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円と戯れ / Mort Garson - Ode to an African Violet

展望台1





丸窓





展望台へ途上





ゲートライト





展望台へ

2017 / 09
浜大津
Fuji Natura Classica
Fuji Natura 1600

浜大津の琵琶湖汽船の発着場。屋上の展望台へ上がる途中と、京阪浜大津駅近くの陸橋へ上り下りするエレベーターの乗り場から。琵琶湖汽船の展望台へ上っていくところは、目にして一瞬で気を惹かれ、これはシャッターを切らないとと思った場所だった。
円や球といった形に惹かれる。自然界に普通にありながら、誰かの意思が介在してるとしか思えない完璧な均整を保ってる、云うならばその中に容易く宇宙を内包しうる神秘の形態だ。
話は写真とはちょっと離れるけど、球体関節人形が好きなのも、この関節に埋め込まれてる球体の形がことのほか魅力的に見えるからで、球体関節人形はこの球体のおかげでその体の内側に完璧な宇宙を内包してると思ってる。この完璧な宇宙そのものの関節の球体に、大抵の球体関節人形にはゴムを通すためのスリットが開けてあって、実はこのスリットが見えるとわたしとしては人形のうちにあった関節の抽象性が一気に失われて、ただの関節を駆動させるための機構に過ぎないものにしか見えなくなってくる。このスリットだけで人形そのものが興ざめになってしまうわけだ。
ところが恋月姫の作る球体関節人形には、今はどうか知らないけど、わたしが興味を持って眺めていた頃のものには、この関節の球体にスリットが入っていなかった。これが結構な謎だったんだなぁ。あれでどうやって稼動する関節を実現させてるんだろうって。そしてこれは今も分からないままだ。一度2004年頃に京都三条のART ZOONで、「月の神殿」と題された恋月姫の人形の展覧会があって、その時にそれまで写真集でしか見たことがなかった人形の実物を見た。その展覧会では腕をつけてない状態でシーンを作っていた人形があったんだけど、それをを見ても結局この球体の秘密は解けなかったのが記憶に残ってる。
展覧会で見た人形は思いのほか小さく華奢で細部の細工が繊細きわまっていたのが印象的だった。秘密を知りたければ一体買えば良いというものだろうけど、作家性が極めて強く、美術品の如くオーナーに名前を連ねてしまうような代物なので、きっと高いだろうなぁ。
そしてもう一つ、窓を通してみる行為も好き。この場合丸い窓だからさらに魅力はアップしてる。窓を通して、ある区切られた領域として目の前に現れる空間は区切られ選ばれることでなにかその場にしかないような特別なものを纏い始める。窓を離れて眺めると、その特別な何かは夢から醒めたかのようにあっという間に霧散してしまって、目の前の空間はごくありきたりの日常としてそこに転がっているだけのものへと立ち返る。
似たようなものだと演劇の舞台、映画のスクリーン、そしてカメラのファインダーなんかが挙げられるかな。この三つは暗闇に縁取られてまた位相が異なった現れ方をするけど、基本は窓から眺める行為と通底してるように思う。窓に囲まれて目の前に現れるこの世界と明らかに切り離された何かがあるのを覗き見る。その覗き見る行為はどこか冷たく暗い欲望に裏打ちされてるような感情を伴ってる。ある種見る事のいかがわしさのようなものなのかもしれないけど、視覚が持つそういういかがわしさは、少なくともわたしにとっては魅力的に見えたりする。

☆ ☆ ☆

フジフィルムが出していたカメラ、ナチュラクラシカとそれ専用のフィルムのような印象だったナチュラ1600の組み合わせは結構お気に入りの雰囲気に絵を仕上げてくれる。最近この組み合わせにちょっとはまり気味で、撮り終えてはまたこのフィルムを買い足して連続で使い続けてる。
全体にざらついた粒子感も好きだし、若干スミが入ったような色合いも良い。でもこの色の感じ、家のスキャナーで読み取っても全然こんな感じに読み取ってくれない、もうこの色の感じを引き出すにはお店頼りになってしまって、このフィルムを使った時は店でデータCD化してもらうのが常となってしまった。
しかしこのところのお気に入りで気分よく使ってるのに、あろうことかフジフィルムはこの魅力的なナチュラ1600をどうやら来年で生産終了させるつもりらしい。これは本当にがっかり。これでカメラも含めてナチュラ関係のものは全滅することになる。こうなるとまだ売ってるうちに一杯使っておこうと思ってるけど、いつか復活すると良いなぁ。

☆ ☆ ☆

Mort Garson - Ode to an African Violet

シンセサイザー黎明期のサイケデリック・エレクトロ・ポップという感じか。植物と植物を愛する人のための、温かいアース・ミュージックという副題がついて、ヒーリング・ミュージックのような体裁をとっているものの、どこかモンド感の漂うサイケデリックな雰囲気がある。もとはマットレスのプロモーション用に作られたものらしいんだけど、そんな限定された用途を容易に超えていくものがあるように思えるなぁ。
1976年のアナログシンセのチープな音が曲想を盛り上げて、なんだか儚くおぼろげな美しい音空間を作ってるのが心地良い。




リンクを収得しようとして商品ページをみてみれば、あなたはこの商品を○○年に買いましたとあったので、自分のはアマゾンで買ったんだったと思い出した。それにしても今は無茶苦茶な値段の中古しか出品されてないなぁ。自分のはストラップが切れて一度地面に落としてるし、外側もちょっと塗装がはがれたり傷ついてきたりしてるから、もう一台予備に欲しいんだけど、またフジフィルムが新品で販売してくれないかな。







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コメント

No title

今日は丸に拘ったのね
丸い窓に丸い電気
丸い窓から見える海が涼しげ
そうなんだよね
窓は全部四角くなくっちゃってのが変よ
丸い窓のある家って素敵^^

みゆきんさんへ

こんばんは!
そうです。今回は丸い形の特集。こういう被写体の集め方も面白いかと思います。わたしは丸や球という形が好きだったからこういう風に撮ったけど、三角が好きなら三角を集めれば良いという感じです。今回は丸だったけど三角も形としてはわりと好きかも。
丸窓は独特の雰囲気があるし、窓の形としてもっと普及しても良いと思うけど、意外と丸い窓の家とかあまり多くない印象です。作りにくいのかな。
他とは違う洒落たものを一つ加えるだけでも家の印象は随分と変わるだろうし、丸窓はそういうちょっと洒落た家にはうってつけのアイテムだと思うんだけどなぁ。
窓が丸いというだけで、若干覗く側の自然な視線の動きに沿わないところも出てきて、その分ちょっと眺めてるということに自覚的になるというか、窓の外の光景が新鮮に見えてくることもあるんじゃないかなと思います。写真の丸窓の向こうに広がる湖も何か爽やかに見えてきますよね。実際は暑さで辟易してたのに。

あと今回のは同じ場所を複数撮ったのを並べるというのもやってみました。こうすると写真が一枚で完結しないような感じになって面白いです。

No title

丸い窓がある部屋。改装する機会があったらほしいと思ってます。
空き地にあった大きな土管、縁日で出会った覗きからくり、見世物小屋の丸い覗き穴。中心から均等に区切られた空間は私たちの目の機能からすれば本来自然なはずなのに四角い窓より妙に不自然に感じてしまう。窓を開ければ外界と当たり前に行き来ができる空間が丸い窓だと異界の世界に迷い込んでしまうようで、和室の丸窓は憧れですが映画のリングに出てきた丸い鏡の印象はやはり丸いものに対する人間の本能的反応をうまくとらえているようですね。神前の神様の鏡も四角だとおかしくなりますものね。

No title

丸窓とか、すごく好き!
円とは完全なものだから
宇宙を内包しているって考え方
すごくよく解ります。

それにしてもフィルムの生産終了悔しいね~
完全に無くなる前に買占めしたりして(^^;

アナログ盤みたいに、いつかまた
フィルム写真のよさを再認識されて
復活&手ごろに現像できるようになるといいね

sukunahikonaさんへ

こんにちは!
丸窓の家、建てる時にそれなりに要望があるけど、窓を開く簡単な機構を用意できないとか、カーテンをかけるのが難しいとかいろいろあって頓挫してしまうことが多いんだそうですよ。丸い窓好きは思いの外いるみたいです。
覗きからくりとか見世物小屋の丸い覗き穴なんていうのはまさしく冷たく暗い欲望に裏打ちされた感覚だと思うし、カメラのファインダーを覗きこんでる時もそういうある種いかがわしい感覚を求めてるところがどこかあるんですよね。カメラのファインダーの覗き込む側が丸くなってる機種はそういう感覚を無意識にでも理解してるのか結構多いです。でも入力側はそうなんだけど視線が出て行く側は四角いフレームになってるのがほとんどだから、丸いファインダーに誘発された欲望は四角いフレームの出口に至るまでのどこかで迷い道に入ってしまうことがほとんどかもしれないです。
わたしは人の眼が横に並んでるから視覚の自然は四角いフレームのほうに寄ってると思うほうで、だからこそ四角い窓よりも不自然に思う丸窓の感覚を拠所にして見たいようなところがあります。
何しろ円は神秘の形だから鏡にしろ異界へ通じる回路は四角い鏡よりも圧倒的に開いてるんじゃないかなぁ。
ちょっと思ったんだけど、丸い映画とか出来ないのかな。意外と面白くみられるかも。

ROUGEさんへ

こんにちは!
丸いもの、良いですよね。わたしも形として凄い好き。本当に完璧でまさしく宇宙そのものがそこにあると思ってしまいます。イメージは至高点にあるようなものを内在させてるのに、特別なものじゃなくてどこにでもあるというのがまた良いです。日常に潜む永遠っていうところかな。
まぁそうはいってもいくら身近にあるからといって、コインを見たりテーブルのお皿を見てここに宇宙があるなんて恍惚としてしまうわけでもないけど。際立つ何かがあった時には形が四角よりも円のほうが印象に残るっていう感じかな。でもこんな風に書いてしまうとこれから丸いものが画面に入ってたら、あぁ丸いのが好きなのねって言う一言で済まされてしまいそうで、ちょっとストレートには撮りにくくなってしまったかも。
フィルムカメラはそれなりに需要があるようで、フィルムの売り上げも盛り上がりつつある状況らしいんですけどね。なかなか目に見えて好転してるという状態にはならないみたいです。最終的にはモノクロ一本とリバーサル一本くらいが残ってくれたらそれで良いと思うところもあるんだけど、いろいろと比べてフィルムを選ぶ楽しさが減っていくのはやっぱり嫌ですね。
このフィルムはそれなりに買い足しておこうかな。既に幾分市場から数が少なくなってきてるようで、買い占めてる人も多いんじゃないかと思います。転売するようなのも暗躍してそう。でもいつも思うんだけど、もうすぐ手に入らないとなった時点で買いあさるくらいなら、普段から買っておきなよと、思ったりします。
使ってみれば一目瞭然というところがあるからとにかくフィルムを手にとって見て欲しいと思うけど、最初は敷居が高いんですよね。わたしも最初の時はこんなのどうするんだって思って、現像に持っていくのも何か専門的なことを聞かれそうだし、どう注文して良いのか分からないと、あれやこれやでなかなか手が出せなかったです。デジタルで過不足なく撮れるんだから他に何がいる?と、そういうのが当たり前の人が圧倒的だし、そんな面倒臭そうなことに手を出すには結構な動機が必要そうにも思えます。
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