神様のデザイン

白い木の実が群れている
2016 / 02 / Fuji Natura Classica / Fuji Natura1600





綿毛
2015 / 07 / Nikon AF600 ( Nikon Mini ) / Kodak Super Gold 400





ライン
2015 / 10 / Nikon F3 / Fuji PRESTO 400を自家現像





街のポロック
2015 / 03 / Nikon F3 / Kodak Gold 200






というわけで、人が作ったものを撮ることに迷い倦み始めると、知らないうちに撮ってるようなものをいくつか。偶然が生み出してるような神様のデザイン。ただこうやって、あの木の曲線じゃなくてこの木のラインといった具合に差別化し、意図としてフレームで切り取ってる以上、画面は完全に偶然に支配されてるというわけでもなく、混沌と偶然のうちにあった神様は、撮ることでわたしの手の内から溶け出して逃れていく。

最初のは宇治川の河川敷、二枚目はどこだったかなぁ、あまり良く憶えてないけど近所を歩いてた時だったかも。次のは去年の後半、木津川で写真撮ってた時だから富野荘の辺りだったと思う。ぐちゃぐちゃに絡まった針金の影。
最初の写真で使ったフジのナチュラクラシカは去年の夏にストラップが切れて地面に落っことしてしまったカメラだけど、これだけ写ってたら落とした影響はほとんどなかったと考えてもいいのかな。ちゃちなファインダーで覗く喜びがまるでないのに、写った写真は好みの写り方になってる場合が多くてお気に入りのカメラだから、壊れてしまうとかなり困る。
空中に浮かぶかのように広がってた小さな白い実(?)を撮りたくて撮ったもの。実は手振れで木の枝は滲み白い実は流れて写ったものもあって、こっちのほうが面白かったんだけど、最近買った奥山由之の写真集の中で、似た感じのものを見つけてしまって、出せなくなってしまった。知らなかったら披露してるところだったんだけど、似たようなものがあると知ると、まぁ平気で出す人もいると思うけど、わたしの場合はちょっと躊躇いが出てしまったというところ。ここに載せたのは幾分端正すぎるところがある。
他人と似たような感覚に従ってるところがあるという点はやっぱり自分にとっては気分的に萎えてしまう感じがする。

三枚目の影の写真は、実際のところ影そのものを撮った写真だと、あぁ面白い影を見つけて撮ったわけねと簡単に了解されてしまって、イメージはそこで閉じてしまうようなところがある。いくら面白い形の被写体でも含みの少ない痩せた写真になりがちで、これもその典型的な撮り方になってるかもしれない。こういうものは、対象はシンプルでも撮る段になると結構工夫が必要なんじゃないかと思ってるんだけど、なかなかね、なかなか上手くいかない。
最近こういう光に纏わるものとしては、その形態のユニークさに引っ張られがちな落ちる影というよりも、影の中に差し込む光といったもののほうが興味を引いてる。
最後のは市井のジャクソン・ポロック。街の中には自覚のない芸術家が潜んでる。


☆ ☆ ☆


ストリートでの写真家の撮影スタイル動画をもう一つ。ウィノグランドの撮影スタイルはチャーミングで結構好き。
一瞬ファインダーを覗くか覗かないくらいのタイミングでシャッター切ってる。ちょっとどんな風に見えるかためしにファインダーでも覗いてみようかなという素振りの間に一瞬で撮ってしまうという感じなのかな。撮った後も撮った!って云う雰囲気じゃなく、ためしに覗いてみただけという雰囲気のままだから、撮られた人もあまり撮られたっていう気分にならないかも。
あといつも迷うんだけどシャッターチャージのタイミング。ウィノグランドのやり方は一枚撮った後すぐにフィルム巻上げ、チャージして、持ち歩いてる間のカメラはずっとチャージ状態のままのようだ。これがタイミングを逃さない一番のやり方だと思うし、シャッターにロックなんかの機構があるところからも、このタイミングが正解なように思うんだけど、何か機械的にずっとテンションがかかってそうで、気分としてはこういうのはどうも落ち着かない。

この動画はウィノグランドが亡くなる2年前のものだそうだ。ウィノグランドは56歳でこの世を去ってる。
かなり変わった写真家というか、撮ることに夢中にはなるけど、現像だとか焼付けだとか、撮った結果のものにはあまり関心がなかったらしく、死後に、本人も見てなかったらしいフィルムが約6500本発見されて、その写真の整理で回顧展を開催するまでに4年近くかかったという。





スポンサーサイト

コメント

No title

本当に神様の斬新なデザインだわ
そこに目を付けた彗星さん
デザインが悪戯にも見えるわ♪

みゆきんさんへ

こんにちは!
写真は絵画みたいに真っ白なカンバスへ絵具で一から描いていくようなものじゃなく、既存のものを平面的にコピーすることから始まるので、撮る対象が人の作ったものだとどうしても著作物という側面を無視できないんですよね。人に対しては肖像権とか考える人は一杯いると思うけど、それ以外の被写体に対してこんなことを思う人はどれだけ居るんだろうとは思います。でもわたしはこういうことを良く考えてしまうほうなので、店先の様子とか撮ったりしてると何だか割り切れない気分が出てきてしまって。
自然にあるものが神様のデザインだと考えて眺めてみると、これはまた神様は奇抜なセンスをしてるんだなぁとか、見慣れてるものも妙に新鮮に見えてきたりして面白いですよ。どんな偶然の細部にも神様は宿ってる。そういう細部が寄り集まって世界が出来てる。わたしは別に宗教に凝り固まってるわけでもないんだけど、周りの世界をそんな風にしてみてみると、その辺に転がってる大したことのない事物でも意味ありげで面白そうに見えてきたりします。

No title

奥山由之などという人は私は知らないのでその写真をぜひ見たいです。

sukunahikonaさんへ

こんばんは!
本音を言うと気に入ってる写真だったのでブログに出したいんですけどね。
こういうことを書いた後だと、やっぱり載せますなんてことをしたら、確かに似てるとか比較されそうな気がするし。でも見せたい気もあるから、そのうち何食わぬ顔をして他の写真に混ぜて載せてたりするかもしれないです。
被写体を自分で作るわけでもないから、そういう意味でも似たような写真が出来てしまうことはあると思うんだけど、自分が他人と同じように物を見てると分かるのはやっぱりあまり面白くないかな。
まぁ意気消沈してしまいそうなこういうのを繰り返しつつ、自分の視線って云うのを見つけていけばいいって云うことなんでしょう。
非公開コメント