平城山 水の輪環

平城山 池
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





川の段差
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400





藻
2016 / 11 / Nikon F100 / Agfa Vista Plus 400



平城山と書いて「ならやま」と読む。わたしも実際にやってくるまでこういう風に読むとは知らなかった、というか当たり前の如く「へいじょうやま」と読んで疑問も抱かなかったので、このことに関してはえらそうなことは云えない。PCに打ち込んでみると「ならやま」で一発変換できるから、この読み方で知れ渡っているのだろう。でも読ませ方としては結構無理があるなぁ。
JR奈良線の木津駅の一つ向こう側の駅で、京都から乗っているのを前提に書いているから、いちいちどちら側から向かってといった方向は示さないけれど、終点の奈良の一つ手前の駅となる。
笠置に通いだしてから、黄檗辺りまでは乗ったことがあったJR奈良線のさらに先のほうまで乗るようになって、でも笠置へは木津で別の路線に乗り換えていたから、奈良線の木津以降の方向へは初めて乗ることとなった。木津で乗り換えもなしにそのまま乗って発車するのを待っている間、必ずここで乗り換えていたものだから、今日は乗り換えなくてもいいのか?乗り換えるなら今だぞと、意味もなくせかされてるような気分が湧き上がってきて落ち着かなかった。木津から終点の奈良までは二駅なんだけど、いつもは木津で降りているその先の光景が始めて車窓の外を流れていくと、それはそれなりにまた笠置に行き始めた頃のように新鮮に眼の中に入ってきた。
近鉄の奈良駅周辺はどんなところか知っているから、この日、本当は終点の奈良まで乗ってJRのほうの奈良は一体どういう風になっているのか、その様子を見に行ってこようと思っていた。ところが木津を出てから程なく車窓に大きな池と縦横に走る川、駅に入る頃に巨大な金属柱風の構築物と、時計が設置してある何かの塔状のものが見えてきて、興味を引かれて奈良まで乗らずにここで降りてしまった。
一応奈良まで行ってみようという大枠はあったものの、基本的にはどこへ行くと決めての行動でもなかった。でもそんなゆるい思惑であっても、降りる明確な予定もなかった駅にいざ降りる段になると、行動し始めるのに思いのほかエネルギーを必要とする。実際にやってみると分かるけど、意味も必然性もなくここで降りてみようと思っても、電車のドアを跨いでホームに足を下ろすのはそれなりの勢いと決断を要する。

この日は車窓から見えた場所へとにかく行ってみようと思って歩き始めた。時計塔のある場所はなぜか奈良バイパスに阻まれて近づくことが出来ない。あとで道路の向こう側に渡る道を見つけたけれど、この時は近場で渡る場所が分からなかったのでそちら方面に向かうのは諦めて、線路沿いに見えた池のほうへ行ってみることにした。
そして撮ったのが今回の写真だ。

☆ ☆ ☆

池は二つ並んでいて、この写真を撮った池の名前は分からず、隣にあったもう一つの池のほうは五領池と云うらしい。
曲がりくねった川、といってもほとんど人工的に作ったような川だったけど、その川と池の狭間に延びている道を行くと、三脚を立てた人が点々と佇んでいる。三脚の上には巨大なバズーカのような望遠レンズをつけたカメラが乗っかっていた。
何だか妙に胡散臭そうな視線を投げかけられ絡められて、わずかに目礼めいたものを返して歩いていった。池のほうを見ると水鳥が飛来していて、どうやらこれを撮ろうという人が、この日に限ってのことではなく、常時数人はやってきているようだった。
わたしはそういうのを撮る気がまるでないし、そういう人が集まりそうな場所にも絶対に行かないから、あんな巨大なレンズを掲げて木陰から遠くのものを狙っている人が本当にいるんだと、ちょっと珍しいものを見たような気分になった。

最初のはバズーカレンズが設置されているような場所からは幾分はなれて撮った。逆光の写真だ。逆光も光の内なんだけど、いかにもドラマチックで見栄えの良い雰囲気の写真が撮れる反面、イメージとしてはありきたり。綺麗でドラマチックでなおかつどこかで見たような退屈な写真といったものになりがちだ。本当のところはそういったギミックめいたものを使わないで印象に残る写真を撮りたいところだ。

ちなみにわたしは「風景」という言葉がどうもね、好きじゃない。この言葉で連想するのは、上に書いた言い方をもう一度使うなら、収まりかえった泰西名画風で、綺麗なんだろうけど退屈といったもの。だから気がついてる人がいるかもしれないけど、このブログで今まで一度も「風景」という単語は使っていないはずだ。わたしは空間を撮ろうとはするけれど、「風景」なんか撮りたくもない。根はいい加減でも、こういうところは結構頑ななんだなぁ。







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コメント

鍵コメさんへ

おはようございます。
拘りというほど確固としたものじゃないんだけど、どうもこういうのはやりたくないなぁって云うものがあって、そう思い出すともう本当にやらなくなるというか、そういう面が多分にあると思ってます。結構いろんなものに影響を受けるほうだと思うものの、影響を受けたくない、これは自分の感覚にはそぐわないというのは明確にあるみたいです。
自分の感覚がどういうものなのか写真を撮りながら探っている感じなのかなぁ。こういう風なことはやらないって云う個性から始まって、こういう写真を撮る人だって言う個性にまで持っていければいいんだけど、色々と移り気なところもあるから、わたしが撮っているという一貫したイメージで写真を展開できるようになるまではまだかなり距離がありそうです。とはいうものの、こういうのしか撮れないという風に限定してしまうのもまた嫌なので、その辺りは拘りつつ移り気な気分も混ぜながらなんていうスタンスでやっていくのがやっぱりいいのかな。

平城山のまたちょっとした紀行文にでもなるかなと、道なり実況とは違う形で文章にしてみたいけど、続くとしてもさてどうなるか。何か参考になりそうかなと思って最近つげ義春の貧困旅行記なんていう本を買ったりして、写真だけじゃなく文章のほうも結構力入れてます。老眼が入りだしてから本を読む習慣そのものがあやふやになりつつあるんだけど、基本的には昔から本の虫タイプだったし、魅せる写真と同様に読ませる文章も書いてみたいです。

No title

今日の写真は童心に返ったわ
素敵(^ε^)-☆Chu!!

みゆきんさんへ

こんばんは!
ちょっと状況が分からないサンタさんでしょ。風変わりなイメージで撮れたからやっぱり披露したくなって、クリスマスの記事を一つ書いておこうって思いました。でもクリスマスの写真でユニークなものを撮ろうって言うのはかなり難しいです。オーソドックスなイメージでクリスマスを盛り上げるような写真でいいとは思うんだけど、どうせ撮るならユニークなものっていう気になるんですよね。
サンタさんを使って遊んでいるような感じが子供っぽい印象になっているのかな。
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