街の肖像画#11 山科疎水 1 + 解かれることを前提にしていない謎

山科疎水 廃屋1
2015 / 04 / Fuji PROVIA100



桜の季節が通り過ぎて、その頃から若干桜繋がりで連想したところもあるんだけど、山科(やましな)疎水の辺りで写真撮り続けてます。山科は京都市の東、滋賀との境にあって市内からは東山、滋賀からは音羽山などで遮られた盆地を形成してる京都の「区」の一つです。北側を囲む山裾の小高いところに、琵琶湖からやってきて、蹴上に向かって東山のトンネルを潜っていく疎水が流れているエリアがあって、ここはジョギングしてる人や散策してる人がいる長大な散歩道となっています。

実はここ、かなり規模の大きな桜の名所です。全長4,3キロくらいの範囲に800本ほどの桜並木が続き、地表近くに咲く菜の花とコラボしてる場所もあったりして、あまり知られてないのが不思議なくらい豪華な様相となります。
わたしは名所の桜は撮る気がなかったから、今年は同じ疎水だったけど藤森の疎水の桜の写真を撮って、最初に書いたようにここは桜のシーズンが終わってからやってきました。ほとんどの桜が散った後でカメラぶら下げて歩き回ってたので、散策してる人からは今頃やってきて何とタイミングの悪い人だろうと思われてたかも。





山科疎水西端
2015 / 04 / Fuji PROVIA100


桜の時にも書いたけどこういう水のあるロケーションでは水がある部分には入れないわけで撮る位置がかなり限られてきます。こういう山間の散策路だと山深く入るようなところは立ち入り禁止で柵だらけになってるからさらに行動は制限されていて、疎水の散策路にやってきてるのに疎水そのものは何だか同じような写真ばかり撮ってる気分になってそのうち枚数が減ってきます。今のところ撮ったフィルムを眺めてみると、わざわざ山科まで疎水縁を歩きにきてるのに、水辺の写真の少ないこと。疎水そのものは被写体としてはあまり面白くないかな。
山のほうの生い茂った木とか疎水のところまで上がってくる間の街中で色々と切り取るように写真撮ってるほうが多いようです。



山科疎水の名残の桜
2015 / 04 / Fuji PROVIA100



いつもはこういうことはほとんど書かないんだけど、観光案内っぽいことを少し書いておこう。
山科へのアクセスはJRだと京都駅から湖西線とか、琵琶湖の方に行く電車に乗れば、次の駅が山科だからとてもシンプルで分かりやすいです。しかもどのタイプの電車でも全部止まる駅だから、普通以外には乗れないなんていうこともない。
電車で行くもう一つのルートは地下鉄の東西線。こっちも六地蔵方面行きに乗ると、そのまま山科駅っていうど真ん中のネーミングの駅があります。JRと東西線の山科駅はほぼ同じ場所にあるのでどちらを利用しても離れた場所に連れて行かれることもないです。
ただ、JRのほうは山科の近辺には他の駅がなく、山科疎水へは山科駅に近い立ち入り地点から入ることになるんだけど、山科疎水自体は東西に長く延びた水路で、たとえば蹴上へと繋がるトンネルへ消えていく西の端のほうに行くとなると、結局山科からそこまで歩いていく以外にないことになります。散策路だから歩いていけばいいんだけど、手っ取り早く西端から散策したければ、東西線の山科の一つ隣の駅である御陵(みささぎ)駅が、ちょうどその辺りのロケーションになってるので、そういう場合は長い疎水へアクセスできる場所が二箇所ある地下鉄東西線のほうが便利かもしれないです。
山科で降りても御陵で降りても疎水へ行くには、先に書いたように疎水は山の麓の小高い位置で山の周辺を巡るように流れてるので、そのまま北の、山が見えてる方向に歩いていけばそのうち着きます。
ただこの辺りになると市内のように碁盤の目の道路ではなくなってるから、行き止まりがあったり、周回しただけでもとの位置に戻ってくる道があったりで、疎水に到達する通路を見つけるのは簡単にはいかないかもしれないけど、こういう時はむしろ迷ったほうが面白いです。この先に何があるか分かってる道筋なんて面白くもなんともない。

一つ注意なのは御陵駅にかけてある周辺地図。これが北を下にした地図で非常に分かりにくいです。どうして逆さまの方向になってるんだろう。この地図を参考にして、このことに気がつかないと全く正反対の方向に歩くことになって、山科疎水には永遠に辿りつけない事になります。
山科も御陵もお寺や近くにある天智天皇の御陵の道案内らしいものはあっても、疎水そのものの案内は思いのほか少なくて、というか案内が立っていても要所要所というわけでもなくてその案内に出くわすこと自体があまりないというか、こっちでいいんだろうかと、辿る道筋に戸惑うところもあるんだけど、分からなかったらとにかく山の見える方向へ進む、これで別に観光案内の地図なんか持ってなくても意外と簡単に疎水にたどり着けるはずです。

普段は山肌を縫う木々の木漏れ日の中の散策路といった風情。桜の季節と紅葉の季節は見ごたえがあります。

☆ ☆ ☆

「Union]という雑誌があります。

ユニオン表紙

先日最新号が出版されて、現在のところ7冊が世に出てる雑誌で、わたしが持ってるのはそのうちの創刊号と5号を除いた5冊分となってます。
雑誌は何だか思いついた時に出版されてるようにしか見えず、それでも一応季刊誌になるのかな。わたしは途中参加で創刊号をみたことがないから、おそらく創刊号にこの雑誌のコンセプトでも載ってたと思うんだけど、この雑誌の趣旨というのは正確にはどういったものだったのかは今もって知らないでいます。
だから中に目を通した印象だけで云うと、一応ファッション誌に分類されるんだろうと思うものの、どのブランドがどうだとか、そういうファッション的な、流行の情報のようなものはほとんど表立って紙面に出てない感じ。ブランドの洋服とモデルを使った写真が多い一方、ブランドを見せるというよりもそういう素材を使ってかっこよく見せる写真そのものを前面に押し出してる紙面作りとなってるようにみえます。さらに面白いのはそれだけだと逸脱気味ではあるけど一応ファッションの雑誌という体裁にはなるのに、それ以外で写真家の作家性を前面に押し出した、ファッションとは直接的にはあまり関係ないけど、でもかっこいい写真をどんどんと積極的に載せてることで、これがこの雑誌を一概にファッション雑誌と括れないユニークな存在としてます。

5巻目からは布張りのハードカバーになって雑誌というには豪華すぎる体裁になりつつあるこのUnionという雑誌。日本の写真家だと一応写真集を持ってるくらいにはファンである奥山由之さんだとか、写真集が欲しいのに高かったり入手困難だったりで未だに持ってない、以前にも書いたノルウェーの写真家だとか、最近では荒木経惟さんが端正なモノクロのポートレートを載せていたりとか、フィルムを使う若手で、お気に入りの写真家が結構参加していてみるのが楽しみなんだけど、暫く前に載っていた奥山由之さんの写真を見て、考え込んでしまったことがありました。


写真の謎が提示される

こういう写真。
どこかのアパートかマンションの入り口か勝手口か、そういうところを切り取った写真なんだけど、見た時になぜ考え込んでしまったかというと、この写真を見た時にどうでもいいようなものを写したつまらない写真という受け取り方じゃなくて、自分の感覚内ではこの写真は作品として成立してるし、かっこいい写真でさえあるとも思ったからでした。
特に個性の判子をべたべたと押してるような撮り方をしてるわけでもなく、特殊な被写体を据えてるわけでもないこの写真が、なぜ作品として成立し、かっこいいという感覚を呼び起こしたのか、これが自分でも理由が分からなかったんですよね。ただマンションの入り口と上へ上がる階段を、しかも綺麗でもない掃除道具なんかもフレームに入ったまま写してるだけなのにどうして?と、こういう疑問が頭の中を駆け巡りました。
色の具合なのか、影の質感なのか、あるいは構図によるものなのか、考え込んでから時間が経ってしまっても、未だにこの写真がなぜかっこよく見えるのかは謎のままです。奥山由之さんの感性の発露といってしまえば、そこで終わってしまうけど、なんでもないものを際立つ印象で写真に撮る秘儀でも隠されてるんじゃないかと思うと、ミステリのように割り切れた回答へ導かれることはないにしても、それで終わらせてしまうのはちょっともったいないっていう気がしてます。

で、Unionを見ながらこんなことを父と話してたら、父曰く、雑誌に載った形で見てるからよく見えるんじゃないかと、何だか見も蓋もない意見もでてきました。大きさが違うだけでも印象が変るから確かにそういう要因もあるかもしれないと、何だか納得するところも多いにあるものの、この意見は導く先に面白そうな物が何もなさそうなので、とりあえず却下です。










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