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恐ろしき錯誤 + 太陽の子供たち - 小野リサ

東寺・堀





日向の柵





風が通り過ぎた時





工事中の東寺の一角






歪な植木

2016 / 12 / 東寺
Nikon F100
Fuji 業務用400


まぁ、大層なタイトルだけど、去年の暮れに弘法市の日だと錯覚して、行ってみたら誰も居なかったという程度の意味合いだ。
どうも最近内容がタイトル負けしているような気が…。

弘法市ということで場所は東寺。
え!うそ!誰も居ない!!
と思ったものの、そのまま帰るのも癪に障るので、周りの町中を歩いたり東寺に戻ったりしながら写真を撮っていた。東寺って周辺の街は京都らしさもまったくなくて街そのものの雰囲気も晴れやかさなんて皆無。東寺の周辺というわりに古びて風情があるほどでもなくて、ただただ平坦に見栄えもしないでそっけない。東寺そのものも拝観料を払わない場所はあまり撮りたいとむらむらするところがないんだよなぁ。
とまぁ、何かを無理やり撮って帰ろうって云う算段に傾きつつ撮ったこのなかでは、自分としては一番最後のがお気に入りかな。最近意図的に試みることがある、どうってことのない被写体をどうってことのない振りをして撮ってみる感じの写真。この前のにも書いたけど、やっぱりどこかに撮りたいと思ったポイントがあり、どうってことのない見せ掛けに見え隠れして、自分の中ではそれほどどうってこともなくないところもある。

写真はかっこつけた写真になるように写すいくつかのメソッドがある。平面化だとか、グラフィカルな図形的構図だとか、奇矯な視点だとか、ボケだとか、決定的瞬間だとか、逆光だとか。かっこいい写真の撮り方なんていう、そういうことに関した本なんかも一杯出ている。確かにこういう特徴のある要素を組み入れると見栄えのする写真にはなるんだけど、そういうものを使わないと写真にならないのかという疑問はいつだってわたしのなかにあった。おまけにそういう方法で生み出されるイメージの振幅は、派手に目を引くわりには意外なほど狭い。どれも、ああ、こういう方法で予測されるイメージねとすぐに納得できるほど、ある種類型化されたところがぬぐえなく存在する。
写真の本質的な部分はそういう簡単にパターン化されるようなものの中にではなく、まぁそれも写真だから幾分かは存在はするんだろうけど、大部分はもっと別のところにあるんじゃないかと思うところもある。
で、たまにはそういうかっこいい写真作りなんていうことに腐心するような視点から逸脱して撮ってみたくなるという訳だ。受けは悪いかもしれないけどね。
類型化された部分を意図的に増幅するような写真もひねくれて面白いと思うところもあるけど、それはまた別の問題。


☆ ☆ ☆


太陽の子供たち - 小野リサ


最近曇り空ばかり、変化があっても太陽が顔を出すとかじゃなくて雪が降ったりする空模様に本気で嫌気が差して、太陽の光を待ち焦がれつつこの曲で憂さ晴らしだ。










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コメント

No title

イベント、日にち間違えてしまったのですね。
でもそれはそれで良い写真になってる気がする。

木枯らしの中の道行く人達と川面とか
布はお祭りの名残かなぁ?
光と影もバランス良くて
何となく、そことなく誰もいなかった事に対する
がっかり感も滲み出ている気がします(笑)

No title

タイトル負けしてないよ
いつも思うけど
誰もが見過ごす場所の写真
感心してます♪

ROUGEさんへ

こんばんは!
どこへ撮影に行くかというのはいつも結構悩みの種で、なかなか決められないんですよね。気に入ったところがあっても何回も行くと飽きてくるし。この日はもう電車に乗ってから思いついたような感じでした。確かめもしないまま行ってしまって、本当に誰も居なくて途方にくれました。
でも特別なものに頼らないって云うのを結構心情にしていたり、結局は光の表情を撮れるなら対象は何だっていいという考えでもあるから、誰も居ない東寺でも一向に差し支えないといえば差し支えなかったりします。むしろどういう風に撮るかを問われているような状況だと考えるなら、こういう場所こそ撮影に相応しいと言い切ってしまってもいいんじゃないかと、まぁ行く場所をミスったなぁって云う気分をこんな風に言いくるめて奮い立たせてました。

光の具合とか結構面白く撮れてますか。通行人とか東寺の門の柵なんかはコントラストが効いて、メリハリがついてわりと好みの感じに仕上がってます。あと風の具合とか見えないものを撮るようなのはわりと好きだったりして、このカラフルな幕はわりとしつこく揺らぐ様子を何枚も撮ってました。これ、弘法市というより東寺で何かイベントでもあったみたいで、でも参拝料を撮られるエリアでやってる何かだったのか、わたしがうろつきまわってる場所では何の幕だったのか結局分からず仕舞いでした。
お寺そのものを撮るというのはほとんどやらないから、参拝料を取られるところで、お金払ってまでして入ったことないです。

がっかり感が出てるならカメラはわりと正直にわたしの眼になっていてくれたのかも。道具としては理想的な働きをしてくれてるようで、がっかりはしていたけれど私としては喜ばしいことだと思います。意外と気分とかも出てくるものなんですね。

みゆきんさんへ

こんばんは!
わりと大層なタイトルをつけて煙に巻くようなことをやるんですよね。それと謎めいたタイトルもよくつけるかなぁ。一体どんな写真だと思わせるようなタイトル。一応タイトルをつけるときは写真をもっと引き立てようと思ってつけるから、自分ではこういうことを思いがちになるんですよね。
まぁみんなが見るようなものをみんなが見るように撮ってみてもあまり面白くないだろうなぁと思うほうだから、普段からそういうものの見方をしているのが写真に出ているのかもしれないです。でも自分はこんなに人とは違う視線を持っているんだ!と主張しすぎているようなのは何だかダサいというか、泥臭いというか、人とは違う写真を撮りたいとは思うけどそういう部分はさりげなく織り込んでみたいと思うほうかも。
下の二枚は東寺の改築中の一角と住宅地の新築してるような場所だったんだけど、普通に街中で見るようなものに見えてどこかちょっと気を引くようなところが出せてるなら上手くいったというところだと思います。
こういう風な場所で写真が撮れるなら、特別な場所に行かなくても問題なくなって、写真を撮る機会が一気に増えるんですよね。とりあえずそれは凄くいい状態なんじゃないかなと思ってます。
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