【写真】うたかたの日々ー散歩写真 教会 宇治川縁 中之島 +【音楽】ボリス・ヴィアン 「脱走兵」 +独り言の問答歌 - どこへ行くの

ボリス・ヴィアンです。一時期わたしのヒーローだった人。今で云うマルチタレントなんだけど、中途半端にいろんなジャンルに首突っ込んでるような紛い物じゃなくて、本当に才気溢れた人でした。ジャズのトランペッター、ソングライター、作家、詩人といった多面的な顔を持って活躍した人で、持病の心臓疾患のために、たまたま薬を飲み忘れた日、自作の映画の試写会場で試写中に発作を起こして亡くなってしまうという、ドラマチックな最後を遂げた人でもあります。享年39才、生き急ぐこういうタイプの人には一番相応しい去り方だったのかも。
フォーク・クルセダーズが歌っていた「大統領殿」という歌、好きで聴いていたこの歌がたまたまボリス・ヴィアンの音楽を聴いている時に飛び出してきたことがあって、そのとき初めてボリス・ヴィアンが作った歌だということを知り、作家として好きだった人物が昔聴いた歌と思わない所でリンクしてゾクゾクしたことがありました。嗜好にあうものは知らず知らずのうちに寄り集まってくるというか、べつに好きな歌の作者だから小説が好きになったわけでもなかったから、不思議なめぐり合わせのように思えたのを思い出します。

「うたかたの日々」というのはこのボリス・ヴィアンが残した小説のタイトルです。邦訳では「日々の泡」と訳されているもののほうが一般的になってるんですけど、「日々の泡」のほうが直訳に近いとはいえ、わたしはこの「うたかたの日々」の訳し方のほうがずっと好きです。
ブログに写真の記事を載せる時、「~に行ってきました」的な内容にすることが多いので、そういうものから外れて撮った写真を載せたいなぁと思って、今までにも何回かそういう載せ方をしたことはあったんですが、日々の移ろいゆく時間を留めようとした写真に似合うようなタイトルのもとで纏めてみたいと考えていました。でもそういうことを考えていたんですけど、このボリス・ヴィアンの本のタイトルが頭に浮かんできてしまったら、どうにも他の言い回しを思いつくような状態ではなくなってしまいました。ということで他の洒落た言い回しを考えようという抵抗は今のところちょっと脇においておいて、このままボリス・ヴィアンの言語センスに便乗してしまうことにします。

それにしてもブログに載せる前提で撮っていると、ある程度記事の形にしなければならないといった意識でも働くのか、場所の情報を盛り込んだものも必要かなと思いながら撮る時も多くなったり、載せる写真を選んでいる時もどこの写真か分からないからいろいろと文章を書きにくそうと思ったものは、写真は気に入っても外してしまう場合もあって、こういう形で載せていくのは撮影している時も含めて、意識的無意識的どちらにしてもちょっと枠をはめ込んでしまうようなところがあると思う事が多いです。もっともブログに書くことを前提としてない写真がそれでは全くの自由であるかというと、これまた全然そんなことはなくて、何処かで観た写真に知らないうちに拘束されていたり、といったことも色々とあったりするんですけどね。
何を撮るにしろ自分で見ることくらい自由でありたいと、そう思って撮りはしていてもなかなか思い通りには行かない感じです。

ウィリアム・エグルストンというニュー・カラー派の源流となった写真家がカルティエ財団の要請でパリを撮った写真集があります。エグルストンはこの写真集でパリを代表するようなアイコンは一切撮らずに壁の模様だとか街の断片めいたものを徹底して撮り続けました。市井の生活の中に真実のパリがあるという視点でもなく、また叙情的な方向に傾くでもなく、幾何学的な興味にそって、ひたすら表層的に撮り続けたという感じ。写真集には自作の得体の知れないドローイングも織り交ぜて、無意味の表層に留まり続けようとしたような纏めかたをしています。
ニュー・カラーの写真家の始祖なんだけど、後に続いたスティーブン・ショアーなんかとは若干製作に対する考え方が違うようなところが感じとれはするものの、このパリの写真を依頼されてパリらしいものを一切撮らなかった感性は十分に過激で面白いものでした。
わたしもちょっと見習いたいというか、なにかに囚われそうになったら絶えずこういうあり方を頭の隅に思い浮かべているべきなんだろうなと思っています。
エグルストンはほぼ時期を同じにして京都でも同様の写真を撮っています。近年東京の原美術館で開催されたエグルストンの「パリー京都」展のカタログで一部見たことはあるんですけど、この京都を撮った写真の全貌を見てみたいんですよね。でも写真集としてはまとまっていないようなので、未だに一部だけ見たに留まっています。
京都なんて観光都市のアイコンだらけの空間で、エグルストンが一体何を見たのかとても興味があります。

エグルストン パリ 表紙
Nikon COOLPIX P5100


今回はちょっと寡黙に行きます。いつもごちゃごちゃと書きすぎてます。色々と語ってくれるような豊かな写真が撮れてるかどうかはまた別の問題としても、ほとんど語ってくれない言葉少ない写真であってもそのままに、一度写真そのものに語ってもらうのもいいかなと思いました。


☆ ☆ ☆


荒涼1
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

近鉄宇治川鉄橋
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

荒涼3
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

荒涼4
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm ACROS 100

「~へ行ってきました}的写真からちょっと離れて記事にしてみると云いながら、早くもこの記事の趣旨に反するように、今年の冬の終わりごろだったか、荒涼としたものをとるという目的で宇治川公園に行って撮っていたものをピックアップ。これはそのときに選ばなかったもののうちの何枚かです。
機材はトイカメラ扱いのロシアカメラLC-Aと中判カメラの代表選手であるハッセルブラッド。使用機材に関してはあまり興味が無い人のほうが多そうなので、いつもは写真のクレジット程度の扱いで書いてるだけなんですけど、検索から使い方を調べに来てくれる人もいるようなので、機材のことを書くかどうかはいつも迷ってます。せっかく来てくれたのに目当ての情報がなくて、きっと舌打ちして帰ったんだろうなぁと想像してます。ちょっと気になったのでピジョンフレックスの時は記事をアップした暫く後で追加という形で使い方を付け足して書いたことはありました。
これは記事にしたときに何故選ばなかったのか自分でも良く分からないです。ちょっとありきたりのイメージに見えたのかな。鉄橋や光芒なんか他の人も似たような感じで飽きるほど写真にしていそうだし。
その時はおそらくそんな理由で選ばなかったんだと思うけど、わたしにとって、期間を置いてみると印象が変わる典型のような感じになってます。


ムツミの前の教会1
LOMO LC-A : Kodak Super Gold 400
カトリック河原町教会

ムツミ前の教会2
LOMO LC-A : Kodak Super Gold 400
カトリック河原町教会

結構最近撮った写真です。河原町三条の朝日会館の北側にある教会。フォトステーション・ムツミの河原町通りをはさんで斜め向かいにあります。この辺りの通りって普段ほとんど通らないんだけど、この時通り過ぎようとして何気なくみたら、影の具合がなんだか面白くてスナップしてみた写真です。でもこの影はちょっとホラーものの映画のようで、教会にはあまり似つかわしくないかな。
教会は人を拒むとは思えないけど信者でもないのに中に入り込むのはやっぱりかなり躊躇してしまうところがあります。中に入って写真撮ってみたいんですけどね。

ムツミといえば9月末で閉店してしまって、閉店する直前に現像を頼みに行ったら、新しい店のご案内してました?と問われて、未だだというと11月に新装する店のことを教えてもらいました。閉店を知った後はどうしようかと思ってたのがこれで一安心。店が閉じている10月の一月、カメラのナニワだとかヨドバシカメラへ現像を出してみたけどどうも勝手が違うというか、馴染めなくて、結局10月中に撮り終えたフィルムから手間のかかりそうな、モノクロ2本とカラー1本はそのまま現像せずに置いておいて、この前新装開店してから現像してもらいに持って行きました。
ムツミの閉店がどういう理由だったのかは知らないけど、フィルムの状況は依然厳しく、製造終了になったフィルムは増え続けていて、いつまで使えるか分からない状態が続いてます。フィルムが好きだから使えるうちは使っていこうと思ってるけど、さてどうなっていくことやら。でもフィルムが使える最後の時期なのかもしれないけど、フィルムが死滅した後に知ったんじゃなくてフィルムを使う楽しさを味わえるほどには間に合ったから、以前にも書いたけどこれは本当に幸運だったと思います。惜しむらくは、ホルガなんかのトイカメラを以前から知っていたのにフィルムだということに躊躇して知っていながら使わなかった時期があったこと、この頃から使っていたら今は姿を消してしまったフィルムも使えてたんだなとなんだか損したような気分になります。
ただやはり機材を増やすのはちょっと慎重にはならざるを得ないところがあります。今のところオリンパスの35RCというのが凝ったガシャポンよりも安い100円で最安値だったのを筆頭に、1万円もしないようなお手軽カメラが多いけど、それでもやっぱりフィルムがなくなると唯の箱になるわけだし。最近ハッセルを使っているのが楽しくなってきているので、ハッセルや二眼のような中判フィルムを使うカメラはデジタル化されてもまだ数百万円ととても普通に手が出るような代物じゃなく、フィルムも35mmのものよりは安定供給されて行くような感じだから、メインは35mmよりも中判にシフトさせていこうかなと思ったりしています。35mmのほうはモノクロで使うのが最近は楽しいです。
一時間でL判の簡単なプリントまで出来上がるカラーネガと違って、中判、モノクロは両方とも数日単位で現像に時間がかかるから、ブログで使うにはタイミングを考えないといけなくなりますけど。
これも以前に書いたけどモノクロは自分で現像までしてみたいんですよね。あれからダークパックといったかな、袋状のアイテムで中に手とフィルムを突っ込んで暗室代わりの作業ができるものをそろえた程度で現像に必要な機材をそろえるのは中断しています。

壁画の家
Olympus Pen EE2 : Kodak Super Gold 400
百万遍付近

壁画があるというちょっと珍しかった民家。撮ったのはハーフカメラだけど、これで撮った写真を載せるのは始めてかも。ピント合わせ不要のパンフォーカスに、シャッター押すだけの簡単カメラのわりに、綺麗に写ってます。

パリ風?
Wide Lens Camera : Kodak Ektar 100
中之島

貧者のLC-Aと云われたビビターのウルトラワイドスリムの別名義のトイカメラを使って去年の冬に撮った写真。中之島にある橋の写真ですけど、どこと無くパリっぽい感じというか、そんな洒落た感じがしませんか?

海上バスのある光景
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 SUPER 400
中之島

上のものと同じ頃に撮った写真。中之島でクリスマスのイルミネーションが開催されていた頃でした。哲学の道や白川沿いを撮ってみたりしているのでも想像つくかもしれないけど、川のある光景も撮りたい対象の一つであったりします。この秋になってから鴨川にハッセルもって撮影に出かけたこともありました。
川縁の光景ってこの中之島の辺りも云える事で、進んでいってもあまりまわりの世界に変化がないんですね。川縁の光景というのを目的に撮りに行って、目にしてるのは川縁の光景だから目的には合致してるとはいえ、何枚か撮ったらみんな同じじゃないかって云う気分になってきます。
それで、撮影している最中はどれもこれも片側に川が写ってみんな同じと思って枚数が進まなかったりするするんですけど、現像が仕上がったものをみてみると、それぞれ違う雰囲気にきちんとなってるようなところがあったりして、この前の鴨川の写真もみんな同じに見えると思いながら撮っていたにしては、意外と気に入ったものが撮れていました。
写真を撮る時見たままよりも何かちょっと異界が紛れ込むように、いわば上手く嘘をついているように撮ろうと画策する一方、写真のほうも、写真って見たそのままが写っているようにみせて、実は結構嘘をついてるというところがあるんじゃないかと思うくらい予想を違えて写っている時があります。「写真」と真を写すなんていうけれど、本当かなとちょっと疑いたくなるくらい。
だからその場で似たようなものと思ってもとりあえず何か気に入ってカメラ構えたのならシャッターは切ってみるものだと再認した感じでした。

並列
FUJIFILM instax mini 55

要するにチェキで撮った写真。最近フィルムカメラでは唯一新品で気を吐いているカメラで、売り場もそれなりに拡充している様子です。
ここには載せたことがないけど一応インスタントカメラも好きで、ポラロイドの他にこのフジフィルムのインスタントカメラも古いのを中古で買って使ってます。

チェキはその場で物質的な形になった一枚の写真として見られる楽しさがあるものの、写真のサイズがカードサイズと小さくて、もちろんその小さいイメージが面白いというところもあるんですけど、普通の写真を撮ろうとした時にはやっぱり物足りないところもでてきて、持ち出す回数はあまり多くないといった使い方になってます。
これは一枚の写真が小さいので纏めて並べてみたもの。他にもやっている人がいるし特に斬新なアイディアというものではないけど、イメージが隣り合わせになることで、ある種のセッションのようなものが生成される可能性があります。
撮った写真は本当に適当というか、目に付いたものをあまり考えもなしに撮ってたものなんですけど、組み合わせとしてみてみると、ちょっと意味ありげに見えてきたりして。
並べてみるときにイメージというよりも色の配分をメインにして見ました。グリーンが中央にあるのはそういう意図によるものです。

西梅田01
Konica C35 EF : Kodak Super Gold 400
西梅田

最近撮りに行っていた梅田での一枚。先行公開!って云うほど大層なものじゃないけど、この時の写真はまた別の項を立てて記事にしてみるつもりです。木漏れ日の光のラインがポイント。

☆ ☆ ☆

夏の間大阪港からコスモスクエアで写真を撮っていた後、9月頃には同じく大阪の梅田周辺で、10月頃には京都と大阪の県境、というか両方とも府だから府境になるのか、八幡の周辺へと場所を変えて写真を撮りに行ってます。八幡は大阪へ行く京阪に乗っているうちにどうにも気になるものが車窓から見えているのに気づいてそれを確かめるために降りたのが切っ掛けでした。
八幡は駅のすぐそばに男山と男山ケーブル、その頂上には石清水八幡宮が有る場所で、男山一帯が紅葉の名所でもあります。八幡で車窓から眺めて気になったものを撮っている間に、今年の紅葉はここのものを写真に撮ろうかと思い立ちました。時期的、場所的にグッドタイミングというか、そういうことまで予定されてあの気になるものが車窓の向こうでわたしの注意を引いたんだろうかと、あらゆるサインが今年は紅葉はここで撮れと云っているような感じでした。

現在、男山、石清水八幡宮で紅葉を撮ろうと思って、様子伺いに行ったりしている最中なんですが、ここがまたなぜかは知らないけど、今のところ単発では赤くなっているもみじもあるんだけど全体では緑緑して全然色づく気配もない状態だったりします。他の場所はとっくに見頃になっているのに、京阪の見頃情報掲示板でもここの表示はもうすぐ見頃というのからなかなか変わりません。
この調子だと、どうも紅葉のことを書くのは12月の中ごろくらいになりそうな感じになってますが、タイミングのズレはわたしのブログの特徴でもあるから、年末近くに紅葉の話はある意味ここに相応しい話題になっているのかもしれません。。


☆ ☆ ☆


Boris Vian- Le déserteur



邦題は「脱走兵の歌」あるいは「脱走兵」
フォーク・クルセダーズの加藤和彦が歌った時のタイトルは「大統領殿」でした。
わたしは日本の歌手が歌ったものではフォーク・クルセダーズの物に一番馴染みがあるんですけど、近年は沢田研二も歌ってるんですね。

1954年の歌で、当時のアルジェリア戦争に対して歌われた反戦歌。大統領への書簡という形をとって、自分のところにも召集令状が来てしまったけれど、自分は哀れな男を殺したくない。もし血を流す必要があるなら大統領、偽善者のあなたが流せばいい。だから僕は脱走する。脱走して回りの人に、従うな、拒否しろと訴えて歩く。それが駄目だというのなら自分は武器を持っていないから、そのときは憲兵に命じて自分を撃てばいい。といった内容の歌です。

思想的には同調しない部分も今はあるけど、歌としてはいつまでも好きな曲。

Monsieur le Président
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps
Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir
Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C'est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m'en vais déserter

Depuis que je suis né
J'ai vu mourir mon père
J'ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants
Ma mère a tant souffert
Elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers
Quand j'étais prisonnier
On m'a volé ma femme
On m'a volé mon âme
Et tout mon cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J'irai sur les chemins

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je dirai aux gens:
Refusez d'obéir
Refusez de la faire
N'allez pas à la guerre
Refusez de partir
S'il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n'aurai pas d'armes
Et qu'ils pourront tirer


どこへ行くの 川崎幸子・敏子



ルイス・エンリケスの「マシュケ・ナダ」で始まったビザール・ミュージックの確かこれが第三弾目。今回は日本のものです。
日本のこういう奇妙な音楽ってわりと発掘されていたりするので、探してみる気になったら色々と簡単に見つかる場合が多いです。狙ってるのか、それとも期せずして妙な形になったのか、未だに歌っている側はまともな音楽だと思っていて奇妙に聴こえるなんて夢にも思っていないのか、よく分からないけど、意外と奇妙な曲って歌謡曲には多いです。
そういう音楽の中でも異様さというか、ジャケットからは想像つかないくらい破格の相貌を見せるのがこの曲。
フォークソング風の爽やかな見かけによらないアングラ・サイケデリック音楽で、半端じゃないトリップ感があります。意味が通じているようにみえて、独り言の応酬のような側面もある問答歌の部分も十分に不気味なんですが、「しゅぽぽぽぽぽ」というのが頭の中で回りだすと、止まらなくなる可能性もあったりしてかなり手強いです。

1970年にリリースされた「くちなしの花」というシングルのB面。歌っている女性コンビはおそらく姉妹だと思うんですが、どういう歌手だったのか調べてみようとしてもほとんど情報が出てきませんでした。一発屋にしても一発屋としての情報も無さ過ぎるというような状態で、結局どういうコンビなのか、この曲をリリースした後で一体どうなったのか、その後レモンパイと改名してもう一枚くらいはシングルをリリースしたようだということを除いては一切謎のままです。この素性は結構知りたいです。そしてこの歌を歌った時の気分がどうだったのかとかじっくりと聞いてみたい思いに駆られます。



☆ ☆ ☆



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普通にパリの写真集としてみると面食らいます。情緒を廃したオブジェの断片と殴り書きしただけのような無意味なドローイングが交互に出てくるだけの写真集だから。でもその過激さはシンクロすれば結構面白く刺激になる写真集でもあります。なによりも写真を撮るということから見ると、これで写真が成立するんだと、なにか見るべき価値のあるものを写し取らなければならないといった硬く縮こまりがちな自分の感性を解放してくれるようなところがあったりするから。



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「どこへ行くの」を収録した日本カルトミュージックのオムニバスアルバム。地獄からこんにちはの「スナッキーで踊ろう」も入ってるから、かなり濃いオムニバスアルバムになっているかも。


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コメント

川崎幸子・敏子ってグリーンさんのこの記事で初めてしりました。
そしてその後の消息が気になります。
生きてたら今、60代くらいでしょうかね?
このときたぶん20代前半くらいっぽくみえるので。
顔もそっくりなので双子姉妹でしょうか
。母に知ってるか聞いてみます^^


えにぜんさん、こんばんは!

この曲、凄いでしょ(笑)
「しゅぽぽぽぽぽ」というのが頭の中を駆け巡らなかったですか?
何だこれはと思いながらも妙に気を惹かれてもう一度聞いてみようっていう気も起こさせるところがあるし、妙な曲であることは確かですよね。
消息は私が調べた分では辿れなかったです。レコード会社のほうでも当時担当したディレクターとか、この曲に関係した人がいないと消息を辿るのは無理なんじゃないかなぁ。レコード会社も資料とか持ってなさそうな気がします。
年はおそらくそのくらいでしょうね。40年前だもの。そんな時代にこんな曲を出したのはちょっと凄いです。というかヒッピーとかが全盛だった少し後の時代だと思うけど、そういう時代だったからこそこういう妙なのを出せたのかな。姉妹というのも間違いなさそうです。このあと一枚だけレコード出しているのは分かってるんですけど、私が知っているのはそれだけです。私も今どんな生活を送ってる人なのか知りたいんですよね。この曲が出来上がった事情や当時のリスナーの反応も直接訊いてみたいです。まぁヒットしたとは到底思えないけど。
お母様でも知っておられるかどうかはかなり微妙なところじゃないかなぁ。でも本当は意外とヒットして名前を出せば知っているという人が結構いたりしたら、これもまた予想外で面白いですね。
ともあれ、妙な曲だからみんなに呆れ返られるかと思っていたんですけど、楽しんでもらえてよかったです。

今回の記事はこういう形で大正解。
音楽を再生しながら記事を拝見していても
どうしても彼の世界に引き込まれてしまうから
いつもみたいに記事とは別の曲紹介みたいに
切り離して読むことが出来ないですしね(笑)
私は原曲もフォーククルセイダースの方も知らなかったけど
フランス語って不思議。
これが英語だったらPUNKROCKな内容なのに
妙にのほほんとしていて。
子供の頃、ミッシェル・ポルナレフが好きだったんですが
彼もラブソングばかり有名だけど結構社会的な歌歌っていて
でも日本のタイトルは「愛の~」だったりします(^^;
それをチョット思い出しちゃった。
中之島にある橋の写真、これ、いいですね。
本当に外国の写真に見えます(笑)

もう1曲の姉妹の歌は
1発屋・・・
それにさえならなかったからデータが無いのでしょうか。
今聞くと新鮮なので誰かカバーしたら面白いのにね(笑)

薄荷さん、こんにちわ!出先でヘッドホン持ってなくて聞けませんが、多分、『大統領殿』知ってます。私の記憶では、『拝啓 大統領殿』姉から教わって、たぶん小学生の時に、ギター弾き語りしてましたよ。
友達とも、その後の音楽仲間の間でも、一度たりとも話題に登ったことない曲で、薄荷さんとはイーディーと言い、ご縁があるなあと嬉しくなりました。

大統領殿、腹を立てないで
聞いて欲しい この話を
(このへんは記憶曖昧^^;)
僕は今、戦場へ行く
徴兵カードをもらったところ
僕は逃げる 戦いたくない
哀れな人を 殺したくない
大統領殿 腹を立てないで
聞いて欲しい 僕は逃げる

親父は昔 戦争で死んだ
子供達は泣きじゃくってた
女手一つ苦労していた
お袋も今はお墓の中

爆弾を弄び 僕の心を
奪って行った
大統領殿 腹を立てないで
聞いて欲しい
僕は逃げる

世界中 すべての兄弟に
僕は言おう いつも歩こう
人生を大切になさい
僕らはみんな兄弟だ

血を流すなら あなたの血を
猫かぶりの お偉い方々

僕は逃げる 武器は持っていない
憲兵たちよ 撃つがいい

僕は逃げる 武器は持っていない
憲兵たちよ 撃つがいい



※曖昧なところ、たくさんありますm(_ _)m

こんにちは

中之島の橋と階段の写真がムードありますね^^ 
教会ですが、学生の頃私はドイツに行ったことがりまして、ニュルンベルクというところの古い教会の中に入ってみました。薄荷グリーンさんと同じ考えで誰でも教会は受け入れてくれるだろうと思って入りました。そして、中に入ったら、「これは歴史的な遺産なんじゃないの?というほどの壁画の応酬でパシャパシャ写真を撮ったのですが、教会の神父さんは悪い顔はせず許してくれたことを思い出しました。でも、日本に帰ってきて、その写真は上手く取れていなくて現像すらしてもらえませんでした。思い出を書いてしまいました。すみません。

「しゅぽぽぽぽぽ」って手ごわいですね(爆)

ROUGEさん、こんばんは!

いつも一緒にアップしている音楽をBGMとして利用してもらっているというのは完全にわたしの想定外でした。書いているわたしのほうとしては話題一つだけではちょっと物足りないかもしれないので、もう一つくっつけて記事にしているという程度の考えだったから。
今回の、一番最初に書いたのはアングラ・サイケデリック音楽のほうで、その後写真のことを書き始め、散歩写真的なコンセプトを纏めるのにぴったりの言葉を捜しあぐねてボリス・ヴィアンから借用することを思いつき、ならばボリス・ヴィアンのことも書いておいたほうがいいかとちょっと説明を入れて音楽紹介もできるので「脱走兵」を追加したと。実は「脱走兵」ってこの記事の一番最後の段階で付け足したものでした。一応写真がメインの記事のつもりだったんだけど、一番最後に付け足したボリス・ヴィアンが一番注意を引いたって云うことですね。いきなりボリス・ヴィアンですなんて宣言して書き始めたから、こっちが中心の話題のように見えたかな。一応(今回のタイトルの元は)ボリス・ヴィアンですって云う風な意味合いで書き始めた記事でした。
まぁそれはともかくとして、それほどちょっと惹きつけるもののある曲だったようで、そういう風に聴いて貰えたら選んでみた甲斐があったというものです。ボリス・ヴィアンはフィルム・ノワールを髣髴とさせる小説も書いてるから、パンクロックがその時代にあったら、そんな風な歌にしていたかもしれないですよ。フランスってパンクが流行った時やっぱり他の国と同じように流行ったのかな。フランス語で歌うパンクってなんだか迫力なさそうだからどうだったんでしょうね。これはシャンソンそのものって云う感じがします。フランスっぽいニュアンスがあって反戦歌だけどやっぱり何処か優雅な部分がありますね。
ミッシェル・ポルナレフは私も流行った曲は耳にしたことがあります。ファッショナブルで政治的なものはあまり似合わなさそうだから、売り方は苦肉の策だったんじゃないでしょうか。最近はフランスの歌手ってもうほとんど紹介もされてないような感じで、いつまでも古臭いシャンソンのイメージじゃなく、今のフランスの歌とかも聴いてみたい気はします。

どこへ行くのは当時どんな感じで聴けたのかちょっと興味があるんですけど、変な歌って昔の歌謡曲には結構あるから、意外とすんなりと受け入れられた可能性もありそうです。今のほうがひょっとしたらこういう逸脱したものへの許容範囲の幅は狭いかも知れないなと思ったりします。

橋の写真、フランスっぽく見えるでしょ。この辺が写真が上手く嘘をついているところだと思います。わたしはフランスっぽく写そうなんて全く思ってなかったから。中之島界隈を外国っぽく撮ってみるというコンセプトは意外と面白いかもしれません。今度行ったら意図的にそういうコンセプトで撮ってみようかな。でも意図的になると今度はなかなか外国風にはならなかったりしそうです。

PATTIさん、こんにちは!

ボリス・ヴィアンって知っていると当たり前のように流布している音楽家であったり作家であったりするのに、知らないとなるとどこかで聴いたことがある名前だというほどの普及度もない人なんですよね。音楽のほうはCDなどで手に入れにくい状況かもしれないけど、小説のほうは当たり前に手に入るから、この知っている人と知らない人の間にある深い谷間はちょっと信じられないくらい深い感じがします。沢田研二も歌ってる歌の作者なのに。
タイトルはフォーク・クルセダーズのハレンチリサイタルに入っていたものは確か「拝啓」がついて、私もそのタイトルでなじみでした。以前に同じフォーク・クルセダーズの「ユエの流れ」をここで取り上げた時に、ちょっと調べたことがあって、Youtubeでフォークル再結成解散コンサートなんていうのをやっていた頃だと思うけど、加藤和彦がステージで歌っているのを見つけたら、そのタイトルからは「拝啓」が抜けていました。ちなみに歌詞もハレンチコンサートに入っていた昔のものとちょっと違うんですよね。
http://www.youtube.com/watch?v=5j5cEDobAmM
それで、沢田研二が歌ったりした経緯があって、今はこういうタイトルでこういうちょっと違った歌詞で流布しているんだろうかと思って、こっちのタイトルにした次第です。
わたしはこういうのにあわせるところがあります。良いのか悪いのか知らないけど時流がそうならそっちにしておくかっていう感じ。
以前他の人のブログでチェコのアニメーション作家カレル・ゼーマンのことを書こうと思って、調べたら今の表記はゼマンとなってると知って、そっちのほうでコメントしたら、今の人はゼマンって云ういい方でわたしらのゼーマンという言い方とは違ってるんですねとコメントを返されたことがありました。そうじゃなくて私もきっちり同じ世代ですよと、まぁ云いはしなかったけど心の中で思ったことがあります。

お姉さまもおそらくハレンチリサイタルのレコードで馴染みがあったんでしょうね。あのアルバム、「雨の糸」とか良い曲が一杯入ってたアルバムでこの歌の加藤和彦の声も曲に合って心にしみこんでくるようないい曲でした。そういえば「雨の糸」も完全に忘れ去られた歌扱い。

日本語の歌詞の書き起こし、ありがとうございました。昔のバージョンの歌詞は確かにこんな感じでした。爆弾をもてあそび僕の心を奪っていったっていうところなんか上手い言い回しだと思います。それと猫かぶりの お偉い方々というところは確か猫っかぶりの偉いお方って言うようなフレーズだったと思うけど、ここはPATTIさんの書き記してくれた歌詞でそういえばそういう風に歌っていたと思い出しました。
加藤和彦が亡くなってから昔のフォークルのCDが手に入りやすくなった時期があってその時に何枚かレコードで聴いただけだったものをCDで買いなおしたりしたんですけど、また何か聴きたくなってきました。
それにしても「ユエの流れ」とか「イムジン河」とかこのボリス・ヴィアンの曲とか、フォーク・クルセダーズはいい曲を探してくるのがうまかったです。

kurtさん、こんにちは!

橋の写真よかったですか。
特にこういう雰囲気のある写真を撮ろうと狙って撮ったわけでもないんですけど、何故だか外国の風景みたいなニュアンスになって自分でもかっこいい!って思った写真でした。もちろんいい感じと思ったのは最初にあったけど結果まで見越してシャッターを切ったかというと必ずしもそういうことでもなかったわけで、こういうところがコントロールできるとさらに良いんだろうなとは思います。今のところ最初になにか感じるものがあってシャッターを切るにしても、最初に感じたものをどうフィルムに定着させるかなんていうのはある程度以上は結構運任せって云うところがあります。写真って被写体が歴然と存在していて絵を描くようには変更を加えることが出来ないから、かえって独自のものとして画面を構成するというのに難しいと思うところがありますね。

やっぱり教会って一見さん大歓迎なんでしょうね。普及に務める場所でもあるわけだから拒否するなんてありえないわけで。かえって心配なのは信者にならないと出してくれないんじゃないかとそっちの方面であるのかもしれないです。教会に入りながら無神論者を貫き通すのも場違いはなはだしいし、教会に自らの意思で入った以上キリスト教信者として導かれても文句をいえなさそうで、ただ単純に中の壮麗な装飾を見たいというだけの関心しかないとちょっと居心地が悪いところかもしれません。
こういうところの装飾、構成された空間って本当に信仰することが具体的なビジョンになっているような的確な表現があって凄いと思います。日本の教会も入ってみるだけじゃなく写真撮るのもOKだったらいいんですけど、その辺はどうなのかなぁ。仏教の寺院は本堂なんかの核心部分は撮影禁止のところが結構あるんですよね。

でも上手く撮れていなかったって日本に帰ってから気づいたとしたら、それこそ痛恨の一撃だったんじゃないでしょうか。もう一度撮りに行くって、わたしが京阪に乗って出かけるって云うようなのとは大違いだし。私だと暫く立ち直れないかも。

「しゅぽぽぽぽぽぽ」は本当に手ごわいです(笑)
頭の中にこびりつかなかったですか?こびりついたらことあるごとに頭の中で蘇って暫く取れないですよ。

こんにちは!
あぁ、みたい紅葉の写真・・
気長にまってますよ。

八幡といえば、この夏休みってきました。友人の老舗のお店があるのです。
「走井餅」で、手作りの味わいで、200年の歴史ですよ~。甘さが苦手の私でも、GOODです。
ですが、八幡で有名な黒カレーというレトルトカレーが売ってて、カレー好きには、たまらないかも?と一応ご報告しておきますね。笑
たけのこの墨でできたカレーなんですが、真っ黒なんですけど、味はカレーなんで、すっごく不思議でした。
食べた後は、歯がこわいけどね。
店前にうってましたよ~。
中に入らなくても、見るだけでも見れますから~見学してみてください。^^;

教会は、ステンドガラスが、素敵でしょうね。神の場所ですから、入らせてもらえるじゃないでしょうかね?何かイベントがあるほうが、入りやすいかもしれないですけどね。

SATOMI さんへ

SATOMIさん、こんにちは!

八幡は結構馴染みの場所なんですね。わたしは電車では通り過ぎてたんだけど、ある気になるものを見てからはいつか降りてみたい駅扱いになってました。でも何しろ特急だと止まらないから、大阪に行くついでというわけにも行かなくて実際に降りてみたのは秋になってからということになりました。
駅前は鄙びた田舎町って云う感じで土産物屋とかもほとんど無い場所だったけど、そういえばお餅を売ってる老舗風の店が石清水八幡宮の門前にあったのは記憶にあるから、ひょっとしてあの店のことなのかな。黒カレーって書いてある幟も立っていました。黒カレーってなんだろうって思ったんだけど、たけのこの墨で出来たカレーって凄いですね。わたしもカレー好きだからちょっと興味あるけど、黒いカレーって見た目は迫力ありそうです。駅のディスプレイに八幡の名物の一つとして黒カレーは飾ってあったんじゃないかな。おはぐろ状態になってるのに気づかすに外に出たら、あとで気づいたときに穴にでも入りたくなるような気分になりそうですね。

紅葉はケーブルから見下ろす渓谷、男山の麓のほうから上がっていく神応寺周辺のもみじ谷で撮ろうかと思って様子を見に行ってるんですけど、この前の日曜日ではまだ青々としている木々のほうが多かったです。手のひらを広げたような葉っぱだからもみじだと思うんだけど、緑のまま黒ずんで枯れて行ってるような葉っぱをつけている木もあって、本当に紅葉になるのかなとかなり不安になってます。今回は紅葉の写真は上手く行かない可能性もかなりありそうな気配になってきてます。一応京阪の情報だと見頃のサインが出てるんだけど、ひょっとしたら頂上の石清水八幡宮の周辺のことなのかもしれません。でももみじ谷でちょっとした登山的な行程を歩いたついでに頂上もというのはかなり体力勝負になるようなところがあるし、麓と頂上の両方をカバーするのは結構難しい感じがします。あの渓谷が赤に染まると見応えあるんだけどなぁ。

イベント利用で教会に侵入って云うのは口実が付いてる分普段入ってみるよりも敷居が低そうですね。近々クリスマスだしそういうのを利用して紛れこんでみようかな。ステンドグラスの写真、上手く撮れたら綺麗な写真になりそうだけど、何かコツがいりそうな気もします。影の分量が多い写真を好んで撮ってる傾向のあるわたしにさてステンドグラスのような光のオブジェが上手く撮れるかな。

こんばんは

今回の記事は、ボリス・ヴィアンを通じて、自由な表現とはについて書かれてるように思いました。
まぁ、ブログということでもありますしね、その辺は薄荷グリーンの思い通り、自由にされて大いに結構だと思います。
でも、エグルストンの写真が、自由に撮られてるようでいて、ひょっとしたら、パリの写真を撮りながらも、直接的にはパリを感じさせない写真というルールを設けているように、実は、なにがしかのルールってものは、やはり必要になってくるんじゃないかなぁなんてことも思いましたし、その方が、表現の世界もかえって拡がっていくようにも思います。

今回は、薄荷グリーンさんは、ありきたりって言ってますけど、宇治川公園の鉄塔の写った写真良かったです。寝てる時に見る夢の中の映像って感じ。
あと、中之島の写真、この階段降りてみたいって気になる写真でした^^

音楽の方も、これもまた2曲とも自由な表現をしているというか、スピリット的には、ロックだなぁと思います。
シュルルルルルルシュポポポ~♪、最高!(爆)

しゅぽぽぽぽぽ
ってハマりますねー一度聞いただけで旋律がずーーっと流れていますww

中之島の船のお写真ですが、船がしゅぽぽぽぽぽと
走っている様な錯覚を覚えます

相変わらずの勉強不足でボリス・ヴィアンという方は全く知らなかったので
wikiってみましたが凄い方ですね
多才で本当に生き急いでいた感じの方ですね

著作も色々と有るようですので、時間のある時に
手にとてみようかなって思っています

最近はフィルムを見かけなくなりましたよね~
でもフィルムにはデジタルでは出来ない味があるので
何とかメーカーには頑張ってもらいたいものですね
最近アナログ的なものがポツポツと消えていきますね
何だかさびしいものですねー

ジオヤーさん、こんばんは!

わたしが書いたものを上手く要約してもらってありがとうございます。
この記事、最初はしゅぽぽぽを独立したものとして書いた後、今まで出せなかった写真も出してみようと思って書き始めたものでした。でもなんだかそんなに言うほど書くこともないような進み方になってしまって、何やかやちょっとでも引っ掛かりがあったことを後から付け足していってるうちに、最終的にアップしたようなものになっていきました。結局言葉は費やしても特になにが書いてあるわけでもないような内容になってしまったと。そんな感じで読み返したりしてました。機材のことを書くかどうかとかムツミが閉店したとか、他人にとってはああそうですかと返すしかないような、自分にしか係わり合いの無いようなことばかり書いているから今回は読まされる人は大変だなって。
でもジオヤーさんにそう云われてみると自由であることについて普段思っていることが、記事全体は割りと些細な事の断片的な文章になっていても、そのそれぞれの断片にどことなく関心ごととして混ざりこんでいるようだと、わたしも自分の事ながら気づかされたような感じですね。

エグルストンは他の所で自分は絵画の理論で写真を撮っているといった意味のことを発言しています。エグルストンも確かにすべての枠組みを捨て去って写真を撮っていたわけではなく、写真の文法にはあまり従う気はなかったものの、それに代わる自分だけのルールを絵画的メソッドのような形で持っていたということなんですよね。パリの場合はパリのアイコンは撮らないというルールがあったんじゃないかというのはおそらく正鵠を得ていると思います。コメントを読んでいて思ったのは、自分のルールで物事を見るということ、これが大切なんだろうなぁということでした。すべてのルールを無視するのは、結果的には自由がどうのこうのという前に何も作れなくなってしまうような気がします。

フィルムカメラについて書いたのも、わたしはそういうことは意識して書いたわけではなかったけど、結局フィルムで撮る写真が面白いからフィルムで撮っていると、周りがどういう方法で撮っていようとわたしが撮りたいのはフィルムだからフィルムで撮っているんだって云う、自分のルールの表明でもあったわけですよね。

橋の写真は評判が良いですね。これ安いトイカメラで撮った写真で高い機材使ったわけでもないのに。なにがどう作用してそれなりに雰囲気のある絵になってるのか撮った本人もよく分かってません。写真を撮るという行為には秘密が一杯隠されていそうです。
異界が気配として紛れ込んでくるような写真を意図して撮るので、夢の中で見るような光景と云って貰うのは嬉しいです。鉄塔のはモノクロが効いてるんじゃないでしょうか。モノクロは結構抽象性があるから、具体的なこの世界の写真というような相貌を上手く拭い去ることができるようです。最近モノクロで撮るのが面白いです。ただ紅葉を撮りに行くというのが目の前にあるので、今はまたカラーを詰めてます。またモノクロを詰めたいんだけど、紅葉が一件落着するまではちょっと無理みたいです。

しゅぽぽぽ、凄かったでしょ(笑)こういうのって狙ってやってしまうと絶対にしらけてしまうから、こんなかっこいい形で仕上げるのは結構難しかったんじゃないかなと思ったりします。驚愕するのがこれを作曲したのが船村徹だということ。今は演歌の大御所の人が昔はこんなのを作ってたんですよね。

こんばんは~^^

「うたかたの日々」の邦訳のほうが響きに儚さが強く感じられ、センスいいですよね^^
洋楽や洋画のタイトルでも、訳し方で全然印象かわってしまいます。
昔の洋画のタイトルは秀逸で好きです。

秋の季語に「露」や「霧」「時雨」など水にちなんだ儚く・寂しい感じの言葉があり、「うたかた」もそうなのかなぁ~・・・。秋っぽいですよね^^


ロキ様へ

ロキ様、こんばんは!

この歌、作ってる側も絶対に頭の中から離れないようにしてやろうって思って作ったんじゃないかな。なかなか発想がユニークです。歌ってる姉妹は曲貰った時嫌だっただろうなぁと思うけど、このおかげでカルト扱いになって、本人が思う形じゃなかったかもしれないけど音楽史に名前が残ったんだから結果としては結構良かったんじゃないかと思います。今、この歌を歌ったのはわたしたち!って再デビューしたら受けると思うけど。
中之島のはあれは水上バスっていうらしいです。京都では見たことがない交通機関だからわたしには結構珍しいものでした。意外と早く進んできて、しゅぽぽぽぽの効果音が付いてもそんなに違和感ないですよ。川の真ん中でターンするんですけどそのときがちょっとダイナミックで波も渦を巻くように周囲に広がって結構スペクタクルです。写真は波紋がちょっと目を引いたりして面白いんじゃないかと思います。写真だと小さく見えてますけど、本当は結構大きな乗り物だったりします。観光に乗ってみるのも面白いかもしれないです。これ、同じ中之島の写真なのに、パリっぽくは見えないんですよね。どうしてなんだろう??

ボリス・ヴィアンは学生の頃に本当に好きな人でした。本に接したのが最初で音楽は結構後になるまで聴く機会がなかったかな。本は妙なユーモアセンスが交じり合った不思議な手触りのある小説が多いです。「北京の秋」っていう代表作は北京にも秋にも全く関係が無い内容だったりして、人を食ったようなところがひょっとしたら馴染めないかもしれないけど。気が向いたら読んでみてください。

フィルム、使ってみると面白いんですけどね。使う切っ掛け自体がもうあまりないような状態になっているのかな。意外とトイカメラがフィルム使うものが多くてこちらからフィルムの魅力に嵌ってしまう人が多かったんですけど、トイカメラも今はちょっと一段落したような感じだし。わたしがそうだったけど、フィルムって手間がかかりそうだしどうして良いのか分からないところも一杯あって、なかなか手が出ないんですよね。まずどのフィルムを買うのかからさえ分からないもの。やってみるとそんなにややこしいところも無く使えるので、というかデジカメよりもはるかに簡単に写真が撮れるから、興味がある人にはトイカメラの安いのでいいからそれで一度試してみて!って薦めてみたいです。
アナログ、いいですよね。人の手によって何かなされているという感触がより色濃く残っているし、データじゃなくなにかの物質として存在するものが多いというのもいい所だと思います。電気楽器と普通の楽器が共存できているように、デジカメとフィルムカメラの両方がいつまでも選択肢として選べるような状態であって欲しいと思ってます。

fuyuさんへ

fuyuさん、こんにちは!

絶対に「うたかたの日々」のほうがいいですよね。これは邦訳が最初は早川から出て、その時はこの「うたかたの日々」でした。のちに新潮からも出版されるんですがその時に「日々の泡」になったと記憶しています。今は確か両方とも文庫で手に入るはず。原題の直訳は「日々の泡」のほうなんだけど、フランス語で日々の泡といった時にうたかたの日々という風に訳した言葉で醸し出される雰囲気が入っているのかどうか、こういうところはフランス人にしか分からないのかもしれないけどどうなんでしょうね。ともあれ原題にそんなニュアンスがあったのかどうかは分からないけど、日本語に訳した出来としてはやっぱりわたしも「うたかたの日々」のほうが詩的で良いと思います。日本語の訳というのでは本当に上手いなぁと思うのがあって、音楽だとジャズの曲で「where or when」を「いつかどこかで」って云うロマンチックに訳したのも私にはそんな感じの邦題だったりします。

映画の邦題は確実に昔のほうがよかったです。というより今の映画の邦題ってもうほとんど労力を傾けてないんじゃないかな。いいタイトルをつけようと考えて失敗してるんじゃなくて、最初からいい邦題をつけようなんていう気もないというか。やたら目に付くのは英単語の音読みそのままだもの。でも海外のものでも元が変なタイトルというのもありますね。わたしは歴史上の有名人物でもない登場人物の一人の名前をそのままタイトルにしてるのがよくわからないというか、こんなタイトルどこが気に入ってつけたんだろうって思います。
手抜きの邦題っていうのではホラー映画でやたらと「死霊の~」っていうのがあったこと。ホラー映画好きでよく見るけど、区別つかないものもあります。

うたかたというのも秋の季語にありそうですね。って云うか実際は知らないけど本当にあるのかなぁ。そういうところではあまり意識してなかったけど秋になって書いた記事のタイトルとしては結構似合っていたということなんでしょうか。

薄荷グリーンさん、こんにちは(^^)
「日々の泡」と「うたかたの日々」、まったく印象が違いますね~。
私も、断然「うたかたの日々」の方が好きです。
訳者のセンスがうかがえますね^^

モノクロの写真、どれも素敵です。
橋の写真もかっこ良いし、橋の二つ下の木と光の写真、これも、好きです。
モノクロを並べたあとに、カラーが来ると、これもまた、ハッとしますね。
自分でモノクロの現像をするのは、面白そうです。でも、すごくこだわってしまって、かなりの時間を費やしてしまいそうですね^^

川崎幸子・敏子さんは、はじめて知りました。あまりのソックリさに驚きました^^
曲も面白いですね。今、聴くと新鮮です。
リメイクして欲しいですね~。

ペコちゃん、可愛いですね♪
こういう角度で撮るのも、面白くて新鮮です^^

おはようございます。
ボリス・ヴィアンの死に方、最高ですね。私も薬を飲み忘れて試写室で死にたいです。前からこの死に方には憧れているのですが、映画宣伝会社のスタッフにとっては迷惑この上ないことかもしれません。それに、私が毎日服用している薬では一日飲み忘れた位じゃ死ねないですから・・・・・

中の島の階段の写真ですが、確かにパリっぽいです。ウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」を想いうかべました。大阪ってホントに意外性に満ちた町ですね。

りい子☆さんへ

りい子☆さん、こんばんは!

やっぱり「うたかたの日々」のほうが良いですよね。うたかたの日々と日々の泡は出版社が違うので、おそらく訳者も違うと思うから、ひょっとしたら同じタイトルに出来なかったのかもしれないけど、やっぱり最初のタイトル「うたかたの日々」のほうが移ろい行く儚げな印象があってわたしも好きです。日々の泡ってどういうものを云っているのか今ひとつ伝わってこないようなところもありますよね。こんなこと書いている割に内容はあまり覚えていないんですけど、たしか肺に睡蓮の花が咲く病にかかった女性クロエと青年コランの青春物語、悲恋物語という一風変わったイマジネーションとユーモアに彩られた小説でした。

モノクロは最近撮るのが楽しくなって、一応手元にはカラーとモノクロ両方のフィルムがストックしてあるんですけど、使うのはモノクロが多くなってます。
抽象的で雰囲気がある写真が撮れるので、使い始めは色がないのが頼りない感じもしたんですけど、撮っているうちにはまってきます。橋の写真は鉄骨の一部が光に反射して浮きたっているように見えたのがシャッター押した切っ掛けだったんですけど、こういう動機は出来た写真からでは分からないですよね。鉄道マニアが撮りそうな写真かなと思って最初の記事には使わなかったんですけど、あとで意外とかっこいいじゃないかと思いなおしてブログに載せたかった写真の一つでした。ハッセルのモノクロのは枝しか写ってないなぁと、グラフィカルな絵にするのが目的で撮ったものだったからそれでいいんだけど、分かりにくそうと思って出さなかったんですよね。これも見直してみたら、最初の意図どおりの写り方でかっこいいかもなんて思いました。
カラーもモノクロと並べると引き立っていましたか♪モノクロと比べると色が追加されただけで世界が全く異なるような印象になってますね。

現像は本当に自分でやってみたいんですけど、実際にやってみるとそんなに煩雑でもないのかもしれないけど、斑無くするための攪拌の方法とか、一定時間使用液を同一温度にしておくための温度管理とか結構煩雑なところがあって、なんだか失敗しそうと思うところもあったりしてなかなか始めることが出来ないでいます。今のところ道具をそろえるのも一時中断しているんですが、そんなに高いものも無いのでまたそろえて行きたいと思ってます。

どこへ行くのも妙な曲で面白かったでしょ。ちょっと癖になりそうなところもあって、ゲテモノ扱いで放置しておくのはちょっと勿体無いような気がします。今の時代だと絶対に出てきそうにない曲ですね。リメイクだと誰が良いのかな。AKB48とか大人数で一斉にしゅぽぽぽやったら結構なトリップ感が出てくるかもしれないですね。

頬杖ペコちゃん、ペコちゃんのポーズの中では一番好きです。ヘアスタイルの詳細が分かりますね。貯金箱だからもうちょっと後によると頭にスリットが入ってます。本の紹介なんかには持ってる人形を必ずつけて写真撮ってるんですけど、本当にその本を眺めてるようで楽しいです。これでも配置とかちょっと考えてるんですよ。

とのさんへ

とのさん、こんにちは!

最後の迎え方としてはいかにもこの人らしいという結末のつけ方ですよね。ちょっと出来すぎてなにかの脚本のような感じもするくらい。生きていれば後どのくらいの作品を残したのかとか色々と思うところはあるけど、ボリス・ヴィアンはもう残すべきものはすべて残したと、この人の活動にはこういう伝説となるようなものが相応しいと神様に思われたのかもしれません。
確かに映画館のほうは迷惑でしょうね。今なら原作者がこんな風な最期を遂げたらここぞとばかりに映画の宣伝に使うか、逆に完全に自粛してしまうかどちらかは分からないけど、後のことで頭を悩ますのは必至でしょうね。
私も持病の薬は飲んでるし、でもそれほど深刻なものでもなくて、無いと物凄く不安になるくせに結構持ってでるのを忘れることもあります。外出先で持ってくるのを忘れたことに気づいた時はしまったと思うんですけど、酷い状態になっても目が回って動けなくなるくらいで、でも実際にそこまで行くのは稀なので心底困ってしまうということも無かったりします。
生きているうちはまだなにかやらなければならないことが残されている、託されていると、そう考えておくのがいいんじゃないでしょうか。

中之島の橋の写真、やっぱり妙な風情がありますよね。撮ったのはトイカメラだったんですけど、写真は普通に綺麗に写るカメラだとこんな感じにはならなかったかもしれないです。トイカメラもカメラそのものに依存しすぎているというところは否定はしないけど、普通のカメラで撮る写真とはまたちょっと違うニュアンスも可能なことに気づかせてくれるところがあるからたまに使うのも面白いです。
中之島パリ化計画なんていうテーマも考えたりして、その気になって眺めてみると、この中央公会堂の周辺は結構フォトジェニックな感じもあるので、テーマを持って撮影してみると面白い結果がでるかもしれないです。
下世話なところは徹底して下世話なのに、妙に風情のある世界も同居してるって確かに意外性に満ちて混沌とした場所ですよね。歩き回ってると本当に意外なものに出くわす可能性がある都市だと思います。
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