亡びてしまったのは、いったい何であったのだろう。 / Whispering a Prayer - Steve Vai

時計塔の煙突





風の気配





干上がった池の畔で





冬枯れの木


2016 / 11 平城山 (1)(2)(3)
2016 / 11 棚倉   (4)
Nikon F100 / 写ルンです シンプルエース
AgfaVistaPlus / フジ業務用

☆ ☆ ☆


束の間形となって現れ、虚空へ消えていくもの。
風の囁く声。
かつてそこにあった何か。
枯れ果て、そして再生していくものたち。


タイトルの元ネタは中原中也の詩の一節の、さらに一部から。かっこつけてみようと思ったけどあまり上手くいかなかった感じだ。
儚さ、揺らぎ、刹那、非在、喪失、異界、気配、変容、そういった眼に見えないものへの憧憬と偏愛。
一方でだだ眼に見えるだけの事物性への志向があり、この眼に見えないものへの偏愛とともに、渦を巻いてわたしのなかに混沌としてある。
そういうものの一端を掴み取りたいと思う。わたしの中で渦を巻くものを写真は掬い取れるのだろうかと思う。

ところで中原中也ってあの黒い帽子とマントの有名な写真しか現存していないんだと思っていたら、普通にスーツ着て写真館で撮ったような写真も残っている。これはね、これはちょっと興ざめ。あの有名な写真しか残っていないというほうが浪漫的だったなぁ。


☆ ☆ ☆


フィルム使いにとっては朗報となるものの情報を一つ。
コダックが今年の後半、リバーサルフィルム(ポジフィルム)を一種類復活させるそうだ。復活するフィルムはエクタクローム。
リバーサルフィルムに関しては、2012年にコダックが全廃してから、フジの感度100のものが二種類残っているだけだった。そういう選びようがなかったところに久しぶりに選択肢が一つ増えることとなった。
廃止したフィルムの復活をコダックに決断させたのは、再びフィルムを使う人が増えつつあるということだったらしい。
これは何だか心強い。
フジも見習ってモノクロの感度400のものと、リアラを復活させてくれないかなぁ。リアラは本当に気に入って使っていたから廃盤にされた時は途方にくれた。
それとさらに希望を云うなら、利用者が少なくなっているからという理由で急速に値上がりしていったのを多少は元に戻して欲しいところだ。でも値下げはちょっと無理かな。
とりあえず一度製造廃止になったフィルムが復活するのはほとんどないことだったから、これは単純に嬉しいし期待したいと思う。
コダックはもう見捨てて、フジに鞍替えすると云っていたんだけどね。またちょっと応援してみるか。


☆ ☆ ☆


Whispering a Prayer - Steve Vai


スティーヴ・ヴァイのこの類の曲は結構聴き惚れてしまうものが多い。後半はいつもの派手なギターパフォーマンスになるものの、どこかアジアの大草原を吹きぬけていく風を思い起こすような壮大で、愛らしい祈りの曲。
こういうのを聴きながら、祈りの写真とか撮れるのかなぁなんて空想は広がっていく。
先にあげた見えないものへの偏愛の項に祈りも加えておきたい。


☆ ☆ ☆






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コメント

No title

昏睡、の一節だったかしら。
未刊詩篇から引いて来られるなんてマニアックですね♪
京都で大学生活を送っていた頃、
その年代にありがちな心情的リリシズム(笑、
で、よく読んでいましたね、中也。
岩波の詩集もボロボロになって。
ゆきてかえヘらぬ なんて気分でしたねぇ。
同様に梶井基次郎などもよく読んでいました。

中也の写真はアレじゃないとね。
大人なのか少年なのか、中性的な感じ、
そんな曖昧さがなんとも魅力的なワケで。
一張羅、的な写真は勘弁ですね、マジで(笑。

halさんへ

こんにちは!
そうです。昏睡から。
引用と云っても「亡びる」の単語一つなので、元の詩にある何かを引っ張って来ていると言う訳でもなくて、単純にこの言葉を使ってみようと思っただけでした。だから今回の写真も中原中也と絡めて何か展開できるというものでもないんですよね。言葉を一つ貰ったものの、発想しているものはまったく別のものだと思ってます。
元の詩は亡びてしまったのは僕の心なのか、僕の夢なのかという冒頭の部分は凄い好きなんだけど、あとの展開はもう一つピンと来ないかな。タイトルの「昏睡」ももう一つだし。
この辺りの心情的リリシズムって後になって追体験してみるのって面白いですよ。梶井基次郎なんて京都とも関係してるし。あの檸檬の果物屋はもう廃業してるうえに、丸善も無くなってるから、そういう意味での感慨もあるんじゃないかなと思います。そういえば新装なったBALに10年ぶりに丸善が戻ってきて、オープンの時に檸檬を入れる籠を店内に置いたらしいんですよね。梶井基次郎もまだ京都の町に息づいてます。
ちなみにわたしは岩波文庫が極めて苦手。翻訳物は学者が訳したのが丸分かりのまるでこなれていない日本語だし、思想はまるで合わないし、本自体も全体にそっけなさ過ぎて、本を手にする喜びみたいなのが今でもあまり感じられないです。ラテンアメリカ物とかシュルレアリスム関連が、どうして岩波なんかからと思うんだけど、何点か出ていて、苦手なのに絶対に手に取らないというわけにもいかないのがもどかしいです。ブルトンのナジャの決定版とか河出書房新社だとかのほうが相応しいのに。

あの写真は奇跡的な一枚ですよね。よくあの一枚を残せたものだと思います。写真館で撮ったような普通の写真ばかりだったら、今の中原中也って言うイメージも相当違ったものになっていたんじゃないかな。こういうことを考えると写真はシンプルなわりに意外と影響するものがあるんじゃないかと思ったりします。

コダクロームは・・・・・

エクタクローム復活ですかぁ。
富士との違いを明確にするために折角だからコダクロームの方が楽しいと思いますが、流石にこれは無理なんでしょうね。
もう諦めましょう(笑)。

MKさんへ

こんばんは!
ニュースを知った時はやっぱりやった!って思いました。実際のところリバーサルってあまり使わないから選択肢が増えても利用する機会が激増するなんてこともなさそうなんだけど、とりあえずは絶対にないと思っていた廃盤フィルムの復活はやっぱり希望そのものだから、これはやっぱり朗報そのものでした。せっかく復活してくれるのなら、積極的に使っていこうかなと思ってます。
写真はみんなで見るものという認識だから、ライトボックス使ってルーペで見るなんていう閉じた使い方は性に合わないんだけど、普通に写真になっているコマがフィルム上に並んでいるのは、端正なミニチュアのようで結構好きです。
何かフィルムを使うユーザーと結構対話して今回の復活するフィルムの種類を決めたようですよ。どんな対話があったんだろう。
それにしてもメーカーのほうがフィルムを使う人の増加を認識したっていうのも結構凄いことなんじゃないかと思ってます。
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