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混乱する放射
2016 / 01 向島
2015 / 10 田辺
2018 / 06 京都駅
2018 / 01
2018 / 02 近所
Olympus Pen F / CONTAX T3 / Holga 120GFN / Fuji Cardia Travel Mini / Minolta Capios 160A

最近の自分のトレンドはグラフィカルでポップでキュートでシュールってところ。この写真は最近のものでもないけど既にこういう要素でシャッターを切ってる気配がある。相も変わらず贔屓目に見てもほとんど意味を持たない写真。写真に意味を持たせることに恐怖心でも抱いてるんだろうかと自分でも訝しく思うくらいだ。深部へ向かわずにただひたすら表層を横滑りしていくような感じ。世界はそういうものだとまず最初に認識しているのかもしれない。対象に意味を求めない。被写体に特別な存在感を認めない。そんな認識で写真を撮るなら、関心はむしろ対象よりもその対象に向かう視線にあるような気もする。被写体よりもそれを見ている視線のほうに重心が傾いてる。ならば眼差しについての写真が撮れないものかと思う。なんだかそれはきっと儚げで美しい写真になりそうな予感をはらんでる。なによりも被写体が他者性だとしか見えない異物感に躊躇する自分にとって、眼差しこそは自分のうちにあり、自分そのものである可能性だと云えそうだ。宮川淳という昔夭折した天才的な美術評論家がいた。今眼差しなんていう言葉を使って思い出した人だけど。この人の思想に自分はかなりの影響を受けてるんだろうと思う。宮川淳の本は本当に美しかった。美術評論なんていう内容で、レトリックや言葉そのものを美しいと思った本は初めてだったし、この人の本以外でそんな思いを抱いたものは未だに一冊も出合ってない。眼差しという言葉に絡めてあの本の言葉、レトリックのように美しい写真を撮ってみたい。こんなことに思いを巡らせてる内にまた宮川淳の本を読んでみたいと思い始めて、本棚の奥深く、埃をかぶり凍りついた古い記憶そのものと化してあるものへと分け入ってみるのもまた一興か。「紙片と眼差しとのあいだに」や「引用の織物」といった宮川淳の著作についていつか何か幾ばくかの自分の言葉を添えてみたい。














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コメント

No title

いろんな要素を持った文章もまた楽しィ~

一番最後の写真の屋根瓦のおひげ
こんなの初めて拝見

良く見れば何方かいらっしゃる
オホホ面白い。

和さんへ

こんにちは!
実のところ今回は何を書こうかあまり頭に浮かんでこなくて、書いた言葉からの連想で話を繋げたって感じになってます。書いた言葉から連想であっちこっちに話が脈絡なく飛んでいくようなのは結構やってみたいことなんだけど、そのきっかけにでもなったかな。最近段落をつけないで書いてるのも筋道だったものに混沌と云うか読みにくさを追加したかったからで、混乱する物事も最近のわたしのトレンドだったりします。
最後のは「○」とは関係ないんだけど、「○」ばかり集めるのもすっきりしすぎてるようで混ぜてみました。これ、変でしょ。近所の大きな家の屋根についてるんだけど、この部分だけ空間が歪んでるようでなかなか超現実的です。空間を歪ませてる中央に鎮座してるのはこれは何なのかなぁ。よく分からないけど周囲のひん曲がったひげには似つかわしいような雰囲気を発散させてますよね。屋根瓦とかその気になって眺めてみれば結構変なものが乗っかってますよ。散歩の折にでも見上げてみればどうでしょうか。

No title

今回は非常に深い話しですね。

対象に意味を求めないで関心はむしろ対象よりもその対象に向かう視線にあるような気もするってところは凄い印象に残る文章だなっておもいました。

数々の写真を撮りまくり色々と考えているうちにそういう境地に達したという感じでしょうか?

眼差しについての写真ってたしかに興味深そうですね。

撮るのって難しいかもませんが。

えにぜんさんへ

こんばんは!
わりとこういうことを良く考えるんですよね。写真は他の表現行為とは違って特別な修練も必要ではなく、誰にでもシャッターボタンを押しさえすれば撮れるものだから、それが写真の最大の利点だとは理解しても、あまりにもシンプルすぎて逆に写真のことがいつも良く分からなくなって、いろんなことを考えながら撮るようなことになってます。首尾一貫して何かを考え続けてるっていう風でもないので、頭に浮かんだことの間にあまり脈絡もなかったりするんだけど、この眼差しに関する想念もそんな頭の中ではじけた思考の泡の一つのような感じです。眼差しについての写真ってなんだかかっこいい響きでしょ。きっと美しい写真になりそうな繊細な想念のような気がするんだけど、あまりにも観念的過ぎて具体的にどんな形を取るんだろうっていうのがまるで想像できないのが難点かな。意図的に撮ろうとしてもまるで不可能で、色々撮ってる中で結果としてこういうのがその写真かもって言う形でしか目の前に現れてこないような気もするし、ともあれ眼差しについての写真ってわたし自身が一番見てみたい写真でもあります。

No title

こんばんわ

写真の魅力って うまく表現できないですが、まさに その一瞬

二度と帰ってこない その瞬間を切り取って 様々な要素も必要ならば加味しながら写しだされたものを永遠に未来に残すことができることの凄さ まさにそれだって感じます。

そう考えると 他の何よりも被写体 撮影された対象そのものの存在感 希少性といった側面から捉えると これ以上のリアリズムは存在しないのではないのだろうかって・・


そんなことを感じました。

自分で何を言ってんのか わからなくなりました(笑) 

ももPAPAさんへ

こんにちは!
写真ってシンプルだからこそ、いろんな考え方を許容するようなところがあってよく分からないところがありますよね。だからなのかわたしはよくこういうことを色々と考えたりしがちだったりします。一瞬を撮るのは一番写真っぽいと思われ、実際そうなんだろうけど、まぁ自分では撮れないし、わたしはそういう写真のいかにも写真そのものって云う振りをしてるところにちょっと違和感を覚えて一歩引いてしまうようなところがあります。実は次の記事で一瞬を撮る写真と対極にあるような写真のことをちょっと書いていて、こういう考え方もあるということで読んでみてください。リアリティの捉え方のいろんな形とでもいえるのかな。写真がリアリズムと断ち切れない関係を持ってるのは確かで、その関係の取り方で様々な考え方の変化が出てくるんだろうと思います。
よく分からないのはわたしも一緒。だからさぐりながら写真が撮り続けられるんだと思ってます。
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