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漂光 / William Basinski - Watermusic II

びわ湖大津館1





浮遊する光





落下する光






幕間

2017 / 08
びわ湖大津館 / 大津京 / 浜大津
Olympus Pen E-P3 / Canon Demi EE17
Fuji Premium 400

びわ湖大津館の中で撮っていた写真と街中、そして大津港の商業施設。
薄暗い館の中はデジのほうが撮りやすいと思ってフィルムカメラは使わなかった。でも使っていてやっぱりデジカメはあまり面白くない。操作のすべてが、その結果に対してそうなって当たり前という感覚しか呼び起こさないし、上手く撮れたものも手酷い失敗をしたものも等しく大した手ごたえもなくて、奇跡が起きそうな予感なんてまるで訪れてこない。他のものなら手軽で便利で高性能なのはすべてにおいて優位に立つと思えるけれど、こと写真に関してはそうは話は簡単ではないようだ。あとで、別の建物だったんだけど似たような光の状況でナチュラクラシカを使ったら、感度1600のフィルムを装填していたこともあって、特に破綻なく撮れてた。だからびわ湖大津館も、明るいレンズと高感度のフィルムを使えば、この程度なら撮れていたと思う。こう考えると残念なような気もするけど、もう一度フィルムで撮り直しに行くかといえば、手もつけられないほど失敗したわけでもないので、そこまでする気にもなれないというのが本音なところかもしれない。
それにしても窓から差し込んでくるような間接光とか、どうして美しいと思ってしまうのかなぁ。その感覚的な根拠のようなものを探ってみても、個人的なものへと還元できるようなものじゃないというところまでは辿れても、意外となぜこういうものに惹かれるのか根本的な部分で分からないところがある。なせ差し込む間接光のようなものに惹かれるのか、ということについての写真とか撮れると結構面白いかも、なんて思った。

☆ ☆ ☆

琵琶湖畔で夏の中ごろから写真を撮り続けている最初の拠点は大津京だった。そしてその後浜大津の大津港辺りが増えて今のところ拠点は二箇所となってる。
この二箇所、同じ側の琵琶湖湖畔の、陸地側にゆるやかな弧を描いてやや入り込んでる部分の両端に位置して、それなりに距離を置いてはいるんだけど、お互いの場所からそれぞれ離れた場所にあるもう一つの場所を湖面を挟んで見ることが出来る。大津京のびわ湖大津館がある柳が崎湖畔公園、ついでにいうと遊覧船ミシガンが停泊する桟橋もある場所なんだけど、最初にそこから湖面の向こうを眺めた時は小さく林立するビルが見える場所というだけだったのが、その向こう側に見えていた浜大津側に立ってみると、どういう施設が見えていたのか理解でき、また最初に降り立ってこちら側を眺めていたびわ湖大津館の周辺も小さくではあるけど区別できるのに気づくと、お互いに向こう側に見えるものが何か分かるようになって、視界に入る空間が具体性を帯びてくることとなった。
ちょっとね、二つの場所が具体的なものとして把握できてくると、どちらからでもいいけど向こう側まで歩いてみようかと思い始めたんだな。でも思いついたはいいものの、地図で見るとこのくらいなら歩けそうという感じにも見える一方、歩くにはちょっと遠すぎるようにも見える結構判断のつきにくい距離に見えた。
浜大津と大津京の間は京阪の今時珍しい路面電車が走っていて、浜大津から行くと、三井寺、別所、そしてJR大津京駅に隣接する皇子山駅と、間に二つの駅を経由する距離感となる。一度この路面電車に乗ってみて、三井寺まではかなり近かった以外、そこから先は皇子山まで普通に駅間を移動するような感覚だった。ローカルの路面電車はその土地の生活空間に入り込んだような雰囲気もあり、妙に旅情があって面白い。でもこれを歩くとなるとやっぱりいろいろと微妙かなというのが正直なところだった。
そんなこんなでこの程度ならそんなに苦にせずに歩けるんじゃないかと思いつつも、暑いさなかにそんなことをするのは嫌だと思うところもあって躊躇いが続いていたんだけど、数日前にちょっとした気まぐれで躊躇いを押しのけて歩いてみることとなった。
きっかけは浜大津の港で、遊覧船ミシガンの発着場である琵琶湖汽船の乗り場の北西側に広がってる船が集まってる部分が、関係者以外立ち入り禁止になっていて、これじゃ港っぽい写真が撮れないと、その先に入れるところがないかさらに歩いていったことだった。
長々と柵で囲まれた立ち入り禁止の区域を過ぎるとホテルらしいビルの裏側が遊歩道のようになって港の縁に出られるところに出くわした。様子を窺うとホテル専用でもなく、ここから短距離ではあったけどどうやら港の縁を巡ることができそうだった。やったと思って、ようやくそこで柵に邪魔されずに写真を撮りつつさらに歩いていったら、どうも琵琶湖疏水の開始地点のような、川の入り江に似たところに導かれて、遊歩道はそこで行き止まりになっていた。
そこからは先に進めずに、もう一度ここへ入ってきたところまで戻り、湖岸に沿った大通りに出てから写真を撮るためにいろいろ脇道にちょっかいを出しながらも行き止まりになっていた辺りまで進んで見ると、そこは思ったとおり琵琶湖疏水の開始地点だった。
琵琶湖疏水は京阪の路面電車の三井寺駅の脇を通っていたはずだから、港で写真が撮れる場所がないかと歩き回ってるうちに駅一つ分歩いてきたということになる。
こうなるとあと駅二つ分くらいなら歩けるんじゃないかと思いついて、その道をさらに先へと進んでみることにした。道はその先で湖岸に沿って湾曲し、その部分を越えて直線状になったところまで出てくると、先のほうにイオンの看板が小さく見えているのに気づいた。あれはおそらく大津京にあったイオンセレクトの建物だ。そう思うと何だか目標が目の前に現れたみたいで、気分はもうこのまま進んでみるほかなくなってしまった。やがて湖岸の琵琶湖競艇場の長い施設の脇を通り過ぎ、左手少し離れたところに皇子山競技場を眺めて歩き続けて、茶が崎を超えて少し行った辺りで、大津京で歩き回って見慣れていた場所にたどり着いた。それまで点としてしか存在しなかった場所が線として繋がっていくのは単純に面白い。こんな場所へと繋がっていたんだという感覚は探検家が新大陸を発見したような気分を想起させる。
それなりに猛暑は収まって普通に行動してるなら汗もほとんどかかないような気候になっていたし、気分的には予想していたほど距離があったとも思わなかったんだけど、それでも体感していた以上の運動量だったのか、この時はたどり着いた時点で結構汗ばんでいた。おまけにサンダルなんかで長時間歩くものじゃないと、その足腰の疲れように、これは家に帰ってから痛感した。
結局この日は途中から向こうに小さく見えるイオンの看板にたどり着くのが目的になってしまって、琵琶湖疏水に行き当たった辺りからあまり写真を撮れなかった。でもこの琵琶湖疏水の辺りはまた足を伸ばして写真を撮ってみたいと思ってる。
この日見つけた港の汀で、曇り空の中、水中から突き出た杭や張られたロープが水面に反射して、グレー一色となった空間に浮かんでるような抽象的なイメージに夢中になって写真を撮っていたんだけど、この曇り空の港で目にしたものがグレーの中の線と形象に還元された空間として上手く写真に撮れてるかどうか、暫くフィルムを取り出せないので期待は宙吊りになったままとなる。

☆ ☆ ☆

William Basinski - Watermusic II

BGM風にこういう音楽を置いてみた。水辺で撮ってる写真なので、と云っても今回のは直接水は写ってはいないけど、タイトルは一応写真とは照応してる。
聴く側の事情など一切無視してドラマチックな起伏もまるでなく、でもある一定レベルで持続する美しさが存在する。そしてただそれだけしか存在しない。
この端正な音的イメージを視覚的に展開してみたいところだ。バシンスキー自身が自らの音楽に映像をつけたビデオを作製してるけど、わたしが感応してるのはああいうイメージでもないんだなぁ。



それにしてもこれが、この調子で一時間近く続くというんだから、付き合う側も大変だ。


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コメント

No title

3枚目の写真が面白いなぁ。
そこだけスポットライトみたいで。
でも本当にフィルムで撮ったら
思いもしない幻想的な雰囲気になっていたかもと思うと
ちょっと残念ですね。

間接光、私も好きです。
木漏れ日とか、窓から差し込む光や反射光。

直射だと脳天気というか明るすぎるのかもね~
とはいえ、明暗がクッキリの影があれば
それはそれで想像をかきたてるのだけど。

ROUGEさんへ

おはようございます。
3枚目の、良いでしょ。これちっとも隠してないけど、今回の隠し玉。他のもう一枚スポットライト的な空間を撮った写真と一緒にまとめようと思ってたんだけど、今回のにちょっとメリハリをつけるために入れてみました。こういう光の当たり方をしているところも結構好きかな。あと全体に歪な感じがするのも気に入ってます。すべてのオブジェが綺麗に収まるところから少しずれてるような感じっていうのかな。幻想的なオブジェも出てこないし、異界というほど現実離れもしてないけどちょっとシュールな雰囲気があるんじゃないかなと自分では思ってます。
デジタルにはそれなりの良さがあるんだろうけど、少なくともフィルムに感じる面白さはほとんど残ってないんですよね。そして残ってない部分に惹かれたりするものだから、ああいう感想に落ち着いたりしてます。全体を覆う当たり前感に何枚撮っても気分は高揚しないです。奇跡を呼び込むデジカメとか出来ないのかな。
光っていろんな表情を持ってますよね。やっぱり柔らかい光が色々と含むものが多くて気を引くのかな。でも影はわたしも濃いほうが好きなんですよね。曇りの柔らかい影とかもうまるでこれは良いって云う感じで撮れたことがないです。濃い影が好きなのはキリコなんかのシュルレアリストの影響とかもあるんじゃないかと思ってます。濃い影のほうが幻想的に見えますよね。
柔らかい間接光に濃い影なんていうありえない空間に出くわしたら夢中になってたりして。
順光の直射は能天気というのは良い得てますね。何も考えてなさそうなのが画面から伝わってきそうだし。でもこれは上手く撮れると結構写真の腕があるのかもしれないですよ。逆に逆光のようなのは絵に描いたようにドラマチックで、自分としてはありきたりの代表のように見えることがあって極力避けようと思うこともあるかな。
光の表情って本当に豊かだし対応する感覚でもいろんな表情を見せてくれるように思います。

No title

私もグリーンさんのこちらのブログはパソコンのお気に入りに入れてるんで、おきてがみ経由でなくてもいつでも見れるようになってます^^

2枚目の椅子には座ってみたんですか?

デジカメってやっぱりフィルムカメラに比べたら
意外な写り方がしないので面白みがないんですね。

グリーンさんの記事を読んでると益々私はフィルムカメラを使ってみたくなりました。

No title

今の時期、2番目の写真の場所に座ったら日焼けが凄いでしょうね
けど9月って感じ
日差しが柔らかいわ
うまく光を撮ってます^^

えにぜんさんへ

こんばんは!
おきてがみのようなのは便利なんだけど、サービスが止まったりするともう本当にやることがなくなってしまうし、今までにあし@なんかが中止になった時とかも経験してるから、懇意にしてもらってる人のURLは安定した方法に退避させてるんですよね。来てもらった人全員をそういう状態にするともう手におえなくなるのは目に見えてるから、人は増やしてはいないんだけど。それにしてもあし@といいエディタといい、簡単にサービスを終了させて、こういうので安定したものって登場しないのかなぁと思います。そんななかで今回はトラブルがあったけどおきてがみは意外としぶとく継続してるって云う印象かな。

この椅子は喫煙室にあった物で、写真鳥に部屋に入った時は一人座ってる人がいました。この後ろにソファがあったからそこに座ってこの人がいなくなるのを待っていたんだけど、しぶとかったですよ。この椅子の写真撮るのに結構待ち時間がありました。だからこの椅子には座らなかったけど、ここではソファには座ってたんですよね。この椅子は写真撮る対象扱いになっていたから座るという発想はほとんどなかったです。それにあまり座り心地は良くなさそうです。

フィルムカメラは好きで使ってるし、魔法がかかったり奇跡が起きそうになったりで深みにはまっていく道を未だに全速で駆け抜けてるような状態だけど、人にすすめるとなるとかなり躊躇うかも。面倒臭いし、コストも余計な手間も一杯かかるし、自分には良くてもそういうのは余り他人にすすめるものでもないだろうと思うほうが多いです。使ってみたけどフィルムカメラって面倒臭いとか云われるのも嫌だし、デジカメのほうが良いよと他人には言っておくかも。
でもどうなんでしょうね。最近はフィルムの売れ行きが多少持ち直してるようだし、使う人は多くなってるのかな。

みゆきんさんへ

こんばんは!
日焼けって云う発想はなかったなぁ。その様子を想像するとちょっと笑ってしまいました。顔に縦縞ストライプの日焼けでしょ。異様極まりない日焼けで、一体どうしたんだと他人には思われそう。まぁこの時の日差しだとそんなに極端に日焼けはしなかったと思うけど。ブラインドの近くでは長居しないこと、これは頭に刻みつけておくほうが良さそうです。
それにしてもこれ、夏の盛りに撮ったのに光は結構柔らかいですよね。夏の強い日差しの中にもこういう柔らかい要素が潜んでるって云うことなのかな。単純明快に強い夏の光からそういうのを引き出せて写真に撮れたのはよかったと思います。
いろんな光の状態を撮る。こういうことはいつも心がけて撮ってるんだけど、そういう光の豊かさを引き出せるような写真をこれからも撮って行きたいです。

No title

緑にあこがれていたくせにコンクリートの懐かしさってぬぐえないんだな。

sukunahikonaさんへ

こんばんは!
わたしの場合は写真撮る時なんかは森のように木が茂ってるところとか、画面の一部に植物を入れるとかは結構好きでやってみたりします。なんかちょっと統制しきらない部分が画面に入り込んでくれるというかな、そういう感じが好きなんだと思います。
でも生活する場所が森に囲まれた家とかだとちょっと敬遠したくなるかも。生命感が強すぎて疲れてしまいそうな感じがするというかなぁ。冷たい無機的なところとかのほうが落ち着くかもしれないなぁと思います。
でもだからといってコンクリート打ちっ放しの家みたいなのはあまり好きじゃないんですよね。モダニズムの建築は趣味に合わないです。
こうやって考えてみると自然と人工どっちが好きかという設問があったとして、わたしも自分の中ではあまり簡単に区分けできないような気がします。自分の感覚の中で緑とコンクリートが複雑に入り乱れてます。
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