【写真】初夏の頃奈良にて鹿と戯れる +【音楽】非在の場所から ー ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー

このところ朝晩はやや過ごしやすくなったとはいえ、日中は相も変らず汗拭きタオルが手放せないような日々が続いています。肩や首にカメラを提げて出歩いていると、知らない間に黒いカメラが日光を吸収して、触ると吃驚するくらい熱くなっているのに気づいたりして、世間では残暑、残暑と言い出しているにもかかわらず、夏が最後の力を振り絞って持てる熱気をここですべて吐き出しつくそうとしているような感じです。
でも、まだまだ昼の太陽は熱波を送り届けてくるとはいえ、残暑という言葉を目にする機会が多くなったせいなのか、なんだか去っていく夏を惜しむような感覚もわたしの中に芽生え始めていて、思うに夏って「夏の名残の薔薇」なんていう詩情溢れるタイトルの曲があるように、去っていくのを感傷を持って眺めることが出来る唯一の季節なんじゃないかと思います。去りゆく冬を感傷を持って眺めるなんてあまりありえない感覚だし、そういう意味ではやっぱり夏は四季の中でも特別のハレの季節、祝祭感に溢れた特別の季節なんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

とまぁ、夏の記事らしい枕を置いてから、今回の本題、奈良で撮ってきた写真のお話です。奈良に写真を撮りに行っていた期間はフィルムをスキャンしてPCに取り入れたフォルダの日付からいくと大体4月の終わり頃から6月の始め辺りまで、春の終わり頃から梅雨が明ける直前の頃までのことでした。夏が始まって以降に見舞われることになった熱波がもたらしたものほど暑くはなかった記憶があるんですけど、タオルで汗を拭きながら歩き回っていたのは覚えているので、今年の強烈な夏を間近に控えた予兆に満ちた暑さはすでに周囲の空間を染め上げているような感触がありました。

奈良といっても県内に点在する史跡を巡って色々と撮影場所を探したわけでもなくて、京都から直通でいける近鉄の奈良駅周辺を歩き回った程度でした。近鉄の京都からの直通に乗れなくて西大寺で乗り換えても2つ先の駅が終点の奈良。直通に乗れば寝ていても目的地に簡単に着きます。わたしは西大寺で乗り換えてまた延々と電車に乗って大阪の難波に行ったりすることがあったんですけど、大阪に行くことを思えば奈良は京都からはかなり近いです。
近鉄奈良駅の周辺には東大寺、春日大社、奈良公園、若草山などがあり、この地域で歩き回った最大のポイントは鹿がいること。奈良というとイコール鹿というイメージだと思うんですけど、奈良の鹿は春日大社の神様の使いなので、春日大社が存在しないほかの地域の奈良には鹿はいません。この鹿がいる地域でも鹿が闊歩しているのは若草山や奈良公園と春日大社の森を中心にしたこの一角だけで、隣接する奈良駅の近くでも公園の一部ではなくなると、鹿が歩き回る領域ではなくなっているようで一切見かけなくなります。

☆ ☆ ☆

実は奈良公園周辺に写真を撮りにきたのはこれが初めてではなくて、ちょうど去年の今頃に一度カメラを持って訪れてました。その時は近鉄奈良駅から南のほうに進んで猿沢池やならまち辺りを散策したんですが、猿沢池は辺に立つと向かい側がそのまま見えるというか簡単に全貌が見渡せるただの丸くて小さな池に過ぎず、池の辺を歩いても特に見た目が変化するわけでもない、一軒土産物屋が建ってるのがアクセントになる程度の単純に丸い池を一周してるだけの感興しかないような場所、ならまちのほうは京都の街中を歩いてるのと大して変らないなぁと言う印象のところでした。
だから去年の奈良行きはたいした写真も撮れずにこんなものかなとそれほど後を引かずに終了。それでも今年の初夏にまた写真を撮りに行く気になったのは、思い返すと冬の終わり頃に荒涼としたものを撮りに宇治川公園に行った延長上のことだったのかもしれません。

宇治川公園で衣を纏った管の写真なんかを撮っていた後、もっと荒涼としたところはないものかといろいろとチェックして、平城宮跡に行ってみたことがありました。

近鉄西大寺駅から奈良駅に至る短い区間の中ほどにある遺跡というか、広大な広場といった風情の場所。ここは昔平城宮があったところで、都ははるか昔に土の下に埋もれてしまっていたんですが、その都を土の中から発掘して、現代の地にそのまま復元させようという計画が進行している場所です。今もその計画は実行の真っ最中で、何もない野原に都が建設され始める頃の様子はこんなのだったんじゃないかと思わせる光景が広がり、野外の巨大博物館といった感じになりつつあります。ただ現在のところは朱雀門や大極殿などの建築物は建ってはいるけれど、場所の大半はまだ何もない平原と湿地、そしてそこを区切る道路跡と並木のように植えられた木々といったものが見えるだけのところだったりします。
この時撮った写真はこんな感じでした。

平城宮跡大極殿
LOMO LC-A : FUJI ACROS 100
平城宮跡 大極殿

野鳥を撮りにきた団体が三脚の列を作っていたり、ピクニックの家族連れが来ていたりと、多少の人の姿は見られても、何もない空間の印象が強すぎて、ただひたすら被写体が存在しないといった場所でした。
これほど何もないと、何もないことの荒涼さを写し取る腕がない限り、荒涼としたものを写したくても写せそうなものがないという意識のほうが強くなって、結局色々と工夫する発想も思い至らずに、この時はほとんどシャッターを切らずに帰宅することになります。
ちなみに、奈良に写真を撮りに行ったあとで数年前に放送していたドラマ「鹿男あおによし」を観たんですけど、最後の儀式を執り行った場所がこの平城宮跡でした。ドラマでは鹿がここまでやってきてましたけど場所的には春日大社からはそれなりに離れているので、実際には鹿はここにはいないです。

どこに写真を撮りに行こうかと思案した時に、こんな切っ掛けで去年奈良に写真を撮りに行ったことと意識がリンクしたようで、晩春から初夏にかけての期間、暇を見つけてはたびたび奈良公園に写真を撮りに行くことになったわけです。
そういえば去年の夏頃に奈良公園へ写真を撮りに行った時、あの時は個人的な事情で春日大社の森に入れずに、結局奈良公園のほうはほとんど足を伸ばさず、京都似のならまち散策で終了してしまったけど、今年は神社にも気兼ねなく入れるからひょっとしたら面白いところでもあるかもしれないと、思ったこともあったのかもしれません。

先にも書いたように、今回歩き回っていたのは近鉄奈良駅からあまり離れずに散策できる範囲に限定していて、エリアとしては東大寺から春日大社の一帯で、西の果ては佐保側流域を少し歩いた程度、東の端も若草山のある辺りまでという結構狭い範囲となりました。あとで思うには、佐保川のほうは街中を歩いていて偶然発見した川沿いの散策路だったので思いつきで散策範囲を広げたといったところがあったけど、中心は、ほとんど意識はしてなかったものの鹿がいる領域というのに限定して歩いていたような気がします。


☆ ☆ ☆ 街角 ☆ ☆ ☆


奈良駅に着く直前から地下化する近鉄電車を降りて東端の出入り口から地上に出てみると、駅の東側に沿って南北に商店街のアーケードが連なっています。奈良公園へ繋がる駅前の大通りによって北と南に分断されている商店街で南の猿沢池やならまちに通してる東向商店街はいかにも観光地の商店街といった風情で京都で云うと新京極っぽい雰囲気がある通り。この商店街は猿沢池に通じる三条通と交差するところに出るとお土産屋が並ぶ一角に繋がっていきます。去年やってきた時はこちらの商店街を抜けて南のほうに行ったので、今回は大通りをはさんで北に伸びる東向北商店街のほうを歩いてみました。晩春に奈良で歩き回っている時のコースはこちらの商店街を進んで途中で東に折れて東大寺のほうに行くというようなコースを辿ることが多かったです。通り一つはさんでいるだけなのに、こちらはかなり地域に密着した商店街という風情に変化してます。知らない場所でその土地の商店街なんかを歩くと、その地域の生活に密着している分、こちらの生活と遊離している部分が観光客を想定して展開している商店街よりも生々しくて、見慣れない感覚が強くて面白いように思います。
そんな東向北商店街で出会ったショーウィンドウ。

不気味なショーウィンドウ
Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100

このウィンドウに出会って一目見て思ったのは「不気味」ということでした。陽射しのきつい日で、表通りに面したウィンドウでもなく前を通る人もいなかったせいもあって、白昼夢のような雰囲気さえあったのでおもわずシャッターを切った感じ。
どうして乱歩の小説に出てきてもおかしくないくらい不気味な感じがするんだろう?と思い、ひょっとして首無しマネキンのせいなのか、埃が積み重なってる感じもするガラスの中で永遠に微笑んでいる子供のマネキンが思い起こさせるのが、不気味さの根源を探りたくて部分を切り出した写真も撮ってみたんですけど、出来た写真はこれほど不気味な感じはしなかったです。
近接して撮った写真を考え合わせると、これだけの数が並んでいるというのが不気味さを醸成する重要なファクターなんじゃないかと思いました。それと地面の照り返しで下から照明が当たっているような感じになってるところも効果絶大かな。
ここはノグチ百貨店という店なんですけど、「鹿男あおによし」で玉木宏演じる小川先生が3枚1000円のパンツを買ったところでもあります。

堆積する時間
Hasselblad 500C/M × FUJI ACROS 100

東向北商店街をさらに北に進んで、奈良女子大に出る直前くらいの民家の壁に掲げてあった映画のポスター掲示板。打ち捨てられた雰囲気濃厚で、側には錆びた交通安全のプレートなんかも掲げてあったのを覚えています。
地下劇場という単語がちょっとイメージを膨らませてるかも。探し回ったわけでもないんですけど近くに映画館は見当たらなかったから、おそらく当の映画館はすでに存在しないものと思われます。ある種時間が積み重なっていった様子の視覚化オブジェで、はぎ取り残された断片がもうちょっと彩り豊かなものだったらさらに良い雰囲気になっていたんじゃないかと思います。



☆ ☆ ☆ 奈良的な何か ☆ ☆ ☆



よく歩いていたコースはこの地下劇場の名残りのある場所から東大寺のほうに向けて歩いていくという道を辿るようなものでした。そういう道筋に沿って歩いていると、奈良文化会館や奈良税務署を右手に見て東大寺の南大門と大仏殿を結ぶ参道の中間地点辺りに出てくることになります。この辺りは修学旅行生や観光客や鹿で一杯。


アショカピラー
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

相輪
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

東大寺大仏殿の東少し離れたところ、森が始まる境界辺りに並ぶようにして建っていたモニュメント二つ。動物のほうは「 アショカ・ピラー」というものらしくて、1988年に行われた花まつり千僧法要の際に建てられたものだとか。信仰深かったインドのアショカ王が建立した石柱の頭部を復元したものとあって、写真はその獅子の部分のみを撮ったものですけどこの下に象のレリーフがついた基部とか色々と凝った装飾が施されています。わたしは一番上の獅子よりも象好きなのでこの部分もいろいろと撮ってみたものの、どれもこれも結果的に思うように撮れませんでした。
もう一つのほうはかつて東大寺に存在していた七重塔の天辺にあった相輪の復元物で、大阪万博で塔そのものを復元した時の相輪部分が寄進されたものなんだそうです。これだけで十分に高く聳え立つ建造物でした。

搭状のものは個人的には撮るのが凄く苦手です。ライカ判で横方向のフレームで撮ると左右に間が抜けたような空間が出来るし、縦構図にすると単純に被写体の形に合わせただけのようなイメージになってなんだかつまらない仕上がりになることが多いです。
細長く屹立しているものに対するそういう逡巡を元にして、相輪のほうはあえて被写体の形にフレームを合わせた上でさらに真ん中においてみたもの。典型的な日の丸構図にしてみたんですが、真ん中に置くってあまり作為がないようなおき方になるかと思うと、意外なほど作為的な雰囲気にもなる構図でもあったりします。ちょっとティルマンス風のイメージを狙ったりもして、さてどんな印象に映ってるのか。


手向山八幡宮
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

手向山八幡宮 石灯籠
CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400

壁画
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

東大寺の東側の森を抜けて三月堂の方向へ歩いていくと、三月堂の南側に少し離れて手向山八幡宮という神社がありました。手向山の麓に位置する神社。一見廃墟のような若干荒廃したような雰囲気がある神社だったんですけど、ちゃんと社務所も開いているようで打ち捨てられた場所でもなかったようです。でも雰囲気はあまり人が来ないところだった性もあってまるで廃墟に紛れ込んだようで面白かったです。

ここから南のほうに行くと同じく打ち捨てられたようなお土産物屋さんがぽつんと建っていて、すぐ先は若草山で陽光に満ちた明るい場所なのにこの辺だけなんだか時間に取り残されていてるような雰囲気がありました。ベンチもあったけど完全に朽ち果てているものがそのまま放置されてたし。

石灯籠の蝋燭を立てる部分が紙でふさがれていてそこには鳥の絵が描かれています。わたしは最初烏が描かれていると思ったんですけど、どうやら描かれていたのは鳩のようでした。この文様の絵もちょっとマジカルなイメージを立ち上げているようで興味を引くものでした。

一番下のはこの神社が荒廃したイメージをかもし出してる要因の大きなものの一つだと思う、神楽所と呼ばれる、放置されたような建物の壁面に描かれていた壁画。源頼光の酒呑童子征伐の壁画らしいです。でも壁画を保護するようなものは何もなく、建物は仕切る戸もない状態で外界に晒されていて、傷みが激しい状態でした。

廃墟に紛れ込んだような感覚が楽しい場所だったけど、どうやら桜の名所らしくて、桜が咲いているときにくれば全然印象が異なる神社なのかもしれません。


☆ ☆ ☆ 鹿 ☆ ☆ ☆



鹿2
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

bm2012-05-19-17-.jpg
Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100

鹿4
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

タイトルに鹿と戯れると書いたけど、嘘です。
鹿もいざ写真に撮ろうとすると結構難しいというか、鹿の行動パターンって観察していると物凄く少ないんですよね。鹿せんべいを手にした観光客に群がってくるか、公園の草を一心に食べてるか、座り込んで悠然としてるか、おそらくこの三つのパターンしかやってないんじゃないかと思います。たまに子供に追いかけられて走ったりしてる姿も見るけど、大体走ってる鹿の姿って公園内ではまず見ないです。
鹿せんべいの屋台を襲撃するような鹿でもいればこれはなかなかスペクタクルなものになると思うものの、誰が教えたのか屋台においてあるぜんべいを鹿は絶対に食べません。目の前にあっても知らん顔で、客が買って手にした瞬間に群がってきます。

で、際立ったフォトジェニックな動きをするわけでもない鹿を前にして、わたし自身も動物と接する事がほとんどないから、柵のない場所で向かい合うとどうして良いのか分からなくなったりして、良いタイミングで鹿の写真が撮れるように動き回ることも出来ずに突っ立ったまま鹿が動くのを待つといった感じになってました。
最後の写真なんか鹿との距離感が如実に出てる写真じゃないかと思います。カメラ持って固まってるわたしとせんべいくれるんじゃないの?とばかりに様子伺いしてる鹿。
でも距離感があるといっても鹿とどうしても親密になりたいというほどでもないので、その距離の埋めようがなかったりするわけです。
二つ目の写真はわたしの真横を知らん顔で通り過ぎて行った鹿。生えかけの角がなんだか目玉みたいに見えてます。

思うにやっぱりこの場所のこの鹿の存在は特異です。付近には県庁なんかもあるから通勤のサラリーマンも歩いてたりする場所で、そのサラリーマンに混じって鹿が歩いてるんだもの。それも飼いならした鹿じゃなくて、人馴れはしてるけどあくまでも野生の鹿が。奈良公園という場所で見ているとそのうち慣れてくるんですけど、他の場所でこんな光景が展開されていたらかなり超現実的な光景になると思います。
奈良にとってこの鹿の存在はユニークそのもの。野生の鹿とサラリーマンが隣り合って歩いてるというシュールな世界をこういう形に育て上げて行った奈良の先人はたいした発想の持ち主だったと思います。京都にこういう存在がないということがかなり惜しいという思いをわたしの中で生み出したりしてます。京都だったら何を育てていけば良いんだろうと考えて、牛車から牛なんかはどうだろうと思ったものの、牛は放し飼いになっていたらちょっと危険そうで、この辺も鹿というのは絶妙の選択だったんだと妙に感心したりしてます。

ただし道も公園内も鹿のフンだらけです。大き目の飴玉くらいで粘着性のものには見えない見かけだから、踏みつけるのもその内気にならなくなってくるけど。でも三脚を立てるのはかなり躊躇いますね。


☆ ☆ ☆ 超スローシャッターチャンス ☆ ☆ ☆


超スローシャッターチャンス
LOMO LC-A × Kodak Super Gold 400

浮見堂から西に広がっていく鷺池の西端の辺に設えられていた、石を切り出した腰掛け用の台座の上に、おそらく子供がまつぼっくりを並べて描いた猫?の絵。
ある時ある瞬間にこの子供の手によってこの世界に出現し、おそらく半日か長くても一日くらいでこの世界から姿を消してしまったもの。そういうものを見つけると写真に撮っておきたくなります。本来なら生み出した子供にしか認知されずにつかの間この世界に現れて消えてしまうものに、たまたまわたしも居合わせてそれが世界にあったことを共有できたなら、それもこの世界を構成する一部として、はかないがゆえにその痕跡は出来る限り残してみたいと思ったりします。
ある瞬間から半日なり一日くらいの期間はあるけど、その期間内にそこに居合わせないと写真に撮ることが出来ないという意味では、こういうものが消えずにある時間のうちにその場に居合わせたのはある意味シャッターチャンスだったんじゃないかと思います。一瞬を捉えるチャンスではなくて、超スローなシャッターチャンスではありますけど。


☆ ☆ ☆ 構造化するオブジェ ☆ ☆ ☆


浮見堂ボート
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

崩れた石壁
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

大和物産
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

興福寺延命地蔵尊の手水鉢
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

レストランの椅子
CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400

わたしにとって特に被写体に意味を見出した何かがあったわけでもなくて、配置や色を主眼にして撮っていたもの。色や配置も被写体の一部だとするなら、そういう意味では被写体そのものにも関心があったといえるかもしれません。上手くいくとなかなかかっこ良い見栄えになるんですけど、なかなかそうは上手くいかないのが大半だったりします。でもこういう撮り方で撮るのは結構好き。これが撮ってみたいと思う時に、そういう配置に心惹かれてるという場合が多いような気がします。

一番上は浮見堂が浮かぶ鷺池の縁に係留してあった貸しボート。その下のは同じく浮見堂鷺池付近にあった崩れた石塀で、さらにお昼ご飯を食べた食堂の片隅に片付けてあったパイプ椅子と興福寺延命地蔵尊の手水鉢となって、一番下のものは奈良文化会館の入り口ロビーにおいてあった、そばのレストランの椅子です。個別の写真を撮ってる時は全く意識してなかったんですけどいろんな状況で椅子の写真を撮ってることが多いですね。

二番目のお昼ご飯を食べた食堂は若草山の登山口前の道を春日大社の方向に降りていく階段の一番下にあった大和物産という名前のお土産屋さん兼用の食堂でした。土産物を置いてる店内の一角を仕切りで仕切っただけで食堂としてるような場所。置いてあるテーブルは普通の民家で使ってるようなパイプのテーブルで、ここで食べても大丈夫なのかなと思ってたら、その日に採ってきた山菜を食材にしたりするそうで、お客さんが来たのを確認してから作り始めたりして、見た目は間に合わせの場所のような食堂だったけど意外と美味しかったです。


☆ ☆ ☆ 森 ☆ ☆ ☆


近鉄奈良駅の周辺は駅を出た直後は商店街や普通に街中で見られるような小ぶりのビルが林立するような場所で、鹿がたむろしているエリアに入ろうと東大寺に向けて歩き出すと県庁のビルや博物館など大型の建築物が点在する場所となって、鹿がうろついてる以外は結構都市的な雰囲気の街なんですが、東大寺から手向山八幡宮へ抜ける参道や開けた芝生の奈良公園を過ぎて若草山に至るような頃合から急に木立が増えてくる感じになってます。奈良公園の南もこの辺りから春日大社の森が始まります。
奈良公園の広々とした雰囲気のままに余裕のある都市風景の中を歩いていると気がついたら深い森に迷い込んでいるような感じさえあって、この辺りは都市と森が意外なほど密接に交じり合って成立している場所という印象でした。
わたしはそこまでは足を伸ばさなかったんですけど、奈良駅周辺の都市風景の東側の終端と云ってもいい、若草山のさらに東側は春日山の原始林が広がっていて、この先の道はもうほとんど登山道、ちょっとした山歩きの準備でもしておかないとは入れなさそうな雰囲気の場所に急変して行きます。

わたしは神社の森が凄く好きで、京都だと下鴨神社に糺の森という巨大な森林地帯が街中にあるんですが、春日大社の森はそれよりも規模が大きいんじゃないかと思うくらい広大な森をその境内に抱えています。本格的に木立が林立していても、その隙間から大通りで行きかう車が見え隠れする場所もあるけど、奥のほうに入ると本当に森そのものという雰囲気のところも多々あって、おまけに鹿がこちらを気にするでもなく歩いてたりするから、わたしとしては結構お気に入りの場所となってました。

春日大社境内の森
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

春日大社の森2
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

両方とも春日大社の森です。下のは鹿がいるから一緒にフレームに収めようとして、鹿の見栄えが良い形になるのをちょっと待ってたら、その場に座り込んでしまって以後一切動いてくれなくなりました。
仕方無しにそのままシャッター切ったけど、本当は立ち姿の鹿を一緒に納めたかったです。

浮見堂付近
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

鷺池周辺の遊歩道の一角。この曲がり角の丸い形が気に入って。なかなかかっこいいです。撮影した時ここでキャッチボールをしていた親子がいて、早く退いてくれないかなと苛々してました。


☆ ☆ ☆ 飛火野 ☆ ☆ ☆


意外に深い森林があると思えば、ほとんど何もない芝生の丘もあって、飛火野と名前がついた丘なんですけど、見晴らしが良くて気分の良い場所でした。サークルに囲まれた木々の一群が間を置いて点在しているエリアは造形的な印象で、丘の一番高いところに生えている特徴的で写真写りが良さそうな木を境にして反対側は下のほうまで見渡せる緩やかな芝生の斜面になっています。
斜面のほうはところどころ湿地帯のようになってるところがあったから、ピクニック的なことをするのは場所によってはちょっと無理かも。
「鹿男あおによし」で使いの鹿と小川先生が話をするために待ち合わせに使っていた場所はここだと思います。

飛火野1
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

飛火野2
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
飛火野の一番高いところに生えていた木。


☆ ☆ ☆


結局東大寺や春日大社といった大物被写体がある場所にもかかわらず、この晩春に行ったときはあまり興味を引かなかったのか結果的にはそういう場所の写真はほとんど撮らずに終始した感じとなりました。
建物もわたしにはちょっと撮りにくく思うところがあって、見上げる視点しか撮りようがないといったことが気分的な枷になることがあったりします。撮影禁止のエリアがあるのも気分をそいでしまう要因になってるかもしれません。

それと今までにおそらく数え切れないほど写真に撮られてきた被写体だろうから、わたしが撮る意味は余りないんじゃないかとか、そんなことも考えていたりするんですね。これは京都の観光地なんか撮ろうとした時にも思うことで、東山のように観光名所の集合場所のようなところに行ったら何も撮れなくて途方にくれるところがあったりします。
でもこの前の話じゃないけど、そんなこと考える必要はないんじゃないかって最近は思うこともあります。他人がどう撮っていようがそんなことは関係なく、自分が撮りたいと思うならシャッターを切れば良いんだって。
他人によってすでに数え切れないほど写真が撮られているからと躊躇ってしまうのは、どこかにそれに打ち勝つような大層な写真を撮ってやろうというような気分もありそうで、おそらくそんな大層な写真を撮ろうと言う意識というか、気負いのようなものさえ不必要なものなんじゃないかとも思ったりします。

ということで、今度奈良に行って、撮りたいと思ったら東大寺でも春日大社でも撮ってこようかなと思ってます。この記事書いて鹿の写真とか見ていたら、また鹿も見たくなってきました。


☆ ☆ ☆


最後に去りゆく夏を惜しんで、今年の夏の空の写真。

2012晩夏の空
CANON AUTOBOY TELE × Kodak Gold 100

自宅の物干しからです。物干しに出てみると青空にもくもくと雲が浮いていて、洗濯そっちのけで急いでカメラ取りに部屋に戻りました。




☆ ☆ ☆




Dorothy Ashby - Dust



唯一無比のジャズ・ハープ奏者、ドロシー・アシュビーの曲。陰鬱なボッサリズムと艶やかなハープの音が、さりげなく流れていくけど実は意外なほどメロディアスな旋律と絡み合って、一種異様で官能的な音空間といったものを作り出してます。東洋的なコンセプトをもとに迷宮のようなミクスチャ的音空間を作った1970年のアルバム「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」に収録されている曲。このアルバムはこの世界のどこにも無い場所から聴こえてでもくるような異世界ぶりと、その非在の場所への郷愁といったもので成り立っている不思議でサイケデリックで美しい音楽として、初めて聴いたのは随分と以前のことなんだけど未だにわたしをとりこにしています。
キャリアの最初の頃は、ジャンルとしてジャズ・ハープというのはドロシー・アシュビーが唯一無比の存在という感じだったけど、音楽的にはそんなん尖がった感じでもなくて、スタンダード的な曲をラウンジ的な曲調で弾くというようなわりとオーソドックスなアプローチをしているミュージシャンでした。のちに「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」のような誰の音楽にも似ていない風変わりな音楽を演奏しだすのはどうやら、当時の契約レーベルであるカデットのプロデューサーでありアレンジャーでもある、リチャード・エヴァンスの手腕によるものが大きかったらしいです。

この曲が収録されたアルバムはペルシャの詩人オーマー・カイヤムが残した四行詩集「ルバイヤート」からインスパイアされたものとして成り立っています。今回ピックアップした「Dust」はその「ルバイヤート」から第32歌と第23歌を前後にくっつけた形の曲となっていて、繋ぎ合わされたカイヤムの四行詩は次のようなものになっているんですが、鍵のありかを知らない扉だとか意味深なイメージとしてはそれなりに分かりやすそうなものを連ねながらも、かなり抽象的なものとして成立していうような内容。わたしにとってははっきり云ってイメージ単位を超えては十全には理解不能という類の内容ではあります。
ドロシー・アシュビーはこの抽象的な詩を先に書いたように陰鬱でソウルフルなボッサという二律背反的なものに乗せて歌っていきます。今回のアルバムで初めて歌まで披露しているアシュビーなんですが、作曲も自分でしているせいか、自分の歌いやすい音域で作曲しているのか、あまり無理をしているところも見せずにスムーズに歌っている様子です。無理しない音域でスムーズに歌われるから抵抗なく流れていくけれど、ドロシー・アシュビーのメロディメイカーとしての資質は、このアルバム全体を聴いてみると良く分かるように突出したものがあって、そういう旋律のセンスはこの曲にも確実に見出すことが出来ると思います。


There was the Door to which I found no Key.
There was the Veil through which I could not see.
Some little talk awhile of Me and Thee There was
and then no more of Thee and Me.

Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend.
Dust into Dust, and under Dust, to lie:
Sans Wine, sans Song, sans Singer, and
sans Goodbye!

1986年にこの世を去ったミュージシャンなので、もう新譜が出ることはありません。いくつか手に入るだけのドロシー・アシュビーのアルバムを聴いてしまって、この系列で似たような音楽をやっているジャズ・ハープのミュージシャンはいないかと探しては見たものの、実はジャズ・ハープなんていう変わりもののジャンルに身を置いている人なんてほとんどいないだろうと思っていたら、多くはないけど簡単に検索できる程度にはミュージシャンがいるのを発見したけど、そのどれもがジャズではオーソドックスな楽器をそのままハープに置き換えたようなものが多くて、今のところわたしが求めているものとは若干ずれを含むようなものがほとんどという結果に終わっています。結局この音楽の延長線上でもドロシー・アシュビーを聴きなおしていくほかはなく、聴くたびにドロシー・アシュビーのユニークさを再確認することになっています。




☆ ☆ ☆




Rubaiyat Of Dorothy AshbyRubaiyat Of Dorothy Ashby
(2010/05/25)
Dorothy Ashby

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残念ながら今のところ廃盤のようです。河原町のHMVでも一枚だけCDが並んでいたドロシー・アシュビーの棚そのものが消滅していたし、忘れ去られたミュージシャンになっていくのかなぁ。








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コメント

No title

おはようございます。まだまだ暑いですね。
早朝からこの暑さだとまいります。

マネキン人形ですが、思わぬ場所からマネキン団体が顔を出したら怖いですね。

以前、中国で、店のウィンドウの外に立つでもなく横にされるでもなく、一体の女性のマネキンが傾いて打ち捨てられていました。なんか中途半端なあしらいで、気味が悪いともいいきれず、写真に撮るとその中途半端な不気味さが妙に浮き立ってしまいました。

奈良公園の鹿、熱田神宮や伊勢神宮の鶏。
どっちがいいでしょうか。ちなみに私は熱田神宮で木から木へ飛翔する鶏を見ました!

鶏の意外な行動には驚かされます。

No title

京都は特別に暑いもんね~
カメラ、結構大きいだろうから、湯たんぽ抱えてるような感じで
さぞ暑いでしょうね。

私も奈良=鹿のイメージだったのだけど、そんなウジャウジャいる訳じゃないのね(^^;
「鹿男あおによし」観てましたよ~(笑)

平城宮跡の写真は何となくおとぎ話に出てくる光景みたい。
SF映画かな。
廃墟という感じでもないけど夢の中の景色みたいに撮れてますね。

制服屋さん、ドラマと雰囲気違いますね~
人気が無いから余計に不気味さを感じるのかも。
あと古っぽさがゴーストタウンっぽく思わせるのかな?(笑)

鹿、屋台は襲わないんだ。
やっぱり賢いのでしょうね。
襲って二度と餌が貰えなくなるより観光客にねだった方が
効率よく食べられるのを学習しているのか
それとも神様の使いだけあって?プライドがあるのかな?
サラリーマンと鹿が混在してる写真もいつか撮って下さいな(笑)

今回は好きだったドラマのロケ地巡りっぽくて面白かったです。
勿論、神社の森とか神秘的で素敵でしたし
全体的に薄荷グリーンさんの写真が醸し出す
不思議な景色は健在なんですけど
ちょっと目線をミーハーにして読みました(^^;

No title

こんにちは~
奈良市公園の周辺って広いようで狭くて、狭いようで広いんですよね。

私の奈良市のイメージは廃墟を持つ古都。
明日香村や長岡京みたいに、遺構と名残しか残っていない古都などではなくて、一部が生きていて都だった証として光を放つ物が、あちらこちらに点在している古い都。

観光客で賑わう東大寺大仏殿のすぐそばに、土壁だけが残っている一画がある。
片方は生きて光を放っているのに、もう片方は死んじゃって骸を晒してる。
薄荷グリーンさんが迷い込んだ廃墟のような誰もいない場所。
一度、その遺構ばかりを探して公園内外をウロウロしたことあります。

奈良公園は桜のシーズンと、紅葉のシーズンに行くとまた違った森の風景を見ることが出来ます。
カメラマン多いですけどね。

鹿は公園内ならどこにでもいて、鹿ばっかり撮ってて何とか絵になるかなと撮るのですが、それでもやっぱり鹿で、記念写真ばっかり撮ってるみたいで飽きちゃいますね。(^^ゞ
鹿を撮るなら真冬がいいですよ。

今から10年ほど前に白鹿が1頭いたんです。
私が見たときは子鹿で、その白鹿は観光客に追い回されたせいか、大人になったら人間嫌いになって、森に中から出てこなくなりました。
毎朝、公園に散歩に来るというおじいさんが、「早朝の誰もいないときにたまに歩いているよ」と教えてくれたのは、もう6年ほど前のこと。
当時撮影した写真のデータはディスク破損のため失われてしまいました。
今も生きているのかな?

とりとめのないコメントでスミマセン。

No title

奈良公園の鹿は有名ですが春日大社の森だけにいるとは知らなかったです。
鹿せんべいを売っている屋台からは絶対に食べず観光客がてにしたものだけを食べるというのも不思議ですね。
今年の7月に娘が修学旅行で奈良にも行ったんですが、奈良公園の鹿がお気に入りになったようで顔のドアップの写真を撮って喜んでましたよ。
私が奈良に行ったのは中学校の修学旅行の時だけですので遙か昔になってしまいますが、当然ながらバスでの移動で街並みは知るよしもなくとても興味深く読ませて頂きました(^ω^)

とのさんへ

こんばんは!

もうすぐ9月といえどもやっぱりまだまだ暑いですよね。9月中も夏の服装でいけると思いますよ。
今日は台風が近くを通り過ぎたせいなのか、もういやになるほど湿度が高くて、歩いてるだけで体力が奪われていくのが分かるほどでした。とにかく湿度の高いのは早く何処かに行って欲しいです。

やっぱり人の形って云うのはなにか特別のものがあるんでしょうね。マネキンという役割を全うしてるような状態だったらそれほどでもないかもしれないけど、そこから逸脱してしまうと本来の特別な何かが強調されて居心地の悪いイメージを発し始めるのかも。
でもわたしが見たのは一応マネキンとして機能してるものだったんですよね。それでも随分と気味の悪い印象を持ってしまったのは何故だったのか良く分からないです。あの形に並べられたまま放置されてるようなイメージがあったから、薄気味の悪さはそういうところから来てるのかなとも思います。
マネキンを作っている工場とかもちょっと特別な雰囲気がありそうですね。

飛ぶ鶏ですか。それはわたしもちょっと見てみたいです。鶏って自分が飛べるとは最初から思ってなさそうだから、飛べるかもしれないと気づくとみんな飛び始めるかも。わたしは知らないんですけど伊勢神宮と鶏ってなにか関係があるのかなぁ。手向山八幡宮と鳩もなんだか密接な関係がありそうだったから、鳥も神様と意外と近い位置にいる動物なのかもしれないですね。

鹿は本当に面白かったです。最初は何考えてるのか分からない表情の乏しい動物に見えてたんですけど、何度も通ううちになんだか可愛らしく見えてきましたから。また鹿見物に行ってみたいですね。

こんばんは

確かに夏だけは8月も終わりになってくると惜しい気がしてきます。
春もいい季節なんですが、どういうわけか夏のように惜しくはなりません。

私は子供の頃は動物好きだったのですが、大人になったらあまり好きではなくなりました。鹿と戯れるなんて書いておきながら、嘘ですと本文で書いてるということは、そこまで動物好きというわけではないのでしょうか。だとしたら同じくです。

親子がキャッチボールをしていたという場所の写真、いいですね^^ 構図も色彩も抜群だと思います。

ROUGEさんへ

こんばんは!

今日も暑かったですよ。遠くだけど台風が通っていったせいなのか、ひょっとしたら湿度はこの夏一番高かったんじゃないかって云うくらい。カメラ構えた後で裏蓋見たら、湿ってるどころか汗が水滴になってついてました。
陽射しがある時は本当に吃驚するほど熱くなりますよ。ニコンは頑丈なのがとりえだけどそれでもちょっと心配になってくるくらいに熱くなります。なんだか暑さで壊れても良いような安いのを持って最近は出歩いてる感じになってます。

やっぱり鹿は奈良全域にいるようなイメージでしたか。実際は春日大社と奈良公園の辺りだけで、テリトリーはかなり厳密に決まっているんじゃないかと思うくらい、歩き回っている場所も決まってるようです。野生だというのが凄いでしょ。いろんなところに大人しそうだけど野性だから角で突いてきたりすることがあるので注意してくださいって云うようなことが書いてある立て看板が立ってます。
「鹿男」は奈良に行ってから見たので、この場所はあそこだ!ってよく分かって物語以外でも楽しめるところがありました。玉木宏は正直なところどこが良いのか良く分からない俳優でしたけど、佐々木蔵之介の美術の先生は上手いと思いました。ちょっとスノッブなところがあるけど俗物そのものでもないって云う感じが上手く出ていました。この人京都出身だそうですね。

平城宮の写真はとにかく広いというのを画面に収めたくて、わざと建物から一番遠いところに立って写真を撮ってみました。左の人物が遠ざかるのを待ってシャッターを押してます。空にちょっと雲でも欲しいところだったんですが、現実離れしたところが見え隠れしてたなら一応わたしが撮ろうと思った感じは写真に乗せることが出来てたのかな。

制服の店はこっちのショーウィンドウのほうはドラマには出てこなかったです。これ本当に不気味でした。誰もいないゴーストタウンのような雰囲気の中で立ち並んでいる感じがやっぱり気味悪さの元でしょうね。首無しマネキンだけの写真も撮ってみたけどそれほど気味悪くも見えなかったから、全体が置かれた雰囲気が、ここに潜んでる気味の悪さを引き出してるんだと思います。ここグーグル・マップのストリート・ビューでも出てきますよ。

鹿はおそらく学習してるんだと思います。ひょっとしたらせんべいを売ってる人が密かにしつけてるのかも。せんべいの屋台の人とかお土産屋さんの人とか想像以上に鹿と関わってます。わたしが入り浸ってた間に、屋台のおばさんが近くの鹿を捕まえては強引に耳掃除してるところを見たし、お土産屋さんは鹿を連れてきて鹿の体の手入れをしてるのを見てます。
でもわがままなところがありますよ。ある時どんなにせんべいを目の前にちらつかせても見向きもしない鹿がいたんですけど、土地の人の話だと連休とかの時は皆がせんべいをやるからおなか一杯になって、そういう時はせんべいに完全に興味をなくしてしまうそうです。お愛想で一枚くらい食べても良いのに。
そういえば春日大社の参道を歩いてる鹿はなんだかプライド高そうに見えます。何しろ参拝客よりも神様に近いんだもの。場所に似つかわしいのも人間よりも鹿のほうだったりします。
鹿はそのうち可愛らしく見え出して、動き回ってるのを見てるだけで楽しくなってきてました。

わたしの写真に不思議な感じがあるといってもらえるのは大変嬉しいです。自分が見たものが本当に伝わるのかどうか全然自信がないままに勢いでブログにあげ続けてるから、そういう風に云ってもらえるとまたちょっと先に進める勇気が出てくるように思えます。わたしもミーハーなので構えずに見て貰えると幸いです。

kuroさんへ

こんにちは!

手向山八幡宮は本当に変な場所で、朽ち果ててどう見ても座れなくなってるベンチは何台も放置したまま、神社のほうも壁は崩れかけてるし壁画は手入れしてないような雰囲気だし、もっとも本当に手入れしてないとあれだけのものでも今に残ってないのかもしれないけど、とにかく人が来て見物するかもしれないって言うレベルを何処かで置き忘れてきてるような奇妙な雰囲気の神社でした。神社としての役割を関係している人の間で維持できていたらそれで構わないという考え方なのかなぁ。観光地としてリストアップされるような側面もあるのに観光地として生きていくことにそれほど頓着していないような感じがしました。きっと日常のこととして朽ち果てていくものはそういうもの、それが自然というふうに受け入れているところがあるんでしょうね。京都はそんな感じのところはあまり思い浮かばないというか、去年見つけた安部晴明のお墓なんかは近所の人が世話してるだけで完全に観光地とは隔絶したところだったけど廃墟のようにはなってなかったし、昨日蹴上のほうに行ってきたんですけどあそこもちょっと廃墟じみてるけど死に絶えた場所にはなってないですね。
奈良って人が集まっているところと人の気配が隔絶してしまってるところが混在していて、人の気配が急になくなってしまったところに迷い込むと奇妙な感覚を覚える場所だったように思います。そういう場所を探して歩いてみるのは絶対に面白いと思います。
夕方なんか春日大社なんかでも人の気配が途絶えているところがあって、そんな参道を歩いてると向こうから鹿が一頭こちら向きに歩いてきて、誰もいない参道でお互いに(おそらく鹿のほうも)ちょっと意識してすれ違ったことがあるんですけど、極めてシュールな気分になったひと時でした。本当に奈良って面白い、ここでしか味わえない何かがあると思います。

観光シーズンはどれだけ人が集まってるんでしょうね。普通の日でも東大寺は修学旅行生でてんこ盛りになってたから。紅葉は佐保川とかのほうが人がいなくて良いかも。桜も地元の人の穴場になってるそうです。カメラの砲列に混じって撮るのはなんか趣味に合わないです。

鹿は同じく記念写真風にしかならないですね。奈良公園ではどこにいても必ず視界に入ってるくらい数には事欠かないけど、ひょっとして撮るのが無茶苦茶難しい被写体かも。躍動感が全然なくて、人と一緒に写真に納まることを鹿のほうも違和感感じてないみたいだから、まず動きのない写真になるのは間違い無しです。動かそうとすると鹿せんべいで誘導するくらいなのかな。ひょっとしたら奈良の鹿相手に写真の腕を上げられるかもしれません。

白鹿ですか。わたしも見てみたいです。わたしが入り浸ってた時はもちろん出会わなかったです。かなり目立つでしょうし、追い掛け回されてたんでしょうね。白鹿ほど珍しくないけど、鹿もよく見ると模様のデザインが変わってるのがいますね。背中に一色黒い筋が入って耳の裏も黒っぽいデザインの鹿がわたしは好みでした。なかなかシャープでかっこいい色の配置の鹿でしたよ。
鹿は見慣れてくると結構可愛らしく見えてきますね。

ティーグさんへ

こんにちは!

奈良と鹿ってイコールみたいなイメージだからいたるところにいそうな気がしますよね。奈良の観光ポスターも必ずといって良いほど鹿を使うしわたしもそんなイメージを持ってます。でも春日大社の神の使いという位置づけだから、春日大社のある奈良公園周辺にしかいないんですね。それもかなり地域限定で公園をちょっとでも離れるともう姿を見なくなります。近鉄横の商店街の中も歩いてたらそれはもう面白い光景だろうけど、残念ながらそんなところでさえもやってきてくれないです。
せんべいは嘘みたいだけど本当に売り物は食べないです。倒したら中からこぼれ出そうなケースに、中の鹿せんべいが丸分かりで入っていても、極近くで観光客が買うのを待ち構えてはいても、自分からはそのケースに手を出そうとはしないというか、まるで知らん顔で座り込んでたりします。そのかわり客がせんべいを買った瞬間から今まで知らん顔をしていた鹿たちが眼に見えて寄ってきますよ。ちょっと怖いくらい。せんべいを手にしてる人はキャーキャー良いながら逃げ惑っていたりしてなかなか楽しそうです。
鹿は写真で見たりしている分にはそれほどでもないんですけど、こういう風に境目無しで接することが出来て、一応友好的、危害はまず加えない状態で接してるとなんだか凄く可愛らしく見えてきます。娘さんもそういう可愛らしさに気づいたのかもしれませんね。せんべい持ってるとちょっとしたスペクタクルも楽しめるし。

あまり名所とか撮らなかったし、全体像が分かるようなのもほとんどなかったので、その場所の雰囲気まではあまり伝わってはいなかったと思うけど、これはこれとして楽しんで貰えたらよかったです。京都にしても修学旅行できた人ってどのくらいリピーターになってくれるのかな。また機会があれば遊びに来るのも楽しいですよ。娘さんも一緒に家族で奈良旅行ってどうでしょうか。わたしも奈良に来てみるまでは京都と大して変わらないだろうと思ってたら、予想外に面白くて写真撮ってるのが楽しかったです。

kurtさんへ

こんにちは!

実際はただの熱帯になってるだけで、思い描くほど晴れやかな季節でもないし、肉体的にはもう飽きるほど汗をかいて辟易するところのほうが多いのに、なぜか去っていくとなると名残り惜しい感じがするんですよね。冬なんか終わって春になったらせいせいしてるのに。確かに春もなんだか名残り惜しいって云う感じはしないし、やっぱり夏だけは特別な季節なんだと思います。生命感に満ち溢れていて暑さに辟易しながらもそういう部分に共感するところがあるんじゃないかと思ったりします。個人的には秋が結構苦手。夏が終わって寂しい感じが残ってる上にすぐに冬にとって変わられるようで中途半端なんだもの。

わたしはペットとか飼ってないから生き物を前にして言葉が通じないとしたらどういう態度とって良いのか分からないんですね。わりと動物には抵抗がないほうだと思うけど対応の仕方が分からないので、反応する前に固まってしまう場合がほとんど。抵抗はないけど好きかどうかという点では固まった状態を何とかしようと思う方向に動かないから、大好きというほどでもないかもしれません。もっとも実際に何か飼ってみれば考え方は変わるかもしれないけど。小さいときに犬に追いかけられたことがあるから、何処かに苦手意識が潜んでるところもあるのかもしれません。

曲がり角のまるいところ、かっこいいでしょ。これは賛同してくれる人はいてくれないだろうと思ってたので、なんだか凄く嬉しいです。一回撮って立ち位置が気に入らずに後日行った時にもう一度撮ったものだったりします。キャッチボールはなかなか終わらなくて苛々してました。この辺りは鹿もやってくるんだけど、鹿が入ったほうが良かったかいないほうが良かったか、一応丸いコーナーが主眼だったけどシンプルすぎるかという意識もあったせいで、実際に鹿がいて草を食んでいたら物凄く悩んでたところでした。
分かってもらえてどうもありがとうございました。

No title

また素敵な雰囲気を持つ写真の数々ですね

それに奈良という土地の力なんでしょうか、
なんとも言えない雰囲気が更にプラスされているような気がします

また、松ぽっくりの猫ちゃんのお写真も
かわいくていいですね
そして、切り取り方がまたいいですね
私ならそのまんま、全体を撮ってしまう事でしょう
こういう差が大きいんだなーって
改めて実感しちゃいましたww

そして、鹿と森の写真にはなんだか神気が漂う感じですね
(もののけ姫みたいな感じ)

私は鹿か座って寛いでいてもいい感じな写真だと思います♪


しかし、奈良という町は鹿が風景に溶け込んでいる
不思議な町ですよね
ウチですと明治神宮とかがありますけど
鹿が居たら違和感があって落ち着けないかもww

ロキ様へ

こんにちは!

写真見られるものになってましたか♪
最近どういう風に撮れば良いのか見失いがちなところがあって、随分と迷いながら撮ってる感じになってます。ありきたりの写真しか撮れないなぁって思うほうが多くて。そういう時はありきたりな写真を撮れば良いのかもしれないけど、なかなかそういう風には自然体になれなくて、迷いながらシャッターを切ってます。おまけに暑いし。夏の始まりは勢いつけて炎天下の元をカメラ持って歩き回ってたけど、ちょっと息切れ気味です。それでも軽いカメラに変えて写真撮り続けてはいますけどね。

奈良は京都とはまた違った雰囲気があって面白かったです。どちらかというと奈良のほうが変化に富んで躍動的な感じがするかなぁ。京都は観光地に行くとちょっと収まりかえってるようなところがあったりして、この奈良公園のように街中を歩いていたら原始林の入り口にたどり着いたなんていう起伏にとんだ体験が出来るところはあまりないような気がします。街中なのに意外に森が広かったりして気持ちの良い空間がいろんなところにある感じです。

あのまつぼっくりの絵。石の腰掛のうえに乗って真上から平面的な感じになるように撮りました。やっぱり切り取り方は色々考えます。フィルムだからちょっと勿体無くて色々な視点で撮ってみるということはあまりしないんですけど、撮る前には結構あれこれフレームを動かして試してます。ここでいいと思った位置からさらに何歩か前に出るというのが写真撮る時の鉄則らしいので、そういうことをちょっと意識して撮ってるところはあるかも。わたしも無意識に撮ると全体像を入れて撮るという撮り方をしてます。
といっても全体的に撮るのが悪いかというと一概にそうもいえないところがあるんですよね。こういうところは写真の面白いところ、難しいところなんだと思います。自分が見たものをどういう形のフレームで切り取れば見たものの感覚と一番近くなるのか、わたしと被写体の関係を決定するフレームだから、公式的なものなんてあまり意味を持たず、その分自分の感覚を信じてシャッターを切る以外にないんですけど、かっこよく切り取れた時は後で出来上がった写真見た時に結構高揚した気分になりますよね。でも上手くいく確率は悪いかな。おまけに自分が決定したフレームが他人には余り意味のないものになってる時も多いし。
この写真は松ぼっくりで描いてる猫っていう題材も良かったのかもしれないです。被写体との出会いも偶然がかなりあるから、運が良くないと良い被写体とあまり出会えないところがありますよね。

奈良で森の風景って意外と結びついていないかもしれないですよね。鹿ほどは奈良のイメージにはなってないと思います。でもこの辺りは森とか木々が密集しているところが意外なほど多いです。奈良にきてみてここまで変化にとんだ光景が入り組んでるとは思ってなかったから、歩きまわっていて本当に面白かったです。森の空気感って凄く好きなので、森の写真を撮っている時は気持ちよかったですよ。鹿のは座っていてもよかったですか。鹿、座り込んだらなかなか立ち上がってくれなくて、しびれ切らしてシャッター切ったんですけど、それなりに見栄えよく撮れてるならよかったです。それとこの木、周囲の木と雰囲気が違ってちょっと目立ってました。

鹿は最初は柵無しで近づいてくるのがちょっと怖いかもしれないけど、街中を鹿が歩いてるってほんとうに奇妙な光景で面白いです。人に慣れてる野性っていうのもありえない感じがしてユニークだし、鹿の存在は本当に奈良独自のものだと思います。
明治神宮って固有の神様の使いの動物っていないのかな。全国各地の神社にそれぞれ神様の使いの動物がいて、その動物がいろんなところで歩き回っているってなんだか面白そうです。

No title

こんにちは

奈良の鹿の暮らしぶりは、優雅だと思います。
人の好意で与えてもらうせんべいに納得し、屋台を襲うなどという蛮行を行うこともなく、必要最小限、余計なものは欲しがらず、無駄な動きはしない。
なんてエコなんでしょう。
本当に優雅な生活とは何かを考えた時に、人もこの鹿達に学ぶ点は大いにあるような。

なんてコトを考えながら、鹿と戯れる気などまったくない薄荷グリーンさんの前を悠然と横切る鹿の写真を見てると、なんだか悟りに行き着いた高僧のような(笑)、やはり、神様の使いなんでしょうね~^^

鮮やかな色彩の椅子とテーブル、こういうビビッドな色合いを見ると、スタンリー・キューブリックの名が頭に浮かびます。

ドロシー・アシュビーって以前紹介されてますよね。その時は、ハープって完全に竪琴のことだと思ってましたが、ジャケットの写真は日本の琴。えっ!?まさか?、と思いましたが、やはりジャズ・ハープっていうのは竪琴でいんですよね?^^
ホント、不思議な感じのボッサです。まるで、奈良の鹿のよう(笑)

No title

こんにちは。
9月に入っても暑さが続くものの、私も、秋が近づいてる気配がしてさびしくなる月でもあるような・・
複雑さはありますねぇ。夏が好きだからこそ、思う感覚なのでしょうか。

さて、
いつも感性が優れた写真だな~と拝見させていただいてます。
日常の一シーンが、絵になってますね。
私、いつも思うことがあるのは、有名な場所を撮影するのもいいのですが、
もうちょい違う視点で見てみたい気がすることが多いです。
この今の状況、思い、自然を表現するのには、どうすればいいのか?
な~んて考えたりするのですが、デジカメでは、表現しづらいところです。

そういえば、奈良は、私は学生のころに行ったきりかもしれないです。しかも遠足で・・・。
個人では行ったことがないかもしれないです・・。
ってほど印象がないことに今更気がつきました。

鹿は、広島の宮島の鹿で、印象が残っています。
ちょくちょく仕事で広島に行ってたので、帰りにリラックスで立ち寄っていたことがありました。
今思えば、癒されたかったんだなって気がしますね。
大阪は、自然少ないですから・・。野生に出会わない!笑

LAは、野生のリスが、毎日うろうろしてます。
亀も、でかいのがいるし、
アライグマも出たらしいです・・(ちょっとこわい)

話それましたが、森林に鹿。
気に入られる理由がわかる気がしました。

ジオヤーさんへ

こんにちは!

ひょっとしたら鹿が実践している生活って結構幸福な生き方なのかもって思うところもありますよね。屋台を襲わないのは屋台のおばさんにこっぴどく怒られるせいだとか色々と内実はありそうなんですけど、生き方としては極めてシンプルで、それで鹿が絶滅することもなく繁栄しているんだから、それ以上はいらないのかもしれないです。
芝生の上で寛いでる鹿を見てると本当にストレスなさそうだし、刺激がないといえばないのかもしれないけど、たまに人を角で小突いてたりするだけでも生活の単調さは打破できるかもしれませんね。まぁ映画も観られずに写真機も扱えないとなると鹿の生活がうらやましいかというとそうでもないんですけど、精神のあり方としては色々と参考になるかもしれないです。
それにしても奈良公園の人というか春日大社の人というか、よくもまぁ飼い鹿にしようとは思わなかったものだとちょっと感心します。野生のままで鹿と人がこういう生活空間を築けるなんてあまり考えないですよ。たまに人を襲うときがありますので注意してくださいって云う警告の看板だけで済ませてる奈良の人は凄いです。

実はちょっとだけ鹿と戯れたい気はあったんですけど、人見知りする性質なのでその性質が鹿にも延長されたような感じになってました。家で飼ってちょっと慣れてからでないと近づいていってもどうして良いか分からないという感じかな。鹿のほうは人見知りとか全然してないです。せんべい持ってたら分け隔てなく追い掛け回してきます。もう持ってないと両手を広げるとつき物が落ちたみたいにあっさりとどこかに霧消していくので、鹿と戯れたくてもせんべいはあまりコミュニケーションの役には立ちそうにないです。
それから修学旅行の引率の人が生徒に鹿に触った人は手を洗っておいて下さい!なんて呼びかけていたから、スキンシップもほどほどのほうが良いのかもしれません。

緑と赤の組み合わせ、良いでしょ。映画なんか映像の塊だからいろいろと刺激になるところも多いです。映像派なんていう扱いの監督の映画となると、凄い映像を見逃さないでおこうと力が入りすぎて、シーンのイメージは覚えてるけど内容を覚えてないなんていう結果になりがちだったりしますけど。映画でたいしたものだと思うのは写真のように場合によって縦画面にできないという制限の元で全部を成立させてるところかなぁ。ともあれ参考になるのは確かです。でも最近は暇があったらカメラ持って出かけてるので映画ってほとんど観てないんですよね。久しぶりのリドリー・スコット監督のSF映画をこの夏上映してるから、人が少なくなったら観にいこうとは思ってるんですけど、映画館へ足を運ぶ回数は激減してます。

ドロシー・アシュビーは2度目です。アルバム単位でこれは独立した記事にしたかったんだけど、ルバイヤートの扱いが難しくて、ちょっと前ふり的な紹介記事になりました。ちなみにジャケットの琴ですけど、アルバムの中に琴を使った曲が入ってます。西洋人が考える紋切り型の東洋(中国)趣味的な扱いでもなくて、変わったハープというような使い方なので、意外なほど自然なものとして聴けますよ。
基本的にボッサやラテンビートをもとにして、ソウルフルで優雅なハープを弾く人という感じ、この曲は本当にその不思議なタッチがよく出てると思います。わたしは本当にこの人の音楽が好きなんですけど、得体の知れなさ一杯だからあまり一般的にならないんですよね。黒っぽい音楽にハープなんか合うわけないだろうって言うので最初からはじかれてしまう感じなのかなぁ。生涯9枚のアルバムを残したそうで、わたしはまだ全部聴いたわけでもないんですけど、再販される可能性はあまりなさそうなのが残念です。
ただ一般的にはマイナーなハープという楽器だけど、ヒップホップのネタ元でそっち関係では意外と良く知られてるらしいから、そちらから普及していくのに期待してはいます。

SATOMIさんへ

こんにちは!

こちらもまだ本当に暑いです。湿度だけでもなんとかならないものかなと思いながら、汗拭きタオルを手放せない毎日。これが二ヶ月もしたら寒くなってきたと云ってると思うと信じられないような気分です。
夏は辟易してるところもあるのに去っていくとなると名残り惜しいですよね。子供のときの長い夏休みが去っていく感覚と重なってるような気もしますけど、夏自体もやっぱりちょっと特別な季節なんじゃないかと思います。おまけに個人的には秋があまり好きじゃないときてるし、よけい夏が去っていくのが惜しい気分になってるんだと思います。

写真見ていただいてありがとうございます。
日常生活の中で見たものとか、特に気負わずに撮ってみたいと思うのが写真撮ってる感覚の元にあるので、撮っている本人も日常写真を撮ることが楽しいです。もちろん特にどうってことのない写真も量産してるんですけど、ただの日々の生活で見たものがちょっと普段見るのとは違ったように写真に納まっていたりするとそれだけ凄く楽しいしくなったりします。ちょっとかっこよく撮れたかなと思うものを勢いでブログに上げてるんですけど、結構ドキドキもので公開してます。絵になる日常、撮りたいテーマですけど、でもどうしたら日常が見違えたように写真に納まるのか未だによく分からないままなんですよね。
京都は有名な観光地が多いから、そういうところも撮ってみたい気はあるんですけど、ありきたりなものにしかならないだろうと思うとなかなか難しいところがあります。でも絵葉書のようなものを撮ってといわれて果たして売り物になるような絵葉書的な写真を撮れるかというと、なんだかそれも難しそうで、有名な観光地って写真撮るということに関してはかなり迷うところが多そうな場所って言う気がしてます。

広島にも鹿のいる場所があるんですね。系列としてはルーツは同じなのかなぁ。自然の生き物と接するって気分も穏やかになるし、楽しいし癒しの効果は抜群だと思います。鹿というのもなんだか絶妙の選択で、こういうのに相応しい動物ってさてどういうのが良いかと思うと他にはなかなか思いつかなかったりするんですよね。ある程度ゆったりしていて、慣れていれば人には深刻な被害を与えない、適度に大型の動物って考えると鹿しかないような気にもなってきます。京都のそういうのに出会わない場所なので大阪同様にこういう場所がある奈良はちょっとうらやましいところがあります。ただ鹿はわたしは北山のほうで野生のを見たことがあるんですけど、ちょっと姿を見せただけで逃げていきました。

ロサンゼルスは自然も残ってるんですか。アメリカは広いからすべてのスケールが日本と違いそうだけど野性のリスはいいなぁ。リスくらいは日本でもいそうだけど野生のはそうとう自然が残ってる場所に行かないと出会えなさそうです。あらいぐまで思い出したけど、鴨川にヌートリアが住んでますよ。人には慣れてないけどたまに姿を見ることがあります。でもこれ日本本来のものじゃないしあまり増えると悪影響がでそうですね。

鹿は何度も見てるうちにこちらもその存在に慣れてきて結構可愛らしい生き物に見えてきます。それに木陰が斑に落ちる静謐な森との組み合わせは本当に凄い好き。ちょっと涼しくなったらまた奈良に写真撮りに行きたいと思ってます。でも奈良といっても鹿に会えないから他のところに行く気にはなかなかならなくて、その辺がちょっと問題かな。

こんにちは(^^)

薄荷グリーンさん、お久しぶりです!
9月になりましたが、まだまだ暑いですね~。
そうは言っても、日が短くなったり、夜中の寝苦しさが
軽減されたりで、秋が近づいているのを感じ、寂しく思っています。。
やっぱり、夏が、好きなんですよね^^

「スクールタイガー」のショーウィンドウの写真、味があって良いですね。
私には、不気味な感じというより、懐かしい感じに見えます。
「三丁目の夕日」っぽい昭和時代の香りがするかな?^^
実物で見た印象と、写真に撮った印象では、随分違うものなんですね~。

鹿を上から見た写真、かわいいですね^^
丸い黒い角が、可愛らしく、ユニークに見えました。
こういう角度で鹿を見た事がなかったので、新たな発見でもありました。

個人的には、「構造化するオブジェ」の写真がすべて好きです。
色合いも、アングルも良いですよね~。
この食堂も、味があって良いですね(^^)

りい子☆さんへ

こんばんは!

お久しぶりです!今年の夏は十分に堪能されたでしょうか。わたしは後半はちょっと失速気味というか、やっぱり暑さにうんざりしてしまってる部分が多かったような気がします。夏は好きなんだけどこんな気分もまたあって、今は去っていく夏を惜しむ気持ちと早く涼しくならないかなという期待の矛盾した感覚の間で揺れ動いてる感じかな。
知らない間に日が短くなってるんですよね。ついこの前まで夜の7時くらいでもまだ明るかったのに。明るい時間が少なくなっていくのも寂しさに拍車かけてるようです。
他の季節に比べるとやっぱり夏はすべての物が飛びぬけている印象で、本当に特別な季節なんだなぁと思ったりします。

あのショー・ウィンドウ、確かに時間に忘れ去られてるような感じがします。実際にも模様替えして変化をつけようとはあまりしてない様子で、過去の何処かで時間が止まってしまったような印象もあって、そういうのは懐かしさと不気味さ両方合わせ持ってるんじゃないかと思います。とにかく妙な雰囲気を纏っている陳列で、実際に見ると本当に印象的ですよ。視覚に入ってきただけで釘付け状態で、あの商店街を日常的に利用してる人には当たり前のウィンドウにみえてるのかもしれないけど、始めてみたら物凄くユニークなものに見えました。
正式名称に「百貨店」と入ってるのもユニークというか、ちなみに検索してみたらこの店のホームページも出てきます。店側にしたらこのショー・ウィンドウはそんなに特別なものとして考えてないのか、ホームページには一言も出てこないのがまた面白いです。

あの鹿は本当にすぐそばを知らん顔で通り過ぎて行きました。うそ!と思って手にしていたコンパクトカメラでとにかく一枚撮ったんですけど、撮ってる間にも進むことをやめずにあっというまに遠ざかっていきました。構図とかまるで決める余裕もなくてとにかく一枚撮ってみた写真だったんですけど、あの妙な角の様子でちょっと見られる様なものになってたでしょうか。あれは生えている最中だと思うんですけど、わたしも鹿の角ってまじまじと見たことがなかったから面白い状態を撮れたと思ってます。角といえば途中で折れた角をそのままぶら下げて歩いてる鹿もいました。あの角ってどうも血管が通っているみたいです。実際にはどうなのか分からないけど、折れた角の状態はちょっと痛々しかったです。

構造化するオブジェっていうタイトル、なかなか上手くつけたでしょ。被写体に内在する、というか被写体が生成し始めているなにか秩序のようなものが見え隠れしている状態を撮ってみるというような意図なんですけど、こういう撮り方はわたしは結構好きなんですよね。大和物産の重ねた椅子は食堂に割り振られた店の空間の片隅にあったものなんですけど、ニコンの一眼でシャッター音を響かせて撮ったから、店の人は何であんなものを撮るんだろうって思っていたかも。

食堂の入り口は英語で書かれたメニューの写真が一杯張り出されていて、でも入り口から中を覗うと刃物とか奈良のおみやげ物とかそんなのが置いてある棚しか見えなくて、物凄く入りにくい店でした。一人だと入れなさそうだったから、ちょうど入っていく旅行客がいたのを利用して、わたしもその人たちに続いて入ってみました。みやげ物の店内の一角を区切って食堂にしてる場所は、まるで普通の民家の一角に入り込んだみたいでどうも落ち着かなかったりしてたんですけど、出てきた料理は結構美味しくて、体験として一度入ってみるのも面白いところかも。帰りにレジでおばさんは吉本並のギャグを云うし、懐かしい飴をどうぞって云っておまけにパイン飴を差し出して送り出してくれたりで、接客も極めて不思議な体験をさせてもらえます。
若草山の登山口へ向かう階段の麓にある店なので、若草山に来たときは寄ってみるのも良いかもしれませんよ。
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