燦爛 / André Kertész The Polaroids

燦爛







曲立頭

2017 / 04
2017 / 05
新祝園
Nikon L35AF / Lomo Diana MINI
Fuji Presto400 / Kodak Tri-X を自家現像

砕け散る光と収斂していく光、ってところかなぁ。シュルレアリストとしてはこういう現実世界から逸脱しかけてるような雰囲気の写真に撮れると、撮った本人がまず楽しくなってくる。何よりも一番に自分で楽しめないと何の意味があるって云うのか。
手段として写真を選択してるけど、昔から眺めていたシュルレアリストのいろんな作品を見てるほうが、写真の文脈の中に入って写真を横断していくよりもひょっとしたら自分にとっては有益なんじゃないかなぁとも思う。音楽にしてもそうだ。音楽的といえば昔からリズミカルに並んだような被写体を撮ったりはしてる。でもそういう絵解きのようなものに限らずに音楽から発想する写真のほうが、それがどういう形になるのかは写真にして見ないと分からないものの、写真から発想する写真よりも何だか刺激的なように思える。

最後のは新祝園の駅から少し歩いたところにある華広場という公園にあった遊具。この公園には異様なデザインの遊具が並べてあってひときわ際立ってる。棚倉のぐるぐる椅子と云い、地方都市に飛びっきり異様なものが散見されるというのはどういうことなんだろう。

☆ ☆ ☆

最後の写真で使ったのは本当に久しぶりだったダイアナ・ミニ。もう目が眩むほどの圧倒的な低画質。これは後処理でちょっと弄くってこういう形に仕上げてるけど、出来上がったままの写真は本当にどうしようもないというか、トイカメラ好きでまともに写ってないものを面白がる自分でもこれはないだろうって云う仕上がりのものばかりだった。一応ゾーンフォーカスでピントを変化させられるんだけど、おそらくどこに合わせても、どれもピントは合わないと思う。このカメラでは初めてハーフで撮ってみて、巻き上げのいい加減な感触とか、こんな形で何時までも撮ってるカメラじゃないと思い始めてからは途中でもっと大きなサイズのスクエアフォーマットに切り替えて早く撮り終われとばかりに最後まで撮りきった。撮影途中でフォーマットの切り替えが出来て、ハーフサイズのほかに35mmフィルムで真四角写真が撮れるのが売りのカメラだけど、こんな面白そうな仕様のカメラなのに、カメラそのものの出来が酷すぎて再度手に取る気がしない。ロモは廉価フィルムを供給してくれてるのはいいんだけど、カメラ作りに関してはカメラとユーザーを舐めきってるとしか思えない。
と書いてみたものの、もっと遥かに逸脱した、水道の配管や板切れ、下着のゴムなどで作った冗談のような手製カメラで水着の女性などを盗撮していたミロスラフ・ティッシーという変人もいる。幸いにしてキュレーターが見出したから写真家として名を馳せることになったものの、そうでなければおそらくただの変質者で終わっていたと思う。もっとも本人は変質者で終わってもまるでそんなことに興味なさそうではあったけど。
ミロスラフ・ティッシーがどんな写真を撮っていたのか、どんな手製のカメラを使っていたのか、この名前で検索してみれば山のように写真が出てくるので興味があれば検索してみるのも面白い。おそらくその手作りカメラの様子はこれを読んで頭に思い描いたものをはるかに凌駕すると思う。
その変質者気質を発揮した写真なんかを眺めてるとその逸脱振りに目を見張るんだけど、比べればダイアナ・ミニの写らなさのつまらないところは派手に逸脱してるように見えても結局トイカメラという範疇に収まってしまう程度の破格に過ぎないというところにもあるんじゃないかと思う。

いろんなレベルで使う側を戸惑わせるばかりのカメラだけど、フラッシュはかっこいい。付属していたアダプターを使えば他のカメラにもつけられるから、同じハーフカメラのPEN SSE-2にでもつけて使おうかな。

ダイアナミニ




☆ ☆ ☆


ケルテス ポラ1

ケルテス ポラ2


ケルテス ポラ3

ケルテスはわたしの中では以前取り上げた稲越功一と同じタイプの写真家だ。茫洋たる現実世界を前にして、詩情豊かで端正なイメージとして世界を切り取ってこられる写真家。印象はモダンで瑞々しく、時代的にはまぁ同時代の写真家でないのは承知していても、そんなに古い写真家とは思えない。でも本当はブレッソンよりも前の世代の人で、これを知った時はちょっと吃驚した。またマン・レイなどのシュルレアリストが関心を寄せていたということだけど、ケルテスの写真が好きな理由としてその辺もわたしは敏感に反応してるのかもしれない。
決定的瞬間といったものとはほぼ無縁の静的で構築的な写真が特徴とでも言えるかな。スタイリッシュな写真を一杯撮って、この世界に残していってくれた写真家だ。構成的でどちらかというと直感ではなくて分析的な側面によってる印象なのに、詩的な要素も苦もなく紛れ込ませる感性も持ち合わせていて、この辺はもう作家の資質によってるんだと思う。わたしには十分すぎるほど欠落してる感性なので、真似しようと思っても出来ない。

この写真集はケルテスが奥さんを亡くした後、アパートの一室で窓から差し込む光の下にオブジェを置いて、その光の様子を撮り続けた写真を集めてる。これらの写真が奥さんを亡くしてしまった後の時間の結晶だということを情報として知ってしまうと、写真に込められた詩情もどこかメランコリックなものに見えてくる。寄り添うような人の形のガラス瓶が被写体として好んで取り上げられてるのも、そんな心情の現われなんだと思う。

タイトルにもあるようにポラロイドの写真だというのも良い。
ポラロイドそのものはもう生産していないけど、今はインポッシブル・プロジェクトがフィルムを作ってる。でもこれはまだまだ未完成品っていう印象で高いお金を払ってまでして使う気がまったくしない。おまけに元のポラロイドとは明らかに画質が違うし、昔のポラロイド写真の持ってた雰囲気は出てこない印象がある。
昔の本家ポラロイドは唯一無比の存在だった。ポラロイドが生産を止めてしまったのは写真にとって本当に大きな損失だと思うし今も嘆く人も多いだろう。でも結局はユーザーが支援しなかった結果だということなんだから、あまり文句も云えないように思える。デパートの閉店セールに群がる客を見て、あんたらが普段やってきて買い物をしないからこんな状態になったんじゃないかと思うのと似た感じかな。







1000円2000円のカメラだったらまだこんなものかとその圧倒的な粗悪感も楽しめるかもしれない。でもこの価格はないと思う。
カメラの出来としてはまだミニじゃないほうのブローニーを使うダイアナFがいい。でもダイアナFも似たようなボックスカメラであるホルガに比べたら、あのホルガでさえもよく出来たカメラに見えるくらいの出来の悪いカメラなんだから、もう言葉もないというか。








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コメント

No title

2番目の写真
どうしたらシャッターきれるかなって思った
何気ないものに目がいく彗星さんに脱帽🎶

みゆきんさんへ

こんばんは!
二番目のオブジェ、シンプルなわりに、というかむしろシンプルに形を際立たせてるからかえって異様さも引き立つような感じになってるでしよ。異様さを引き出すのにどういう切り取り方が良いか悩みました。一日目に撮って、もう一つ納得がいかなくて別の日にまた撮ってます。こういうことをするのはわりと自分でも珍しいです。大抵もうちょっと上手く撮れたのにと思ってももう一度その被写体を撮りにいくとか面倒だからまぁこれでも良いかと判断してそれで締めくくってしまうことのほうが多いです。
異質なものを見つけるのは難しいけど面白い作業でもあります。でもあまりこういうのに限定してしまうと異様なものを見つけない限り写真が撮れなくなってしまいそうなので、こだわりもそこそこにっていう感じにしたほうが良いかもと思ってます。本当に日常にあるものを扱って、異質の世界を導き出すっていうのが理想です。

No title

この写真、カラーだったら全く違うのでしょうね。
モノクロームだからこそ際立つ世界観。

ポラロイド、私も好きだったんですよ。
なんて言うか今で言えばプリクラの写りっぽくて
ポラロイドで撮ると誰でも(?)可愛く見える。

もう無いんですね。
本当に勿体無いなぁ。

コメントで戴いた「名前」の話
ああ、納得と思ってしまったわ。
だから、あの子達、助かったのかもね。

ROUGEさんへ

こんばんは!
モノクロは色がない分抽象的になるから、それだけで現実から遊離したような感じになるんですよね。反対に色があると具体的になって、現実そのものの投影になり勝ち。この写真も最初のはカラーで撮ってると単純に格子模様の木の塀に光が差し込んでるだけの、空き地の光景になってしまってたかも。モノクロを撮ってると色がないだけの写真みたいに成りがちなところもあるんだけど、上手く撮れるなら別世界を開示できる分野だと思います。
でもモノクロというだけで何か意味ありげな雰囲気にもなったりするから、こういうモノクロの特性に寄りかかって写真撮ってると何だか下手になっていきそうな気もします。
ポラロイドは有志が集まってフィルムの供給はされてるけど、オリジナルのポラロイドフィルムは今のところ再現できてないそうです。何か絶対に必要な薬品がもう手に入らなくなってるとか。ポラロイドの時の工場や職人をもう一度集めて作ってるらしいけど、失われたものは容易には復活できないみたい。これが途絶えてしまったのは本当にもったいないです。熱心な信者とか一杯いるようなのに、どうして買い支えとかしなかったんだろうと思います。ポラロイドのほうも文化の一翼をになっていた自覚がなさすぎというかなぁ。今フジのインスタントカメラはあるんだけど、やっぱりちょっと雰囲気が違うんですよね。

名前はやっぱり名づけられたものをそういうものとして際立つ存在にする力があるように思ってあんなことを書きました。名前無しにこの世を去った先の子猫は不憫だけど、今度の子猫たちはしっかりと育って欲しいですね。

No title

シュールレアリストだったのですね。うすうすは感じていましたが自身で宣言するのはなかなか勇気がいること、私が神様を任じていることと同じくらいですかねw
André Kertészさんの写真見ました。時間が止まったあの感じは逆に時間を感じます。何より奥さんがきれい。創作者にとって永遠の被写体を手に入れたことは何よりの幸運です。
ミロスラフ・ティッシー、すさまじいですね。彼の持っている情熱の100分の一でも体験してみたい。天才という言葉は私は嫌いなのですが彼のような人を天才というのかもしれません。

sukunahikonaさんへ

こんばんは!
まぁ、誰も云ってくれないから、そういうことは自分で云ってしまおうと。規定することでそういう存在になりやすいところもあるような気がします。こう云うものに関する思考の出発点だったし、写真撮っていて今も全然古びた思想じゃないと再発見してみたりで、自分の中でのそういう部分を対象化してみたいっていう気になってる一つの表れかもしれないです。
奥さんが被写体って言うのはいいですよね。いつも好きなだけ撮れるし、他人を撮るよりは遠慮なくもっと踏み込んでいけるし。植田正治も奥さんを被写体にして奥さんは美人でした。やっぱり被写体が心底好きというのはもう根本的なところで勝てない部分がありそう。
ミロスラフ・ティッシーは本当に変な人でしょ。アウトサイダーアートのような括り方で名前を知られていったようなところがあるんだけど、アウトサイダーアートに含めるにはちょっと違うような気がします。
周囲の人には完全に変質者扱いされていたらしいけど、あの冗談みたいなカメラで本当に撮されているとは思われてなかったせいか、放置状態だったとか。
もうやってることは自分の欲望に忠実であれって云うことがすべてというようなもので、社会的な立場みたいなのがどうしても邪魔して普通はここまでなりふり構わず自分の欲望に忠実にはなれないから、そういう風に生きる気になれば、本当は不可能じゃないというのを知ると愕然とするんですよね。
ただ写真をはじめて見た時はその女性への偏執狂的な部分に辟易したんだけど、こういう人も居ないと世界は面白くないです。

No title

おはようございます。

ケルテスの、3点の静物写真の上の カメラと静物を捉えた
薄荷グリーンさんの作品  いい感じで好きです。

ポラロイド いつの間にか廃れていった そんな感がありますが
自分は好きでした。

HDが今のように大容量化に反比例してコンパクトサイズになり
見た目、みんな同じような印象になって 車もそれを感じますが
何か 身の回りのツールが没個性になっていってるように思えてなりません。

ももPAPAさんへ

こんばんは!
部屋の照明を消して窓からの間接光だけで撮ってるからかな。でも気を使ってるのはそのくらいで、話題にしたカメラの紹介の写真だから特に写真がどうのこうのというような撮り方はしてません。あとは人形の登場にいろいろと手持ちのを披露してます。今回のはエスニックの店で買ったガネーシャの小さな像。象とか結構好きなんですよね。

ポラロイドはフィルムも高いし、コストがかかったのも廃れた原因の一つだと思います。昔のは色々と手がかかるんですよね。最近の没個性かとかそういうところからも来てるんじゃないかな。手がかからない方向へ進むのも悪いとは云わないけど、趣味的な領域にはそういう考え方を入れないで欲しいと、手がかかるほうが本当は面白いというところを見失わないで欲しいです。

スマホの普及は結構不気味だなと最近電車に乗っていて思いました。一度周りを見渡してスマホに夢中になってる人のまるで差異のない姿を勘定してみると、みんなどうしちゃったんだとちょっと怖くなってきますよ。
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