【展覧会】"PHOTO IS"10,000人の写真展2012へ様子伺いに出かけてみる +【写真】音楽の街角 +【サントラ】MORE さらにまた別の顔で

夏が始まってから、これで関西が計画停電なんていうものに見舞われていたらどうなってたんだろうと思うくらい、連日無謀ともいえるような暑い日が続いてましたが、今だ出歩いていると暑さを感じる日々は続いているものの、このところは少しましになって一息つけるような感じになってきてるようです。この間までのような熱波が続いていた間、夏は好きって書いたけど来年からは嫌いになってるかも知れないなんて思ってたので、このまま夏が好きなわたしでいられるような日が続いて欲しいものです。

すでに終了してから何日か経ってしまってますけど、まだ猛暑が居座ってる最中に、大阪の会場では8月の3日から5日にかけて開催されていた一般参加のアンデパンダン方式による展覧会「"PHOTO IS"10,000人の写真展2012」を観にいって来ました。場所は京阪京橋駅のちかくのツイン21というビル。毎年ここで開催してるのかは分からないけど、ともあれ今年の大阪での会場はこのビジネスビルが当てられていました。ちなみに参加者には開催直前に案内状が送られてきて、そこに書いてある地図を参考にして淀屋橋経由で大阪に行く時はいつも素通りしてる京橋の駅に始めて降り立ちました。

案内状

この簡易な略地図は持ってはいたけど、京橋の駅で降りてみるとリアルな駅周辺の曖昧で過剰なディテールに若干困惑され、地図に当たる道路はどれだろうかと予測しながら会場があるに違いないと思った方向に歩き出してみます。案の定この道路をこちら方向に歩いていけばそのうち会場に向かう道路に出られると思って歩いていた道が、駅の近くの会場のはずなのに一行にその方向に向かう気配もなくて、このまま進んでると絶対に違う方向へ深入りしてしまうと、急遽また京橋の駅の方向へ逆戻りすることに。駅に向かって歩いてるうちに建物にしたら3階くらいの高さになるのか道路を横断するようにして空中に回廊が設えられているのに気づきました。回廊への登り階段には「大阪城京橋プロムナード」という銘板がかけられています。
回廊の向かう方向は目的地に一致しているようで、とりあえずその回廊に上がって進んでみることにします。地図によると京橋の駅と会場との間には川が流れていてその川をとにかく渡らなければならないというのは分かっていたので、回廊がその川、寝屋川らしいんですけど、その川の向こう岸にまで続いてるのを見ておそらくこのまま進んでいけば目的地の近くにいけるだろうと、回廊を歩いてるうちに方向音痴のわたしにでもそう判断できるような状態になって行きました。道に迷うくせに略図で間に合うだろうなんて思ってしまうところがわたしの弱点なのかも。
結局その回廊は寝屋川を渡った時点で直接会場となっている大阪ビジネスパークツイン21というビルに直結されてるものだったことを発見し、すぐにあらぬ方向に向かってしまうのになぜかここぞというところで妙に判断が的確なところもあるわたしの直感がこの場合は上手く働いた感じとなりました。

回廊がそのままツイン21のビルの二階辺りに直接繋がっていて、回廊からの入り口には本日の催し物といった告知板にこの写真展の名前が書いてあったりするものだから、一応参加者の一人なのでちょっと高揚した気分になってビルの中に入りました。ビルに入ってほとんど歩かない所で目に入ってきたのはビル全体の中心に広がっている巨大な吹き抜け空間で、展覧会はビルの何処かの一室で開催されると思ってたら、この吹き抜けの広場のようになった所で展示用の壁を並べて展覧会場にしていました。

展覧会場入り口
RICOH GR DIGITAL 3

梅雨の最中から夏にかけて結構大阪に写真を撮りに来てるんですけど、南港のマリンタワーやアジア太平洋トレードセンターなんかもそうだけど、大阪の人って吹き抜けの空間が好きなのかやたらと目に付く感じです。確かに広々として空間の触感は結構気持ちが良いですけど。

プロムナードから入った位置から見下ろすと吹き抜け空間の広場のかなりの部分を使って今回の展覧会の応募写真が並べられていました。

全国規模で参加者があった展覧会なのでおそらく集まった写真も膨大な数になったと思われ、会場はすべての写真を掲載するという形ではなくて、大阪会場に展示を希望する参加者の写真のみが集められて、それ以外の会場を希望した参加者の写真は展示されていないという形をとっていました。ざっと見渡したところやっぱり関西一円、というか大半が大阪からの参加者の写真となっていた感じでした。

会場の様子
RICOH GR DIGITAL 3

お客さんは思いのほか来ていて、やってくる前は応募した人とその友達、家族といった人が大半だろうと思ってたのが、もちろん一人一人に素性を聞いたわけでもないのでただの印象だけの話ではあるものの、一般的な客やビジネス街のようなところだったから仕事のついでといった印象の人なんかも混じって、それなりに盛況な状態で盛り上がってました。広場のような開放的な空間での開催だったからどこから入ってどこから出るというような仕切りもなく、気が向いたら展示してる方向に行くだけで広場をうろついてる延長線上で写真も目にすることが出来るといったラフでとっつきやすい展示形態になってました。
そんななかをわたしも泳ぎ回るように散歩することになりました。

☆ ☆ ☆

わたしの応募したのはどの辺にあるのか、当然一番に探すことになって、ちょっとドキドキもので会場を捜し歩いてたんですけど、ようやく見つけたわたしの写真は、まぁ結果から云ってしまうと、全然ぱっとしないなぁというのが一番の印象でした。ここでも何度か書いてるけど、この展覧会の趣旨というか、一応テーマは決まってなくて銀塩プリントされた写真ならどんなものでも構わないというものだったんですけど、主催者からの方向付けとして思いを込めた一枚を見せてくださいだとか、とっておきの一枚を送ってくださいだとかいろいろと届いていたメッセージがあったせいで、わたしの場合は選ぶのにかなり困惑するところがありました。主催者側が期待するような思いを込めてシャッターを切ってるわけでもないし、とっておきの一枚というのも突出したものって未だに撮ったことがないから選びようがないなぁなんて考えたりして、ぎりぎりまで迷ってしまったんですね。提出期日ぎりぎりになって、出せないって云う判断に傾いていたなかで、最後は参加費500円払ったし、やっぱり勿体無いのでもう何でも良いから送ってしまおうというちょっと自暴自棄的な選び方で、込めた思いを一言なんていう応募台紙に付随のメッセージ欄にも書きようがなかったから、分かりやすい絵柄のものを選ぶというような形になりました。
会場に展示されているわたしの写真を眺めてみればそういう送る直前までわたしが感じていた迷い、躊躇がそのまま写真にも出てるような感じで精彩がありませんでした。自分の写真の周りを他人の写真が取り囲んでる状態ではその中に完全に埋没してしまってるような印象。おまけに運が悪いことに、会場の写真は上下5列になった写真が横方向に伸びていく感じで展示されてたんですけど、わたしのはその上下5列の中央よりも下の列に展示されてました。わたしだけじゃなく下段に展示された参加者の写真はどれもそうだったかもしれないけど、普通に展示壁を目にしながら歩いてる分にはそのままでは視界に入りにくく、この点では目の高さに展示されてる写真よりはかなり条件が悪いこととなってしまってます。

自分の写真を見つけての第一印象がそんな感じでパッとしなかったものだから、なんか今ひとつだとか応募写真選びに完全に失敗してるとか思いながらしばらくは見てはいたけど、そのうちそれ以上自分の写真がおいてある一角を眺めてる気も失せてしまって、関心は他の人の写真はどんなのだったんだろうっていうほうに向かっていくことになりました。他の参加した人は写真に込めた思いといったメッセージにどういうふうに答えを出したんだろうって。

そんなことを頭において今回の応募作品を見て回ったんですけど、しばらく会場を巡り歩いて思ったのは、みんな写真に込めた思いだとかあまり気にしてないって云うことでした。集まってきた写真はそれこそ千差万別で共通してるのは撮りたかったからシャッターを押したということだけ。撮りたかった衝動の強さ弱さには作品ごとの差異はあったけど、その他はギャグに走ったものもあれば、造形的なラインを狙ったものもあるし、ペットや家族のここぞという瞬間を捕らえた写真の横には旅行に行って撮った気に入った風景の写真があるといった具合で極めてバラエティに富んでいました。みて回ってるうちにわたしは応募する直前のことを思い返して、なんだか一人相撲をしていたような気分になってました。写真にこもった思いというものを、それはわたしにとっては極めて単純で目にする世界にわたしが美しいと感じた何かがかすめて行った時に出来るだけそれをフィルムに定着させたいと思うただそれだけのことで、その言葉にしてみるとシンプルな何かをいかにも恰好つけた風に書き起こしてみようと頭悩ませたり、とっておきの一枚なんていうのに思い惑ったり、そんなことは全然必要でも重要でもなかったんだって。

たとえば応募しようとした写真のリストの中に、結果的には選ばなかったんだけどこういうのがありました。

緑の窓の扉
Nikon FM3A / AI Nikkor 28mm/f2.8S KODAK PORTRA 400

これ、単純にわたしは扉のイメージが好き、緑色のガラスの色合いが好きというだけのもので成立してる写真だったりします。以前小学校の写真で窓ばかり撮ってたことがあるけど、窓と同じくらい扉のイメージも好きなんですね。扉ってその向こう側でどこかこことは違う世界に繋がっているようなイメージに結びついていて、それはおそらく子供のときに読んだH・G・ウェルズ の「白壁の緑の扉」辺りの影響なんだろうと思います。この扉は薄い緑だけどどちらかというと白に近い色、そしてそれを補うかのように窓ガラスのほうが緑色だったわけで、わたしのHNで分かるようにわたしは緑色が好きでもあるから、この緑のガラスがはめ込まれた扉はわたしが好きになる要素が色々詰まってる感じでシャッターを切ったものでした。
でも「扉が好き」だとか「緑色が好き」だとか、込めた思いの欄に書いてみるとなんだか馬鹿げたものの様にしか見えないところがあって、書けといわれた込めた思いについて書きあぐねてるうちに、写真の内実も扉の緑が薄くそのほとんど白にみえる色が若干メリハリを欠いてシンプルすぎるかなと思うところもあって結局この扉の写真は送る写真としては選べないことになっていました。
でも会場に集まった写真をみているうちにその写真たちの有様から、応募する前は頭の中にごたごたといろんなものが想起していたけれど、重要なのは撮りたかったという意思だけで、たとえばこの写真を「扉が好き」というシンプル極まりない一言だけ添えて出しても良かったんだと、改めて思い返したりしてました。

☆ ☆ ☆

これをどうしても撮りたいという衝動や意思が出てる写真、そういう意思があっても上手く写真の形に出来ない事だってざらにあるからそういう衝動や意思をうまく写真に乗せる事が出来た写真はやっぱり何処か注意を引いたり、力があるものになってるなぁと思いつつ、写真をみていて思ったもう一つのことは、多少のひがみも入ってのことなんですけど、やっぱり家族やペットを被写体にした写真はそれだけで注意を引くし力強い印象を伴ってることが多いということでした。
家族の写真もペットの写真もいうならば撮った人が共鳴したとっておきの表情だとか仕草を印画紙の上に定着させたもので、言葉を変えるならシャッターチャンス、決定的瞬間の写真だと思います。
この決定的瞬間ってその背後に決定的じゃない瞬間が無限の連鎖のように続いていて、その連なりの中から特別なものとして際立ってきたものと考えても良いと思うんですけど、こう考えると写真に写ったのはたった一つの決定的瞬間ではあっても、実はその瞬間が決定的な瞬間になるための必要条件である決定的ではない瞬間を、定着されたイメージが決定的瞬間であるゆえにその写真の背後に無条件で含み持つことになってるんですね。云うならば決定的瞬間、シャッターチャンスの写真はその瞬間しか写真の表面に刻まれていなくても写されたものから派生してる何かを必ず背後に重ね合わせてます。わたしにはこれはこういったタイプの写真に広がりをもたらすものの一つに思えます。写っているものしか写っていない写真に比べると、そういう広がりを背後に持てた写真の印象ははるかに豊かで力強くなるはずです。そしてその決定的瞬間の主人公が、誰にとっても生きていく世界で一番身近な存在である家族であったりペットであったりするなら、その写っているものの背後にある何かはある種普遍性を伴った親密なものとして立ち現れてくるんじゃないかと思ったりします。これは強いです。ひょっとしたら扉の写真では太刀打ちできないかもしれないくらいにパワフルだと思います。

云うなら家族やペットの写真はドラマチックな写真。わたしのようにアンチ・ドラマチックな写真を撮る人間としては、昨日と今日の様子が全く同じで写ってるものしか写ってない写真に広がりを持たせるにはどうしたら良いのかって、こういう写真を眺めながら考えたりします。でもこれは言葉に変えられる方法論があるなら話は簡単なんですけど、おそらくそういうハウツー的な方法論といったものはないだろうし、むしろ頭で考えてしまうことはいっそう含みの多い写真から遠ざかって行くかもしれないと思うようなところがあります。そういうことに自覚的になる必要はあるかもしれないけど、最終的にはやっぱりわたしの直感に頼るしかないかもしれず、そういうときのよりどころになるのは最初に書いたような、これがどうしても撮りたいという衝動であり意思なのかもしれないなと思ったりしました。

☆ ☆ ☆

参加者としては自分もそのなかに一枚写真を提供した人間なので、自分が撮ろうとする、撮りたい写真と比較して色々と考えることもある展覧会でした。参加者としては大きく引き伸ばした銀塩プリントが家では見栄えが良かったのに会場ではまるで大きく見えないといった振幅の大きな印象の変化を体験したり、競う類の展覧会じゃないのに周囲を他人の写真に取り囲まれてかなり比較対象として眺めてしまう側面があったり、ブログで好き勝手に掲載してるのとはまた全然違う他人の目に晒される過酷な感覚とか、本当に色々と見に行くまであまり予想してなかった感覚的な体験が出来たように思います。応募したわたしの写真は残念ながら精彩を欠いていたけど、人の前に写真を置くというのがこういう予測できないような感覚だったことを体験できたのは結構面白かった展覧会でした。過酷だけどこういう風に展示されるドキドキ感はちょっと病みつきになりそうなところがあったので、他にもこういう展覧会で参加できそうなのがあったらまた参加してみたいです。

参加してなくて見物に行くだけでも、この展覧会はいろいろとバラエティに富んでいて面白い類の展覧会だったと思います。フジフィルム主催のこの展覧会とは関係ないけど、カメラピープルというコミュニティというか集団があって、わたしはそこが出している写真集が割りと好きなんですけど、展覧会はこのコミュニティの参加者が思い思いの写真を提出して編んだ写真集を眺めてるような気分と似たところがありました。
アマチュアの混沌としたパワーにも触れられるし、自分も写真を撮ってみたくなる楽しさに満ちた展覧会って、プロの個展なんかだとあまり出会わないんじゃないかなと思います。

☆ ☆ ☆

学研のピンホールカメラ
RICOH GR DIGITAL 3

結構展示数が多いので一通り見るとちょっと疲れて、広場に隣接した喫茶店のテラス席で休憩。テラス席といっても吹き抜け空間内にあるので屋内ですけど、その席に座ってピンポールカメラで何枚かシャッター切ってから帰宅。最近このピンホールカメラを持ち歩いてることが多いです。でもよく持って出歩いてる割に上手く撮れてるのかどうか全然確証がないんですね。だってシャッターを何秒開いておくのかも良く分からないままで撮り進めてるから。このフィルム、全部撮り終えて現像に出す時がかなり怖いです。全滅覚悟の現像になりそう。

ピンホールカメラといえば、京都の人限定の情報だけど今月31日から9月の13日まで、京都ロイヤルホテル&スパ 1階ギャラリー(河原町御池の角にあるホテル)でエドワード・レビンソンのピンホール・ブレンダーを使った写真の展覧会があります。わたしはこの展覧会を観にいくつもりでいます。

☆ ☆ ☆

今までにスナップしたものの中から何枚か載せてみます。あえてテーマ的につけてみると音楽が聴こえる街角ってところでしょうか。

マーチング・バンド
DIANA MINI LOMOGRAPHY COLOR NEGATIVE 400

撮ったのは去年の秋ごろだったかなぁ。四条通でマーチングバンドが練り歩いていたのに遭遇して、後を追いかけながら何枚か写真を撮りました。背景にあるアーケードは新京極に隣接する寺町通のものです。
マーチングバンドって結構好きなんですよね。パフォーマンスしながらの行進は見ていて楽しいし、音楽もウキウキするようなのがほとんどだから。撮ったのはトイカメラだったから、そういう味はちょっと出てるかも。
ただバンドの編成は若干小ぶりで練り歩いてる印象の写真は上手く撮れなかったです。

路上
Konica BIGMINI BM-201 Kodak Super Gold 400
梅田界隈

路上パフォーマンスのひとコマ。路上でも電気ものを使うのが当たり前になってきてます。写真はお客さんの位置がかっこよくなるのを待って撮ろうとしてたんですけど、なかなかこれという切っ掛けがつかめなくて結果適当にシャッターを切ることになった一枚です。聴いてくれない通行人のほうが多いのにめげないのは大したものだと思います。聴いてくれてる通行人は少なかったけど演奏は結構上手かったですよ。

音楽といえば個人的なことを云うと最近ウクレレが欲しくなってます。

シャッターチャンス大失敗
CONTAX TVS2 FUJI PRO 400
梅田界隈

これは何の写真かというと、ペルーの音楽の路上演奏をやってる時に、結構ビートの効いた曲だったので、女の子が一人踊りだしたところの写真だったりします。
アンチ・ドラマチックな写真を撮ってる面目躍如というか、結構派手な踊りを踊っていた女の子だったのに、その踊りを撮ろうとしてシャッターきったら派手な踊りの身振りと身振りの狭間でシャッターが切れたようで、まるで何をしてるのか分からないような写真になってしまいました。
このシャッターチャンス運の無さ!
新京極のマーチングバンドのものでも実はバトン振ってる部隊が入ってたのに、これと同じでかっこよく撮れたのは皆無だったりします。

混沌の看板
CONTAX TVS2 FUJI PRO 400
大阪梅田 お初天神近く

これは、ごちゃごちゃしてる!って思って撮った一枚。シャッター切った動機は極めて単純でした。
音楽に絡めて出してみましたけど、さしずめ前衛ジャズの音楽っぽいぐねぐね具合じゃないかと思います。


緑の窓辺
Canon Autoboy TELE6 Kodak Gold 100
京都 麩屋町通

どこが音楽かというと閉めてしまったジャズ喫茶の一角の写真だったりします。
緑色と窓と反射。わたしの好きなものが寄り集まってる感じ。


☆ ☆ ☆

Mondo Cane - Life Savers Girl


どうして「世界残酷物語」なんていう胡散臭い映画に提供したんだろうと思うくらいの、リズ・オルトラーニの傑作映画音楽「More」。
このマーチングバンド風のアレンジはサントラの最初に入ってる曲で、サントラには確か三種類くらい印象の違う「More」が入っていたと記憶してるんですけど、このバージョンの「More」はマーチングバンド好きとしては意外とお気に入りのアレンジだったりします。
弦楽を主にした変格編成のマーチングバンドを編成して、この曲を演奏しながら街の中を誰か歩いてくれないかな。
溌剌としてたおやかで憂愁を帯びて美しい。ちょっと稀有な音楽空間になっているようで、わたしにとっては未だに聴くたびに聴きほれてしまう曲であり続けてます。




☆ ☆ ☆




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コメント

No title

ペットや家族(特に子供とか年寄り)の写真が目を引くのって
多分、刹那的な一瞬を記録したものだからかも知れませんよ。

私がルーシェを撮る時にいつも思うのですけど
「限りあるもの」だから、ついつい遺影を意識しちゃうんですよね。
何処かへ出かけた時も自分では無理ですが
一枚は必ず、自分自身が写りこむようにしています。
撮るのが自分じゃないので思うようには行かないんですけど
遺影と、今の私の記録として。

だからそういう写真は誰が見ても思いが漠然とでも伝わるんじゃないかなぁ?
勿論、ペットや子供の写真なんかは単純に「可愛い」って
目を引くって面もありますけど、それだけじゃないと思いますよ♪

写真って、その人の目ですから
「思い入れのある一枚」というのは
写真そのものよりも撮った時の気持が重要なのかも知れませんね。

私の薔薇友さんで写真ブログをやってる人は家族全員写真が趣味で
かなりコンテストを意識していて(デジイチですけどね)
高価なフィルターや機材、画像処理ソフトたどを駆使していますけど
毎月数種類のコンテストに応募していても入選は数回です。
でもコンテスト狙いの為だけに撮った「見え透いた思い入れ」は
バレちゃうんでしょうね(^^;

薄荷グリーンさんの写真って凄く素敵なのに
やっぱり次回はブログに載せたものが良いのかも(笑)
で、普通に撮った時の気持で選ぶといいと思います♪

是非是非、懲りずに出して下さいね~
私も前述の友人に教えて貰って調べたら
フォトコンって凄い数あるんですよね~。
私の場合は「猫とインコ」っていう有り得ない取り合わせで、
いかにも審査員受けするズルイ内容でしたけど(^^;
でも応募して結果が出て、他の人の写真とか見るのも楽しかったですよ~(笑)
やっぱりそういう刺激は日常ではそうそう無いですからね(笑)

こんにちは(^^)

すごく規模の大きな写真展なんですね~!
様子をうかがうと、私の想像をはるかに超える
ものだったので、びっくりしました。
作品を出していない一般の方も、たくさんいらしたので
しょうね。楽しめそうですもん^^
でも、実際に作品を出した薄荷グリーンさんは、
楽しむことと同時に、色んな視点で、写真をみたので、
つかれたかもしれませんね。
でも、次回のアイデアにもなって、良かったですね^^

私の眼から見ると、家族やペットの写真と、
街角の風景写真では、趣がまったく違うような
気がするんですよね~。
街角や物の写真は、その着眼点に、感動します。
薄荷グリーンさんの写真を見ていて、そう思います^^
最後の京都 麩屋町通のショットは、すごく絵になっていますよね(^^)

No title

こんにちは!
少し気候が穏やかになってきて、良かったですね。
夏好きの私も、さすがに、も~いいやろ・・って感じでしたから。

>略図で間に合うだろうなんて思ってしまう

私も!私も、方向音痴で、毎回迷うくせに調べないんですよ。
なんででしょうねぇ~
略図みて、あ、絶対今回は簡単って思っちゃうんですが、初回は、スムーズにたどりついたことありませんね。
私の場合は、いつか、略図で一発でいってやろうという気持ちを抱いてるかもしれないですが。。^^;

展示会大きかったんですね。
違う視点で見れたり、気づきもあって、よかったですね!

そうですねぇ。
出展する作品は、考えすぎると駄目なのかも?
そういえば、私、よく昔は、カットイラストを投稿してたことがありまして、色合いがポイントだと当時は、いつも色の加減に必死になっていたけど、あるとき、なにげに書いた白黒イラストに少しの色合いを混ぜた作品を投稿したのが入選した過去があります。

肩の力をに抜いたもの・・これが、本来の作品なのかも?
そう思ったこと思い出しました。

今後の展示会の参加で、また、いろいろ見えてくるものがあるでしょうね。
楽しみですね。

ROUGEさんへ

こんにちは!

わたしも家族とペットの写真は記事にも書いたように決定的瞬間の特徴がよく出てくる写真だと思ってます。その瞬間にしか存在しない瞬間(言い方変ですけど)を捉えるのってカメラの本義のようなところもあるし、それに生活を構成する普遍的なものが絡んでくるわけだから、分かりやすくもあります。こういう写真をみて、何だこれ?って思う人はまずいないわけでそれだけやっぱり安定して何かを伝えられるテーマになってるんじゃないかと思いますね。
逆に云うと家族、ペットをテーマにしてあまり興味を引かない写真だと余程の何かが欠落してるというか、そういう意味では興味を引いて当たり前という前提で撮る写真でもあるところはちょっと怖いところがあるかもしれません。

ちなみにわたしは写真撮るのは好きだけど、撮られるのは大嫌い。カメラ向けられると逃げ回ってます。どうも自分を客観的に観察できない性質らしくて、自分の写真をみた時は奇妙に居心地の悪い感覚を覚えてしまいます。自分の記録も取っておくのは良いとは思うんですけど。

わたしも写真は対象が写るというよりも対象とわたしの関係が写しこめて初めて意味を成すものになると思うところがあって、写ってるものしか写ってない写真を写真らしいものにするのは写すわたしと被写体との関係性にあると考えてます。自分でファインダーを覗いてシャッターを切ってるわけだから自分との関係性の中でしか対象は写らないはずなんですけど、そこはまた一筋縄では行かないというか、やっぱり難しいところがありますよね。

ブログに載せたものを避けて選ぶというのはやっぱり難しかったです。何しろ一番気に入ってるものをブログに載せていたわけだから。でもこういう場所に提出するものは一度も公開しなかったもののほうが良いという考え方はやっぱりわたしのなかにあって、どうも自分を模倣してるような感じがして気が進まないところが合ったりします。ブログの写真をどうしていくかはちょっと考えてみたほうが良いかもしれないなんて思ってます。
選ぶときはとにかくあまりごたごたとは考えないと、これは肝に銘じておくほうが良さそうですね。ごたごた考えて良い結果が出るってこの場合でなくてもあまりなさそうな気がします。

今回のはコンテスト形式じゃなかったし、その点は気楽に出せてよかったです。思惑違いが色々あったけど基本的に参加して面白かったから、次回もまた参加しようと思ってます。でもコンテストはどうかなぁ。写真やってる人って月例コンテストに出すのが趣味のような人も大勢いる感じだけど、わたしはそのタイプなんだろうかって思うところもありそうです。もっともコンテストに応募してみたら思いのほかはまってしまうということもあるかもしれないけど。
ともあれ今までやったことがないことだったから人前に自分の写真を晒すという感覚はなかなか刺激的でした。だからリアルな場所で写真を披露するというのはいろんな機会を見つけてやってみたいとは思っています。

りい子☆さんへ

こんにちは!

規模の大きな展覧会でしたよ。吹き抜けの広場の4分の3くらいのスペースを、何らかの形で展覧会のスペースにしていたし、展示の壁は一般的な展覧会のように一点一点が距離を置いて展示されてるのではなく、びっしりと敷き詰めたような形の展示になってました。でもこれで大阪会場を指定した人の写真だけなんですよね。でもこの会場に展示されていたものを見るだけで全部は把握しきれないし疲れてしまいました。
本当に変化にとんだ写真の展示になってましたから、見に来るだけでも結構面白く見られたんじゃないかと思います。しかも見物は無料だったし。応募した側としても色々と考えることがあって良かったです。ただもうちょっと上のほうに展示して欲しかったけど。これ、展示の順序はあいうえお順だったので、本当に運が悪かったとしか云いようがないんですよね。
次の回の応募写真、今から準備していても良いかもしれませんね。選ぶ段階で本当に迷ってしまって、思考も硬直しがちだったんですけど、こういうのも時間的な余裕があればもうちょっと柔軟に対応できたんじゃないかと思います。

猫の写真撮ってみたいけど、猫飼ってないし。野良はカメラ向けるだけで逃げていくからうまく撮れないです。猫の写真撮ってる人は猫の扱いにも長けてそうなので、猫の写真を撮ろうとする前に、わたしだったらまず猫になれるところから始めないといけないかも。
街中の写真は切り取り方で印象が随分と変わってきたりします。そういう被写体の魅力を引き出す撮り方をもっと自分のものにしたいと思うんですけど、難しいですね。試行錯誤を繰り返す以外にないと思うので、とにかく写真を撮ってみるしかないのかなと思ってます。
最後の写真はちょっと洒落てましたか。これを撮った後でもあの店の前を通るたびにかっこよく写真撮れないかなと思ってるんですよね。シックなグリーンがお気に入りの建物でした。
洒落た被写体を見つけるとそれだけでも楽しくなってきます。

No title

薄荷グリーンさん、こんばんは(^_^)v

今はデジタルカメラが主流になって撮ったその場で画像を確認出来ますし
気に入らなければすぐに消去、記録する容量ももの凄い量を記録出来るようになって写真の撮り方ってすっかり変わりましたよね。
ほんの10年ちょっと前はまだ35ミリフィルムを使うカメラが主流でした。
その頃は一枚一枚が貴重でシャッターを押すのもこの時を撮りたいと思う時でしたね。
今は気軽にシャッターを押せる時代になりましたけれど、やっぱり写真を撮るってシャッターを押したいって思う事なんでしょうね~。
読んでいてそんな風に思いました。

SATOMI さんへ

こんばんは!

なんだか今日はまたちょっと暑くなってきたような気がしないでもない一日でした。でもあれだけ暑い日はもう来ないかな。過ごしやすくなってきた夏は本当に好きな季節。暑すぎて楽しめなかった分を残りの夏で楽しめたら良いなぁと思ってます。夏って、この暑さはいつまで続くと思いながら、涼しくなってくるとなんだか一抹の寂しさがあるんですよね。

わたしの場合は略図でも分かった気になるんですよね。この道とこの道を通れば着くんだから物凄く簡単♪って思ってしまう感じ。そして同じく実際の場所に行って見るとこの道がどの道かさっぱり分からなかったりするんだけど、略図は分かりやすく書いてあるようにみえるから、いつも今度は大丈夫と思ってしまいます。一度目的地についてしまうと全体の地形の把握はわりと簡単にしてしまうほうで、そうなると迷わなくなってくるんですけどね。
略図から一発勝負で目的地に着けばなんだか凄い達成感を得られそうな気がしますね。
最近は自分がどこを歩いてるのか分からない状態にして街中で写真撮り歩いたりするんですけど、帰ってからグーグルの地図なんかを見てどういう風に歩いたのか確認するのが面白かったりしてます。ひょっとしたら略図だけで飛び出すのはわたしの場合は迷う感覚を楽しんでるところもあるのかもしれないです。

展覧会は意外と規模が大きかったです。写真だとちょっとこじんまりと見えてるかもしれないけど、作品はびっしりと並べてあったので数としてはかなり多かったように思います。一通り見終わっても全体を把握したような気分にはならなかったから。
本当に自分で眺めてるだけでは思いもしなかったようなことも色々と頭をよぎったりして、刺激的でした。参加してみて始めて分かることって結構あるという体験が出来たのはやっぱりよかったです。

自分で作ったものは自分で判断できないところも多分にあるのかもしれませんね。だからあまり考えても必ずしも良い結果になるとは限らないし、やっぱり自分の直感を信じるのが一番なのかもしれません。迷ったというのはやっぱり何処かもう一つだと思ってるところがあったんだと思います。

展覧会に参加すること自体は本当に面白かったから、またこういうのを見つけたら参加してみたいです。

こんばんは

おっしゃるように決定的瞬間の写真には勢いがありますし、面白いかもしれません。でも、最近私のブログを毎日のように訪問してくれる人で、風景など人物以外の対象を写真に収めて掲載しているブログを拝見しましたが、圧倒される写真があります。薄荷グリーンさんの写真も自分が思っている以上の出来かもしれませんよ。でも、写真に込めた思いを書けなんてちょっとおかしいと思いますね。プロの写真家や画家だって自分の作品にそんなたいそうな思いは込めてないと思います。やはり撮りたいから撮った。描きたいから描いたんだと思います。それでいいと思うし、いちいち思いなんて込めてたら楽しめないですよ。

でも、展覧会を楽しめたようでよかったですね^^
私も写真を始めたくなってきます。

ティーグさんへ

こんばんは!

この展覧会でどれだけの人がフィルムカメラを使っていたのかは分からないですけど、なかには恋人がカメラを構えてる写真を撮って応募してるような人もいて、その応募作品のなかで写された恋人はほぼ全員フィルム一眼を構えていたんじゃないかなと、今思い返してみるとそんな印象が残ってます。意外とフィルムカメラ使ってた人も多かったのかな。
わたしはデジタルを最初に使っていて、トイカメラに興味を持ったのが切っ掛けでフィルムを使うようになりました。トイカメラって実はフィルムカメラが主流なんですよね。トイカメラの存在を知ったときはなんだか面倒臭そう、現像に持っていくってどういう風にすれば良いのかわからないしなんて思ってしばらく手を出さなかったんですけど、その後使ってみると、デジタルに移行した時におそらくフィルムカメラから離反する理由となったようなもの、一枚取るのにもコストがかかるとか、現像に持って行かないと見られないとか、一度感光させたフィルムの像は二度と消せないとか、いろいろと不便だと思われたことが実は全部が写真の面白さに繋がってると気づいて、フィルムが面白いと思うようになりました。

確かにフィルムで撮ってると一枚撮ることに対してちょっと意識的になったりします。デジタルでもこの瞬間を撮りたいと思うときは一緒だとは思うんですけど、撮りなおしが出来るということが無意識的にでもあるとやっぱりフィルムでシャッター切るのとはちょっと違う意識で切ってるところがあるかもしれないですね。
でもフィルムカメラを使ってなくても、この展覧会のようなものを目にすると、本当にとにかくこの表情を撮りたかったとかいった熱気のようなものが伝わってくる写真もあって、そういう熱気を受け取れば使ってるのがデジタル、フィルム関係無しでシャッター切る時の衝動なんかに改めてもう一度思いをはせることも出来るんじゃないかと思います。
そういう熱気を受け取るにはアマチュアが他に打算的な目的もなく単純に撮りたい意思によってシャッターを切ったに違いない写真が混沌といっても良いくらいに数多くテーマも無しに集められたこういう展覧会は絶好の機会だったんじゃないかって思ったので、本当に見に行ってよかったと思ってます。
フィルムでも慣れてくると意外とおざなりにシャッター切ってるところもあるので、その辺は自戒を込めて写真の海の中を泳ぎまわってきました。

撮りたかった瞬間を撮りたいと思ってシャッターを切って、その意思が写真のどこかに表現されてたら本当に楽しいし、もっと写真を撮ろうって云う気になってきますよね。

kurtさんへ

こんばんは!

わたしもいろんな写真があって良いと思います。シャッターチャンスの写真だけが写真じゃないし。わたしは自分を取り巻く世界がわたしにはどう見えたのか、そういうわたしと周囲の世界の関わり合い方を写真に撮れれば良いなぁと思ってシャッターを切ることが多いです。記事中で自分の写真をアンチ・ドラマチックって云う云い方をしましたけど、これはあまりマイナスイメージで使ったんじゃなくて、わりと肯定的な写真のあり方として使いました。決定的瞬間の写真もまぁとって見たいところはあるんですけど、ダンス少女の例でも分かるようにわたしにはあまりむいてないかもしれないと思うところがありますね。
わたしの写真は送る時に迷ったという段階でやっぱり満足していない部分があったんだと思います。そういうところは意外と良く見てる人にも伝わったりするからやっぱりそんなに良い出来には見えてなかったと思いますよ。

込めた思いは他の人のも気になってたんですけど、応募した人の大半は無視してるようでした(笑)
そんなに真剣に考えなくても良かったし、真剣に考えても写真のことを十全に説明するような内容にはまず誰もならないと思います。言葉で表現できないから写真に撮ってるところもあるわけだから、それは当然のことだったんじゃないかと思います。
仰るように撮りたかったから撮った、これが一番だしこれで十分なんですよね。この展覧会、他にも「絆」という言葉も使っていたから、震災との関連というか、あの時醸成されたものの延長で展覧会を纏め上げたかったんだと思います。わたしにはちょっと馴染みにくいコンセプトでした。

今度出す時はこういうのは適当に流して考えることにしますね。

展覧会自体は本当に楽しかったです。熱気だけは確かにあったし、そういう熱気をきちんと銀塩プリントにした写真から受け取ることも出来ました。アマチュアで自分と同じような立ち位置から自分の撮れる写真を撮ろうとしてる人が大半だからそういうところも共感の覚えました。
絶対に自分も写真撮りたくなってきますよ。あの会場に見に来た人の中でも今頃カメラ持って出歩き始めた人もいるかもしれないです。

No title

おはようございます。
とても蒸していますが、風があるので救われています。
おいしい肉まんに蒸しあがりそうなとのです。

京都麩屋町の窓、台湾で同じような感じのものを見ました。
なんか吸い寄せられる感じで写真を撮りましたが、
この感じ、すごく好きです。

人に見られるための写真を出品するって、やはりいろんな思いがあるものなのですね。また出品なさったら教えてください。

No title

こんにちは

今日辺りはまた暑い夏がぶり返してきてますが、少し前までは、やわらいだ感じがしてましたよね。考えてみれば、昔はいくら暑いと言っても体感的にはそのやわらいだ感じくらいだったように思った分けなんですけどね、やはり最近の暑さは異常です。

写真展に出展した感想は、薄荷グリーンさんの作品が精細を欠いてるように感じられて残念に思われてしまったようですが、でも、それに引き換え多くのものを得られたとのこと、良かったです。参加費を払い苦労して出展された甲斐もあったというものですよね。

そして、決定的瞬間を撮らない写真家、アンチ・ドラマチックな写真というコンセプト、面白いですよ。
薄荷グリーンさん独自の視点で切り取られた静物が、いつの日か多くの人の共感を得て、心を動かす時がくることを願ってます。
で、実際は躍動感のある踊りを踊っているのだけれども、躍動感のない写真、面白いです^^
まぁ、ある意味、これも決定的瞬間と言えるのではという気もしますが(笑)

マーチというともっと雄壮な音楽というのを思い浮かべますが、「More」の優美なメロディでマーチのアレンジというのは意表をついてる感じでありながらもマッチしている様子が良かったです。映画音楽ならではのアレンジってことなんですかね。

とのさんへ

こんにちは!

こちらも一時過ごしやすくなったのに、またちょっと蒸し暑くて不快な感じが戻りつつある感じになってます。夏を満喫したい気分と蒸し暑さから逃れたい気分が葛藤してるような状態というか、まだしばらくはこの葛藤の時期が続きそうです。わたしの肉まんは肉が多すぎて夏にはちょっと暑苦しいかもしれないです。

台湾でも似たようなものがありますか。台湾って町の色合いとかはどんな具合なんでしょう。カラフルなのかなぁ。
京都は景観のために高さ制限とかしてるわりに、街の色合いとかには全く無頓着なところがあって、別に統一しろとは云わないけど、単純なグレーが支配してるさえない色空間が多いです。空も電線が多くてあまり綺麗じゃないし。
色に関してはもうちょっと色のある町並みのほうが写真に撮り甲斐があると思うので、こういうシックな緑色の建物なんかがあると凄く目に付いたりするんですよね。ここは小さな喫茶店だった所で窓の感じも洒落てる上にちょっと寂れた感じが加わって独特の風合いになってます。こういうところを見つけたくて街中をうろついてるんですけどなかなか気に入った場所は見つからないです。

自分で眺めてるのとはやっぱり違う感触がありました。生の視線に晒されてるという光景はやっぱりかなりドキドキするもので、その場にいられないような気分になるところもありましたよ。他人の写真と同居して展示というのもちょっと独特の感じかな。競う展覧会じゃなかったけどどこか比較してみてしまう部分が出てきてたし、こんな生々しい比較の気分って自分のブログに載せてる程度だと絶対に味わえないものだったと思います。
もうちょっと気分よく自分の写真が飾られてるのを見たいので、またこういう催しがあれば参加して見たいと思ってます。その時は精彩ある展示だったって云う記事が書いてみたいですね。

ジオヤーさんへ

こんにちは!

一旦過ごしやすくなったと思った後の暑さの再来は体にも精神的にもちょっときついものがありますね。おまけにこのところ天気もはっきりしたところがなくなってきて鬱陶しいです。この前歩いていてサンダルの具合を直そうとかがんだら、地面近くの空気の熱かったこと!ちょっと吃驚するくらい熱気を帯びてました。エアコンだとか土の地面が露出してるところが少なくなったとか色々あると思うんですけど、やっぱり今の夏の気温ってわたしもちょっと異常だと思います。第一昔は日射病って云ってたけど、そういうので危なくなる人ってあまり話題になるほど多くなかった記憶があるし。段々と夏を乗り切るだけで命がけって云う感じになっていくのかなぁ。ちょっと怖いです。

展覧会は出してみないと分からないことも多々あったので、ぎりぎりでかなり自暴自棄的な気分で提出したものだったけど、やっぱり出さないよりは出してよかったと思ってます。これでわたしの作品がオーラにつつまれてでもいるような印象だったら文句なしだったんですけど、それでも参加費の500円の元はとるくらいのことは色々と貰って帰って来た感じでした。出さなければ精彩を欠いてるということさえ気づかなかったんだから、それに気づいただけでも大儲けだったかもしれません。

アンチ・ドラマチックというのは、マニュアル操作のカメラだとか、使ってる機材の性質なんかでも決まってしまうようなところがあるんですけど、それが嫌だったら他の的確な道具に変えてるだろうから、基本的に自分がやろうと思ってることと馴染まないコンセプトじゃないんだと思ってます。そういう写真を撮る人って現在では結構いるんですけど、なんでもない風景をまるで作為無しに撮ってる写真なんか観ると、一体何が拠り所だったんだろうとか、ドラマチックな写真よりもかえって興味を惹かれるところがあって、そういう興味も自分の写真になんらかの形を与えてるんじゃないかと思ったりしてます。
共感を持って観て貰えるのが写真撮ってる限りは一番の理想になってきますよね。やっぱりいろんな機会に人目に晒すことから始めないといけないのかなと思ったりして、そんなことを考えると奮起しないと!なんて思ったりします。

ダンス少女の写真、面白かったでしょ。失敗したのも出してみるのも面白いんじゃないかなと思って出して見ました。仰るとおり見方を変えると実はものすごくシャッターチャンスに恵まれた写真でもあるんですよね。激しいダンスのシーンを撮って、ミュージシャンと睨み合ってるようなこんな瞬間の写真を得られる人ってあまりいないかもしれないし。一見まるで動きがなくて躍動感が全然ない印象だけど、本当は物凄い裏シャッターチャンスの写真だったという写真をテーマにしても面白いかも。

マーチングバンドってどうなんでしょうね。わたしは好きだけど。音楽を奏でながら街を練り歩くってそれだけで楽しそうだし。楽器くるくる回したりするとパフォーマンス的にも面白いですよね。
モアは音楽自体凄く好きなので、マーチになったのも最初に聴いた時に問答無用で好きになった感じでした。優しい感じのメロディだけど練り歩くリズムに意外とあっていて、そういうところを面白く聴いてもらえてよかったです。映画音楽はいろんな場面に会わせる必要があるから、曲作りもひょっとしたらそういうことを考慮して作ってるかもしれないですね。
このリズ・オルトラーニって言う作曲家、「食人族」なんていう映画の音楽も作ってるので、こういう映画がひょっとしたら好きなのかも。

No title

こんばんは~
今回紹介の曲を聴いてちょっとショック。
世界残酷物語の映画は記憶にありますよ。
でも、この曲は覚えていなかった。
なぜ、こんなにいい曲がこの映画に!?って、ちょっと衝撃でした。
曲のノスタルジア感と、映画のギャップを狙ったのかな~?

家族やペット、はたまた絶景の景色の写真っていうのは強いですよね。
見る人の目にダイレクトに入り込んで来ちゃいます。
見ていると、見ている方が徐々に疲れを覚えちゃうんですよ。
インパクトが強すぎる写真とか、なぜこの写真を応募に選んだの?って考え込んだりして、けっこうくたびれます。(^^ゞ

主題のない写真展みたいですから、雑種雑多な展示の印象みたいだったんですね。
主催者の狙いはそこだったんでしょうから、薄荷グリーンさんの1枚がそれに色を添えたのだと思えばそれで良かったのかと思いますよ。

No title

このような主旨の写真展に応募されたことが
薄荷グリーンさん、個の面白い部分ですよね。

展示されていた一般応募写真がどんなだったか予想がつきますね。
並んだ写真の中で、ご自分の写真が異質であると
感じられたのでしょうかね?
それが個性なんじゃないでしょうか。

精彩を欠いていた、パッとしなかった

スゴイことだと思いますよ。

撮った作者の名前がわからないままで
薄荷グリーンさんの作品をみつけたら
きっと、私「薄荷グリーンさんが撮ってる」って
直感でわかる気がします。

写真て、生涯楽しめるものなんだな〜って
本日のブログを読ませていただいて
強く思えました。
ありがとうございます。

kuroさんへ

こんばんは!

わたしは音楽のほうを先に知って、これがモンド映画の語源になったタイトルの映画に使われていたと知ってびっくりしたほうでした。
わたしだったらこんなとびっきりのメロディを思いついたら、絶対にそれに相応しい映画の依頼が来るまで温存しておくのにって思います。
作曲家のオルトラーニはのちに「食人族」の映画音楽を書いていて、これは映画のほうを先に見て後でオルトラーニだと知って吃驚した形になりました。
世界残酷物語のほうはモンド映画の祖として映画史に残る映画だから、内容はこんなのでもある意味この曲の値打ちを裏打ちしないこともないところがあったけど、片方は食人族だもの。ブレアウィッチの元ねたになった映画という価値はあるものの、すでにMoreで大作曲家になってるのに、こんなゲテモノ映画に参加するって、意外とオルトラーニさんはこういうタイプの映画が好きなんじゃないかなと思ったりします。
kuroさんが予測するように、結果的に世界残酷物語は映画内容とこのきわめて美しい映画音楽のギャップで記憶に残るところもあったから、胡散臭い映画好きな上でこういう工夫を思いついたのかもしれないですね。

ペットの写真は本当に強いと思います。観た人誰もがペットへの親近感を無条件で写真の上に乗せてくれるところもあるから、共感を持ってみてもらいやすいです。ただこういう形式の展覧会でいろんな人のペットの写真が一堂に集まってると、勝負はちょっときついことになるかもしれないけど。
共感を呼びやすいテーマだからちょっと卑怯だなぁなんて思って眺めながら、それではわたしにペットの写真が撮れるかというと、おそらく撮れないだろうなぁと云うのが本音だったりします。なんだか独特の難しさがありそう。
風景写真も自分に撮れるかなと思いながら見て回った感じがあって、こっちはきらびやかに撮ってるようなのは自分が撮るようなものではないなぁって云う思いでみてるところがありました。わたしが撮るのはもうちょっと淡白というか、やっぱりあまりドラマチックにはならないような気がして、そういうところは、やってることは単純にシャッターを押してるだけなのに、結構わたしの性格が反映されてるのかもなんて思ったりします。

わたしのはあの中であまり目立ってなかった印象だったので、それなりに彩を添えてたとしたらいいんですけど、どうだったのかな。参加者の分だけ種類の違う写真が集まるって意外とユニークなコンセプトなので、展覧会は本当に面白かったです。こういう撮り方もあるのかって思う写真も多かったし、これは自分では絶対に撮れないという写真もあって、こういう感想は雑多に作品が集まった展覧会ならではのものだったと思います。

toriさんへ

こんにちは!

審査無しというのが気分的な負担無しに関われるかもしれないということと、一度人前に出してみたいというのがあって応募してみました。人前に晒す一番簡単な方法は個展かもしれないけど、これは500円では実現できないし、お昼ご飯にも満たない金額で参加できるというのも応募してみようとしたきっかけだったかもしれません。

精彩を欠いてると思ったのはあの、他人の写真と一緒に隙間なく並べられたために生じた感想だったと思うんですけど、自分のものだけを並べる個展とかだったら感じない感覚だったと思うので、審査的なもの無しに展示はしてくれたけど参加したほうにとってはこの展覧会は意外と比較されるような要素が隠れてる展覧会になっていたと思います。
なんか落ち着かなかったです。自分の作品を目的としていない知らない人が自分の写真が展示してある一角の前まできてどんな反応をするだろうかって。こういう感覚を味わうのは実はあまり予想してなかったので、なかなか興味深い体験ではありました。

ちょっと浮いていた感じはやっぱりあって、場違いだなぁとかもうちょっと場に馴染んだものを持ってきてこれと交換したいなんて思いは会場にいる間ずっと感じてました。それがわたしの個性だったらいいんですけどね。送る直前にいろんな要望に応えようとして悩んでしまったように、わたしには場所に合わせようとする部分がかなりありそうな気がするので、場違いだと思うくらいのほうがひょっとしたらわたしには良い状態なのかもしれませんね。
撮る時には余り個性的であろうとかは考えたりしないんですけど、手を加えようのない被写体を、シャッターを切る以外に特に個性化できるわけでもないカメラで切り取って、それでもそこにわたしでしか切り取れなかった世界が写しこまれてるとするなら、写真ってやっぱり面白いところがあると思います。一目でわたしが撮った写真だと分かる、そういってもらえると凄い光栄です。そんな風に云ってもらえる写真を撮っていきたいです。

撮ることが楽しいしこういう状態で撮っているとわたしもいつまでも続けられそうに思ってます。芸術作品をつくろうなんて思い出すと、この被写体だとつまらないとか思い始めそうで、そうなるとへたをするとひょっとしたらあまり写真撮らなくなりそうな気もします。だから作品を作ろうという心意気も大切だけど、その前に撮りたかったからシャッターを押したという衝動もすごい大切なんだということを改めて思い至ったのも、この展覧会を見に行った収穫だったと思います。
お互いに楽しく写真撮り続けていきましょう!
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