影と踊ろう

ハート
2016 / 04 / Nikon Coolpix S9700





廃屋の窓
2015 / 11 / Nikon F3 / Fuji PRESTO400を自家現像






校舎
2015 / 10 / OLYMPUS PEN E-P5








先日大河ドラマの真田丸を見終わった後、いつもならTVのスイッチ切ってしまうんだけど、この時は何となくつけたままでいたら、次の番組で若冲の特集が始まった。どうやら今東京で展覧会をやってるらしい。
へぇ、そうなんだとちょっと調べてみたら、どうも京都にはやってこないようで、その時点でちょっと腹が立った。
絢爛豪華でなおかつポップでモダンでスタイリッシュ、さらに今で云うところのほとんどドット絵そのものといったぶっ飛んだ絵を発想するような、同時代の絵師たちとはまるで違った独自の眼と技を持っていた画家。その分野の文脈にまるで入らない、自らの感覚のみを頼りに描き続けたような作風は、分野が違っても得るところは多いにある。その分野の文脈で描こうとはしなかったというのはわたしの特に気に入ってるところでもある。わたしは若冲が象を描いたのでも、何しろ象が好きで、というかストレートに象というよりもどちらかと言うとガネーシャなんだけど、ともかく象に関した置物を集めたりしてるくらいだから、この点でも若冲は大好きな日本画家だったりする。
一応今回のこの展覧会は京都には来ないようだけど、数年前、と云ってももう10年くらい前になるか、若冲の展覧会は京都でも開催されていて、確か美術館じゃなくて京都国立博物館のほうだったと思うけど、それは見に行って豪華な図録も手にいれてる。この時の図録は資料的にもかなり良く出来ていたものらしい。
でも一度は開催された展覧会を見に行ってるとはいえ、今やってるのを見られないというのはやっぱりちょっと腹が立つなぁ。
展覧会は開催してるところに行かないと見られないというのが、一点しかないものを見る意味を呼び起こしたりするものの、やっぱりこういうところは古いタイプのシステムなんだと思うところもある。
一応京都で以前に見てるから、お金もかかるし東京へ行く気にまではならないけど、見に行けないなら図録だけでも手に入れたいところだ。美術館のショップのほうではネットでの通信販売はやってなくて、日経の関連ページから注文できるようだった。
展覧会といえば、今は京都で安井仲治の展覧会をやってくれないかなと思ってる。安井仲治のシュルレアリスム的で幻想的な写真は今とても興味を引いてる。また、モホイ=ナジの写真に特化した展覧会もやってくれれば絶対に見に行く。モホイ=ナジの展覧会は数年前に京都で開催されてその時のことはこのブログでも書いてる。でもこの展覧会ではモホイ=ナジの写真に関してはフォトグラム関連以外はあまり展示されずに、会場内の暗くした一室でスライドショーで見せていたくらいで、しかも図録にもあまり記載されてなかった。暗い一室で見ていた一連の写真はスナップショットの類で凄く面白かったんだけどなぁ。フォトグラムは大きく扱われてたけど、この暗い部屋で見たスライドはモホイ=ナジの撮った「その他」の写真扱いで、開催側の学芸員にはバウハウスでの本来の活動やフォトグラムほどには重要に見えてなかったんだろうと思う。
展覧会はそこに行かないと見られないという点と、もう一つ企画する側が企画したものしか見られないという嫌なところもある。向こうの思惑で投げ与えられたものしか見ることが出来ない、自分が今見たいと思っていてもだからといってその展覧会が自動的に発現するわけでもない。これも展覧会のもつ旧態依然とした特徴なんだろうと思う。
与えられたものしか見られないというのは映画でもそういうところはあったんだけど、DVDやブルーレイで今は随分と様子は違ってる。

☆ ☆ ☆

最近はミノルタのフィルム一眼にモノクロフィルムを詰めて、ニコンのコンデジS9700をサブカメラとして、スプリングコートのポケットに入れてるような組み合わせが多い。おかげでS9700が手元に来る前までサブで使ってたオリンパスXA2は撮ってる最中のフィルムが入ったまま一時休業状態のようになってしまってる。フィルムが入ったままというと、ピジョンフレックスと学研のピンホールカメラもそうなんだけど、こっちはフィルムを入れた時の気分と若干違う気分になってるので、これまた手を出せない状態になってる。

あまり面白くないなぁとぼやきながらもポケットからS9700を取り出し、何だかデジのほうでもそれなりにシャッターを切っていて、見直してみれば、デジ臭さを何とか取り除くことができたなら、結果はどうも意外とデジにヒットしたものが多いような気がする。これは本当に思いもしなかった成り行きなんだけど、フィルムで撮ってるほうに当たりが少ないというのが今度は逆に何だか悩ましい気分になる。
街中で撮るには手軽で機動性のいい道具のほうが適合してるんだろうし、ズームもフィルムのほうではほとんど使わなくなってたけど、S9700のズームは機動性を加速させて結構役に立つ。そういうところがコンデジで撮ってる写真に思考が入り込む隙をなるべく作らせないようにしていて、肩の力が抜けた写真を可能にしてくれてるのかもしれない。

一枚目は街中で見たディスプレイの断片。
下に見える、これは店への入り口の上の縁でちょっと邪魔かなと思ったけど、どこか崩して全体に決め決めにならないほうが面白いかなと思って、あえて画面に入れるようにして撮ってみた。結果は崩した不安定感もあまり出てなくて、単に邪魔なだけにも見えてくるなぁ。
街中で撮ってると、どうしても店のディスプレイとか撮ってることが多くなってる。そして、こういうものを撮る時はいつも、これがかっこいいとするならそのかっこよさは撮ったわたしの写真にあるのかディスプレイした人の感覚にあるのかということが頭に浮かんできたりする。前にも書いたけどこれはディスプレイした人の感覚が導いてきたもので、わたしの写真が生み出したものではないだろう。こういうことが頭に浮かんでくるから街中で人間が作ったものはあまり撮りたくないという感情も生まれてくるし、そういう時は森にでも行って神様のデザインによる木々の曲線なんかを撮ってみたりしてる。
単純に街で眼にするものはすべてのものが街を構成するパーツの一つと考えれば、街を観察し撮ることにおいて、何もこんなに屈折した気分にならなくてもすむと思うんだけどね。
二枚目のはとある廃屋で。
最後のは小学校。午後の誰も居なくなった小学校。がらんとした学校の雰囲気は結構好きだ。しかも蛇口が並ぶようなこういう場所は子供の存在をどこかに寄り添わせていて、その不在が際立つ。この場所はさらに全体が日陰になってるところに日差しが差し込んでいた。
閉じた格子状の門の向こうに見えていた場所だったんだけど、陽射しがおちてる光景を撮りたくなって、門の格子の間にレンズを差し入れて撮った写真だった。子供がひけた後とはいえ、小学校でこういうことをやるのはもう完全に不審者の振る舞いだったので、手早くシャッター切って、咎められないうちにレンズを格子から抜いて退散した。


☆ ☆ ☆

ストリートで写真家がどんな風に写真撮ってるか、これ見るたびにいろんな意味で凄いなぁと思う。この動画でも警官に説明してるところがあるけど、日本でやればまず間違いなく交番に連れて行かれる。こういうタイプの撮影方法は認めても、このマーク・コーエンのようなやり方には随分と批判もあるようだ。



了解を取ってたらまず撮れない写真もあると思うから、こういう撮影方法を取るほかないところもあるんだけど、こんなに無礼な態度で接するのは、どこか人の感覚として壊れてるところでもなければ、あるいは変質者だと思われてもまるで平気くらいに開き直るほどでないとできそうにもないだろうなぁ。

人の生き方がどうのこうのなんていうことよりも、壁のこのラインが美しいなんて云ってるのが、自分と似たようなところに反応してる人だなぁと、そういうところも面白かった。







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コメント

No title

2番目の写真スキ
3番目の写真はもっと好き
懐かし小学校を思い出した~
ちょっと懐かしくて母校巡りしたくなったわ
でももう建て替えられてない
なのでアルバムを掘り出して見るよ
思い出させてくれて有難うね♪

みゆきんさんへ

おはようございます!
光の入り具合でドラマチックになったりするんですよね。2枚目の逆光は、ちょっとありきたりなんだけど、雰囲気のある絵にはなってるんじゃないかと思います。光が当たって影が出来てそれを写す。考えてみればそれは物凄くシンプルな出来事で、でもこのシンプルな行為は突き詰めていくと本当にいろんな表情を見せてくれて面白いです。
光の入り方としては逆光はいかにも上手い写真ですよ、みたいに見えて、定番過ぎるところがあるから、どちらかというと3枚目のような斜光のほうが好みかな。小学校というモチーフもこの写真はマッチしていて良かったんじゃないかと思います。もう誰の記憶の中にでもありそうなイメージだし、ノスタルジーのような感情を呼び起こして感慨深いですよね。
学校の中はいろいろと写真撮ってみたい対象なんだけど、まず仕事に繋がるようなよほどの動機でもないと撮らせてくれないし、基本撮れないと思うと余計に撮りたくなって来ます。
最近、生まれ育った街に行ってきて、通ってた小学校も見に行って来たんだけど、もう完全に様変わりして、同じくわたしが通ってた頃の設備とかまるで存在してなくて、やっぱり何かを永遠になくしてしまったような気分になりました。
それは懐かしいことは懐かしいんだけど、昔住んでいた場所を実際に見に行くのはちょっと考え物かも。
学校関連で言えば、高校は統廃合で学校そのものが消失して敷地は別の施設になってたり、大学も一応古い大学だから極端な様変わりはしてないにしても、わたしが通りなれた場所の雰囲気は結構変わっていて、わたしの学校の記憶はもう全部記憶の中にしかない感じです。

No title

そうなんだよね
記憶の中とアルバムの中
でも良くもまぁ~こんな素敵な場所を探してくるって感心してました
(^ε^)-☆Chu!!

みゆきんさんへ

こんばんは!
様変わりした懐かしい場所は、やっぱり結構センチメンタルになりますよ。昔住んでた家がそのまま誰も住んでない状態であったんだけど、この中に入ると何だか子供の頃に戻れるんじゃないかって思いに捉われそうになって。
写真はそういう消えてしまったものを止めておくものだから、ノスタルジーとかセンチメンタルとか、そういう方向に向かいやすいんでしょう。
場所はそのまま眺めてるとわりと普通の印象だったりするんだけど、写真に撮ることで何だか特別な何かが現れてくるような感じかな。だからこれ、素敵な場所に見えるなら写真がかけた魔法が半分くらい混じってます。まぁ写真が魔法をかけやすい場所を見つけてるというのはあるかもしれないけど。

惡戯に參上!!

こんにちは!!で茣蓙居ます。
平成二十八年皐月五日(第一木曜日・先勝)後半黄金週間の『こどもの日』(端午の節句)でありますなぁ。
久し振りに童心に還ってくださいな。

http://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44

http://www.youtube.com/watch?v=FuCat_H_P8o

http://www.youtube.com/watch?v=sHoit9X3nio

しかし、最近は青空の下大きく泳ぐ鯉のぼり見掛無くなりましたですねぇ。
溪谷や川の上を泳ぐ鯉のぼりが多くなった樣ですなぁ。

では、また八日にです。。。。

紋狗 悠之輔さんへ

こんばんは!
URL、何かと思えば唱歌ですか。結構好きな唱歌はあるんだけど、今は学校でこういうのは教えないんじゃなかったかな。
ビートルズなんかを学校の音楽で教えてるとか、わたしはビートルズは熱狂するけど学校で教えるようなものじゃないと思うし、普段の生活でなかなか聴けなくなってるようなものを教えるべきだと思ってます。
最後のはレコードの高速回転する動画が眩暈持ちのわたしにはとてもきつかったけど、最近自分が子供の頃にすんでいた家の前まで行って、この家の中に入れば子供の頃に記録した柱の傷もまだ残ってるんだろうなぁと感慨深かったので、タイミング的には同調してるところがありました。
こいのぼりは見かけなくなったし、見かけても住宅地の合間に大して目立ちもせずに立ってものばかり。一応何枚か写真を撮ったけど、こいのぼりに関してはすごいいい写真を一枚知っていて、これを越えるものを撮れそうにないからあまり熱心でもなかったです。

再度です。

お早う!!茣蓙居ます。
皐月八日第二日曜日であります。
五月の第二日曜日と云えば『母の日』ですねぇ。
此方の唄をお届けしましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=wc-84-qSr6Y

http://www.youtube.com/watch?v=-KalcQbNvnI

そうして此方の唄もです。
同じ歌をお三方が違って味で歌い上げてます。
あたしがこの唄を耳にしたのは昭和の御代、木島則夫さんの『モーニングショー』でした。
それまでは放送禁止の唄だったんですよね。
先ずは此方のお方から。

http://www.youtube.com/watch?v=6e6-R_cx1rw

はい、このお方です。
泥臭い匂いがプンプンしてます。

http://www.youtube.com/watch?v=vu-ntWkRrm4&ebc=ANyPxKrwrFSw_TcN1KcmBC-Pa6tPYfBlTuoHkiIWckxKH2gmMeDPR_6VmWdLM5N00u4QrbWdksajE59xIrfldDMalXYHRc2epA

此方はご本家の歌声です。
EP盤のノイズをもお愉しみください。

http://www.youtube.com/watch?v=nUjg4hJCFkg

この唄を聴く度に貧しかった昭和30年代前半の風景が目に浮かびます。
あたしを含め汚い子供が多かったですねぇ。

ご機嫌よう‼

紋狗 悠之輔さんへ

おはようございます。
中田喜直は唱歌でいい歌を作ってますよね。わたしは夏の思い出とかが結構好きです。
関西はフォークソングのメッカだったから、といってもこのアップされてる人たちは関西のフォークソングとはちょっと離れてる人だからそれほど馴染んで聴いたことはないです。なぎら健一は歌うとなると急に声質が変わるのが面白い。気取って歌ってるのが見た目と似合わないというか。
泉谷しげるは暴力的なイメージで仮装してるけどシャイなのが伝わってくる感じがします。
美輪明宏は何だかネットで見ると大絶賛のようだけど、わたしにはわざとらしすぎ、大仰過ぎて拒否反応が出てしまう歌手。聴いてると恥ずかしくなってくるというか、いたたまれないような気分になってきます。もとがシャンソンの人だからこんな芝居がかった歌い方になったんだと思うけど、この中だとひょっとしたら一番泥臭いんじゃないかなぁ。
こういうのも今は昭和的に見えてるのかもしれないけど、わたしはもっとモダンな昭和が好きかも。夢で会いましょうみたいな曲のほうが好きです。暗がりのほうへ幾分シフトするなら浅川マキとか。
歌謡曲に関しては職業作曲家が全滅してしまったので見る影もないという感じになってますよね。昔だったら歌謡曲の作曲家になったかもしれないような人はゲーム音楽とかに流れて行ったんじゃないかなと思ってます。植松伸夫なんか凄い好きだったし。
それにしてもCDがまったく売れなくなって音楽が衰退していくような時代が来るとは想像もしてなかったです。

鍵コメさんへ

こんにちは!
お祭りでそういうトラブルがあると、思うことは結構複雑な感じになるかと思います。何しろ神事で生じたことなので、そういうことも神意のうちなのかとか、気持ちのなかで収まりがつくようになるのはかなり時間が必要なんじゃないかと想像したりします。
熱狂的な事柄についてはむしろ書きにくいところもありそうですね。熱狂に任せて書くのも面白いかもしれないけど、その熱狂も含めて多角的に書くというのも切り口が多面的になって面白そうだし。
あまり冷静になってもつまらないかも知れず、その辺のさじ加減が腕の見せ所になるのかな。
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