【写真集】最近の散財の記録、サラ・ムーン写真集「12345」 +【写真】荒涼たるものたち +【音楽】入り浸った場所

店によって大体一万五千円くらいから二万円近くするものだから、高価で買いそびれていたサラ・ムーンの写真集「12345」(こういうタイトルです)を、思い切って買ってみました。ということで新刊でもないけど購入記念に記事にしてみました。まだぱらぱらと中身を眺めただけなのでレビューっていうほど大層なものでもないけど、良かったら付き合ってみてください。

やっぱりこんな値段だといくら興味があってもなかなか手が出せずにいたんですけど、待っていても小説のように文庫になるわけでもないし、ただ時間が経つにつれ綺麗な状態にあるものを入手する機会が減っていくだけだろうと思って確保することに決めました。もっとも写真集というようなものは、写真の印象が大きさで随分と変る、たとえば自分の撮った写真でもPS3に取り込んで大きなテレビモニターでスライドショーなんかしてみると、どこの上手い人が撮った写真なのかと大いに勘違いできるほど見栄えが良くなるので、文庫で小さくなってしまった写真を観るよりは、当然のごとく大きな元の写真集で観た方が良いのは歴然としている以上、文庫になるのが分かっていたら文庫化を待っていたかというと、例え文庫になったとしてもそういう簡易版は小説のようにはあまり手を出す気にはならなかっただろうと思います。

写真集は全部で5冊。その五冊の大部の写真集がまとめて大きな化粧箱に入った形になってます。持ってみるとかなり重いです。タイトルの「12345」って謎めいてるようにみえるけど、単純に5冊が一緒になってるという意味だったんでしょう。

12345-1
Nikon Coolpix P5100
こういう巨大な写真集です。シュリンクフィルムというのか、透明の薄いフィルムがかけられてるようなものがDVDなんかでもありますけど、シュリンクフィルムを全部引きちぎらなくても中身が出せるようなものだと、わたしはこういう風に取り出し口だけ開いて他は残しておく開き方をします。はっきり云って見た目はあまり良くないです。でもこうしておくと別にカバーになるようなものを調達するよりも安上がりだし、ちょっとでも汚れるのを防げるんですよね。

12345-2
Nikon Coolpix P5100


その5冊のうち3冊が今までに撮られたモノクロ写真をコレクション、残りのうちの一冊がこの写真集が出来た2009年を基準とするサラ・ムーンの最新作のカラー写真を集めたもので、最後の一冊がサラ・ムーンが監督した映画「mississipi One」のDVDとその映画のシーンの写真集という構成になってました。
意外と値打ちがあるのが、実はこの大部の写真集に2万近くのお金を支払う動機になったかなりの大きな部分となったのもなんですけど、この映画のDVDが手に入るということでした。映画はサラ・ムーンの写真が全編に渡って動いてるといった感じのもので、VHSにはなったものの、DVDの形ではリリースされてません。おそらく映画DVDのような形でDVDショップに並ぶことはこれからももうほとんど可能性としてはないといってもいいと思うし、ブルーレイ版は映像派の映画だから多少の可能性はあるかもしれないけど、観たいと思ってる人の数を想像するとこの映画のブルーレイでのリリースはとてもじゃないけど採算が合わないと思います。
つまりサラ・ムーンの映画「mississipi One」を観ようとするなら、今のところもおそらくこれからも、VHSを探すかこの写真集についてるものを観るかのどちらかしか可能性はないっていうことです。

今のところこの映画を観るための唯一の手段となってる写真集「12345」。
でも家に届いたものを早速調べてみると、リージョンの違いくらいは懸念事項として入っていたものの、ビデオの形式までは失念していて、この「mississipi One」のDVD、写真集がイギリスで発売されたものだから当然といえば当然なんですけど、実は日本やアメリカで採用しているNTSC方式じゃなくてPAL方式のDVDでした。今わたしの部屋でテレビに繋いでるこういうものを再生する機械はPS3なんですけど、PS3に入れてみるとPALのDVDなので再生できないとつれない返事が返ってきます。
イギリスはリージョン・コードは日本と同じだし、PCのDVD再生ではこのNTSC/PAL方式の違いは再生には関係なくなるのでPCでみればいいということになるものの、わたしのPCは10年位前の機種で以前異音がするといってたのもそのままに、まだ綱渡りのように使ってるものだから、搭載してるドライブはDVDじゃなくCD-ROMドライブだったりします。DVDドライブは以前外付けで繋いで使っていたのがあったけど、こちらは壊れてしまって、壊れてからはそれっきり。つまり今のわたしのPCではDVDは観られない状態になってるわけです。
ということで期待して手に入れた映画「mississipi One」は新しいPCを買った時くらいまでは視聴するのはお預けという形になってしまいました。まぁ壊れかけてる今のPCなので買い替えはそんなに先の話じゃないとは思うものの、それまで観られないとなるとちょっと欲求不満が高まるかも。

写真集はかなり大きな判で総量4,4キロもある重厚なものなんですが、本そのものの作りはハードカバーでも無くペーパバック程度のもので箱に入って豪華だったもののあまり上質な作りとはいえません。中身は一巻をちょっと見てみた程度では意外とテクストにもページを割いてるという印象。写真だけを無言で並べた写真集とはちょっと印象が異なります。というか、単独で独立したテーマでも持ってる写真集じゃなくて、レコードでいえばベスト盤のような本になってます。わたしはサラ・ムーンの写真集というと「VRAIS SEMBLANTS-幻花」というのと赤ずきんのものしか持ってなかったから、ベスト盤的なものでも知らないものが一杯入ってたのでその点は特に問題なしでした。テクスト部分が多いのはおそらくこういうサラ・ムーンの作家活動を集大成するような視点で組まれてる結果だと思うし、そのテクストにはサラ・ムーンへのインタビュー、サラ・ムーン自身の解題も入ってるようなのでそういうところは面白い構成になってるようでした。今のサラ・ムーンの写真といったときに思い浮かべるようなビザールで幻想的なものになる前の、オブジェがはっきりと写ってるような普通の写真風の最初期のものも収録されていて、最初からあの作風でもなかったと分かるのはちょっと興味深いところでした。
まだ一巻目をぱらぱらとめくった程度でテクストも読みもしてない段階での印象はこんなところかな。それぞれの本の作りや写真のプリントは値段のわりにはあまり豪華でもないけど、写真集としては手ごたえのある感じのものになってました。

これは本とは関係ないんですけど、装苑だったかサラ・ムーンの昔の雑誌のインタビューの記事を紹介してたブログを見つけてそれを読んでみると、サラ・ムーンが使用していたカメラって今はどうか知らないけど、そのインタビュー当時はニコンだったらしいです。映画「欲望」でデヴィッド・へミングスが持ってたカメラと同じ、ニコンのFとF2。廉価版ニコンのニコマートも持ってたけどこれはあまり使わなかったそうです。
サラ・ムーンがニコン派だったと知ってちょっと吃驚。サラ・ムーンの写真を特徴付けてる諸要素はフィルムの現像の段階、印画紙に焼き付ける段階でかなり特殊なことをやって作り上げてると思っていたし、そういう特殊な作業を行うための下地としての素材作りにもそれに相応しいような、もっと特殊なカメラを使ってると思ってました。それがサラ・ムーンはそんな特殊なカメラじゃなくてニコンを使ってると知って、わたしもニコン使いなので、ひょっとしたらわたしもああいう写真が撮れるのかなと、ちょっと希望的な気分になったりしました。
でも同じインタビューの中で、使用してるカメラがなにであるか答えた後で、サラ・ムーンは「カメラの種類って写真とはあまり関係ないと思うけど」、なんていうことも云っていてるんですね。こういうことを云い切れるのはやっぱり写真に絶対の自信があるからなんだろうなぁと、ちょっとうらやましかったりします。こういうかっこいいことをわたしも云ってみたい。

☆ ☆ ☆

サラ・ムーンの写真は写真の絵画的なアプローチの一つの形だと思ってます。サラ・ムーンの写真の特徴的なものを物凄く大雑把に拾い上げてみると、ボケや二重三重になったブレ、そして古びて傷んだようなテクスチャといったところがまず目にはいってくると思います。
ピントに関しては全部とはいわないもののピントを合わせることにほとんど頓着してないような撮り方のものが多いようです。今の写真でボケを使うというと背景をぼかしてメインの被写体を立体的に浮かび上がらせるという効果を狙ってるものがほとんどだと思うんですが、サラ・ムーンのピンボケはこういう意図とは全く反対で、画面のすべてのオブジェにピントを合わさないことで、あるいは二重にぶれた画像にすることで、オブジェの輪郭をあいまいにし、まるで近くのものも遠くにあるものも一緒に溶け合っていくようなイメージを作っていくように見えます。すべてのものが前後の関係を失って同一平面上でお互いの輪郭を浸潤していくような感じ。同じようなボケという効果を使ってサラ・ムーンの写真は立体感を喪失させていくという、今使われてるのとは真逆の意図を実現させていってるようです。
また、まるで現像に失敗したかのような、あるいはしみが広がってまだらになったようなイメージとか、傷が入った画面とか、本来的なオブジェの質感を消してそれに置き換えるようにこういうテクスチャで写真を覆うことも、写真が本来無条件で持っているリアリズムの生々しさや記録性を喪失させ、写真を通して向こうにあるリアリズムの世界に足を踏み入れさせないといったような、よりj絵画的に見せようとする意図があるんだと思います。
しみとか色むらとか傷とか、こういうテクスチャは写真に古びた印象を付け加えて、まるでサラ・ムーンの写真をビクトリア朝の写真のようにしてしまってるのも興味深いところだったりします。それは降り積もる時間を擬似的に写真に取り込んで、これこそが写真の真実だとでも云ってるような感じでもあります。

これは印画紙に焼き付けられたイメージの話なんですが、フィルムそのものに話を拡げても同じことが云えるかもしれないです。
一般的にデジタルとフィルムを比較した時、フィルムの保持性能といったことがフィルムの優位性として上げられることがありますけど、わたしは逆にフィルムはその上に時間が降り積もって変化していくからこそ値打ちがあるんじゃないかと思ったりします。デジタルデータは読み取れる限りはいつまで経っても時間による変化は起きずに、何十年経とうと撮ったその時の映像が見られたりするけど、フィルムは時間経過で色あせてきたりといった変化を取り込んで変貌していく可能性を持ってます。そしてこれは必ずしもフィルムの弱点でもないような気がするんですね。

前の記事で話題にだしたダダイスト、マルセル・デュシャンの作品に「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という奇妙なタイトルがついた、通称「大ガラス」という作品があります。高さ2.7メートルの立てた大きなガラスに独身者の機械といった奇怪なイメージ群を定着させた作品。そのイメージはガラスの上に描かれてるのとはちょっと違って、二枚の大きなガラス板の間に油彩や鉛の箔で形作ったイメージを挟み込んだような形になってます。この作品そのものは結局未完のまま放置という道筋を辿るんですが、ある時この「大ガラス」を運搬中に不手際があってかなり大きなひび割れが幾筋も作品全体に入ってしまうことになります。その時その出来事に対してデュシャンは偶然が作品に加えた一要素として、そのひび割れを「大ガラス」の完成へと繋がるひとつの構成部分として受け入れてしまいます。壊れたと判断してひび割れを修復するんじゃなくて、時間が与えた影響も作品の一部分として取り込んでしまったわけです。今遺作とともにフィラデルフィア美術館に展示されてますが、今ももちろんガラスはひび割れたままになってます。
ちなみにこの作品はマン・レイが「埃の培養」というタイトルで写真を撮って作品として残してます。

The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Large Glass)
フィラデルフィア美術館の「大ガラス」のページ。作品の写真があります。


こういう考え方をフィルムにも敷衍すると、経年でいろいろと最初にはなかった要素がフィルムに付加されていくことは、写真が決して写した時間で凍り付いてしまったものではなく、死んだ時間を定着させたものから、時間をも取り込んで生きてる状態に移行していくものと考えることが出来るようになります。なんだかこんな風に考えたほうが面白そうです。時間において開かれてるというのはフィルムの持つ、ひょっとしたら魅力であり特権でもあるのかもしれません。

サラ・ムーンに話を戻すと、サラ・ムーンの写真はこういう時間の降り積もった絵画のような表現に、モノクロだから際立ってる光と闇の表現を従えて、サラ・ムーン独自のモチーフを載せてるという形の写真になるわけです。モチーフは古びたような加工を施してるから何処かノスタルジックなイメージになってるものがほとんどなんですけど、古い写真といっても懐かしいイメージとか甘美な感情が付随してるようなものでもなく、叙情に流れるよりはどちらかというと夢魔に近いようなもの、たとえば「アリス」の物語が持ってるちょっと生臭い毒気があるような領域につま先を浸してるようなところがあって、単純に郷愁的なものに収斂していかないところが特徴であったり魅力であったりするように思われます。


サラ・ムーンの写真をスライドショーにしたものがあったので。7分ちょっとで少し長いです。




☆ ☆ ☆  ☆ ☆ ☆




去年の10月頃に嵐山に持って行ったきりだった、ハッセルブラッドを久しぶりに連れて宇治川流域に写真を撮りに行きました。ハッセルブラッドは持って出るのにちょっと気合が必要なところがあって、10月以降気分的な切っ掛けがつかめずになかなか持ち出せませんでした。ハッセルブラッドは持ち出したとしてもシャッター切るのに、ここで本当に良いのか?本当にこの光景を写真を撮りたいと思ってるのか?これが撮るに値するものなのか?とやたらと自問自答してしまい、なかなかシャッターが切れないという状態になり勝ちなカメラ。少なくともわたしにとってはそういう側面のあるカメラで、ブローニーフィルム一本で12枚しか撮れないんですけど、躊躇いながら撮ってるものだから、今回この12枚を撮りきるのに2日ほどかかってます。持ち出した最初の日はシャッター切れたのがたったの二枚。サブとして持って出てた同じくモノクロを詰めたLC-Aは結構撮ってたのに、ハッセルはたったの二枚で、日を変えて宇治川流域を再訪した時に、とにかく構えたらシャッターを押すという決まりごとを自分に課して残り10枚を撮りきるということをしてました。
凄い好きなカメラなんだけど、物理的な重さもあったりして、のめりこんで使ってると何かと疲れ果てるカメラでもあります。だからそれが分かってるから持ち出す時から勢いがないとなかなか持ち出せずになってしまうんですけど、出来上がった写真を見るとあくまでも自分の腕の範囲内ということではあるものの、レベルが異なってるような仕上がりの写真を目にする確率が多くて、そういうのを見てしまうと、疲れ果てたのもちょっと脇に置いておいてまたこれで撮ろうって思わせるカメラでもあったりします。知らない間に気合入れたような状態でファインダーを覗き込んだりしてるものだから使い終わったときは疲れてるんだけど、疲れるからもう使うのは嫌という風にはなかなかならない不思議な魅力のあるカメラです。

今使用中のハッセルブラッドの状態
Nikon Coolpix P5100
今使ってるハッセルブラッドの形はこんな感じ。一昨年に父から譲り受けた時の形はその時に写真を載せてると思いますけど、プリズム・ファインダーにA16フィルムマガジンという組み合わせで、わたしが使いたかった形とは異なってました。ウエストレベル・ファインダーなら確かに持ってたという父の言葉で、その後家捜ししてなんとかウエストレベル・ファインダーをみつけ、6×6の真四角写真が撮れるA12フィルムマガジンを中古ショップで見つけて購入し、これでわたしが使いたかった形となりました。
写真の四角い煙突状に上に突き出た部分がファインダーでここから覗き込んで構図を決めたりします。ただし構造上ファインダーの画像は左右が反転していて、これは最初ちょっと戸惑ったりします。すぐに馴れますけどね。
ちなみにファインダーに浮かび上がる像は驚愕するほど立体的で綺麗です。これ、始めてみた時は感動ものでした。


そんな辟易してるのか陶酔してるのか良く分からないハッセルブラッドを、首から下げると重さで筋でも違えそうなので肩からたすきがけにして、宇治川の川縁へと写真を撮りに行ってきたわけです。
植田正治の砂漠の写真を見ていたりして、植田正治が砂漠を舞台にしてシュールな写真を撮ってたのは砂漠だと余計なものが画面に入らないからと言う理由もあったと知り、私は街中で撮ってるのがほとんどだから、撮るものの大半が色々といらないものも一杯写った雑然とした写真になっていて、一度そういう広々としたところで写真を撮ってみたいなぁと思ってました。
京都でそういう広々としたところはないものかと、高さ制限で高層ビルの類はない都市だけど、それでは垂直方向じゃなくて水平方向に制限のない場所ってあるだろうかと考え、それで思いついたのが京都の南のほうにある小椋池の干拓地でした。昔ここには巨大な池があって、その池全域が干拓された後、今は広大な農地になってる場所です。そう思って行ってみると確かに広大で見渡す限り何もない空間は街中でやたらと視線が跳ね返されるような閉鎖的な空間を見慣れてる目には開放感で圧倒されるような新鮮な感覚を覚えました。
最初に小椋池に様子見に行った時はハッセルブラッドとは別のカメラとモノクロを詰めたLC-Aと言う組み合わせで訪れて、でも写真に撮ってみると、あまりにも何もなさ過ぎというか、何もないくせに農地であることだけははっきり分かるようなロケーションでちょっと撮り難いという感じの場所でした。その日は干拓池で主にLC-Aを使って写真を撮って帰宅。もうちょっと何か写すきっかけのものでもないかと思って、次に行った時は干拓池の北端を流れてる宇治川の川縁を歩いてみることにしました。

広大な場所で写真を撮ってみたいと思いついた時、思惑にあったのはとにかく広大な場所で、見渡す限り荒れた草原のようになってる場所、しかもそのだだっ広い空間のそこかしこに奇妙なオブジェでも転がっていそうな場所、妖しげな研究所の廃墟でも朽ち果てるように建っていたら雰囲気最高とでもいえそうな荒涼としたイメージの場所でした。

でも小椋干拓池に隣接してる宇治川河川敷をさ迷い歩いてみても、複数の多目的なグラウンドが無造作に何枚も並べてあるだけ、その周囲をわずかな木が囲んでるだけの、ただの広い空き地と紙一重の宇治川公園と、公園を越えて歩いていっても、その向こう側に広がっていく鉄塔が立ち並ぶ葦原と云ったものにしか出会わ無いという場所で、視界を遮らない光景は広がるものの、被写体の少なさはまだ農機具なんかが放置されてた干拓池のほうがましだったといった感じでした。

そういう状態の中で撮ってきた写真はこんな感じのものになりました。

荒涼たるもの1
HASSELBLAD 500C/M Carl Zeiss Planar 80mm f2.8 T* : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

宇治川公園のグラウンドに降りていく道の側にあった木。瘤のようになったところで枝が途切れてるという枯れ木はよくみるけど、この木のその先に伸びてる枝がなんだか指というか爪というか、そういうものに見えてちょっと興味を引きました。
暖かくなってから一度また訪問してみると、枝の先に葉っぱが出てたので、枯れ木でもなかったようでした。

荒涼たるもの2
HASSELBLAD 500C/M Carl Zeiss Planar 80mm f2.8 T* : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

グラウンドの脇に生えてた木です。宇治川公園は本当に目を引くものがあまりないなぁと思いながら、枝ぶりが大仰で寒々とした木を撮っておこうと思ってシャッターを切りました。宇治川公園に写真撮りに行ってた時はやたらと木ばかり撮ってました。それが一番目だってたからなんでしょうけど、こうやって写真を整理してると、誰も使ってないグラウンドのくたびれたフェンスのようなものも撮っておいたほうが良かったかなと思います。後になってこういうことを考えるのはわたしは多いほうかもしれません。GW中も奈良に行って写真を撮ってたんですけど、こんなのもあったけどもう一つどういう風に撮れば良いのか判断つかなくて撮れなかったなんていう話しを父としてると、とりあえず撮ってみないと始まらないから、そういうのも撮ってくるべきだと思うというようなことを云われました。

ハッセルブラッドの写真はこうやって見てみると、ツァイスのレンズもそうだけど、面積が広い中判フィルムの利点がよく出ていて、35mmのフィルムで撮るよりも枝の感じなんかはやっぱり精緻で立体的に写せる感じがします。

荒涼たるもの3
HASSELBLAD 500C/M Carl Zeiss Planar 80mm f2.8 T* : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

こんな風に、向こうの川縁に林が少しある程度で、あとは、グラウンドが並んでいただけの場所。グラウンドは主に野球に使われてるようでした。でも公園の外れにあるグラウンドでは広いグラウンドをゴルフの練習で一人で使ってるおじさんがいたり、思えば荒涼としたものというコンセプトで無人の荒野のようなイメージが先にあったから最初から人は撮る気がなかったんだけど、こういう広いグランドで一人でゴルフしてる人というのも荒涼とした被写体だったかもしれません。写しておけばよかった。

これは今回撮った写真の中ではわりと気に入ったものです。配置のバランスが上手く取れてる感じ。丸い要素の木の並びと手前の横方向のラインの組み合わせと、そんな構図的なことだけ考えて撮った写真だったりします。
ちなみに手前の土手の上から撮っていて横方向のラインはグラウンドへ降りていく道とその斜面に映えてる草の面が交互に繰り返されることでこういう形になってます。中央に頭だけ見えてる木は一番最初の写真の木。この構図の中ではちょっと唐突な余計物かな。

荒涼たるもの4
HASSELBLAD 500C/M Carl Zeiss Planar 80mm f2.8 T* : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

水道管?ガス管?どちらかはよく分からないけど、使われてなかったグラウンドの少し外れたところに地面から屹立していたオブジェ。これはグラウンドを始終使うような人にはグラウンドにはあって当たり前の、おなじみの設備なのかもしれないけど、わたしには判断不能のものでした。おそらく保護するためだと思うけど布切れが巻きつけてあって縄で縛ってありました。
奇妙というには水道管とかガス管とか云う具体的なイメージに流れすぎてるものの、布がかけられて縛られてることでちょっと引き立つ感じになってました。奇妙さを狙って撮れたオブジェは今回はこれだけ。このすぐそばの林の中にグラウンドで使っていて壊れたものが投げ捨てられていたりしたのも荒涼としてたんですけど、元の用途が分かるものばかりで犯人の名前が大書きされてるミステリが散らばってるようだと思うとシャッターを切るまでには至らずじまいでした。

荒涼たるもの5
HASSELBLAD 500C/M Carl Zeiss Planar 80mm f2.8 T* : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

宇治川公園をちょっとはなれて対岸の住宅地を歩いていて出会った家。
絶対に廃屋だと思って、前に立って露出を計ったりしてたら、新聞配達の人が自転車でやってきてわたしの目の前で止まり、この家に新聞を投げ入れていきました。廃屋じゃなかったんだ!
ということで他人の家を間近まで近寄って覗き込むことも出来ずに、中途半端な位置からの撮影となった一枚です。
こういう家を撮る時にこのぐらいの位置からこのくらいの範囲で画面に納めてしまうのが一番説明的で、一番面白くないような気がします。これならもうちょっと周囲の光景も入れて場所の雰囲気ごと撮るか、特異な被写体だからといって植物で覆われてる特異なところを全部撮りたくなるのを押さえ、住人がいるとまず出来ないけど、全体像なんかお構いなしに、近寄って一部分だけ切り出して撮るほうが絶対に良いです。

あと、建物とか撮る時にガラスに自分が映るから無意識的にでも斜め方向から撮ることがほとんどなんですけど、こういう被写体は真正面からグラフィカルに撮ったほうが面白そうだなぁと云うようなことも帰ってから眺めてる時に思ったりしてました。

☆ ☆ ☆

宇治川公園には他にもLOMO LC-Aを持っていって撮ってました。LC-Aといえばロシアのコンパクトカメラ、その作りのあまりの未完成振りに普通のカメラとしてではなくトイカメラとして人気が出たカメラです。もともときちんと動いていても担当した組立工のウォッカの量で出来が異なるような不安定なカメラなんですけど、この小椋干拓池や宇治川河川敷、フィルムの残りを撮るのに奈良の平城宮跡にも連れて行った時のLC-Aはとにかく不安定というか本当に調子が良くなくて、露出がばらばら、昼撮ってるのに、まるで夜みたいな画面になってたりといった具合に得体の知れない写真を量産する結果となってました。

LOMO LC-A
NIKON COOLPIX P5100
ちっとも云うことを聞いてくれないLC-Aです。最近汚れを落とそうと無水エタノールで拭いたら、正面のロゴが一部消えてしまいました。


宇治川河川敷で写真を撮っていた時にフィルムは2本消費。一本目を現像に出してる間にその結果を見ずに2本目を詰めて撮ってたので、フィルムを新しく詰め替えた時に調子が今ひとつなのに気づかなかったんですね。それとこのカメラ、たまに光漏れするんですけど、いつもはたまにという頻度だったのが今回は全コマに光漏れ発生。発生箇所は写真の隅だったので、これはトリミングで消し去る処理をする結果になりました。オーロラのような光の幕がかかる感じの面白い光漏れだったら残しておく可能性もあったものの、この光漏れは筆で書いたように強く出てたので邪魔なものにしか見えなかったです。
もう一つ、推測としては現像所のほうでついたんじゃないかと思うんですけど、現像に出したフィルムが結構傷だらけで返って来ました。現像所でついたと予測はしていてもカメラに原因がある可能性もあるので、これに関しては傷がついてるのに気づいた後で撮ったフィルムを結果を見るために違う現像所で今処理してもらっています。今回の記事に載せるのに光漏れ同様スキャンして傷が出てるところはトリミングかフォトショップで消し去る処理をしたりして、凄い手間がかかってしまいました。
デュシャンが「大ガラス」に入ったひび割れを受け入れたのをかっこいい思考と思い、フィルムも開かれた時間を含んで変化していくのが特質と書きながら、やっぱり帰ってきたフィルムに傷が入ってたら気がめいるわけで、明確に言行が一致してないわたしだったりしてます。

という感じで結果としてはあまりぱっとしてなかったLC-Aの写真も何枚かアップしてみたいと思います。

葦の原と鉄塔
LOMO LC-A : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

宇治川公園の側を過ぎて河川敷の土手を歩いていくと一面の葦原が目の前に広がってきます。葦原には距離を置いて鉄塔が建ってるだけで、他の建物は一切見当たりません。葦原は所々踏みならされ奥に向かう道のようになっているところがあり、そういうところには立ち入り禁止の柵が設けられてたりするんですけど、柵は倒れたりして入る気になれば簡単に入れそうな感じになってます。
これは唯一工事中で基部に大掛かりな足場が組まれていた鉄塔。警備の人はいるけど工事現場にしては余り人気のないところだったので奇妙な雰囲気につつまれてました。

河川敷NOWAVE
LOMO LC-A : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

河川敷なんかでよく見るブロックの斜面。
ここでシャッターを切ったときに頭にあったのは、中心軸を欠き、飽和していて、無意味であり、ざらついた何かが神経をささくれ立たせるようなもの、といったことでした。いうならば80年代前後にニューヨークのアンダーグラウンドでNO WAVEのバンドが演奏していたような音楽に通底したコンセプトによる写真。ノイズ的なそんな音楽的なものを写真と云う形で撮ってみたかったと思ってシャッターを切った結果として得た一枚です。
神経をささくれ立たせるほどのところまでは結果としてはいかなかったかな。それに上を覆う蔦で目立たないかと思ったブロックがやっぱり河川敷っぽい具体的なイメージを持ち込んで、こういうのもあまり良くなかったです。



ちなみに NO WAVEのバンドの音ってこういうの。はっきり云ってノイジーで喧しいので、最後まで聴くのは苦痛かもしれないけど、写真のコンセプトだといったものの参考に、良かったら聴いてみてください。

NOT MOVING - DNA


DNA fhoto
こんな人たち。

ブライアン・イーノがプロデュースした、NO WAVEのバンドを集めたコンピレーション・アルバム「NO NEW YORK」のなかで、コントーションズと並んで好きだったバンド、DNAの演奏。チューニングもせずにコードも知らないで弾くノイジーなギターとフリーキーなボーカルでDNAを率いていたBEM風風貌の才人アート・リンゼイはのちにブラジル音楽という、もともと子供の頃をブラジルで過ごした人だったらしいから必然といえば必然なんだけど、DNAからみると予想外の方向に進んで行くことになります。さらにドラムのイクエ・モリは日本人。日本人が参加という辺は日本人のわたしとしては結構ポイントが高かったりします。この人は数年前にCDが出てたのを見かけたので、まだ音楽活動してる模様です。





侵食する影
LOMO LC-A : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

得体の知れない写真として投げ出しておくと、それなりにかっこよさそうですけど、壁に映った木の影です。これ、実は木の本体も写ってるのに影と区別できません。おまけにこれで昼間に撮った写真だというんだから。
LC-Aのこの時の露出の不安定さは、ひょっとしたら電池の容量も関係してるのかもしれないと思って、今入れてるフィルムを撮るため電池を新しいものと交換してみました。結果はすぐには分からないけど、電池が原因ではなかったら、やっぱり驚異のカメラって云うことになりそうです。

雲間
LOMO LC-A : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

宇治川の河川敷から。雲間から光芒が伸びていたのをスナップ。非常に良くみるタイプの写真だと思います。撮るならばかなり工夫して撮る必要がありそう。と言ってもあまりにも奇を狙ったようなのも鼻白むかもしれないのでこういうのを撮るのは難しそうです。
もうちょっと光芒がはっきりと出てるとよかったんだけど、そういう瞬間を待ってもたもたしてると太陽が雲の陰から出てきてすべてが台無しになるんですよね。

鏡面
LOMO LC-A : FUJIFILM NEOPAN ACROS 100

これもちょっとありがちかなぁ。
いつだったか唐突に暴風雨になった日があって、その翌日に宇治川公園で撮った写真です。いたるところに前日の雨による水溜りが出来ていました。その水溜りに映りこんだ荒涼とした木を撮ってみた一枚。雰囲気のある水溜りとかそうしょっちゅう見るものでもないので撮ってみたけど、写す際の工夫とかあまり思い浮かばなかったです。
「荒涼としたもの」って云うテーマはわりと分かりやすいところからイメージを切り出しやすいテーマだったかも。テーマとしては、わたしだったらすぐにホラー映画の一場面を思い浮かべたりして、類型化されやすいものだったような気がします。

☆ ☆ ☆

これを書き続けてる間に、LC-Aの調子を見るために撮って現像に出していたフィルムが仕上がって返って来ました。電池を新品に換えて、このカメラはLR44かSR44どちらかの電池が使えるようになっているので、これまではLR44を使ってたのをSRのほうが安定してるというのでそちらを使って撮ってみた結果、電池交換後に撮ったものは露出に関してはすべてセーフ、元々不安定がデフォルトのカメラだから正確かどうかは分からないけど、絵的に破綻するほどのアンダーになったコマは一つもなかったです。アンダーどころかヒストグラムをみるとどちらかというと露出オーバーになってる感じ。ということで露出に関しては電池の容量が少なくなってた結果と考えても良さそうでした。傷のほうは隅に一本はいるところがあるものの細かい傷は解消されてる感じ。あとは光漏れなんですけど、これは未だにどこが漏れてるのか良く分からない状態です。返って来たフィルムはなぜか光漏れのコマは激減してたものの、皆無になったわけでもなく、それらしいところに斜光用のパーマセル・テープを貼って漏れが防げるかどうか確かめてる最中です。でも未だにここが漏れてると予想した場所はことごとく外れ、確定できてません。なんか3本ほど手間がかかり気落ちするようなフィルムを手にしたために、今カラーのフィルムを入れてるもののこれを撮り終えたら、カラーの出来栄えによっては、しばらく他のものを使おうかなと思案中です。LC-A使うのにちょっとうんざりしてきた。

☆ ☆ ☆

今回「荒涼としたもの」というような、テーマというほど大層なものでもないけど、そういう感じのものを頭の片隅に置いて撮ってみた感想は、荒涼としたものとはその時感じられなかったもの、普段そういうテーマらしいものを持たずに撮影してたら撮っていたかもしれないものを、テーマを頭に置いたために、テーマとは隣接しないものとして撮らずにやり過ごしてた部分が結構ありそうということでした。無意識的に視覚が引っかかり、なぜ気になったかはその場では分からないままにカメラを向けるということがあまりなくて、結構頭で考えて撮っていたところがあった感じ。そういうのがいいのか悪いのか良く分からないけど、ちょっと限定された思考方法で行動していたところがあったようです。

それとテーマ的なものがあってそれが上手く画面に定着させることが出来たら結構力強い印象になるかもしれないと思うものの、下手をすればシンプルになりすぎるところもありそうだなぁということも思いました。何らかのテーマがあったとしても、その一つのテーマに収斂していかない何かが複層のレベルでどこかに混在してるほうが、画像としては面白い出来になるんじゃないかなと。
これもあまり混在してると収拾がつかない印象になりがちですけど、その辺が感覚の勝負どころなのかなと思ったりします。

今回カメラを抱えて宇治川公園で歩き回ってた結果は正直なところ写真としてはそんなに気に入ったものも撮れないままに過ぎていったという感じでした。でも写真はそれほど撮れなかったけど考えることは撮れた写真の量に比べて意外と多かった撮影行だったようです。



☆ ☆ ☆  ☆ ☆ ☆



Chrono Cross OST - Dimension Breach


スクエアのゲーム、クロノクロスに使われていた曲です。日本語のタイトルは「次元の狭間」で、タイトルから受ける危なそうな印象とは結構異なってる感じの曲です。
ゲームのほうはもう細かいことなんか完全に忘れていて、この曲が流れていた場所の役割も正確には覚えてないです。時間の中で忘れ去られてしまった廃墟のような静謐なイメージの所だったと記憶してますが、そういう時の果てにあるような場所でこの曲が静かに流れていました。穏やかで、平穏さに満ちていて、このゲームの中で飛びぬけて気に入ってしまった曲だったので、ゲームをやってる間でもゲームの進行なんか関係無しに、用もないのにここにやってきてはこの音楽を聴いてました。
作曲は光田康典。クロノクロスで使われてるほかの曲はゲームに相応しいような勇ましくてにぎやかなものがほとんどだったと記憶していて、この曲に関しては突然変異的な印象を持ってました。
スクエアのゲームというと音楽で代表的なのはFFシリーズの音楽を担当していた植松伸夫になると思うし、この人は日本の音楽では屈指のメロディ・メイカーだったという評価は変わらないんですけど、この曲のメロディ・メイカー振りに関しては光田康典も負けてはいないです。

ゲーム音楽って意外と手が込んでるというか、しっかりと独創的に作られてるものが多い印象です。すぎやまこういちがゲーム音楽のフィールドで仕事をし始めたのと反対に、もし歌謡曲といった分野が壊滅的にならなければ、こういう人たちって歌謡曲の職業作曲家になってた人が多いんじゃないかなと想像したりします。特に好きな音楽が多かったのはスクエア、コナミ、任天堂辺りの出してたゲームの音楽だったんですけど、たとえばゼルダやマリオの曲とか、物凄く自然に耳に馴染むのに、メロディラインは他に似てるものがないくらい、良く聴いてみると独創的だったりして、曲の完成度の高さに吃驚しますよ。






☆ ☆ ☆







Sarah Moon 12345. (Slipcase)Sarah Moon 12345. (Slipcase)
(2010/08)
Sarah Moon

商品詳細を見る



VRAIS SEMBLANTS―幻花 (PARCO Vision CONTEMPORARY)VRAIS SEMBLANTS―幻花 (PARCO Vision CONTEMPORARY)
(1992/02)
サラ ムーン

商品詳細を見る



赤ずきん (ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ)赤ずきん (ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ)
(1989/12)
シャルル ペロー

商品詳細を見る



Dna on DnaDna on Dna
(2005/08/30)
DNA

商品詳細を見る



クロノ・クロス オリジナル・サウンドトラッククロノ・クロス オリジナル・サウンドトラック
(2005/06/29)
ゲーム・ミュージック、光田康典 他

商品詳細を見る








スポンサーサイト

コメント

No title

おはようございます。
また今朝も4時に起きてしまいました。

LC-Aですか?ロシア製ということが刷り込まれてしまったから
か、写真から連想するのはなぜかチェルノブイリです…

ハッセルブラッドで撮影なさった写真。
廃墟とお間違えになった家の前に「小さな星幼児室」とあるのが、ゾクッとします。
襤褸布をまとった水道管(?)もとてもシュールでそそられました。

おかげさまで、早朝のひとときを楽しく過ごしました。
ありがとうございます。

No title

あああ~~!いいなぁ~~!
サラ・ムーンの写真集!
しかもDVD付き!!!

私は「サラ・ムーンが好き」と言う割りには
持っているのって
過去に何度か行った個展で購入した
パンフレットを兼ねたようなモノが何冊かしかなくて(^^;
(多分、この写真集の中の1冊分程度)
全くお恥ずかしい限りなのです。

でもお値段的に手が出なくて、そのままになってました(^^;

DVD見れなくて残念でしたね・・・
ネットカフェで見るって手もありますけど
じっくり観たいですよね(笑)

私は薄荷グリーンさんの写真にもサラ・ムーンと似たような空気というか
そういうものを感じていて好きなのです。

サラ・ムーンの写真って見る人によって色々想像しちゃいますよね。
今のデジタルの写真って撮り手の意図が解りやすい反面
観る側の自由が奪われる感じがするのですけど
観る人によって感じ方が違う写真って写真としてはどうかとも思う人もいるかもですが
私は大好きなんですよね(笑)

とのさんへ

こんにちは!

朝の4時に起床ですか!
わたしだとよほど早く起きなければならない強制的ななにかがないととてもじゃないけど起きられない時間かなぁ。でも一日が本当に有効に使えるでしょ。夜更かししてその分の時間を夜中に持ってきてもなぜか同じ時間だけ起きてたという感じがしなくて、一日をあまり有効につかえたという感じがしません。
わたしはどちらかというと夜更かしタイプでへたをすれば4時ごろまで起きてることもたまにあったりするんですけど、効率が悪いので朝型に変えたいなと思ってます。

LC-Aはたしかロモ・コンパクト・オートマットの頭文字を繋げた名前だったはず。ロシアのカメラってライカのコピーだとか妖しいものが結構あって一定のファンがいるみたいですよ。わたしはトイカメラの方面から近づいて、ロシアのカメラはこれと、同じくロモのスメナ8Mというのを持ってます。LC-Aも日本のコシナというカメラメーカーが出したカメラのコピー品なんですけど、まともにコピーできなくてその不完全な部分が逆にオリジナルよりも有名になる要素になってたりするカメラです。完全なものよりも不完全であったがゆえに皆が愛したってなにかの比喩のようでもあって面白い扱われ方だと思います。撮れた写真に、唯の宇治川の河川敷だったのにチェルノブイリ的に危なげな印象が生まれてたなら、昼でも夜のように写してしまうロシアカメラの恐るべき性能も表現の役に立つというものでしょうか。すべてを廃墟にしてしまうカメラ、こう云ってみるとなんだか得がたいカメラであるようにも見えてきます。
実はもっと破綻したものも撮れてたりするんですけど、あまりに破綻しすぎていて載せなかったという判断は間違ってたかなぁ。今度の記事にさらに破綻していたのもアップしてみようかな。

廃墟的な家の看板、気がつかれましたか。これ、この場所に立って眺めてる時に妙に生々しい印象で目にはいってました。全体は朽ち果ててる印象なのにここだけ血が通ってるような感じというか。半ば生きてる家という印象も持ってたから、新聞配達の人が来た時にやっぱり人が住んでるという感じで半分納得したようなところもありました。でもこういう外観の家に住んでるのってどういう気分なのかなぁ。子供もこの幼児室に集まるときに廃墟的外観に何か感じてると思うんですけど。

配管オブジェ、ちょっと目を引く感じだったのが伝わったでしょうか。グラウンドの片隅に地面から生えてる配管って未だになんだったのか良く分かりません。周囲は不要になった備品の捨て場みたいになってたし。綺麗なものもいいけど、こういう妖しげなものとか朽ち果ててるようなものも写真に撮るのが面白いです。でも妖しげなものがそこら辺に転がってるような荒涼とした場所ってなかなか無いですね。またどこか妙な場所を探しに行かないと。

今度の写真は綺麗な色が出てるわけでもないし、妙なところを狙った写真ばかりなので受けは悪いかなと思って記事にしてたんですけど、楽しんでもらえてよかったです。
こちらこそ写真を観てもらってありがとうございました。

ROUGEさんへ

こんにちは!

思い切って買ってしまいました。DVDがついてるというのを知ってから所有欲を一気に刺激されて。
この映画、VHSはアマゾンなんかで中古が安値で手に入るんですけど、もはやビデオテープを再生する機械も持ってない状態になってるし、今からテープのコレクションをするのも馬鹿げてるから、DVDかブルーレイで欲しかったんですよね。
写真集とか画集とか印刷が凝ってたり、当然本の外観も洒落たものになってないと話にならなかったりするから、結果的に高価になってるものがほとんどでやっぱりちょっと思い切りがないとなかなか買えないというものが多いです。カメラで2万くらいだったら欲しければわりと抵抗なく出せたりするものの、本はそこまで出すことがあまりないせいなのか、やっぱりちょっと清水の舞台から飛び降りるような気分で注文を出しました。記事にも書いたけど待っていても綺麗な状態のものを手に入れられなくなるだけという理由は大きかったです。本はでも箱からの出し入れだけで擦れたりするちょっとちゃちな作りになってました。DVDが封入されてる第5巻だけはハードカバーになってましたけど、この値段ならハードカバーのしっかりした製本で出して欲しかったところです。
内容は作家活動を俯瞰するような内容で面白いです。わたしが持ってる数少ない写真集の中身と一部重なるところもあるんですけどこういうまとめ方だとそれはちょっと仕方ないところかなと。写真集のほうで全体の雰囲気に合わせて小さめで収録されてる写真がこちらのほうには大きな形で収録されてたりする場合もあるから、重複もあまり気にならなかったです。
展覧会の図録的なものも貴重ですよ。だって展覧会の図録は美術館のほうでバックナンバーがなくなればもう入手する手段がなくなるから。ブックオフなんかで展覧会の図録が出てたりするとあまりにも高価だった場合以外は、気に入ってる作家のものだったらほとんど迷わずに購入してたりします。
他にもなにか戦利品を持ち帰りたいというところもあったり、美術館の売店って結構好きだったりするから、わたしも展覧会にいくと必ず図録は買ってきます。

この後実は写真集コレクションにちょっとはまり気味で気になる写真家のものに連続で手を出して散財が加速してます。ちょっと歯止めをかけないと。


DVDはいまのところ我慢の状態です。5巻目の写真集が映画の場面を集めたものになってるのでそっちを眺めて渇を癒してます。実はネットカフェって行ったことがないんですよね。イメージは何処かゲームセンター的なものと重なり合ってたりして、あまり落ち着かないところだろうなぁという受け取り方をしてます。やっぱり観るとするならじっくり観たいです。
DVDがついてないPCって不便ですよ。フォトショップのバージョンアップに付き合ってユーザーの権利が消失する前に購入してるものも、インストールにはDVDが必要ということで導入できずに、新しいフォトショップが手元にあるのに、古いフォトショップを使い続けてるような状態になってたりします。
こんなこと書いてないで新しいPCに買い換えれば良いことなんですけどね。

サラ・ムーンに通じてるところがあるなんていわれると、やっぱり嬉しいですね。内容はまねする必要はないにせよ、ビザールで含みの多い幻想的な写真って言うのは撮ってみたい写真の筆頭に位置するようなものだから。それにしてもサラ・ムーンに限らず、本当に個的な視点で貫かれてる作品でもその個的な視点に迷いがなく堂々としてる写真というのはうらやましいところがあったりします。自分が見たものについて自分が信じなければどうするんだというところもあるんですけど、なかなかそうはいかなくて、こんな写真で良いのかなぁというところはいつも付き纏ってたりします。

わたしも含みの多い写真のほうが面白いと思うほうです。人によってある程度は方向性は決まってくるものの、そこから先は直感で撮ったほうが良いかもしれないと思ってます。自分でも思わなかったことが写真に含まれてることも多分にあるし、そういうのを曖昧だからと排除するのはどうも性に合わないという感じがしてます。自分で見ても驚きがある写真っていうのは撮れると面白いですよね。

No title

こんにちは、お邪魔致します!

シンプルなタイトルにグレーの装丁でいったいどんなものかと思いながら映像拝見させて頂きましたが、ピンボケを上手く作品として成り立たしているのに驚きました。更にモノクロであるからでしょうか、このぼかしがモノクロは冷たい印象を勝手に自分で抱いているのですが、想像とは反対に暖かいものが伝わって来ました。

クロノクロスは本当にゲームとは思えない非常に暖かく時には切ない曲が多いですね。主人公が本来あるべき世界ともうひとつの世界を集約した曲だと思います。光田康典はゼノサーガなども手掛けていますが、言葉では説明するのが難解な作品でもこの人作った曲を聞けば製作者が何を言いたいのかおぼろげにわかったという気分に浸れる不思議な曲が多いですね。個人的にはクロノクロスは好きな作品でよく遊んでいました。後でサントラ引っ張り出して久しぶりに聞こうと思います。

チャリさんへ

こんにちは!

サラ・ムーンの写真、スライドショーのは人物のものが多かったですけど、それでもリアル志向じゃないのは良く分かるんじゃないかと思います。ピンボケの使い方は本当に大胆で上手く、必ずピントを合わせなければならないんだと思ってたらちょっと衝撃的な作風になる可能性もありますよね。ピントって実は写真にとって必要不可欠なものじゃないと、これだけでも納得できたら自分が撮る写真も随分と範囲が広がっていきそうな気がします。でもピントを合わせられるカメラでピントを合わせないっていうのはかなり決断力がいるというか、意外と難しくてついピントを合わせてしまったりします。

サラ・ムーンってもとモデルで、もとモデルの経歴を生かしてファッション写真とかPVとかも撮ってる人です。人物の写真を観てるとモデルには不自由しないんだろうなぁとちょっとうらやましかったり。人物が中心じゃない写真も幻想的でなかなか面白いです。
モノクロは実際は結構色の気配も含んで成立してるところもあるように思えます。だからそういう気配を上手く持ち込めればグレー一色の冷たい感じからも違う所で写真を成立させるのも出来るんじゃないかな思ったりします。このスライドショーの印象だとセピアがかけてあるのが暖かい感じになってるというところも多分にあるようですね。

クロノクロスって話をほとんど覚えてないんですけど、そういえば二つの世界を行き来するような話だったかなと、ちょっと記憶が蘇ってきそうな感じになってます。今ちょっとYoutubeでクロノクロスのプレー動画なんか見てたら、船が停泊してる街中の様子とか思い出すところもありました。
あとラスボス戦でなにか手順があってそれを知らないためにいつまで経っても終わらなかったのもこのゲームじゃなかったかなぁ。2週目は1週目の強さをそのまま引き継いで始められて、最初のうちは無敵に近かったというようなことも思い出してきました。
植松伸夫の影にちょっと隠れ気味になってるような印象なんですけど、わたしも才能ある作曲家だと思います。ゲームの内容を髣髴とさせる曲が作れるってかなりの才能ですよね。わたしの場合は特にこの次元の狭間は本当に気に入ってしまって、こればかり聴いてました。Youtubeで聴いてもやっぱ良いいです。
本当に長い間ゲームって手をつけてないからなんだか久しぶりにやってみたくなりました。一応好きなシリーズは新作が出ると買うだけは買ってるので、遊んでないのが結構手元にあるんですよね。買いだめしてるゲームのうち、どれかやってみようかなぁ。

こんばんは

サラ・ムーンの孔雀の写真とピラミッドの写真がいいですね。どう例えてよいのやら分からないのですが、いいと思いました^^;

ハッセルブラッドで撮られた写真の中では、私は水道管の写真がピカイチだと思います。

「LOMO LC-A」で撮られた写真も凄いと思いました。壁に映った木の影の写真は、木の写真であることは分かるのですが、壁に映ったものだとは分かりません。プロ並です!光芒の写真もプロですね。その次のホラー映画に出てくるような(笑)写真は少し怖いです。

で、最後の最後に穏やかな音楽で締めくくられてますね。

今回の記事、ストーリーを感じました。

No title

いつもワンコの写真ばかりを撮っているのですが、
最近は薄荷さんに触発され、スマホで風景写真を撮って
instagramにアップしているのですが、
風景写真もほんと難しいですねー
それがモノクロになると難度が上がる上がるww

まだまだモノクロ写真には手が出せませんね

今回の薄荷さんのモノクロ写真も素敵ですね
光と影のコントラストにゾクっときます

廃屋の見極めって結構難しいですよね
ウチの近所にも物凄く古い木造建築があってここには
人、住んでいないでしょう~と思ったのですが、
実際は人が住んでいたり、
逆にまだ、築10年程度の豪邸が廃屋?だったりが
あってりしますね

本当に家というのは不思議ですね

kurtさんへ

こんにちは!

音楽もそうですけど、それがどういう風なものであるとか、感覚に入ってくる感触とか、言葉で表現しようとするとかなり難しくなりますよね。わたしもこういうことを書こうとするたびにその一部しか言葉に出来ないと思って、かなりもどかしい思いをすることが多々ある感じです。
サラ・ムーンの写真で孔雀のはわたしも好き。モノクロだけどすごく豪奢な感じが出てるし画像として見栄えがするから。元々孔雀自体豪華な印象なんだけど、だからといって孔雀を撮れば必ず豪華な写真になるかというとそうでもないように思えます。だからこの写真は孔雀の本質をかなり上手く捉えてるようにわたしも感じますよ。色を使ってないのにこれだけ非現実的なほど装飾的な印象に捉えてるのもやっぱり撮り方が上手いからなんだろうなぁと思います。ピラミッドの写真は本当に昔の写真を何処かから取り出してきたような印象が面白いですよね。

水道管の写真は変なものがあると目に付いて近づいていって撮ったものでした。近くによって見ると何だ水道かガスの管かと思ったんですけど、ちょっと異様な感じがして撮って見る気分になったから、シャッターをきってみた一枚でした。このシャッターをきる気分までなかなか持っていけなかったのがここにやってきた日のわたしの状態だったんですけど、これは撮っておいてよかったかな。被写体がほとんど無い場所で、誰か知らないけどよくもまぁ水道管に意味ありげに布を巻いて縄で縛っておいてくれたものだと思います。

ロモのほうはもう調子悪いのがどう転ぶか分からない状態で、すべての日常を非日常に変換して写してくれたら調子の悪いのも歓迎なんですけど、手に負えないというのも半分くらいありました。フィルム2本とって、記事に載せようかなと思ったのがこれだけしかなかったので打率はかなり悪かったです。
壁のはLC-A自体がこの一面グレーのものは何なんだ?と戸惑って、何か分からないから適当に絵にして受け流しておこうと判断してシャッターを開いてくれたような仕上がりで、写したわたし自身が何これ?って思ったものでした。記事にも書いてますけど写したのは真昼、正午過ぎに一番日光が強いような時間帯だったのに、光で照らされてるという気配さえないんだもの。極端な写りだったからブログに載せてみようと思ったものの、半分は何これ?って思われるのを覚悟の上でした。面白く観られたら半分はLC-Aの手柄ですね。
光芒は観ると荘厳で撮りたくなるんですけど、基本逆光になるから難しいです。しかも思う形で光芒が出てくれなくてちょっと躊躇ってるうちに太陽が雲間から出てしまって全く違う景色になってしまうし。でもドラマチックで非現実的でシュールな光景としては良いですよね。もっと光の筋がよく出たものを撮ってみたいと思ってます。
ホラー映画風は主人公が歩く足元でも写してその後をついていくカメラが最後に捕らえるような光景でしょ。ガラスとか鏡とか反射するものも好きだから撮ってみたんですけど、ちょっと類型的になるからこういうのもやっぱり難しいですね。

音楽は基本的にこういう穏やかのものが好きでよく取り上げるんですけど、またこんな感じの音楽?って思われるのもなんだから、真ん中辺に強烈なのを挟んでみました。そういう意味では記事全体の緩急は無意識的にでも考えてたかもしれないです。締めくくりとしてはうまく閉じたように思ってもらえると幸いです。

こんにちは(^^)

写真集の題名、かっこいいですね^^
すごくそそられる題名ですね!
サラムーンの写真のスライドショーも、とても素敵です。

薄荷グリーンさんが、ハッセルブラッドで撮った写真、
本当にサラムーン風ですね。
柔らかい雰囲気が出ているんですよね。
すごく惹き込まれる写真で、見ていて、ドキっとします。
特に水道管?の写真は、不思議なことに、
生き物のように見えました。
私には、なぜか女性のように見えましたよ。
素敵な作品ですね(^^)

ロキ様へ

こんにちは!

わたしが意図的に写真を撮りだしたのが切っ掛けで撮る写真の範囲を広げたといってもらえるのは凄く光栄です。instagramってなんだろうと思って検索してみました。今はこういうものがあるんだ。そういえば最近本屋で、アイフォトグラファーだったかな、iPhoneで写真を撮ってる人の写真を集めた本が出てました。これが結構面白くて、特にカメラっていう形でそろえなくてもこんな写真が撮れるんだなぁと感心したことがあります。でもカメラと違って機材のほうであまり差別化できないから、出来上がった写真はまさに腕勝負のところがあって、かなりシビアですよね。
目の前の世界をわたしが得た感触で切り取るって難しいところがあります。本当に誰が見ても変らないだろうって言うような切り取り方しか出来なかったりで、わたしもいつも躊躇ってシャッター切ってます。モノクロは観たまま世界を切り取ってもちょっと別の次元にシフトしてくれるからある種楽なところもあるんですけど、白と黒の諧調しか扱えないからやっぱりそれなりに難しいところもあるし、どう見ても相応しくない場所というのもある感じ。この前平城宮跡に行った時、椿だと思うんですけど雑草の地面に花ごと落ちたのが散らばっていて、緑の中でそれがちょっと異様な綺麗さで目にはいってきたのが、モノクロしか入れてなかったから上手く撮れなかったと言うことがありました。この時はカラーのフィルムが入ってたらって思いました。

今回の特にLC-Aのほうはわりと影のほうに力点を置いてるからメリハリが利いてるのかもしれません。光のほうにポイントを置くとまた違った印象で撮れたりするんですけど、今回は荒涼としたものっていうので頭の中を占領されてたので無意識的にでも黒っぽい画面になるようにカメラを向けてたかもしれないです。モノクロって明暗の諧調しか扱えないから随分と単純なものかと思ってると、意外と複雑な演出も出来るということで撮り出すと結構面白さも感じられたりします。でもしばらくモノクロばかりで撮ってたから今はカラーで撮ってみたい気分かなぁ。

廃墟というか朽ち果てていくものって凄い興味を惹かれるところがあって、そういうのを見かけると大抵カメラ向けてます。わたしも見極めがつかない建築ってありますよ。これもGWに奈良に行った時、天平ホテルというのが、人の気配がなくてひょっとして廃墟?と思って眺めてたんですけど、帰ってから検索してみると、何のことはない今も普通に営業してるホテルでした。もう一つ奈良に行く電車の窓から平城宮跡に隣接して、どう見ても廃墟という風にしか見えないボーリング場が見えて、今度はこれ撮りにこようと思ってたのに、調べてみるとここも営業してるとか。
人家は勝手の覗き込んだりすると、下手すると不審者で通報される可能性もあるから、見極めがつかない建物って近寄って撮りたいのに近寄れないって凄く歯がゆい思いがします。
建物も時間が経つにつれて人間みたいにそれなりの表情を持ってくるようだし、街歩きは発見しようと思えばいろんなものが目にはいってきて、写真を撮るという目的を離れても面白いところがありますよね。そういう面白いものを見つけたついでに写真も撮れればいいなぁというスタンスで歩き回るほうが力が抜けた良い写真が撮れそうです。

わたしは動物の写真のほうが難しいと思います。奈良で鹿を撮ろうと思ったけど、全然シャッターチャンスに恵まれなかったというか、撮ろうと思ってもすぐに違う状態になってしまうから、動き回るのがデフォルトの動物の写真を撮れる人の瞬間に対する決断力は凄いと思いますよ。

りい子☆さんへ

こんばんは!

謎めいていてどういう意味なんだろうって買うまで思ってました。かなり大胆なタイトルですよね。まぁ全仕事を俯瞰するような写真集に一定の方向が定まった限定的な意味を付加するようなタイトルはつけにくかったのかもしれないけど。
写真集とか中身もちょっと紹介しないと記事だけだとあまり伝わらないところがあるから、スライドショーが都合よくあったのは助かりました。でもスライドショーは人物中心だったので、わたしが思い描いてるサラ・ムーンの写真とはちょっと雰囲気の違うものが多かったです。元モデルだから人の形とかどういう風に動いたら美しく見えるとか、熟知してるのかもしれませんね。わたしは人物って撮ったことないから、こういうモチーフも難なくこなせる感性ははっきり云って羨ましかったりします。よくカメラマンがモデルに始終話しかけて気分をハイにさせて写真撮ってるようなことでもしてるのかなぁ。

ハッセルのほうは廃屋以外はLC-Aで撮ったものほど暗くないし、モノトーンの諧調もそれなりに滑らかに出てるから柔らかい印象になってるんだと思います。これは記事に書いたようになかなかシャッター切れなかったんですよね。ちょっと気負って写真とってたから、そういう気分も一緒に映りこんでるかもしれません。
水道管は貰ったコメントを見てみると結構ポイント高いですね。これは凄く意外でした。ちなみに父の場合は、一連のハッセルの写真を観て一番良いと云ったのは木が三本並んで写ってる写真でした。わたしとしてはかなり気に入ったから記事にアップしてるものの、水道管のは異様に見えても結局は水道管かガス管だと判る部分があるから、そこに注視してしまうとその部分でインパクトは減少してしまうと思ってたんですよね。でも異様なオブジェを探してそれなりにこれが良いと思ってシャッターを切った写真だったから、良いといってもらえるとやっぱりとても嬉しいです。
これ、わたしは荒野にマントを翻して立ってる遊牧民といったイメージが重なってました。生き物のように見えるというのはわたしと全く同じ見方だったから、ちょっと吃驚しました。布と縄というのが生き物的に見える効果的な装飾になってるんだと思います。そうだとするとこれをまきつけておいてくれた人には感謝しておいたほうが良さそうですね。

No title

こんにちは

サラ・ムーンから連想されるのは皿月(笑)
まさに満月ってことなんですけど、そんな月光の下とられたような幻想の美といった写真だと思いました。
写真なので、現実に存在するものなんでしょうけど、この世のものとは思えないっていうのが何とも不思議な感じです。その辺が絵画にはない写真の魅力になってるんでしょうね。これが、大判の写真で観れるというのは、大枚をはたいてでも手に入れる価値のある本なんじゃないしょうか。

月光の下と言えば、何でもそんな写真にしてしまうLC-Aというカメラも凄いもんだと思います(笑)
壁に映った影と木の写真がまさにそんな雰囲気を醸し出してると思いました。
ハッセルブラッドの写真はどれも綺麗に撮れてて、やはり素晴らしいのですけど、今回は、道と草が交互に織りなされていて、その先の三本の木、そして広々とした世界が拡がり、さらにその先の都会っていう感じが観ていて飽きずに色々と想像も膨らむようで面白かったです。

今の日本の創造的な音楽を作りたいと思ってる人は、皆ゲーム音楽の方へ流れていってしまうのですかね。
初音ミクもその延長だと思うんですけど、この間ブログ巡回中耳にした曲なんて、ここで上げられているDNAの流れを受け継ぐようなノイジーさで有りながらもポップといった感じで凄いと思いました。
http://www.youtube.com/watch?v=EOQr6UkjotE&list=PLF71D775460BCD244&index=26&feature=plpp_video
↑ コレなんですけどね、時間があったら聴いてみてください^^

ジオヤーさんへ

こんばんは!

リンゴ・スターと同類ですね。サラさんはブライトマンの方も自分の名前が日本語にあるって想像できないでしょうね。

幻想的な感じに持っていくのが上手い写真家でしょ。同じカメラで撮ってるとは思えないような、おそらく日常に見る一齣であるのは間違いないと思うのに全く違う様相でイメージとして立ち上がってくるのは圧巻だと思います。かなり特殊な処理をしてるはずで、その処理も結果がどういう風に幻想的になるか分かって施してるわけで、そういう幻想的なヴィジョンがサラ・ムーンの中に最初にきちんとあるのも、それを表現するための手段もきちんと自分のものにしてるのも本当に驚異的というか、見てるとため息ばかりが出てきます。暗室での処理はおそらく企業秘密のようなものだと思うので、どうやってあのイメージに仕上がってるのかは明かさないでしょうね。
写真にしても絵画にしても大きさってかなり重要な要素になっていて、画集などに関しては簡易版のようなのはあまり買いたくないんですよね。でもきちんと作ってあるそういう画集、写真集はとにかく高価だったり、今では手に入らないものはプレミアがついてたりで、集めるのはちょっと大変。この写真集に関しては本気で高かったですけど買ってよかったと思ってます。ただ、全部英語なので作品についてサラ・ムーン自身が語ってるところとかきちんと理解できるかどうか。きちんと理解したいのでそういう部分でこれからしばらくは頭を悩ませていそうな気がしてます。

LC-Aは晴天時に感度の高いフィルムを入れて撮れば、自動的に絞りが絞られてわりとメリハリが利いた写真が撮れることがあります。基本的にトイカメラの類は晴天時に撮るという制限があると考えたほうが良さそう。LC-Aもお天気カメラなんですよね。この時はフィルムに感度100のものを使ってたからあまり絞られなくて亡羊としたものになった可能性もあると思います。壁の写真は出来上がったのを見てどうしてこんな写り?って理解に苦しむところがありました。お日様があたってるような手触りとか全くないんだもの。
まぁ、暴れ馬みたいなところが人気のカメラではあるんですけど、ロシアの人ってこれで日常の写真とってたのかと思いをはせると、なんだか苦労がしのばれるというか。

ハッセルは上手く撮れると本当に吃驚するほど精緻で、その上雰囲気もある写真が撮れますよ。三本の木はわたしもこの日に撮れた写真ではお気に入りの一枚でした。グラフィカルで視線が動くリズムも生み出せそうな画面のようなところが自分では良いと思ってます。意外といろんなものが映ってるのでそういう楽しみ方で観てもらえると嬉しいです。この場所、そうやって見てみるとちょっと変な場所でしょ。公園って名前がついてるけど冷静に見てみるとちっとも公園らしくないです。最近ちょっと電車の中から見えた感じでは春になって枝だけだった木にも葉っぱがついてるようでした。季節を変えてまた撮りに行くのも面白いかなと思ったりしてます。

なんというかバンドを組んでちょっとヒットを飛ばしてそのヒットを作ったからという切っ掛けで作曲を続けるというような人が多いんじゃないかと思います。音楽理論とかをきっちりと学んで曲が作れるような人はまず人気者になってヒットを飛ばさなければならないというような前提があると、むしろ普通の音楽の世界には入る場所ってないんじゃないかなと。ゲーム音楽のほうはわりとチャンスも転がってるようで、わたしが好きだったグラディウスの音楽を担当してたのは当時バイトで入ってた女の子がたまたま作ったのが担当者の耳に入って曲を任されるようになったとか。こういうチャンスがめぐってくる可能性が多いというのもいろんな人をひきつけていく要素になってたんじゃないかと思います。でもゲームそのものはもう完全に下火になってしまったようなんですよね。わたしも好きだったゲームの続編とか出るたびに買ってたのに、買うのは続けてるけど実際に遊んだのはこの何年かはもうほとんどなくて買ったのが溜まる一方というような状態になってます。あれだけ時間を忘れて遊んでたのに。

曲、聴いてみました。曲的な構造はきちんと維持してノイズで全体を成立させてるのは面白い作り方でした。特にボーカルの言葉にノイズ的な処理をして意味が直接的に伝わらないようにしてるのはちょっと勇気がいったんじゃないかなぁ。ボーカルのノイズ処理も始めて聞くような類のものでかなり面白かったです。
初音ミクって本当に稀有な存在になってますよね。生身の人間じゃない歌声でこれだけ市民権を得たのは初めてだし、まだちょっとぎこちないところはあるけど感情移入しようとすれば簡単にできるほど人間の声に近づいてるのは驚異的だと思います。現実の歌手が説教臭い歌ばかり世に放ってるとこれは冗談じゃなく初音ミクに取って代わられてもおかしくないなぁなんて思ってます。
非公開コメント