過剰なるものへの考察、夏の陽に滴る魚 + Mars - Helen Fordsdale

過剰であること
過剰なるものへの一考察
2015 / 10 / Nikon FM3A + Nikkor Ai 135mm f2.8 / Fuji NEOPAN 400 PRESTO を自家現像


実のところ写真は引き算なんていう言葉、本当はそんなに信じてはいない。何しろ混沌としたものが好きだから、そういうものを前にして整理してどうするんだと。
確かに効果的に引き算されてメインの被写体が際立つような撮り方は上手い写真になる可能性は高いと思う。でも上手い写真が必ず良い写真かというと、自分はちょっと即答できないところがある。これはイコールで結ばれるような等式じゃないんじゃないかって。上手くて綺麗で、見た瞬間にわぁ綺麗!って思うんだけど、それだけの写真。意識に引っかかるようなフックが何もないような、綺麗という残像だけ残して通り過ぎていくような写真。そういう写真でも撮れるのは凄いと思うところはあるんだけど、自分が思い描く写真とはやっぱり違う地平に立ってるとしか思えない。でもこういう風に書くと上手く撮れないことへの開き直りのようにも見えるな。
混沌が好きだと云いつつ差し出したこの写真。でもこの写真は混沌じゃない。要素は鉄塔と碍子と電線と、極めて限定的で一緒にあって収まりがいい物の集合だし、そういう意味では最初から選別されてるといってもいいかもしれない。ここにたとえば蝙蝠傘や解剖台が入ってくるような状況は被写体のほうであらかじめ引き算がされてる。撮ったわたしの事情も加えると、密度の違う部分を用意して配置に動きを出そうとしてる。
結局のところ徹底的に無秩序、混沌といったものは撮るのは極めて困難なことなのかもしれないと思う。NO NEW YORKの音楽のような写真とでもいうのかなぁ、そういうのが撮ってみたいと感覚の一部では思ってるんだけど、コントーションズもDNAも結局こちらの地平に戻ってきてしまったし、そういう方向へ歩を進めるのは不毛なのかもしれない。
ところで、こういう変電所のような場所って結構好きなんですよね。碍子の形とか妙に超常的にSFで、なおかつエロチックな曲面の集合体だし、なによりも東宝怪獣映画に出てくるようなイメージなのが最高。



卵が一杯
過剰なるものへのまた別の考察
2015 / 01 / Fuji Natura Classica + 28mm-56mm f2.8-5.4 / Fuji Natura 1600

巨大な規模でも緻密でもない、貧血のグルスキー。

新京極のスター食堂。子供の頃によく連れて行ってもらったレストラン。以前は隣の寺町にも店があったんだけど、今はこの新京極の店だけとなってる。
これだけ卵料理を並べられると視覚的にももたれてくる感じがする。




夏の陽に滴る魚
夏の陽に滴る魚
2015 / 09 / Olympus Pen F + F.Zuiko Auto-S 38mm f1.8 / Kodak Gold 200

思わしくなかった写真の、意味を成さなかった部分の切り出し。



☆ ☆ ☆



Mars - Helen Fordsdale


上の文章でNO NEW YORKなんて書いたものだから、ここから一曲ピックアップ。
わたしはこのコンピレーション・アルバムのなかではコントーションズとDNA命だったんだけど、Marsもなかなかかっこいい。
これ、78年頃のリリースで、収録されたバンドの実際の活動は70年代の中頃からとすると、ゆうに40年近く経ってしまってる。近年来日したジェームス・チャンスなんかチャンス翁なんて書かれてる始末だし、このMarsでもメンバーの二人が既に亡くなってる。
時の流れは容赦ないんだけど、音のほうはそんなすべてを腐食させていくような時間の暴力もなんのその、そんなに時間が経ったような音には到底思えない。これはやっぱり凄い。









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コメント

No title

最初の写真は変電所かな?
次の写真はファミレスのサンプル
私、欲しいのよね
毎日、テーブルに並べて見ながらご飯食べるの( *´艸`)4

みゆきんさんへ

こんにちは!
そうです、変電所。
レトロフューチャーっぽいイメージもあって、大昔のSF映画に出てきそうな場所だからこういうところは大好きです。変電所とか、まず入れない、近寄れないんだけど、ここはその点近くに川が流れていてその堤防からフェンスを越える形で見渡すことが出来てラッキーでした。
今回の写真はごちゃごちゃしたもの2枚と得体の知れないもの1枚。ごちゃごちゃしたものに価値を置くかどうかは人それぞれだと思うけどわたしは面白がる方です。
レストランのサンプルのほうは品物の過剰さと黄色の過剰さが目を引いたものでした。
食品サンプルはわたしも欲しいなぁ。一時アクセサリーみたいな形で鞄に提げたりするのが流行ってたんじゃないかな。
ドールハウスに使うような小さなのも好きですよ。
見ながらご飯食べたら本当に食べたくなってきそうです。

No title

食品サンプルの値段をググったら、結構高いのね
作った方が安い(爆)

みゆきんさんへ

小さなドールハウス用途くらいの大きさなら、手芸屋なんかで材料売ってますよね。
でも陳列台に並べるほどのだったら作れるかなぁ。作れると面白そうだけど。
大阪難波の道具屋筋なんかに食品サンプル売ってる店ありますよ。
ああいうのを作る会社に入った人とか、仕事面白そう。
やっぱり美大とかでてる人が入ってるのかな。
精巧なミニチュアとか大好きだから、こんな会社に入ったら、そんなに作らなくていいって注意されるくらい作ってしまいそうです。

No title

需要があるから高額でも売れるのかも
そんな会社で修行を積んで、自前の料理サンプルを作って、盆・正月に並べたい( *´艸`)

みゆきんさんへ

こんばんは!
食堂とかレストランは嫌でも買わざるを得ないでしょうね。でも毎月買わないといけないものでもないから、売る側としてはなかなか難しいところもある感じ。実際どのくらい売れてるんだろう。
販路が爆発的に増えるからバッグにぶら下げるような形にしたのは凄いアイディアだったと思います。
っていうか、一般人相手に食品サンプルを売る店があってもいいと思うんだけど、掘り起こしてないだけ需要は結構ありそうです。
でもどんな修行してるのかなぁ。こんなのはエビフライに見えない!なんていわれて作り直してるのかな。

No title

日本にハロウィンが入ってきて、まだ浅いよね
アメリカでゾンビ仮装の人が本物と間違われて殺されたっけ
ゾンビ映画の見すぎだって((+_+))

みゆきんさんへ

こんにちは!
ハロウィンって、まぁクリスマスまでイベントがないから商売する上で何か売る機会になるものが欲しかったということなんだろうけど、わたしの周りではあまり盛り上がってる人もいないという感じ。コスプレの人にはいいイベントなんだろうけど、コスプレも一般的なものじゃないし。バレンタインのようには上手く仕掛けられないんじゃないかなぁ。
ゾンビマニアをたきつけてハロウィンを盛り上げるというのも手かも。
日本でイベントを考えてる人がいたら、ゾンビを使うって云うのは結構いいかもしれないです。
あんなぐちゃぐちゃのメイクでせっかく映画に出ても誰だかさっぱりわからないというような役だけど、
実際ゾンビ役を募集したら結構集まってみんな嬉々としてゾンビになりきってるんだそうです。
わたしはかぼちゃが主役よりもゾンビが主役のハロウィンのほうが親近感があるなぁ。

外国の人はゾンビとかリアルに怖がってるのかな。文化の違いがこういうところにもあるってことでしょうね。

No title

混沌とした状態にいる時、わーっと孤独を感じて耳をふさぎたくなる。
写真はその点、音がないから安心して見たり感じたりできます。
だから好きです。

こないだね、はじめてセラピーを受けました。
吸い込む体質なんだって、わたし。

あなたはどうですか?
人と物といる時、窒息しそうな苦しさを感じることはない?

さよさんへ

こんにちは!
圧倒的にごちゃごちゃとした感じは目くるめく思いをするがゆえに、感覚を攪拌され、サイケデリックで好きって言うところがあるのかもしれないです。さよさんはそういう感覚が苦手って言うことなのかな。

昔から一人で遊んでることが多かったから、写真も結局は孤独な作業だし、そういうのはあまり苦痛にはならないほうなんだけど、だからといって世捨て人ほど人嫌いでもないって云う感じ。ちなみにこんなだから、写真は仲間と一緒に写真撮りにいくなんていうのはまるで範疇に入ってないです。
音もブログで分かると思うけど音楽とか聴くのは昔から大好きだったし、人ごみでの音響とかもあまり苦痛にはならないほうです。でも混沌は好きだとしても、人ごみは大嫌いなんですよね。これは本当に入り込む余地が無い。これだけ人がいるのにわたしと関わりあう人が誰もいないなんて考えると何だか圧倒的に何かに押しつぶされそうな気分にはなります。
結局世界から疎外されてるような気分は感じるけど、基本一人で何かするっていうのを昔からやってきてるし、あまりそういう気分に深入りすることもなく、やり過ごせてるという感じなのかな。そういう傾向を持ちやすいタイプだけど、セラピーが必要なほどじゃないって云うことなのかも知れないです。

ひょっとしたら写真撮ってるのは、自分と周りの世界がどこかで繋がってるところ、そんなところがあるかもしれないと探し回ってる行為なのかななんて思ったりしてます。
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