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黒猫 他 + The Tremeloes - Silence Is Golden

黒猫
16 / 04 / Nikon Coolpix S9700





一つ開いた窓
16 / 04 / Nikon Coolpix S9700


ニコンのコンデジ、クールピクスS9700で撮っていた写真から。
カメラの機種を明示してるけど、デジタル臭さはやっぱりあまり面白くなく、PC上で手を加えているので、S9700がこういう傾向のイメージを生み出すというわけでもない。

フィルムが他者的であるのにどこか血肉化した視線という雰囲気なら、デジタルはやっぱり機械化された視線っていう雰囲気がある。
何というか情報量としてのレベルならデジタルのほうが豊富なのかもしれないけど、イメージが含み持つものの量というレベルだとフィルムのほうが豊かなんじゃないかと、少なくともわたしにはそういう風に見える。アートフィルター的なものがデジタルカメラに用意されてるのは、そういう含みの少なさを補完するような意味合いなんじゃないか。
あるいは、別にデジカメのマニュアルにそう書いてあるわけでもないけど、デジタルはことの最初からPCでの編集を前提にしてるんじゃないかとも思うこともある。RAW画像なんかは元のデータ全部劣化無しに手渡すから、後は好きなように料理してって云うような存在だし、結局は元データを自分の気のすむまで弄くりたおすことになったりする。これもある種の補完だろう。
フィルムのほうは、これは使ったことがある人なら感覚的には共鳴してくれると思うけど、フィルムの上に定着された写真を加工するのはちょっと気がひけるところがある。光が化学反応によって物理的な存在として目の前に出現した、云うならば光の事物的な結晶といったものだと思うと、さらにそこに手を加えることに無意識的な抑制が働くという感じかもしれない。
簡単なところだとトリミングさえ、撮った時のフレーミングを変更することに罪悪感を感じたりする。わたしの場合はこうしたほうが良くなると思うならわりとトリミングくらいはやってしまうほうだけど、どちらも似たような写真を結果的に生み出すとはいえ、それに対面する時の考え方とか扱い方はフィルムとデジタル、結構異なってるんじゃないかな。

それにしても、大体いつもここに書いてる、写真は自我によって取り込まれない唯一の存在とか、カメラは他者の眼として機能するほうが面白いとか、写真にあまり情緒を乗せたくないとか、こういうことは「機械化された視線」なんて言葉を使ってみると、そっちのほうが相応しいように思えるのに、なぜかアンビバレントなフィルム的感覚のほうがしっくりと馴染んで見えたりするんだよなぁ。こういうことを考えてると写真の謎めいた部分の一面が立ち現れてくるようだ。





手形
2016 / 04 / Nikon Coolpix S9700





整列と反射
2016 / 04 / Nikon Coolpix S9700


黒猫は結構好き。黒猫スープの写真集持ってるくらい。なんだか猫の形をした黒い切抜きにくりくりした目玉がついてるという、ちょっと漫画的なイメージで捉えてる。この写真は愛らしい路線とは縁遠いイメージになってるけど、こういう不思議な雰囲気になってるのも黒猫だとOKっていうところもありそう。
汚れた窓ガラスがイメージの変質に大活躍といったところだ。
先日またこの前を通ったら全く同じ場所に座り込んで外を眺めていた。どうやらここがこの黒猫の専用席のようだった。
わたしの場合だけかもしれないけど、街で出会う野良猫の中に黒猫はほとんど見ない。黒猫の存在というのは意外と珍しいのかな。



☆ ☆ ☆


The Tremeloes - Silence Is Golden

60年代に活躍したブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの一つ。デッカのオーディションをビートルズと同じ日に受けて、ビートルズは落っこちたんだけど、こっちは見事合格した。デッカでビートルズを落とした担当者は後々会社に居辛かっただろうなぁとと思ってたら、見事に首になったそうで、まぁそうなるわなと、これを知った時にもあまり同情する気になれなかった。
でもビートルズが通り抜けられなかった関門を潜り抜けたトレメローズは、そのわりにはわたしの印象だとこの一曲だけしか残らない。レッドリバーも歌っていて曲は馴染みがあるんだけど、このバンドの持ち歌なんだろうか?
それでもイギリスではもちろん知名度もあって、いわゆる懐メロ的な感じで再び集まって演奏してる最近の動画とかがネットで見られたりするから、興味のある人しか覚えてないような日本との差は当然の如くあるんだろうと思う。
ビーチボーイズのようなコーラスを得意としたバンドで、その特質を生かした曲だと思う。わたしの場合は何度か繰り返し聴いてたら頭の中にこびりついてくるタイプの曲かな。
こういう曲、勝手に頭の中で再生されるから困る。ちょっと前ブックオフの店内でやたらとかかってた森山直太郎の曲も頭のなかでフル回転しそうになって困ったことがあった。


☆ ☆ ☆












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コメント

No title

黒猫って確かにあんまり野良猫ではみかけませんよね。なんか神秘的で自分も好きです。耳が一部カットされてるんで去勢か避妊手術がされてる猫ちゃんのようです。手術したあとにリリースされたようです。

No title

すいません。家ネコでしたねw耳がカットされてるんで以前はもしかしたら野良猫だったかもしれません。一度リリースされたけど保護したのかもしれません

えにぜんさんへ

おはようございます!
黒猫いいですよね。国によってはあまり言い印象でもないところもありそうだけど、他の猫で神秘的と思うようなタイプはあまりないと思うから、やっぱり黒猫だけは特別な存在のように見えます。猫飼うなら候補には必ず上位に入ってくると思うけど、ひょっとしたら飼い主のわたしよりもかっこいいかもしれないので、その辺が癪に障りそうです。
この耳のカットは避妊処置済みのサインだというのはわたしも知ってたけど、そういえばこれ家猫だったら避妊処置していてもカットする必要ないんですよね。もう止めてしまったとある写真館の、店の構えがそのまま残ってる家のガラス窓から眺めていた猫だったんだけど、家の人が避妊処置を受けさせたからその流れで耳のカットもしてあるんだと思ってました。
つまり家の中で飼われていても耳にこのカットがある猫だったら、前身は必ず野良だったということですよね。
ということは野良の中にも黒猫は居ると。ひょっとしたら珍しい野良猫はいち早く拾われて、その結果野良としてはあまり見かけなくなってるということなのかな。

野良で黒猫にあってみたいなぁ。カメラ持って付け回したりして、猫に愛想つかされるだろうけど。

No title

妙に黒猫にぎゃあああぁぁぁぁ~
窓の手形にぎゃあぁぁぁぁぁ~
ホラーが好きなのに
心理的にドキッとさせる彗星さん
怖い写真も芸術にしてしまうとは驚きーーーっ

みゆきんさんへ

こんばんは!
あはは、結局ホラー好きの性が、ことあるごとに顔を出してくるって云う感じかな。
何だか異様なものを撮ろうとしてるときのほうがのめりこんで撮ってるかもしれないです。
基本的には意図的におどろおどろしい素材を求めて街中を彷徨ってる訳でもないんですけどね。
黒猫のほうはいろんな要素が絡んで神秘的なイメージになったという感じ。バックのカーテンの模様の質感とかも全体の怪しい雰囲気に貢献してると思うし、そのなかでも特に目つきが異様なのがやっぱり印象的かな。
とにかく黒猫好きとあって、こんなに正面向いて堂々と座ってる場面なんてめったに出会えないから、絶対に撮らなければと思ってシャッターを切りました。
手形はもうホラーの定番ですよね、小説だと小池真理子の「墓地を見下ろす家」に手形の気味悪い描写があって、これをちょっとだけ思い浮かべました。
でも真相はおそらく子供が地面に落ちてた黄色い砂のようなものを手に着けて遊んでただけのものだったりして。
ただ、手形とかそんなに珍しいイメージでもなさそうなのに、実際に手形を見るとか、そんな機会はほとんどないんですよね。
これの場合も見つけた時にこれは珍しいと思ったから、カメラ向けてみたものだったりします。
痕跡があって、その本体はイメージの中には存在しないで、その痕跡が本体の記憶を呼び起こそうとしてるっていうようなもの、こういうのはテーマとしては面白そう。想像力を刺激するような余白があって上手く使えば含みの多い写真に出来そうな気がします。

No title

クロネコの写真、いいですね。
心のシミが出ているような気がしました。
デジタルでもフィルムでも、やっぱり撮れる人には撮れる。
そんなことを再確認しました。

ラサさんへ

こんばんは!
黒猫、奇妙な写り方でちょっと面白いでしょ。汚れたガラスと背景のカーテンがまた上手く雰囲気を演出してるというか、舞台装置もマッチするものが揃っていてこんなイメージになった感じです。眼の感じもまた良いです。ちょっと怖い眼かな。窓の外を眺めて何を思ってたのか、あまり猫らしいことは考えてなかったような目つきですよね。
飼い猫を撮る人はまずこんな撮り方をしないというか、撮れたとしても駄目だこれはと破棄してしまう可能性の高いような写真になってるんじゃないかと思います。これは実は加工してないで、コンデジが自力で撮ったそのままの写真なんだけど、条件さえ整えばいかにもデジタルという絵にならない場合だってあるということを知りました。
フィルムと比べるとデジタルは何だか頼りないし平板なイメージしか生み出さないなぁと思いがちなんだけど、写真に似たようなものを生み出す全く別の道具と考えると、これはこれで使えるんじゃないかと思ってます。両方その特性を生かした使い方が出来たら、これが理想かも。
ということで今もサブに持ち歩いてます。おかげで最近サブとして使ってるXA2のフィルムが全く消費されない状態に陥ってるのがちょっと痛い。

とまぁデジタルを使ってみて、結論は両方使えばいいって云うことだけど、でもモノクロはデジタルよりはやっぱりフィルムかな。デジでモノクロだと単純にカラーを抜いただけって云う感じになるから、これは凄く安易だなって思います。
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