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辺境 / コニー・ウィリス「航路」

繋がる場所





行き止まりの陸橋





クレーン二連





木立の中の顔

2017 / 01
2017 / 03
2017 / 01
2017 / 03
近所 / 高の原 / 新大宮
Nikon F100 / Yashica Electro 35 GX
Lomography Colornegative 100 / Fuji Provia 100F


「辺境」という観念は結構好きだ。対立する観念は「中央」といったところだろうと思うけど、中央で正統的でふんぞり返っているようなのよりも、周辺でいつも中央を穿とうとする不遜な雰囲気が生じて来そうなところが好きだ。中央だけでは生まれなかったような動的な何かが生まれてくる場所のような気がする。あるいはまた、まったく同じ場所で逆に取り残されてその場で立ち腐れになっていくといった退廃的な雰囲気もある、オルタナティブな場所なんていうのはかっこよすぎか。
境界域というのも好きな観念だ。ここから先はもう明らかに違った世界が広がっているという予感。その瀬戸際に立っているという期待感と不安感。そんなのもひっくるめてわたしの「辺境」は成り立ってる。

住んでいるところだって京都の中心でもない。わたしの中には具体的にも観念的にも「辺境」が幾層にも折り重なって存在しているようで、写真も実際に「辺境」に立たなくても「辺境」的な気配に反応して撮っているところが多いかもしれない。
ということで最近は京都の南や奈良にいたる辺りの農地が広がる町外れに出かけては、世界の果てにでも降り立った気分でいるといったところか。実際には郊外といったほうがぴったりくるんだろうけど。郊外といってしまうと「辺境」という観念が含んでいたものが面白いように霧散してしまうなぁ。

☆ ☆ ☆

最近コニー・ウィリスの「航路」を読んでる。かなり以前に「このミス」で話題になった小説だったと記憶してる。最初に出た単行本はパスして、その後文庫になった時に購入。そしてそのまま積み上げてる本の中に紛れてしまってた。積み上げて放置していた未読本の切り崩しにかかってる一環でようやく手に取ったというわけだ。今やわたしの持ってる文庫とは違う出版社からさらに新しい形の文庫として出ているくらい買ってから時間が経ってしまっている。
で、まだ読み終えてなくて三部構成になる長大な物語の、今第二部の終盤辺り。噂ではどうやらこの部分にサプライズがひとつ用意されてるそうで、寸前まで来てこれはちょっと楽しみではある。
臨死体験がテーマの小説で、臨死体験で見た場所の謎解きめいたところがあるから、若干ミステリっぽい味つけをしてある。でもこの味つけで物語を引っ張っていくほどの牽引力は生まれてこなくて、今のところ小説としては冗長、本気で長すぎる。舞台はほとんど病院から移動せずに、臨死体験実験の被験者ボランティアが語る体験の内容が人を変えて延々と続くだけ。そういう動きのない物語を動的にするための仕掛けは横槍を入れ邪魔をしに来るキャラクターを多層レベルで用意しているのと、頻繁な行き違いを設定している程度で、メリハリをつけるためなのか何時行っても絶対に閉まっている勤務病院のカフェテラスなんていうあまり笑えないシチュエーションコメディの要素も織り交ぜて、これが動きやサスペンスを生み出すというよりもいちいち物語を中断させて鬱陶しい。
それにしても臨死体験をテーマに小説を書くって、まぁこの話の中のものは薬物を使って擬似的にそういう状態を作り出しているだけで、それは臨死体験じゃないだろうと突っ込みを入れたくなるんだけど、それはともかくこんなテーマでよく何か書こうと思ったものだと感心する。おそらくどんな作家でもこんなものを十全に描ききるには力不足だろうし、この「航路」でも今のところ書こうと思いついたことに、思いついたコニー・ウィリス自身の力量が追いついていないという感じがしている。

よく言われるような死んだ親しい人と再会したとか光に満ちた場所で天使にあったとか、世界の秘密を知ったとか、臨死体験のイメージにあるようなものは、見たいと思ったものを見ているつもりになってるだけとし、そんな作り話じゃなくて科学的アプローチで真相に迫ろうとする科学者が主人公になって、自らその臨死体験の被験者になりながらもそこで見たヴィジョンの意味、真相を探っていく。
臨死体験で流布されるお決まりのイメージに新奇な味つけをしてファンタジー交じりに語っても十分に形になる内容だと思うけど、何だかコニー・ウィリス自身があえて茨の道を歩もうとしているような展開のお話だ。

でも従来の臨死体験イメージを否定するのはいいとして、だからといって物語の中のプロジェクトが進める、それが瀕死の脳内化学物質の反応によって生み出されることの実証と解明なんていう結末に持っていくのは小説としてはまるで面白くない顛末にしかならないのも予測できる。
この物語は一体どんな終着地点へ繋がって行く航路なのか。それがなかなか見えないって云うのが面白いところではあるんだけど、これ、読者を納得させるには、死に臨んだ体験の先にあるものをよほど予想外でなおかつ十分に肯定できるものとして用意しておかないと話にならないわけで、他人のものとして間接的にしか誰も経験したことがない死という事象に対してこんなものを用意できるわけないだろうと思うと、やっぱり無茶なテーマに挑んでいるなぁというのが第二部の終わりくらいまで読んだ今のところの感想となってる。
だから物語そのものは動きがなくて冗長なんだけど、どう考えても困難そのものといったその航路が導く先の光景を見てみたい、作家の無謀な試みの結果を見てみたいと思う興味はなかなか失せない。
宣伝によるとすべての謎が解かれ、感動的な結末が用意されてるそうだけど、これは宣伝文句だからなぁ。さて最終の第三部はどんな話が待ってるんだろう。









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コメント

No title

辺境って私の中では、もっとド田舎のイメージだわ。
でもこれはこれで素敵。

特に3枚目の写真。

実際の現場にいたら鬱陶しい建築現場なのに
不思議な雰囲気に写ってる。
これは「薄荷グリーン・フィルター」効果ね(*^_^*)

ROUGEさんへ

おはようございます!
わたしの場合は辺境と云うとちょっとロマンチックな響きがあるかなぁ。世界の果てみたいなイメージ。ブレーズ・サンドラールの「世界の果てまで連れてって」なんていうのの、連れて行って欲しい場所みたいな捉え方がちょっとあります。
二枚目のは閑散とした高の原の高級住宅街の中というだけで辺境といってしまうと住んでる人に怒られそうだけど、他のは実際にはド田舎のイメージが横溢してる場所でした。まぁ、そういうのをわたし的に辺境と云ってしまって、空間の質感を変えてみようと、そんな意図もあったかも。
工事現場の写真は、これ、平城宮跡なんですよね。行ったことがないとちょっと想像できないかもしれないけど、奈良時代の平城宮大内裏跡の発掘現場で、復元された門とかがまばらに建ってるだけで、他に何もない広大な空間が広がってるところです。近鉄がその端っこを通ってるんだけど、電車の中からこの二本のクレーンが見えて、わざわざ降りて撮りにいきました。これがきっかけで新大宮の街中も撮り始めたから、何にしろ行動してみるのはとりあえず良いということなんでしょう。
平城宮跡の何もない空間だったからこういう工事現場もちょっと際立った感じで撮れてるんじゃないかな。基本的に工事現場の機械とか好きなんだけど、確かに実際は雑然としてるだけだったり、警備の人に咎められたりであまり良い雰囲気じゃないですよね。そのうえこれ撮った時、二本のクレーンがわたしが思うような形で納まってくれなかったので、シャッター切るまで結構イライラしてました。
クレーンとか屹立してる様子は実際には目を引くんだけど写真にしてみると特にどうってことのない工事現場の機械としか写ってくれない場合が多いので、これはそういうのも上手く行った写真かもしれないです。

でもこのところこういう撮り方はちょっと飽きてきたかなぁ。この前にも書いたように基本的に美しく撮るというのが大前提にあって、辺境だとかなんだとか狙っていると同時にそういうのも外さないようにして撮ろうと思ってるんだけど、何しろ対象が明確に美的なものじゃないから、撮っていて自分でも分からなくなってくることがあるんですよね。で、直感でシャッター切ってみて結果はかっこよく撮れていたとしても、その場ではそういう微妙なものの手ごたえがなかったなんていうのが重なっていくと、どうシャッターを切っていけばいいのか迷いだしてしまって。
ちょっと引きの画面であまり細工できない状態で撮って美しさで際立たせるって、上手く行けば面白いんだけど迷いだすと結構嫌になってきます。もっとメリハリのある写真を撮ってみようかなと、そういうことを考え出すとこういう写真はまたいっそう撮りにくくなってきたりするんですよね。

No title

いつも以上に古写真風に仕上がっていて味がありますね。
歩道橋のあたりは、結構家が沢山ありそうだけども、割と昼間から静かな感じなんですか?

1枚目の写真の家とか見ても、その周辺は昭和に建てられた家が多そうにみえます。

歩道橋には上がってみて、歩道橋の上からは写真撮らなかったですか?

きっとグリーンさんでもまだまだ京都府内の中で知らない場所って数多くありそうですね。

人口が減って誰も住んでいない住宅が沢山ある地域とかも結構あるんでしょうか。

No title

最後の写真がいいね
辺境にありがちな忘れられた公園
昔は子供達の声で響いてだだろうな

えにぜんさんへ

こんにちは!
色の質感はこういうのは結構好みで、ちょっと手を加えてこんな感じにしてます。フィルム本来の色でもないと思うんだけど、もともとネガのほうは読み取り方によって結構違った感じで出てくるから、自分好みに手を加えるのにあまり抵抗感がないです。若干彩度を落としてるのも古い写真風になってる要素ですよね。こういう雰囲気は、まぁ写真の中身にもよるんだけど、この場合は中身にあってると思います。色は使うとなると印象をガラッと変えてしまうので面白いです。

最初のは農地の中を歩いていくと向こうに島のようにして人のいる場所が見える感じが気に入って撮りました。こういうところに最新の家が建っていてもそれなりに面白そうだけど、古い家とか農作業するためだけの小屋のようなのばかりでしたよ。農作業の小屋は飾る意味合いもないから掘っ立て小屋風で朽ち果ててるようなのもあってワイルドな感じがなかなかいいです。

歩道橋はちょっと変わった形になってるでしょ。これ、右側の並木の向こうは学校の校庭で、歩道橋はこの学校の校庭に直結されて、実は左から上がっていっても入れないようになってました。この学校専用の歩道橋って云う不思議な代物。高いところは大概嬉しがって登ってみるけどここは上まで上らなかったです。先が閉じてるってわかったからかも。人は通ってなかったなぁ。こうやって人がいない状態で見るとちょっと異様ですね。
ただの歩道橋に信号が見えてるだけの場所でも写真に撮ってみるものだなぁって思います。

当然知らないところが一杯です。まず電車で行けるところしか行かないし。自動車は持ってない上にバスなんかも酔ってしまって無理。それにバスは知らない会社のバスとかだと料金体制がよく分からなくて、持ってる小銭で行けるんだろうかと乗っている間不安になるからあまり乗りたくないってのもあります。車は写真撮りに動き回るにはあったほうが便利なんだろうとは思うけど、眩暈もちですぐに酔うなんていう状態だとやっぱり無理としか言いようがなくて、電車沿線の散歩になってしまいます。でもこれでも結構色々と写真撮れそうな場所とか出会ったりしますよ。

ゴーストタウンほどじゃないけど簡素な住宅街は意外と人の気配がないってところが多いです。ゴーストタウンになってしまったようなところは雰囲気は好きだけど、写真撮るとなると被写体が少なすぎて困りそうだなぁ。でもまったく人がいない街とかはあるなら一度行ってみたいです。
閉園してしまった奈良ドリームランドの放置された園内とか歩き回ってみたいかな。

みゆきんさんへ

こんにちは!
これはもうちょっと木が多くて、薄暗い森の中の木の間からこの顔がのぞいてるっていうイメージで勝手に盛り上がって撮ったんですよね。結果は木は疎らで向こう側が具体的に見えていてちょっと散漫かなと思ったんだけど、雰囲気はそれなりに出てたって云うことかな。
この不思議な顔だけでここが忘れ去られた公園で誰もいない場所だっていうのがきちんと伝わるものなんですね。ちょっと人待ち顔というか、遊びの場から取り残されて所在無げな印象を纏っているのも面白い遊具でした。
こういうのってあまり他の公園では見ないんじゃないかな。
ちなみにこの中に入れるようになっていて裏側には別の顔が作ってありました。こっちから見た顔のほうがよかったし、地面の向こう側にチラッと見える感じがよくて撮る場所はここしかないと判断できた写真でもあります。

公園の遊具って見たら撮りたくなるんだけど、ほとんどかっこいい写り方にはならないです。住宅地の中に開けたある種の異空間だから、公園なんかに出くわすと引き込まれるように中に入ってはみるんだけど、納得した写真が撮れた事はほとんどないんですよね。だからこれはちょっと散漫だとは思ったけど公園の遊具を撮ってそれなりに気に入った、自分的には珍しい一枚になってます。

子供の声が響いていた記憶の木霊している公園とか考えてみると結構面白いテーマかも。意図的にそういう感じで展開して写真撮ってみるのも面白いかもしれないですね。

No title

こんばんは
一番上の写真、家の庭に盆栽が生えてる
きっとあの盆栽の下は農機具やらでとっ散らかっているんでしょうけど。
今日は本文は全く読んでません。読まないで書きこんだものが果たして全く見当違いなものなのか?てか、本文読まないで思い付きで書き込むとこんなことしか書けない自分がおかしいですw
薄荷グリーンさんの文章大好きですよ

sukunahikonaさんへ

おはようございます。
この回のはディテールの積み重ねが目的だったから、細部を楽しんでもらえればいいんだと思います。この光景もちょっと盆栽っぽいですよね。
写真に言葉を添えるのはたびたび書いてるように本当に必要なのかどうか今もよく分かってません。写真だけ見て勝手になにかを受け取ってくれたり、また何も受け取ってくれなかったりといったことだけで十分で、そこに正解なんかありはしないと思ってるところが大きいから、基本的に言葉は要らないという立場ではあるんだろうけど。
言葉を使うならむしろ写真のコンテクストをずらすような方向で使うのが面白いかなぁ。説明してる風に見せて、本来担っていなかったような方向へ誘導して、別の写真と別の網の目を張り巡らせてみるようなこと。言葉を絡ませるならこういうのが面白いかも。
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