薄幕の向こう / 非在の器

ガラスの向こう
2016 / 10 / Canon A35 Datelux / Kodak SG400





暗い電車
2016 / 10 / Nikon S9700



さしずめアリスなら鏡となるところなんだろうけど、ワンダーランドを目指すのは意気投合するにしても、鏡となると実際はカメラ構えたまぬけ面が写るだけなので、わたしの場合は仕掛けはガラスとなる。ガラスと鏡だと似て非なるものなんだけど、まぁ、固いことは云わない。というか鏡は透過する事はないから、わたしの場合はガラスのほうが性にも合っているとも云えそうだ。
薄い膜の向こうに何かが見えている、そこにあって触れそうにも思えるのに触ることもできないというもどかしい感じ、そういう到達不可能な感覚が、解く必要もない謎が生まれてくるようで好きだ。
ガラス窓の向こうに垣間見えるもの、あるいは標本箱のようなものへの嗜好性。標本箱の場合はある世界の雛形を封じ込めている、それだけで小さな世界が完結しているという感覚も好き。写真だって、ある世界を採集するように、小さく完璧な雛形を閉じ込めて形にする、標本箱のように撮れないかとも思う。

ただの脱いだ衣服に非在の器なんていう大層な言葉をくっつけて、でも言葉をくっつけることでそういう属性を生み出しているようなところもあるから、こういう遊びも結構好きだ。写真だけで語らせるという志向の一方で、言葉によって写真をずらしていくというのも、この場所で何時も必要以上に言葉を費やしているのでも分かるように、そんなに違和感を感じなかったりする。
いうなら、非在の器という言葉で顕現させようとするのは、そこにはないものを写すという感覚、その気配の間接性のようなものに惹かれる。

思うに、ある被写体を写すとしてその被写体に背後から、あるいは見出すことも出来ないような謎めいた場所から投影されている、間接的な何かを絡め取る事ができるなら、きっとその写真は何か面白そうなものを内在したものとして立ち上がってくるような気がする。
大抵は面前の被写体だけが写っているような写真になってしまう。ただ、まるで反対のことも云ってみると、被写体そのものを、余計な思惑、装飾を剥ぎ取って、ものとしてのみ撮れるなら、これはこれでまた面白いとは思うけれど。

まぁね、わたしの思考は曖昧に揺れ動いてるってことだ。


☆ ☆ ☆


最初の写真はこう云った思惑以外にも、イメージの質感としての出来もちょっと気に入ってる。後付で若干コントラストを上げているけれど、そのコントラストの効き具合とか、藍色っぽい、色被りでもないんだけど、主要な色調も自分としてはいい感じだ。

二枚目のは最近足を運んでいる笠置へいくJR奈良線のとある駅で撮ったもの。一両の車両分の窓を通して反対側のホームの様子を撮っている。人の配分とか窓枠が区切る構成とか、わりと演出でもしたような感じがして面白くて撮ってみたもの。全体の暗さが怪しげで意味ありげで、これもまた良いでしょ。


☆ ☆ ☆

昨日笠置山に登ってみた。思っている以上にきつい坂道の連鎖で、そのうえ麓で予想していたのよりも遥かに距離があって、なかなか天辺に辿り付けない。大体頂上にもみじ公園なんていうのがあって11月に入ってからライトアップされてるという告知を見たら、誰もがかんたんに訪問できると思うし、こんなに登山をやらないと見られない場所だなんて思わない。
ということで、この時はあと0.1kmという表示のある場所までたどり着いたにもかかわらず、なんだかいかにも脇道然とした、入ってはいけないような細くて揃いもしてない石の段が上の暗がりに延びているのを見て、標識も含めて放置されている道のようにしか見えないことに残った気力をそがれてしまった。その放置されているような不揃いで崩壊しかかっている感じの細道を少し登って、結局あと0.1kmを歩けずに途中で引き返し、この時点で登山は断念。ひょっとして道に迷ってる?って云う感じもぬぐいきれなかった。人が通っているとそんな気分にはならなかっただろうけど、登山口から登攀中はとにかく誰にも出会わなかったし、まぁこの世界を独り占めなんて面白がれはするものの、そろそろ日没が差し迫っている気配の夕方に、山奥で一人っきりというのは結構心細い。写真撮ってる場合じゃないぞと浮き足立ってくる。




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コメント

No title

最初の写真が不思議
昔のお風呂屋さんにそんなガラスがあったっけな
ぼかすため?
髪が黒かったらホラーだったかもってちょっぴり
"クスッ"となれる写真だわ♪

みゆきんさんへ

こんばんは!
そう云えばお風呂屋さんって、素通しで見えたらいけないから、絶対にこんな向こう側がぼんやりとしか見えないガラス使ってましたよね。お風呂屋さんとか今もあるのかなぁ。温泉とかあるからなにそれ?って云う人はいないだろうけど、街中で見かけるのは随分と少なくなったんじゃないかな。
これはお風呂屋さんじゃなくて、普通のアパートの物干しでした。暈しのガラスはやっぱり干しているものを見られるのが嫌という人のことも考慮して設置されているのかも。
これ、単純に物干しにかかっていた洋服なんだけど、緑色のハンガーとその上の白っぽいもののせいで、人が後ろを向いて、ちょっとうなだれ気味に立ち尽くしてるような印象があるんですよね。頭に相当する白いものが何だったのか、まさしく薄幕一枚向こうで謎を生み出している何かとなってしまってます。
基本は干した洗濯物なのに、どこかそれだけに還元できないような何かが潜んでいて、また妙なものを撮ってといった冗談っぽい雰囲気とともに、本当にちょっと不思議な印象になっているでしょ。
見ようによっては確かにホラーっぽいです。ぼんやりとしたイメージになっているのも、あれは一体何だ!というホラー的な気分に繋がってるところもあるんじゃないかと思います。
不思議なもの奇妙なもの、そういうのは照明の当て方でホラーの要素を垣間見せたりするものだけど、見えないものを写すっていう風に書いた今回の内容も、わたしのホラー好きの感性とどこかでリンクしているのかもしれないなんて思いました。

No title

非在の器ってかっこいいなって思ったんですが、
挟まれたガラスという物質を通しての、服ではなく、
むしろ誰も乗ってない車両と匿名的な待つ人々、
のお写真からの、その掛けられた服への反復、
かなと思っていました。

まあ、しかし、どんな軽微な登山でも、
ナメとったらエラいコトになりますよ。

以前、妻がまだ彼女であった頃、嵐山に遊びに行ったのです。
保津川下りの舟、昔は川沿いの舟曳き道って小道を辿り、
人力で上流まで持って行っていたそうです。
その道は今、至極簡単なハイキングコースになってるんですが、
妻とはぐれ、本当に遭難しかかったことがあります(苦笑。
道の分岐を見逃し、山に入り込んでしまったんですね。
しかも僕の方は、崖から落ちそうになったりして。
もうね、下からは車の音や人の声とか聞こえてくるんですよ。
それなのに道が判らないという、この強烈なもどかしさ。
結局は、妻も僕も、なんとか本来の道に自力で復帰して、
そして再会できたんですけども。
その頃、『世界の中心で愛を叫ぶ』って映画が流行ってましたが、
僕は嵐山の山中で妻の名を叫んでいたワケです(笑。
ですから、ヤバイなと思ったら撤退、ソレは英断だと思います。

halさんへ

こんばんは!
タイトル考えてる時結構労力使ってる感じかなぁ。でも考えるのは良いとしても、懲りすぎるとキラキラネームみたいにちょっと興ざめするところもでてきそうです。それに一度こんなタイトルをつけ始めると、もっとさらっとした普通のタイトルがつけにくくなったりして、これはちょっと思案のしどころになってます。
二枚目のは実は単純に暗くて異様な雰囲気、何だか意味ありげ、なんて思ったから記事に載せてみたんだけど、結局非在の器に相応しい写真を選んでいたということなのかな。わたしの撮る写真の基本の部分にそういうものが共通してあるのかもしれないです。空ろなもの、空虚さなんて写真で撮れるとしたらちょっと面白いことになりそうな気がします。

笠置山、Youtubeで登山の様子を動画にしているのを見たりすると、あの打ち捨てられたような残り0.1kmの細い道で正解だったみたいです。でも駄目だと思った時点で引き返したのはそんなに悪い決断じゃないですよね。
観光地の山で遭難なんかしたら救助されてハッピーエンドなんかよりもただ笑いものになってしまうだけのような気もします。そんなことを考えると、観光地の山で遭難なんていうのは絶対に避けたいです。
観光地の山と云っても山道が案外整備されてなくて危険な目にあいそうな感じのところとか結構多いようにも思うし、侮らないことですよね。
嵐山はわたしは登った事はないけど、麓から見上げても結構それなりの山って言う外観だから、迷ってしまうのはわりと普通にあるんじゃないかな。それにしても遭難せずにすんだのは良かったですね。時間が経つと面白い体験だったと思えるようになってるんじゃないカと思います。
それと、わたしが迷い気味に歩いてた時に思ったのは、野生動物にあってしまったらちょっと怖いだろうなぁってことでした。この時は何にも会わなくてよかったです。

No title

こんにちは

十分怪しげです。特に2枚目。好きですけどw

タイトルが「いらない」時と「必要」と感じる時と両方あって、写真だけ提示されて「考えるな、感じろ」と言われても「そんな別に感じるべきところありません」と言ったら怒られそうだし(単写真ではよほど力量のある写真でないと難しい)。

逆にタイトルで「あ、そういうこと?」と誘導されることもあり、写真との組み合わせが神がかり的に上手い場合もあって…

個人的に「タイトル考えるの面倒」派なんですが、何か感じたから写真を撮ってるんだし「こういうつもりで撮りました」を伝えるのは人に見せる以上必要なんでしょね。たとえ「きれいだったから」「きらきらしてたから」という理由でも言わなきゃいけないんだろーなーと思ってます。

NINA 27さんへ

こんばんは!
怪しげなの、大好きです。名画風の写真を見ても、ふーんって思うだけのほうが多いんだけど、怪しげなのは何これ?って興味を引かれます。シュルレアリスムも根本のところは何これ?って云う感覚だろうし、怪しいもののほうがいろんな方向へ延びていくようなところがあるんじゃないかなぁ。
二枚目のは白状すると失敗した写真でした。プログラムオートにしてると思っていたのが、マニュアル撮影になってしまっていて、液晶に見慣れない目盛が出てるなぁと思いつつシャッターを切ったらこんな感じに。ここぞとばかりに露出アンダーだったんだけど、これが結果的に面白くてこんな風に披露することになってしまいました。間違うって云うのも立派なテクニックだったりして。

言葉と写真の関係はそれぞれの人がそれぞれの人なりに考えてるっていうことでしょうね。単純に写真だけ見せて、さてどうでしょうか?なんて迫ったりしたら、見せられた人には災難以外の何者でもないだろうなぁって思うところもあって、わたしの場合は言葉を添えておきたくなったりするようです。

タイトルをつけることで形が見えてきたりすることもあるかもしれないし、できるなら押しつけがましいものは極力避けるつもりで考えたりします。でも同じく早々うまくは言葉が出てこないというか、これ、結構時間を費やすんですよね。タイトルが上手く決まると写真の内容も明確になった上にさらに余白が広がっていくようなところもあって凄い気分は高揚するんだけどなぁ。
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