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鏡の如き映るもの + Arto Lindsay - Child Prodigy

水田に写る
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5





中空の畦道
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5





水の痕跡
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5



先日電車に乗っていて窓の外を漫然と眺めていたら、水を張った水田に脇の畦道と等間隔に並んでる電柱が写り込んでる光景が流れすぎていった。その日は空一面が単色のグレーで塗り潰したような曇り空の日で、まるで抽象的なラインが、空を反射して水面までグレー一色となった平面に浮遊してるような様相を見せていた。
大体ピクトリアリズムの写真には距離を置くっていうようなことを云ってるけど、こういうのを見てしまうと撮らなければと思うわけで、でもこの時は用事があって乗っていた電車だったから、あの鏡のような水田の写真を撮ってくる!とばかりにその近くの駅で降りることも出来ずに、用事が済んだら撮りに戻ってこようとその水墨画のような光景が目の前を通り過ぎるままにする他なかった。
用事が済んで3時過ぎくらいだったと思うけど、もう一度この場所にやってきて、今度は電車を降りて、鏡面界となっていた水田の近くまで歩いていったんだけど、近くまでやってきてその様子を見て唖然。
通り過ぎたのは大体10時半頃、戻ってきたのが3時過ぎ頃だったから、この間約5時間ほどだったんだけど、この五時間の間にすっかり田植えが済んでしまっていた。あの鏡のように見えていた水田には苗が等間隔に並んでまるで産毛が生えたようになってる。ちっとも鏡のようじゃない。
この日は土曜日で、何も土曜日にしかも今にも雨が降り出しそうな日にこんなに張り切って田植えしないでもいいだろうに。いつもの我がタイミングの悪さに呆れかえりながら、畦道と電柱が反射してる水を張った、産毛が生えてない水田が他にないか探し回ることとなった。
結果昼前にみたような条件が揃っていたところは見つからず、こういう写真を撮ることになったんだけど、これはこれで結構気に入ってるイメージになってたりして、ひょっとしたら撮ろうと思っていた水田で田植えもされずにその場所を撮って満足していたら、今回の写真は撮らずにやり過ごしていたかもしれないから、その場ではタイミングの悪さを呪ってたけど、後になってからはこれはこれでよかったんじゃないかとも思った。
せっかく戻ってきたのに新たな場所探しやってるうちに本格的に雨が降ってきて、結局3~4枚ほど撮っただけでこの日は退散した。
思ったんだけど、曇りの日も結構いいなぁって。まだらに雲が空を覆ってるような曇り空だとあまりそんなことは考えなかったかもしれないけど、均一のグレーの色面が広がってるような日の空気感とか光の感じは、抽象度が増してこの世界の光景とはちょっと印象を異にするようなニュアンスが加わるような気がする。遠くにあるものがグレーの中にしっとりと湿度を持って霞んで行くような雰囲気もなかなかいい。

☆ ☆ ☆

使ったカメラはオリンパスペンS3.5。随分と前に買ったカメラだけど、ファインダー内のブライトフレームが微妙に傾いていて、気づかずに撮った写真の大半がわずかに傾いだ写真になってたのに嫌気が差して使ってなかった。でもブライトフレームは目安程度に、ファインダーの外枠を基準にすれば傾かずに撮れそうと思い、さらに傾いてもかまわないような構図で撮れば問題なしと思い至って、最近写ルンですとハーフカメラにぞっこんなので、せっかく持ってるんだからまた使ってみようという気になったというわけだ。
「S」はペンとしては二代目で、この二代目のペンは仕様の違いで二種類のタイプが存在する。初代ペンの後継としてまず少し明るめのレンズと高性能化したシャッターをつけたS2.8というのが出てきて、その後初代のレンズが評判よかったのか、二代目のペンのレンズを初代のものに戻したタイプのものが登場した。わたしが使ってるのはレンズを初代のほうに戻したS3.5のほうだ。初代から見ると、二代目と見た目はそっくりなので、結果的には初代のシャッターを高性能化した形のカメラといったものになってる。わたしが買った時はまるでそんなことは知らなかったんだけど、オリンパスペンSとしては2.8のものよりも生産台数が少なくて、綺麗な状態のものがなかなか見つからない、若干レアな扱いになってるものらしい。最初はなんだもっと明るいレンズのものがあるのかと外れくじを引いたような気分になってたけど、レアと知ると現金なもので、これが目の前に現れたのは幸運だったんだと思うようになった。

s3.5

まず、このところ写ルンですを使っていて気づいたんだけど、この写ルンですの最初から固定されてる設定、ISO400のフィルムで絞りが10、シャッタースピードが1/140秒というのをそのままこのペンSに流用すれば、まさしく写ルンです的に使えることになる。完全マニュアルカメラなのでとっつきが悪そうに見えるけど、考え方次第でお手軽カメラに変貌したりする。
実際露出計を持たずに一本撮ってみて、写ルンですだったら躊躇なくストロボを使ってる陰が淀んでるようなところは体感露出で設定値を変えなければならなかったけど、外してるのは数コマだけで首尾は上々だった。

ペンはデフォルトの構え方で縦のフレームになる。以前ペンは何が何でも縦構図で撮るのがカメラの特性を生かして面白いと書いたけど、実際のところ縦構図好きを表明してることには変わりないものの、最近はどうもパターン化してるというか、縦に構えても今まで撮ったようなイメージとしてしか目の前に立ち現れてこないことが多く、今回のペンSを使ってる時は横の構図で撮ってみたものが結構多い。さらに今回のようなのは対象自体が横構図を要求してると思う。

あとね、広く視界を取った写真も、そういうことに意図的になってシャッターを押したのも考えてみれば久しぶりという感じ。
クローズアップは倉石信乃が言うように、細部の全体化、抽象化であって、かつて神宿った細部を視覚化するものではない。細部が実現されるのは逆にパンフォーカスの画面、それも制度化された視線で整理されない、ぞんざいに投げ出された(この辺りの思考がかっこいい!)画面なんだという考えには賛同する。
おまけにパンフォーカスという、遥か遠くから手前のものまではっきりとピントが合って見えるというのは、見ようとしたものしか見ない人の視覚と比べれば、極端に不自然で人工的で、言うならむしろサイケデリック、幻想的なヴィジョンだと思ってる。こういうところがスティーブン・ショアのような写真が好きなところだったりする。
かつて細部に神が宿った、サイケデリックで幻想的なものだと看做すなら、安物カメラで実現してるパンフォーカスの写真も際立って面白くなってくる。


☆ ☆ ☆


Arto Lindsay - Child Prodigy


アート・リンゼイをもう一曲。あのダンエレクトロのレトロフューチャーっぽいギターを掻き毟って、ノイズを撒き散らしていた人と同じ人だとは到底思えない透明感にあふれた、美しい、でもどこか逸脱感があるブラジリアンミュージック。
これがブラジル回帰の始まりとなったアルバムなんだけど、これ以降のほかのCDとかも聴いてみると、ノイズ止めてこういう音楽に宗旨替えしましたっていうスタンスじゃなくて、ノイズからこういう音楽までまるで同じ美意識で捉えて音楽を作ってるのがよく分かる。結局は分け隔てなく音そのものに対するセンスが抜群にいい人なんだと思う。






90年代後半の坂本龍一のレーベルGUTからでてる。そういえは坂本龍一なんかとコラボしてたから、ひょっとしたらDNAのノイズギターの人というよりも新感覚のちょっと洒落たブラジリアンミュージックの人って云う受け取り方の人も多いのかもしれない。






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コメント

No title

久しぶりに、私の脳が解釈する範疇
整地された畑にじわじわと水がにじみ、鏡面化して、数時間後には、緑のドットの整列
この変容は、鏡面をとらえていた人には、何となく寂しい。

私も、時々体験する現象です。
ま、鏡面が数か月後には黄金色になりますから、少し退いて見るのもいですね。

和さんへ

おはようございます!
電車の窓から見えた時は本当に綺麗に見えて、これは絶対に撮っておかないとと思って、ワクワクして戻ってきたんですよね。
だから現状を見た時は本当にがっかりしました。産毛が生えてるのもそうだけど空を反射する水面が、空の色じゃなくて薄く緑がかかったようになっていたのも、空と一体化しない状態となって、もう午前中に見たのとは完全に別物になってました。
ここぞというタイミングでちょっと躊躇したり、わずかに考え込んで立ち止まったりする癖があるので、タイミングがあるとするなら逃すことのほうが多いような気がします。考えずに行動せよっていうことなんでしょうけど、これは自分のような性格の人間にはなかなか難しいという感じです。常々そういうことを頭の片隅にはおいておこうとはしてるんですけどね。
まぁこの時は用事があったから仕方ないんだけど、なぜか用事があるようなときに限ってこういうタイミングが訪れたりします。めぐり合わせのタイミングそのものがあまり良くないというのもあるかなぁ。
でも記事にも書いたけど、結局は今回の写真を撮るタイミングは捕まえたんだから、直接的にではなくてもめぐり合わせはそれなりに気づいてるのかもしれないです。

曇りの日が意外と雰囲気があるって云うのは結構いい発見でした。雨が降るとカメラが濡れるので嫌なんだけど、濡れても気にならないカメラを用意して、あえてこういう日に写真撮りに出かけるのもいいかなと思いました。光が周囲に拡散して、世界中のものが、鈍く底光りしてるような感じというか、雰囲気がいいです。

梅雨に入ってそれなりに季節感がある写真になってるかな。季節を追って変化するさまを定点観測のように撮ってみるのも面白いかもしれないですね。

No title

曇り空が田んぼの水に映ってて物悲しいのに
子供時代に歩いた田んぼのあぜ道を思い出す
どじょうやカエルが沢山いたっけな
またまた懐かしい気持ちにさせられちゃったわ♪

みゆきんさんへ

こんばんは!
田植え前の水田にこんな風情がある瞬間が見出せるって、結構予想外だったでしょ。
今にも雨が降りそうな様子であまり陽気なイメージじゃないけど、そんなに陰気臭くもなってなくて、むしろこういう静かな感じのほうがイメージはいろいろと広がっていくのかもしれないです。
水田とか畦道とか、おそらく直接的に体験してなくても何だか郷愁の対象になると思うし、それがちょっと不思議な感じがします。共通の記憶として誰もがいつの間にか持ってしまうような感じがするけど、どうしてなんだろう?
そういう共通して持ってるような記憶を呼び起こす写真は力強いと思うし、そういうことも色々考えながら写真撮ってみるのも面白そうです。
ともあれ雨の日にも面白く撮影が出来ると気づいたので、ちょうど始まったばかりの梅雨の間も積極的に写真を撮ってみようかなと思ってます。

No title

だめだだめだ、雨降ったら田植えできなくなるから飯食わずに田植えすっぺー!
おらの田んぼもやっと御田植すんだでござるよ。今年の田んぼは長年使ってなかったところだからこちらに来てもこんなにきれいにはとれなかったね。今日も雨の中水の調整で一苦労でした。
音楽も、絵画も、写真も、一回アバンギャルドな自己陶酔の中でさまよった人は一回転して社交的なポップな方向に行っても人とは違う輝きを発します。ドの音はおんなじド、太陽の色はおんなじ色、でも、その人のもつ言語は必ず表に現れるんですね

sukunahikonaさんへ

こんばんは!
わたしが迂回していた5時間の間に本当にこんなことが起こってたかも。あれは最初水が張ってあったのは。雨が降って結果あんな鏡のような水量になってたんじゃなくて、これから田植えするそって言う決意の元に、その準備として意図的に水を張ってあったのかな。事情はともあれ、機会の一つを逸してしまったのは確実だったので、やっぱりこうすると決めたら即実行って云うのが良いんでしょうね。と云っても用事があったからなぁ。用事があるときはあまり周囲に気を散らさないほうがいいのかな。いろんなものが目に入ってきて気づかなければ失ったチャンスともならないものに否応もなく注意がいってしまいます。

本当にこの人の音は個性がかぶさってる感じがしますよね。何だか全然迷いがなさそうなのも良い。DNAの頃からよっぽど自信があったのか、これしか出来ないと開き直ってたのかよくは分からないけど、音楽家としては幸福な道を歩いてきた人なんじゃないかと思います。
ちょっと話は違うけど、DNAのライブを見た人はあの音楽がきっちりと構成されて、まさしく譜面どおりに始まって終わるスタイルをとってたのを知って、吃驚した人も多かったそうです。そういえばこの前にアップした動画でも途中で譜面らしいものをめくってるところがあったけど、一体どんな風にあの音楽が記されてるのかなぁ。一度見てみたいものです。

No title

薄荷グリーンさん、ご心配おかけしました。
まだ長いコメントは無理だけど
今回の写真も大好き。
写るものって異世界に通じる気がする

ROUGEさんへ

こんにちは!
もう大丈夫なんですか?
起こったことの報告を読んだ時は吃驚したけど、大事に至らなくて良かったです。
わたしはなぜかルーシェちゃんの身に起こったと勘違いしてコメントを書いてしまって、あのコメント欄、非公開で助かりました。
それにしても、家の中も危険が一杯というか、気をつけないといけないですよね。

鏡なんかは典型的に異界との接続口という感じですよね。わたしが反射するものとか映るものが好きなのも、きっと鏡のそう云う雰囲気から派生してるんじゃないかと思います。イメージ的にも重層化されるようなところがあって、複雑なイメージが作りやすいし、被写体としては魅力的だと思います。
この日は本当に電車を降りて撮影しに行ってよかったです。雨が降ってきたからこれだけしか撮らなかったけど、もっと歩き回って撮ってくればよかったかな。
雨の日を狙ってまた行ってみようと思ってます。
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