真夜 + Verklärte Nacht - Arnold Schoenberg

夜の広場にて





夜の電話箱





夜の柱





夜の二階





導かれて行く闇の領土





2017 / 01 / 奈良
OLYMPUS PEN E-P5 / E-P3 ( Body Cap Lens )


全部じゃないんだけど今年のお正月をちょっと過ぎた頃に撮った写真。元旦に八坂神社で引いた凶のおみくじのリベンジもしてみたいと、そういう気分も多少あって春日大社に行ってみようと思い立った。最近奈良との境界辺りが関係深くなっているようで、春日大社を選んだのもその程度の関連からだった。
ちなみにお正月に引いたからといってそのおみくじに一年の吉凶がこめられているかというと実はそうでもないらしく、おみくじの有効期限は自分で決められるんだそうだ。だから凶の日々は今日までと決めてしまっても一向に構わないということで、奈良公園や奈良町は行ったことがあるんだけど春日大社は本殿まで行ったことがなかったので、行ってみようという気分になった。
最初に行ったのは夕方近く、三が日は過ぎていたので人通りは極端に多くもなく、参道には疎らではあるけれど屋台もまだ店を出していた。結果的に云うとこの日は本殿まで辿りつけず意外と遠い道筋に途中で飽きてしまった。
長く単調な参道を歩きつつ、まだつかないのかなぁと思いながらふと空を見上げると、参道の両側の木々から参道の上空をかけ渡すように電線が張られていて、その電線に転々と電灯が並べてあるのに気づいた。
見つけた時は明かりが灯っていなかったので、もっと暗くなってからくるとこの電灯の列が参道を照らすんだなと思うと写真を撮りたくなって、でもその日は明かりが灯るまで待てずに帰宅、翌日だったかその次の日だったか、今度は暗くなってから行ってみた。

この辺が凶を引いた証だろうと思うんだけど、再度行ってみたら辺りは真っ暗闇で、お正月三が日をわずかに過ぎていてもそれなりに歩いていた観光客も誰も居ない。
帰ってから調べてみたら、どうやら最初に行った日がお正月モードの最後の日だったようで、空に浮かぶ明かりを撮ろうと思って暗くなってから行ったこの日は既に通常運転。閉門時間まで早くなってしまっていて、門前払いを食らった形になった。もちろん屋台なんて何一つ出てないし、空の電灯はまだ設置されてはいたけど、真っ暗闇の夜空に溶け込むように明かり一つついていなかった。

参ったなぁと思ってほとんど人通りも絶えた奈良公園で仕方なく撮っていたのが今回の写真だ。夜に撮るということで持って出たのはデジタルのほうだったんだけど、三脚は持ってこなかった。もうちょっと明かりがあると手持ちでもそれなりに撮れたと思うんだけど、結果は大半が手振れしていた。まぁそれもその時の写真の形として現れたものだから、問答無用に失敗とは思わないんだけど、手振れにも気落ちした気分が乗っかっていそうだった。

それからあと、今に至るまで春日大社に行ったのは一度くらいかな。一応本殿までは到達したんだけどおみくじコーナーは人が並ぶほど盛況で未だに凶のリセットは果たせていない。

点々と灯る丸い街灯に誘われて夜の様々な位相を巡り、やがて遠くの闇の中へと消えていく。
夜に撮るのも結構面白いね。フィルムだと夜に撮れる自信がまるでないけど、デジタルは夜の撮影にはかなり有利なんじゃないかと思う。もうちょっと暖かくなったらまた誰も居ない夜の奈良公園で今度は三脚も担いで歩き回ってみようかな。


☆ ☆ ☆

Schoenberg: Verklärte Nacht

夜の曲で頭に浮かんだのがこれ。無調の音楽が浪漫主義の行き着いた果てだというのがよく分かる。







中古で買ったE-P5のほうについていた。目測、パンフォーカスのトイカメラや写ルンですっぽく使えないかと、さらに旧機種のE-P3につけっ放しにしてある。でもやっぱりどこまでいってもデジタルはデジタルというか、逸脱部分までもすっきりと割り切れた逸脱として綺麗に写り、ローファイのテイストは出てこないなぁ。


わたしが持っているCDはカラヤンの指揮した、シェーンベルクのほかにベルク、ヴェーベルンの曲が詰め合わせになっているこれの古いバージョンだけど、どのバージョンもみんな高くなってるなぁ。
高くなっているといえばこの彗星絵具箱で以前に取り上げた、サラ・ムーンの写真集「12345」。最近たまたまこれの英語版のアマゾンでの高騰ぶりに気づいてちょっと吃驚した。あの値段で買う人いるのか?写真集は市場から弾数が不足し始めると急激にプレミア化するものが多い。これもその類のものなんだろうけど、それにしても手に入れられる値段の時に買っておいてよかった。




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コメント

No title

夜の写真って難しいですけど
これは良い感じに撮れてますね(*^_^*)
「闇」だと、もっと真っ暗なイメージだけど
「真夜」絶妙なタイトルは流石です。

御神籤はそうなんだ。
だから枝とかに結ぶのかな?
悪い結果のは結べば大丈夫って言われた事あります
「それで終わり」って意味なのかも

ROUGEさんへ

おはようございます!
最初に真昼の反対はなんだろうと思ったんですよね。単純にそれは真夜中だろうとすぐに思いついたんだけど、これ撮ったのは真夜中じゃないし、シンプルに夜だけ残して真夜が良いんじゃないかと思いました。で、おぉかっこいい造語だと一人悦に入っていたんだけど、これ言葉としてはどうやら昔からあるみたいですね。現実を凌駕するのはなかなか難しいというか、自分の発想ではなかなか超えられないところがあります。
夜に撮るのは本当に新鮮で面白かったです。記事では凶の発動だなんて書いてるけど、比喩じゃなく本当に誰も歩いていない、鹿さえもとっくにねぐらに帰ってしまっている状況に居合わせて、そうでなければこんな写真撮れなかったから思うほど凶でもなかったのかなと思い直したりしてます。
夜と云っても結局は光を撮っているわけで、こういう写真も全部光の表情なんですよね。昼間には見られない光の表情。それは表裏一体の闇の表情でもあるし、暗い一辺倒だと思いがちな夜も豊かな位相を、見る気になれば見せてくれると、そんなことを思いました。
街灯が並んでいる場所で以前から夜に撮りたいところがあるんだけど、奈良公園の街灯でこういう風に撮れるんだったら、あの場所も結構かっこよく撮れるかなと思って、そこも撮りに行ってみようかなと思ったりしてます。
今回のでは締めの写真が気に入ってるんだけど、色の感じも古色が入り混じってきているような絵画っぽい雰囲気でいいでしょ。
あとはこれをフィルムで撮れないかという事かなぁ。その場で結果が分からないから試行錯誤は避けられないのに、その試行錯誤も手間がかかるんですよね。

おみくじはほんとうにそうみたいですよ。何だか神社の思う壺という気もしないではないけど、気に食わなければその場で気に入る結果が出るまで引いてもかまわないみたい。春日大社は鹿のマスコットが口にくわえてるおみくじを売っていて、これが欲しいんですよね。並ばなくてもいいような頃合っていつくらいなのかなぁ。一応八坂神社の凶は境内に結んできたけど、良い結果のものを手元に持ってみたいです。

No title

最後の写真が好き
真夜中
何かが出てきそうで
そんな時間に勇気を出して・・・
街灯の灯が暖かいわ♪

No title

1枚目いいですね~。
潔くて、心地がいいです。
夜の写真は、デジタルの良さが存分に出ますね。
久しぶりに夜散歩したくなりました(^^♪

みゆきんさんへ

こんばんは!
闇の中で遠くのほうに小さく灯火が灯っていて、それが何だか誘っているような感じがするって、結構わくわくする状態ですよね。ちょっとホラーっぽい雰囲気もあって、闇の中に入っていくような怖さもあるんだけど同時に闇の中へ踏み込んでいく誘惑のようなものもあるっていう感じなのかな。
何かありそうって云うのも想像力を刺激しますよね。そこに何かがありそうって云う雰囲気は写真にしてみるとけっこう物語性も含んで面白そうだし、ここから色々と展開してみるのもいいかもしれないなぁって思いました。
夜って光を扱う写真にとっては避けたい対象であるかもしれないけど、こうやってみると闇は意外と饒舌で、そういうことに気づいてしまうともっと夜に写真を撮ってみたくなってきます。
奈良公園で撮っていたこの時は広い暗がりの中でわたししかいないという状況になってしまってかなり腰が引けていたんだけど、こんなところで写真撮っていて大丈夫なのかなという危ない感じも回数を重ねたら癖になりそうな予感がします。

ラサさんへ

こんばんは!
こういう被写体はもう小細工なんかしないで真ん中にドンと置いてしまう。これが一番ですよね。わたしは結構日の丸構図とか好きだし、構図関連の本なんかで真ん中に置くことを避けるように指南しているようなのはあまり信用してないです。向こうのほうに続いていく街灯の経路が見えて単純な構図でもなくなってはいるんだけど、見せようとしたものがシンプルに出ているのは、確かに子気味良い感じがします。シンプルに撮るって云うのはいつも考えておいたほうがいいのかもしれないなぁなんて思いました。シンプルさの力強い感じは絶対に写真の力になりそうだもの。

本当はこういうのをフィルムで撮りたいんだけど、相当経験積まないと上手く撮れなさそうで、大体露出計の針さえも見えないような暗闇だったらどういう風にして撮るんだろう。その点デジタルは夜の撮影には本当に楽ですよね。手振れ補正も効いて、驚くほどに使いやすい。この場合はやっぱり無理せずにデジタルの恩恵を受けたほうがいいのかな。夜をフィルムに写し取りたいという思いとわたしの心の中でせめぎあいそうです。
わたしも夜の散歩が多くなりそう。昼間撮って飽き飽きしてるところでも絶対に新鮮に目に入ってきますよ。

No title

800くらいのフィルム使ってはるんやろか、
そんなことを思いながら拝見してたんですが、
デジタルだったんですね、意外です。

こういう感じもなかなかよいのではないでしょうか。
カチッとしたのと、揺らいだの、
それが交互に現れることによって、
夜中ぽつねんと歩いているときの、
白とも黒ともつかない、
肯定と否定がころころと入れ替わる、
あいまいで移ろいやすい、そんな気分、
がじわじわと漂ってくるように思えて。
面白い雰囲気やなと思います(^^。

あ、おみくじ凶の件はすっかり忘れてました♪(笑

halさんへ

こんにちは!
夜はフィルムだとやっぱり800とか1600とか使うほうがいいのかな。何だかまともに撮れないほうが面白そうだから、むしろ感度100くらいで行ったほうが思い通りの結果になりそうな気がしないでもないです。でも夜にフィルムを使うのはやっぱりかなり経験が必要って云う感じはありますね。街中のそれなりに照明があるところだったら意外と手持ちでも撮れそうな気もするけど、どうせ夜を撮るなら露出計の針も見えないような状況で、なんていうことを考えるから、フィルムはやっぱり夜に使うとなると途方にくれてしまうかも。それでもどういう結果になるか一度はやってみるのは必要だし、結構面白そうな体験になりそうな予感もあったりします。

揺らぎとかいいですよね。曖昧さとか揺らぎとか写真に撮る対象としてはとても興味深いです。ボケとはまた違うんですよね。わたしはボケってまるで興味を引かないんだけど、曖昧であることはいつも頭のどこかにあるような気がします。表現で有効な方法は極端化と曖昧化だと、まぁ誰の言葉かは云わないけど、そういうのを昔目にしてから、極端であること、曖昧であること、そういうものを中心に感覚は巡っているように思ってます。
自分でも揺らいでいるのやくっきり撮れたのが混在していて、この日の結果はとても興味深かったし面白かったです。夜は意外なほど豊かな表情を隠している、それも指摘されたように夜はその表情の間を苦もなく移ろいでゆき、たまにあるものがくっきりと浮かび上がりはするけれどまたすぐに暗く曖昧な表情のうちに沈み込んでいくと。考えてみれば一瞬を捉えようとする写真に撮っては移ろい行く物で成り立つ空間は一番馴染みのあるものになっているんじゃないかとさえ思えてきたりします。
人の視線も気にならないし、いつも悩みの種になる余計なものは一切闇に沈めておくことができるし、まぁ職質を受ける可能性が跳ね上がるかもしれないけれど、被写体としての夜には写真的に美味しいところが一杯ありそうで、ちょっと夜の撮影にはまってしまいそうです。

おみくじ、リベンジはいいんだけど、さらに大凶なんていうのを引いてしまう可能性もあるわけで、結構スリリングな体験になりそう。最近細かいことでいかにも凶だなぁっていうことが続いてるので、流れを変えたいです。
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