FC2ブログ

森を辿る道 / 孤独で美しい場所

暗がりに浮かぶ枝





木立の合間から




貯水池と枝





深部







闇に落ちる木漏れ日





垣間見る鳳凰





廃墟アパート

2018 / 04 今熊野観音寺周辺
2013 / 91 八幡男山
2014 / 11 今熊野観音寺周辺
Nikon F3 / ピンホールホルガ / Leotax F
Ilford PanF Plus 50 / Xp2 Super

東福寺の北東近くにある泉涌寺への参道である泉涌寺通りを、九条通りから抜けていく途上で脇道に分け入っていくと、今熊野観音寺というぼけ封じで有名な小さなお寺の前に出てくる。今熊野観音寺は泉涌寺山内にあって泉涌寺の塔頭となる。今回の写真は一枚だけ岩清水八幡宮で撮ったものが混じっているけど、ほかのものはこの観音寺の周辺で撮っている。ただ泉涌寺通りからは入らずにもう少し北のほうの、観音寺の裏手の墓地に続く道からここまで辿っていった。観音寺はこの辺りの他の寺院同様東山の山裾に囲まれて、観音寺の北東の山中は一條天皇皇后定子 鳥戸野陵となっている。疎らな人家とパワースポットの境界にあるようなこの辺りを歩いていると、観光客もほとんどおらず、俗世界と聖域が交じり合ってる独特の雰囲気を感じることが出来る。実際には面倒臭さが先にたってしまって、さてそこへ行こうと積極的な意識にはなれないにしても、森の中で写真を撮るっていうのはわりと親和性のあるシチュエーションだ。街中で人工物を撮ってると、これを撮った写真がかっこよかったとしてもそこにはわたしが作り出したものなどないに等しくすべては被写体を製作した者の腕前によってるんだと、表現など一片の薄っぺらい観念の一枚として相対化してしまう思想のシャワーをたっぷりと浴びているにもかかわらず、デュシャンのように徹底化も出来ずに未だに創造性の一端でも信じているのか、写真は創造じゃなく見出すことだと思い至っては、何時もどこか居心地の悪い思いを拭いきれないでいる。反面自然物はそういうところが微塵もないから写真を撮るにも思いのほか余計なことを考えないですむ。自然の著作権を持ってるのは神様だろうけど、この写真がかっこいいとして、それは神様の表現力によって成り立ってると思っても、まぁそうなんだろうなと、その程度ですんでしまう。おまけに神様は著作権など主張しない。リハビリは相も変わらず続いてこの前から背骨の牽引が加わった。これは物理的に体を引き伸ばすもので、大仰な治療装置のわりに治療法としてやってることはシンプルといえばシンプル極まりない。懸垂してるところへ誰かが腰にしがみついてでもいるかのような状態をベッドの上で再現してるとでもいうのかな、苦痛かといえば意外と何かのアトラクションでもやってるような感じで面白く、背骨を支える筋肉が引き伸ばされ解されて気持ちがいいところもある。診察ではMRIも撮ったほうがいいといわれて、でも今は時間も金もないから、まぁ露骨に検査代が払えないとはさすがに云わなかったが、ちょっと様子見したいと色々と濁すような云い方で逃げている。逃げ切れなくなったらそのうちこの検査はやる以外になくなるだろうなぁ。




つるの剛士がウクレレで弾いていたこの曲、この前曲名が分からないって書いたけど、曲名が判明。Where Is My Love Tonightというタイトルでハワイの作曲家クイ・リーの曲だそうだ。あぁすっきりした。ウクレレの第一人者であるハーブ・オオタの演奏が有名で、この元のも聴いたけど、この演奏は元とはまた違うアレンジが施されていて、さらに耳コピだというんだから恐れ入る。耳コピである以上ひょっとしてアレンジも自分でやってるのか?正直言って元曲よりもこのアレンジのほうが好みだったりする。






スポンサーサイト

コメント

No title

この時期の森は鬱蒼としていて
ただでさえ雰囲気があるけれど
モノクロだと余計に想像力を掻き立てられるね(笑)

MRIかぁ・・・
私は有無を言わさず3ヶ月に1度は撮ってるけど
それで原因が解って治る方向に行くなら
何とか受けてみたらどうかなぁ?
やっぱりリハビリに通うのも面倒でしょうし
何より他の怖い病気が隠れていたら大変だから。

私は膠原病、最初は「四十肩」と診断されて整形通ってたけど
あまりに治らないので他に行ったよ。

No title

うわーーーーっ
想像力が良すぎなのか
全部が神秘的
しかもホラーの世界
ぞくっとくる写真だわ^^

ROUGEさんへ

こんばんは!
特に自分自身が自然愛好者だとも思わないし、どちらかと言うと人工物のほうが好きなんだけど、写真撮るとなると木々が鬱蒼と茂ってる場所とかには妙に惹かれるんですよね。木が集まってるというだけで何かがそこに生み出されてるのは確実でしょう。その何かを写真に撮れれば面白いんじゃないかと思います。モノクロは今回の場合は上手く機能したようで、その雰囲気を取り入れるのには正解だったんじゃないかな。暗い森の中を彷徨い続けた挙句に、光が差し込む小さな空間に出て、そこには朽ち果てたような建物があった、なんていう状況に出会いたいんだけど、東山ではかなり無理がありそうです。
リハビリは逆にちょっとした息抜きみたいな感じで通ってるからわたしの場合はあまり面倒じゃないです。マッサージしてもらいに行ってるようなものだから、むしろ楽しいかも。MRIはまぁそのうち撮ることになると思います。一応症状は典型的な坐骨神経痛のようで、神経の通り道の狭窄具合、脊柱管狭窄症の具合、というかそういうのに該当してるかどうかを知りたいんだとか。でも記事に書いたように取れる時間のめどが立たなくて自由に動けず、どうしていいのか分からない状態です。

No title

モノクロの森もなかなか味があっていいですね。

森の中に入ってくる光がとてもお上手に撮れていてステキです。

自然の著作権や神様の著作権って言葉をはじめてしりました^-^

こういう言葉を使ったのってグリーンさんがはじめてかもしれませんね。ほかに言ってる人は聞いたり読んだりなさったことはありますか?

みゆきんさんへ

こんばんは!
鬱蒼と茂った薄暗い森の中で妖魔にでも出会いそうな雰囲気とか、そんな感じが出てますか?実際にはちっとも鬱蒼と茂ってない森だったんだけど、そんな風に撮りたいと思って撮ってたら森のほうもそういう顔を見せてくれたのかもしれないです。それにしても京都の市内からちょっと迷い込んだだけなのに、木が生い茂ってるというだけで幻想的な雰囲気になってくるのは面白いです。木にはそういう神秘な力が宿ってるのかも。ホラーだったら森の中といえばまず死霊のはらわたなんかが頭に浮かんできます。あれも森の中で魔物に襲われますよね。森には妖精がいるような雰囲気と妖魔が潜んでるような二つのまったく違った側面がありそうです。妖精のほうも撮ってみたいけど、ホラー映画好きとしては無意識的でも妖魔方面で撮ってしまいそうかな。とりあえず暗い幻想の美しさみたいなのが出てれば、撮った本人としては満足といったところです。

えにぜんさんへ

こんばんは!
カラーでは絶対に出てこない雰囲気があるでしょ。すぐ近くに民家があるのにこんな撮り方をして見ると鬱蒼とした深い森の中に彷徨いこんで差し込む光を頼りに歩いてるって言うような雰囲気になったりして。幻想的で非日常の空気感にに満ち溢れていて、森は手軽に入り込める異界の入り口なのかもしれないです。光に関してはモノクロだとどうしても注視する対象になります。モノクロは写真の練習にはちょうどいいかも。
人の作ったものを撮ってると何だか倦んできたりして、よくそんなことを考えるんですよね。自分としてはどこかで読んだというような記憶はないんだけど、世の中広いから自分が思いついたと思ってることもまず確実に誰かが云ってたりします。だからおそらくわたししか言ってないって言うようなことはまずないだろうと思います。これはでも考え方としては面白いでしょ。この世界、すべての物事がまったくの偶然で出来上がったって云うようには到底思えないし、ひょっとしたら分子レベルでどこかに神様のサインでも隠されてそうな気もします。

鍵コメさんへ

こんばんは!
ちょっとこの長雨は酷いというかいい加減にして欲しいです。桂川のニュースは凄かったですよね。極端に降ってるところは降ってるんだなぁと吃驚してました。まぁ川の近くに住んでるわけじゃないので今回は水害のような直接的な被害はなくてすみそうだけど、我が家では雨漏りが始まってしまって、さて修理しなくてはと思うと思いもしない余計な出費に今から頭が痛いです。

No title

いつもと違っていつになくエモーショナルな写真でこりゃいつかコメントしてやろうと思ったらやっぱりそういうことですよね。うっかり森の中で迷子になって泣きながら写真を撮ってるのかと思いましたよ。

sukunahikonaさんへ

こんばんは!
街中にある森や山と云っても迷う時は迷うようで、最近大文字山で遭難した人がいたというようなニュースを聞いたことがありました。実は八幡の男山で夕方入ろうかどうしようか迷って結局入らずに帰ってきた山道の脇道があったんだけど、あの時あっという間に日が暮れたから、おそらくあの時あの脇道に入ってたらまず間違いなく迷っていただろうなぁと後で思うと冷や汗が出てくるようなことがありました。
わりと慎重なほうなので迷って泣きながら写真を撮ったというほどの体験はしなかったけど、泣きながらでも写真撮っていたらそれはそれで結構肝っ玉が据わっていてかっこよかったし、森という存在は迷ってこそその存在のコアな部分に触れらるんじゃないかなんて思ったりもします。迷い道の写真とか面白そう。知らない町で写真撮りに歩いてる時でも必ず駅の方向は見失わないようにして歩いてるし、まぁそれでも駅に帰り着けないとあせることもあるけど大抵は安全圏内の写真となって、本気で迷って撮る写真なんてほとんどないんですよね。
ところでいつも撮る写真はやっぱりあまり感情的じゃなくて、誰も云ってくれないから自分で云うけどクールな写真って云う感じなのかな。わりと対象に対しても写真に対しても腑分けするように観察的な態度だとは思ってます。
非公開コメント