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すべてがばらばらで、なおかつすべてが纏まっている + 千切れたフィルムの顛末

廃棄物堆積
2015 / 12 / PENTAX K100D SUPER + SMC PENTAX-A 50mm f1.7





錆びた扉
2015 / 11 / Lomography La Sardina + 21mm Lens / Kodak Gold 200





木とプレート
2016 / 01 / OLYMPUS 35DC +F.ZUIKO 40mm f1.7 / Lomography Color Negative 400


去年の暮れから今年にかけて撮っていた写真で、得体の知れないのを3枚ほどピックアップ。
テクスチャや事物の質感、空間に接する皮膚感覚といったものに関心を持って撮ったというなら確かにそうなんだけど、そういってしまうと何かを見失ってしまいそうな感じもする。あるものに注視することでもやもやとしていたものの大半が消え去ってしまうような感じ。だからもやもやのままで置いておきたいところだけど、テクスチャがどうしたとか書いてみたいわたしもこうやって存在してたりする。
でもそのもやもやとしたものに何か意味があるかと言うなら、意味なんてどこにもない。

それが写真のすべてとは云わないけれど、事物が纏ってる意味の薄皮を少し剥ぎ取ってみたい。写真による主観の表現とか半ば信じちゃいないけど、そういうことなら写真には出来そうに思える。そしてその皮膜の下からどんなものが顔を出してくるのか見てみたい。
想像してみるとなんだか殺伐とした写真になってしまいそうだけど。

とまぁ、わかったようでわからない、そんな曖昧な想念をちょっとメモしておいた。まだ自分の中でも整理がついていない。

☆ ☆ ☆

最初のは廃屋で破棄された雑多なものが積み重ねられていた場所。廃屋であることよりも、いろんな質感が寄り集まってるのが面白かった。ごたごたと無関係なものが集まってるけど、全体の印象は個々の被写体ほどには雑多な感じがしない。
二枚目は四条河原町を少し下がったところにある寿ビルで。
三枚目の写真は実は左端にはいってる壁の継ぎ目の縦のラインが結構な関心事だった。このラインをフレームに入れるかどうかで印象が変ってくる。少なくともわたしにはそう見える。言い換えるとそういう部分にしか関心がいってないし、そういう要素のみで成り立った写真ともいえる。
それにしても並んだ木の配置間隔だとか、右の木だけ枝が広がってる対比だとか、朽ち果てた謎のパネルの位置だとか、なんだかすべてがばらばらでなおかつすべてがとても収まり具合がいい。枝のバランスなんか完全に神様のデザインセンスなんだろうと思う。

☆ ☆ ☆

この前の記事で最初十数枚撮って放置してると書いたペンF。36枚撮りのフィルムを入れていたから倍の72枚と少しをその後撮り終えて、巻き戻そうとしたらカメラの中でフィルムが切れた。その時はもちろんカメラの中を確認できなかったので、まず切れたんだろうと判断したものの本当はどんな状態になったかは分からず、でも急に抵抗がなくなって巻き戻しのクランクが完全に空回りしてるようだった。
巻き戻しを始めて直後の出来事だったので、フィルムはほとんどパトローネの中に巻き戻されてない状態でカメラの中に取り残されてる。そんなイレギュラーな状態のフィルムをいつも現像を頼んでるフォトハウスKにカメラごと持っていって何とかしてくれと頼み込むのも、店側に余計な責任が発生してしまいそうで、厄介なことを持ち込まれたと思われたりしたら何だか気が重い。その後の展開に気を使いそうなところに嫌気が差して、撮影再開後の分はどこでどういう風に撮ったかほとんど覚えていたから、また撮りに行けば良いやと思って、フィルムが全滅するのを承知の上で裏蓋を開いてみた。まぁ、中が一体どんな状態になってしまったか見てみたい好奇心もあった。

開いてみた結果は思ったとおり、フィルムは切れると言うよりも斜めに裂けたような状態になってた。

フィルムが切れた

こんなことは初めてだ。何しろ巻き取り始めて直後のことで、特に力を入れて無理に巻き取ったと言うことでもないのにこういう状態になったのはちょっと信じがたい。この部分だけ巻き癖が逆についてるから、パトローネの中で最初からおかしな状態でセットされてた可能性がありそう。
普段使っていたコダックのフィルムが値上げ攻勢を続ける中、たまに使っていた廉価のフィルムを常用にしようかと変えた結果の出来事だった。色のりがあまりよくないなぁと思いつつ、時折使っていたこのフィルムも今まではトラブルがなかったし、たまたま今回のフィルムだけがトラブルのある代物だったと言う可能性もあるんだけど、やっぱりいつも使ってたフィルムのほうが安心して使えそうだ。

それにしても全滅を納得して裏蓋を開いたけど、思いのほか食らったダメージは大きいようだ。何しろ70枚以上が虚空に消えてしまったわけで、裏蓋を開いた時は思い切ったつもりが、今頃になって気落ちしてきた。中の状態を見てみたいという好奇心を抑えて、気が重いなんていわずに駄目もとでフォトハウスKに持っていけばよかったかなと思う。と言うか今度こんな状態になったらまず間違いなくそうすると思う。
先に書いたように大半はどこで何を撮ったのか覚えていたから、このところの寒波の襲来ですぐには無理でも、少し穏やかになって晴れ間が出たらおそらくまた撮りに行くとは思う。でももう一度同じようなのを撮るとか、あまり面白いものでもないだろうなぁ。



☆ ☆ ☆



気落ちした時に、最近ニコ動で大笑いした動画。
コメント込みでみるほうが面白い。




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コメント

No title

フィルムのトラブルは悲しいね~
私はカメラがフィルムを噛んでしまって
動かなくなって泣く泣く開けた事がありますよ。
何とか数枚は無事だったけど変な光が入ったりして。

今回の写真を見て、「すごい」と思ったのは
サビも撮り方でアートなんだなって思ったこと。
まるで抽象画でも見ているような
枯れ木との写真はシュールレアリズムを見ているような。
やっぱり薄荷グリーンさんの写真は大好きだわ(*^_^*)

同じものは撮れないかも~

【惜しむ気持ち】が、伝わります。
私も未練がましいのですよね~

でも、行動は私よりもはるかに若い、私なら絶対に開けない、お店にもっていきます。
写真の意図を読めない私にも、3枚目の写真は好き
こうして、ど素人の私にもしっかり最後まで文章を読ませる、このブログにまた違った魅力を感じます。

ROUGEさんへ

おはようございます!
いろんなことが起こって、だからフィルムは楽しい、と云えるようなのだったら良かったんだけど、これはさすがにもう二度と起こって欲しくないです。力も何も入れてないのにフィルムが裂けるって有り得ない。数百円くらいならケチったら駄目ですね。このフィルム、感度100のは結構いい色が出るからこっちは使い続けたいけど、細心の注意を払って使ったほうがいいみたい。
カメラがフィルムを噛むというのは、これはもうどうしようもないトラブルで、トラブルのうちだと最悪に近いんじゃないですか。フィルム入れる時にちょっと斜めになってたのかな。わたしの今回の場合はフィルムそのものは切れた部分はそのままカメラの中に残る形だったから、取り出すつもりなら簡単に取り出せたし、やっぱり早まって開けないほうが良かったかなと思ってます。現像してくれるところもきっといろんなトラブルが持ち込まれてるだろうし、最善の策をとってくれたはず。
光線引きは結構アクセントになったりして面白いんだけど、綺麗に撮ってみたかった写真にそういうのがはいってるとやっぱりげっそりしますよね。
もう一度撮りなおしに出かけてるけど、やっぱり面白くないです。でもここでこんな形で撮ったなぁと記憶には残っていても、大したことなさそうだからもう撮らなくてもいいかというようなのもあって、枚数はそんなに多くはならない感じです。

ちょっと分かりにくい写真かなと思って出してみたんだけど、そういう風に見てもらえて一安心。記事にして良かったです。
錆とか壁の汚れとか、いろんなところで偶然の要素が作り出してるものがあって、その気になって見回すと結構いろんなものが目に入ってきて面白いです。どの部分をどういう見え方の写真にするかって云うのが腕の見せ所だったりして。一見汚いって思うようなものも、写真の形にすると意外と見栄えがよくなったりもするので、汚いからと素通りするのはいろんなものを逃してるような気がします。写真は結構いろんなものにいろんな魔法をかけてくれますよ。
最後のはちょっといいでしょ。今回の中だと一番のお気に入りの仕上がりかな。どう見てもプライベートな空間の路地に入り込んで撮ってたから、すぐに逃げられるように気分は浮き足立ってたけど、絶対に写真にしたら面白いと撮る前に判断できたので、咎められるのを覚悟で撮ってました。こんな感じの写真が撮れるとやっぱり楽しいです。
これからも期待に添える写真が撮れたらいいなぁ。去年からずっと惑うことのほうが多くなってるから、活路になりそうなものはさらに先へと道を広げていきたいですね。

和さんへ

おはようございます!
そうなんですよね。極端に似てはいても同じ写真は撮れない。もともと決定的瞬間を狙うような撮り方はしてないから、復元は容易なように見えるけど、どんなに頑張ってもそっくりさんしか作れないんですよね。カメラの裏蓋を開いた時よりも残念感は増していて、今のところ開かなければ良かった感が6割くらいかな。開けた時は次のフィルムを装填したくて、店にカメラごと預けて暫く使えないと言うのは避けたかったというのもあったかもしれないです。
この時撮った写真は誰の眼にも触れずに虚空に消えてしまったわけだけど、撮られたものの誰も眼にしない形で消えていった非在の写真というのも写真の取る形態の一つと考えると、ちょっと面白い感じがします。撮られなかった写真とか、誰も見たことないものが世界中にあふれてると思います。
とはいうものの、非在の写真はあえて量産するようなものでもないから、わたしも今度こんなことがあったら店に泣きつきに行ってきます。出来ないならそういわれるだろうし、出来るなら最善の形にしてくれると思うから。

3枚目の、良いですよね。わたしも今回の中だとこれが一番よく撮れたと思ってます。街中の細部に偶然を装ったいろんなデザインが施されていて、その巧妙な仕上げに気づいて上手くフレーミングできたっていう感じかも。こういうのを見つけた時は気分は高揚します。
今回のは多少得体の知れないことを書いてる自覚があったから、どうなんだろうと思ってました。それでも読んでもらって感謝します。

No title

昔のバカチョンカメラを思い出した
けど、今日の写真は誰もが気づかない所に目を付けたトコが最高
田舎の壊れかけた納屋を思い出すわ
子供時代に見た田舎の納屋
なんだか心が童心に戻った気分よ♪

みゆきんさんへ

こんばんは!
まだバカチョンカメラ売ってますよ。って凄い名前だこと。わたしも使おうと思ってこの前一個買ったんだけど、意外と性能いいみたい。こんなフィルムが千切れるなんていうトラブルは起きないんじゃないかな。っていうか、そんなに以前から写真に興味があったわけじゃないから、使ったことなくて、どんなものなのか、この前買ったのを使うのが楽しみだったりします。カメラ持参禁止の修学旅行なんかでよく使われてるらしくて、中学生くらいの子供が京都のお寺でこういうカメラ使ってるのをよく見ます。
今回のトラブルはカメラと言うよりもフィルムのトラブルだったんだけど、そんなに高いものでもないから、やっぱりケチって安物を使うのはやめたほうがいいなぁと思い知りました。

確かに納屋の光景ですよね。失ったフィルムの撮り直しでカメラ持って歩き回ってたんだけど、気がつけば木津川近くの畠に点在してる、朽ち果てかけた納屋とか小屋の写真撮ってました。いわれるまでそうも思わなかったけど、結構な納屋好きなのかもしれないです。
綺麗なものでもないけど、こういうのも被写体としてみてるとなかなか面白いです、もっともこういう被写体を対象にするのはわりと他でもやってる人がいるので、勝負どころはこういう人目から逸れたものをどうアレンジしてイメージにするかっていうところになるんじゃないかと思います。そういうところで一風風変わりなイメージに出来たら成功って言うことになるんだろうと思います。
子供時代に眼にしたものと言う視点も面白そうですよね。大人になって捨ててしまったものの見方も、大人になってから追体験してみたら、忘れてしまった世界が立ち上がってくるかもしれない。きっと懐かしくて新鮮な世界だと思うけどちょっと見てみたいです。

No title

雑然とした物の整然さ・・・
全く混沌としながらも、そこに在るのが当然というエネルギーを発している物があったりしますね。
何でもそうかな・・・
それぞれの価値観で変わるのかも・・・

 フィルム惜しかったですね
 こんな風に切れたことはありませんが、自分で巻くことが多いので、根本のテープから切れることがありますね。
 そんな時は、カメラ内にゴッソリフィルムが残りますので最悪です。
 そんな時は、ダークバックに入れて処理しますが、ヤマカンでやりますので、本当にイライラします。(笑)

  切れたことは何度もありますが、二度撮りに行くことはありませんね。
  もう既に違うものになってしまいますね。
  撮っていた瞬間も、撮っていた気持ちも違うことに我慢ならないのです(笑)

higemajinさんへ

こんばんは!
ばらばらでなおかつ纏まってるとか矛盾して面白いなぁと。こういうひねくれた感じは結構好きだったりします。
それぞれの事物は他の事物を考慮してるわけでもないから、唯我独尊のものが一杯集まってるのに過ぎないところに、何の加減かちょっとした秩序を見つけてるっていう感じになってる。写真にすること自体がひょっとしたら秩序を与えてるのかもしれないなんてことも考えます。
事物の質感、存在感だけで混沌としてると言うのも好き。事物の存在感の前で写真的なありようそのものが消滅してしまうようなのがひょっとしたら理想なのかなと思うところもあるんだけど、それって写真にできないと言うのと同じだから、難しい。

最初は巻き戻し開始直後だったからテープが外れたって思いました。こんな切れ方になってるのを見てちょっと吃驚。切れたところからわりと簡単に裂けていくので、あるいはフィルムの素材そのものが劣化してたのかなと思いました。モノクロだったらダークバッグで取り出して自分で現像してたんだけど、カラーだったから現像を頼みに行くのにダークバックで取り出した後どういう形にしてもって行けばいいのかまるで頭に思い浮かばなかったりして、救出しようと言う意欲よりも面倒なトラブルっていう感じのほうが強くなってしまったところもありました。

もう一度撮りに行ってますよ。大体普段の撮り方でも同じところへ何度も撮りに行ったりしてるから、考えてみたら何も特別なことをやってるわけでもないんですよね。ただ同じものをもう一度っていうのはやっぱりあまり面白くない。これは本当に面白くないので、もう一度同じ場所から消えた写真を撮るつもりで出かけても、結果としてはまた違う写真を撮って帰ることになってます。
非在の写真っていうあり方も面白そうなので、失ったフィルムにあった写真は、誰も見たことがなく誰も永遠に見ることが出来ない写真として置いておこうかなと思ってます。

No title

こんにちは。

70枚・・それは悲しいですね。でも、また気持ちを新たに、同じような写真撮るっていうのは、面白くないものですかね?
やっぱり新鮮さはありませんもんね。

しかし。。
この得体のしれない写真は、とても気に入りました。
何かわからない魅力を引き出しているのは、さすがですね。
私が撮影したら、きっとゴミにしか見えないでしょう。

Satomiさんへ

こんばんは!
コメント有難うございます!

寒波が和らいでから一応撮りに行ってるんですけど、何だか一度撮ったものよりも、再訪して新たに目についたもののほうをよく撮ってる感じで、撮り直しという感じじゃなくなってます。あの壊れかけた畠の小屋はまた撮っておかないとと言うような気分はあっても、失った時の再現よりはやっぱりまた撮りにきたときの気分で撮ってるから、同じ被写体を撮るにしても、失ったフィルムの再現なんていうことにあまり拘ってない撮り方になってる感じかな。同じものを撮るのは苦痛でもないんだけど、同じように撮るというのはやっぱりあまり面白くないです。

こういうものも結構妙な印象で被写体になってくれたりするから面白いでしょ。皆が綺麗と言うものは綺麗に撮れて当たり前みたいなところがあって、そういうものとは違う視点で写真を撮ってみたいと思ってます。
破棄されたものや寂れたもの、皆が見捨てたものでも写真にすると意外と見られる雰囲気を纏うもので、この辺はカメラがたまに魔法をかけてるんだと思ってます。その魔法のかけ方に腕によりをかけるとか、そういう写真の撮り方も面白いです。名所や絶景の数は限られてるかもしれないけど、日常のこういう世界は本当に無限にあるわけで、ひょっとしたら被写体に困らないかもしれないし。
でもいつも上手く魔法がかかるかと言うとそうでもないのが、難しいところだったり面白いところだったりするんですよね。
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