないのかなぁ。くいだおれといい関西は独自の人形文化でもあるのかもしれませんね。変なマネキンシリーズってテーマで写真とって行っても面白いかな。

こんばんは

私もアートに社会的な意義とかくっつけてる作品よりも作品そのものがアートとして成立してる作品の方が好きです。
高校のときの美術の先生が、これからの時代は自分の作品を説明できなくてはならないと言っていましたが、私としては説明がなくても見たままでアートとして成立してる作品が本物のアートだと思っています。
シュルレアリスムの画家はダリしか知りませんが、異世界の中に没入させてくれる作品は比較的好きです。

ところでですが、相互リンクしていただけないでしょうか?
勲章を増やしたいです^^

kurt2さんへ

こんばんは!

同じ意見で凄く嬉しいです。わたしは社会派の芸術とか本当にピンと来ない人間で、社会に何か役立つことをするための手段として芸術を使ってるようなのを見ると、そういうのもあってもかまわないし否定はしないですけど、大抵はぐらかされてるような居心地の悪い思いをしてます。綺麗な曲線、研ぎ澄まされた直線、たとえばこんなものだけで成立してる絵画があっても全くかまわないし、どちらかというとこういうものだけで成立した作品のほうが好みにあったりします。
言葉で説明というのも同じような考えで、わたしがその先生に対峙したら、言葉で説明できるくらいならわざわざ作品なんか作らずに言葉で説明してるって反論してるかも。言葉にならない何かがあるから絵具を使ったり楽器で音を出したりする衝動が生まれるんだと思います。

タンギーの絵も良かったでしょ。小牧源太郎はもうちょっと作品の数を増やして鑑賞したら、印象は異なってたかもしれません。見てる時よりもあとで色々と考えてるほうが面白くなってきた作家でした。

相互リンクのお誘いありがとうございました。
さっそくリンクに追加しておきますね。
わたしのところが勲章になるかどうか、なんかこれからのブログ運営にプレッシャーがかかりそうですけど、これからもよろしくお願いします。

おはようございます(^^)

小牧源太郎、私は、はじめて聞いた名前です。
たしかに、○太郎は、インパクトありますよね。
娘の同級生にも、○太郎くんは、意外と多いんですよね。
親のこだわりを感じます。

横溝正史や江戸川乱歩は、私の母が好きだったので、
家に何冊か本があったんですよね。
独特なタッチの絵だった事は、記憶に残っていますよ。

聖アグネス教会、本当にホラー映画に出てくるような
うつりになっていますね。怪しげで、なんとなく
魂を持っていかれそうな雰囲気です^^

モノクロの写真も、凄くいいですね!
特に、中之島界隈という縦型の写真が、コントラストが
はっきりしていて、かっこ良いですね(^^)

りい子☆さんへ

こんにちは!

この画家はわたしもほとんど知りませんでした。京都で活動していた画家ということなので、もっと知っていてもおかしくなかったのに。作風はあまりわたしの好みでもなかったから、それまでに目にしていても記憶に残らなかったのかも知れません。
なぜか○太郎という名前でわたしに馴染みのある作家に結構風変わりな作品を残してる人が多いんですよね。漢字5文字というのも、収まりがいい感じでバランスが取れてます。男の子の名前にしてみると堂々としていいですよ。おまけにユニークな発想の大人になってくれるならこの名前は結構いいかもしれないです。

結局横溝正史は発表当時の挿絵も入ってた創元版を、同じく乱歩のほうも雑誌連載時の挿絵も収録した、同じく創元版を買い足してます。横溝正史は今でも覚えてるけど中学生の頃に京都駅のデパートの小さな本屋で買った「八つ墓村」を、とにかくページが減っていくのが勿体無いと思うくらいはまって読んだのが読み出す切っ掛けでした。乱歩に正史、まだ家にありますか?読み返してみると面白いですよ。

聖アグネス教会、曇り空がなかなか不気味な雰囲気を追加してるでしょ。画面の隅に下から教会を見上げてるような人でも入っていたらさらに雰囲気良くなったかもと思ってます。建物は下から見上げる視線がほとんどになりがちなので、意外と撮るのが難しいなぁとおもって撮ってました。
トイカメラから始まったわたしの写真なんですけど、ごく普通のニコンだとかオリンパスだとかのカメラを使ってると、知らない間に普通に写る写真思考になってたりして、たまにこういうのを使って初心を思い出すのもいいなぁと思いました。

中之島のビルは京都ではあまり目にしない高い建物で、外装がこのビルだけ際立ってるように見えたので撮ってみました。人の気配がほとんどない写真になってるのが、またちょっとクールな感じでしょ。縦長のものを縦長の画面で撮るって、どうも上手くこなせないところがあって、この写真も出そうかどうかちょっと迷ったんですけど、褒めてもらえたならブログに載せて大正解でした。わたしは貶されてパワーを発揮するタイプじゃなくて、明らかに褒められて調子に乗るタイプだから、しばらくは大阪に入り浸って縦長ビルばかり撮ってるかもしれないです。

No title

私も小牧源太郎画伯については(@ω@)ハテナ?でした
特に最初、ポスター上部の絵を見て『踊る人形』?
って思ったほどです
だけれども、何かで『伊呂波仁保辺止』は鑑賞したことを
思い出しました。

中信美術館はこじんまりとしていますが、
天井などの草木のモチーフ素敵ですね

聖アグネス教会はゴシック様式の厳かな教会ですね
こういう雰囲気のある教会は本当に珍しくなってきていますので
いつまでも残っていて欲しいものですね

大阪もあまり縁の無い土地柄なのですが、
近代的な建物と歴史を感じさせる建物が
混在している街なんですね

こういうお写真を観賞させていただくと
カメラを持って街へ行きたくなっちゃいますね

ロキ様へ

こんばんは!

小牧源太郎の絵を観た事がありましたか。画家のほうはほとんど京都から出なかったらしいですけど、作品のほうは画家よりも外交的に外の世界を渡り歩いて来てるようですね。
わたしは本当に名前が頭に浮かんだだけでここで見るまで一つも知ってる絵はなかったです。ご覧になった絵は代表作の一つなのか美術館に入った玄関ロビー兼用の展示コーナーに一番最初に目にはいるような形で展示されてました。結構大きな作品でしたよ。
踊る人形もよほど好きだったと見えて最後の部屋に飾ってあった作品の多くに登場してました。この人形はでも形としてはわたしはあまり凄いとは思わなかったんですけど、小牧源太郎はかなり気に入ってたようです。
理知と妄想の混じり具合が独特で、そういうところが初めて見るとなんだかぎくしゃくした印象にみえてあまりのめりこまずに会場を出てきたんですけど、もう一度観にいったらひょっとしたらちょっと違う印象で見られるかもしれないです。

美術館は本当に面白い空間でした。展示室もこじんまりしていて、ちょっとアットホームな印象もあり、おそらく満員になるような展示もないだろうから、結構寛げて楽しめる空間だったと思います。京都の人でもまだ知ってる人はそれほど多くないんじゃないかと思うので、場所としては穴場なのかもしれないです。

最近聖アグネス教会の角を通ることが多いんですけど、そのたびに写真撮りたくなってます。でも通りからでは本当に視点が限定されて、なかなか思うような写真にならないんですよね。かっこよく映せるアングルとか見つけるまで何度もこの教会の写真を撮ってしまいそう。御所に対面してる教会で、御所と煉瓦の建物って同志社もそうなんですけど、意外とマッチしてます。御所に来たついでにあの辺りの街中を歩いてみるのは面白いかもしれないですよ。

大阪はここは中之島という地名で分かるように、川縁の公園になってるところです。近くには今話題の人がいる市役所もあるし、散策する場所としてはこのビルのあるような場所に寄り添うように、古風な建物が建ってる広々とした空間が用意されていて、大阪らしくない静かで風情があるところだったりします。京都から散歩に行くにはちょっと遠すぎるんですけど、大阪に行ったときは立ち寄って散策したりしてます。京都でも疎水沿いの写真撮ってたりするから分かるかもしれないけど、わたしは川沿いの道って結構好きです。

街歩きする時に小さなカメラを持ってると、ちょっとした写真が撮れて楽しいですよ。京都はカメラぶら下げて歩いてる人が割りと多いからカメラ持って歩いていてもあまり目立たないのはちょっと有難いかな。

No title

こんにちは

源太郎と言えば思い出したのが、高橋元太郎。
水戸黄門のうっかり八兵衛ですが・・・
こっれてシュルレアリスムって感じになりますかね?^^;

聖アグネス教会の写真はヨーロッパの片田舎で撮ってきたと言っても誰も疑わないでしょうね。
ホラーっぽいの良いです^^
あと、ガラス越しの光と影、その向こうに見える景色といった写真が良かったかな。面白い効果を生むもんですね。

フォーク・クルセダーズは、強烈に憶えてるのは、やはり「帰って来たヨッパライ」ですね~。
「イムジン河」もいろいろなことがあったということで有名なので、もちろん聴いたことはありますが、この曲も本人達にしてみれば、「イムジン河」と同じような位置付けになるんでしょうね。アジアの民族音楽、フォークソングというのであれば、まさに、アジアのフォークって感じです。フォークっていうとメッセージ性云々なんてことに後にはなっていきますが、素朴な恋歌、ほんとフォークソングらしいと思います。
加藤和彦は茫洋とした、泰然自若な人だと思ってましが、まさかっていう意外な最後でした。人って分からないもんだと思います。

ジオヤーさんへ

こんにちは!

また意表をつくものを思い出しましたね。漢字五文字で○太郎という人は妖しい挿絵を書く人から一役だけで目立つ俳優までいろいろと多彩にそろってるという感じなのかな。高橋元太郎といえば、この人は元ジャニーズですよね。アイドルがうっかり八兵衛に変身してしまうのもシュールといえばシュールかも。名前五文字じゃないから仲間入りできないけど、岸部シローがもとタイガースだったというのも、知らない人にとってはシュールな真実かもしれないです。

トイカメラはなかなか思うように写せないところがあって、カメラがこういう風に撮りたいと云ってるのを補佐してるような撮り方になることが多いです。この時もカメラのほうがホラー風に撮りたいと思ってたのかもしれません。ちょっと見上げる視点のものばかりが目立った選択になってるのがわたしとしては今回ちょっと気になったところなんですけど、聖アグネス教会は見上げる視線もホラーっぽい雰囲気を付け加えるのに役立ってる感じに見えます。
カラーの写真が色合いも淡くて良かったでしょ。窓ガラスの向こう側にぼんやりとして浮かび上がってるというような光景が好きだから、こんな視点の写真をよく撮ってます。窓の内側と外で光の量にかなりの差があると、カメラのほうは悲鳴を上げたくなってるんでしょうけど、露出がオーバーになったりアンダーになったり、実際に見た感じとはまた変って写ることがあって面白いです。
あとガラスに正面から向かうと自分が写るのが邪魔で、真正面から撮りたいと思っても未だに撮ったことがないです。

フォーク・クルセダーズが活躍していた頃は同時にメッセージ性の強い反戦フォークも存在していて、両方とも結構受け入れられていたみたいですね。岡林信康とか高石友也とか、でも政治的なフォークソングは結局下火になって後をついで行くのは吉田拓郎とかコマーシャルベースに良く馴染むような歌手が主になって行ったように理解してます。高石友也は去年新京極のお寺の前でミニライブしてる現場に出くわしました。まだやってるんだとかなり吃驚しましたよ。
フォーク・クルセダーズはイムジン川でちょっと政治的な捉え方をされたけど、メッセージとエンタテインメントのバランスのとり方は割と上手かったんじゃないかなという印象です。この歌もそうなんですけど「こきりこの歌」とか本来的な意味でのフォークソングを自分たちの感覚に乗せて歌ってるところがあって、「ヨッパライ」で注目を浴びたけど元のところは仰るように凄いオーソドックスなところも併せ持ってるフォークバンドだったんだと思います。
それと、何よりもユーモアがあったのがわたしの好きなところだったし、京都のバンドだったのもわたしとしてはひいきのポイントになったりしてます。

わたしも加藤和彦の最後は全くの予想外の出来事でした。わたしもユーモラスで飄々とした人物の印象だったので、あんなことを選択してしまうほど、深刻な悩みを抱えてしまう人物だとは思わなかったんですよね。原因は才能の枯渇とか、そういう類のことだったのかなぁ。自分の感性だけを拠り所に立とうとする人はみんな孤独だとは思うんですけど、もっと他に取る方法はなかったんだろうかと思います。

No title

聖アグネス教会!
この写真を見ているとき、別府の耳には、むかし観たホラー映画のテーマ曲がハッキリと聴こえました。
雰囲気出しすぎですよぉ。

結局、勘違いでしたけど、竹中英太郎画伯。
さっそく画像検索してみて「あ、この人かぁ」って独りごちていました。
江戸川乱歩とか横溝正史とかのオドロオドロシイお話好きです。
子供の頃、人けのない図書館で、古ぼけた本のページをこっそりと覗き込んでドキドキしていたことを思い出しました…

別府葉子さんへ

こんにちは!

本当は平安女学院の敬虔な場所なんですけど、ものの見事にホラー風味になってるでしょ。もっとも女子校っていうのもホラーの舞台っぽいといえばそれ風なところがあるので、ある意味舞台装置は揃ってるのかもしれないけど。植えてある木は葉を落として枯れ木のようになってるものばかりの上に、とにかくどんよりとした天気が続いていて、おまけに撮ったのがシャッター押すだけのトイカメラだったから、全体に暗くなってこんな感じに仕上がりました。でもホラー映画大好きなので結構満足してたりします。また晴れた日にでも撮って雰囲気の違う写真を載せてみたいと思ってるんですけど、依然晴れてる日が極端に少ない酷い天気が続いてるから、初夏ぐらいまで待たないと駄目かもしれないです。

竹中英太郎の挿絵ご覧になりましたか。なかなか不気味で隠微な絵で物語に良くあってたでしょ。よく合うというかこの人の挿絵で乱歩なり正史の小説のイメージが補強されたようなところがわたしにはあって、凄い好きでした。わたしは乱歩も正史も中学生になって以降の体験だったんですけど、こんな面白い世界のお話があるなんて予想もつかなくて、知ってからは夢中になって読んだ記憶があります。乱歩は最初に読んだのは単行本になってる全集だったんですけど、豪華な箱入りになってたその本の手触りとか今でも覚えてます。正史は最初は新書の大きさで出てた「八つ墓村」でとにかくあとどのくらいページが残ってるのか残りページが少なくなっていくのを惜しみながら読むほど熱中したのが最初で、そのあと全集で出てたのをいくつか読んでました。
小学校の時に人気のない図書館の古ぼけた本でこの世界を体験できたのは凄いラッキーだったと思いますよ。おそらくそういう読み方が一番あってると思うし、わたしなんか今からそういう出会いを作ろうと思ってももう絶対に出来ないんだから。

No title

こんにちは~。
コメントさせていただこうと思いながら、ずるずる・・
遅くなってしまいました。
小牧源太郎さんは、残念ながら知らなかったです。
日本国内では、受け入れられにくかったのかな?
でも、それは、きっと、私好みのように感じまして・・・
スペインの画家、ダリは、たしかピカソとも交流が合った人でしたよね。
私も、興味がありました。
たしか、ダリの描いたタロットカードがあることを思い出していました。
リーディングにすることに現在はいたっておりますが・・
根源は、何か感じる絵柄から導かれたと思っているのです。

それから・・マネキン。
鉄腕アトム思い出しました~。
レトロなアニメ風で、インパクトありますね!
この目を閉じたマネキンに合う服装ってどんなのかな~?と、
楽しく想像してしまいました。

SATOMI(herb soap)さんへ

こんばんは!

小牧源太郎さん、わたしも名前だけが頭の片隅に残ってただけだったので、わたしにとっても有名画家じゃなかったです。
受け入れられないというよりも、京都での活動に終始していたために、広く知られなかったというのが本当のところなんじゃないでしょうか。
ちょっと引っ込み思案の人だったりして。観にいった時はわたしが予想していたのと違う画風だったので、あまり強い関心は覚えなかったんですけど、あとになってから面白いところがある画家だったかなと思いなおしたりしてました。

ダリ、ちょっと通俗的なところがありますけど、異世界を見せるという点では飛びぬけて上手かった画家ですよね。その異様さが見たどんな人にも適切に通じる画風というか、ああいう世界を描いて一般的に広がり知られていった普遍性も併せ持っていたのは凄いと思います。
ダリのタロットカードってあるんですか。ちょっと見てみたいです。その絵柄も持つ意味を的確に描き出せて、それをあの異世界で表現してるなら絶対に面白いと思います。

マネキンのアトムはやっぱりあの頭の感じですよね。鬘を載せるんじゃなくて色塗ってたせいで、てかてかのヘルメット状でした。閉じた目のシールだけじゃなくてヘアスタイルも大胆な人形でしたよ。
わたしはマネキンがどんな服を着てたのか今になって思い出そうとしても全然思い出せないです。それほど人形の印象が強烈だったんですけど、こういうのって店にとってはあまり良くないことなのかなぁ。店の印象は記憶に残るんですけど、どんな服をアピールしてるのかほとんど印象に残らなかったです。
今飾ってるのも目を閉じた形をさらに過激にしたマネキンのようで、どうもこのブティックはそういう路線でイメージ作りをしていくような感じでした。
変ったマネキンシリーズって云うテーマで写真とってみましょうか。
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